No.814704

「PIECE DREAM」

蓮城美月さん

麦わらの一味の日常と、各カップルそれぞれの物語。
コック×航海士 / 剣士×考古学者 / 未来の海賊王×海賊女帝 / 赤髪×酒場主
ダウンロード版同人誌のサンプル(単一作品・全文)です。
B6判 / 078P / ¥300
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2015-11-20 22:09:04 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:14087   閲覧ユーザー数:14076

◆CONTENT◆

 

【 麦わらの一味 】

十回クイズ

チョッパーの誤診

HOW TO KISS?

男のロマン?

【 サンジ×ナミ 】

世界一のお菓子職人

戦場のプロポーズ

虹色の未来へ

【 ゾロ×ロビン 】

旅は道連れ、世は情け

新機能

【 ルフィ×ハンコック 】

九十九回目のプロポーズ

永遠に醒めない夢を

【 シャンクス×マキノ 】

息子の肖像

魂が還る場所

 

十回クイズ

 

一日の航海が終わり、グランドラインが夕焼けに染まる頃。サウザンド・サニー号のダイニングには、肉の焼ける香ばしい匂いが充満していた。

キッチンのサンジは、華麗なフットワークで九人分の夕食を調理中。この船には恐ろしい胃袋を持つ船長がいるため、料理の品も量も必然的に増える。食欲を誘う香りに、クルーたちがぞろぞろと集まってきた。自分の席やソファで、夕食を今かと待っている。

「おい、ルフィ。『ピザ』って十回言ってみろよ」

ふとあることを思い出したウソップが、隣のルフィに声をかけた。

「ピザ? なんでだ?」

「世間で流行ってるクイズらしいぜ」

物資調達のため立ち寄った島で、面白いクイズを小耳に挟んだのだ。

「おれはそんなことより腹が減っちまって…。サンジ、メシはまだか!」

「うるせェ! 作ってるだろうが!」

空腹に耐え切れず叫んだルフィだが、にべもなく一蹴される。料理は時間との戦いだ。サンジにとっては返事をする暇も惜しい。

「ピザって聞くと、ピザが食いたくなるなあ」

「そんなことはいいから。とにかく十回言えよ」

「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ」

ウソップに急かされたルフィは、指を折りながら十回単語を繰り返した。

「じゃあ、『ここ』は?」

間髪おかずに問いかけるのが、このクイズのポイントだ。腕を折り曲げた角、ひじを指してウソップは問いかける。食欲魔人のルフィのこと、きっと引っかかるだろう。質問の意図が掴めないルフィは堂々と答えた。

「肉」

「…いやいや、そうじゃねェだろ。この部位のことを訊いてるんだって」

「人間の身体は骨と肉でできてるんだろ。表面にあるのは肉だ」

予想された言葉とまるで別方向の回答に、つっこまずにはいられない。

「だーかーらー、肩とか二の腕とか、個別の名称ってものがあるだろ!」

「ああ、そっちのことか。だけど、最初に言ったピザと何の関係があるんだ?」

「ここは『ヒジ』だろ。最初に『ピザ』って言わせて印象づけておくと、『ヒザ』と言い間違える、引っかけクイズなんだよ。お前が肉なんて答えるから、意味がなくなっちまったじゃねェか」

自らネタばらしをする羽目になり、ウソップはため息をもらす。

「なんだ、それのどこが面白いんだ。それよりおれはピザが食いてェなあ。サンジ、夜食にピザを焼いてくれ」

連呼したせいで脳内はピザ一色、その誘惑に抗いきれない。夕食前だというのに、早くも夜食のリクエストをするルフィだった。

 

「楽しそうだな、ルフィとウソップ」

テーブルの反対側でチョッパーが呟くと、斜め隣に座るロビンも「そうね」と頷いた。そこへ、トレーニングを終えたゾロが姿を見せる。まっすぐ自席へ落ち着いた。

「お疲れさま」

「ああ」

向かいのロビンが声をかけると、視線を動かして短く答えた。

「さっき、ルフィとウソップが面白いクイズをしていたの」

「あ。あれだな? ロビン」

「クイズだ?」

ロビンとチョッパーが意味ありげに笑い、ゾロは訝しそうに眺める。

「ゾロ。『菓子』って十回言ってみて」

「ああ? なんでそんなこと」

「いいから、十回続けて言ってみてくれ」

意図が分からないものの、チョッパーから注がれる期待の眼差しに負けて口を開く。

「菓子、菓子、菓子、菓子、菓子、菓子、菓子、菓子、菓子、菓子。十回言ったぞ」

「じゃあ、チョッパーは何の動物?」

「えっ! おれか!?」

同じ問題では芸がないので、ロビンはワードと質問を変えていた。矛先が自分だと知り、チョッパーは目を丸くする。そんなことなど意に介さないゾロは、端的な答えを告げた。

「――――タヌキ」

寸陰の静寂。すぐには二の句が継げず、ロビンが首を傾げる。

「……そういえば、そうだったかしら」

「違うぞ、ロビン。ゾロ、間違ってるぞ。だれがタヌキだ! おれはトナカイだ! この角が立派な証拠だ!」

トレードマークの帽子を脱いで力説するチョッパーだったが。

「で、さっきのアレは一体なんだったんだ?」

「『菓子』を印象けておいて、『シカ』と誤答させる、引っかけクイズよ」

「なんだ、そりゃ」

「世間で流行ってるらしいわ」

ゾロもロビンもまったく聞いていない。

「おい! 二人とも聞いているのか」

「聞いているわ、チョッパー」

「つまりは、トナカイみたいなタヌキなんだろ?」

断言するゾロと、頷くロビン。チョッパーは男らしい態度で訂正した。

「おれはトナカイみたいなタヌキじゃない。シカでもない! タヌキみたいなトナカイだ!」

 

