「そう。貴方の名は荀彧と言うの」
「はい!」
「では荀彧、貴方を打ち首とする」
「えっ!?」
華琳を試すための荀彧の策。
そのことを知った華琳はたいそう機嫌が悪かった。
「聞こえなかったかしら?打ち首よ、荀彧。この私を試そうなんて、身の程をわきまえない者は私の目の前から消えなさい」
「曹・・・・操・・様」
華琳の言ったことが信じられないのか、顔には絶望が現れる。
「春蘭、春蘭!あら、そうね。あの娘はいないんだったわね。秋蘭」
「お言葉ですが、華琳様」
「何?」
到底臣下に向けないであろう怒気を秋蘭に向ける。
「先程の荀彧の意見は的を射ています。華琳様の指示したものより効率的なのは確かです」
「ふ~ん。秋蘭、貴方は私よりその者の主張の方をとると言うの?」
「はい。残念ですが、この者の知才は華琳様を凌ぐほど。華琳様の目指すべき道には必要不可欠な人材です」
「・・・・・・・そう。秋蘭がそこまで言うなら生かせておいてあげましょう。部屋まで案内して頂戴。命拾いしたわね」
「御意」
玉座の間から華琳が去る。
荀彧は腰が抜けて立てないらしい。
秋蘭が肩を貸す。
「私は夏候淵。真名は秋蘭だ。大丈夫か?」
「桂・・・・・・花」
「そうか。桂花、すまない。今・・・というか少し前から機嫌を損ねていらっしゃるのだ」
「・・・聞いてるわ。原因は曹螢ってこともね」
「まあそれだけではないが、主にそのことが要因だな」
「曹操様の元を離れるなんてバカよ」
「ああ、間違いない。あいつはバカだ。だが、華琳様にあそこまで言われてまだ敬愛している桂花も桂花だが」
「そういえば、姉の夏候惇はどうしたのよ」
「ああ、姉者か。今ここにはいない」
「会えないの?」
「不可能ではないが・・・会いたいか?」
「ええ。これから一緒に戦うのだもの。差支えなければお願いするわ」
「分かった」
「もう大丈夫よ。歩けるわ」
秋蘭が前を歩き、桂花はその後を追うように歩く。
庭に出て、その端の方に地下へと続く階段があった。
「地下道?」
「ああ」
階段を下る前に止まっていた足が再び動き出す。
「元々この地下道は炎・・・・曹螢が部下に作らせたものでな。華琳様に近づく者たちから情報を聞き出すための尋問部屋とその者達をとらえる牢獄として扱っていた」
「その曹螢が尋問をしていたっていう情報、私は知ってるけど公にはされてないでしょ?」
「ああ。曹螢は本来素晴らしい人物だ。華琳様のためとはいえ、そのようなことで民達からの人望を失いたくはなかったのでな」
「でしょうね」
長い階段を降りる。
松明で周辺の視界を明るくしているが、まだ階段の終着が見えない。
「曹螢を失った華琳様の悲しみは大きい。すまないが、そこは分かってくれ」
「ええ。曹操様のためと思えば大したことないわ」
「助かる」
「だけど、そこまで曹操様が信頼をおく曹螢って人物・・・・気になるわね」
「炎は我ら三人にとって、兄のような存在だったのだ。桂花、私は異常に見えるか?」
「いいえ。普通に見えるけど?」
「そうか。・・・・私は今でも炎がここから離れたことを忘れられずにいるよ。はらわたが煮えくり返るくらいの怒りが胸のあたりで渦巻いている」
松明をもっていない右の手で服の上から胸を掴む。
「華琳様や姉者がいるから、私はまだ平静を装えるんだ」
「・・・・・・」
「すまない。炎のことを知らないお前にこんなことを言っても仕方がない」
「別に構わないわよ。溜め込まれて、怒りが爆発しても困るだけだし」
「ふふ、確かにそうだな」
「それにしても、こんなところに夏候惇がいるの?だとしたら、あんたの姉は相当変わってるわね」
「ふ、案外間違ってはいないのかもな」
終着が見えた。
階段が見えなくなり、平坦な地面へ降りる。
「桂花は炎が尋問をしている事を知っていると言ったな?」
「ええ。曹螢の人望は相当なものだったから、民にそのことは公にしなかったんでしょう?」
「そうだ。だが、炎が行ったのはそれだけじゃない」
「他にも人望を損なわない策が?」
「いや違う。・・・・これを見ろ」
秋蘭は一つの牢屋に松明の光を当てる。
「何よ・・・・これ」
牢屋の中には拷問道具がずらりと並べられていた。
