畑を出て、しばし主従は無言で歩を進める。
塀や生垣を巡らせた、迷路のような道がしばし続く。
レヴィアやコロボックルが楽しそうに走り回っていた場所ではあるが、敵の進行を妨げるこの空間は、ここが城館でもあった、一つの証。
それが切れると、白い砂利が均一に敷かれ、綺麗に刈られた低い木が並ぶ、見通しの良い空間が不意に拡がる。
この辺りの設計を考えたのは、そういえば薔薇姫だったか……故郷の城の庭の造り方だと言っていたが、狭い所からぱっと視界が拡がるというのは、妙に心地よい。
そして、その広場の中心に据えられた場所に、二人はごく自然に足を向けた。
「ヒノキの香りは、やはり良いものじゃな」
「ええ、清々しいですね」
白木の舞台。
この香に身を浸しながら目を閉ざせば、今でも耳目に鮮やかに蘇る。
桜舞う中、かるらの笛が寥と響き、おつのや天狗の歌声がそれに和す。
あめのうずめの、神々すら魅了する舞が舞台を小気味良く鳴らす。
西方の砂の国より来たった猫姫達が、熱砂を渡る風の調べを、独眼竜の面々と戦わせた。
芽出ずる季節には、夜にかやのひめが一人、その芽吹きを誘う素朴な歌を口ずさんだ。
願いを一杯に託された竹の下で、織姫が故郷を想い、満天の星を見つめ続けていた。
吸血姫が、故郷の酒を手に、一人誰も知らない言葉で何かを歌っていた。
変化を得意とする姫たちが、自在にその技を振るい、皆を魅了した。
満月の夜、風雅な姫たちが集って和歌を競わせた。
出陣前に勝利を祈り、荒々しい戦歌を鬼神達が朗々と響かせた。
見慣れぬ飾り付けをし、異国の過ぎ越しの祭りを開きもした。
正月には皆で新たな年の始まりを寿いだ。
数多の式姫たちが、戦の合間に歌い踊り宴に興じた、神々の遊び場。
「今こうして思えば、全て夢のようじゃったな」
「はい、ですが全て確かに有った事です……今この私が身に纏う“綾華”の衣がその証」
「そうじゃな」
地蔵の涎掛けを毎年変えて、様々な幸を願うように。
神の住まいなす社殿を、定期的に建て替えるように。
毎年、新たな注連縄を奉納するように。
式姫には新たなる装束を捧げ、その力の増大と再生を願う。
式姫たちは、そうして得た新たな姿でこの舞台に立ち、人の奉納品を嘉納した事を示してきた。
彼女達はそうして得た力で、10年に及んだ大戦を戦い抜いたのだ。
そんな、晴れの舞台。
「あの時の、お主の剣舞も中々の物じゃったな、小烏丸よ」
「からかわないで下さい……初の晴れ着で、とても恥かしかったのですから」
「そう卑下する事もあるまいに、実際可憐であったしのう」
「もう、お忘れください」
「それは無理な相談という物じゃ」
「うう」
あの時の事を思い出していたのだろう、普段冷静な小烏丸が頬を染める。
だが、その思い出の中で、何か面白いことを思い出したのだろう、僅かに口元が緩んだ。
「それを言うならこうめ様だって」
「な……何じゃ?」
「いえ、童子切さんの『甘酒』をこうめ様が呑んでしまわれた時の事を」
「あ……わわ、あの折の事は忘れよ、今すぐじゃ!」
「それは無理な相談という物です」
童子切の甘酒。
縁起物ですからねー、等と言いながら、まだ絞りたてのみりんの酒粕を、少量のお湯で溶いただけで作った、酒精紛々たる大人の甘酒。
仄かに甘く、さらっとした麹の口当たりも香りも良い、それだけに中々危険な代物。
それを麹と米かゆから作った、酒精無き甘酒のような勢いでグビグビやってしまった、こうめや髭切、飯綱や鳳凰の狂乱の宴は、今でも時折式姫たちの口の端に上る程。
「ひざまる!」
「はっ……はひっ、なに、お姉ちゃん」
「しぇーざ」
「しぇーざ?」
「こうすわる、しぇーざ」
「うん……それ正座だよね、お姉ちゃん」
「だからしぇーにゃらといてるれひょうが」
「あう……お姉ちゃんが変だよう」
そう言いながらも、膝丸が緋毛氈の上に行儀良く正座する。
その妹の姿を満足そうに見て、髭切もまた彼女に正対するようにきちんと正座した。
しばし、ニコニコと満面の笑みで、ちっちゃいお姉ちゃんは、かわいい妹を眺めていた。
「あのー……それでお姉ちゃん、私に何か用?」
その膝丸の言葉が、何か彼女の逆鱗に触れたのか、それまでのニコニコ顔をかなぐり捨て、くわっと目を三角に吊り上げた髭切が、勢い良く立ち上がった。
「よーが無いと、姉がかわいいかわいい、日本一……否、世界一くわぁわいい、妹を愛でるのもらめにゃと言うかあ!」
口を開くたびに、普段彼女が身に纏う桜の香りとは全く別の、濃く芳醇な甘みを感じる香りが漂いだす。
これって……。
「お姉ちゃん、酔ってるの!?」
