No.829329

【新序章】

01_yumiyaさん

新序章。続きもののようななにか。独自解釈、独自世界観。捏造耐性ある人向け【シリーズ完結】【改稿済み】

2016-02-07 22:53:39 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1654   閲覧ユーザー数:1638

【新たなる旅立ち】

 

閉じ込められた炎が、

いちばん強く燃えるものだ。

 

しかし、

敵に向けた怒りの炎で

自分を火傷させないように。

 

 

■■■■■

 

赤髪の少年がひとり、朝目を覚ましベッドに寝転んだままぼんやりと天井を視界に写す。見慣れぬ天井に戸惑いつつも徐々に頭を覚醒させたのか、ああそうかオレ騎士団に入団したんだったとぽつりと呟いた。

もぞりと身体を起こし、カーテンを開けば少年を爽やかな朝日が出迎える。朝日を浴びてぐっと伸びをした少年の名はバーン。

王国の騎士団に入ったばかりの新人見習い戦士だった。

ぼんやりしながら身支度を整え、朝食のため部屋から出れば元気な声がバーンを襲う。

 

「バーンおはよう!」

 

「タンタ、おはよ」

 

朝も早よから元気満タンだとばかりに、ニコニコした白い戦士がバーンの近くへと駆け寄って来た。この白い戦士、タンタという名の少年は己を騎士団に推薦した先輩見習いだ。先輩見習いって変な単語だな、間違ってはいないはずだが。

朝の挨拶を済ませたふたりは、そのまま肩を並べて食堂へ向かう。「どう?城には慣れた?」と問うタンタに「ぼちぼち?」と首を傾げて応対すれば、タンタは呆れたように小さく笑った。

「そこは、バッチリ!って言うところだろ?」とタンタが指摘するが、バーンは頭を掻き難しい顔を浮かべながら「…マナーってやつがメンドくさい」と愚痴る。

戦士や騎士というものは、戦うだけでは駄目らしい。食事のマナーだの、客人への対応だの、偉い人への作法だの。大陸外れの町出身の身としては「なに?なんで?そこまで決まってるの?」と戸惑うことしかなかった。

 

「オレが見守ってんだから城生活はもうバッチリと言って欲しかったけど、うん、それはオレもよくわかってないからひとりで頑張れ!」

 

オマエも苦手なのかよとバーンはタンタをジト目で睨みつつ、溜息を吐いた。飯は食えるなら良くないか?客人には元気に挨拶すれば良くないか?偉い人には近付かなければ良くないか?

騎士団に入る前の生活とまるきり違うせいか、ついそんなことを考えてしまう。そのせいでなかなか覚えられないとバーンは頭を抱えた。でも覚えないとせっかく入団出来たのに追い出されそうだし。

必要最低限だけで大丈夫だよ隊長たちに怒られるだけで、とタンタが言えばバーンは眉を下げる。それが怖いから困っているのに。

隊長とは初対面が最悪だった。故に今でも怖いし怖いし怖い。イイ人なのはわかっているのだけれど。

はあと大きな溜息を吐き、バーンはタンタに言う。

 

「難しいのはそれくらいだから、…だからもう、迎えに来なくていいぞ」

 

「そう?」

 

タンタはバーンが早く馴染めるようにとさりげなく補佐してくれていた。それに最近気付いたのだ。

バーンが朝起きれば大抵タンタが出迎える。迎えに来るために、少し早く起きているらしいことに気が付いた。

バーンが城の中で迷わないようにしている。大抵傍に居て、あっちは何処そこに繋がっているだの、あの部屋は誰の部屋だの教えてくれていたことに気が付いた。

ついでにすれ違う人の名前を教えたり、たまに変な抜け穴を通ったり。そのおかげでバーンは、道も人も城内のことはすんなりと覚えることが出来たのだ。

バーンを拾ったのも入団の推薦したのも自分だからと、何かと気にかけてくれている。その数々のさりげない行為に気付けたのは、タンタのおかげで生活に慣れ視野が広くなったのだろう。

だからもう大丈夫だと、世話焼かなくて良いとバーンは笑った。そんなバーンの提案に、タンタはむむむと小さく唸って言う。

 

「じゃあ、明日から1週間迷わずに食堂に来れたら信じよう!」

 

へらりと笑ってタンタが指を立てた。まだ心配であるらしく、軽くテストをするつもりらしい。テストだろうとなんだろうと、遊びに近い提案となるコイツのノリは嫌いじゃない。

「上等!」とバーンも笑い返し、ぐっと拳を突き上げる。顔には「余裕」と描かれていた。

だってオマエがたくさん教えてくれたから。バーンはそんな表情を浮かべている。

ついでに騎士の作法もちゃんと教えてくれたら助かったんだけどなとバーンが少し意地悪な声で揶揄えば、タンタは気まずそうにふいと視線を逸らした。

 

■■■

 

朝そんな話をした日。

1日を終え、バーンはタンタに明日の予定を聞こうと部屋を訪れる。ノックをして開いた扉からはタンタがひょいと顔を出した。

バーンが予定を問うとタンタは「……ん?…ああ、少し待ってくれ」と怪訝そうな顔をして、扉を閉じて引っ込んでしまう。

見たことのないタンタの反応に、なんか少し固いタンタの言葉にバーンがキョトンとしていると、再度扉が開いてタンタが部屋から出てきた。さっきとは違い、バーンの見慣れた笑顔のタンタ。

 

「なにー?」

 

「え?あれ?さっきも言った、けど。…明日の予定を、聞こうと…」

 

バーンが混乱しながら要件を言うと、楽しそうに笑ってタンタは明日から座学が始まるからノートと筆記用具忘れないように、あと寝たら怒られるからねと先輩風を吹かす。寝ると凄く怖いから、凄く怒られるからと何度も深刻な顔で語るタンタは、居眠り常習犯なのだろうと予想が付いた。

場所は第三会議室だからと言った後で、タンタが首を傾げる。「場所知ってたっけ。やっぱ迎えに行く?」と心配そうに言ってきたので場所は知ってるとバーンは返した。

なんか変な雰囲気がバーンを混乱させているが、にへっと笑ったタンタは迷子になったら迎えに行くねと肩をぽんと叩く。

始終楽しそうなタンタに再度首を傾げ、バーンは「ありがとう、…おやすみ?」と混乱したまま挨拶をしてタンタに背を向けた。

なんだったんだろう、さっきのタンタは。キリッとしてしっかりした、バーンの知るタンタとは真逆のタンタ。

また何かごっこ遊びでもしていたのだろうかと、自室に向かって歩きながらバーンは首を傾げ続けた。

 

■■

 

1週間後。

城の間取りを把握しているかのテスト結果は、バーンの表情が示した通り余裕で合格。基本的な間取りならば、一応全部覚えたとバーンは胸を張る。

タンタが感慨深そうに「オレが教えることはもう何もない」としたり顔で頷くものだから「よし次は作法よろしく」とバーンが笑えばタンタは素知らぬ顔で同じ言葉を繰り返した。つまるところ作法系統は教えられないらしい。

 

「ったく。…ま、いろいろありがとうな」

 

「オレが勝手にやったことだし。次はどっちが先に騎士になれるか勝負!」

 

いつも通りの笑顔でタンタが宣言するとバーンも笑顔が「おう!」と返した。

友達で仲間でライバル。

小さな戦士はコツンと拳をぶつけ合う。

明るい未来を信じて。

ちなみに座学に関しては、初日は緊張していたため起きていられたのだが、内容が複雑になり座学そのものに慣れてきたあたりでうっかり寝た。

隊長に死ぬほど怒られた。途中入団だから他のヤツらに早く追いつくためちゃんと聞けと。

隊長怖い。

もう寝ないと心に決めたが、あの人の声聞いていると眠くなるんだよなあ…。

 

■■■■■

 

 

城での生活にも慣れ、タンタの補佐も卒業しひとりで出歩く自由時間を得たバーンは兼ねてから気になっていた場所へと調査しに出た。大陸の外れにある塔に向かって。

以前変な宝玉を見かけた場所。

そこに入ってからの記憶が飛んだ、怪しい場所へと。

タンタも、恐らく隊長も、バーンの話した赤黒い宝玉が原因だろうと予想しているらしい。しかし、

 

「森には無かったってタンタは言ってたしな…」

 

なら元々あった場所にあるかもしれないと、バーンは意気込んで調査に向かった。宝玉がひとりでに元の場所に戻るなんて足でも生えねば不可能だから、軽く見てくる程度の気概で。

有り得ない事を確かめに行くのだから人には言えず、見習い生活にも慣れひとりでも戦えるようになったから大丈夫だろうと無断で。

なんせ王国としては危険かもしれないものを確保・封印したいらしいが、現物がいくら探しても見当たらなかったのだ。そのせいで最近はタンタが「見間違いだったんじゃないか?」と疑われる始末。

恩人で友人のタンタを疑われムカついたバーンは、とりあえず心当たりのある場所を調べようと塔に向かって歩を進めていった。

 

ズンズン歩きようやく塔に辿り着いたバーンは、塔を見上げる。高い、不気味、怖いと三拍子揃ったボロボロの塔。

あまりの不気味さに扉を開けることを躊躇したが、バーンは恐怖を振り払い扉を開く。ここに宝玉があればタンタの疑いを晴らせるのだと己を奮い立たせた。

まあ、訓練を受けて人より強くなった今でも怖さが勝るため、扉を開けてからもしばらく固まってしまったが。「…よくこんなとこ入ったよなオレ…」とひとりごちる。

子供というものは常に斜め上の遊びを行う生き物だ。バーンが塔に入り込んだ理由も「あそこに入ったら勇者」といった町の子供内で流行った謎ルールと肝試し感覚だった。

 

「今思えば阿呆なことしてたよな…」

 

ちょっと昔の己に呆れつつバーンは溜息を吐く。この塔が安全なら遊び場が増えると常々思っていた町の子供たちに「塔には近寄っちゃいけない」と言う大人の言葉は意味をなさなかった。

むしろ、大人が禁じる場所はどんなところだろう、大人が気にかける場所は面白いに違いない、とハッパをかけてしまったとも言う。今なら「駄目なとこは駄目」だと隊長に叱られまくったから素直に聞き入れるのだが。

まあ今現在「あの不気味な塔に入り込んだヤツが騎士団に入った」と噂になり、塔が街の少年たちの憧れの場所となっているのだが、ずっと城内にいたバーンは知る由もない。

不気味すぎて未だ入ろうとする子供がいないのがせめてもの救いだろうか。

 

「相変わらず暗いな…」

 

扉の外から中を確認し、意を決してバーンは中に足を踏み入れた。騎士団で学ぶ内に思いついた技術、剣に炎を纏わせてそれを灯りにしてみる。バーンの制御が上手くいく限り灯る、無尽蔵の松明のようになった。

こういう使い方も出来るのは便利だな、思い付いて正解だったと少し得意げに笑い、バーンは剣を片手に内部を探る。うん、暗い怖い埃っぽい。

外れかなと溜息を吐き、怖さが勝り早々に諦めたバーンはとっとと帰ろうと顔を出口に向けた。が、その動作中にふっと何かが視界に入り込む。

ごちゃごちゃ置いてあるガラクタを見間違えたのかと思ったが、ガラクタにしてはおかしいと違和感を感じ、妙な気配の元を探りつつバーンは塔の内部を再度ぐるりと見渡した。

ゴミ、壊れた武器、よくわからない飾り、ゴミ、崩れた何か、ゴミ、変な石像、人影。

人影?とバーンは違和感の塊を見つけ出す。見つけてしまった。人が近付かない場所に、人影?と疑問を持って、剣をそちらに向け照らす。照らしてしまった。

その人影が、バーンの炎によって浮かび上がる。

 

「…タンタ?」

 

そこにいた小さな人影。それはバーンにとって見慣れた姿、友人のタンタのカタチをしていた。

しかしそれはタンタと違い、上から下まで真っ黒い兜と鎧を身に付けている。手に持つ武器は剣ではなく柄の長い斧、確かハルバートという名だったはずだ。

なんでココにタンタがいるのかと首を傾げながらバーンが近付くと、黒いタンタは口を動かしぽつりと呟いた。

 

「 "私"は、…タンタ…」

 

彼はバーンが放った「タンタ」という名を確かめるように、じっくりとゆっくりと名前を紡ぐ。まるでそう、そのことを知らなかったかのように。

声はタンタと同じだった。しかしそれは暗く深く重い声色。

バーンの知るタンタがこんな音を出したことはない。怒った時でも、機嫌が悪い時でも、こんな声ではなかったはずだ。

不審に思ってバーンは足を止める。目の前にいるこのタンタでは有り得ない、けれどもタンタでしかないコレはなんだ?

足を止めたバーンを一瞥し、黒いタンタは自分の身の丈よりも長い武器をブンと振り上げた。軽々と、とはいかないようで、少しばかり重そうに、それ故全身全霊を掛けて。

 

「ッ!?」

 

振り上げられたハルバートは真っ直ぐバーンに落ちてきた。

もしも、バーンが騎士団に入ることが出来ず、ただの子供程度の力しか持たなかったのならば、ここでバーンの命は潰えていただろう。それほどまでに容赦無い一撃だった。

しかしなんの因果か、バーンは運命に誘われるまま騎士団に入り、見事な剣捌きを身に付けている。流石に実戦らしい実戦は経験していないが、訓練で容赦無い一撃程度ならば何度かこの身で味わった。

 

だから、バーンはその斧の軌道を予測できた。

だから、バーンはその刃先を避けられた。

だから、バーンは反射的に相手を敵だと判断出来た。

だから、バーンは「タンタ」に、恩人で友人である彼と同じカタチをしたソレに、剣を向ける。

 

黒いタンタは武器の扱いに慣れていないのか、少し挙動がブレていたのも幸いたのだろう。驚きながらも傷ひとつなく、バーンは振り落とされた斧から逃げおおせた。

元々バーンのいたところ、そこにドスンと刃が落とされる。まるで断頭台のようなその衝撃は、さも当然だと床をヒビ割り、パラパラと小さな瓦礫を空に舞わせた。

あたりに床の破片と埃を撒き散らした黒いタンタは、ゆっくりとバーンに向き直る。睨むわけでもなく嗤うわけでもなく、ただ煩わしいものを見るような視線と共に。

"タンタ"が自分に危害を加えようとした。

あれは己が知っているタンタではないと、「敵」であると理解はしている。が、その行動はバーンにとってショックを受けるに充分すぎた。

明らかな敵意を持った相手に向かって、バーンは大声で叫ぶ。もしかしたら何かがあって、おかしくなった友人なのかもしれないのだから、と。ならば声を掛ければ元に戻るのではないかと。

 

「タンタ!正気を取り戻すんだ!」

 

その声を受けても黒いタンタは黒いまま。お前なんか知らないと語るようにバーンを見据えて、再度ハルバートを握りしめた。

また、あの一撃が、来る。

そうバーンが気付き、怯む身体をなんとか動かした。あれを喰らったら多分死ぬ。

「我は、魔戦士…」と黒いタンタが呟いたのはなんとか耳に届きはしたが、ああやはり、彼は小さな身体で大きな武器を振りかざした。

黒いタンタは武器の重さに慣れていない、それは確実だ。故に振り上げたときも振り下ろしたときも、大きな隙が生まれている。その分威力が半端ないのだが。

だからバーンは逃げ出した。武器を振りかざした今がチャンスだと、今なら追いかけてくることすら難しいだろうと。

戦うべきなのはわかっている、なんせ自分は王国の騎士団に入ったのだから。騎士たちがずっとやっていたように、危険なものは退治すべきなのは、わかっていた。

けれども、どうしても。

タンタと同じカタチのものに、斬りかかることは出来なかった。

例え敵対行動をとられたのだとしても、例え殺されそうになったのだとしても、タンタを斬ることはやりたくなかった。アレが紛い物だという証拠はない。もしもおかしくなっただけの本物だったら、それを殺してしまったのならば、自分は一生自分を許せなくなるだろうから。

