No.829899

別離   7.こうめ

野良さん

2016-02-10 20:14:53 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:798   閲覧ユーザー数:779

「小烏丸よ……」

「はい、こうめ様」

 呼びかけておきながら、こうめは次の言葉を発する事もなく、大樹を見上げ続けていた。

 小烏丸も促さない。

 黙ってこうめの傍らに立ち、主が想いを整理するのを待つ。

 それは彼女がこの庭を発つ前にせねばならない事だと、良く判っていたから。

 ややあって、こうめは上を見上げたまま、呟くように口を開いた。

「わしの式姫になって、お主はそれで良かったのか?」

 こうめの問いに、小烏丸は困ったような、だが穏やかな笑みを浮かべた。

「ええ」

「彼の式姫で居たかったのではないか?」

「……それも、然りです」

 白い繊手を大樹の幹に添えて、小烏丸は言葉を継いだ。

「あの方とこうめ様、お二人とも、私の大事な大事な主です」

 

 選べません。

 

 澄んだ、綺麗な笑みだった。

 曇りなく、迷いの無い……今のこうめには眩し過ぎる。

「では……」

 選べぬというなら、何故わしを。

「こうめ様、私は刀です……戦う人の道を切り開く武具であり、時に歩みを支える杖であり、刀身に心を写し、己を省みる鏡でもあります」

 小烏丸は言葉を切って、静かな目をこうめに向けた。

 

「私への問いに、こうめ様は何を写していますか」

 

 その問いに、こうめは視線を落とした。

 その目に、涙が光る。

 誰も詰らない……誰も責めない。

「……わしの罪を」

 

 重い。

 最初に感じたのはそれだけだった。

 心構えはしていたつもりだったが、予想外の力が彼に襲い掛かる。

 彼の存在の全てに掛かってくる、得体の知れない重み。

 だが、重みといっても、力で支えられる物ではない事が、苛立ちと同時に、恐怖を募らせる。

 形ある重みなら、何処を支えるか、どう力を込めれば良いか、察しは付く。

 だが、これには形も無ければ大きさも見えない、己の何がこの重みに抗っているのかも判らない。

(これを、あの子は一人で支えてたのか)

 全身に脂汗が噴出す。

 こうめが言ったように、これは確かに危険だ。

 どう危険なのか、まるで把握できない。

 

 それ以上の危険があるだろうか。

 

「く!」

 食いしばる歯の間から、歯軋りと呻きが漏れる。

 膝が震え、砕けそうになるのは、重圧か、それとも恐怖の故か。

 余りの重圧に声も出せない。

 どうすれば良い、何が起きている。

 俺は、何をすれば良い。

 俺は、あの子は、どうなる。

 無力感に苛まれそうになる。

(畜生……誰でも良い、教えてくれ)

 

 

 疲労の極みに達したこうめが、崩れるように膝を突いた。

「こうめ様、ご無事ですか?」

 あわてて駆け寄る小烏丸を手で制して、こうめは気丈にも顔を上げた。

「彼は、そして天女は?」

「天狗が言うには、絆は結ばれたと」

 小烏丸の言葉に、こうめの表情が明るくなる、だが、それを痛ましげに見て、小烏丸はわずかに視線を逸らした。

「ですが……まだ何も」

「何も?」

「天女さんは苦しみ続けていますし、その手助けをする術など知らない彼も、当然苦しんでおりますわね」

 小烏丸の後ろから、天狗が冷たい目をこうめに向ける。

「……!」

 血相を変えたこうめが、あわてて視線を巡らせる。

 今にも意識を失いそうな天女が。

 苦悶に顔を歪めて、今にも崩れそうな膝を押さえる男が。

 

「そんな……」

「式姫を素人にゆだねようなど無駄なこと、結局は共倒れですわ」

「天狗!てめぇ、幾らなんでも言いすぎだぞ」

 だが、いつもなら喧嘩を始める天狗が、このときばかりは悪鬼を冷たい目で一瞥しただけで無視し、こうめに言い募った。

「何故、あの方の孫たる貴女が、あんな男に私たちを預けようなどと考えましたの!」

「わしは……」

「今日会ったばかりの、しかも力も覇気も何も無い腑抜けに、一体何を見ましたの? 貴女には私には見えなかった何が見えましたの?」 

 天狗の言葉の激しさに、悪鬼や小烏丸、それにあわてて駆け寄ってきた白兎や狛犬も、声を出せずに、ただ立ち尽くす。

 重苦しい空気の中、だが、こうめは顔を上げた。

「……のじゃ」 

 出そうとした声に、沢山の感情が絡みつき、音にならない。

「何ですの、言いたい事があるなら、はっきり」

「おじいちゃんの……匂いがしたのじゃ」

「匂い?」

「そうじゃ」

 今にも泣き出しそうな、だけどその中に、芯鉄の存在を感じさせる声。

「あの方と、あのぼんくらの何処が似ていると!」

「似ている訳ではない」

 天狗の反問に、こうめは静かに言葉を返した。

 佇まいも、物言いも、出来る事も、おじいちゃんとは全然違う。

「じゃが、彼はおじいちゃんと同じ類の人じゃ」

「何を言っているのか判りませんわ、判るように」

 

