(壱七)
洛陽を出発して二月あまり。
最後の目的地である南陽、宛城に到着した一刀達。
霞の特使としての権限もあり城内の一室を借りることになったため、そこで世話になることになった。
「ほな、うちは仕事してくるさかい、ゆるりとしててな」
霞は仕事へ、風と葵、それに旅の間に打ち解けた琥珀の三人は買い物に出かけていったため室内では久しぶりの二人っきりになった。
寝台に座り一刀の肩に寄り添う雪蓮。
身籠っている身体での旅に疲れが出たのか、瞼を閉じている彼女の肩を抱き静かに見守る一刀。
傍らには二振りの剣が一刀と雪蓮のように寄り添うようにして置かれていた。
「ねぇ、一刀」
「なに?」
「今、幸せ?」
「そりゃあ、幸せだよ」
「そう」
雪蓮は膝にある一刀の手をとりそれを自分の少しずつ目立ち始めたお腹にあてた。
「ここにいるんだよな」
まさか自分がこの世界で父親になろうとは思いもしなかった一刀だが、その実感が少しずつ出てきていた。
「ねぇ一刀、一つ聞いていいかしら」
「いいよ」
「もし、あなたのいた天の国に戻れるようになったら戻る?」
雪蓮の質問はそれまで感じていた幸福をかき消していく。
考えることも思い出すこともあまりしなくなったが、ここで改めて言われる一刀は妙に意識をした。
「真剣に答えて欲しいの。あなたの考えていることを」
この先の運命がどうなるかなんて誰にも当てることは出来ない。
その為に、幸せの中で感じる漠然とした不安。
それを感じ取った一刀は優しく彼女を抱きしめる。
何度も繰り返されたそれは雪蓮を安心させるものだが、今回に限っては不安なものが消えなかった。
「俺はもしかしたらどこかで戻りたいって思っているかもしれない。でも、今は雪蓮の傍にいたい」
「本当?」
「うん。蓮華達ともいたいしね。でも一番は何度も言うけど雪蓮だから」
不安に押しつぶされないように一刀は彼女の長い髪を撫でる。
いつもの男勝りなところも愛する人の腕の中ではただの女になっている雪蓮。
「ここが俺の居場所だよ」
その言葉を聞いても雪蓮は納得しなかった。
自分が安心できる確かなものが欲しかった。
「一刀は知っている?この私の足の先から髪の一本まであなたの香りが染み付いているのよ」
「うん、たくさん抱きしめているからね」
「それでも足りないって思うのはダメかしら」
いくら望んでも足りない。
側室なんて本当は認めたくもなかった。
一刀は自分のものであり、自分は一刀のもの。
それをずっと思い続けていた雪蓮。
「もっと強く抱きしめて欲しいの」
壊れるほどに強く抱きしめられれば、一刀が傍にいてくれると実感できる。
二度、失いかけた大切な人を三度も失いたくない。
「どうしたんだ、いつもの雪蓮らしくないぞ?」
そう言いつつも彼女を強く抱きしめる。
「私ね、一刀が毒矢を受けたとき、目の前が真っ暗になったの」
毒矢で苦しむ姿を見て自分の手の届かない場所へ一刀が連れて行かれる。
せっかく手に入れた天の御遣いを失いたくない。
その思いだけではなかった。
いつの間にか自分の中になくてはならない存在になっていたことを嫌でも思い知らされた。
「凄く怖かったの。戦場では一度も感じなかった恐怖ってものを初めて感じたの」
一命を取り留めても、雪蓮は不安が消えなかった。
だから政務を冥琳達に任せて自分が看病をした。
「なのに一刀は自分のことなんて何一つ気にしていないもの。それがどれだけ私を不安にさせたか知っている?」
「ごめんな」
一刀はそれしか言えなかった。
自分の無謀とも思える行動一つで雪蓮を再起不能にさせかけたことに謝罪するしかなかった。
看病される中でも一刀は謝ってばかりだった。
「それに赤壁の時だってそうよ。冥琳の体調を気遣ったのはいいとしても、自分が病にかかってどうするのよ」
もしあの時、華陀がいなければ一刀は間違いなく死んでいた。
無事に回復できたのも天運があったのだと周りは思ったが、雪蓮だけそうは思わなかった。
ただ単に運がよかっただけ。
「私をこんなに弱くさせるのはあなたのせいよ」
「うん」
「誰にでも優しいし、すぐ他の女の子を側室にするし」
「うん」