正当防衛だと諭されても、あっちが悪いのだと慰められても、反逆者を排除したのだからと褒められても、己でそれを受け入れられるとは思えない。

だってあいつは、友達だから。

 

■■■

 

命の危機を感じたときに、固まって動けなくなる人間と、脇目も振らず駆け出す人間の2種類がいると聞いたが、どうやらバーンは後者らしい。全速力で塔から飛び出し、道なき道をただ駆け抜けて、ちょっと感情がぶり返して「タンタがオレを殺そうとした?」と泣きそうになりつつ「なんで?」と若干怒りを生み出しながら、普段は絶対出せない速度で大陸を駆け抜けたバーンは城に辿り着いた。

走れば走るほど感情は怒りに寄って行き、今では「あいつならケロッとした顔でああいうことをやらかすし、冗談のつもりだったとしたらタチが悪い」とタンタを疑う側に思考が向いていく。元々塔に行った理由が「タンタの疑いを晴らすため」だったはずだが、それはどこかに飛んでいっていた。

どれもこれもタンタの日頃の行いのせいなのだが、バーンの勢いは止まらず城の中すら突っ走る。尋常ではない様子のバーンにすれ違う幾人かが驚いていたが、彼らにもの凄い形相で走るバーンを止めることは出来ず見送るだけに止まった。

一直線に駆けたバーンは、ある部屋の前でようやく足を止める。まあ勢い余って足を突っ掛け廊下をド派手に転げたが。

もの凄い勢いで廊下を滑っていくバーンを見て、今まさに扉を開けようとノブに手を掛けていた部屋の主タンタは、ギョッとした表情を浮かべて一瞬で現れ一瞬で目の前を通過したバーンを目で追うことしか出来ない。

部屋の前で固まったままのタンタに向かって、バーンは道中生まれた怒りの感情のままに転げた身体を飛び起こして突撃し、硬直しているタンタの首根っこを掴み上げる。

 

「お前なんのつもりだ!?」

 

突然鬼気迫る表情で責めるバーンに戸惑い、タンタは目を白黒させていた。「な、なんの話、だ?」と混乱しつつも問うタンタを見て、誤魔化すつもりかとバーンが怒りに任せて怒鳴りつけようと口を開くが、それは開いたままピタリと止まる。

部屋の扉が開いたからだ。家主は今バーンが締めているというのに。

誰か客でも来ていたのだろうか、そうバーンは思うが己でそれを否定した。なんせタンタは今さっき部屋に入ろうとしていたのだから。

家主不在の部屋に、しかももう夜に近い時間に、居座るようなヤツはこの城にはいない。それ故、客ではないと断言出来る。じゃあ、誰だ?と開く扉を凝視していたバーンは、そこから顔を覗かせた人影を見て、驚きのあまり目を見開いた。

 

扉から出てきたのはタンタだったからだ。

 

今バーンが締めているタンタがいて、扉から出てきたタンタがいる。信じられないことに、バーンの目の前にはタンタがふたり存在していた。

同じ顔がふたつ。塔で出会った黒いのを合わせればみっつ。それはバーンを混乱させるのに充分で、先程までの怒りすら引っ込めて呆けた顔をふたりのタンタに晒した。

 

「え?…え?」

 

「…もしかして、知らなかった、のか、?」

 

掴んでいるタンタが苦しそうにしながらバーンに問う。混乱に混乱が重なったバーンがタンタふたりに交互に目線を送れば、扉から出てきたタンタはバーンが怒っているのに気付いたのか己の頭をコツンと叩いた。

てへ、と可愛く誤魔化しタンタは「いつ気付くかなーって」とバーンの見慣れたいつもの、悪戯っ子そのものの楽しげな笑顔を浮かべる。

その笑顔を見た瞬間反射的にバーンは掴んでいたマトモそうなタンタから手を離し、可愛く誤魔化した方のムカつくタンタの頭を、心のままに思い切り引っ叩いた。

「説明しろ」と怒鳴りながら。

 

■■

 

「…そんなに怒らなくてもいいじゃないか…」

 

叩かれた頭を撫でながら、タンタは不満げに苦情を言う。頭にはコブが出来ていた。やかましいとバーンが睨み付ければ、タンタは隣に座るもうひとりのタンタを盾にバーンの視線から逃げる。

今三人はタンタの部屋の中にいた。もう時間も遅いし廊下で騒ぐのは迷惑だからとマトモそうな方のタンタに言われ、渋々ながらもバーンはそれに従っている。

背中に同じ顔を匿いながらマトモそうな方のタンタが頭を下げた。顔には「こいつが阿呆なことしてすまない」と描かれている。

 

「もうとっくに話しているとばかり…。混乱させて悪かった」

 

はじめから、ふたりいたらしい。

混乱しつつバーンはふたりのタンタを見比べた。

薬草を摘みに行ってバーンを保護し騎士団に推薦してくれたタンタと、

他の大陸にお使いに行ったり大人たちの手伝いをしていたタンタ。

つまりはこの王国に"タンタ"がふたりいたらしい。

じっくり見ても全く外見的に違いはない。それでもなんとなく見分けが付くのは、微妙に雰囲気が違うからだろうか。

 

「いや、あんたが謝らなくてもいい」

 

ぺこりと頭を下げる左のタンタに、バーンは手を振り謝罪を止めさせる。いや、確かにたまになんか変だなと思うことはあったが気にもとめなかった自分も悪いのだろうと、バーンも口に出そうとしたのだが。

「でも気付かないバーンがいけないと思う」とムカつく方のタンタが開き直ってそう言い出したものだから、バーンの言葉は飲み込まれた。他人に指摘されるとムカつくのはなんでだろうな。

タンタの言葉にバーンとマトモそうなタンタの両方が睨みを利かせると、びくんとムカつく方のタンタが萎縮し目を泳がせはじめる。

「だっ、て。会ったことあるでしょ?」とタンタがしどろもどろに反論するが、「俺の方はちょっと顔を合わせたことがある程度だから、ちゃんも説明されないと気付かないだろう」とマトモそうなタンタは諭すように叱る。なんとなく、このふたりの関係性が見えた気がした。

実際、バーンはマトモそうな方のタンタとはあまり接点は無かったらしい。座学や訓練でもタンタはバーンより先の方を学んでいるため、同席する時間はほぼ無かったようだ。顔を合わせたとはいっても、すれ違ったり部屋を訪ねた時に一瞬応対した程度。

逆に良く知るタンタは補習が多く、机を並べたことは結構ある。片割れとばかり接していたのだから、もうひとり同じ顔がいるなどと知りようもなかったなとバーンはふたりのタンタを交互に見直す。

顔のパーツは同じなのに、よくよく見ればなんとなく違うのが面白いなとひとり頷いた。

バーンが普段接していたタンタはかなり自由奔放でいたずら好き。それの尻拭いをしているからかもうひとりのタンタは微妙に世話焼き気質が高い。

他の人たちがふたりのタンタを見間違えず、また混乱もしないのは、性格に多少の差異があり、またそのせいか普段の表情が違って見えるからなのだろう。

 

「ようやく納得した。人によってタンタの評価がバラバラだったのは、ふたりいたからなのか」

 

バーンはふうと息を吐く。少し前に「タンタはしっかりしているからいろいろ任せられる」と聞き、首を傾げたことがあった。

アレに何かを任せるとは自殺行為もいいトコじゃないかと思っていたが、もうひとりの、マトモそうな方のタンタを評していたらしい。

バーンの話を聞いてタンタが不機嫌そうに膨れバーンを睨む。とはいえもうひとりの方のマントを掴みちょっと隠れながら、ではあったが。

 

「それじゃまるでオレが駄目な子みたいじゃない…」

 

「自覚ないのか。俺がどれだけお前の尻拭いしてると思ってる?」

 

タンタがそう言えば、タンタはむすっと顔を逸らす。そこまでのことはしてないもんと頬を膨らませるタンタに、そこそこしてる自覚はあるのかと呆れるタンタ。

「オレ」と「俺」。ふたりのタンタの違いはそれか。

仲良さそうにじゃれ合うふたりのタンタを見て少し羨ましく思いながら、バーンは首を傾げて問い掛けた。

 

「んで、あと何人いるんだ?」

 

その問いにタンタはふたりとも同じ方向に同じ角度で首を傾けた。揃ってるのを見るとちょっと面白い。

「何人って、俺たちふたりだけだが」とタンタは不思議そうに相方に首を向ければ、同じことを考えたのかもうひとりのタンタも同じように首を向けていた。そんなふたりを見てバーンはキョトンと疑問符を浮かべる。

では、バーンが先ほど塔で出会った"黒いタンタ"は誰だったのだろうか。

 

「ダイジョーブ、もういないよ!改めて紹介するね。こっちが割と面倒な厄介ごと押し付けてもいい方だよ!」

 

バーンが「まだ自分知らないタンタがいるのだろうか」と疑ったのだろうと考えたらしいタンタが、ニコニコしながら相方を指差し笑う。その酷い内容に「ええ…?」とバーンが目を向けると、タンタがタンタに頭を叩かれていた。

「っあ!お前自分の分の手伝いを俺に押し付けてたな!?」とタンタが怒れば「しまったバレた!」とタンタが慌てる。最近マトモな方のタンタに、事務や書類整理の手伝い依頼が妙に増えていたようで不思議に思っていたらしい。

道理で「あれ?…まあこっちのほうがいいか…」って顔されるなと思ったとタンタはいまだにプリプリしているが、バーンとしても細かな事務系の手伝いならそっちのほうがいいだろうなとは思った。

採取とか獣退治とかの手伝いは自分で行ってるからとタンタは言い訳しているが、騎士になるなら両方やれとタンタに論破されている。そうか騎士になるなら両方やらなきゃいけないのか、とバーンがこっそり青ざめたのに気付く者はいなかった。

 

途中で喧嘩、というか説教が始まり有耶無耶の内に消灯の時間が迫る。早く部屋に戻らないと怒られてしまうだろう。

もう少し色々と問いただしたいことがあったバーンは、不満げな顔でぽつりと呟いた。大人ならもっと遅くまで起きていられただろうに、と。

無理矢理起きていることも可能だろうが、次の日辛いぞ?そう言いながら、タンタは笑いバーンの肩を叩いた。「あいつは決まった時間に電池切れる」と、まだバーンがいるにも関わらずうつらうつらし始めたもうひとりのタンタを示す。

さっきまで元気に騒いでいたのにこれだ。いや、睡魔に襲われていたから失言が多かったのだろうか。

なんにせよ同じ時間に眠くなりそのまま寝付くとは健康的な毎日だとバーンが苦笑すると、タンタの方も良く寝て良く動くあいつのが強くなりそうで困ると微笑ましそうな目で相方を見つめた。

完全に目を閉じているタンタを担ぎ上げベッドに放り投げた後、タンタはバーンに笑いかける。

 

「俺が部屋まで送るよ」

 

タンタからの申し出に首を傾げながら、バーンは「道順くらいわかるから大丈夫」と断ろうとした。こっちのタンタにも自分はまだ城に慣れていないと思われているのだろうか。

ふたり揃って心配性だなとバーンが呆れたように言えば、タンタは軽く首を振り「夜はちょっと変わるから」と扉に足を向けた。

言葉の意味がわからず不可解そうな表情を浮かべるバーンだったが、それでもタンタの手招きに応じふたり揃って扉の外に出る。廊下は少し肌寒い風が流れていた。

陽が落ち月が照らす城の中は昼間の賑やかさが嘘のようだ。バーンたちの立つ暗い廊下は怖いほど静かで、ちらちらと部屋から漏れる灯りだけが足元を照らしている。

思ったより暗かったとバーンは少し戸惑いながらも見慣れた通路に足を向けると、タンタがつんとバーンの手を引いた。

 

「そっちは駄目だ」

 

何がダメなのだろうか、いつも歩くただの廊下に見えるのけどとバーンがきょとんとした顔を向ければ、タンタは「こっちかな」と別の道へと誘導する。

なんでこの道なんだ?と疑問符を浮かべるバーンにタンタは小さな声で「そっちの部屋は多分隊長が仕事してるから」と教え、バーンの部屋への別ルートを歩き出した。

消灯後のこの時間、起きて廊下を歩いているのがバレるのもまずいだろとタンタは笑う。確かにそれはそうだが、バーンはこんな夜遅くに「仕事」をしている人がいることに驚いた。

大人ってこんな遅くまで仕事しているのか。夜は眠るものじゃないのか。そう呟けば、タンタは「隊長は昼間俺たちの指導してるからその分遅くなるみたいだ」と頬を掻く。

 

「大人ってタイヘンなんだな。いろんなトコに自由に行けて、金も自由に使えて、夜も好きなだけ起きてられるんだと思った」

 

「俺も最近知ったが、そこまで自由じゃないらしいぞ?」

 

隊長は俺たち見習いの前ではそんな素振りみせないから気付かなかったけどとタンタは苦笑し、バーンは大人って大変なのかと首を傾けた。だって城の大人は昼間はきっちり仕事をしているものの、休みの日には遊びに行く計画を立てていたり、休憩の時にはあれそれを買ったと嬉しげに自慢していたり、夜になったら飲みに出掛けたりと満喫しているように見えたから。

そういう時もあるけれど、大抵忙しそうにしているよとタンタは苦笑し隊長が居るらしい灯りの漏れた部屋に目を向ける。

タンタは「俺が早く大人になったら、手伝えるかな」と小さく呟き、そしたら隊長も休めるかなと心配そうな顔を作った。まあ将来的に跡を継ぐかのようにタンタもといクフリンはポンポン仕事を任されるのだが、この時分にはそれを知る由もないだろう。

そんなタンタを見て、バーンはこっちのタンタは大人っぽいなと感心したように溜息を吐いた。こっちだとしっかりした先輩見習い感がある。あっちは同年代の阿呆な見習い仲間感あるのだが。

ああでも、座学は一緒に受けた記憶があるが戦闘訓練では一緒じゃなかったような。そうバーンが漏らすと、タンタは笑うような諦めるような不思議な顔で口を開く。

 

「ああ…なんかあいつ妙に強いんだ。だから上の方の訓練に混ざってる」

 

「そうなのか?」

 

そうなんだとタンタは少し悔しげな顔で、何回戦ってもあいつには勝てないと溜息を吐いた。隊長の指導で地に伏すことはあったが、同年代の見習いたちと戦って負けたことはないと。

普通ならば、殴られたり怪我をすれば戦意も勢いも落ちるはずなのに、あいつは逆に強くなる。逆境が愉しいと言わんばかりにイキイキしてくる。その状態で繰り出される一撃をまぐれだろうと喰らってしまうと、ガムシャラ故か鋭く重い。

「たまに怖いと思う」とタンタが息を吐くと、バーンも「闘いたくないなあそれ…」と目を泳がせた。弱らせているはずなのに強くなるとはどういう理屈なのだろうか。

もし手合わせする機会があったら気をつけろよとタンタが笑いながら忠告している間に、バーンの部屋の前に到着していた。

 

「おっと、ここだよな?」

 

足を止めタンタがバーンに問い掛ける。バーンが頷くと「明日もあるし早めに寝ろよ」とタンタはポンと軽くバーンの頭を撫でた。夜更かしした年下を気遣うように。

あまりにも自然な行動すぎてバーンが反応出来ずにいると、タンタは就寝の挨拶をして部屋に戻っていってしまった。

子供扱いに膨れつつ己の部屋に入ったバーンは、そのままベッドに倒れ込む。今日はいろいろあったが、いろいろあったが故に頭が上手く回らない。

 

(…ああそういえば、あの黒いタンタは誰だったんだ?ふたりは知らないみたいだった、し…)

 

