No.830348

堀川御所一夜夢(ほりかわごしょひとよのゆめ)

つばなさん

 どこかの本丸の今剣ちゃんが、義経公と遊んだり一緒に戦ったりする話です。めっちゃがっつり義経公出てくるので注意。弁慶も出ます。本丸は全然出てきません。
 義経記の義経公をもっと自分好みにかっこよくしてる感じです。義経公好きすぎて、こんなの書いてしまいました……。
 今剣ちゃんは、過去を改変しちゃだめっていうのを、納得しきってない感じがするので、会いにいくくらいならいいやって思うんじゃないかなって思いました。

2016-02-12 20:58:34 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:584   閲覧ユーザー数:584

 山の桜はまだ盛りだというのに、その稚児は花になど目もくれない。ただ一心に木刀を振り続けていた。

 鞍馬の山奥で、人知れず修行を積むその稚児の名は牛若丸と言う。

「もっと重い一撃を打てるようにならなければ」

 ぐっと腰を据えて勢いのある重い一撃を放とうとするが、牛若丸の小さな身体では重い攻撃などそう簡単に出来るものではない。なかなか満足のいく成果は出なかった。

 

「ああ! だめですうしわかまるさま。そんなやりかたでは、むさしぼうにまけてしまいますよ!」

 突然の声におどろき、牛若丸がハッと振り返ると、そこには不思議な風体の童子が立っていた。

 頭には頭襟を載せ、右袖だけ長い着物に射向の袖と前の草摺だけの鎧を着けている。そして何よりも奇妙なのはその銀色の髪と赤い目だった。

 この童子、この世のものではないな。

 牛若丸は油断なく木刀を握り締めながら鋭く誰何した。

「何者だ」

 しかし童子は怖れる様子もなく、慌てて口を抑えた。

「あ、しまった。ぼく、うしわかさまとしゃべっちゃだめなんです」

「何を言う。早く答えろ。お前は誰だ。そして武蔵坊とは誰だ」

「うーん。でも、でもぼく、うしわかさまとしゃべっちゃだめなんですよう」

 唸りながら真剣に悩む童子からは邪気が感じられない。

 悪いモノではないかもしれない。牛若丸はやや警戒を解いた。

「だが、お前と私はもう喋ってしまったぞ」

「……それもそうですね」

 牛若丸のことばに大きくうなずいて、童子は満面の笑みを浮かべた。

「ひとことしゃべるのも、ふたことしゃべるのも、いーっぱいしゃべるのもおなじですよね! やったー!」

 ぴょんぴょんと、牛若丸のまわりを飛び跳ねながら童子は叫んだ。

「それで? お前は誰なんだ」

 先ほどよりいくぶん優しく問いかけると、童子は一つ大きくぴょーんっと飛びはねて答えた。

「ぼくはてんぐなんですよ! とんだりはねたりおてのもの!」

「なるほど。天狗か」

鞍馬山には天狗が住まう。本物を見るのはこれがはじめてだが、想像と違ってずいぶんと愛らしい。まだ子どもなのだろうか。

「うしわかまるさま。ぼくといっしょにあそびましょう!」

 ぐいっと腕を引っぱられて、牛若丸は困った。

「いや。私は修行をしなければならない。一日も早く強くなって、父上の敵、平家を滅ぼすのだ」

「そんなしゅぎょうより、ぼくとあそんだほうがぜったいいいですよ! ほら、おにごっこしましょう」

 そう言うと、童子は腰の高さ程の藪をぴょんぴょん飛び越えて、一気に三丈ほど先まで行ってしまった。

「ほらうしわかまるさま! はやく!」

 すごい身体能力だ。牛若丸は目を見張った。あの天狗を捕まえられるようになれば、その辺の人間を捕らえることなんて容易いだろう。彼を追いかけるのはいい修行になるかもしれない、と牛若丸は思い直した。

「よかろう。鬼ごっこだな?」

「はい! うしわかさまがおにですよ! じゃあ、ぼくはばびゅーんとにげますね!」

 童子はそう言うと、木の根道を身軽に飛び跳ねて、縦横無尽にかけまわった。

 

 障害物もものともせずに飛び回る童子に、牛若丸は翻弄された。あとちょっとというところまで追い詰めてもするりと逃げられてしまう。牛若丸とて身軽なほうだ。もう少し工夫すればなんとか捕まえられそうな気がして、牛若丸はだんだんムキになっていた。