「どっちも似たもんじゃねェのか?」

「さあ。チョッパーさんにとっては、別なんじゃないですか」

ソファでくつろぐフランキーとブルックは、外野からの感想を述べる。武器の話に花を咲かせていたが、騒がしいテーブルの会話が耳に入ってきた。

「そのクイズってやつは、単語を変えればいくつでも作れるわけだ」

「そのようですね」

フランキーは顎に手を当てて考え込む。なにか面白いネタはないかと知恵を絞ること寸刻、目の前に居合わせる、奇妙な存在から閃いた。

「思いついたぜ。ブルック、『コイツ』って十回言ってみろよ」

「『コイツ』ですか? コイツ、コイツ、コイツ、コイツ、コイツ、コイツ、コイツ、コイツ、コイツ、コイツ」

ブルックは白骨の指を折りながら単語を連呼する。

「じゃあ、ブルック。おめェはなにでできてる?」

「は? わたしですか? なにと訊かれると…アフロと熱いソウルでできてますが?」

自分なりの見解を語った回答に、フランキーは肩を落とした。

「違うだろ! 『コイツ』って言ったら、『イコツ』って答えるだろ、普通」

「失敬な! わたしは生きてます! 『遺骨』なんかじゃありませんよ!」

「だが、白骨には違いねえだろ」

「たしかに白骨ですけど、火葬はされてませんからね。火葬されたら、毛髪も燃えちゃうじゃないですか、大事なアフロが! 髪の毛は唯一、わたしを証明する明確な特徴なんですから。『ガ』は抜かさないでください。『イコツ』と『ガイコツ』。一文字違いで大違いですよ」

真剣な形相で迫られ、フランキーは思わず後ずさる。

「そんなにこだることかよ」

「わたしにとっては、存在意義を賭けるくらい重要なことなんです。遺骨じゃなく骸骨。そこ、間違えないでくださいね」

他人には理解できないこだわりらしい。生ける骸骨は力強く主張した。

 

「いい匂い。サンジ君、今日のメニューはなに?」

ドアを開けるなり、おいしそうな香りが嗅覚を刺激する。ナミはキッチンカウンターへ足を進めながら訊ねた。九人目がダイニングにやってくれば、この船のクルーは全員集合。あとは夕食が完成するのを待つだけだ。

「ナミさん、お疲れさま。今日のメニューは――――」

両手では調理を続けるサンジが、流暢にメニューを語る。

「それにしても、騒がしいわね」

テーブルやソファで、仲間たちは談笑の光景。

「さっき、面白いクイズをやってたんだ」

キッチン内で忙しく料理を作るサンジだが、会話は耳に入っていた。

「クイズってどんな?」

「一見は百聞にしかず。やってみればわかるよ。まずは、ナミさん。今夜のメニュー食材から『キス』を十回言ってみて」

「えっ? なんでよ?」

「それがクイズのミソなんだって」

ナミは不可解な表情を浮かべるも、言われるままに言葉を発していく。

「キス、キス、キス、キス、キス、キス、キス、キス、キス、キス」

「じゃあ、おれのことはどう思ってる?」

「普通」

あっさり言い放った答えに、サンジは予想が外れて落胆顔。

「そこは『スキ』って言ってくれないと」

「そんな子どもだましに引っかかるわけないじゃない。そもそもクイズじゃないし」

「じゃあ、もう一回! 次は『スキ』を十回言ってみて」

乗り気でないナミだが、相手が懇願するので渋々付き合うことにした。

「スキ、スキ、スキ、スキ、スキ、スキ、スキ、スキ、スキ、スキ」

「おれとしたいことは?」

「特にないわ」

「ナミさん! そこは『キス』って答えてくれないと…!」

「魂胆が明け透けなのに、言うワケないでしょ。大体、おれとしたいことってなによ。それはサンジ君が一方的にしたいことでしょう?」

呆れるナミに、それでもサンジは希望を捨てない。

「またまた。ナミさんだって、おれとしたいって思ってるくせに」

「…寝ぼけてるなら、百万ボルトの落雷で目を覚まさせてあげましょうか?」

「いえ、いいです…」

半分本気の台詞に肝まで冷える。身震いしたサンジはぎこちなく首を横に振った。

 

虹色の未来へ

 

「チョッパー、いるか?」

バタバタと慌しい足音のあと、サンジが医務室へやってきた。

「どうしたんだ?」

机で医学書を読んでいたチョッパーが振り返ると、その腕にナミが抱えられている。

「ちょっと、サンジ君。わたしは…」

強引に運ばれて困惑するナミだが、その声は力なく顔色も悪い。

「ちゃんと診てもらわないとダメだって。めまいでふらついたじゃないか。ここのところ、食事の進みが悪かったみたいだし。……もしや、おれの作る料理になにか問題が?」

この数日の食事風景を思い返し、サンジはそう思い至った。船員の健康を保つため、栄養のある料理を提供するのがコックの役割だが、体調不良のクルーが出たということは、それが果たせていないということだ。しかし、ナミ以外に不調を訴える者はなく、平常の状態を保っている。

「違うわよ。ちょっと胃がムカムカするから、控えてるだけ」

「胃の調子が悪いなら、みかんは食べ過ぎないほうが…」

普通の料理を食べられない代わりとばかりに、ナミはみかんをよく食べた。

「とにかく、具合が悪いんだろう? 診察するよ」

二人の会話を聞いていたチョッパーが間に入る。ナミの体調が優れないのは事実なのだから、医者としては仕事をしなければ。心配を理由に立ち会おうとするサンジを医務室から追い払い、チョッパーはナミの診察を始めた。

 

「――――で、どうだったんだ?」

十分後、再び診察室に入ってきたサンジが不安そうに訊く。ナミの表情を伺えば、困ったように俯いてしまった。悪い病気かと危惧するサンジだったが、次の瞬間、チョッパーの発した言葉にすべての挙動が停止する。

