「ずっと不思議だったんです」
水面に光る岩魚坊主の背を見るともなしに見送っていたこうめの傍らで、小烏丸が小さく呟いた。
「何がじゃ?」
「あの方は、何故私たちを助けてくれたのでしょう?」
「さて……」
それはこうめも知りたい事。
式姫への下心、などという言い種が下手な韜晦でしか無いことなど、当時のこうめですら判った事だが、では、その真意はどこにあったのか。
「そもそも、あの方は何を欲していたのでしょう」
「……判らぬな」
小烏丸の疑問は、こうめの長年の疑問でもある。
聞きたい。
だが、どこか聞くのが怖い。
もし戦果てた今、彼が手にしたものが何も無かったとしたら、こうめがここに転がり込んできてからの日々は、彼にせぬでも良い危険を冒させ、時間を空費させただけのものになってしまう。
それが……こうめには何より怖かった。
「俺が?この子らの?」
「うむ」
俺で良いのか?
そんな怪訝そうな顔を男はこうめに向けた。
だが、迷いの無いこうめの顔を見て、男は弱気な言葉を飲み込んだ。
「俺に出来る事なんだな?」
「可能じゃ、だが、命の危険がある」
こうめの言葉に、男は僅かな間考えてから頷いた。
「判った」
「判った、じゃありませんわ!」
淡々とした二人のやり取りを、固唾を飲んで見守っていた式姫たちの中から、天狗が抗議の声を上げた。
「貴方、私達の主になる、命の危険があるという事がどういう事か判ってますの?」
「判ってるわけがねぇだろうが」
「な……」
男はこちらを睨む天狗と、その後ろに立つ式姫達をまっすぐに見て言葉を継いだ。
「俺はこの嬢ちゃんを信じることにしただけだ」
鋭いとか、力強いとかそういう物ではない。
だけど、その眼光には、天狗のそれ以上の言葉を封じるだけの力が確かにあった。
「時間がねぇ、言葉を費やすのは仕舞いだ」
顔をこうめの方に向ける。
「何をすれば良い?」
「これを懐に入れて、天女に力を貸したいと念じてやってくれ。後はわしが何とかしてみる」
小さな人型に紙を切った物をこうめが差し出す。
「それだけで良いのか?」
「する事はそれだけじゃが、さっきも言うた通り、十分危険じゃ。今よりおぬしと天女の間に、主従の縁を結ぶ。この霊地に四代を重ね、ここで育ってきたお主の血と意思を通して、この地が天女に力を貸してくれる」
「そういう物なのか?」
「そういう事もある……というべきじゃったな。そして、力を貸せるという事は、天女の負担がそなたに掛かるという事でもある」
これは賭けじゃ、そう口にしたこうめの顔を見て、男は静かに頷いた。
「そうか、ではそれを預ろう」
「何でですの……」
天狗の視線の先で、男がこうめから受け取った、天女の人型-彼女達をこの世界に呼び出す時に使われた寄代-を懐に入れて目を閉ざす。
あの腑抜けの言葉に……自分は何故、あの時何も言い返せませんでしたの。
「何でも何も、負けだぜ、天狗よー」
「何ですって?!私が、この私があんな腑抜けに負けたと言うの?」
「そうだぜ、あの一瞬だけかもしれないけど、アタイら全員が、確かにあのへらへらした兄ちゃんの気に飲まれただろ」
「……っ!」
「認めろよ」
天狗の隣で、悪鬼がにまりと笑う。
「前のご主人はそりゃ良かったけど、今度のは中々面白そうじゃねーか、アタイはああいうの好きだぜ」
「考えるよりは突撃という姿勢は良いッスよね」
「やっぱそこだよなー」
天下御免の馬鹿コンビが意気投合する様を忌々しそうに見て、天狗は舌打ちをした。
「あんな……理も無い男に従うなんて、どうかしてますわ」
「その代わり、覚悟はありました」
後ろから響いた静かな声に、天狗が振り向く。
「小烏丸……貴女まで」
「例え理知が無くとも、貫く覚悟一つあれば。刀たるこの身が従うには、それで十分です」
不撓不屈。
刀剣より産まれた式姫が理想とする、一つの剣の境地があると聞く。
技ではなく、力ですらない。
ただ、いかなる力にも屈する事なく、最後まで負けないことで究極の勝利に至る境地。
(まだ未熟な物ですが、その片鱗、私は確かに見届けました)
「人間なのに、天女ちゃんを助けてくれようとしてくれてるってだけで、私は良いかな」
「白兎、貴女まで何を甘い事を、助平根性だと、本人が言ってるじゃありませんの」