思考がまとまらないまま、ゆるやかに睡魔は夢の中へと誘っていく。ウトウトとした微睡みの中、やはり疲れていたのかバーンはすぐに眠りについた。

心地よい眠りは、自然が人間に与えた優しい癒し。

それに抗う必要はない。

 

なればゆっくり、おやすみなさい。

 

■■■■■■

 

タンタがふたりいるとようやく知ったバーンは、次の日からどちらのタンタとも付き合うようになった。とはいっても、接する時間の関係上多少の差異はあるのだが。

昨日知ったばかりのもうひとりのタンタは、どうにもバーンの世話を焼く。面倒見る相手がひとり増えたような気持ちらしい。

バーンがマナーやルールが苦手なのに気付いたタンタはあれこれ教え、間違えばやんわりと指摘し、正しければ満面の笑みで褒めてくれた。おかけで前よりかはマシになった、完璧かと言われたら言葉に詰まるが。

他にもバーンが自分に合った闘い方を生み出せば、タンタは「凄いじゃないか!」と自分のことのように喜びバーンの頭をポンと撫でる。どうもしばらく行動を共にしてから気付いたが、これは子供扱いというよりはタンタの癖らしい。

子供扱いするなと怒ったら「?」と不思議そうな顔をされた。無自覚に身体が動いているようだ。諦めるべきだなこれは。

 

バーンがふたりのタンタと過ごすようになってからしばらく。

北の大陸から「王子サマ」が遊びに来るという通達が王国に伝わった。その話を聞いて、真面目なほうのタンタが「良かった」と笑っていたのでバーンが話を聞くと、少し前にその王子サマと会話をしたことがあるらしい。

ならその王子サマの相手はタンタがやるのだろうと、バーンが他人事のように聞き流していると「バーンと同い年くらいだから、仲良くなれるといいな」とタンタはニコニコしていた。

あれこれオレも関わる感じの話?とバーンは少し困ったような表情を浮かべる。王子サマと仲良くなんて出来る気がしないのだが。

バーンが本で読んだことのある「王子」は勇ましく、姫を助けるために敵を蹴散らし、悪党がいればそれを滅ぼし、困っている人がいれば助けに向かう、強い英雄のようなヒト。

対して己はようやく騎士団に慣れてきた程度の初心者見習い。ギリギリ騎士団の端っこにいるような自分が王子と仲良くなれるのだろうかとバーンはひとり首を傾げ、悩む。

しかしタンタの言葉に隊長や偉い人たちも「自分たちが関わるよりは同い年くらいの子と一緒のほうが良いだろう」と考えたらしい。

バーン当人が戸惑っている間に、そして「王子サマ」と会うための心構えが整っていないにも関わらず、無情にもその日が訪れた。

 

王国に訪れた「王子サマ」はバーンのよく読む本の中の王子とは違い、大人しく礼儀正しく穏やかな王子だった。なんだこの「王子」は。知らない。

バーンが混乱している間に、王子サマはタンタに連れられあちこち城を見て周り、最後に騎士団に挨拶に来た。

よろしくお願いしますと、至極丁寧に、凄まじくお淑やかに、やんわりと優雅に礼をした王子サマを見て、バーンはオヒメサマの間違いではと首を捻る。うん確かに本のお姫様はこんな感じだった。

目の前にいる王子と、バーンの中の王子像との剥離に未だ決着が付かずにいると、その当の王子がトコトコとバーンに近寄ってくる。

 

「同い年だと聞きました、色々教えてください」

 

タンタが案内の最中バーンのことを話したらしい。王子がたかが見習い程度のオレに頭下げた、とバーンは更に混乱した。

ヒーローみたいな王子じゃなくて、ふんわり笑う王子サマがなんか目の前にいる。現状に混乱するバーンを尻目に、周りの人たちは今後の話を進めていった。

王子本人の意向、つまりは「特別扱いではなく、他の方たちと同じように扱ってほしい」を尊重するらしい。まあ流石に完全に新人見習い扱いをするわけにはいかないが、必然的に1番新人のバーンはなにかと一緒に動く予定のようだ。

とはいえ、王子と朝から晩まで一緒だということはないだろう、とバーンは楽観視していたが割と本気で世話係に任命されていたようで「食事も一緒に摂られるようだから、案内を宜しくな」と隊長に頭を撫でられた。王子ってオレらとは違うなんかすごいのを食べるんじゃないのか??同じの食うの??

首を傾げながらもバーンは食堂に、と王子を誘ってみる。王子ははい、と笑顔でバーンの後を追ってきた。

道すがら「僕の国は魚とか海鮮料理がよく食べられますが、この国は何が多いのでしょうか?」と王子話を振られたので、「オレはよく肉を食べるけど…」とバーンは敬語を忘れて答える。

 

「でも魚も好きだな」

 

「美味しいですよね。僕はパリパリに焼かれた魚が好きです」

 

王子って焼き魚食うの?

若干驚きながらも、バーンはこの日から王子に対し以前タンタにされたように、道を教え部屋まで送り食事や勉強も傍で支えてみる。

他国の偉い人だと理解はしているのだが、いまだ慣れていないからか敬語を忘れがちなバーン。しかし王子は特に気にすることなく自然と仲良くなっていった。

が、どうにも根本的に育ちが違うせいかたまに話が通じない。木登りで遊ぼうと誘ったら「したことないです、すいません…」と謝罪された。木に登ったことがない?なんで???

本の王子は木登りどころか崖やら山やら塔やら家やら、ありとあらゆるところを踏破していたが。しかし確かに自分も城の木に登ろうとしたら怒られたからそれかもしれないと納得し、バーンは別の遊びに誘う。

その遊びも初めてだったようだが、楽しそうにしてもらえたから良いだろう。

遊びだけではなく、戦闘訓練でもバーンが「こう、剣に火を纏わせて」と自分の戦闘スタイルを説明したら、王子サマは目を輝かせて聞いてくれた。「なら、僕なら槍に水を」と試行錯誤し、魔法に詳しいからか早々にコツを掴み、出来たとばかりに破顔する。バーンも「オレはすげー苦労したのに、オマエすっごいな!」と素直に感嘆した。

魔法も使えて槍も使えて、属性を纏わせる技も覚えた王子サマを見て、バーンは「知ってる王子とは違うけれど、コイツも本の王子のように強いのだろう」とようやく折り合いがついたのか満足げに微笑む。

また、行動を共にすることが多かったからか、王子の仕草をよく見ていたバーンはタンタに教えられたマナーやルールを実践形式で身につけていった。「やはり本物を見て学ぶと違うな」とタンタは嬉しそうに笑う。

しばらく一緒に過ごし、バーンが王子と親しくなり苦手だったマナー等をなんとか身につけた頃、王子が帰国する日になった。

別れを惜しんでバーンが少し涙目になっていると、王子も寂しげにしながらそれでいて気丈に「また遊びましょう。今度は僕の国に来てください、歓迎します」と笑顔を浮かべる。オレは泣きそうなのにそれを隠してシャンとしているところもカッコいい王子だからなんだなとバーンも寂しさを打ち払い、真似して元気な笑顔を作った。

 

「今度は木登り教えてやるよ!登れると楽しいし、近道できて便利だからな!」

 

そうバーンが言うと王子はクスリと笑って「はい、是非」とバーンの手を握る。きっとまたすぐ会えるだろう、そうふたりとも信じていた。

だってもう友達なのだから。

 

■■■

 

そんな日が続き、バーンはたくさんの人と仲良く毎日を過ごしていた。普段通りに朝起きて、普段通りに朝食をとり、普段通りに勉強して。

別段変わったことなどない、いつも通りの日だった。

今日はどうしようかとタンタたちを探したが、彼らは勉強が終わってすぐに外へと遊びに行ったらしい。残念に思いつつ、追いかけても時間が足りなさそうだと考えたバーンは自主練をしようと武器を持って中庭に向かった。

中庭に到着し剣を握ったその瞬間、突然ドォンと大きな音がバーンの耳を襲う。

驚く間も無く次々と破壊される音が鳴り響き、次第にそれは近付いて爆風が辺りの空気を揺らした。壁が崩れ、焦げた臭いが充満し、そこら中から火の手が上がっていく。なに、とバーンが混乱し音の方へと顔を回すと火球のような何かがバーンの真横を掠めた。

それが抉った地面は大きな音を立てて破裂し、周囲の草を燃料に炎を広げていく。見慣れた広く綺麗な中庭が、なす術なくそれによって燃やされ壊され崩れていった。

 

「な、に、」

 

「誰か居るか!?」

 

異常事態だと脳は判断しているものの、理解が間に合わず呆けていたバーンの耳に慌てたような声が届く。すぐさまその声の主、声色と同じく鬼気迫る表情の隊長が走り込んできた。

バーンたちの隊長、つまりバルトはバーンを見つけるとほっとしたように表情を崩す。それを見てバーンは「隊長がこんなに慌てた声を出すなんて、そしてこんな安堵の表情を見せるなんて珍しいな」と異常事態にも関わらずぼんやり笑った。

バルトは瓦礫と炎を避けながらバーンに駆け寄り「お前だけか?」と問う。バーンが頷くとバルトは「そうか」と呟いてバーンをひょいと抱え上げた。

「見習いはほぼ全員外に出ているか…」と複雑な表情で、バルトは降ってきた壁のカケラを弾く。城外はまだ無事のようだから外に居てくれるならば安全だと己に言い聞かせ、バルトはバーンを火の粉から庇いつつ燃え盛る中庭から崩れる城内に戻った。

一回城内に戻らねば中庭から外に出れない構造は考え直すべきだなと、バルトは歩けそうな床を選んで崩れた廊下を進む。

バーンはバルトに「何が、」と問うがバルト自身も現状なにが起こっているのかわかっていない。

彼が理解しているのは「敵襲があった」ということだけ。城が攻撃されていることを把握した瞬間、バルトは世話をしている見習いたちを保護に走った。

誰に襲われているのか戦力はどのくらいなのか目的はなんなのか、それら全てを調べるべきではあったのだが、騎士隊隊長の責任と子供たちに対する保護感。それだけが彼の身体を動かしていた。

バーンの問いには答えず、周囲の様子を伺いながらバルトは逆に問い掛ける。

 

「バーン、怪我はしてないか?」

 

未だ破壊音が響く中バーンが戸惑いつつ頷けば、バルトは再度安堵したような表情を浮かべた。そのまま「私は逃げ遅れた者がいないかもう少し探すつもりだが、お前はどうする?」とバルトはバーンの頭を優しく撫でる。

先に逃げるならばとバルトが壁のひとつを叩けば、くるりと一部が回転し隠し通路が姿を現した。わざわざ崩れた廊下にバルトが戻ったのは、この隠し通路を開くためだったらしい。

これはいざというときの避難通路で森に繋がっている、とバルトは通路を示し「ここを道なりに進めば安全に外に出られる」とバーンの顔を見つめた。問われたバーンはバルトに抱かれたまま言葉を発さず、隊長と離れる気はないと伝えるためバルトに引っ付いた。

バルトはバーンの言いたいことを理解したのか、再度優しく頭を撫でて「構わんが、危なくなったらここに逃げ込むんだぞ?」と諭しバーンを抱えた腕に力を入れた。

落とす気はさらさらないが万一ということもある。バルトがちゃんとくっついてろと伝えればバーンは言葉の代わりにしがみつく力を強めた。

 

自分が離れてひとりで逃げたほうが隊長も安全に動けるのはわかっていたが、それよりも現状が怖い。

安全な隠し通路だろうと、ひとりで歩くのは怖い。

こんな時にひとりになるのは怖い。

自分を守るように包む腕と暖かさから離れたくない。

ひとりでいたときチラリと見てしまった、大きな翼と鋭いくちばし、不気味な王冠とソレの発する禍々しいオーラ。

それはバーンに気付かずどこかへ行ってしまったが、いまだ続く破壊音から察するにまだ城を破壊し続けているはずだ。

次それに見つかったら、またあれの火球に襲われたら。

この幼い見習いの身では、この恐怖に抗うすべを持たない。

 

先程の恐怖を思い出しバーンはきゅっと目を瞑った。外を見るのが怖い。

震えるバーンを抱えながらバルトは崩れ始めた城の中を必死に駆けた。広い城内を周り、たまに聞こえる高笑いから逃れるように隠れ、ひしゃげた扉を見つければ容赦なく壊す。

「誰かいるか!」とバルト声を上げれば、逃げ遅れ部屋の隅で震えていた見習いたちが目に涙を溜めながら駆け寄った。それを幾度となく繰り返し、バルトは見習いたちを保護していく。

そしてしばらく。

恐らく逃げ遅れた見習い全員を回収したバルトは、先ほどの隠し通路の前に舞い戻った。全身に数人の見習いをくっ付け、肩で息をし少し疲弊した状態で。

 

「…お前たち、…私にくっ付く体力があるなら、自力で走れ…」

 

肩にひとり右腕にひとり左腕にひとり背中にひとり、そして胸にはバーンを纏わせた姿のバルトが疲労を露わにそう言うと、くっ付いている見習いたちは涙目で必死にプルプルと首を振る。離れたくないらしい。

諦めたようにバルトは、私は今もの凄い格好なのだろうな、と溜息を吐いた。怪我で逃げ遅れた魔術師がいたため、バルトは最低限の応急処置をして隠し通路の場所を教えたが、その人が怪我で酷い状態だったにも関わらず「…ひとり引き取ろうか?」と心配そうに言ったほどだ。

見習いたちが揃って隊長のがいいと泣いて離れなかったので、その怪我人に無理をさせず済んだのだが、そろそろ身体にかかる見習いたちの重さがしんどい。ガッチリくっついているためバルトが支えないで済むのは良いのだが重い。

はあと息を吐きバルトはデカいひっつき虫たちに目を向けた。怖がるのも仕方がないかと通路に戻る際、この騒ぎの犯人に危うく見つかりかけたことを思い出す。

それは「魔王」だと名乗っていた。どこのだれだかは知らないが、名前が判明したのは暁光だ。

反撃したくはあったのだが、現状バルトは見習いたちを引っ付けている身。さすがにこの子らを危険な目に合わせるわけにはいかない。

行くならひとりで、とバルトは考え物陰に隠れなんとか見つからずには済んだのだが、見習いたちはその魔王の禍々しい気に当てられたのか、ただ単に姿が怖かったのか「ぴゃ」と小さく悲鳴を上げて固まった。そしてくっつくチカラが増した。

しばらく隠れていたら魔王はどこかへ去っていったので、重さに耐えつつバルトは先に進み今に至る。魔王の動向は気になるのだが、まずはこいつらの避難だとバルトは隠し通路に足を踏み入れた。

通路の中は真っ暗で、引っ付いている見習いたちはさらに怖くなったらしい。不安げな顔を浮かべる見習いたちを尻目に、入ったら自動で火が灯るはずなのだがおかしいなとバルトは首を傾げた。どうも魔王に城をバカスカ壊されたせいか、点灯機能がイカれたらしい。

こんなとこまで壊しやがっていつか絶対倒すとバルトが苛つきながら、しかしその苛つきを悟られないような声色でバーンに「灯りを頼めるか?」と声をかけた。あとついでに降りてくれると助かるのだが。

バルトに言われたバーンは少し悩み、しばらく悩み、かなりの時間を要してから微妙に泣きそうな顔でバルトから離れ地面に降りる。ちょっと軽くなったと息を吐くバルトに、バーンは手を伸ばした。

手を掴んでいて欲しいらしい。まあこのくらいは許容すべきかとバルトが手を繋ぐと、バーンはようやくホッとした顔になり反対側の手に剣を構え炎を纏わせた。

ぽうと暖かい光が辺りを照らす。その火のおかげで見習いたちが落ち着いたのを確認し、バルトはバーンと手を繋ぎながらゆっくり先に進んだ。

非常時に使う逃げるための通路だ、罠らしい罠はほとんど無く歩きやすい道が続く。

そんなに時間は掛からず、避難先の森の中へと到着した。

 