 速さでは勝てない。牛若丸は童子の動きをじっくり観察することにした。童子は牛若丸を見くびっているのか、遠くまで逃げてはまた牛若丸の近くまで寄ってきて、周りを飛び回る。

 その戻ってくる瞬間を狙えば、相手の勢いも利用して接近することができるかもしれない。

「ふふっ、うえですよお!」

 また童子がこちらに向かってくる。牛若丸は一気に加速して、上から降ってくる童子に突っ込んでいった。

「そこだ!」

 上から降ってきた童子を抱きかかえるようにして、ついに牛若丸は童子を捕まえることに成功した。

「わあ!」

 抱きかかえられて驚いたのか、童子は目をまんまるにした。

「捕まえたぞ」

「えへへ。つかまってしまいました」

 童子はうれしそうに笑った。

「捕まったのに、そんなにうれしいのか?」

「うれしいですよ! ぼく、うしわかまるさまとこうやってあそぶのがずっとゆめだったんです」

 それはまるでずっと昔から牛若丸を知っているかのような口ぶりだった。

「お前は不思議な奴だな」

 するりと懐に入り込んできて、警戒心を抱かせない。彼の目的や出自は気にならないではなかったが、それが分からなくても不安ではなかった。今日はじめて会ったというのに、全然そんな感じがしない。

 この童子とずっと一緒にいられたら楽しいだろうな、とふと牛若丸は思った。

 

 牛若丸は孤独だった。幼い時に父を亡くし、母と分かたれて鞍馬に預けられ、親子の情愛もよくは知らない。師匠の東光坊阿闍梨はかわいがってくれたが、平家打倒をひそかに心に決めてからは、打ち明けられない秘密を抱え、師に嘘を重ねる苦しい日々だった。

 だが、この世のしがらみとは無縁の天狗相手ならば、自分を偽る必要もない。

「なあ、天狗よ。またこうやって私と遊んでくれぬか」

 牛若丸がそういうと、童子は困ったように笑った。

「うしわかさまと『ぼく』はもうあえないかも。でも、ぼくはいつでもあなたといっしょにここにいます」

 そう言って童子は牛若丸の胸の辺りを指差した。遠くでかすかにほら貝の音がする。

「だからぼくは、さよならはいいません。うしわかまるさま。ねがわくば、あなたのじんせいにさちおおからんことを」

 童子はくるりと踵を返すとぴょんと木の枝に飛び移り、ひらりひらりと木々を渡ってその姿は一瞬で見えなくなってしまった。

 童子の消えた方を眺めているうちに、ひらひらと舞い落ちる桜のはなびらに気付いて、牛若丸は顔を上げた。

「いつのまにやら、桜も満開になっていたのだな」

 くらまの山の、雲珠桜。夕闇に白く光るその花は、今日はどこか優しい色に見えた。

 

 

 

 

 なつかしい夢をみた。

 伊予守源九郎義経はゆっくりと起き上がった。

 義経が牛若丸と呼ばれていたのはずっと昔のこと。彼は悲願の平家打倒を果たし、今や法皇の信頼も厚い「判官さま」である。

 しかし、義経の気持ちは晴れない。

 やっと相まみえた兄・頼朝。果たせなかった父への孝行に代えて、ただひたすらに忠義を尽くしてきたが、ついに決別は避けられないところまで来てしまった。

 法皇から賜った初音の鼓を眺め、義経は苦悩の表情を浮かべた。法皇は、義経が頼朝を討つことをお望みなのだ。

「情に引かされ義理を破るなど武士の恥。しかし、私には兄上を手にかけることなどできない……!」

 さらには頼朝が義経を殺そうとしているという噂も聞く。

「兄上がそんなことをなさるはずがない。昼間の土佐坊も結局は刺客ではなかったのだから」

 鎌倉から京へ上ってきた土佐坊が頼朝から義経追討の命を受けているという話は江田の讒言だったのだ。土佐坊には熊野の神への起請文も書かせたことだし心配はいるまい。

 そうは思うのだがなにか落ち着かず、鬱屈した思いを忘れるために今日義経は宴を開いてしたたか酔ったのだった。

「静?」

 寝入る前にはそばにいた愛妾の姿がなかった。

 手酌はあまり楽しいものではないが、このまま寝入るのもつまらない。瓶子を引き寄せて酒を注ごうとしたとき、誰もいなかったはずの室内から声がして義経は驚いて振り返った。

