No.803348

「CONTRADICTION」

蓮城美月さん

剣士×考古学者。二人の微妙な関係を描いた物語。
ダウンロード版同人誌のサンプル(単一作品・全文)です。
B6判 / 090P / \200
http://www.dlsite.com/girls/work/=/product_id/RJ159353.html

2015-09-20 22:10:34 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:2031   閲覧ユーザー数:2018

◆CONTENT◆

 

BORDER LINE

年上の女

恋なんて知らない

POISON

GRAVITY

欺瞞と本能

EDGE

縲絏の楔

HEAVILY

はじまりの予感

彷徨

GAZE

NEEDFUL

想いの行方

STING

 

EDGE

 

――――その鋭さで、わたしを斬り捨てて。

 

初めて、彼が本気で戦っているところを見た。普段の、実力差が明確な相手への加減した戦闘ではなく、眼差しも太刀筋もピンと張りつめた剣戟。正当な流派からは次の動きを想定できない我流の剣。実戦のみを目的とした技の数々は、鋭く相手を捉えていく。格の違う人間には見切ることすらできない、隙のない剣だ。こんな剣を、これほどの若さで振るっているなんて。彼は一体、どんな生き方をしてきたのだろう。

もともとは賞金稼ぎ、それは知っていた。東の海で名を馳せていた強さは伊達ではない。有能な人材を求めるバロックワークス社が彼をスカウトしたこともあったが、まるで相手にされず、こちらへの損失付きで断られた。そのときは、おかしな男もいるものだと思った。大抵の人間は金や権力に弱い。バロックワークスの主力幹部たちは自らの欲望を果たすため、さまざまな条件で社員となったのだ。こちらは相応の待遇を用意していたが、彼の求めるものは違ったらしい。

『世界一の大剣豪』

この船の狙撃手から聞いた彼の野望。たったひとつ、それを叶えるために戦っているのだと。剣を振るう姿が目に焼きつく。人の身体は、こんなにもしなやかなものなのか。

キラリと閃く刃に思わず魅入られる。未知のウイルスに侵されたように、心を奪われた。この男は振るう剣などより、その存在のほうが危険だ。ある種の人間にとって、己の存在はとても重要で意義深いことに、彼自身はまったく気づいていない。

「あなたは、とても綺麗な立ち回りを見せるのね」

たまたま二人きりになった際、そう話しかけた。別段彼に取り入ろうとか、警戒を解こうという意図はない。ただ、心から感じたことを伝えたかったのだ。彼は油断のない眼でわたしを一瞥し、視線を元に戻した。わたしと必要以上に話す気がないのか、それとも剣に無知な者がそれを語るなど許せないのか。少なくとも、自身の剣術についての批評は興味の対象外らしい。

「一分の曇りもない強い剣なんて、初めて見たわ」

改めて携える三本の刀と男を見つめる。この男は、自身が意志を貫く強い剣なのだ。並大抵の人間では簡単に折れてしまうだろうが、目の前の剣士は強靭な、そしてどこかに繊細さを潜めた刃。決してどんな敵にも屈することはない。

彼の剣は、それほどわたしという人間にとって衝撃だった。あんな風に斬られたら、世界は美しいままに死ねるだろうか。あの刃に心臓を貫かれてみたい――――そう思った。

「あなたに斬られた人は、どんな気持ちなのかしら」

どうせ答えは返ってこないだろうと思いつつ、独り言のように呟いた。率直に気になったのだ。無駄のない斬撃は、人間の肉体にどう作用するのか。

「……おれにわかるはずないだろうが」

無愛想な声が返ってきて、驚きを含んだ眼差しでそちらを見る。

「そうよね。あなたは斬られた人じゃないもの」

「まあ、おれを恨むってのが妥当なところだな」

自虐的な言葉に聞こえたが、彼の表情は平静だ。やはり剣を使う者として、その重さは自覚しているらしい。実年齢の割に落ち着いているのは、進む道の厳しさや険しさゆえだろう。