開けた森には幾人もの騎士や魔術師がいて、何人かは怪我をしているが概ね無事な顔を見せている。全員、バルトたちを見てほっとした表情を浮かべた。

これだけの人数がいるならば、見習いたちを預けられるだろう。ならばとバルトは城内に戻ろうと考えた。今なら魔王を倒すまではいかないまでも、負傷させることくらいなら出来るかもしれない。

が、安全な場所に到着しても見習いたちは離れなかった。バーンに至っては繋いだ手を握りしめ絶対に離すもんかと力を込めている。

「…もう大丈夫だから離れろ」と言い聞かせてもしっかり掴まれ、それどころか他の見習いたちも寄ってくる始末。見習いたちに群がられ、バルトは身動きが取れなくなった。

戸惑うバルトに、吟遊詩人の身でありながらプリンセスの覚えも宜しく重用されているキドリは笑い「いいから貴方は子守しててください」と翼でもある手でもふんとバルトの頭を叩く。困った顔をするバルトにキドリは「ワタクシが城下町見回りしてきますねー。あ、襲撃者と対峙するのは御勘弁願いますが」と翼をひらつかせた。

多少は武術の心得がありますので見回りくらいならと微笑むキドリに「申し訳ない」と頭を下げて、バルトは集まってきた小さな見習いたちを見回す。何かあったときはここに集まれと散々言い聞かせた甲斐があったと、ひとりひとりの無事を労わった。

 

■■

 

バルトから見回りを代わったキドリはとんと森から離れ、地上を通って街へ向かう。襲撃者にバレる恐れがあるのならば秘密通路は使うべきではないと考え外を歩き、暗くなってきた空を見上げた。

浮かぶのは、先程森で大人しく避難していた見習いたちが、信頼している相手が姿を見せた瞬間堰を切って泣き始めた光景だ。

混乱と恐怖に青ざめ、まだ来ていない人たちを心配し、しかし騒いではいけないとずっと耐えている姿はハタから見ていて痛々しかった。それがバルトが逃げ遅れた子たちを連れて来た瞬間あれだ。

「あの方はいい隊長やってるみたいですね」とくすりと笑い、これなら彼を近衛兵へ推挙しても大丈夫だろうとキドリは足取り軽く夜道を駆けてた。彼なら近衛になったとしても、実力も人望も問題ないだろう。

今は流石に動かすべきではない。ないのだが、今回の騒動で1番被害が大きかったのは近衛団だった。

城の主人、赤のプリンセスを逃がすため、同胞たちは盾となり道を作って彼女を城から避難させている。そのため、ほとんどの近衛は城の中で物言わぬ肉塊に成り果てた。

キドリの相方、共に歌を奏でていた友も、救いの手が間に合わずあの場で散っている。主人を優先すべきは理解していた、故に彼より彼女を選んだ、それを後悔はしていない。

それでも、とキドリは少しだけ歩みを止めた。ああ、今後はプリンセスの相手を自分ひとりですることになるだろう、とキドリは寂しそうに顔を伏せる。

 

辺りは静まり返っていた。

真っ暗な空と、よく見えないがそこに立ち昇る黒い煙。

その煙の根元にある、いまだ赤く染る我らの城と城下町。

その中にいるのは。その中に居たのは。

 

小さく小さく涙は落ちて、静かな夜道を僅かに濡らした。

 

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■■■■

 

森の避難場所にいる人々は話し合い、襲撃者の名前と外見を共有する。見回りから帰ってきたキドリから城下町の様子と現状の城の状態を聞き、全員が悲痛な表情を浮かべた。

しかし幸いだったのは、城の住人も城下町も住人も全滅したわけではなく、無事避難出来た者が多数いたことだ。

街の住人たちの表情は暗い、ならばと城の住人は率先して動き出した。自分たちも暗くなっているわけにはいかないと。

我らの王国を取り戻すために、自分たちがなんとかしよう。

そう考えて。

 

そして、魔王の襲撃があった日からしばらく。

ようやく王国も、なんとか形を取り戻しつつあった。いまだ傷は癒えていない、けれども着実に治りつつある。少しずつ少しずつ、元には戻らないけれど、受けた傷を埋めていくように。

バルトは近衛兵となり王国の立て直しに奔走していた。おかげで騎士団のほうの人手が減ったが、バルトの抜けた穴にはタンタ以下成長した騎士たちが入る。

彼らひとりひとりではバルトひとり分に足らないが、数人で協力してなんとか回していった。

 

毎日忙しそうに、それでもきちんとバーンたち見習いの相手をしてくれるクフリンに「バーンが騎士になってくれたら助かるな」と言われ、バーンは以前よりも更に力を磨いた。

あの時のバルトのように姿だけで見習いたちを安心させられる人になりたいと、大変なのに変わらず暖かい手で守るクフリンのようになりたいと。

彼らのように、仲間を、王国を守れるようになりたいと。

バーンは一心不乱に剣を振る。

脳裏に浮かぶのはあの時から姿を見せなくなった「タンタ」のこと。

魔王の襲撃の当時はどこもかしこも混乱し己も疲弊していたから、避難先に居たかすら覚えていない。しかし確かタンタらしき人影が、夜中こっそり避難場所が出ていったような記憶はあった。

次の日の朝ようやく落ち着いて周りを見れば、どこにもあのタンタの姿はない。あの後以降にバーンに話しかけてきたタンタは、今のクフリンだけだった。

毎日バーンに笑顔を向けてくれた若干ムカつくけど明るいあのタンタは、待てど暮らせど、いつまで経っても顔を見せない。怪我でもしたのかと診療所を覗いて見たが、やはりいない。

もしやと思いハッキリさせたいと、バーンはクフリンの部屋を訪ねた。バーンが扉を叩くその瞬間、部屋にいるクフリンの独り言が耳に入る。

ポツリとしかし重い声で、そして少しばかり寂しそうな声で「お前の分も、護るから」と。

その言葉を聞いたバーンは、あいつはもう此処にはいないのだと理解した。

扉を叩こうとした拳は静かに降ろされ、バーンは顔を伏せたままクフリンの部屋から離れる。なんとなくは察していたが、それを言葉にされた瞬間どうしようもなさが身を襲った。

あの笑顔をまた見ることは叶わないのだろう、もう此処にはいないのだから。

あの声を聞くことは出来ないのだろう、もう帰ってこないのだから。

タンタと一緒に遊ぶことも、手合わせすることも、肩を並べて学ぶことも、もうできない。

 

頭がぐちゃぐちゃになってきて、視界が歪んできて、胸が苦しくなってきて。その気持ち悪さを振り払おうとバーンは駆け出し、最近整備が整った訓練場へと飛び込んだ。

剣を引っ張り出し、訓練用に立たせたカカシに燃えない刃を叩きつける。ただただ思い切り、技術もなにも考えずガムシャラに、ぐちゃぐちゃした想いをぶつけるように。

最後まで炎を出せぬまま、カカシがズタズタになった頃、つまり辺りが真っ暗になった頃、ようやくバーンは声を出した。

声を、出せた。

吐き出すように泣くように、でも泣きたくないから叫ぶだけ。

その声が聞こえたのかバタバタと足音が聞こえ、心配そうな声で「誰かいるのか?」と訓練場を覗き込む。バーンの目に入ったのは、暗さに驚き戸惑いながらも灯りに手を伸ばすクフリンだった。

暗闇の中剣を振り回していたからかバーンは目が慣れていたためクフリンの姿がわかったが、相手はそうではないらしい。夜中にこんな場所で奇声を発したなどバレたら大目玉だろうと、バーンはクフリンが灯りをつける前に身を隠した。

整備された訓練場とはいえ王国は復興の最中、あちこちに道具が放置されているため隠れるところなどいっぱいある。もちろん、見習いならば抜けられる小さな穴なんかそこら中に空いていた。

バレないように身を潜め、バーンはこっそり逃げ出す。後ろから「あれ?」と不可解そうなクフリンの声が聞こえたが振り向かずに走り去った。

 

バレないようにとバーンは次の日何事もなかったかのように振る舞った。

心配されないようにちゃんと笑って。

疑われないようにいつも通りを心掛けた。

けれどもその日からバーンはいつも以上に鍛錬を続ける。

もうだれもいなくならないように。

だれも目の前から消さないように。

自分がみんなを護ろうと。

 

 

そしてバーンはようやく騎士となった。

人一倍炎の力が強く、熱い心を持った火炎の騎士に。

 

■■■

 

「おめでとう。早いなー」

 

バーンが騎士となった日、クフリンが祝いに訪れた。一応簡易的だが任命式は執り行なったし、その場にクフリンもいたのだが個人的に祝いに来たらしい。

バーンの頭をポンと撫で「俺らの時は簡易式すらしなかったからなー、式ができるようになったのは嬉しい」とニコニコ笑う。当時のバタバタでクフリンたちは任命式をすっ飛ばして騎士となっていた。

主人からの任命そのもの、主人が剣を持ち騎士の肩を叩く儀式自体はちゃんとやったため問題はないのだが。

少し羨ましそうなクフリンを見てバーンは思った。式典を出来なかった代わりに鎧を新調する時はド派手にすると隊長たちが相談をしていたからそんな顔しなくてもいいんじゃないかな。内緒みたいだから言わないけれど。

 

「さて、めでたく騎士となったバーンにプレゼントだ。書類仕事と書類仕事と書類仕事どれがいい?」

 

「街の見回り」

 

こんな晴れた日に書類仕事はしなくない。バーンがそう言うとハレの日に仕事はさせないよとクフリンも笑う。

まあ書類仕事もいずれはやらなくてはならないのだろうとバーンが嫌そうな表情作れば、クフリンはどちらかといえばバーンには見回りを中心にやってもらいたいと言う。

事務仕事は現状の面子で足りてはいるし、そっちの方が良いだろ?とクフリンは笑い「在庫数ちまちま数えたり、予算やりくりしたり、暴漢悪漢のリスト整頓したいならそっちに回すが」とも紙をひらつかせながら微笑み首を傾けた。

 

「よーし見回り頑張るぞー、今日からでもいいなー」

 

あからさまに目を逸らしバーンがクフリンに背を向けるとクフリンの笑い声が聞こえる。笑うなよ興味のない数字と文字の羅列は眠くなるとバーンが不貞腐れていると、とんとバーンの肩を叩かれた。

なんだとバーンがクフリンに首を向けると「まずは最初の仕事」とクフリンは外に視線を向ける。

 

「今日は見習いたちのとこ行ってこい。これから指導係もやるんだからな」

 

つまるところ挨拶と顔見せ。特にバーンは属性を纏わせる武術に長けているから、今後も指導することが増えるだろう。

騎士になったとはいえバーンはまだ見習いから一歩進んだばかり。それなのに早々に後輩の指導をするとは気が重い。行きたくなさそうなバーンの背中を叩いてクフリンは微笑み "頑張れ"と言葉を贈る。

 

「新しく技を覚えたんだろ?フェニックスマントだっけか」

 

そのマントがあるなら大丈夫だろうとクフリンはバーンのマントの端を手に取った。「バーンが防御のコツを聞いてきた時は驚いたな」と少し前を思い出し、嬉しそうに笑った。

マントに火を纏わせたいんだけどそれやるとマントが燃えるんだけど燃やさないようにするにはどうしたらいい?とバーンに問われ、火を纏わせたマントに身を包み体当たりで特攻でもするつもりかとクフリンが目を白黒させ問いただしたところ、「マントに火耐性つけて護りたい」と返ってきたのでほっとした思い出。

盾だと上手くいくのにマントだと燃えかけたのが不思議だったなとクフリンが笑ったので、つい思わず、バーンは「あの時はちょっと緊張してたから」と口を挟んでしまった。

あの時は初めて「他人を護るための動き」をしようとしたから。盾で守るのは自分だけだから気楽だったが、マントで護りたいのは自分以外の仲間だったから。

護るための炎で怪我させないか、ちゃんとできるか不安だったんだ、と紡いだところでバーンは喋り過ぎたと口元を押さえる。ちらりとクフリンを見やれば「え?このマント自衛用じゃないのか?」と驚いていた。

 

「…オレが一緒に護れれば、アンタを護れるだろ」

 

魔王の襲撃を受けた王国で、バーンより先に騎士になったクフリンは、仲間を守ると決めた。だから早急に仲間を守る技を身につけ、いつでも仲間をかばっている。

毎度ボロボロになりながらも、仲間を守るために立ち上がるクフリンを見てバーンは思った。ならばそのクフリンは誰に守られるのだろうと。

クフリンだけではない。クランもバルトも、身を挺して仲間を守る彼らは誰が守ってくれるのだろうと。

 

自分が守ればいいと気付くのに、時間はかからなかった。

 

小さな手では届かない。ただ守るだけでは足らない。共倒れするわけにもいかない。

だからバーンは「仲間を守る仲間」を護るために、致死的な攻撃を受けても1度は耐えられるように工夫した。

自分には火の才能があるのだから、それを使えばいい。どこかにいるという炎の鳥、不死鳥のように。

仲間を護る技は度胸も覚悟も必要で、身に付けるにはかなりの時間がかかってしまったのだけれど、なんとか形にすることが出来た。

誰かひとりでも立っていれば、倒れた仲間を助けることが出来る。そのための技。

 

さあ今ここに【仲間を救う】火炎の騎士が目覚めた。

人を護るのが騎士ならば、人を救う彼はきっと。

 

「だから絶対この技を身につけたかったんだ」とバーンはそれだけ言ってぷいとそっぽを向く。

流石に今の己の態度は子供っぽすぎたとバーンは話を変えるため口を開こうとしたが、それを遮るようにクフリンはポンとバーンの頭を撫でた。それは幼いころよくされた、クフリンが褒めるときにする行為。

「そっか、うん、そうか」そう嬉しそうにクフリンは呟く。ただただ褒めるように、良い子に育ったと感慨深そうに。

もう子供じゃないんだけどなとバーンは呆れ、クフリンの手を振り払い「じゃあ行ってくる」と無駄に大声をあげながらバーンは部屋を後にした。

まずは仕事をこなせるようになろう。このままだと守るべき子供ポジションから昇格しない。

せっかく仲間を守る仲間を護るための技を身につけたのに、逆に守られてしまう。というか確実にアイツはオレの前に盾構えて飛び出る。

「バーンが俺を護るなら、俺がバーンを守らねば」と庇い庇われぐるぐる回って意味不明なことになる。

 

「待ってろもっと強くなって絶対庇い返してやるからなー!!!??!」

 

謎の雄叫びを披露しながら城内を駆けるバーンを見て、何事かと城の騎士や魔術師たちが首を傾げたのは些細な話。

 

■■■■

 

バーンが「クフリンに勝つ」と見習いたちの前で宣言し、バトルの話かと思いきや「庇いあいになってもオレが勝つ」と熱く語ったものだから、見習いたちが「バーンが何言ってんのか、ちょっとよくわかんない」や「仲間を守るのに勝ち負けとかあるの?」と呆けていた頃、王国の領土内に不思議な蛙が現れた。

妙に大きく、蛙の王様だと言われれば納得するほどの強さを持つ蛙。しかし別段暴れ回るわけではないようで、積極的に他者を害すような行動はしていない。

ちょっと大きくて変わった蛙が、ただ「食べる」だけ。

その程度ならば問題無かった。生き物ならば食事を摂るのが普通なのだから。よく食うデカい蛙だなと若干の話題になって終わったことだろう。

しかし報告に来た住人が妙に焦っており、妙にボロボロだったため騎士たちは急いで調査に向かった。

少しして、調査に向かった騎士たちが顔を青くしながら城へ舞い戻る。ひとりは兜が無くなって、ひとりは剣を失って、もうひとりは鎧が壊れ所々が欠けていた。

全員が全員、妙にべっとりとした液体を付着させており、特に鎧の欠けた騎士はもれなく全身ベタついている。

調査から帰ってきた騎士たちは口を揃えて言った。これは早急に解決しなくてはならない問題だと。

この蛙の食べる量は桁が違う。その規模は、この蛙の通った後には草木すら残らないほどだったと。目につくもの全てを大きな口に放り込むのだと。それは無機物だろうと有機物だろうと関係ないのだと。

