No.825162

別離   2.畑

野良さん

2016-01-16 08:08:12 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:842   閲覧ユーザー数:828

 庭を迂回するように壁伝いに歩くと、脇に入る道がある。

 ここにもよく通った物。

「ちと寄って行って良いか?」

「お望みのままに」

 表情は変わらないが、小烏丸の目には、主を気遣うような光があった。

 無理も無い、彼女が10年という時間を、それも濃密な経験を伴って過ごした、この庭である……離れるのが辛いだろう事は、小烏丸にも良く判る。

 いや、彼女とて……願わくばこの庭に居続けたい。

 だが、主と認めた存在に従うのは式姫の宿命である。

 まして、先主より、最後にこうめの守護を託された彼女としては尚更。

「畑に何か?」

「ここを去るに、案山子殿に挨拶も無しというのは不義理かと思うてな」

「左様でございますね、散々お世話になりましたし」

「うむ」

 

 

「こらぁ、乱暴するでねぇ、おらはー、かがしの神様だぁ」

「やかましい藁束野郎! 神様つーなら何で人の家を襲いやがる、憚りながらこの俺は、他の何で責められようが、田んぼの神様に文句を言われる覚えだけはねぇぞ」

 腕組みをして、喋る藁束……もとい案山子を睨み付ける男の傍らで、おゆきがクスクスと鈴を転がしたような澄んだ笑い声を立てた。

「そうねぇ、一度こうめちゃんとおにぎり取り合ってる姿を見れば、案山子さんも貴方だけは襲うべきじゃないと思ってくれると思うけど」

「……そりゃどういう意味だ、おゆき」

「……わしも聞きたいのう」

「うふふ、大地の恵みへの感謝は、二人とも人一倍だと言いたいだけよ」

 はぐらかすように二人に笑みかけてから、おゆきは僅かに鋭く細めた眼光を案山子に向けた。

 この屋敷を襲った時は、妖狐復活時の瘴気を浴びて変異していたのだろう、おどろおどろしい装束と妖気を纏っていた物だったが、それらの力を失った今は、藁束を袋で覆って目鼻を墨で書いただけの、朴訥な本来の案山子の姿を取り戻している。

 

 だが、油断は出来ない。

 

 案山子(かかし)はかがし、つまり蛇神を祖に持つ、古き神である。

 牧歌的な見た目とは裏腹に、力と知恵を兼ねた国津神の一柱。

 雪女、つまり山神をその出自とするおゆきだからこそ、その力が侮れない物である事も良く知っている。

 それが、正気を失い暴れていたとは言え、明らかにこの家を狙い、眷族を率いて襲ってきた事を、軽く見る気には到底なれなかった。

「襲ったわけでねー、おらはぁ、良い畑っこをほったらかしてる奴に文句を言いに来ただけだぁ」

「畑? んな物がどこにある?」

 怪訝そうな男の傍らで、おゆきとこうめも同意するように軽く頷く。

 この庭は、この辺り一帯の地脈を制する絶妙な場所に位置する霊地ではあるが、間違っても田畑ではない。

 海を渡ってきた異国の姫君達が持ち込んできた「とまと」や「ばなな」という代物を庭の隅で狛犬が嬉々として栽培したりもしているが、規模から言っても、到底畑と呼べる代物ではない。

「ほうれ見れ、やっぱり気付いてねぇでねぇか」

 そういうと案山子は、足に見立てられた一本の竹を器用に弾ませて、ぴょんと跳ねた。

「ついて来いやぁ」

 そういう声音にも態度にも邪悪な感じは些かも無い。

「どう思う?」

「いいんじゃ無いの?皆に袋叩きに遭った後で、この庭の結界内で悪さが出来るとも思えないし」

「それもそうか」

「なぁにしとるだぁ、置いてくぞぉ」

「へいへい、今行きますよ」

「わしも行くぞ」

「あたしも行こうっと」

 男が足駄を突っかけて案山子に続き、こうめとおゆきもそれに続く。

 

 予想外に早い案山子の歩みに併せて、三人が歩いていく。

 庭の裏手。

 まだ、手が入りきっていない、荒れた場所。

 その一角、土塀が崩れかかって、中の木枠が覗いている所で、案山子は足を止めた。

「こごだぁ」

「……どういう事じゃ?」

 こうめが首を捻るのも無理はない、この辺りは日当たりも悪く、凡そ畑どころか植物の生育に向いていない場所。

「ここが良い畑?」

 おゆきの声にも不審が滲む。

「良い畑はこごでねぇ」

「こごだいうたは、おめでねぇが」

 思わず言い返した男の袖を、おゆきが顔をしかめて引っ張った

「……ちょっと、伝染ってるわよ」

「おっと……ここだって言ったのはお前さんだろうが」

「だほ者がぁ、こごは入り口だぁ」

 そう口にした案山子の体が、ゆらゆらと揺れだした。

 竹林がざわめくように、竹の体が左右にしなる。

 ざわりざわりと、それにつれて、藁束の手が大きく振られる。

 

「ほーや、ほーや、ほーい」

 

 何とものどかな、秋の陽だまりのような声が、その体の刻む旋律と共に流れ出す。

 

「ほーいやぁ、ほーいー」

 

「何とも、楽しそうじゃのう」

「確かに楽しそうだが……なんだこりゃ」

「鳥追い歌ね、案山子が田の守りに鳥を追い払う歌よ」

 言われて見れば、その体や腕を大きくゆったり振るう動作は、稲に群がる鳥たちを追う動きにも見える。

 

