恋を、春蘭を。菖蒲や霞、秋蘭からも仕事を終えている者を。
とにかく実力派の武官に緊急招集を掛ける。と同時に、即座に集められるだけの兵を集める。
全てはつい先ほど齎された報への対応である。
次善策とすら呼べない後手後手なものではあるが、報告を信ずるならば相手もまたほとんど数はいないらしい。
万全とは言えないものの、不十分とまでもいかない程度。そんな状態であった。
されども、仮にそれが電撃戦や攻城戦のエキスパートであったとすれば、事態は一気に逼迫したものとなる。
迅速に、かつ冷静に。接触してしまうまでの僅かな時間で着実に準備を整えていく。
報を受けた時、まず華琳が吠えるように兵を問い質した。
「何故そこまで接近を許した?!他の城塞からの報告があったのでは無いのか?!」
これは一刀も同じ意見を持った。
危機管理の一環として魏国では各所の城塞にどの時間帯でも最低一人は伝令役を担う兵が起きて仕事に就いている。
そうすることで夜襲や隠密行軍に対しても即座に対応する態勢を整えているのだ。
だが、今回はどういうことかそれが機能しなかったことになる。
事前に講じていた対策そのものが無意味となること。それは原因次第ではその対策の大きな欠陥を意味する。
加えて、今回は魏の本拠地たる許昌が危機に見舞われている。
故に華琳は声を荒らげた。
兵は華琳の怒声に若干尻込みしてしまいながらも、問いに対する返答を口にする。
「我々の所見ですが、部隊の全てが騎兵で構成されており、かつ至極少数であるためかと!」
「こちらの伝令の出立が全く間に合わなかった、ということか?
少数での行軍と言えど、それほどの速度を出せる騎兵部隊……精鋭、か。厄介だな……」
一刀が口にした考えは現状の少ない情報から考えられる現状の原因。
それが事実であれば、伝令を責めるのは酷というものであった。
「取り敢えず、諸々は後にしておきましょう。
一刀、武官の招集と兵をお願い。文官の方は私が直接行くわ」
「任された。すぐに準備させる。集める場所は城門前でいいのか?」
「ええ、そこでいいわ」
そうして冒頭へと戻る。
詳細も告げられずに突然集められた武官や兵たちは皆一様に何事だろうかと互いに話し合っている。
一方で文官、というよりも軍師の面々だが、そちらは華琳から最低限の説明は為されたようであった。
少なきに過ぎる情報しかないが、それでもどうにかそこから策を絞り出さんと既に頭を悩ませている。
策が固まるまでにはまだ時間が掛かるだろう。
その間に一刀は武の側の者達へと現状の説明を始めていた。
初めは戸惑っていた皆々も、将、熟練兵と実力を伴う者から順に心身を切り替えていく。
最悪、今から突発の戦が始まってしまうのだ。
ここまで来られてしまったものは仕方が無い。だが、せめて軍人という職を預かる者として無辜の民に火の粉が降りかかる事態にだけはしない、と心に誓う。
いつでも出陣及び陣形展開が出来るように、とだけ言い添えてから、一刀は城壁上へと昇る。
既に襲撃に備えて城壁は堅く閉ざされ、その上へ登らねば敵を視認出来ないが故であった。
「ん……発見からまだそんなに時間が経っていないのに、もう随分と近付いているな。
だが……さすがに目視でどこの者か見極めるのは難しいか……」
「せやったらええもんがあんで~」
不意に一刀の背後から声が掛かる。
地平に向けて細めていた目を戻し、視線を背後にやると、そこには真桜が何やら筒を差し出して立っていた。
「これは?」
「ウチの新しい発明や!
ほれ、稟とか人和が掛けとる眼鏡ってあるやろ?