喰われるかと思った否喰われかけたと真っ青な顔で報告する騎士たちの話を聞いて、王国の主人である赤の女王は言葉を失った。彼らを労り休息を命じ、女王はなんとなく湿った報告書を摘んで眺める。

喰われかけた状況でも一応報告書をまとめたあたり流石うちの騎士だと褒めたいのだが、話を聞いた以上、この湿った報告書が何故湿っているかが容易に想像出来るためあまり褒めたくない。

それでも、ガタガタ線が揺れて滲んでいるため読みにくいが、女王は報告書を読み、蛙のくせにイナゴのようだとため息を吐いた。

整った顔を不機嫌そうに歪ませて、赤の女王は報告書を机の上に置きトンと椅子から立ち上がった。傍に置いてあった王族の証であるワンドを手に取りくるりと回す。

報告には、件の蛙は知能もそこそこ高いのか、声を掛ければ近寄ってきたとあった。問答無用で喰いにくるわけではないらしい。

まあ会話が出来るのかとひとりの騎士が友好的に接しようとした瞬間舌が伸びてきて捕食されかけたようだが。

ともあれ、その蛙を放置してはいられない。

ただでさえ王国は魔王の襲撃の傷が癒えておらず色々不足気味だというのに、と女王は目を釣り上げた。そのまま周りに控える近衛兵たちに、ひとこと、言葉を落とす。

 

「ちょっと一発殴ってくるわね」

 

その言葉がもたらした一瞬の静寂。その合間を抜けて女王はカツカツと音を立て怒りを露わに外へと向かう。

近衛兵たちがようやく再起動し慌てて彼女を追いかけたが既に遅く、引き止めようとしたひとりが蛙より先に彼女に一発殴られた。パァンといい音を響かせて吹き飛ぶ近衛兵を見て、女王が幼かったときの養育係キドリは遠い目をしてポロロンと竪琴を鳴らす。

元々お転婆ですし、と。

気に食わない相手に体当たりをぶちかまし、成長したらビンタを覚えた女王だ。この報告を聞いて大人しくしてろという方が無理だろう。むしろ静かに報告聞いてたのが奇跡だとキドリは諦め、女王を静かに見送った。

とはいえ、一応一国の主がひとりで化け蛙を退治しに行くわけにもいかない。バルトが慌てて進言し、イキのいい騎士がふたりお供に付けられることとなった。

 

選ばれたのはクフリンとアーサー。

「なんで俺たち」とふたりがオロオロしていたのだが、バルトが「女王が『近衛兵うるさいから嫌』とまたひとり吹っ飛ばしたから」と諦めた顔でふたりの肩を叩く。お前らは女王と年齢も近いから、まあ、頑張れ、これも経験だ、と言葉を探しつつバルトはふたりを問答無用で送り出した。

突然女王付きにされ、クフリンたちは非常に緊張した面持ちであったが、女王が「あら、貴方たちなのね。アーサーとタンタ…じゃなくてクフリン、よろしくね」と微笑んだことで表情を崩す。自分たちの名前を把握しているとはとクフリンたちが顔を見合わせていると、女王は少し膨れて「王国の自慢の騎士だもの、私自ら任命したのよ?知らないはずないじゃない」とスタスタ先に進んでいった。

慌ててクフリンたちが追いかけると女王はピタリと足を止め、先を指差し笑う。「あれも倒したほうがいいわよね!」と指の先にいる暴れ獣に嬉々として駆け寄り、パァンと小気味良い音を立ててビンタをかました。

驚いたのはクフリンたちだ。「そうですね倒します!私たちが戦いますから大人しくしててくださいお願いします!!」とクフリンたちは女王と暴れ獣の間に割り込む。

あらそう?と女王は素直に引いて応援してくれたためそれはそれで張り切れたが、なんでうちの女王は率先して前に出るのだろうか。

よくわからないまま女王の我儘で唐突に同行者に任命されているのだとしても、相手はこの国の女王なのだ。万が一にも彼女に怪我をさせてしまったら、クフリンたちの首が物理的に飛ぶだろう。

それなのに当の女王が率先して敵にビンタをかましにいく場合は、どうしたらいいのだろうか。そんなもん習っていない。

同じ騎士なら殴ってでも止められるのにと、いくら止めても前線へ行きたがる女王を守るためクフリンが盾を構えぽつりと言った。

 

「俺、今回の任務で死ぬかもしれない。後は任せた」

 

「ははは、死ぬときは一緒だ」

 

諦めた表情でアーサーがそう返し、嬉々として特攻されると困るなと笑う。お前がそれ言う?と盾を擦り抜け槍を構えて突撃するアーサーを見てクフリンは苦い顔を浮かべた。

はあと溜息を吐きクフリンは飛び出した友人の背中を目で追う。と、視界の中に見慣れぬ赤い女性が立っていた。自分より前に出させてはいけないはずの彼女が、さも当然のように敵の目の前に立っている。

止めたはずだ諭したはずだ盾になっていたはずだ。しかしいつの間にか彼女は敵を華麗なビンタで吹き飛ばし「当然!」とロッドを振り上げていた。

そういやロッド持ってるのに、なんでうちの女王は危険を承知でわざわざビンタかましに行くのだろうか。 隊長助けて。

 

クフリンが護衛にも疲れ、精神的にも疲れ、でも帰還を進言することもできず、諸々のストレスから盾を引き摺り始めた頃、絡んでくる敵を蹴散らすことが楽しいのか始終ご機嫌だった女王がピタリと止まる。

「あいつかしら」と女王の視線の先には件の蛙。報告通り妙に大きく食器を傍に置いている蛙が、もぐもぐと何かを頬張っていた。

そこの蛙、少し食べるのを控えなさい!と女王が声を張り上げれば、巨大な蛙がこちらに顔を向ける。口の端からなんか緑色の液体が垂れているが何を喰っているんだあの蛙は。

先ほどまで気丈に腕を振るっていた女王は、蛙の姿を見て端正な顔を少し歪めた。蛙が苦手な女性は多いが、思った以上に巨大でぺちゃぺちゃ音をたてながら咀嚼をしている蛙に、かなりの嫌悪を抱いたようだ。

 

「…いきなさい!」

 

だから彼女が後ろに控える騎士のふたりにそう指示を飛ばしたのも、仕方ないだろう。護衛がなんで彼女の後ろを歩いていたのかって?だってこの女王ズンズンひとりで前に進むんだもの。隊長助けて俺たちじゃ止められない。

ともあれ、まあ確かにあれはあまり素手で触りたくないだろうなと、騎士ふたりは逆らうことなく動き出した。アーサーは槍を構えて駆け出し、クフリンは盾を構えて女王を守る。

食事中敵意を持って近付いてきた相手に気付いたらしい蛙は舌を鞭のように弾かせてクフリンを襲う。それをしっかり盾で受け止め弾き返せば、それが気に食わなかったのか蛙はドスンと大きく巨体を跳ねさせた。

攻撃、というよりかは地団駄を踏むかのように。

妙な動きだなとクフリンが首を傾げている間に、アーサーは槍を突き出し蛙を叩く。攻撃を受け怯んだ蛙はプルプルと顔を振り、また舌を伸ばして来た。それを弾けばまた地団駄を踏む。

まただ。どうにもこの蛙、無駄な行動というか奇妙な行動が多い。

反撃というにも威力自体はかなり低いしと怪訝な顔をするクフリンを尻目に、女王は「あれは触りたくないわね…今度から叩くときはワンド使おうかしら…」とワンドを握りしめ物騒なことを呟いていた。隊長ごめん、女王が余計なこと覚えたっぽい。

クフリンが女王に気を取られている間にアーサーは着実に蛙を弱らせていたらしく、気付けば巨大な蛙はあっさりと地に伏していた。ぺたんと倒れる蛙を見て、女王は胸を張り凛とした声で蛙に問う。

 

「少しは反省したのかしら?」

 

また暴食するつもりなら今度こそ完膚なきまでにボコボコにするけども、反省して大人しくするならこれ以上危害は加えない。そういった意味を込めて女王はじっと蛙を見下ろした。

しかし蛙の答えは「ウマイモノ クレルノカ?」で、女王は怒りを露わに蛙を睨み付ける。ああなるほどそれが答えか反省する気も直す気もないのかと、女王はぎゅっとワンドを握りしめ、今度こそ己の手で当初の予定通り思い切り殴ろうと手を振り上げた。

その瞬間アーサーがぽつりと言葉を漏らす。「…何かの書物で読んだんだが。見世物小屋の話だったかな、不死の化物を切り刻む話なんだが」と。

クフリンがなんだ突然とアーサーに顔を向けるが、アーサーは構わず「不死というか再生型の化け物なんだが」と言葉を続けた。

 

「切り刻まれるとその化物は『キモチイイ』って言うんだ。だから見世物になってたわけだが。だが実際は化物は言葉を知らなかっただけで、辛かったらこう言えと教わった嘘の言葉を信じて喋っていただけだった、化物は『タスケテ』って言ってるつもりだった、っていう話なんだが」

 

アーサーはぼんやりと、己の手で潰した巨大な蛙を見ながら首を傾げた。言葉を知らないからきちんと伝えられないということもあるよな、と思案するように腕を組む。

さっき闘った時妙な動きが多かったから変だなと思って、とアーサーはいまだ「ウマイモノ」と鳴く蛙を槍で軽く突いた。

 

「こいつの言葉で『ウマイモノ』が、もしかしたら私たちの言葉では『タスケテ』かもしれないよな、とふと思った」

 

「…。それは」

 

確かに妙な動きも多く、あれだけボコボコにされながらもウマイモノを強請る言葉しか吐かないというのも奇妙な話だ。他の蛙にそんな生態はないはずだし。と、クフリンもヘロヘロしている巨大な蛙に目を向ける。

しかしそれが事実であるならば、クフリンたちは助けを求めていた蛙をボコボコにしたことになるわけで。いやでもこの蛙は王国を荒らしていたわけだし。騎士にも被害出てるし。

悩み始めるクフリンと「まあなんとなくそう思うだけなんだが。思う言葉が話せない、というか」と蛙を見つめるアーサー。そして、ふたりの会話を耳にした女王は振り上げた手をゆるゆると下ろし、蛙と目線を合わせるため屈み込んだ。

 

「…そうなの?」

 

思うところがあったのか、女王は蛙に会話を試みる。元より報告には「積極的に襲ってくるわけではない」とあったのだ。近寄ったら舌を伸ばしてきただけ。

まあその伸びた舌で捕食されかけたという事実はこの際置いておいて、もしかしたら、自分たちが声を掛けたときに舌を伸ばしたのは「助けを求める手」の代わりで。それを弾き返したから「何故」と地団駄を踏んだのかもしれない。攻撃された時に首を振ったのは「違う、闘う気はない」と訴えていたのかもしれない。そう考えることも出来たから。

女王の言葉に反応したのか、巨大な蛙はゆっくり顔を上げた。上げたのはいい、こちらの言葉は通じている証拠だ。

だがしかし。

予想以上に女王は蛙に近付いており、しかも目線を合わせるためかがみ込んでいたわけで。地面に突っ伏していた蛙が顔を上げたなら、その口元は至近距離にいた女王にコツンとぶつかることとなる。

 

遠目には女王と蛙が口づけているかのように見えただろう。

口元で蛙の感触を感じ、反射的に悲鳴を上げて女王は蛙にビンタを入れて飛びのいた。触りたくないとあれほど言っていたのに容赦ない一撃だった。なんせあの巨大な蛙が吹っ飛んだのだから。

一部始終を見てしまったクフリンたちが青ざめていると、若干目に涙を浮かべ己の口をゴシゴシ擦る女王が「聖水寄越しなさい!」とクフリンに向けて怒鳴る。慌てて所持していた聖水を取り出せば、それは引ったくるように奪われた。

くるりと後ろを向いて女王は聖水で口元を清め、崩れた化粧を急いで直す。「やだもう」と涙声で呟きながら。

身を清めた女王が殺意を露わに蛙が吹っ飛んだ場所を睨みつける。このまま撲殺しそうな勢いで。

しかし、蛙の姿は消え失せていた。

吹っ飛んだ先に居たのは蛙ではなく、金の髪を持つひとりの青年。

この地ではあまり見ない衣服を身にまとうその彼は、頬にくっきりと女王の掌の跡が残されている。

蛙と入れ替わりに現れたくるくる目を回している青年を見て、女王の殺意に満ちた目は見開かれ、クフリンとアーサーはあんぐりと口を開けた。信じられないことではあるが、状況証拠はひとつの結論を導き出している。

そう、

 

「蛙が、人に、なった」

 

という、不可思議な事柄を。

3人が呆気にとられていると、青年は意識が戻ったのか「助かった…」と倒れ込んだまま微かな声で漏らし、同時に盛大な腹の音を鳴らした。

 

「腹減って動けねえ…」

 

あ、あの蛙だこの人。そう実感するような言葉を吐く青年を見て、女王は彼に手を伸ばそうとする。が、それはクフリンが止めた。とりあえず身柄がわからない以上、女王を不審者に近付けるさせるわけにはいかない。

怪しさ満点の青年が素直に答えるとは思えないが、聞くだけ聞いてみようとアーサーが槍を突き出しつつ彼に問い掛けた。「貴方は何処の誰か?」と。

 

「俺は、マルドク。メソタニアの、王子…」

 

予想に反しマルドクと名乗った男は素直に答え、限界がきたのかそのまますっと目を閉じる。アーサーが慌てて確認したが息はあるようなので空腹で気絶しただけのようだ。

先程マルドクが放った単語、メソタニアは近隣の国の名前。

魔王襲撃後、疲弊した王国はいくつかの国を組み込み国力の回復かつ魔王への反撃を試みたのだが、メソタニアは独立を貫いた。そのため、同じ大陸にある国ではあるものの王国はメソタニアとほとんど交流はなく、それ故国の内情も詳しくは知らない。

しかしその国の王子が王国の領土内で大食い蛙として闊歩していたというのは、どういうことだろうか。

ほとんど交流がないとはいえ、隣国は隣国。その国のしかも王子を名乗った男を放置するわけにもいかず、女王は慌てた声色でクフリンたちに指示を飛ばした。

 

「大至急保護!」

 

その指示に従いクフリンたちは、ぐったりしているマルドクを担ぎ上げる。クフリンは内心「本当にメソタニアの王子なのだろうか」と思いはしたが、女王の命令だ。逆らう理由もないだろう。

クフリンたちが指示に従いつつも不審な表情をしていることに気付いたのか、女王は「本当だと思うわ。彼の腰についてる飾り…これメソタニアの意匠だもの」とワンドの先で飾りを指した。

言われみれば確かに、こんな腰飾り王国では見かけない。服装も見慣れないものだし、他国の人だというのは事実なのだろう。

「詳しいですね、あの国の情報はあまり来ないのに」とアーサーが首を傾げれば、女王は「隣国のことくらいは知ってるわよ」と胸を張った。

だから、何故そのメソタニアの王子が大食い蛙に化けてまで王国にいたのかが不思議なのだけれど、と女王は呟く。

まあ本人が起きたら聞いてみましょうと女王は城に向かって歩き出した。クフリンたちも慌てて後を追う。自分たちは蛙退治に来たはずなのだが、これは解決と言ってもいいのだろうかとクフリンは小さく首を傾けた。

 

■■■■■

 

城に帰る途中「あら、また暴れてる獣が」と女王がワンドを握りしめたため、怪我人救助が先です後で騎士隊派遣しますだからワンドしまって!とマルドクを抱えるクフリンたちが必死に説得する場面があったものの、まあ一応問題なく城に帰還することができた。ぷくっと不満げに頬を膨らませる女王が握るワンドが、いつ自分たちに向けられるか気が気ではなかったが。

道中女王がワンドの素振りをし始めたときにはギョッとしたが「だってワンドで叩く練習しといたほうがいいでしょ」と笑顔を向けられたためクフリンたちは言葉を失う。どういう意味ですか我が女王。貴女は女王、前線で戦う必要ない、それは俺たち騎士の仕事、オーケィ?