「んー、それじゃ私とか天狗ちゃんが色仕掛けしたとして、普段ちやほやしてくれる人は幾らでも居るだろうけど、本当に危ないときに助けてくれる人なんて、何人居るかなぁ?」
「それは」
「居ないでしょ……そんなの天狗ちゃんだって、良く判ってるんじゃないかな?」
白兎の言葉にそむけた天狗の表情が答えの全てだった。
彼女らは、その多くが類を絶する美女達である。
世の男共が、彼女達をどう見て、どう扱おうとするか、そんな事は嫌というほど知っている。
だからこそ、白兎達の言葉の重さも判ってはいる。
彼女達に色目交じりの甘言を掛けて来る程度の男に預けられるほど、この身と力が軽くない事は、皆知っている。
そんなの、判っているけど。
「私は……認めませんわ」
こうめが、どこかたどたどしく唱えだした祝詞のような言葉の響きに、男は聞き入っていた。
最初はあちらでつっかえ、こちらで言い直ししていた言葉だが、暫くした辺りから、拙いながらも一つの旋律を為すようになってきていた。
たどたどしいが、紛れもない、こうめ自身の純粋な祈りの言葉。
その旋律の波に心を委ねる。
こうめの祈りの、その一助にでもなれば。
そう思えた時、懐に入れた形代から、ほのかな熱を感じ、男はいつの間にか自然に閉ざしていた目を開いた。
着物の上から、手でそっとそれを押さえる。
(苦しそうだな)
これが、苦しんでいる天女と繋がっている事を、男は理屈ではなく感じていた。
そして、その意思が苦しさから逃げずに、まだ立ち向かい抗っている事も。
本人に戦う意思が残っているなら、力は貸してやれる。
僅かな安堵と同時に、不安がこみ上げる。
何が起きているのかすら良く判っていない自分が力になれるのか。
子供の前だから取り繕ってはいたが、全く未知の事に首を突っ込んだ不安は隠しようが無い。
(我ながら、頼りねぇ援軍だな……)
とはいえ、始めてしまった事を思い煩っても仕方ない。
今はこうめに言われたように、あの子を助けたいと……その事だけを考えよう。
そして、何が起きようと、少なくとも逃げることだけはすまい。
濁流に弄ばれる木っ端というのは、こんな感じなのだろうか。
そうちらりと思うだけの余裕も、もはや天女には無い。
圧倒的な力の器に対し、世界からそれに相応しいだけの力が注がれていくが、一向にその器が満ちる気配が無い。
最初は何とか制御出来ていた。
逆に言えば、その間に何とかなれば、そう思っていたのだが。
(やっぱり……甘かったですか)
とてもではないが、この力は彼女に長時間扱えるような代物ではない。
だが、彼女がこの流れを正しく整え器に注がなければ、この奔流のような生命の力は、この器と、そのついでのように彼女を粉砕してしまうだろう。
(それは、嫌ですね)
人が死を恐れるそれとは若干異なるが、彼女は今しばらくはこの世界に留まりたかった。
祖父の死を眼前にして、それでもなお、歯を食いしばって自分達を率いて戦おうと決意した、あの少女の行く末を見守り、助けてあげたい。
それは、彼女達が守れなかった主の、最後の頼み。
そして、天女自身の願い。
誰か。
私に、この願いを貫く力を。
力を……貸して。
こうめの心に、天女の叫びが。
男の心に、天女の願いが。
聞こえた。
お互いの目の中に、同じ物を見て取り、こうめと男は頷き交わした。
時は来た。
「やれ、こうめ」
「……頼む」
わしとおじいちゃんの願いを、式姫たちの思いを、受け止めてくれ。
「ここに、神と人の縁を結ぶ……人、神の力となれ、神、人の力となれ」
こうめの声が力と熱を帯びる。
今、確かに、ここに神と人と世界が一つに連なる、その感触があった。
「式姫よ、あれ!」
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式姫の庭、二次創作小説の第六話になります。
第一話:http://www.tinami.com/view/825086
第二話:http://www.tinami.com/view/825162
第三話:http://www.tinami.com/view/825332
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