あれ、上手いこと利用してなんか作れへんかなぁ、思っててな。
眼鏡作れる工兵の奴らと色々試しとったら出来上がったんがこれや!つこてみ?」
見るからに、筒の一方から覗くのだろう。
それに何よりこの形である。もしや、と思いつつ、それを覗いてみると――――
「あ、一刀はん。そっちは――――」
「…………小っさ。逆か、これ」
肉眼で見るよりも遠くなってしまった景色に思わず一刀の口から呟きが漏れた。
気を取り直して、筒を前後逆転させる。
そして再び覗き込めば、視界に広がるのは拡大された前方の景色であった。
「どや?凄いやろ~!」
「ああ、凄い。改めて真桜を尊敬するよ。
なんのヒント――すまない、手掛かりも無しに望遠鏡を作り上げてしまうとは……」
一刀は素直に驚きを隠せない。倍率はそれほどでも無いものの、確かにそれは望遠鏡なのであった。
この世界において眼鏡の存在はオーバーテクノロジーではあった。
それでも、外史という概念を聞けば、なるほどと納得することもギリギリながら出来た。
ところが、である。これを利用して更なるオーバーテクノロジーな物品を作り上げてしまう者がいるなど、想像もし難い。
そんな人物、真桜が味方にいることが頼もしくもあり、同時に”恐ろしく”も感じていた。
(この外史は独自の歴史をたどり始めている、だったか?だったら尚更……
…………もしかすると、あの依頼は失敗だったかも知れないなぁ)
真桜の技術力についてどう捉えるべきか、内心で自問自答は絶えない。
が、今は無理矢理にでも脇に置いておかねばならない。
強めに首を振って余計な思考を頭から追い出すと、一刀は改めて望遠鏡を覗き込む。
その視界の中央に敵軍を捉え、兵装から大凡どこの軍勢かを探ろうとし――――
「ん?……ぇ、あれ?」
その兵装を認識した一刀の口から奇妙な声が漏れ出した。
「ちょ……変な声出してどないしたん、一刀はん?」
「…………」
真桜の問いに、しかし一刀は答えない。
その頭の中では今目にした事態についての考察が高速で為されていた。
「…………真桜。すまないが華琳と桂花を呼んできてくれ」
やがて一刀がポツリと漏らしたのはそんな言葉であった。
「これは……華琳様、一刀の見立てに間違いは無いと思います」
華琳が、桂花が、それぞれ到着するや、一刀から望遠鏡の説明を受けてそれを用いて前方の部隊に焦点を合わせる。
その発明にこんな事態の中ながらも若干よくなった華琳の機嫌も、レンズ内に広がる光景によってすぐに元へと戻ってしまっていた。
「ええ、でしょうね。私も同じ意見よ。
ところで気になったのだけれど、あの部隊、行軍速度を落としているのではなくて?」
「何が理由かは分からないが、恐らく許昌を目視したことで速度を落としたんだろう。
事実、視界に入って暫くしたら目に見えて速度が落ちたからな」
華琳のちょっとした疑問にはずっと観察を続けていた一刀が答えた。
「そう。まあ、それはいいわね。では聞くわ。
一刀、桂花。あなた達は”これ”についてどう考えているのかしら?」
”これ”とはつまり、華琳達がたった今目にしたもの。それは部隊の兵装から割り出されたその正体に他ならない。
今現在許昌の目前にまで迫っている部隊のその正体は、つい先日に相対したばかりの馬軍のものなのでった。
「俺からは何とも言えない。が、気になる点が一つ。
どうにも兵装が薄い気がするんだ。それによく見れば陣形を取って行軍しているわけでもなさそうなんだが……」
「ふむ……桂花はどうかしら?」
「私個人の所見ですが。あの馬軍は攻めてきたものでは無いと考えます」
桂花が言い切ったその内容に華琳の目が俄かに細められる。
鋭さの宿った声音で華琳は桂花に問い質す。
「それはどうしてかしら?」
「一言で言えば、早過ぎます。そして少な過ぎます」
「少ないのは分かるわ。早過ぎる、というのは?」
「単純に向こうの拠点から許昌までの到達時間から逆算しますと、遅くとも私たちが訪れた二、三日後にはあの部隊は出たことになります。
尤も、通常の行軍をあの部隊が行っていたのであれば、の話ですが。
加えて、馬騰ほどの者があのような別れ方をしてからものの数日で、それも旗も掲げずに攻めて来るとは、あまり思えません」
「なるほど。それには確かに同意するわ。
でも、だったらあの部隊は一体何なのかしらね?」
「それは……」
華琳に問われ、言葉に詰まる桂花。
いくら相手の正体を明確に認識出来たとて、未だ情報が足りていないことには変わりない。
桂花も現在進行形で頭をフル回転させている。
攻め込んで来たという考えは排除して良い。では何が残るのか。
友誼、貿易、交渉、助勢依頼、ややもすれば改めての明確な宣戦布告か。
様々な考えが桂花の頭を過ぎっては部隊を構成しているだとか頭或いはそれに準ずる地位の者がいないことだとかが原因で却下されていく。
結局、桂花は答えることが出来ず、唸り続けることとなり。
このままでは消極的な現状維持で事態がどう転ぶかも分からない。
ならば、と一刀は決意した。
「華琳。俺が行って直接接触して来る。
念のため、俺が出たら再び門は閉めておいてくれ」
言ってすぐに歩み出し始めた一刀の背に、華琳と桂花の声が投げられる。
「待ちなさい、一刀。貴方は自分の立場を理解しているのかしら?