ともあれ城に到着し、そのままマルドクを救護室に運び手当てをしたところすぐに目を覚ました。開口一番「腹減った」と言われたときには驚いたが、女王が「食堂からなんか貰ってきて」と発した瞬間「食堂か!どこだ?」と跳ね起きたマルドクは多分元気なんだと思う。

マルドクの要望に答えるためクフリンが食堂に案内し、目の前で繰り広げられる惨状に呆気にとられていたところ、見習いたちの指導が終わったバーンが現れた。入口近くで控えていたクフリンにバーンは「あれ、アンタも今食事?」とにこやかに声を掛けつつ今日は何かなと食堂内に視線を回す。

そのままバーンは食堂の惨状を目の当たりにし、目を丸くしながら無言で元凶を指しつつクフリンに顔を戻した。バーンの指の先には、空の皿の山と、食べ物の残骸と、美味そうに飯を頬張るマルドクの姿がある。

何、とバーンが問うものだからクフリンは仕方なく一部始終を話した。

 

「つまりあそこでオレたちの食料を根こそぎ食い尽くそうとしている野郎は、最近騒ぎになってた大食いカエルで自称メソタニアの王子」

 

クフリンの説明を聞き、バーンはぽかんとしながら一心不乱に食事をしているマルドクに目を向ける。仕事を終わらせて、さあ飯だ!と食堂に来たらこの惨状だ。しかも相手は他国の王子。またオレの知らない「王子」が出てきたとバーンは微妙な顔を浮かべた。

蛙だったときにたらふく食っただろうに、人になってからもたらふく食っているマルドクに対し、一騎士程度では文句が言えない。このままでは自分たちの分が無くなるかもしれないにも関わらず。

オレの飯と悲しげに呟くバーンに、食堂に現れた眼帯を付けた召喚士がケラケラ笑いながら話し掛けてきた。

 

「空腹感には食う副官ってな」

 

「…ヒート」

 

ヒートと呼ばれた召喚士に、食える副官誰だよとバーンが問えば、隣のヤツでいいんじゃね?と返される。そうかとバーンが隣にいるクフリンに牙を向ければ、慌ててクフリンは盾を構えた。

「腹減ってるんだよチビたちの指導めちゃくちゃ体力使う」とバーンが泣き言を漏らしクフリンの盾を掴めば、クフリンは「俺の苦労がわかったか元チビ」と少し笑い盾を持つ手に力を加える。

ぐぎぎと無駄な攻防をしているクフリンとバーンを見てヒートは笑い、バーンを盾から引き剥がした。「お前がクフリンを喰っていいって言ったんだろ」とバーンが膨れると「喰っていいとは言ってないだろ」とヒートはバーンの額を弾く。

痛がるバーンを無視して「マジメな話、」とヒートはすっと冷静な表情を浮かべた。いつもへらっとしているヒートの珍しい表情に、バーンもクフリンも驚き彼に顔を向ける。

 

「…変身系の魔法はかなりの魔力を使うんだ。だから変身系の魔法を扱うヤツはあまり長時間変化しない。霊媒だの化身だのそういったヤツらは別だけど」

 

ヒートは軽く腕を組みマルドクを示しながら、あの食いっぷりは自力での変身じゃないだろう、と言葉を続けた。

誰かに無理矢理変身させられていたから魔力が足らず、それを補うため常々何か食べていたのではないか、とヒートは悩むように目を閉じ、呪いに近いなと首を傾けた。

今も大量にモノ食ってんのは「呪いが解けた反動」だろうと。元に戻ることも結局かなりの魔力を使うため、それの補填じゃないかと山積みの皿に目を向ける。

魔法使うとわかるけど魔力無くなると疲れて動けなくなるからなァ、とヒートは「お前らも体力尽きると動けなくなるだろ、それと同じ」と手をヒラヒラさせていつものように笑った。

 

「こんな解釈で申し分ないか? もう渋んないでね、と」

 

ヒートが得意げに言葉遊びで締める。魔術関係は詳しくないクフリンとバーンもこの説明でなんとなく理解したのか、体力回復のためあんな喰ってんのかと小さく呟いた。

まあ理解はしたが納得出来るかと言われるとそうでもないのだが。

このままでは今日の夕飯どころか明日の朝食も無くなる。そろそろ我慢の限界が来たのかバーンがマルドクに直談判しに行きそうな雰囲気を醸し出した時、外からヒートの名を呼ぶ声が聞こえた。

3人が声のしたほうに顔を向ければ、浅黒い肌の杖を持った祭司が手を振っている。城下町に住む祭司、名はキキクというのだが、彼が城に居るのは珍しいなとバーンは首を傾げた。

城に出入りをしなくはないが、そこまで頻繁に顔を見せることはない。どちらかといえば用事がある場合は騎士たちが祭祀場へ顔を出す。

街で何かあったのだろうかとクフリンも首を傾げたが、キキクはクフリンたちに軽く挨拶をしヒートを手招きした。用事があるのは同じ召喚士のヒートの方らしい。

不思議そうな表情のバーンに「4時に用事があるから」と言葉遊びを残してヒートはキキクと連れ立って食堂から出て行く。4時はとっくに過ぎているのだが、彼にとっては事実よりも言葉遊びのほうが優先されるようだ。

喋らなきゃモテるだろうにとバーンは呆れるが、ヒート本人が言葉の研究を楽しんで行っているため止める気はさらさらない。四六時中聞かされるとウンザリするけどな、とバーンは言葉とは裏腹に楽しそうに笑った。

すると「ごちそうさまでした!」と満足げな声が食堂に響く。どうやらマルドクは食事を終わらせたようで、非常に幸せそうな表情で己の腹をポンポン叩いていた。

それを見たバーンは急いで食堂のカウンターに駆け寄り食事はあるかを問い掛けている。バーンが無事飯食えるといいなと微笑ましく見守りながら、クフリンはマルドクに近寄った。

それでは、女王が待つ取調室へご案内します。

 

■■■

 

取調室、もとい女王の執務室へと移動し、部屋の前で待機している近衛兵にクフリンが声を掛け扉を開けてもらう。許可を得て部屋の中へと入ったクフリンはマルドクをソファに促し、まあ心配ないとは思うが一応、彼が女王に危害を加えそうになった場合に備えてその場に控えた。

心配ないとは思うが。なんせここに来る道中、マルドクはとても友好的に飯が美味かっただの城が綺麗だのと始終ニコニコ話しかけてきたのだから。

マルドクが座ったのを見た女王もマルドクの向かいに座り、事情聴取という名の尋問が始まった。が、あれやこれやと聞いてみたところ、全てはマルドクの「わかんね」ひとことで終わった。

マルドクが気絶している間に魔術団が調べた結果、マルドクはこの人の形が本来の姿であり、やはりというか蛙化は呪いに近いものらしい。呪いによって無理矢理変化させられていたのだろう、とのことだった。

そのため蛙化していた時の記憶は抜けている可能性があるとは報告されてはいたが、満面の笑みで「わかんねえ!」と言われるとやはり多少怒りは芽生える。

案の定その返答にイラッとしたのか、女王は冷たい笑顔をマルドクに向けた。すると、そんな女王に不思議と怯えた様子を見せ、マルドクはしどろもどろになりながらも「覚えてんのは食べても食べても満腹にならなかったことだけ」だと慌てて付け加える。

 

「そ、そういや戻してくれてありがとな。すげー助かった!どうやったんだ?」

 

助けてくれてありがとう、手当てもしてくれてありがとう、飯も旨かったありがとう。感謝の言葉を矢継ぎ早に並べ、話を変えるかのようにマルドクは女王に笑みを向けながら「呪い」を解いた方法を尋ねた。

女王は少し顔をひくつかせたものの、しれっと「思い切りぶっ飛ばしたわ、ごめんなさいね」と言い放ち顔を背ける。恐らく解呪のきっかけは女王の口付けなのだろうが、蛙にうっかりとはいえ口付けたことは彼女的にカウントしたくないらしく詳細は誤魔化すようだ。

あと、姿が変化しておりなおかつ知らなかったとはいえ、王国の女王と他国の王子が唇を重ねたというのは外交的にも問題があった。故に揉み消し、故に口止め。

黙っていればそれは内外的に無かったことになる。犯罪はバレなきゃ犯罪にならないという理屈と似たものを感じるなと、クフリンは溜息を吐く口元を隠した。

情報も得られず、聞かれたくないことを蒸し返され、女王のイライラが頂点に達しかけている。クフリンが「俺が抑えるのはマルドクではなく女王の方では?」とハラハラし始めたころ、部屋にノックの音が響いた。

女王に目線で許可を取りクフリンが扉を開けると、そこにはアーサーが立っている。部屋に一歩入ったところで、アーサーは女王に向けて口を開く。

 

「メソタニアへ連絡が取れました。王女直々にお迎えにいらっしゃるそうなので各所に通達しておきます」

 

「ぐゲッ!?」

 

アーサーの報告を聞いてマルドクは蛙のような声を漏らし青ざめた。オタオタしながら「姉さんが来るのか、なんで!?」と慌ててソファから立ち上がる。

「迎えはいらないな!自力で帰れるからな!じゃあ俺はこれで!」と叫ぶように告げ、マルドクは逃げるようにアーサーが立ち塞がる扉へと足を進めた。もう王女の訪問を了承しちゃったんだけどなと、アーサーが困ったような顔で道を空けようと身体をずらす。が、そんなマルドクに女王は穏やかに微笑みながらひとこと告げた。

 

「お疲れのようだし、王国特製のケーキを用意してあるのだけれど」

 

残念だわ、という女王の言葉を聞いて、逃亡を図っていたマルドクはピタリと止まり、くるりと反転してソファへと戻る。

あれだけ食べたのにまだ入るのかとクフリンは唖然とし、アーサーはマルドクの行動に小首を傾げつつ女王の「持ってきて」という言葉に従い厨房へ向かった。

きちんと行儀よく座りキラキラした目で「どんなケーキかな」とソワソワしているマルドクに呆れながら、女王は「そんなに食べたら太るわよ?」と苦笑を向ける。

 

「ああ大丈夫。俺天使だからそこまで太らない」

 

そういう体質っぽいんだよなとマルドクは笑う。

マルドクの言葉に女王は「天使?貴方が?」と目を丸くしながらマルドクを観察した。天使といえば羽根や輪っかがある場合が多いのだが、目の前のマルドクにはそんなもの見当たらない。

というか、性格も噂に聞く「天使」とはかけ離れている。噂に聞く天使であるならば、ニコニコ笑ったりはしないだろうし、城の食料食い尽くしたりはしないだろうし、ケーキを楽しみに待ったりしないだろう。

彼の何処が天使なのだろうか。首を傾ける女王を前に、マルドクは己の髪を弄りながらへらりと笑った。

 

「俺の遠い先祖が天使…いや、堕天使?だから、うちの地方ではたまに天使寄りの人間が産まれるんだ」

 

「堕天使?」

 

穏やかではない単語を女王が聞き返せば、マルドクは「堕天使っつっても、祖先は危険な天使じゃなかったらしいぞ?」と手をひらつかせる。そりゃまあ、堕落に誘う堕天使もいるんだろうけどと前置きし、祖先のことを語った。

マルドクが言うには、彼の祖先は「地上の生き物に肩入れした天使」らしい。天命を無視して地上に興味を持ち、地上で生きることを選んだ天使。天命に疑問を持ち離反した天使。

だから「天に背いた」故に「天から堕ちた」そのため「堕天使」とされているだけで、むしろ地上の味方をしていた天使らしい。

元々のルーツは西の大陸だそうだが、そこから離れ気ままに土地を移動した人好きの天使がひとりいたようで、その天使がこの大陸を気に入り住み着きメソタニアの王族の祖先となった。と、習ったとマルドクは胸を張る。

 

「天使が地上に肩入れしたら、そいつはもう天使じゃないんだ。天と地が交わることは絶対にないだろ?」

 

マルドクは思い出すかのように目を瞑り「確か自分の理想世界のために地上を一旦更地にしようとした独善的な悪い天使に、俺らの祖先たちは対抗して地上と地上の生き物を守った、って習ったかな」と小首を傾げる。

その悪い天使を追い返し、地上に残ったマルドクの祖先たちは地上の生き物を導こうと助言を与えたり、知識を分けたり、特殊な道具を渡したらしい。だからなのかうちの国は結構不思議なモンがあるなと、マルドクはクフリンを呼び寄せひとつの宝珠を手渡した。

クフリンの手に乗った宝珠は何の変哲もないただの綺麗な石。クフリンが首を傾げるとマルドクは「うちの国のやつがそれ持ってるとなんか体力上がる感じがするんだ」と自慢げに微笑む。メソタニア民にのみ効果のあるお守りのようなものらしい。

クフリンが礼を言いつつ宝珠をマルドクに返すと、女王が「そんな素晴らしい祖先なら、堕天使呼びは失礼なのではなくって?」と呆れたように頬杖を突いた。それを聞いてマルドクは頬を掻き「だって先祖がそう言ってたらしいからな」と苦笑する。

理由がどうであれ、天命に逆らったならば堕天使、なのだと当人がそう語ったのだと記録が残っているらしい。

よくわからんけどとマルドクは再度笑い「だからメソタニアの王族は祖先の、天使の血が濃いから身体能力が高いかな」と腕を掲げた。俺は足速いのが自慢と己の脚をトンと叩く。

 

「姉さんは俺と違って魔法が得意だな、精霊と仲良かったりとか。ただ頭が固くて厳しくて、」

 

「へえ。そんな風に思っていたの?」

 

マルドクが姉に対する不満を口に出すと、それに被せるように鈴のような声が響いた。その声に身体を跳ねさせたマルドクが錆びたロボのようにゆっくりと声のした方に顔を動かせば、そこにはマルドクと同じ金の髪を持つ女性と、白髪の老将と、困り顔のアーサーが立っている。

「ノックと、お声は、掛けたのですが…」とアーサーはオロオロしながら客人を中へと促し扉を閉めた。室内にピリっとした空気が流れる。

その空気を破って口を開いたのは、金の髪のたおやかな女性だった。ぺこりと女王に頭を下げ、静かな声で「未だ礼儀すら身につけられない哀れな弟をお許しください」と謝罪する。

言動から考えれば彼女がマルドクの姉。つまりメソタニアの王女なのだろう。口をパクパクさせるマルドクを無視して、しばらくじっくりと謝罪の意を表したあと彼女は顔を上げ己の名を名乗る。

 

「私の名はダムキナ。メソタニアの王女で、不本意ですがそこにいるマルドクの姉です」

 

この度は愚弟が問題を起こし、なおかつご迷惑をおかけし誠に申し訳ありませんとダムキナは再度頭を下げ謝罪の意を示した。それを受け女王が「いえ、わざわざ来ていただきこちらこそ申し訳ありません」と声を掛ければダムキナはゆるりと顔を上げ「エンキ」と後ろに控えた老将に目線を送った。

それだけでエンキはダムキナの意を察し、皆に名を名乗ったあと穏やかな表情で微笑みながら1通の手紙を女王に差し出す。

 

「王からの書状となります。お納めください」

 

アーサーがその手紙を取り次ぎ女王に手渡せば、エンキはぺこりと頭を下げマルドクに向き直り「王子、帰りますぞ」と呆れたように声を掛けた。

エンキの声が聞こえているのかいないのか、マルドクは固まったままダムキナから目を離さない。ダムキナのほうはといえば、絶対零度の眼差しとは多分こういう目をいうのだろう瞳で静かにマルドクを見つめていた。

 

「ね、姉さん、今のはえーっと、今回のことはその、」

 

完全に萎縮しオロオロ言葉を探すマルドクに対し、ダムキナは厳しい視線を突き刺し続ける。彼女のこの顔はあれだ、さっきマルドクが尋問中「わかんねえ」と言い放った時の女王の顔と同じだ、とクフリンは気付いた。あの時マルドクがビクッとしたのは、女王とこの怒った時の姉の姿が重なったからだろう。

まあこのダムキナの険しい表情も理解出来なくはない。あの大食い蛙が現れてから結構時間が経っているし、その間「王子」はメソタニアで行方不明だったはず。つまりメソタニアからすれば行方不明の王子を捜索している最中、そこまで交流のない国から突然「お前んとこの王子がうちの食料を勝手に食い尽くしました」と連絡が来たことになる。

しかもその国が王国だというのも問題だ、過去メソタニアは王国からの打診を蹴ってまで独立を維持している。下手な手を打つと「他国で大暴れするような王族が国をまとめられるわけがない、メソタニアも王国が管理します」と吸収される可能性が高かった。

故に、メソタニアは姉であり国の王女でもあるダムキナを迎えに向かわせる。王族直々に謝罪させ誠意を見せるとともに、王国が今回の件を許すならよし、許さず王女に危害を加えたならばメソタニアが王国に吸収されかけても反対する理由ができると踏んで。

まあ当のダムキナ本人はそこらの思惑を知らぬまま、行方知らずだった弟が見つかったことに安堵し、そこで弟が阿呆なことやってたと聞いて卒倒しかけ、土地勘のない場所で不安がってないか怪我をしていないか心配しつつ、あの王国にどうやって謝罪しよう許してもらえなかったらどうしようと悩み、せめて次期国王の弟は許してもらって姉の私が責任取ろうと決意して王国に向かっていた。

緊張していたダムキナが王国の騎士に案内されたのは、牢屋や小屋ではなくとても豪華な部屋。案内され歩いた廊下の豪華な装飾でなんとなく察したが、扉の前に騎士が立ってる時点で理解した。ここ女王の部屋ですね?