「全て炎が専門の鍛冶屋に頼んで作らせたものだ。”曹螢が拷問をしていた”という情報は流石の荀文若も知らなかったようだな」
桂花がよく見てみると、血のような赤い跡があり、牢屋から漂う匂いもそれによく酷似している。
「貸して!」
松明を秋蘭から奪い取る。
一本の通路を挟んで、向かい合っている牢屋に一つ一つ松明の光を当てていった。
「ここも、ここも・・・・ここも!拷問道具ばかりじゃない」
「だが、この存在を知ったのはつい最近だ。私達は炎にどれほどの業を背負わせてきたのだろうな」
嫌悪を抱きながらも、拷問道具を見ていた桂花から松明を再び取り戻し、一本の通路を奥へと進む。
「姉者。起きているか?」
「こ、これがあの夏候惇?」
「・・・・・・・秋蘭か・・ああ、起きているぞ」
壁につながっている手錠を両手につけられ、腕を上げている状態のまま座らされている。
体には切り傷や、腫れ、周りには血が飛び散った状態の春蘭がそこにいた。
「お久しぶりです。馬騰様」
「聞いてるぜ。主君を探し回ってるんだってな」
「・・・・はい」
炎蓮の掴んだ情報は正しかった。
馬騰は病に侵され、寝台から起き上がれない体になっていた。
「てことは、曹騰あたりが俺を候補として挙げたってところか。曹騰やお前には悪いが俺を候補から外してくれ。こんな体たらくじゃお前の君主になれねえ。なったとしても寝たきりの王なんて恥ずかしくてやってられねえよ」
「馬騰様・・・」
「そんな顔をするな。まだこの大陸には候補はいるさ」
西涼には馬騰を超えるほどの王の才を持つ者はいなかった。
それは馬騰にもよく分かっていた。
「次はどこに行くつもりだ」
「益州です。劉備という者のところへ」
「義勇軍か。さぞ人望があるんだろうな。劉備の見極めが終わった後でいい。董卓という者を訪ねてみてくれ。話は俺からつけておくから、一度話してみてほしい」
「分かりました。もう休んでください。俺はもう行きますから」
「頼むぜ」
「ええ、承知いたしましたから。もう喋らないでください。・・・・お元気で」
「ああ。馴染みの顔を見られてうれしいかったぜ」
部屋を出たところには馬超と馬岱が立っていた。
「あんた、曹螢だよな?曹操のとこの」
「元だ。馬超と馬岱だな」
「ああ。あんた、母様の友人だったんだな。母様、嬉しそうだった」
「世間話はいい。馬騰様は意味があってお前らをここに立たせたんだ。本題に入る」
馬岱が唾を飲み込み音を鳴らす。
馬超にもその緊張が伝わり、汗が頬をつたう。
「馬騰様は死ぬ」
その言葉を聞いた瞬間、馬超は炎に向かって走り出していた。
槍を抜き、加速。
「ったく、喧嘩っ早い」
炎も剣を抜く。
馬超が槍を斜めに振り下ろす。
炎が剣で受け止める。
交差した槍と剣が小刻みに動く。
「人の話を最後まで聞け。馬騰様から話を聞くように言われているだろう」
「母様に死の宣告をするような奴の話を聞くか」
「俺は馬騰様には言ってねえよ」
「でも死ぬって言っただろ」
「だから人の話は最後まで聞けと!馬岱を見ろ。あんなにも落ち着いているじゃないか」
馬岱は炎の発言も、馬超の攻撃も気にもとめていなかった。
「た、蒲公英!?」
「お姉様少し落ち着きましょうよ。私達から見てもお母様の容体が悪いのは分かるでしょ?お母様が私達をこの人に任せたんだから、少なくとも信用できるよ」
「ぐっ・・・すまない」
「いや、俺も感情的になってあんなこと言ってしまった。悪いな」
馬超が槍を引く。
炎も剣を背中へ戻す。
「話を戻すぞ。俺は今仕える王を探している」
「蒲公英知ってるよ。曹操さんに愛想が尽きたんだよね?」
「お、よく知ってるな。まさにその通りだ」
「ず、随分はっきり言うんだな。」
「実際その通りだからな。さっきも言ったように、馬騰様はこのまま放置したら間違いなく死ぬ」
馬超には悔しさ。
馬岱には悲しみが。
「(・・・こんなに愛されて。馬騰様、貴方はまだ死ぬべきじゃない)」
表情を読んでその感情を知る。
反射のようにそれを読み取る。
「え?」
「ん?」
馬岱が炎の顔を見て驚く。
馬岱の視線が炎を向いていたので、馬超もまた炎を見て驚く。
なんだ?