「私が拗ねなければ優しくしてくれない」
「うん」
「それなのにこうして抱きしめてくれるだけで許してしまう自分が悔しいわ」
一刀の知る歴史を教えられたとき、雪蓮は本来ならば暗殺者の手によって毒矢を受けていたのは自分なのだと知ったとき、一刀が自分を庇った理由が分からなかった。
その反面、歴史を変えてまで守ってくれた一刀に本気で愛している自分を見つけることができた。
それが雪蓮にとってのもっとも大きな分岐点になった。
「もう天の国を思い出させないようにしてあげるわ」
一刀自身が言ったように、ここが彼の居場所なのだと、故郷なのだと思い知らせたかった。
「一刀」
「うん?」
「一刀は北郷一刀よね?」
「そうだよ」
「私は雪蓮。北郷雪蓮よね?」
「うん」
その名前が当たり前のように一刀は頷く。
月や詠とは違い、自分からすべてを捨てた雪蓮。
ただ一人の愛する男のためにそれだけのことを平然とやり遂げたことはおそらく彼女にしか出来ないことだった。
「私は北郷雪蓮。北郷一刀の妻」
確認するように雪蓮は何度も言う。
自分は自分のものではない。
一刀のもの。
彼になら何をされても構わない。
歪んだ愛だと思われるかもしれないが、一刀を失うよりかは遥かにましだと雪蓮はその身で感じていた。
「あなたに見てもらいたいものがあるの」
決意を固めたように雪蓮は一刀から離れて彼を見る。
「見せたいもの?」
「ええ。その為に冥琳と七乃にここにくるように文を出したの」
宛城についてすぐに文を書き、それを霞に手渡していた。
「あの二人がくるまでは待っててほしいの。それとあと、あなたの青釭を貸して欲しいの」
「それはいいけど、どうしたんだ?」
何かをするにしても二人と剣では話が繋がらない。
「それは秘密よ♪」
雪蓮らしい笑みを浮かべる。
そこへ風達が戻ってきたために聞けなかった一刀は、いつしか聞き出すこと忘れてしまっていた。
夜になると霞も仕事を終えたのか、部屋に戻ってきて全員で夕餉を食べた。
酒がないことに不満を表す雪蓮に誰もが聞き流したために、彼女はつまらなそうな表情を浮かべていた。
「子供が生まれるまでの辛抱なのですよ」
「そうです。お酒を飲んだらお腹の子供にも悪いです」
風と葵に説得されて渋々、酒を絶つことになった雪蓮に一刀はそれの代わりに何でも願いを聞くと提案した。
するといつもなら一刀を困らせるような発言をする雪蓮だったが今日は違った。
「ここで一刀の子供を産む」
そう宣言した。
予想外なことに一刀達は驚きを隠せなかったが、本人がここで産みたいというのであれば反対する理由もなかった。
「でもなんでここなんだ?」
時間的にみても呉に戻ってから出産することは可能だった。
「なんでもよ。ここでないと産みたくないの」
こればかりは譲らないといった感じだった。
酒が飲めないためいつになく声が高くなっている雪蓮に一刀はどうしたらいいのか、霞を見るが彼女も同じようなことを思っていた。
「せやけど、なにかと不便ちゃうか?」
荊州は三国の武将達が行き来するが、それとて三国の会談や合同軍事演習などが行われる場なのだから落ち着けるとは思えなかった。
「紫苑様が言っていました。子供を産むのならば静かなところがいいと。紫苑様がただお一人が経験していますから何でも知っていると思います」
琥珀は蜀にいたときに、子育てをしている黄忠こと紫苑からいろんなことを聞いていたため、この中で一番知識があったがそれでも実際に子を宿したことがないため分からないことが多かった。
「ここは魏からの外交官が江陵に行くときの宿にしているから騒がしいで?」
「それでもいいの。私はここがいいわ」
頑として折れない雪蓮。
「それじゃあ、その経験者に来てもらうほうがいいかもね」
一刀のその提案に誰もが不思議そうに見た。
が、すぐに琥珀は気づいてそれに賛同した。
「それでしたら私が紫苑様に文を書きます」
「お願いできるかな?」
「もちろんです、御主人様」
琥珀は早速、文を送るため、葵にお願いをして自分の代わりに文を書いてもらうことにした。
用件を手短に言い、それを書いていく葵。
最後に琥珀は自分の名前を感覚で書いて出来上がった。