その部屋の中で当の弟はへらへら笑いながら、王国の主人である赤の女王と仲良くお話ししている。騒ぎを起こしたはずなのに拘束されているわけでもなく、取り調べをされているわけでもなく、言うなればお茶会といった風情で。

つまり王国は弟を手荒に扱っておらず「他国の王子」として誠実に対応してくれていた。王子だという証拠もなかったはずだ、つまり王国側から見れば怪しい風体の怪しい言動を取る見知らぬ人でしかなかっただろう。それに胡座をかいてのほほんと接客されている弟に怒りを覚えるのも、仕方ないと思う。

 

怒る、といってもダムキナは怒鳴ったり手を上げるような怒り方をしない。

彼女は知っている。言葉で言うよりも暴力に訴えるよりも、時には純粋に真摯な沈黙が人を説得することを。

ただじっと、訴えるように問いただすように叱るように責めるように「ちゃんとお礼をいいましたか」と「ちゃんと謝罪をしましたか」と、静かにそれでいて怒りが伝わるよう弟を見つめた。

彼女は知っている。この怒り方は、マルドクにとても効果的なことを。

暴風のように勝手気ままな弟は、叱ったからと言っていたずらや悪ふざけをしなくなるわけではない。叱られないようにやり方を変えるだけだ。

叱られ慣れた子供には、何も言わないことのほうが堪えることもある。まあ堪えるだけで、やらなくなるわけではないのだけれど。

案の定己に突き刺さるダムキナからの目線を受け、すぐにマルドクはダラダラ汗を流しながらガバリとソファから立ち上がり女王に向けて思い切り頭を下げる。

 

「ご、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたぁ!あとご飯美味しかったです!」

 

その勢いに女王の方は驚いたようだが、ダムキナとしては「謝ってなかったのかそしてその上食事まで要求したのかうちの弟」となおさら怒りを溜めていた。頭を下げつつチラチラとこちらを伺う様子も腹立たしい。

何故謝罪しているのかわかっているのだろうかこの弟は。叱られたから謝ってるだけなのではとダムキナの表情がさらに冷たくなった。

はあと溜息を吐くダムキナに対し、ただじっと無言で見つめていただけなのにあのマルドクからあっさりと謝罪の言葉を引っ張り出した手腕に女王は興味を持ち、ふぅんと楽しそうに彼女に目を向けた。

その視線に気付いたのかダムキナは女王にぺこりと頭を下げ、やんわりと言葉を紡ぐ。

 

「そちらの手紙にも書かれていると思いますが、今回の弟による王国の被害は、メソタニアで援助させていただきます」

 

誠に申し訳ございませんでした、とダムキナは再度深々と頭を下げた。この行為はもしかしたら国民から反感を買うかもしれない。メソタニアは王国の属国ではないのにヘコヘコしすぎだと。

しかし国の王子が、理由はどうであれ結果的に、直接もの凄い迷惑をかけているのだから何もしないわけにはいかない。

頭を下げたままのダムキナに、女王は声を落とした。

 

「あら、援助は大丈夫よ?でもそうね、今まであまりそちらと交流はなかったけれど、これから仲良くしてくれないかしら」

 

とりあえず、今日はもう遅いし泊まっていって。そんな女王の言葉にダムキナは驚いて顔を上げる。援助を断られたばかりか宿泊を勧められた。

確かに日も暮れてはいるが夜間行軍で帰ろうと、何かあっても弟とエンキがいるから問題ないだろうと思っていたのだが。

それを伝えると女王は「王族が夜間行軍って、見目に似合わず割とアグレッシブね貴女」と微笑まれる。気に入った、と言外に言われた気がした。

ダムキナは視界の端に映る白い騎士と金色の騎士が「貴女がそれ言うか?」と遠い目をしているのが少し気になったが、それに気を取られている間にメソタニア一行の宿泊は決定したらしく女王が各所に指示を飛ばしている。

 

「そこまでしていただかなくとも、我々は大丈夫ですので…」

 

「遠慮しなくてもいいわよ。私が貴女とお話したいだけ。寝るまでで良いからお相手してくださらない?」

 

困り顔のダムキナだが、王国の女王にここまで言われたら断れない。何を言われるのかお話とはなんなのか、お誘いそのものがちょっと怖いがダムキナは覚悟を決めエンキに「弟を頼みます」と指示を出した。

了承の意を伝え、エンキはマルドクに近付き頭を下げる。マルドクは「えっ、姉さんが女王と話するなら、俺ここの騎士たちと話したい。王国騎士団の剣術興味ある」とホザいたのを見逃さずダムキナは「マルドク?」と冷たく名を呼んだ。

ぴゃっと飛び跳ねたマルドクに「貴方は賓客として此処にいるわけではないでしょう?なんで此処にいるのかなんで私たちが迎えに来たのか貴方がこの国に何をしたか思い出しなさいそもそも、」とダムキナがつらつら説教をするとマルドクはエンキの背中に隠れ逃げようとする。

「もう牢屋にぶち込んでいいですこの弟」とダムキナが言い放つと、女王は笑いながら「そうする?」とマルドクに向けて首を傾けた。問われたマルドクはエンキの影に隠れながら勢いよくプルプル首を横に振る。

呆れて溜息を吐くダムキナとビクビクしているマルドクの姉弟の姿を見て女王は再度笑い「交流できるようになったらまたおいでなさい」とマルドクに手を振った。

その言葉を聞いて嬉しそうに笑顔を向け、マルドクは「じゃあ今日は大人しく反省しとく」とエンキを連れ案内係の騎士にと共に部屋を出て行く。残されたダムキナは、また深い深い溜息を漏らしながら本当の本当に申し訳ないと女王に頭を下げた。

 

「弟は、なんというか、ちょっと自由すぎるところがあって…」

 

「それを制御できるのだから大したものよ。…それじゃあまずは国交のことから良いかしら?」

 

ダムキナは頷いてさっきまでマルドクが座っていたソファに腰を下ろし、国の代表として案をまとめていく。ここで出した案をそのまま許可することは現時点では不可能だが、明日にでも国に持ち帰り話し合うつもりだ。

メソタニアとしては王子の件で多少負い目があるため粗方通る気もするが、それでもやはり反対意見は出るだろう。元より独立意識が強い国なのだから、王国との繋がりが強くなることを良しとしない者が多い。

「我が国は他国を必要としていない」「外交など不要」と、他国に対して高圧的な態度を取ろうとする強硬派がほとんど。外交政策を提案しても「貴女はこの国の王族なのだからこの国の事だけ考えていれば良い」とにべもなく突っ撥ねられた。

王族だからこそ、国のことを考え、他国との交流を提案したのだけれどとダムキナは当時を思い出し息を吐く。まあ今回の件の影響で、多少無理はすることになるが外交案が押し通せそうだと、それに関しては弟に感謝だとこっそり心の中で思った。

 

ある程度案をまとめ、ふうと一息ついていると女王は何故か護衛の騎士たちを部屋から追い出す。ダムキナがキョトンとしていると「ここから先は女の子同士の話をするから出て行って」とゴネる近衛兵を無理矢理扉の外へと追い払った。

いいのでしょうかとダムキナが戸惑うと女王は「女王とか王女とか肩書き無しで、普通にお話ししたいのよ」と少し照れ臭そうに耳を揺らす。同じくらいの歳の同じ立場の同性でしか話せないことを、ただ普通に。

ああ、きっとそれは。

 

「…肩書きとか国とか関係なく、お友達になれたらいいな、って。貴女面白いのだもの」

 

その言葉を紡いだ女王の顔は、年相応のただの女の子の顔をしていた。

そんな彼女の顔を見て、ダムキナは自然と表情を和らげ嬉しそうに頷く。そうですね、私もお友達になれたらいいなと思います。

あの、さっそくですがあの阿呆弟のこと愚痴っていいですか?

 

女性ふたりがささやかな夜会をしている頃、少し離れた客間でマルドクが大きくクシャミをしエンキを驚かせていた。誰かが噂をしているのだろうか、思い当たるフシが多すぎて特定出来ないとマルドクは鼻を擦る。

現状マルドクはエンキに説教を受けていた。姉の説教ほどではないが、やはり長々説教されるのはキツいなと目を瞑る。

「王国にこれ以上迷惑をかけないように」とは言われたが、まあ、堅苦しい王子暮らしは基本的に肌に合わない。頻繁に抜け出して遊びに来ようと企むマルドクにとって、エンキの説教は右から左。

なんせ出してもらったあの食事、あれはとても美味だった。城であれなら城下町もレベルが高そうだと、マルドクはまだ見ぬ王国の食べ物に思いを馳せる。

まあ、礼儀としてココには毎回挨拶に来よう。

うんとしたり顔で頷くマルドクを前に、エンキは心配そうに溜息を吐いた。

各々様々な思いを胸に、夜は更けていく。

こうして、蛙騒ぎで始まった賑やかな1日はメソタニアとの国交開始という結果を経て終わった。

 

それからしばらく。

マルドクは本当に頻繁に王国を訪れるようになった。毎度毎度どうやって抜け出しているのかは謎なのだが、いつの間にやら城下町の者とも親交を深め、いつの前にやら他国の王子が自然と王国に馴染んでいる。

王女の方はそこまで頻繁にとはいかないが、正規の手段を通して女王に会いに来ているようだ。その日ばかりは姉の機嫌が良いのだと王子はニコニコしていた。

城に頻繁に顔を見せるマルドクだったが、彼が挨拶に来るたびに王国騎士たちは身構える。なんせ事前連絡もなしに突然来るのだから慌てるのも当然だった。

マルドクは騎士たちにも「堅苦しくしなくていいからさ!」とは言うのだが、そしてそれはおそらく彼の本心なのだろうが、彼のそんな態度のせいでどうにもペースが乱される。

一介の騎士が他国の王子に対して不敬な態度をとるわけにもいかず、しかし本人が「気安く」と言うものだから取るべき態度が定まらない。マルドクの許容範囲がわからないため、態度を崩せと言われてもどこまで崩していいのかがわからない。

崩しすぎてメソタニアの方に報告されて「王国騎士は他国の人間にナメた態度をとる」と言われるのは困るし、逆に堅苦しく接してマルドクに不満げな表情をされるのも困る。

結果たどたどしい態度となってしまい、無駄に気力を使うのだ。

悪い人ではなくむしろフランクで良い人であるのは理解しているのだが、なるべく関わり合いになりたくない。どうしたらいいのかわからない。というのが、顔見知り故に対応係にされているクフリンたちの共通見解だった。

気安い良い人というのも考えものだなと疲弊しまくっているクフリンたちを眺めながら、バーンはメソタニアから贈られた特産のハーブティーで喉を潤す。

交流がそこそこ増えたためメソタニアの特産品が城や城下町にも出回るようになったのは嬉しいなと、バーンは「王国騎士団ってどうやって戦うんだ?手合わせしようぜ!」と明るい笑顔で言い放ちクフリンたちを混乱させているマルドクから目を逸らしほっと息を吐いた。

王子と言えばとバーンは昔友達になった北の大陸の王子のことを思い出す。ああもう元王子だったなと悲しげな瞳で、フロウ元気かなと北の空を眺めた。

 

■■■■

 

 

メソタニアの王子の騒動も終わり、

彼の国とも多少繋がりが生まれ、

騎士たちも

魔術師たちも

国民たちも力をつけ、

以前と比べ国力が上がった王国が、やるべきことはただひとつ。

 

さあ、リベンジマッチといこうじゃないか。

 

 

■■■

■■■■■

 

薄暗く禍々しい燃えるような広間の中で、今日もヒートの言葉遊びが冴え渡る。効果のつもりだろうか、ポンと鮮やかな火の魔法を披露しながら。

たったひとりで魔王城に降り立った彼は巨大な玉座と対面し、そこに座る大きな翼を持つ魔王に向けてヒートは挑戦的な笑みを浮かべた。

 

「魔王ムウス!ムゥスっとしてられるのも今のうちだぜ!」

 

魔王に対しても言葉遊びを忘れないヒートの言葉を意に介さず、ムウスと呼ばれた鳥のような魔王は彼を馬鹿にしたように鼻で嗤う。

頬杖を付き、脚を組み、ひとり飛び出して来た襲撃者を嘲るように、魔王は全てを燃やすかのような声色で言葉を並べた。

 

「我が眠りを覚ませし愚か者よ。死の報いをくれてやる」

 

その言葉通り、魔王はヒートに向けて火の玉のような一撃を投げつける。戦闘職ではないヒートがそれを避けるには体ひとつ分足らず、ヒートはあっさりとその一撃を身体に受けた。ドンとした衝撃が己の身体を走る。

思わず呻き体勢を崩したヒートだったが、魔王から目を逸らすつもりはなかった。逸らしてしまえばこれからの作戦に支障が出る。

痛みを散らすため、得意分野で己の頭の回復と相手の集中を削ごうと口を回した。

 

「撃墜って、ゲッ、キツい!…っとか言ってるヒマねーなくっそ!オレ脆いんだぞやめろよ!鳥のくせに火を投げてくんなよ焼き鳥になれ!」

 

痛い辛い痛い嫌だ、と思考停止しかけた脳が言葉遊びに回されたため己の思考が回復したのはいいが、そのおかげで苛ついたのか魔王からの攻撃頻度が妙に増える。

というかそもそも魔王は開口一番の言葉遊びの時点で苛ついていたご様子。鬱陶しいと声を上げる魔王の手から、ヒートはひらりひらり縦横無尽に逃げ回った。

突然現れ挑発してきた(と思った)ヒートが逃げの一手でちょこまかと動き回るため、魔王はとうとう怒りが頂点に達したらしい。不機嫌そうな怒りを孕んだ声色で「ひとりで来るとは余程自信に溢れた莫迦だろうと思ったが、ただ逃げるだけだとは!」と先程よりも大きな火球をヒートに叩きつけた。