炎は驚きの対象が自分と分かるが、驚く理由がわからなかった。
「なんで、曹螢さんまで泣いてるの?」
「は?」
頬を触れば、指先に水の感触。
「(ああ、そうか。こいつらにあてられたか)」
袖を使って涙を拭う。
炎は相手の感情を通常の人間よりも理解できる。
読み取った感情がより深ければ、炎もまたその深さを理解できる。
馬超や馬岱が馬騰へ向ける愛情は炎の予想を遥かに超えていた。
「よくあることだ。気にするな。馬騰様は幸せだな。娘二人にこんなに愛されて」
流れ続る涙を袖で拭い続ける。
「すまない。また脱線したな」
「構わないさ、母様のために泣いてくれるんだから」
「いや、時間が惜しい。この大陸には華佗という名医がいるらしい。今から俺は蜀へ行く。劉備に華佗の捜索を依頼するつもりだ」
「そんなに簡単に捜索を引き受けてくれますかね?」
「劉備は人望の厚い奴だ。やってくれるとは思うが・・・もし駄目な時は、俺の身体を代償にするしかないな」
「あ、そっか。客将として雇ってもらうんだね」
「ああ。俺の力なら首を縦に振るはずだ」
「・・・・・」
馬超は顔をやや下に向け、発言を控えている。
「どうした?馬超」
「あんたはどうしてそこまでしてくれるんだ。昔、世話になったとはいえ母様は赤の他人だろ?」
「なんとなく」
「は?」
炎の返答に馬超も馬岱も驚きを隠せない。
「理由はなんだっていいだろ。俺がやりたいと思ったんだからやる。それだけ」
「・・・・はっ。バカだろ」
「すごいバカだね」
「そこの脳筋馬超に言われたくはない」
口では罵倒をするが、三人の表情は和らいでいた。
「ここ最近、黄色い布を身に付けた賊の活動が活発になってる」
炎が和らいでいた空気を一度引き締め直す。
それを感じ取った二人は炎の言葉に耳を傾ける。
「王朝がまだ何の命も下してないのは疑問だが、何もしてこない以上、自分たちで対処するしかない。馬騰様が動けない今、お前達で西涼を守りきるんだ」
「ああ、任せてくれ」
「蒲公英達におっまかせー」
「いい返事だ。じゃ、俺はとっとと益州へ行くとしますか」
「曹螢」
「ん?」
「私の真名を預けたい」
「・・・・赤の他人にか?」
先程の馬超の発言の揚げ足をとる。
「う、さっきはすまなかった。西涼の事をこんなにも想ってくれてるんだ。そんな奴を他人だなんて言えねえよ」
「勘違いするな」
「え?」
「俺は馬騰様、そして馬騰様をあそこまで深く愛するお前達の為に動いてるだけだ。西涼の事は欠片も心配しちゃいない」
馬超は素直に喜んでいいか迷った。
「はっきり言うんだね。西涼をこよなく愛する私達にさ」
発言したのは馬岱。
「いい嘘なんていうのは存在しないからな。良かれと思ってついた嘘も必ず誰かを傷付ける。だったら最初から嘘なんてつかないほうがいいんだよ」
「そうなんだ。納得。でもね、やっぱり私もお姉様、お母様だって此処が好きなんだよ。西涼の想ってなくても、私達が好きなこの場所の為に動いてくれる曹螢さんをやっぱり他人だなんて思えないよ。それに、その原点が私達なんだったら尚更だよ」
「・・・・・・はは・・・馬超、お前より妹の方が口が上手いな。頭も良く回る」
「ひどーい。本心だよ」
「炎」
「ふぇ?」
「真名は炎だ。華佗が此処に辿り着くまで、馬騰様のお命、どうかお護りください」
「あ・・・・真名は翠。誓う。必ず護り通すよ」
「はーい。蒲公英の真名は蒲公英だよ。よろしくね。炎さん」
時間が惜しいと言っていた奴は誰であったか。
炎は1日だけ、西涼で寝泊まりした。
久し振りに会う旧友、馬騰との会話に花を咲かせ。
蒲公英が翠をからかい、それを見た炎が笑う。
華琳に興味のあった蒲公英に小さい頃の華琳の話をした。
元は曹騰に仕えていた自分をここまで快く迎えてくれる。
呉も同様だった。
皆手を取り合い、戦のない平和な世界ができる。
そんな欲望が炎の頭の片隅に浮かんだ。
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チェンジです。