「おめでとう、妊娠です」

慎重なる診察で導き出された結果がそれだった。診断が下されたとき、ナミは驚いたが一方で納得もしていた。身に覚えがあるのだから、その可能性も考えるべきだった。気恥ずかしい想いはあるものの、現実を享受する覚悟を決めるナミ。

「……えっ? ええと、その…妊娠?」

衝撃の事実を知らされ、サンジは動揺の渦中にある。まだスレンダーな腹部を凝視したあと、ナミの顔へ視線を向けた。

「本当に…?」

「ああ、本当だ。妊娠三ヶ月だから、安定期に入るまでは注意してくれ」

帽子をかぶり直したチョッパーが医師として語る。

「だれの子、とか訊いたら殴るわよ」

そっぽを向いたまま、ナミが呟いた。その戸惑いの中にも明確な意思を伴った声色に、サンジは確固たる事実を認識する。そして湧いてくるのは、生まれて初めてといっていいほどの歓喜。

「やったー!!」

喜びに染まったサンジの声は、サニー号全域に響き渡っていた。

 

「おめでとう」

ナミの懐妊という慶事を、仲間たちは揃って祝福する。

「めでたいことはめでたいんだが、どうするんだ?」

祝辞が一段落ついたところで、ウソップが話を切り出した。

「どうするって、なにがだ?」

麦わらの一味において、主軸たる船長のルフィは不思議そうに首を傾げる。この事態で発生する問題に気づいていないらしい。

「そうね。これからの航海のこと、考えなければいけないわね」

「医者として言わせてもらうぞ。なにより、ナミの体調を最優先だからな」

ロビンが懸案を口にすると、チョッパーが立場上の見解を述べた。

「子どもが産まれるまで、どこかの島に逗留するのがベターですかね?」

「まあ、航海士がいなけりゃ、サニー号は先へ進めないからな」

状況に即した提案をするブルックに、フランキーも実情を口にする。

「ちょっと待って! わたしのせいで航海を中断するのは…」

「気持ちはわかるけど、ナミさん。母体と赤ん坊を守るためには――――」

自分の妊娠で一味としての活動が停滞することにナミは反発するものの、母子の安全をなにより願うサンジに諭された。

「ルフィ。船長として、お前が決めろ」

ゾロが責任者に判断を求めると、ルフィは真顔で予想外の答えを告げる。

「船の上で産めばいいじゃないか。海賊なんてそんなものだぞ」

仲間の半分からは「ええっ!?」とどよめきが聞こえた。

「無茶だよ、ルフィ」

「赤ん坊を船上で産むのは、無理があるだろ」

「半年以上も足踏みをするわけにはいかない。この大海原では、船の上で赤ん坊が産まれるなんてよくあることだろ」

チョッパーとウソップからの反発に、ルフィは堂々と言い切る。

「そうですね。ルフィさんの言うことも一理あります」

「環境さえ整っていれば、陸も海上も大差はないか」

柔軟な思考で船長に同意を示すブルックとフランキー。

「できるなら、わたしは船を降りたくない」

「おれは…ナミさんと子どものことを一番に考えたい」

当事者の二人は、一味のことを考慮して迷っていた。

「おれたちがいるんだから、みんなでナミのことを助けてやれば大丈夫さ」

ルフィが力強く断言し、空気がそちらに傾く。

「海賊だもの。航海途中に子どもが産まれることだってあるわね」

「敵襲があっても心配するな。ナミを戦線に立たすことはない」

微笑みながらロビンが後押しし、ゾロがきっぱりと宣言した。船長が「決まりだな」と話を締めくくる。サウザンド・サニー号は、ナミの体調に配慮しながら航海を続けることとなった。

「あっ! 大事なことを忘れてた!」

「なんだよ、サンジ。突然大きな声を出して」

あることに思い至ったサンジに、仲間たちの怪訝な視線が集まる。

「子どもが生まれる前に、結婚式を挙げないと!」

順序としては逆になってしまったけれど、男としてのけじめはつけたいらしい。式の形態やドレスの手配に、サンジは一人で頭を抱える。

「なんだ、そんなこと。結婚式だって船上ですればいいだろ」

またしてもルフィが軽い口調で言い放ち、全員を納得させた。結果、即座にサニー号の甲板で船上結婚式が行われ、船長モンキー・D・ルフィの名において、サンジとナミの結婚が認められた。

 

それから半年、麦わらの一味は無事に航海を続けていた。当初『はじめての出産』を読んでいたチョッパーに不安を覚えたサンジが「本当に大丈夫か」と問えば、「人間も動物も同じようなもの」とルフィからから根拠のない主張があり、ウソップが「妊婦に余計な不安を与えるんじゃねえよ」と気配りすれば、「産むのはわたしなんだから」とナミがため息をもらす。

それからチョッパーは熱心に勉強し、豊富な知識を習得した。最大限の努力を払ったのだから、あとは実地のみ。すべてがうまくいくよう、神様に祈るだけだ。

 

「頼りにしてるわよ、名医さん」

いよいよそのときが訪れ、出産台に乗ったナミは痛みをこらえながら告げた。

「任せてくれ」

その言葉を受け止めたチョッパーの瞳は、本物の医者の眼差しだった。一秒が長く感じる時間が過ぎたあと、サニー号に赤ん坊の泣き声が響き渡る。医務室の扉の前に貼りついていたサンジは、飛び上がって雄叫びを上げた。

 