「もうのんではいけませんよ」

「そなた、いつかの天狗か」

 いつの間にか部屋の端にちょこんと座っていたのは、たしかに昔一度だけ会ったことのある鞍馬の天狗だった。

「おぼえていてくれたんですね! うれしいけれど……しまったなあ」

 しゅんと萎れる天狗は、あの時と同じ童子の姿のままだ。あの時も童子は義経と会話するかどうかでずいぶん悩んでいたことを思い出して、義経は言った。

「心配するな。天狗と出会ったことは誰にも言うてはおらぬ」

「それはよかったです」

 うんうんとうなづくあどけない顔をしげしげ眺めて、義経は言った。

「しかし、私はこんなに年を重ねたというのに、お前はあの時のままだな。天狗は年を取らないのか?」

「ぼくはよしつねこうとはちがうときを、いきているのですよ」

「ほう、そうか。ま、なんにせよ目出度い。再会を祝して、一杯やろう」

 そう言って童子にかわらけを渡そうとしたが、彼はゆるゆると首を振って受け取ろうとしなかった。

「よしつねこう。おさけはもうだめですよ」

「よいではないか」

 いじけたように義経は言う。自分でも少し酔いすぎている自覚はあった。

「だめです。もうすぐくまののかみをもおそれない、ふとどきものがせめてきますから」

 その言葉を聞いて、義経の手からかわらけがすべりおち、高い音を立てて割れた。

「それは土佐坊のことか」

 義経のことばに童子はこくりとうなずいた。

「まさか、そんなことがあるはずはない! 兄上が私を殺そうなどと。でたらめを申すな!」

 声を荒げる義経に、童子は声を詰まらせた。

「だってほんとうなんです。ぼくだって、うそだったらいいと、どんなにおもうか……」

「そんな。まさか兄上が……。私は、私はどうすればいい」

 どんなに疎まれ、厭われても、ただただ真心を尽くして仕えていればきっと兄上のご勘気も解けるだろうと耐え忍んできたのに。その望みもついに潰えた。

「どうすればいいのか、どうしたらよかったのか、ぼくにはわかりません。ぼくはよしつねこうのねがいをぜんぶかなえてあげたいけど、なんにもできないのです」

 そう言って童子はうつむく。義経は長いため息をついて言った。

「……どうあがいても、手に入らないものはあるということか」

 事ここに至ってはどうしようもない。義経が生き延びるためには、頼朝が送って来た刺客を殺し、頼朝と対立するしかなかった。

 

 義経は弓掛を嵌め、よろい直垂をつける。

「……おてつだいしましょう」

 童子は勝手知ったる慣れた手つきで鎧櫃を開け、脇楯を取り出して義経へ差し出した。義経はそれに手を伸ばし、躊躇する。

 この甲冑を身につけたらもう引き返せない。私は本当に源氏の棟梁に、兄上に反旗を翻すことになる。

「よしつねこう」

 脇楯を差し出す童子の手も、小さく震えていた。彼にもよく分かっているのだろう。これを身につければ義経が引き返せないと言うことを。

 

 なぜ、こんなことになってしまったのだろう。義経は塞き上げてくる悲しみをぐっと飲み込んで言った。

「兄上に初めてお会いしたあの日。『よく来てくれた』と涙ながらに喜んでくださった感動。終身の忠誠を誓ったあの黄瀬川の、水の清さ空の色を思い出すにつけてもこの身のあさはかさ。ただただこの不孝を浄土の父上にお詫びするしかない」

 義経の目には涙が浮かんでいた。童子の前に膝をついて、なおも言い募る。

「これはな、鞍馬寺を出るとき師から授けられた霊刀だ。尊天様の神力宿すこの剣にふさわしくあろうと、強く正しく生きたその末が兄への謀反では、尊天様にも顔向けできぬ」

 そう言って、義経は鞍馬山を出でてより、片時も手放さなかった護り刀「今剣」を帯からはずして、敬って拝した。

 童子は嗚咽をこらえて涙を流す。

「天狗よ。どうかお前からも、尊天様に言い訳しておくれ」

 そう言って童子の手をそっと取る。

「兄上のためだけを思って過ごした五年。夢のようであったなあ……」

 二人は人知れず、声を忍んで泣いた。

 そこに驚き慌てた静がつっと入ってきて、ついたての向こうから義経に声を掛けた。

「わが君様。土佐坊の様子を探るため放った女房が一向に戻ってきませんので気にかかってならず、先ほど表の様子をうかがってまいりましたところ、数百の兵がすでにこの館を囲んでおります。はやお起きくださいませ。早う」