「訊いてもいいかしら?」

「とっくにひとつ訊いてるだろ」

声色からは、面倒だと思っているがそれほど嫌だという気配は感じなかった。だから思い切って口にする。おそらくはだれも訊かれたくないだろうことを。

「……その刀で、だれかの生命を断ち切ったことは?」

直視して問うたわたしを、彼は鋭い瞳で貫く。猛々しい獣を連想させる、危険な色をしていた。けれど、わたしはそれが怖くない。むしろ近づきたい、そんな眼差し。

彼はこちらの真意を探るように様子を伺っていたが、おかしな計略ではなく単なる疑問だと判断すると、短く言った。

「てめェは?」

返ってきたのは問いに対する答えではなく、問い返す言葉。

「この能力で、ということ?」

「ああ」

刹那逡巡したあと、軽くはない口を開く。こんなこと、容易に話せることではない。それを訊こうというのだから、こちらも話さなければフェアじゃない。

「不可抗力でならあるわ、一度」

心の奥底に閉じ込めた苦い記憶が、そのときの感覚が、肌を通して冷たく伝わってくる。

「どんな理由があったにしても罪は罪。なにも言い訳をするつもりはないわ」

急に体温が下がったような気がして、両腕で身体を包み込んだ。どれだけ時間が流れても、忘れられるはずはない。

「おれも…同じようなもんだ」

沈み込んでいく精神を感じていたとき、彼が不意に告げた。今までに聞いたことのない、低く真摯な声。

「一人――――殺意をもって死に至らしめたワケじゃねェが」

痛苦がにじみ出る表情。そんな彼を見て、とっさに言葉を発していた。

「わかるわよ、それくらい」

慰めでも同情でもない。だけど、彼を見ていて本当にそう思ったから。

「…お前になにがわかる?」

安直な気休めだと思ったのか、彼はうなるようにこちらを睨んだ。まったく分かりやすい性格をしている。わたしは肩をすくめて補足した。

「あなたの剣を見ればわかるわ。一点の曇りもない美しい刀。刀には持ち主の資質が表れると言うでしょう。だから、あなたの剣は汚れてなんかいない」

彼の剣から感じたことを思ったまま伝える。すると、今度は目をそらして黙り込んでしまった。

「これでも二十年、裏の世界を渡り歩いてきたのよ。いろいろな人間を見てきたし、わたし自身も闇に手を染めてきた。そのわたしが言うのだから、間違いないわ」

「根拠としては…頼りねェな」

断言したわたしに、彼は小さく苦笑した。そして深い呼吸をひとつすると、静かに語りだした。

「因縁もねェ、ただの通りすがりだ。殺す気なんて毛頭ない、むしろその逆で。そいつの事情を知ったら、死なせたくないと思った。だが…助からない深手を負って、あとは時間の問題で。事切れるまで数分か、あるいは数日か。その間ずっと、肉体と…それ以上にボロボロの精神には苦しみしかない。だとしたら、もう『死』にしか救いがないとすれば…あのまま生かし続けるほうが酷だと思ったんだ」

わたしがその件を忘れられないように、彼もまた己の行為を悔いている。そうするしかなかったのだと、他に術はなかったのだと分かっていても、心は簡単に割りきれない。消えない傷跡のようにずっと刻まれている。それを忘れることなんてできない、だけど…そのときの自分を許してあげることで、背負った咎も少しは軽くなるだろう。

沈痛な面持ちの彼を抱きしめたいと思った。優しく頭を撫でて「あなたのせいじゃないのよ」とささやきたい。こういうのを母性というのかしら。密かに思うけれど、実際にはそんなことはできない、彼がさせてはくれない。信用のない女に触れられるのは、嫌なはずだから。第一、女に慰められることを頭から拒否するタイプだ。

「…なんで、てめェにこんな話してんだ? おれは」

感傷的な精神から立ち直り、冷静になったところで彼は自問した。よく考えれば、掘り下げた内容など必要なかったのに。らしくもなく、多くを語ってしまった自分が意外だったのだろう。きっと心のどこかでは、だれかに聞いてほしかったのかもしれない。そうすることで、自分の中でもひとまずの区切りにはなる。

わたし以外のクルーでは、純粋すぎて話せない。人の世界の闇の部分を知っている存在が、ちょうど目の前にいたから。この船にとって…いや、彼にとっては目障りでしかない自分が、ほんの些細なことでも役に立ったのなら嬉しいと思う。そして、彼に対する認識をまた新たにした。

強くてたくましくて、それでいて繊細で。その刃の鋭さは、己のためだけではなく相手のためでもある。彼の剣は、どんなことがあっても折れない。この男の進む道を、ずっと見ていたいと思った。彼の剣に惹かれたのはきっと強さにではなく、その裏に隠されたもの。

「あなた、本当は」

不本意な顔で佇む彼に、わたしは微笑みながら言った。

「優しいのね」

 

――――その優しさで、わたしを斬ってくれたら…いいのに。

 

STING

 

――――なにも言わない、言わせない。それだけは、心の中で決めたこと。

 

航海中の船は穏やかな海域を進む。安定した気候もあって、だれもがのどかに過ごしていた。コックはキッチンでおやつを作り、ナミはみかんの手入れ。ルフィとチョッパーは目を輝かせて、ウソップの発明を見物している。あの女はデッキチェアでくつろぎ読書中、おれは後部甲板で昼寝をしていた。

目指す島はまだ見えず、緩やかな時間が流れる。当面は急を要することなど起こらないだろう。遠慮なく熟睡しようと思ったとき、歩いてくる足音がした。それがだれのものであるかは、すぐに判断がつく。同じ船に乗り合わせていると、仲間の気配や足音はすっかり身体が覚えてしまった。甲板上に出ている場合なら、どこにいるのかさえ感知できる。今接近しているこの気配は…。