「天使…! まさにミラクルな天使だ、この可愛さは」

産み落とされた赤ん坊は、ナミにそっくりな女の子だった。

「へえ、これがナミの子どもか」

「ナミにそっくりだな」

「ナミさんの分身のようですね」

ルフィとウソップがまじまじ見つめ、ブルックが率直な感想を述べる。

「しかし、父親の要素が見あたらないぞ」

「母親の遺伝子がほとんどね」

「サンジ。本当にお前の子どもか?」

外見上から判断するゾロとロビン、そしてフランキーは遠慮なく問い質した。

「おれに似ているところだって…! ほら、よく見ろ!」

腹立ちを抑え、サンジは赤ん坊の頭部を示す。

「ん? これは…」

チョッパーがそれを見て瞬きをした。たしかに、サンジとそっくりな部位がある。

「…どうして、こんなパーツだけ似たのかしら」

女の子の可愛らしさにそぐわないため、ナミは落胆を隠せない。赤ん坊の頭には、サンジの眉毛と同じ渦巻きの形をしたつむじがある。

「これがおれの子どもだという確固たる証拠だ!」

堂々と宣言するサンジに対し、仲間たちは問答無用で同意する。

「たしかに、あの独特のぐるぐるは世界にサンジだけだよな」

ルフィが大きく頷くと、当の本人は無邪気に笑っていた。

 

数年後、グランドラインには一隻のレストラン船が航海していた。オープン前である朝は閑散としているが、営業時間となると、あちこちから客が来店して大繁盛となる。

「パパ。お皿を並べたよ」

プライベートエリアのダイニングでは、朝食の支度が進んでいた。長女は料理に興味があるらしく、いつもキッチンの父親を見ている。簡単な作業や皿洗いを進んで手伝うのだ。

「じゃあ、二人を呼んできてくれるか」

長女は測量室へ向かった。この海上レストランは測量船にもなっている。この船はフランキーが作り、細部にはウソップのアイディアも組み込まれている。測量室にはナミと、ナミにそっくりな次女の姿があった。次女は母親の仕事に関心を示し、ナミのあとをついて回っている。そこへ長女がやってきて、二人に「朝ごはんだよ」と声をかけた。

「了解」

「今日の朝ごはん、なにかな?」

母親と次女は今朝の測定値を記録すると、ダイニングルームへ向かう。家族全員が食卓に揃ったところで「いただきます」の声。

愛する者とありふれた、けれどかけがえのない毎日を過ごす。それがきっとしあわせなのだと、サンジとナミは思った。目指した七色の海はもう見つけたけど、家族と共にあるこの場所が、自分たちにとって永遠のオールブルーだ。

 

旅は道連れ、世は情け

 

麦わらの一味がロジャー海賊団以来となるグランドライン制覇を成し遂げ、世界が真実の歴史と自由を手にした日から数ヵ月後。グランドラインのとある島に三本刀の剣士が上陸していた。港からしばらく歩き、周辺が森に囲まれたところで立ち止まる。

「……ここは、どこだ?」

おかしいと緑頭が首をひねる。目的地はこの島のはずだが、どうやら違っていたらしい。一味全員が自らの夢を果たし、再会を約束して別れたあと、ゾロは剣の道を極めるべく修行の旅に出た。己を研鑽するため定めた行き先はワノ国。黒刀『秋水』のかつての持ち主、伝説の侍が空を飛ぶ竜を倒したといわれる国だ。まっすぐにその島を目指して旅してきたはずなのだが…。

「島を間違えたか?」

これまで仲間たちからどれだけ「方向音痴」「迷子」と言われようと、頑として自身の問題点を認めてこなかったゾロだ。ゆえに、旅をするにおいて重要な能力が欠落していることを今でも自覚していない。困惑気味に立ち往生していると、森の奥深くから見慣れた人物がやってきた。

「あら、もしかしてゾロ?」

リュックを背負った探検スタイルのロビンが歩み寄ってくる。

「なんだ。お前か」

麦わらの一味が離散してから、他の仲間に遭遇するのはどちらもこれが初めてだった。

「奇遇ね。あなたもこの島に来ていたなんて」

「遺跡の発掘でもしてたのか?」

「ええ。この島には数百年前に栄えた国の遺跡が残されていたから」

真実の歴史が明かされたとしても、世界にはまだ知られていない文明がある。どんな小さな歴史の声も余さず拾い集めることが、ロビンの新たな目的となっていた。数日前に島へ入り、街の図書館や資料館で事前調査をしてから、森の深奥にある遺跡で発掘作業に没頭していたのだ。

「あなたはこんなところでなにを?」

「おれは……」

ふと行き先を見失っていたことを思い出し、ゾロは言葉を濁す。

「たしか、ワノ国へ行くと言ってなかったかしら?」

一味が解散する直前、二人は今後の動向を互いに伝えていた。

「ここはワノ国ではないと思うけど」

「だから、ワノ国へ行く途中だ。ちょっと寄り道してみただけだ」

分かりきっていることを指摘されるのは癪なので、言い訳として先手を打った。ただ、年長者であり洞察力に優れるロビンには、そんなゾロの胸中さえお見通しであることは容易に知れている。けれどそれでも、格好悪いところを見せたくないのが『男』としてのプライドだった。

「そう。じゃあ気をつけて」

余計なことは口にせず、ロビンは微笑んで通り過ぎようとする。

「あ、もしお腹が空いているのなら、この森の先に小さな食堂があるわ」

「そういや、着いてからなにも食ってなかったな。そのメシ屋に酒はあったか?」

「基準は食事がおいしいかどうかじゃなく、お酒の有無なのね」

「悪いか」

「いいえ、嗜好品は個人の好みだもの。カウンターにボトルが並んでたわ」

仲間と離れてからは気ままな一人旅。気心の知れた相手とのやりとりは久しぶりで楽しかった。

「なら、寄って行くか。ちょうど腹も減ってたところだ」

「道案内しましょうか?」

「必要ない。この森の先だろ?」

また道に迷うのではないかと危惧したロビンの気遣いを、即座に遠慮する。なにが原因なのかは不明だが、ゾロの方向感覚は著しく狂っていた。目的地へたどり着くことが極めて難しく、同じ場所を何度も回っていたり、途方もない遠回りをしていたり。