貴方は一人の武官である前に、今や魏国の象徴の一つとも言える”天の御遣い”であることを忘れないで頂戴」
「あんた、本気でバカなんじゃないの?!
っていうか、一人で突っ込む気?!バカは春蘭だけで十分よ!」
言葉は違えど、無謀は止めろ、と訴えかけてくる点は変わらない。
が、一刀は先ほどの会話から引用して反論する。
「攻めて来たわけではないだろうとの結論は付いたはずだよな?なら、敵性は薄いと見て行動する。
部隊を組んではいるが、どうにも軽装。だったら、あれは使者の護衛程度のものなんじゃないか?それにしては少し多い気もするが、な。
仮に何等かの使者だったとすれば、その内容次第でまたこちらの対応も変えなくてはならない。
その他の何かしらだったとして、それならば尚更早くに向こうの目的を知る必要があることは確かだ。
立場と武の心得があるからこそ、俺が直接行く。いざとなっても逃げ切る自信はある。
まあ、城壁上に十文字を持たせた火輪隊の連中でも配置しておけば、一連の動きもより確実になるだろう。
こっちから自発的に動いて事態の収拾をつけるべきなんだ、多少の危険性くらいは覚悟しないとな。
それとも、このまま向こうが事態を動かすまで引き篭もる選択を取るつもりなのか?」
受動的でおらずに能動的に。それは華琳も桂花も思うところであった。
「……いいわ。ならば、一刀。きっちりとその目的を暴き出して来なさい」
「ああ、勿論だ」
「華琳様?!よろしいのですか?!」
「一刀の言にも一理あるもの。但し、一刀、もう一つ命令よ。
例えどれほど予想外の事態に陥っても、無様な死だけは晒さないこと。
もしもそうなれば、魏国にとって幾通りもの意味で痛手となるのだから」
「承知した。まあ、可能性は低いとは思うが、最悪の場合はそれは見事な立ち往生をご覧に入れると約束するよ」
華琳の言葉にそのように軽く応じ、背中越しに手を挙げてから一刀は城壁を降りて行くのだった。
「さて、と……アル、すまないが頼むぞ」
一刀を背に乗せ、愛馬が嘶く。それはまるで任せろとでも言っているかのよう。
人の言葉を完璧に解しているのでは無いかと疑うほどに、アルと赤兎は一刀や恋の言葉に応じてくれるのだ。
「開門してくれ!但し、俺が出たらすぐに閉門せよ!」
一刀の命により、許昌の門が開かれる。
人一人分より少し広い程度に門が開けられ、そこから一刀を乗せたアルがするりと抜け出す。
そして、そのまま閉まる門には一瞥もくれずに駆けだした。
目指すは前方、目的不明の馬軍。
まずはその指揮官が誰なのかを割り出さなければならない。
真桜から受け取った望遠鏡を手に、一刀は接近しながら馬上からその指揮官たる人物を探る。
こういった芸当が出来るのは、今更のことながら偏に鞍と鐙を量産してくれた真桜のおかげだろう。
騎馬戦力の質もかなり向上したとあって、華琳から手放しのお褒めも貰っているほどの出来栄えであった。
鬼が出るか蛇が出るか。さしもの一刀も緊張を隠せなかった。
既に向こうの部隊の足はゆったりとした駈歩となっていて、一刀の側が速度を出して近づくような形である。
とは言え、あまり許昌から離れすぎるわけにもいかない。
適度の速度を調節しながら、一刀は望遠鏡を覗き込んだ。
やがて、一刀の目は馬軍の中にその姿を見る。
「……っ!鶸、それに蒲公英、だと?」
馬騰――は拠点を離れられないにしても、何等かの交渉事ならば馬超辺りが来ていたとしても不思議は無い。
あるいは旗を持っていないような中堅以下の者が代表の可能性も考えていた。
つまり、一刀の考えではわざわざ部隊を率いてまで現れるのは最上部の者か下の方の者。
それだけに、言ってみれば馬軍の中堅どころの二人がこの場にいることに驚きを隠せなかったのである。
「一体何故……いや、何にせよ、あの二人なら話は早いか。
…………どう転がるにせよ、な」
「う~~ん……どうしよう……」
「ちょっと~、鶸ちゃ~ん?いつまでこうしてるつもりなの~?」
「ぅ……だ、だからごめんって言ってるでしょ?
