No.817825

橘葵の恋愛事情 第五話

銀枠さん

あと2話くらいで終わるよ

2015-12-08 19:19:09 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:677   閲覧ユーザー数:670

 

 第五話 美女と野獣

 

 

 

 

 

 

 

 結衣が目覚めたとき、そこは薄暗い小部屋だった。

 薬品の臭いと、湿っぽい空気が鼻にまとわりついてくる。

 

 保健室だろうか。

 

 だけど、それにしては何かがおかしい。そう思った。

 明かりもついていないし、保険医の先生もどこにも見当らない。よく分からないけど雰囲気が普通じゃない。あとなぜか自分の身体がオレンジくさい。

 ここはどこだろう。使われていない特別教室だろうか。

 

「なんで……わたし、こんなところに?」

 

 おぼろげながら記憶がよみがえってくる。

 たしか、人気のない廊下で山田と話していたら、いつの間にか倒れてしまったんだ。

 立ち上がろうと身を起こそうとするが、なぜか上手く身体に力が入らない。

 自分の身体が自分のものじゃないみたいに、言うことを聞いてくれない。

 ぐぎぎ、とお腹に力を入れて踏ん張ってみる。

 それでも立ち上がることはままならず、結局力つきて床に頭をしたたかに打ちつけてしまう。

 

「いったぁ~……」

 

 痛みに呻きながら、顔を起こしたとき、自分の両足を縛るロープに気がついた。

 机の足にしっかりと固定されていて、ひとりで抜け出すには難しそうだ。

 

「え……な、何コレ? 何なのよこれは!」

 

 よほどきつく縛られているのか、もがいてももがいてもロープはびくともしない。

 一体、誰がこんなことをしたの?

 うーうー唸りながらロープを睨みつけていた、そんなときだった。

 

「おや、もうお目覚めかい」

 

 薄暗い部屋に、ぼんやりとシルエットが浮かび上がる。

 目を凝らしてみると、机の影から山田がひょっこりと顔を覗かせていた。

 悠々とした足取りでこちらに近づいてくる。

 

(もう……?)

 

 結衣は小首を傾げた。

 何かひっかかりを感じる。

 すっかりべとべとになった髪の毛から、オレンジのにおいが鼻腔をくすぐってくる。

 

(ままならない身体……強烈な眠気……オレンジジュース!?)

 

 はっとなる。

 かちっと、頭の中で欠けたピースがはまる音。

 

「まさか……山田くん、ジュースの中に、何か混ぜたの?」

「おや、思っていたより頭の回転も早いようだ」

 

 山田がおどけたように肩をすくめてみせる。

 

「だけど、すこし一般常識が足りなかったようだ。知らない人から食べ物をもらっちゃいけないって、パパとママから教えてもらわなかったの?」

 

 素早く辺りを見回す。

 戸棚に並ぶビーカーたち。鼻にまとわりつく薬品のにおい。

 ここは理科実験室?

 

(え……でも、ここって鍵がかかっているはずじゃ……)

 

 そんな結衣の内心を察したように、山田が口を開いた。

 

「一応、ぼくは理科部の部長でもあるからね。最近は試合が近いからサッカーばかりでこっちにあんまり顔を出せてないけど、肩書きがあるからこうして怪しまれることもなく、いつでも鍵は持ち出せるのさ」

 

 見せつけるように手の平でカギを弄んでみせた。

 まるでオモチャを得意げに見せびらかす子供のような仕草だった。

 成る程。

 大体の事情は飲み込めてきた。

 だけど、なぜ山田がこんなことをしたのか。

 普段の彼からは想像もつかない行動にちょっとびっくりする。

 それだけが腑に落ちない。

 

「ねえ、山田くん。これは何かの冗談、だよね。いい加減に、このロープを外してほしいんだけど……」

「そう慌てないでよ。実はね、さっきの話にはまだ続きがあるんだ」

「続き?」

「ぼくの初恋の人の話、さ」

 

 山田は滔々と語り始めた。

 

