自分を断った相手を作品のネタにしているゴーストライターやネタ提供者が素晴らしいと言えるか・・・。について書きます。
自分を断った相手を作品のネタにしているゴーストライターやネタ提供者が素晴らしいと言えるでしょうか?
応えはやはりNOだと思います。
かなり前本家ハボホテルができてから数年後だと思う2005年くらいに、しつこく誰かがハボホテルの中でしきりに自分のことを断った相手―2001年くらいにBさんに断られました―を主役にして小説を書くようにものすごくシツコク脅迫されたことがありました。
私はもちろん、「そんな作品は書けません。そもそも小説自体興味がないし、断られてもすぐ忘れて次に行きたい方なので、迷惑です」と言ったのですが、その時は、何とそう言った途端直ぐに胃やお腹が痛くなり呪われたように体調が悪くなったので怖くなってしまって当時は仕方なく文章を始めたのでした。
とにかく、その時断ってきた相手―Bさんです―がどのような断り方をしたかとか、そこまで書かなくても、どういう内容の交際だったのか、そのしつこくそういった類の小説を書くように強制していたハボホテル、バーチャル内の謎の人物がしきりにしつこく知りたがっているようでした。
呪いまでやっているようでしたから、相当その問題が気になると見えていたし、何か私とそのBさんの関係が駄目になると非情に困ることがあったようにしか思えませんでした。例えば今想像するとアリバイとかですね。
私と会っているように見せかけて他の異性―ネットの中で文章を強要していた相手もそうかもしれません―がデートを楽しんでいたらすごく困ったのだと思います。だからこそ、バーチャルができて、駄目になっても外で会えなくても中で付き合おうというすごい未練がありありだったように思います。
そうなると陰謀者達は殆どが妻帯者であるということが考えられ、同時に家庭内では奥さんの尻の下に敷かれているタイプでアリバイがなければもう半永久的に会う事が難しいくらい厳しい家庭環境の人だとしか考えられないと思います。だから奥さんの方が上司にタイプや人相が似ているのだと思います。
そうであるからアリバイの人物が消えるだけで天と地がひっくり返るほど困り、それでも未練がすごいのでまた無理やり文章をやって、まだ気があるふりをしろなど、色んな強制がすごくまだ会っているようにずっと芝居をして自分らがアリバイを借りていて会っていたとしか今となっては考えられません。
だからこそ、あの頃から数年たって次々大リストラが横行してまだその余韻が残っていて追い出し部屋が顕在しているのだと思います。何か動かぬ証拠がその後の大手企業の上層部の調査でたくさん出てきたからそうなったんだと思います。
奥さんは企業上司に似ているから別れると財源が尽きてしまう、けれど急にアリバイと別れられても自分らの未練と心の整理がつかないので大慌てしていた、どうしてもそのようにしか今となっては考えられません。
アリバイを断っただけでなくて私の推測と憶測によるとアリバイが断られた後大慌てしていたネットの謎の人物達も実はそのずっと前に断られている可能性も高く、だからこそ共有意識が芽生えたからすごくしつこくなって、文章を学ばせてその相手のどこがどういう風に駄目でおかしいのかをみんなでネット裁判したいと思ったのだと思います。
つまり、その時点で私に無理やり文章を書かせたりネット裁判をしつこくしたがっていた人達は、断って来た相手を地獄に突き落とすことしか考えておらず最初の予定通りアリバイにしていた相手のせいに何でもして自分らは何事もなかった顔で傍観者面でネット内でいつまでも裁判問題にかこつけてつきまとう計画があったんだと思います。
また、彼らはそれだけでなく、本題にやっと入りますが、作品にもその自分とアリバイ役を断った相手を、頻繁に登場させては巷の注目の的にして公衆の面前に晒し続けることによって自分らの傷ついたプライドを癒す糧としていたのは過去の作品の内容を見ても一目瞭然だと思います。
でも思うのですが、失恋した相手を作品の題材にして辱めるというのは人間的にどうなんでしょうか?ちっとも良いこととは思えないのですが、確かによく知っている相手の方が文章は書きやすいと思います。けれどその後それをネタにネット裁判って言うのはちょっと酷いような気がします。
そもそも、こういっては何だけれど既に奥さんがいたり他に彼女がいるのにその女性にかまけて夢中になっていた自分も悪いんだから、人のせいにしながらであろうといつまでもその相手にまとわりつきたがっている方が全面的に悪いのではないでしょうか?私はそう思いますけど。
自分の父親が寝取られたかもしれないのにという作品を作ったのも最初から最後はみんなでネット裁判で付きまといたいと思っていたとしかどうしても考えられないのです。
しかもいまだに、本当に譲る気もないのにアリバイ欲しさだけでしつこく付き合えば良いのにといった風に演出しまくって勧めて来ています。それとも世の中所詮は共有社会だと言いたいのでしょうか?マジ疲れる考えだと思います。私にはよくその辺が理解できません。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
自分を断った相手を作品のネタにしているゴーストライターやネタ提供者が素晴らしいと言えるか・・・。について書きました。
文章訓練中です。><