「追うのでねぇ、誘うんだぁ」

 そのおゆきの低い呟きに、案山子が言葉だけ返す。

 ゆらりゆらりと案山子の体が揺れる。

 ゆらりゆらりと空気が揺れる。

 ゆらりゆらりと風景が揺れる。

 

 ゆらりゆらりと世界が揺らぐ。

 

 地震とは異なる、自分を含めて世界そのものが、こんにゃくか何かのように、ふにゃふにゃと頼りなく揺らぐ。

「なんじゃ……これは」

「誘うだよ、あっちの世界をなぁ」

 揺らぐ世界の狭間から眩い黄金の光が辺りに広がり、踊る案山子と三人を包み込む。

「嘘……こんな所に門が!?」

 傍らの二人が見えなくなるほどの、強い黄金の光に包まれる。

「こうめ!おゆき!」

「どこじゃ、二人とも!」

 傍らに居た筈のおゆきと男の気配が遠くなる。

 

 寂。

 

 光の中、何も見えない。

(嫌じゃ!)

 そう叫ぶ自分の声すら遠い。

 

 もう嫌だ、一人になるなんて。

 泣きそうになった、その時、こうめは自分の手が力強く握られるのを感じた。

 

 あの時と一緒。

 伸ばした自分の手を掴んで、引っ張ってくれたあの手。

(大丈夫じゃ……もう大丈夫)

 こんな状況だというのに……奇妙な程の安堵感に包まれて、こうめは気を失った。 

 

 あの時は……本当に怖かった。

 いや、今でも怖くないと言えば嘘になる。

 ただ、知識を得て、恐怖が薄らいだというだけ。

 人知を越えた力に関わらざるを得ない自分の家業では、仕方の無い事ではあると判ってはいるのだが。

 

 荒れていた道も、今では広く砕石で覆った立派な物になっている。

 この道を、穀物や野菜を満載した荷車を、楽しそうに狛犬や悪鬼が引いていった。

「まさか、家の中にあのような場所があろうとは思いませんでした」

「式姫の誰も気がつかなんだ程に、巧妙に隠されておったからのう」

 

 崩れた土塀を入り口にしていたあの場所も、今ではもっと立派な門構えの向こう。

 仙境に至る門を安定させるために、そう言いながらさらりさらりと天仙の書いた扁額が掲げられている。

「天仙の書はいつ見ても立派なものじゃの」

「左様ですね……ちょっと羨ましいです」

「おぬしの字も綺麗で読みやすいはないか」

「悪くは無いと思いますが、その……普通過ぎて」

「ふふ、お主の悩みはいつもそれじゃの」

 

 門を開けると、あの時と同じ眩い光が二人を包み、こうめの意識が遠くなる。

 天仙に言わせると、知覚の及ばない世界に対する、人間の自然な防衛反応、という事らしい。

 

(ほら、二人とも目を覚まして)

 あの時はおゆきが。

 

「こうめ様、通過しましたよ」

「……む……すまぬな」

 今は小烏丸が、こうめの意識を引き戻してくれる。

 

 眼前には黄金の園。

 いつ見ても、ため息しか出ない美しさ。

 稲が、麦が、豆が、ふっくらした実を一杯につけて大地を埋め尽くしている。

 ここで穫れた作物が、どれほど彼女たちの戦いを支えてくれたか……。

「おーう、こうめでねぇが、畑仕事でもしに来ただかぁ」

 美しい光景を目に焼き付けるように凝視していたこうめの傍らから、暢気そうな声が掛けられた。

「案山子殿もお元気そうで」

「ははは、藁束に元気も病気もねぇもんだぁ」

「またそのような……」

「まぁ、それはええだよ、んでぇ、今日は何のようだぁ、五行の畑は空きがあるだども、何ぞ作るけぇ」

 何か言おうとするこうめを、ばたばたと手を振って遮った案山子が畑の一角に、一際愛情深そうに目を向ける。

 見るからに肥えた、濃い土色の畑がそこに拡がっていた。

 不可思議な物ばかりが実る、五行の加護を受ける土地。

 案山子の神が「いい畑」と言った、神秘の畑。

 

「いえ、この度都に戻る事になりましたので、今日はお別れに」

「ほぉん、都になぁ」

 藁に布袋を被せて、無造作に目鼻を書き入れただけの顔が、それと判るほどに寂しげな表情を浮かべる。

「皆都に行きたがるだなぁ、何がええだがなぁ」

「元来が都の出なので、戻るというのが正しいのですが」

「そうかぁ。そんで、あの男も行っちまうだか?」

「いえ、彼は……ここに残ると」

 そう口にする、こうめの眉宇が僅かに暗さを宿す。

「そうけぇ……」

 会話が途切れる。

 お互いの顔を見るのが、何となく嫌だったのか、三人が申し合わせたわけでもないのに、金色の大地に目を向けた。

 穂波を抜けてくる風音に、鳥の声が混じる。

 その声がどこか寂しそうなのは、案山子の神の心の声なのか、それとも己の投影か。

「そろそろ、お暇を」

「案山子様、何かとお世話になりました、息災で」

 踝を返す、その主従の背中に、案山子の静かな声がかかる。

「おめは、それでええだか?こうめ」

「……是非も無いことです」

「そうけ……達者でなぁ」

「案山子殿も」


 
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