「たしか、今の蜀から来ているのって黄忠はんやったな。なら早馬で送らすわ」
霞は文を受け取り早速、早馬を用意して江陵にいる紫苑に文を送った。
「せやけど、羨ましいなあ」
「そうですね」
霞は雪蓮のお腹を本当に羨ましそうに見る。
葵も気になって仕方なかった。
「霞も子供好きなのか?」
「う~~~~~ん、誰との子供ちゅうわけでもないで。やっぱ、好いた男の子供だったらいいなあと思ってるだけや」
視線を雪連のお腹から一刀のほうに向ける霞。
「御主人様の子供……」
箸を銜えたまま琥珀は将来、産まれてくるであろう子供を想像する。
「風としては少なくとも三人ほど欲しいところですね」
「風お姉ちゃん、それは欲張りすぎですよ」
「おや、葵ちゃんは何人欲しいのですか?」
「えっと……」
指を折り想像の中の自分と話をしながら数を数えていく葵。
「だから俺はそこまでもたないぞ?」
種馬と称される一刀は口ではそう言いながらも、その実力は呉に残っている蓮華達の想像をはるかに超えるものだった。
「ええなあ~、あんたら」
側室になれたことだけでも羨ましい上に、一刀の子供を産むことも出来ることに霞は自分もそうなりたいと強く思った。
そう思うと、反董卓連合が起こったとき、華琳に降伏するのではなく一刀に降伏しておけばよかったと後悔した。
「なぁ、かずと~、うちも仲間にいれてえな」
一人だけ仲間はずれのような感覚に我慢できなくなった霞。
「こんなん拷問以外のなにものでもないで?」
「そう言われてもなあ……」
これ以上の側室は認めないであろう雪蓮の方を見る。
「きすした仲やのに一刀はうちみたいな雑な女は嫌なんか?」
「嫌いなわけないだろう」
「なら友達やなくて一人の女として見てや」
もはや霞の頭の中では一刀を誘惑して魏に連れてくるという華琳との計画はどうでもよかった。
自分の正直な気持ちをただ伝えたかった。
風達も霞の言いたいことはよく分かっていた。
だからこそ助け舟を出した。
「風は霞ちゃんが本気ならば別に問題はないのです」
個人的な意見であればそれでも許されることだが、霞は今ではれっきとした魏の将軍であり呉への特使でもある。
風に続いて霞まで自分の側室にしてしまえば、雪蓮だけではなく華琳からも何を言われるかわかったものではなかった。
「うちは本気や。本気で一刀が好きなんや」
嘘偽りを言うことはないと一刀は信じているため、その言葉も冗談で言っているようには聞こえなかった。
「霞、一つだけいいかしら?」
箸を止めて雪蓮は霞を見る。
「なんや?」
「貴女は一刀と添い遂げるためなら今の地位や名誉をすべて捨てることになるわよ?あと男のために国を捨てたとも言われるけれど、それでもいいわけ?」
雪蓮自身がしたことを霞もしようとしている。
それは生半な気持ちで出来るものではないことをあっさり捨てた雪蓮だからこそよくわかっていたことだった。
「どんなことを言われても耐えられなければ私は認めるわけにはいかないわ」
それは霞だけではなく琥珀にも向けられた言葉だった。
琥珀とて徐家の家訓を盾にして無理やり側室になったが、それとて快く思わない者は蜀にもいるはずだった。
雪蓮は少しでも耐えられないようなら琥珀ですら一刀からどんな手段を使ってでも引き離すつもりでいた。
「うちはあの時、死んどるはずやった。でもそれを救ってくれたんは一刀や。別に華琳が嫌いなわけでもない。こんなうちを優遇してくれたしな。でも、胸の中ではずっと一刀のことを想ってたんや」
そうでなければ特使としての仕事だけを優先して、さっさと呉にいっていた。
それをせず、一刀達に合わせるようにしたのは霞の一刀に寄せる想いがあったからだった。
「華琳を裏切るつもりはあらへん。せやけど今ある自分をすべて捨ててもええって思ってる」
このまま友人として付き合っていてもその想いは膨れ上がるばかりで、霞自身を狂わせてしまうかもしれなかった。
無理を言っていることぐらいは彼女自身も分かっていたが、自分の気持ちに嘘を付けるほど強くはなかった。
「そう。なら私からは別に言うことはないわ」
雪蓮は一刀を見ながらそう答えた。