ちょっとだけ突っ走りすぎちゃっただけなんだし……」
「でもさ~、いくら何でも許昌手前まで来てから、『何にも考えてなかった!』なんて、いくら蒲公英でもずっこけちゃったよ」
馬軍では今まさに鶸と蒲公英がそんな会話を交わしているところであった。
あの日、馬騰から二人が呼び出された日。
そこで聞かされた馬騰の言葉は、実に単純明快であった。
曰く、自分の心に正直に行動しろ。馬家の娘らしく、己が信念に従え。
ただ、それだけ。たったそれだけの一言。しかし、それは二人の心を震わせるに十分であった。
一刀や華琳たちと特殊な状況下から平常時まで直に触れ合った二人は、既に十分に信用に足ると判断していたのである。
馬騰は二人に告げた後、露骨な欠伸と共に、今夜はもう寝る、何があっても起こすな、と宣言していた。
暗に、今夜中に決めろ、との宣告。
鶸と蒲公英はたっぷり一刻は悩み、そして。
今ここに、許昌の前まで来ているということは、つまりそういうことなのであった。ただ――――
「だって、母さまからいきなりあんなこと言われて、本当に急なことだったじゃないっ?!」
「でもさぁ、何日もあったんじゃん?鶸ちゃんのことだから、その間にきっと、って蒲公英は思ってたんだけどなぁ~」
「蒲公英は忘れているみたいだけど、私だって武官だよぉっ!!
そんな急場凌ぎに頭を回転させて妙案なんて出てこないよぉっ!!」
ただ何かに追われるようにしてここまで走ってきただけで、名目も何も考えてはいなかったのであった。
「というか、蒲公英もちょっとは考えて――――」
「馬休様!馬岱様!前方より近づく騎影を一つ視認致しました!」
鶸が蒲公英に尚も食って掛かろうとした刹那、その言葉を遮るようにして駆け寄った兵の報告が響いた。
「ええっ?!で、でも、門は閉められていたはず……
流浪の旅人か何かですか?」
「いえ、その様ではありません。恐らくですが、防衛戦力の一部では無いかと。
許昌からの一直線上におりますので」
兵の報告に鶸は考え込む。
門が閉ざされていることは既に目視で確認されている。
明らかに敵対的存在として認識されている現状で、たった一騎で向かってくるというところが腑に落ちない。
先程自らも言っていたように、武官たる身であって、手伝いはしていても本職としての文官では無い鶸にとって、相手のその目的を明確に推測することは困難なのであった。
「一先ず、警戒しつつ現状維持をしてください。私も前に行きます。
それと、再度周知徹底してください。決してこちらから手を出さない、と。
私達の目的の為にも」
「はっ!」
鶸の命に従い、兵は去る。
「それじゃあ、蒲公英。私は――」
「んも~ぅ、鶸ちゃんは水臭いなぁ。蒲公英も一緒に行くって」
「そう?それじゃあお願い」
口では色々言っていても、本気で鶸に全てを押し付ける気など、蒲公英には無かった。
故に、結局は二人揃って前線にまで出ていくのであった。
「皆さん、止まってください!武器も決して構えないように!」
「蒲公英たちが良いって言うまで待機だからね~!
いい?私達が何をし出しても、絶対に命令を出すまでは待機だよ!」
馬軍に十分に近づいた一刀がまず目にしたのは、軍の先頭に出て来て隊全体にそう声を掛ける鶸と蒲公英の二人であった。
その内容から、桂花の予想通りに侵攻の可能性はほぼ完全に潰える。
では真の目的は何かと問われれば、それを今から聞けば良いのである。
すぅっと息を吸い込む。目の前の部隊を知り合いの枠から無理矢理外し、義務的に言葉を紡ぐ。
「そちらは馬一族の部隊と見受ける!
我が名は北郷一刀!世に言う”天の御遣い”なり!