それは逃げ場を失ったヒートに見事当たり、彼の身体を吹き飛ばす。その勢いのまま壁にぶつかり、くぐもった声を漏らしながらヒートは床に崩れ落ちた。

それでもヒートはなんとか身体を動かし、杖を握り直す。

 

「ほう、魔術師風情が今の一撃に耐えるとはな」

 

「傷痛いと気付いた意、と。余裕余裕」

 

当人はそう言うが、ヒートが今の一撃で瀕死となっているのは誰が見ても明らかだった。なんせ息も絶え絶え、立っているのもやっとな風体。

それでもヒートの目に怯えは無く、ボロボロの手は強く強く杖を握っている。

何故だろう、と死にぞこないにトドメを刺すため脚を進めた魔王は彼を眺めた。

敵襲の報告が無かった以上、目の前にいる小煩いハエが単身魔王城に乗り込んで、手下を避けに避け最短距離で己の元へとやって来たのだろうと予想は出来る。

出来る限りの無駄な戦闘を避け、魔王である己だけを目的として戦いに必要な余力全て温存するために。

しかしそれならば、目の前にいるこの小煩いハエは弱すぎる。たった一撃で吹き飛ぶほどの脆さだった。

奇襲は成功したにも関わらず、わざわざ姿を現し魔王である己の真正面に立ち、挑発までする無駄な動きをした癖に。

戦闘慣れしていない身体捌き、ただ逃げ回るだけで攻撃しようともしない謎な行動。

襲撃者であるならば、彼奴の動きは何かがおかしい、と魔王がピタリと脚を止める。

そんな魔王に対しニヤリと笑い、ヒートは最後の力を振り絞ってブンと手に持つ杖を振り上げた。

 

「気付くのがちょーっと遅かったな。オレがただ逃げ惑うだけだと思ったか?オレは火炎召喚士、ヒート。全てを紅蓮から生み出しし者」

 

真面目な顔でヒートは杖を振り下ろす。

その瞬間、広間のあちこちに設置された召喚陣が一斉に光を帯び、薄暗かった魔王城を明るく照らし始めた。魔王は周囲の光の柱を驚きの表情で見回し、この光の元凶、魔術師ではなく召喚士だった男を憎々しげに睨み付ける。

召喚士は厄介だ。ああそうだ非常にマズい。なんせ彼奴ら召喚士は、距離も数もなにもかも、全ての道理を取っ払って、僅かな手順であっという間に、この場に大軍を喚び寄せるのだから!

それに気付いた魔王が憤怒の言葉を叫ぶ頃には、誰もいなかった大きい広間にヒートに喚ばれた幾人もの王国騎士が姿を現していた。

召喚陣の光が収まり大勢の鎧が音を鳴らす中、一際目立つ金色の騎士が魔王に剣を向け声を放つ。

 

「全軍、前へ!」

 

室内に響き渡ったその声が消えぬ間に、現れた騎士たちは一斉に魔王に挑みかかった。彼らが起こす地鳴りの音と鬨の声が、禍々しい空気を掻き消し揺らす。

チッと舌打ちし魔王も反撃に打って出る。雑魚が増えただけだと、全て蹴散らしてやると。絶えず咆哮をあげる魔王を尻目にヒートはふらりと壁に寄り掛かる。

痛い、怠い、動きたくない。

そんなヒートに駆け寄ったのはバーン。魔王に突撃する騎士の群れから離れて「お疲れ」とヒートに笑いかけ、薬を差し出した。

 

「………いやこれマジきっついわ…」

 

多人数召喚で一気に魔力を消費し、その上致命的な魔王の一撃を受けていたヒートは、バーンから手渡されたエリクサーを勢いよく飲み干す。ほわんと身体が熱くなり、痛みが引いていくのが心地よい。

作戦成功、と剣の振るう音と魔術の香り、飛び交う火球と喧しい咆哮が混じり合う戦場に目を向け、ヒートはズルズルと腰を下ろす。

 

初めにこの作戦を伝えられたのは、メソタニアの王子騒ぎがあった頃だ。同じ召喚士のキキクと共に城に呼び出され、タイチョーとかいう人から魔王討伐作戦の内容を言われたときには「無理だろ」と素直に言った。

ヒートたち召喚士は後方支援型だ。前線特攻など最も苦手とする戦法。

それなのにタイチョーは「単騎突入ならば魔王軍も油断する。そこを利用するため、君たちには可能な限り懐まで乗り込んでもらいたい」と大真面目な顔で言ったのだ。

王国魔術師ならばそれも可能なのかもしれないが、自分たちただの召喚士が内部を知らない魔王城の、しかも魔王本体の元へ辿り着くことなど困難だと。万一辿り着けたとしても、戦慣れしていない自分たちが魔王の攻撃を避け続けるなんて不可能だろうと。

ヒートがそう言えば、タイチョーは一枚の紙を提示した。

そこに描かれていたのは魔王城の詳細なマップ。そして魔王の元へ行くための最短距離が記されていた。

 

「それで、『あ、イケるかもしんねェ』と考えたオレもオレだな…」

 

ふうと息を吐いて、ヒートは作戦決行と同時に渡されたフォースシールドの破片をパラパラとはたき落す。1度だけダメージを肩代わりしてくれるこのシールドは、開幕早々あっさりと破壊されていた。

しかし作戦としては「襲撃者はひとり」だと魔王に思わせなくてはならない。仲間の存在を悟られ、余力を温存されてしまえば奇襲の意味がなくなる。

また同時に、複数箇所に召喚陣を設置する必要があったのだからヒートとしては単騎アピールをしつつも死に物狂いで逃げるしかなかった。

ラスト油断して一撃貰ってしまったが、あれを耐えれた自分を褒めたい。疲労の色を見せるヒートの頭をポンと叩き、バーンは笑顔で「あとは、休んでろ」と優しい声を落とした。

そのままくるりと背を向けて、バーンはヒートを背で庇う。バーンのマントを目で追いながら、ヒートは「任せた」と呟き目を閉じた。

気怠い、眠い、動きたくない。

…落ち着く、安心する、暖かい。

 

■■■■■

 

「我が命に従え!」

 

杖を揺らし召喚士のキキクは何度めかの言霊を紡いだ。キキクが騎士たちを召喚するたびに、女魔王の顔は不機嫌に染まっていく。

黒く大きなツノを持つ魔王を名乗る華美な女性。化粧を施した美しい顔の彼女は、憎々しそうにキキクを睨む。

こちらの相手は魔王リヴィエール。ムウスと違って姿形は人間の女性に近く、何が楽しいのか始終高笑いを奏でていた。

 

先ほどまでは。

 

「私に歯向かう愚か者は誰?」そんな言葉をキキクに向かって放った彼女は、辺りを見渡し軽く首を傾げる。何度見てもいくら気配を探っても、リヴィエールと対峙しているのは魔術師風情のキキクひとり。

遠くに兵を配置しているわけでも、伏兵を不可視の魔術で隠しているわけでもなく、目の前にいるのは戦いに向かぬ軽装の男のみ。

 

「あら、アナタひとりで死にに来たの?」

 

「生憎趣味や道楽で魔王に挑むほど馬鹿じゃない」

 

キキクの返答を受け、彼女は突然すっと視線を鋭くし「…なら、私は舐められているのかしら?」と端正な眉を吊り上げ、ふわんと小さな光の粒を浮かばせる。

小さな小さな粒、ふわふわとした光の球。しかしそこに押し込まれた魔力は恐ろしいほど高く、見る者全てを萎縮させた。

高密度の魔力の塊。それがふわりひらりと己に向かって来たものだから、キキクは慌てて床を蹴り飛び退いた。次の瞬間、先ほどまでいた場所に激しい閃光が迸る。

キキクはなんとか直撃を避けた、…避けれたはずだ。なのに、魔王を名乗る彼女のたった一発の光弾でキキクは簡単に弾き飛ばされた。あまりの衝撃にキキクがその場で転倒するとその姿が滑稽だったのか、彼女はとても面白そうに高らかに嗤った。

その音を耳にしただけで、キキクは手も足も、身体全てがビリリと痺れ息が詰まる。ギリギリ動く目を頼りに周囲を探るが、罠があるわけでもおかしな技を仕掛けられたわけでもないようだ。

彼女はただ、嗤っただけ。

声か、とキキクは己の唇を噛んだ。「…こんなの聞いてないぞ」と小さくボヤき、無理矢理身体を走らせる。

大役を任された以上、失敗するわけはいかないのだから。

耳を塞いでも聞こえる甲高い音、隙を見せればすぐさま飛んでくる光の弾。特に笑い声が厄介だった、なんせ音だ、避けようがない。

「騎士団め、耳栓くらい支給しろ!」と声で声を相殺しつつ、キキクは逃げ惑いながらもあちこちに召喚陣を設置していった。

 

キキクに任された作戦は、同時刻別の場所の別の魔王の前で行われているものと同じ。ヒートと同じく、魔王の油断を誘いタイミングを計っての多人数召喚。

最後の召喚陣を起動したキキクもまた、ヒートと同じくごっそり魔力を消費する。逃亡による肉体的疲労と笑い声による精神的疲労、そして魔力切れによるトリプルパンチで力尽き、キキクはふらりと壁にもたれかかった。

目の前では、慌てた顔の魔王と己が喚んだ騎士たちが睨み合っている。お、魔王が光の弾を投げ付けた、が、重装部隊が受け止めた。あれ食らって微動だにしないの凄いな。

はあと疲労の息を吐きながらキキクは、作戦を告げられた時のことを思い出す。あのときはヒートと同時に「無理だろ」と伝えた。が、まあ一応、と隊長だとか名乗った人に作戦を詳しく聞く。

 

「それで、イケるかも、と思って了承したけどさ…」

 

特殊な音波の声色で痺れさせてくるなんて聞いてないぞと、キキクはペタンと座り込み長い息を吐いた。

まあ同時作戦ゆえに王国の戦力を分割することになってしまったため、敵情視察が多少甘くなったのだろう。魔王が複数いるならば同時に潰したほうが良いと全員の意見は一致していたし、分散は仕方ない。そののため編成を組み直す必要が出てきたのだから、他に回す手が減ったのも仕方ないのだが。

精魂尽き果て蹲るキキクの耳に足音が届き、気怠げにキキクは顔を上げた。

 

「ゲボルグ、そっちは任せた」

 

黒い騎士に声を掛けながら、見慣れた白騎士がキキクに駆け寄って来る。声を掛けられた黒騎士は、無言でハルバードを持ち上げ返答としていた。

赤いマントを翻し「お疲れ」と労いの言葉をかけてくる白騎士、クフリンはキキクにポンと回復薬を手渡し飲んどけと笑顔を向けてくる。

そのままクフリンは盾を構え、キキクの身を護る。安全圏に入ったキキクは使わなかったからとクフリンにシールドを手渡し、貰った回復薬を一気に飲み干した。

ビンから口を離したキキクが「あの女魔王、笑い声で痺れさせてきたぞ、長いこと聞いてると頭混乱してきたし。聞いてない」とジト目を向けるとクフリンは「へ?」と目を丸くする。慌てて魔王に顔を向けると、冷たく嗤う女魔王の前で壁となっていた重装騎士たちがパタパタと倒れていた。

その惨状を見てクフリンも悲鳴を上げ、慌てて「笑い声に気を付けろ!」と指示を飛ばす。その指示に一瞬混乱したようだが、ゲボルグらしき声が「聞かなきゃいいだけだ、笑わせなきゃいいんだろ。余裕無くすまで特攻してやれ、いくぞ」と指示を塗り替え、すぐさま辺りに大きな鬨の声を響き渡らせた。

指示を速攻で塗り替えられたクフリンは呆れたように「…まあ、そうだが」と溜息を漏らす。そんなクフリンに苦笑しキキクは「疲れた」と手足を投げ出した。

 

「……キキカには言うなよ。ほぼ確実に『この程度で疲れたなんて!』と怒鳴られる」

 

「そんな怖い人じゃないだろう?」と呆れたように笑うクフリンだったが、キキクの顔は真剣そのもの。遠い目をしながら「姉なんて小さい母親みたいなもんなんだよ」とうんざりした声を出す。

姉というものは、自分の小さいころの馬鹿を知っていて、しかも親より長生きする生物だと。何をするにしても小煩く、それ故逆らえない物体なのだと。

キキクの愚痴を聞いて、クフリンはハテと首を傾けた。街で幾度かこの姉弟を見かけたが、その時は姉が「ちゃんとやっているか」と声を掛けつつ弟に差入れを渡していたはずだ。

言うなれば、お互い独り立ちして別々に暮らしているためそれを心配してわざわざ弟の元を訪れている姉、という表現がしっくりくるだろう。

 

「弟を心配するいいお姉さんじゃないか?」

 

「違うんだよ。…いや確かに悪い奴じゃないけど、なんつーかこう、違うんだよ…」

 

何が違うのだろうかと再度小首を傾げるクフリンを見て、キキクは「お前にはわからないだろうな…」と諦めたような声で俯いた。

まあ不満は言うが嫌っているわけではないらしいので、それも含めて姉弟というものなのかもしれない。

「そういえば、最近良く来るメソタニアの王子がいるだろ?あの人も姉の王女の話を振ると、今の君みたいな顔をするな」とクフリンが笑うと、キキクは「マジかよあの人も同じなのか、親近感湧くな」と王子に同情し始めた。

終わったら起こしてくれとキキクはクフリンに頼み、帰還後また小言を言いに来るであろう姉の姿を思い浮かべながらそっと目を瞑った。

とりあえず、寝て起きてから考えよう。

 

■■■■

■■

■■■

 

ざわざわとガチャガチャと音を立てて、凱旋する騎士たちの顔は晴れやかだった。鳥の魔王に挑んだ部隊も、女の魔王に挑んだ部隊も、各々姿はボロボロなのだが表情は明るい。

これで王国の脅威は去ったと、もう安心だと朗らかに笑い合うクフリンと、クフリンの友人の重装騎士クラン。そんなふたりの元にてぽてぽと赤色の子供が近寄ってきた。

それに気付いたふたりはかがみ込み、何用かとその子から話を聞く。この子は戦士見習いのクロムの友人らしく、クロムが防御を覚えるためのコツを問うてきた。

頷きながらクフリンは嬉しそうにクランは真面目にその子に対応していると、先に進んだ他の騎士たちから騒めきが起きる。何事かとクフリンがそちらに顔を向けると、赤色の子が「城に襲撃があった」ことを話してくれた。

 

「…は?」

 

その言葉にクフリンたちが固まると、その場に居たらしい赤色の子は「杖持ったねーちゃんがその襲撃者をクソ楽しそうに叩き潰した」事を教えてくれる。

クフリンは節句しながらも声を震わせ「あの人らしいが本当やめてくれ…。昔、貴女は女王なのだから前に出ないでくださいとあれほど言ったのに…」と嘆きながら顔を覆った。

そうしている間に、クフリンたちの元にバーンが駆け寄ってきて「事後処理しろってさ」と、疲れた顔でふたりを呼ぶ。

クフリンもクランも溜息を吐きながらも、赤色の子に別れを告げて城の中へと走って行った。残されたバーンは赤色の子の頭をぽんと撫で「クロムに聞いた、片付け手伝ってくれたんだってな。ありがとう」と笑顔を向ける。

 

魔王は倒したが、まだまだ平和にはやや遠い。

ならばオレはこれからも王国も仲間も全部を守って全部を救ってやるぞと決意して、バーンは力一杯拳を握った。

頑張るぞとその拳を振り上げ、バーンはクフリンたちの背中を追う。

王国騎士の仕事は、まだまだたくさんあるのだから。

 

 

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