「俺は……霞と友達でいたい。それにすべてを捨てるってことは張遼文遠の名も捨てるってことになるんだぞ」
「そうや。それでもええねん」
それだけの覚悟はしていると霞は訴える。
だがそれがかえって一刀を不快にさせた。
「やっぱりだめだ」
「な、なんでや!」
一刀の答えに不満をあらわにする霞。
雪蓮も受け入れるだろうと思っていただけにその答えに目を丸くする。
「名を捨てるってことを軽く考えすぎているよ」
「そんなことあらへん。それに雪蓮はんやて孫策の名を捨ててるやんか」
それならば自分が同じことをしても許されるはずだと霞は思っていたが、一刀はそうではなかった。
「私には理由があるのよ」
答えずらそうにする一刀の代わりに雪蓮が答える。
「雪蓮……」
「いいの。私は大丈夫」
二人だけの秘密をここで話すことに戸惑う一刀に頷いてみせる雪蓮は、霞に自分のことを話した。
そこで語られたものはあまりにも現実離れしており、誰もが言葉を失っていた。
「本当ならば、今ここに私はいないはずなのよ」
その後の歴史も雪蓮ではなく蓮華が主君として呉が存在するはずだった。
「私は死んだ者として名を捨てたの」
一刀と結婚をすることで過去の自分を捨てて新しく一人の人として生まれ変わった。
そして孫策という名前をなくすことで歴史を正しく戻そうとした。
「でも俺の知っている張遼は最後まで武人として生き抜いたんだ」
雪蓮の話を黙って聞いていた霞。
「だから霞には名を捨てて欲しくない。俺の知っている霞ならそんな馬鹿なことはしない」
「一刀……」
「霞さん、私は御主人様の側室になるからっていっても自分の名を捨てるつもりはないです」
琥珀はあいかわらず口の周りに米粒をつけていたが、その表情は真面目だった。
「私は自分の名に誇りを持っています。徐庶元直であることが何よりも嬉しいです」
「琥珀……」
「雪蓮様が言われたように私も傍から見れば蜀を裏切っているように思われます。それでも私は御主人様の傍にいたいです」
琥珀には戻るべき場所はある。
桃香なら何も言わずに迎え入れるだろうが、周りは三年もの間何をしていたのかと詮索をすると思うと、琥珀自身は辛い思いを呼び起こさなければならなかった。
それから逃げているといわれようが、琥珀は自分を温かく包み込んでくれる一刀の傍にいればそれらに毅然と立ち向かえると感じていた。
「そやな」
霞は息を漏らす。
「琥珀の言うとおりや。うちは我侭過ぎたわ」
「霞」
「ええねん。うちが無理やりやったから一刀や雪蓮はんに迷惑かけてもうた」
寂しそうに笑う霞だが、そこにはどこかすっきりしたものを感じさせていた。
「うちは自分の名を軽く考えてた。でも、よくよく考えたらうちは張文遠やからこそ一刀が好きになったんや」
霞はしっかりと答えた。
「ならうちが一刀の一番の友や」
「うん。霞は俺にとって一番の大切な親友だよ」
一刀は彼女の想いを受け入れることもできた。
だが、ただ受け入れるだけでは霞を傷つけるかもしれないと思った。
「でも、時々、甘えてしまうのは堪忍してや♪」
霞はどこまでいっても霞らしいと一刀は苦笑した。
(座談)
水無月:ようやく第二期も終わりに近づいてきました。
雪蓮 :いろいろあったわね。
水無月:今回の新婚旅行は側室増殖化とも言われましたからね。
雪蓮 :事実でしょう?
水無月:事実ですね。
一刀 :だからお前のせいだろうが!
水無月:ぐぅ~……。
雪蓮&一刀:寝るな!
水無月:おおっ。暑さで溶けそうになりました。
一刀 :お前が風みたいなことをしても似合わんぞ?
風 :おや、風をお呼びですか、お兄さん?
水無月:ほら、本家がきましたよ。
一刀 :はぁ~……。
風 :なでなで。
雪蓮 :とりあえずそろそろ愛しい我が子と対面したいわね♪
水無月:次回ではまだ出てきませんよ。果報はクリックして待て!です。
一刀 :なんだよそれ……。
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第二期最終章突入です。
長かった新婚旅行の最終目的に到着。
まず初めは霞の想いからスタートです。