 ついたての向こうで義経がまだ眠っていると思った静は、うろたえて大声で呼ばわった。

「静、騒ぐな」

 ついたての奥から出た義経はすでに甲冑をその身につけ、落ち着いた振る舞いであった。静は心底驚いて、

「いつの間にお着替えを?」

 と尋ねるが、義経はそれに返事はしない。

「誰か! 誰かおらぬか!」

 義経の声に答えて、下働きの喜三太が縁側まで寄って、平伏した。

「他のものはおらんのか」

「宵の口にみんなお帰しになりましたでしょう」

 静に言われて、そうだと義経は思い出す。土佐坊を放免したことで、とかく小言めいたことを言われるのが疎ましく、主だった連中は全て帰らせたのだった。

「構わん。そなたと私で百の首級をあげようぞ。なに、恐れることはない。我らには鞍馬の護法魔王尊の眷族がついておるぞ」

 義経のことばに答えるように、ついたての向こうからいたいけな声で

「なにおそれることはありません。じきにむさしぼうももどります。よしつねこう、はやく、はやく!」

 とのたまう声がして、静はハッと驚いた。

 さてはいつのまにやら小姓を連れ込んだかと、こんな時であるのに女心とは不思議なもので、どのような童子か

一目見てやろうとついたての向こうを覗こうと首をのばす。それに気付いた義経は、さっとついたての角を取り、目線で静を制した。はしたないことをした、と静は袂でそっと顔を隠し、恥じ入る。

 

「出るぞ」

 静を奥の間に押し込め、喜三太を先陣に押し立てて、義経は庭の縁に出た。早くも兵は塀を超え、なだれを打って庭に詰め掛ける。

 名のある武将と見える義経が現れたので、敵兵はいっせいに義経に向かって矢を射った。その途端、義経の背後で複数の破裂音が響いて、敵の放った矢は全て地面に落とされた。

「きょうもじゅうへいさんはぜっこうちょうです!」

 後ろから童子のはしゃいだ声が聞こえて、義経は「天狗の仕業か」と納得した。

「天狗よ。助かったが、人前に出てきてもいいのか?」

 彼の言動からして、人前に姿をさらしてはいけないという天狗の掟があるのではないかと義経は思っていた。

「よるだから、にんげんはぼくのこと、あまりよくみえないでしょう? ぼくはきょう、よしつねこうをしなせないためにきたのだから、これくらいはゆるされるはずです。たぶん!」

 ちょっと不安の残る物言いだが、義経にとってはこの上ない援軍である。

「ほーら、うえですよお!」

 短刀をひらめかせて敵に襲い掛かる童子はまさに鬼神がごとく、あっという間に数人の兵を倒してしまう。義経は、童子の持つ短刀に目がいった。しかとは見えないがその直刃、よく知っているような気がする。

 

「我こそは伊予守源九郎判官義経。今宵の私には弓矢は効かぬ。首取りたくば、組み討てや」

 義経が大音声で呼ばわったが、土佐坊の手のものは皆恐れて、近づけない。

 飛び出した喜三太は獅子奮迅の働きをしたが、ついに脚に矢を受けて動きが鈍る。それを見た童子は飛び出していって、喜三太の後ろを守った。

 義経は土佐坊を探して庭に降り、「土佐坊、出よ!」と呼ばわった。応える声がなかったので、義経は敵兵の中に突っ込んで黄金造の太刀を抜き、手当たり次第に数人を斬り伏せた。

 すると義経背後の館の板間を荒々しく踏みつける音がして、すわ敵兵に館の中に進入されたかと、義経は驚いて振り返った。

 暗闇に浮かび上がった男は法師のなりであったので、さては土佐坊かと一足で館に躍りあがり義経は太刀突きつけて「名乗れ」と詰め寄った。

「名乗れと仰せならば名乗りますが、名乗らずともよくご存知でしょう」

「弁慶か」

 義経はほっと息を吐き、太刀を鞘へ戻した。

「あれほど申したのにお聞き入れにならず、土佐坊をお許しになるからこのようなことになるのです。しかも自ら敵の只中に降りられるなど、見つけたときの弁慶の心持、お分かりか。生きた心地がいたしませんぞ」