「ぼくの家はね、お金持ちなんだ。欲しいものは、望めば何でも手に入ったのさ。女の子だって勝手に寄ってくる。誰もがぼくの言い成りだった。全てが思い通りになって、順風満帆に事が運ぶ。そんな人生に、ぼくは飽き飽きしていた」

 

 だけどね、と山田は言った。

 その瞳にぎらついた色が浮かび上がっていく。

 

「彼女だけは手に入らなかった。どんなに手を尽くしても、ぼくの告白に首を縦に振ろうとはしなかった。悔しかったよ。生まれて初めて、挫折というやつを味わったんだ。彼女のことで思い悩むあまり、気づけば不登校になっていた。食事も喉を通らず、眠ることすらままならない。ぼくはね、彼女を諦めることが出来なかった。それどころか、彼女に断られるたびに自分の思いが膨れ上がってきた」

 

 山田は深くため息をついた。思わず蒸せ返りそうになる。山田の唇から覗く白い歯が、ケモノのようにむわっとした熱気を帯びていた。

 

「だから、罰を与えたんだ」

「……罰?」

 

 おそるおそる聞き返す。

 左の親指と人差し指でわっかを作った。

 そして右手で中指を立てた。侮辱を意味するハンドサイン。

 かと思うと、その中に中指を勢いよく突き入れた。

 見せつけるように、それを何度も何度も交互に繰り返す。

 さーっ、と血の気が引いた。

 その意味が分からないほど、結衣も馬鹿じゃない。

 そんな彼女の反応が心地よかったのか、山田の端正な顔立ちが、いやらしく歪んだ。

 初めて見る顔だった。

 世にもおぞましいものを垣間見た気分。

 

「ぼく一人だけだと不安だからね。万が一にでも失敗したら困る。だから、彼女を慕う者たちを集い、数人がかりで襲ったのさ」

「え……」

 

 何を、言ってるの。

 ケモノじみた山田の顔に戦慄する。

 そこにいつもの優しい表情はなかった。

 あんなに誠実で、気配りの出来る人がそんなことを言うだなんて。

 

 

「あのときの彼女の表情は最高だったなあ。最初は痛みで泣き叫んでいたけど、最後は何も言わなくなった。股から流れる血を見たときは最高に滾った。ぼくも初めてだったし、彼女も初めてだった。その事実に、誇らしくなったものだよ。今でも思い出すんだ。苦痛で歪む彼女の顔が。脳みそに焼きついて離れそうにないよ」

 

 ああっ、ああっ、と酔いしれるような喘ぎを漏らしながら、身体を小刻みに揺らし始めた。

 感極まるあまり震えているのだと、そう理解するのに数瞬のときを要した。

 結衣のことなど目に入っていないかのように。

 

「う、嘘……な、何かの冗談よね?」

「ぼくが嘘をつくような男に見える?」

 

 心外だなあ、と言わんばかりにため息をついた。

 

「なんでよ……なんでそんなことをしたの?」

 

「愛したかったからだよ」

 

 山田は言った。それこそが重要だというふうに。

 

「ぼくは愛されたかった。だから愛した。ただ、それだけなのに……彼女はぼくを裏切った」

 

 ひどいと思わないかい、と目配せをしてくる。

 

「ぼくたち二人は幸せになる――そのはずだったんだ。いや、そうでなければならなかったんだ。にも関わらず、彼女はぼくを裏切った。……どうせ手に入らないなら、力づくで手に入れてしまえばいい。そうは思わないかい?」

「だからって、そんなことしていいわけないでしょ!」

 

 気づけば叫んでいた。

 

「最低! このクズ男! 自分の気持ちを、一方的に他人に押し付けるだなんて身勝手にも程があるわ!」

「ははっ、結衣さんって威勢がいいんだね。大人しくて人に流される子だと思ってたから意外だよ。そういうところ、気に入っちゃったな」

 

 そう言うと、山田はやわらかく微笑んだ。

 

「……え?」

「男は初めてかい?」

 