長い航海、冒険の海を共に旅してきた仲間だから、その特質も周知の事実。なので、ゾロが食堂に行き着けるか大いに不安ではあるが、本人が拒否するのだから仕方ない。

「道をまっすぐ行ったところにあるわ」

「まっすぐだな。わかった」

ロビンが片腕を伸ばして方向を示すと、ゾロは納得して一歩踏み出した。

「次に逢うのは『約束の日』ね?」

「そうだな」

別離の日に九等分して渡されたルフィのビブルカード。それが世界の海で自由に生きる仲間たちを再びめぐり会わせる。

「お前のことだから心配はしてないが、一応気をつけろよ。女が単身、人気のない場所をウロチョロするんだからな」

「あなたも遭難と怪我には気をつけて」

「だれが遭難なんかするか」

真面目に心配するロビンを突っぱねて、二人は反対方向へ歩き出した。

 

数週間後のある日、緑髪の隻眼剣士はさびれた王国跡に立っていた。

「……ここは、どこだ?」

前の島からなかなか脱出できず、やっと港にたどり着いたところ、出航しようとしていた船に飛び乗り、海上で別の船に乗り換えて到着した島。今度こそワノ国に向かったはずなのだが、目の前に広がるのは古戦場。あるのは墓標ばかりで人が住んでいる形跡すら見当たらない。

「ねえ、ひょっとしてゾロ?」

ふと人の気配を感じた瞬間、背後からその声が聞こえてきた。身体が強張ってしまったのは、内心に湧いた気まずさのせい。これから交わされるだろう問答が容易に想像できる。

「またお前か。神出鬼没な女だな」

「わたしは歴史を知るために、あらゆる遺跡に足を運んでいるだけよ」

「この島はこんな状態だぞ」

「王城の地下に古文書や資料があるのよ。この国の興亡に関わる貴重な文献だわ」

考古学者としては満足するだけの収穫があったらしい。

「そりゃあよかったな。じゃあ、おれはあっちに行くから」

表面的には表情が変わらないロビンの昂揚した心をなんとなく感じたゾロは、そこから立ち去ろうとした。その挙動がいかにも彼らしくなく、まるで逃げ出すような態度にロビンは察する。バツが悪いから、追及される前に逃げようとしているのだろう。

「ワノ国へはもう行った?」

隙のない鋭い声に、ゾロの身体が一時停止した。硬直した状態で考える。この女にごまかしや詭弁は通用しない。逃走を諦めたゾロは、渋い表情で嘆息した。

「…いや、まだだ。これから行くところだ」

「だけど…」

「なんだ、言いたいことがあるならはっきり言え」

「この間の島からここだと、ワノ国から遠ざかっているわ」

「わざと遠回りをしてるだけだ。ことわざであるだろ、急がば回れって。別に急いでるわけじゃないが、人生苦難があってこそ心身も研磨されるってモンだ」

冷静なロビンの指摘に、ゾロは四苦八苦の御託を並べ立てる。自分は自らの意思でここに来たのであって、決して迷ったのではないと。

「そう? それならいいけど」

「もうこの島での用は済んだんだろ。とっとと行けよ」

見透かされている下手な芝居に付き合うのは、ロビンの優しさなのか同情か。あるいはゾロの反応が面白いから、からかって楽しんでいるのか。早く立ち去ってほしいゾロが急かすが、ロビンは平然とした表情で佇む。

「そういえば」

「なんだ」

「この間の島で別れたあと、食堂には行けた?」

剣士は言葉に詰まった。ロビンの推測どおり、あれからゾロは延々と森の中をさまよい、一週間後にようやく港へ戻ることができたのだ。まっすぐ進めばたどり着けるはずの食堂は、その影を見ることもなかった。目をそらして己の不利を覆い隠すゾロに、ロビンは肩をすくめる。

「途中までついて行きましょうか?」

「どこに?」

「あなたの目的地のワノ国」

「いや、いい。おれは一人で旅したいんだ」

方向音痴の人間にとってはありがたい申し出だが、ゾロはきっぱりと拒んだ。まだ自身の迷子癖を容認しがたく、女の世話になることもプライドが許さない。

「でも…」

「お前にはお前の目的地があるんだろ。余計な寄り道は時間の無駄だろうが。とにかく、お前に面倒かけるほど落ちぶれちゃいねェよ」

毅然とした態度で告げるゾロ。自身に降りかかる困難には忍耐強い男だ。これ以上はなにを言っても無為、意思が覆ることはない。

「わかったわ。だけど気が変わったらいつでも言って」

男って面倒な生き物ねと心裡で思いながら、ロビンは苦笑をにじませた。

 

二ヶ月ほどたったある日、世界一の大剣豪は小さな島に降り立った。夜は熱帯、昼間は極寒という過酷な環境のため、生物はろくに存在しない。

「……どこなんだよ、ここは」

植物もろくに育たない大地の上でゾロは呟く。

「ワノ国――――じゃねェ、よな?」

漁船に乗せてもらって今度という今度こそワノ国に向かったはずなのだが、途中で巨大海獣に遭遇し、斬った肉で漁師たちと宴を開き、酒をしこたま飲んで、酔っ払ったまま船で送り届けてもらったらこの島に来ていた。

「やっぱりあなたね、ゾロ」

丘の上から島一帯を仁王立ちで見下ろしていたゾロに、斜め後ろからかけられた声。まさかと予感を覚えながら、さすがに三回も同じことはないだろうと楽観していた。その油断をつくかのように現れたのはロビン。

「なんだ、お前は。毎度おれの行き先に現れやがって」

「わたしは目的地を順に旅しているだけよ」

開口一番言いがかりのような台詞を向けられ、ロビンは呆れた面持ちで答える。

「その様子では、まだワノ国には行けてないみたいね」

「…あちこちで修行しながら進んでいるだけだ」

「それにしては、どんどんワノ国から離れているわ。この島はワノ国のほぼ真反対の位置よ。あなた、一生かかってもワノ国の土は踏めないかも」

淡々と事実を指摘され、ゾロは苦々しい表情で押し黙る。しかしその脳裏では、この不利な状況から逃れる口上を探していた。相手の思案を見越しているロビンは、小さく肩をすくめる。一味が離散して一年もたっていないというのに、これで三度目の遭遇だ。この迷子の男を放置すると、この先何度も同じことが繰り返されるだろう。