「……彼はわしを、信じてくれたのじゃ」

 天狗の言葉に応えたような、そうでないような。

 こうめは、自分の中に答えを探す表情でそう呟いた。

 

 縁も所縁も無い、助けても得が無い所か、損でしかない、でも、寄る辺無く泣いている幼子を眼前にした時にどうするか。

 

 その選択の時、小賢しくあってはいけない時に、ちゃんと人としての選択が出来る。

 そういう、どこか愚直な魂の有り様が良く似ていた。

 式姫は神。

(呪文や経を暗記したとて、それだけでは大した意味は無い……それは天地や神々に自分の言葉を届ける方法に過ぎんからじゃ)

 陰陽師の修行は、色々な祭儀や祭文を覚える所から始まる。

 それらを覚えるのが苦手で、一人泣いていたこうめの頭を撫でながら、おじいちゃんはそう言っていた。

 言葉に想いを乗せ、相手に届ける術を正しく学ぶ。

 それは勿論大事な事だが……。

(最後に人や神を動かすのは、その言葉に乗せられたその人の輝きのみ)

 我慢して学ぶ事、歯を食いしばってそこに留まる事は、無論、時には必要な事じゃが。

 そう穏やかに笑いながら、おじいちゃんは言葉を継いだ。

(それは、直ぐに生きる為に必要な事だからやるのじゃ、こうめ)

 小ざかしい知恵を得てその生き方を曲げる位なら、陰陽師になどならずとも良い。

 直ぐに生きて、自身の生き方を定めるのじゃ、こうめ。

 

 今……自分は、その生き方を定める決意を一つした。

 こうめには、その実感が確かにあった。

 

「わしらを信じてくれた彼の心は、おぬしらの心には届かなんだか?」

 

 こんな時だが、天狗の口元に、誰も気が付かない程に薄く笑みが浮かんだ。

 この娘は、確かにあの方の孫だ。

 私が、何故こんなに苛立っているのか。

 私たちが、結局は何で動くのか。

 その本質を、良く判っている。

 だけど。

 

「仮に、彼があの方を継げる存在だとして、今の危機はどうするんですの?」

 魂は認めよう……だが、この世界で生き延びるためには、相応の知識も力も必要である事も、また事実。

 それを無視した綺麗ごとでは、誰も救われない。

 ……もう、自分の目の前で主を死なせるなんて、そんな経験はしたくない。

 

 だが、天狗の言葉に、こうめは涼やかな笑みを浮かべた。

 覚悟を決めた、あの方や、あの男に良く似た……。

「彼はまだ無力じゃ、だからこそ、天女や、彼や、そしてわしらが皆でどうにかするのじゃ」

 そういいながら、苦痛に必死で耐える男のほうに、こうめは歩みだした。

「こうめ様、何を?」

「わしにも判らぬ」

 後を追おうとする小烏丸を手で制し、こうめは真面目な顔で呟いた。

 天女に、彼に……自分は何が出来るのか。

 だが。

「何でも良い、足りない所に、自分の力が使えるかも知れぬでな」

 そう口にした時、こうめは悟った。

 

(ああ、そういう事なのじゃな)

 

 天女は大樹を、ひいては皆を助けようと。

 男は天女を、そしてこうめ達を助けようと。

 それぞれ必死になっている。

 だけど、自分が誰かに助けて貰えると思っていない。

 だから、周りが見えていない。

 助力が、すぐ傍にある事に気が付けていない。

(皆、優しすぎるのじゃな……)

 なら、こうめにも出来る事がある。

「お主に貰った言葉……お主に返すぞ」

 貰った優しい言霊に、自分の想いを乗せて。

 

 まだ小さな腕を一杯に伸ばして、こうめは彼に抱きついた。

 小さな顔が、彼の腹に押し付けられる。

 額の辺りに感じる熱と力は、天女の形代か。

 余波だけでも、凄まじい力の存在を感じる。

 こんな力を受けていては、二人とも、それは苦しかろう。

「こう……め?」

 彼の苦しそうな声に、心が痛む。

 だからこそ、天女に、そして、目の前に居る人に伝えよう。

「一人で苦しむな、足りぬ力なら、足りぬ技術なら、足りぬ知識ならわしらが貸す」

 それでも……もし駄目だったら。

 

 一人で死なせはせぬ。


 
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