 あっけからんと言う山田に、今度こそ結衣は絶句した。

 ぞっとなった。山田の整った顔立ちの中に、ふつふつと残酷な色が浮かび上がっているのを見た。

 見たことない顔に、ただただ驚くしかない。

 恐怖で凍りつく結衣に、山田の手が伸ばされた。

 強引に股を開かせてきた。

 突然のことに頭が真っ白になる。戸惑っているうちに、スカートの中に山田が手を伸ばしてくる。かと思うと、パンツを下ろそうとしてくる。

 やばい。頭の中で警笛が鳴った。

 このままだと犯される。

 

「最初は痛いかもしれない。でも大丈夫さ。愛さえあれば何でも乗り越えられる。ぼくがそれを証明してあげるよ」

「い、いやぁっ! やめて! やめてよぉっ!」

 

 残された力を振り絞って抵抗する。

 無我夢中だった。

 脚をばたつかせていると、その一つが山田の下顎を綺麗に打ち抜いた。

 うっ、と呻きながら後ろに倒れこんだ。

 どうやら上手く脳震盪を引き起こしたようだ。

 その事実に、密かに優越感が迫りあがってくる。

 これならなんとかなるかもしれない。

 そんなぬか喜びを抱いたとき、

 

「ひゃんっ」

 

 頬を思いっきり殴られた。

 口内にじわじわと血の味が広がっていく。

 怯んだところに無理矢理覆いかぶさってきた。

 両脚を力づくで押さえつけられる。

 とてつもない力だった。こちらがどれだけ力を込めてもびくともしない。

 

「きみも、そうやってぼくを裏切るのかい?」 

 

 くわっと目を見開いた。

 真っ赤に充血した瞳孔が露わになる。

 やっぱり無理だ。女では男の腕力に叶うはずもない。

 

「だいたいさぁ、男が女を人気のない場所に連れ出すのってどういう意味かわかってる? その後に待ち受けている何かがあるはずだと、なんとなく察しがついていたんじゃないの? だからぼくの後についてきたんじゃないの?」

「そ、そんなことっ、知らな――」

「そうか。あくまでぼくの愛を拒むというのなら、仕方がない。きみには罰を与えなくちゃ」

 

 山田がポケットからナイフを取り出した。

 鋭利な輝きに、鳥肌が立った。

 山田の目は本気だった。

 それどころか、全身から抜き身の刃のように研ぎ澄まされた危うさを放っている。

 少しでも抵抗しようものなら仕返しに何をされるか分かったものではない。

 そう思わされるほどの危うさを感じた。

 多分、これがこの男の本性なのだ。 

 

「雌は黙って、牡の言うことだけを聞いてればいいんだよぉっ!」

 

 恐怖のあまり泣き叫んだ。本物の絶望が襲い掛かってくる。

 助けはきっと来ない。

 多分、今は授業中で近くを通りかかる人はいないに等しい。訳が分からないまま、この男に根こそぎ蹂躙され尽くすのだろう。人間としての尊厳や純潔といった何もかもを。

 このまま何も出来ないのが悔しかった。

 だけど自分は女で、覆いかぶさっている相手は男。適うはずがないのだ。

 ならどうするか。答えは明白だった。

 ただ堪えるしかない。じっと歯をくいしばって、嵐が通り過ぎるのを待つしかない。悔しいがそれが現実だった。自分の目の前に、白馬に乗った王子様が迎えになど来てくれないのと同じで。

 

 と、そのときだった。

 

 ばりん、とガラスの破れる音が聞こえた。

 山田の注意が逸れる。

 誰かが理科実験室の窓に、椅子を投げ込んだようだ。

 でも、どうやって。ここは二階なのに。

 そんなことを考えていると、割れた窓ガラスの向こうから、声がした。

 

 

「――どうして神様は、人間を男と女に分けたのかしら」

 

 

 まるで天からの御使いのように、美しい少女が降りたった。

 

「あおい……ちゃん?」

 

 呆然とした顔で、結衣はその名をつぶやいた。

 

 
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