「――――いいわ。一緒に行きましょう」

それは提案ではなく、すでにロビンの中で確定事項になっていた。唐突で前置きもない決定口調にゾロは首を傾げた。

「一緒って…どこにだよ?」

「ワノ国へ」

「はあ!? どうして、おれとお前が一緒に行かなくちゃいけねェんだよ!」

感情の起伏がない答えにかみつく男は、世界一の大剣豪とは思えない。本能的に勝てない相手に掌上で転がされているような気がした。

「わたしもワノ国の歴史を調べに行くつもりだったから」

「だからって、なに勝手に決めてやがる。おれは剣の修行をしながら」

「だって、あなた一人ではいつまでたってもワノ国へ着けないだろうから。あらぬ方向をさまよって、目的地から離れていく一方だもの。それに、これから何度も行き先々で迷子になったあなたと遭遇して、その都度文句を言われるくらいなら、同行したほうがいい。旅には慣れてるし、あなたの足手まといにはならないわ」

「それでも、だ。その…お前、他人同士の男と女が二人だけっていうのは」

案外世間の目を気にする発言に、ロビンは小さく笑った。

「わたしたちは『他人』じゃなくて『仲間』だもの。一緒に旅をしてもおかしくないわ」

「おれだって『男』ってこと、本当にわかってんのかよ…」

剣の道を究めることしか興味がないように見えても、若い健全な男だ。ゾロは平然とする相手に聞こえないくらいの小声でぼやく。

「わたしは気にしないわよ。周りからどう思われても」

「お前はよくても、おれは気にするんだ」

「だったら明確な既成事実にする? わたしはあなたとなら、そうなってもかまわないわよ」

「――――……」

思ってもない提案に頭をぶつけたような衝撃を受け、ゾロはしばらく無言を貫いた。

「そんなことより、あなたに頼みがあるの。ここで逢えてよかったわ。遺跡への入口が、巨大な落盤で塞がってしまっているのよ。あの大岩をどけてもらえるかしら。もちろん、遺跡を傷つけないようにね」

「…もし傷つけたらどうなる?」

「ひどいことになるわね――――あなたが」

涼しい顔で怖いことをあっさり告げるロビン。ゾロは内心「暗黒女!」と叫んだが、声には出さなかった。

「わたしの力ではびくともしなくて困っていたの。ゾロと逢えたおかげで助かるわ」

まだ応諾もしていないのに、考古学者の女は遺跡のある方角へと歩き出している。

(一緒に旅しようと持ちかけたのは、発掘作業を手伝わせる目的じゃねェだろうな)

密かに疑念を抱くゾロは、地面に咲いたいくつもの手の矢印に沿って、先を行くロビンのあとを気が進まない面持ちで追いかけていった。

 

九十九回目のプロポーズ

 

「ルフィ。わらわと結婚してはくれぬか?」

「嫌だ」

二年間の修行を終え、シャボンディ諸島へ向かう船上。世界一の美女と謳われる海賊女帝からの求婚を、ルフィは一言で拒絶した。

「また姉様が振られたわ!」

「これで九十八回目…。姉様、気を落とさないで!」

求婚回数をカウントしてきた妹二人は、傷心の姉に励ましの声をかける。それだけ頻繁にプロポーズされているというのに、ルフィの返事は微塵も揺るがない。

「いいのじゃ。簡単には応じぬルフィが、ますます愛しいというもの」

すでに百回近く振られているというのに、ハンコックはくじけない。むしろ、恋焦がれる気持ちが増していた。この世界でたった一人、どんなことをされても許せる『男』がルフィなのだ。

「わらわが結婚する相手は、世界中を捜してもルフィだけじゃ。この想い、一生変わらないと誓える。ルフィが『イエス』と答えてくれるまで、わらわは何度拒まれても諦めはしない。結婚してくれるまで、百回でも二百回でも求婚し続ける」

ハンコックは彼方に向かい、両手を組んで宣言した。そこまで深く相手を想う姿を見ていると、妹たちは姉が不憫に思えてくる。余計な口出しは無用と承知の上で、ルフィに問いかけた。

「ルフィ。なぜ、姉様の求婚を断るの?」

「容姿端麗、才色兼備、非の打ち所もない姉様に、一体何の不満があるというの?」

「不満?」

サンダーソニアとマリーゴールドから問われ、ルフィは大きく首を傾げる。

「姉様を妻にしたくないから、結婚を拒んでいるのではないの?」

「いや、そうじゃねェ。おれは結婚自体が嫌なだけだ。ハンコックがどうって問題じゃ…」

「で、では! わらわが不満で断っているのではないのだな?」

希望を見出したハンコックは、ルフィの言葉を遮った。

「当たり前じゃねェか。おめェに不満なんてあるわけないだろ。おれがエースを助けに行くとき、協力してくれたじゃねェか。海軍の船に乗って、インペルダウンまで連れて行ってくれた。マリンフォードでも、エースの錠の鍵をくれたり、敵の攻撃から守ってくれたりしただろ。そのあとも海軍から匿ってくれて、おかげで二年間修行することができた。今もこうやって、メシを腹いっぱい食わせてくれてるんだからよ。『ありがとう』って何回言っても足りねェくらい、感謝してるぞ」

「そ、そうか。わらわは、そなたに嫌われてはおらぬのだな?」

「嫌いなもんか。おめェみたいないいやつを嫌う理由がないだろ」

屈託ない笑顔で答えたルフィに、ハンコックは頬を緩める。

「ということは、相手がだれであっても、結婚そのものが嫌だということ?」

「どうしてそこまで結婚を拒否するの?」

二人からの追及に、ルフィは真顔で告げた。

「だってよ。結婚ってのは、一生だれかと一緒に暮らすってことだろ? 酒場でおっちゃんたちがよく言ってた、結婚は地獄だって。嫁に束縛されて、ゆっくり酒も飲めやしない。自由がほしいってさ。おれはずっと昔に約束したんだ。だれよりも自由に生きると。結婚なんかしちまったら、自由に生きられないじゃないか。それは絶対に嫌だ。おれは海を自由に生きて、海賊王になるんだ。だから、おれは結婚なんかしたくねェ」