使者も無く、我らが魏国が都、許昌に部隊を近づけるこの愚行、実に許し難し所業なり!申し開きあらば、今、申してみよ!」
声を張り上げ、高らかに宣言する。
されど、眼前の馬軍に動揺は全く見られなかった。
代わりに鶸が一刀同様に声を張り上げる。
「事前に使者をお送り出来なかった不手際は謝罪いたします!
ですが、我らは魏に敵対するものではありません!どうか、それは信じて頂きたい!
我らは馬軍より離脱した者!お許し頂けるのであれば、魏国に我らが身柄、預けんがためここまで急遽馳せ参じた次第にございます!!
書状のような、証明出来るものはありません!
ですが、この我が身を、馬家当主たる馬騰が次女、馬休の身柄を無条件にて引き渡すことを証明の代わりとさせて納得いただきたい!」
そう言うや、鶸は大袈裟とも言える大きな動作を以て武装を解除していく。
全武装を解除し、さらに愛馬からも降り、宣言通りに完全なる無防備状態にて一刀の下へと歩んだ。
その様子を一刀は無言で見つめる。
視線は鶸に、意識は後方の部隊と蒲公英に。それぞれ些細な動きも見逃さんと目を光らせていた。
その警戒も、鶸がいよいよ触れるほどにまで近寄ってくると、自然、解かれていた。
「鶸、君の覚悟は見届けた。
どういう経緯かは知らないが、どうやら本当のことのようだな。
……分かった。取り敢えず、鶸と蒲公英にはうちの首脳陣と会ってもらう。
その場で説明してもらいたい。それでいいか?」
「はい、十分です。
ありがとうございます、一刀さん」
若干の逡巡の後、一刀の独断であるが、鶸たちを一時受け入れることを決めた。
事の真偽・真相は桂花たち頭脳労働が本職の人間に任せれば良い。
「アル、いけるか?」
一刀の問いかけにフシュルルと鼻ラッパで諾と答えるアル。
感謝と労い、そしてあと少し頑張ってくれとの想いを込めてアルの首を撫でてやってから、一刀は鶸をその背に引き上げた。
「鶸。一度馬軍に寄せる。
蒲公英に頼んで部隊を統率し、許昌門前まで非武装で運ばせてくれ」
「は、はいっ!」
「よし。行くぞっ!」
一刀の号令にアルが力強く地を蹴り。
停滞しかけていた事態が速度を増して動き始めた。
簡易に設えた、とも言えない取り敢えずの天幕が許昌城門内すぐのところには組み立てられていた。
緊急の軍議に用いるためである。
そこに集められた多くの顔には戸惑いの色が浮かぶ。
一方で訳知り顔でその場にいるのは、西涼への遠征に参加した面々であった。
鶸と蒲公英は並み居る錚々たるメンバーを目の前にしても臆した様子は無い。
それは実際に華琳からの問い掛けが始まっても同じであった。
「さて。鶸、蒲公英。一刀から一応の話は聞いたわ。
何でも馬家からの離脱ですって?どうしてそのようなことになっているのか、聞かせてもらいましょうか」
「はい。
まず、あの後の馬家の動きなのですが、馬軍はあの街を出ました。
連合はそのままに、馬家のみが離脱した形となります。
基本的に、連合の残りの戦力でも西涼の防衛には問題無いと判断できますし、母さまからの直接の指示もあるので連合の瓦解や西涼の陥落は心配ありません」
話の出端のジャブ。これが中々強力であった。
西涼のまさかの動き。これは実に予想外――――否、本気の本気で魏と正面から争うともなれば、取り得る選択肢の一つではある。
但し、魏の予想がそこに至るにはまだ少し時が必要であったために、現段階では予想外の一言なのである。
「母さま――馬騰は魏と華琳さん、そして一刀さんを正確に量るために、とある勢力に肩入れすることを決めました。
それが、劉玄徳。蜀です。恐らく、今頃は既に到達し、馬軍はその麾下に収まっているかと」
ジャブから続くストレート。
この話が意味するところはつまり、孫呉に続く強大な障壁が誕生していたということであった。
この時、華琳はふとかつて一刀に聞いた話を思い出していたそうだ。
華琳の覇道の大きな壁となる二人の存在。劉備と孫権。後の会話で少し訂正され、劉備と孫家。
なるほど、確かにこれは非常に大きな壁だ、と改めて納得をしていたらしい。
「その道中のことですが、母さまは私達に直接話して聞かせたことがありました。
私達の心の赴くままに従えばいい、と。
