No.817196

Essentia Vol.10「黒猫の行方」

扇寿堂さん

元ネタ艶が~る。ベタな感じです。

2015-12-05 11:00:08 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:280   閲覧ユーザー数:280

「市松〜?」

 

火災による犠牲者の有無を確認し、容態が重篤であれば搬送する――それが、私に与えられた職務のはずだった。

それなのに、探し物をさせられているというのはなぜだろう。

 

(いいや、正しくは猫探しといったところか)

 

あのやりとりの後で事情を告げに行くと、想像どおりというかなんというか、悲しいほど薄い反応しか帰ってこなかったのだ。

 

「動物なんだから、自力で脱出して今頃悠々自適でいるさ。」と真面目に取り合ってはもらえず、「もしも鈍臭いやつで、逃げ遅れたんだとすれば、今頃とっくに跡形もないだろうな。」と、消防団のおじいさんよりもずっと残酷なことを言われてしまった。

 

(現実はやっぱり甘くなかったなぁ)

 

彼らの言葉をそのまま持って帰るわけにもいかず、かと言って無断でうろつくわけにもいかずに、私はほとほと困り果ててしまった。

 

(事後処理が終わるまでなら…)

 

そう思って周囲を改めることにしたはいいけれど、市松という猫の性格がわからないだけに捜索が難しかった。

たとえば、軒下で眠るのが好きであるとか、屋根の上で日向ぼっこするのが好きだとか、そういう行動パターンを知っているだけでもやりやすいのだが。

現時点でわかっているのは、黒猫という外見だけだ。

 

「おーい。どこにいるんだよ〜。出てきなさーい。」

 

自分の呼びかけがとても間抜けに聞こえるくらい、辺り一帯は人間どころか虫一匹もいないんじゃないかと思われるほどの静けさだった。

敷地を囲む石塀に沿ってぐるりと練り歩いていくと、建物の裏側が見渡せる狭い路地へと通じていた。路面は水浸しになっていて、庇からはポタポタと水が滴り落ちてくる。もっと高いところに目線を見上げてみると、半分焼け落ちたから家屋のてっぺんからは湯気のようなものが立ちのぼり、辺りに熱気が充満していた。

それらは現場がいかに激しく燃えたのかを物語っており、火事の勢いも手伝ってかあれだけ集まっていた野次馬の姿もいつの間にか消えていた。

 

「いないみたいだ。どこか安全なところへ逃げたんだろうか?」

 

これ以上時間をかけて探したとしても結果は出そうにないなと思い、私はその場所にこだわるのはやめてさっさと引き上げようとした。最初から見つけるのを諦めていたわけではなく、場所へのこだわりを捨てることで事態が好転するというのを過去の経験から私は知っていた。その根拠を問われると説明が難しいのだけど、いったん求めていることを手放してみると、意外なところから解決の糸口が見つかったりするものだ。

それはつまり、執着はよい結果をもたらさないということでもある。

 

 チリン…チリン…

 

(そら見たことか)

 

すでに私は得意げになっていた。

耳を澄ませば微かに聞きとれるほどの音で、涼やかなリズムが一定の方向へ進んでいく。その道筋を失わないように聴覚を研ぎ澄ませ、音の響きに集中する。

平成に溶け込もうと必死だった私にしてみれば、これは久々の感覚だった。

 

(どこだ…?)

 

感覚も鈍くなっているのか、なかなか音の出所をつかむことができない。

脳の中身が詰まるような感じがして、呼吸を計るために目を閉じた。無意識に柄を握りしめるポーズになる。

 

(やっぱり、しっくりくるな)

 

生体電流が多く流れている人間は氣の出所をつかみやすいけれど、動物の場合は少し性質が違うように思う。もっと鋭利で剥き出しなんだけど、霧のように変幻自在でもあり捉えどころがないのだ。

 

(…ん?)

 

しばらくして、閉じた瞼の中央に、こちらを振り返る黒猫がいた。

赤い首輪をしているから、きっとこの子が市松なんだろう。

ようやく捉えたとばかりに、私はその黒猫を凝視する。

目と目が合うのをお互いに確認すると、体の向きを変えたその猫は立ち竦んでこちらの出方を窺っていた。しっぽも耳も緊張したようにぴんと立っている。

そうしてしばらくすると、私が動かないのをいいことに、いたずらを仕掛けるような仕草を見せはじめた。丸みのある小さな足を一歩ずつ踏み出して、こちらへ近づく様子を見せるけれど、一歩進んでは用心深く立ち止まり、私のことを試すような素振りを見せているのだ。

それはまるで、「だるまさんが転んだ」という遊びのように思えて、少しおかしかった。

 

(なにもしないよ…こっちへおいで)

 

心の中で手を招いてみるけれど、実際の私は棒立ちだった。少しでも捕まえる素振りを見せようものなら、黒猫は怯えて逃げてしまうだろう。

 

(これは長期戦になりそうだ)

 

そう思ったのも束の間、黒猫は私を目がけて地を蹴った。走るというより、跳躍といったほうがいいかもしれない。

しなやかに伸びきった脚が、あっと洩らす間もなく身に迫り、私の胸の中心を突き破りそうになっていた。まさに皮膚の境目に差しかかろうというとき、丸みを帯びたその足が物体ではない幽気のようなものに変化し、光の風穴を開けるようにして胸元をくぐり抜けていく。

 

(な、なんなんだこれは!?)

 

幻覚でも見ているのだろうか。そう思った私は、目を見瞠いて現実はどこにあるのかを必死に探ろうとした。

猫が体を貫通するわけがない。そんな超常的な出来事は、現実にありはしないのだ。そう否定しようと努めるけれど、その気持ちが強くなればなるほど眩暈のような気持ち悪さに襲われ、平衡感覚が失われていく。ついにたたらを踏みそうになって足を踏ん張ってはみるものの、その抵抗も虚しいくらいにあっさりと倒れていくのが自分でもわかる。

 

あっ、と短い呻きを洩らし視界いっぱいに景色を捉えたつもりだったけど、私の見ている世界にあの黒猫の姿はなかった。

誰のものなのか判別のつかない話し声や、見たこともない建物や物体の配色と、結城くんの家でかいだスパイスの匂い、鴨川の花風呂敷と雅楽の音色、消防車のサイレン、茜色の空と雁の群れ、私を非難する(ひかり)さんの泣き顔――関連性のないものが次々に浮かび上がり、脳の容量のすべてを埋め尽くしているみたいに情報で溢れていく。

 

(気持ち悪い…)

 

今までに得た記憶の断片が時間の流れを無視してシャッフルを繰り返し、重なり合い、そのスピードが加速するにしたがい、認識すら難しい何かに変わっていった。

やがてそれは白い光のようなものに変化し、輝きの速度を上げて私に迫ったかと思うと、生きとし生けるもののすべてを消し去るみたいに呑み込んでいく。

 

 

それは、一瞬の出来事だった。

私は、その光に消滅させられたみたいに

 

 

(くう)」になった。


 
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