普段はなにも考えていないように見えても、心に決めていることはある。それだけは絶対に譲れない。ルフィは自らの信念を語った。

「…それだけが結婚を拒む理由なニョか?」

黙って推移を見守っていたニョン婆が口を挟む。

「ああ。海賊王ってのは、この海で一番自由なやつがなれるものだからな」

「ならば、海賊王になったあとには、結婚も考えなくはないと?」

「そんなこと、そのときになってみないとわからねェよ」

アマゾン・リリーの皇帝であるハンコックの恋の行く末を、ニョン婆なりに心配はしているらしい。ルフィの返答を聞いて、ハンコックの表情に光が差した。

「ならば、わらわはずっとそなたを想い続けてもよいのじゃな、ルフィ。そなたが海賊王になったあとならば、わらわの求婚を受け容れることもあると」

「だから、そのときになってみないとわからねェって」

現在の自分には想像もつかない、すべてを手に入れたときの心境が。しかし、今の自分と別の答えが出る可能性を否定することもない。

「ではルフィ。そなたが海賊王となったら、必ずまた女ヶ島を訪ねてほしい。そのとき、わらわは九十九回目のプロポーズをする。それが最後の求婚となることを、わらわの願いとしておこう」

「なんか言ってること、よくわかんねェけど……とりあえずわかった。グランドラインを一周したら、必ず遊びに行くよ」

ハンコックの切なさをにじませた懇願を、ルフィは聞き容れる。またあの名物料理が食べられるなら、という理由で応諾したことなど露知らず、笑顔のルフィに心臓を鷲掴みにされた海賊女帝は嬉しさのあまり卒倒した。

 

魂が還る場所

 

東の海に浮かぶドーン島、フーシャ村。世界政府に加盟するゴア王国に属するものの、町から忘れられるほど辺境に位置するため、隔離社会とは縁遠く、村では平穏な暮らしが営まれていた。

陽気な村人たちは日常的に理由をつけては宴を開いていたが、近頃そのにぎわいはまるで見受けられない。普段は人々が集って酒を酌み交わす『PARTYS BAR』も、あの日以降、客足は遠のき閑散としていた。

世界中がその行く末を見届けた、マリンフォード頂上決戦。白ひげ海賊団を中心とした海賊たちと、総力を結集した海軍との全面戦争。その場で起こったこと、そして現場に居合わせたある人物の生死不明情報が、朗らかな村人たちの表情を曇らせているのだ。

「――――ルフィ…」

酒場の主人マキノは、親しき者の生存を祈りながら呟く。海賊として船出するまで、モンキー・D・ルフィはこの村で育った。村民からは家族のように扱われ、マキノも母のように姉のように接してきたものだ。そんなルフィが、兄弟の杯を交わしたエースを救うためマリンフォードに現れ、エースを目の前で亡くした挙句、本人も重傷を負って行方不明となった。

(どうか、ルフィが無事でいますように…)

兄として慕ってきたエースの死が、ルフィに重くのしかかっているのは間違いない。それだけ深い絆が、一緒に育った数年間に刻まれたのだから。

『あいさつの仕方を教えてくれねェか?』

『おれはルフィの兄貴だからよ。いつか、その弟が世話になったっていう赤髪の船長に、あいさつに行くのがスジってモンだろ』

二人が兄弟として過ごした時間が脳裏を過ぎり、マキノの瞳に涙が浮かんでくる。

「…あ、いけない。看板をしまわないと」

気を緩めたら止め処もなく流れそうな滴を押し留め、彼女は表に出た。閉店時刻には早いが、今夜は客も来ないだろう。立て看板を店の中へしまおうとした、そのとき。

「もう店じまいかい?」

記憶の中にある印象深い声が、その頃より年数を経て重みを感じさせる響きが、マキノの聴覚を通して届く。心臓がトクンと跳ねた。

「船長さん…!」

何年ぶりだろう、この村を本拠にしていた海賊団の船長。今は新世界に君臨する四皇の一人となっている赤髪のシャンクス、その人だ。以前よりも精悍さを増した肉体と精神、まとう覇気は他者を近づけない。しかし、あの頃と変わらぬ親しみを持った笑みが、彼女を安心させた。

「いえ、客がいないから早めに閉めようと思っただけで…大丈夫ですよ。どうぞ入ってください」

こんな遅い時間に来店する客はいないだろう。看板を片付けつつ告げる。シャンクスは十年ぶりとなる酒場に、ゆっくりと足を踏み入れた。

「変わらないな、ここは。懐かしい空気で、帰ってきたという気分になる」

この港を拠点として活動していた当時と、漂う雰囲気は同じままだ。年月が経過しても不変であり続けるということは、そう叶うことではない。自分たちはここからグランドラインに向かって船出し、新世界までたどり着いた。その道行き、積み重なった時間、戦いで失ったものと得たもの。

ともすれば、精神さえ疲弊していくような場所で心を保っていられたのは、仲間たちがいてくれたことと、懐かしく思える場所があったから。いつの日か、またあの場所にたどり着くためにも生き延びなければと思った。ここはシャンクスにとって、二番目の故郷のようなものだった。

「いつ、こちらへ?」

マキノがカウンターの向こうへ戻りながら訊ねた。

「さっき着いたばかりだ。すっかり夜も更けてしまったな」

かつて自分の定位置だったカウンター席に座りながら答える。

「皆さんはどうなさったんですか。新世界からの航海は、かなり厳しかったんじゃ?」

四皇の中でも、白ひげ亡きあと最大の実力者とされるシャンクスだ。世界の海が大きくうごめこうとしているこの時期に、容易に動けるとは思えない。厳しい監視の目が光っていることだろう。