母さまはあの時、華琳さん達を量ると言い、敵対すると宣言しました。
ですが私は、いえ、私と蒲公英は、既にあなた方を信用するに足ると判断しきっていました。
ですので、私達の心に従った結果、私達は魏に加勢したいと考えるに至ったのです」
華琳は黙ったまま鶸の瞳を覗き込む。同様に蒲公英にも。
そうしてその真意を探り出そうとしていた。
桂花を含め、魏の軍師も皆口を噤む。
華琳に意見を求められればすぐにでも答える準備を整えつつも、華琳が黙っている限りはそれに従わんとしていた。
華琳がじっくりと二人の瞳を観察すること数分、ようやくその口が開かれる。
「我が麾下に加わるということの意味、真に理解しているのかしら?」
「はい、勿論です。全てを理解し、納得した上で軍を抜けてきていますから」
「蒲公英も、その覚悟はしていますよ。
例え相手がおば様だろうと翠姉様だろうと、相対することがあれば、全力で戦います」
即答。それはもう清々しいほどの即答であった。
まるで用意してあったかの如くスラスラと出された回答に、訝しむような顔を見せる軍師もいた。
が、この回答に意味深な笑みを漏らしたのが誰あろう華琳と一刀だった。
「いいわね。気に入ったわ、鶸、蒲公英!
貴女達の参入を認めましょう!」
「っ!あ、ありがとうございますっ!」 「お、お待ちください、華琳様っ!」
鶸達の感謝の声と、零の異議の声が重なって場に響いた。
華琳の視線は零に向かい、話せ、と語っている。零はすぐにそれに応えた。
「この者達と華琳様の間に既に親交があったことは聞き及んでおります。
ですが、それ以前に彼女たちは馬騰の手の者!大胆不敵に過ぎる正面からの潜入作戦の可能性もまだ捨てきれません!」
「そうね、そうかも知れないわ」
「でしたらっ――――」
「それでも、よ、零。
例えその可能性があったとて、ああも平然と元居た軍を切ってきたと言えるところを気に入ったのよ。
真の事であれば、その覚悟を買ったことになる。
仮に偽りだったとして、その胆力は素晴らしいものよ。その場合は、一時的とはいえ優秀な手駒を確保出来たという考え方ね。
どちらにせよ、一刀がまず直接その目で確かめた上で連れてきているのだから、そうそう単純な読み間違いはしていないでしょう」
「ぅ……」
一刀と華琳。魏の誰もが認める、魏国におけるトップクラスの人選眼の持ち主。
その二人を通して参入を認められた以上、これに異を唱えることは、二人に楯突くことを意味する。
零とて人を見る目は持っている。その能力は先の二人にも引けを取らない。
が、今回ばかりは条件が悪かった。
華琳も一刀も、鶸や蒲公英と親交を結んでいるだけあり、その為人も良く知っている。
そんな詳細情報は、しかし零の中には存在しないのだ。
この状態で華琳と一刀が諾とし、零が一人否としたところで、最終的な決定は諾にしかならない。
「……わ、分かりました。申し訳ありません」
結局、この場は零が引き下がるのであった。
「いえ、いいわ。むしろ、好都合よ。
零。万が一ということもあるわ。貴女が二人を信用するまでは、目を光らせておいてちょうだい」
「は、はっ!」
上に立つ華琳からすれば、零のようなポジションの人間は重要なもの。
だからこそ、一切咎めることをせず、その任を与えるのであった。
「さて。鶸も蒲公英も武官ということでいいのかしら?」
「はい、そのようにしていただければ。
多少であれば私も文官の仕事を齧ってはおりますが」
「そう。分かったわ。
では、一先ず表の部隊を入れ、桂花にその詳細を伝えておいてちょうだい。
軍議は以上よ!皆、緊急ながら迅速な対応に感謝する!
各自、持ち場に戻りなさい!」
この華琳の号を以て、当初の緊張感からは想像もつかないほどあっさりと事態は鎮静化したのであった。
魏国にしては珍しく、随分とバタバタした一件であったのだが……
「ほら、行くよ、蒲公英」
「うえぇ~……もうちょっとだけ休みたかったなぁ~」
そのような小さなマイナスを補って余りあるプラス要素を、戦列に加えることが出来たのであった。
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第九十一話の投稿です。
ピリピリ?いえ、ホンワカです。