「よっれまひぇん!ひにゃまる!姉をヨッパライ扱いとはにゃんですか、しぇーざしなしゃい!おせっきょーれす」
「もう正座はしてるよう、お姉ちゃん助けてー!」
「酔っ払いは大体、自分は酔ってないと言うんですよねー」
あははははーと笑いながら、こちらは顔色一つ変えずに清き酒を満たした大杯を傾ける童子切に、仙狸は渋い顔を向けた。
「お主な……わざとやっとらんか?」
「呑むつもりだった、特別製の甘酒を空にされた被害者に、随分な言い種ですねぇ」
「それじゃよ。わっちには、お主が人に酒を盗み呑まれたなど、とてもの事信じられんでのう」
「あくまで縁起物で作っただけで、甘いお酒は元々そんなに好きじゃ無いのが、この際は、仇になりましたねぇ」
お互い不幸な事故です……などと言いながら、童子切はしれっとした顔で大杯を干した。
その空いた杯に酒を注ぎながら、仙狸は僅かにため息をついた。
「ま……今更仕方ないの、それよりあの酔漢……おっと、酔姫どもを何とかせぬとな」
「ごーしゅじんたまー、いづにゃとあそぼぉ」
「私のさけがのめないれふかー」
「童子切ぃ!てめえ、この子らに何を呑ませやがった」
「子供じゃないよう、ほら、いづなの大人を見てぇ」
「そーれふぅ、ほうおうはぁ、とかいのお・ん・な、れふよぉ」
「……おおう」
男子の性、如何ともしがたし。
飯綱の外見不相応に豊かな胸乳の一部が、肌蹴た襟から零れる。
鳳凰の方も、鵷鶵の影響だろうか、焚き染めた少し大人っぽい香りが、いつもは子供っぽさを強調する短めの衣装の合間から、背徳の香りとなって漂いだす。
(神様だし、俺よりは年上だよな……)
「それじゃま、取りあえずお酌して貰……」
すぱーーーーーーーーーーーーん!!!
何か悪い方向に自分を納得させかかった男の後頭部に、良心の鉄槌が下された。
「なにしやが……って、こうめかよ」
男が振り返ると、厚紙を幾重にも折った、簡単な扇のような代物を手にしたこうめが、仁王立ちしていた。
「ちょうど良かった、この二人を何とか……」
「そんな子供を……おぬしは」
「いやいやいや、一寸待て、外見はアレだが二人とも神様だからな、俺より年上……」
「その二人でよいなら、わしでもよいではないかーーーーーっ!うぇぇぇぇぇん」
「お前も酔っ払ってんのかよぉぉぉぉぉぉ!」
「……十年という時を過ごすと、色々思い出したくない事もあるものじゃな」
「全くです、年を重ねるのは嫌な事ですね」
二人はそこで軽口を止めて、静かに舞台を見回した。
この舞台で行われたのは、楽しいこと、華々しい事ばかりではない。
死んでいった人のため。
封じ、滅した妖のため。
彼らが彷徨わぬように、祟り神となり果てないように。
その道送りと鎮魂の歌を全ての式姫が歌った。
「ごめんね」
あの時の、いすずひめの涙と、胸の奥から絞り出したような言葉を、こうめは終生忘れることは無いだろう。
守れなかった人々に。
倒さざるを得なかった妖怪達に。
妖と呼ばれ、人に害を為す存在であろうと、それは立ち位置という薄皮一枚の差であり、その本質は彼女達式姫と大して選ぶところは無い。
いすずひめが、それ以上言えなかった言葉は、口に出さないだけで、全ての式姫が胸に秘めていた想い。
そして、その想いを誰よりも知りつつ、それでも彼は式姫達に戦いを命じた。
思えば……知らぬ事とは言え、自分はなんと罪深いことを彼に押し付けて来たんだろう。
死ねと、殺せと。
そんな事を、誰かに命じることの苦しさを、こうめはようやく今になって知った。
(度し難い奴じゃの……わしは)
彼女達の戦いの節目を、この舞台は全て見てきた。
この先、この舞台は何を見、何を聞くのだろうか。
それとも、彼女達の戦果てた今、見出されたときのように、また風雪の中で朽ち果てて行くのだろうか。
それは寂しいような、だが、正しい時代の流れのような。
(思っても詮無い事じゃな)
取り留めの無い想念を断ち切るように、こうめは軽く頭を振った。
「参るぞ」
「はい、こうめ様」
二人は、舞台から離れ、庭の中央に向かう道を歩き出した。
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式姫の庭の二次創作小説、第三話になります。
第一話:http://www.tinami.com/view/825086
第二話:http://www.tinami.com/view/825162
第三話:http://www.tinami.com/view/825332
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