「なに心配することはない。今日の私には鞍馬の天狗がついておるのだ」

「天狗?」

 不審そうに眉を上げる弁慶に得意そうに義経は喜三太の方を指す。

「まさか喜三太は天狗なのですか?」

「何を言っておる」

 そう言って義経が目を凝らして庭のほうを見ると、いつのまにやら童子は見当たらなくなっていた。

「天狗などおらずとも、拙僧一人で十分です。必ずや土佐坊の首取ってまいりましょう」

 弁慶は薙刀押っ取って駆け出していった。櫓に登った喜三太が、大音声で家来衆を呼んでいる声が聞こえた。これで家来衆も戻ってくるだろう。

 

 義経はやっと安堵し、部屋に入って床几に座った。

 燈台の明かりは消え、軒先の釣燈篭からわずかに光が差し込むだけだ。庭での戦闘をよく見ようと、義経は目を凝らしていた。突然、雨も降っていないのに雷が走り、庭を一瞬明るく照らす。

 庭を一心に見ていた義経はふと、雷の前と後では庭の景色の見え方が違うことに気付いた。近くの戦闘だけ先ほどよりはっきりとよく見える。義経の背後から青白い光が差し込んで、近くの景色を明るく照らし出しているのだ。義経はゆっくりと振り返った。

 そこにいたのは、青白い光を纏った異形の武者であった。甲冑一揃い来ているが兜をつけず、烏帽子すらかぶっていない。そしてその背後には骨格だけの奇妙な生き物が空中に漂っていた。

 

 そのとき義経すこしも騒がず、太刀引き抜いて、まるでこの世の者に向かうがごとく、名乗りを上げようと息をととのえたが、異形の武者は名乗りを待たず間合いを詰めて義経を槍で貫こうとした。義経は思いもかけない攻撃を避けきれず、もはやこれまでかと覚悟したところに、横から小さな影が飛び出して、小さな短刀で槍を受け、しかし受け切れずに吹っ飛んだ。

「天狗!」

 呼ばれて飛び起きた童子は、足から血を流し、衣服のいたるところが裂けていた。

「だいじょうぶです。よしつねこう、さがってください!」

 そう言って童子の構える短刀が、異形の武者の光に照らされて青く光る。浅く湾れたその刃紋をみて義経は確信した。あの短刀を私はよく知っている。

 童子は驚くべき身軽さで一気に間合いを詰め、敵の懐に潜りこんだ。異形の武者は槍の柄をかち上げて童子の顔を殴打したが、それとほぼ同時に童子の一撃が敵の首を貫ぬいた。

「天晴れ」

 軍扇を高く上げて、義経が褒め称えた。光を失くし、どうと音を立てて倒れる武者に巻き込まれ、童子も倒れ伏した。

「大丈夫か」

 義経は走りよって童子を助け起こした。

「ひどい怪我だ」

「だいじょうぶです。これくらいのきずなら、あるじさまはすぐになおせるのです」

「そうか」

 義経は慈愛に満ちた声でゆっくりと言った。

「お前、いまは別の主を持っているのだな」

 そう言われて童子はハッと目を見開き、驚いて体を硬くした。

 見慣れた短刀を、自分と同じ戦法で使う天狗。義経にはおそらく、と思うところがあった。

 

「人の命は短く、ものもまたいつかは滅びる。しかし形をかえても続いていくものがあるのならば、血縁の情をも捨て、ただ義理で固めたこの闇夜の旅路、おのれの信じる道を行こう。たとえこの身朽ちても」

 ひたと童子の赤い瞳を見つめて、義経はくっと唇をかみ締めた。

「汚れない魂を永遠に残そうと思う。天狗よ、お前に会えてよかった。これでもう迷いはない」

 折りしも、庭から勝どきの声が上がった。「土佐坊討ち取ったり!」という弁慶の大音声が響く。その声を聞いて義経は立ち上がり、部屋の外へと向かった。

「よしつねこう」

 童子の声に義経は足を止めた。その顔は釣燈篭の光で影が差し、はっきりとは見えない。

「天狗。堅固で暮らせ。願わくば、お前の人生に幸多からんことを」

「……はい」

 はい、と答える声も涙ににじみ、身を振るわせる童子を義経は、しばらくじっと打ち眺めていたが、やがて思い切って部屋を出て行った。

 静まり返った部屋に、童子のすすり泣く声が響く。

 文治元年十月十七日、冴え冴えとした月の光だけが童子を見守っていた。


 
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