「本船は新世界さ。ここへは、おれ一人でやってきた」

「お一人で?」

「仲間たちからは、単身での航海を猛烈に反対されたよ。まだ世界各地が荒れている時期に、おれが動くのはよくないと。だが…エースのことを思い出すと、どうしてもこの村に帰りたくなった。…見てみたくなったんだ、ルフィとエースが兄弟として育った風景を。懐かしいこの場所を」

シャンクスにとっても、このフーシャ村は特別な場所だ。ルフィという、未来を切り開く希望を見つけた。片腕を失くしても、世界にとって喪わせてはいけないものがあった。

「あ、あの…船長さんはマリンフォードにいらしたんですよね。ルフィのこと、なにかご存知じゃないですか? 新聞では生死不明以上のことは、なにも書かれてなくて……」

巷では、大将赤犬によって瀕死の重傷を負ったことから、死亡説が色濃い。麦わらの一味の動向も依然不明で、全滅したとも言われている。

「ルフィなら、戦場から脱出したのは確かだ。この目で確認した。かなりの深手だったようだが、おそらく――――いや、必ず生きている」

現場に居合わせた男の信用に足る証言を聞き、マキノは心の底から安堵する。この人が生きているというなら、きっとルフィは大丈夫だ。

「仲間も消息が途絶えているらしいが、考えがあってのことだろう。心配いらない。ルフィは仲間たちを連れて、いずれ新世界へやってくるさ」

心身に大きな傷を負って、立ち上がることは簡単ではない。けれど、ルフィはその熾烈な苦難を乗り越えて、海へ戻ってくるはずだ。それだけの器を持った男だと、シャンクスは信じている。

「どうぞ」

注文を聞くより先に、グラスがカウンター越しに差し出された。この酒場に入り浸っていた頃、いつも飲んでいた酒。

「ああ、この酒も久しぶりだな」

受け取ったグラスを感慨深く眺めて、シャンクスは酒を勢いよく口に運ぶ。あの頃から十年という月日が過ぎてしまったというのに、この酒の味は変わらない。カウンターの向こうにある、心優しい女性の笑顔も。ただ現在は、喪われた兄弟の絆を想う陰りが掠めるけれど。

「マキノさんもどうだい? もう他に客も来ないだろう」

マキノはためらったものの、拒まなかった。今夜は、戦いの中で散ったエースを悼み、ルフィの復活を祈りたい。あのマリンフォード頂上決戦以降、ずっとだれかと共有したかった想い。

ルフィのことは村人のだれもが気遣うけれど、エースの存在は秘匿されていた。ガープの計らいにより、コルボ山に住むダダンに面倒を任せていたため、この村でエースのことを知っていた者はマキノと村長だけだった。

けれど、目の前にいるシャンクスは、その思い出を共有したいという。一人で抱えるには重過ぎる痛みだ。だれかと分かち合いたかった。マキノは酒のボトルとグラスを持って、カウンターの外へ。シャンクスの隣に座ると、空いたグラスに酒を傾けた。

「わたしが見たのはほんのわずかな時間でしたけど、本当に仲のいい『兄弟』だったんです。ルフィとエース。あんなに一緒だったのに…どうして――――」

堰を切ったように、忌憚ないマキノの胸中がさらされる。それからゆっくりと語られた思い出話を、シャンクスはただ黙って聞いていた。

 

エースとルフィの育った場所を見てみたいというシャンクスに、マキノは案内役を買って出た。ダダンの家があるコルボ山、二人が冒険や修行をしていた森。時折、あの頃の少年たちが視界の隅に写り込んだような気がして涙ぐむマキノを、シャンクスは肩を抱いて慰めてくれた。

シャンクスが密かにこの村に滞在した数日が、二人の関係を変えることとなった。それはかつてから潜めていた淡い想いが形になったのかもしれないし、同じ悲しみを共有した者たちの癒しだったのかもしれない。ただひとつ確かなことは、お互いにとってその時間は必要だったということ。疲れ果てた魂を休めるために不可欠な、休息だったのだ。

 

「世話になったな」

やがて、シャンクスが新世界へと戻る日がやってきた。

「…あの」

男への呼び方は『船長さん』ではなくなっていたけれど、明るい場所でそう呼ぶことはためらわれて、マキノは言葉を濁す。

「身体に気をつけて、ください」

海軍や敵対する海賊との激しい戦いが待つ場所へ戻る男に対し、その挨拶はあまりに月並みかと思ったけれど、他に適切な文句が思いつかなかった。そしてもうひとつ、なんとなく自身に過ぎった予感には口をつぐんで。

「ああ。ルフィに会うことがあったら、きみが心配していたと伝えるよ」

眼差しの奥に、マキノが隠したことすらも静かに受け止めているような気配を漂わせ、シャンクスは懐かしい地を旅立った。仲間たちの待つ海、争いが激しくなる過酷な海、新世界へ。

 

マキノの予感は現実となり、数ヵ月後、彼女は子どもを産み落とした。村人たちは父親がだれかと噂したが、彼女は頑としてその名を告げず。

「お前さんだけは、まっとうな生き方をすると思ったが…」

唯一、事情を察した村長だけが特大のため息をもらした。

「いいんです、これで。あの人もきっと、わかってると思いますから」

別れ際に交錯した視線の意味も、世界にとっての彼の存在も、充分に理解している。海賊王の子として、生涯その重みに苦しんだポートガス・D・エース。その生きざまを知ってしまったからこその選択だ。

「あの人がどこかで、生きていてくれるだけでかまわないんです。だけどいつか世界が自由を手にしたら、この子も父親に会える…そんな気がします」

それは途方もない夢かもしれない、だが決して不可能な夢ではない。やがてそんな日が訪れることを願いつつ、マキノは腕の中のわが子に笑いかけた。

 


 
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