眠ろうとした精神を叩き起こし、油断しないように張りつめる。他の連中なら本気で寝ていてもそのまま眠り続けるが、あの女が相手ならそうはいかない。

女がこの船に乗り込んでからそれなりの時間が経過して、敵意や警戒はだんだん薄れていった。女が時折見せるあどけない顔や、屈託のない笑顔。クルーの一人としても、ちゃんと連中の役に立っていて。二人で話すうちに、おれも女のことを理解するようになっていた。

心の底にはまだおれたちに見せていないものを漠然と感じるものの、この船にとって害はないかもしれない。なによりルフィが「悪い奴じゃない」と言い切った。あいつの動物的な勘は、意外に当たっていることが多いのだ。

理由は多々こじつけても、一緒にいるうちに情が移ってしまったのだろう。あの女が裏切らない限りは仲間として扱ってもいいと、そう思いかけていた。ただ、あくまで完全に信用しきることは許さず。

いつか女が言った、「裏切りの形はひとつじゃない」という言葉。自分が望まずとも、そうせざるを得なくなるときが来るかもしれない、という意図を察した。つまり、あの女にはそんな事象が起きる可能性と要因があるのだ。

それならば、おれは最後の一線で踏み止まっておくべきだ。女を全面的に信じてしまうのではなく、不審の目を残して。そうでなければ、いざ状況が悪化したときにだれも動けない。それは、この一味に最悪の事態を呼び込む危険性を示唆する。だからおれは、あの女が本当の仲間になるまで完全には信用しない。

女はゆっくりとした足取りでこちらへ歩み寄ってくる。当初は近づかれると軽く殺気を込めて牽制したものだが、慣れてくると効果が薄れてきてしまい、無意味だと思ってやめた。いい意味でも悪い意味でも、おれも女も互いの存在に馴染んでしまった。

二人きりのときにいろいろ話をするせいか、ついうっかり喋りすぎることもある。今までこの船にはおれより年上の人間はいなかったし、気を使わずになんでも話せる相手がいなかったせいかもしれない。

あの女は、おれのことを責任感が強すぎると言ったが、冷静に考えるとそういう一面もあったような気がする。無邪気で純粋な連中を見ていると、あいつらを守るのは自分の役目だと思えたし、感情的なことを打ち明けられないとも感じた。多分、理解できないだろうと知っていたから。

複雑さや言葉には表現しづらい感覚を、連中に分かってもらうのは無理だ。その点、あの女は裏世界を生き抜いた人生経験から知っている。理解してもらえる相手がいるということは、予想以上に安堵感を生むものらしい。

それが依存かもしれないと気づいたとき、このままではいけないと思った。安易に状況に流されて自分を甘やかすのは、おれらしくない。そうして自分を律しようと心がけたのだけれど、違和感を覚えた。

なにか胸をざわめかせる衝動、心を突き動かす視線。依存なんてのはただの体裁、言い訳だ。あの女に対する感情が、なにか違うもののような気がする。仲間としては認めつつあったのに、今度は別の意味で気を許せなくなった。

女が近づいてくると思考能力が乱される。冷静でいるつもりがそうじゃなくなって、判断力さえ鈍ってしまう。それがどうしてなのか、分かるような気がしたけれど認められないでいた。いや、なにも認めるつもりはない。感情に流されれば、狂うのは己の運命だ。女はそっとおれに近づき、上着をかけようとした。

「――――いらねェよ」

目をつむったまま無愛想に告げると、女はその手を止める。

「起きてたの?」

行き場のなくなった上着に困惑しながら問いかける女。

「わかってて近づいたんじゃねェのかよ」

おれは双眸を開いて、ため息混じりに呟いた。

「どうして、わたしがわかっていると思うの?」

「…知るか」

話が好まない方向へ進む前に遮断する。こういう問答になったら、おれに勝ち目はない。図星を指され、返答に困窮して黙り込むのがオチだ。

「とにかく、余計なことするな」

「そんな格好で寝ていたら風邪を引くわ。天気はいいけど風は冷たいのよ」

「おれはそんなにヤワじゃない。そういう気遣いは他の奴にしてやれ」

女に奇妙な感情を持っていると自覚したのは、少し前のこと。その気持ちが生じたのはいつからだったのかと問われれば、明確な区切りなどありはしない。ただいつの間にか、自分でも気づかない間に…心は侵されていた。性質の悪いウイルスに。

だけどその感情を容認できない、受け容れられるはずもないおれには、拒絶や否定しか術がなかった。今のように故意に突き放した態度を見せて、あの女を嫌いなふりをする。そうして自分に近づくことをためらってくれればいいと思った。

だが、願ったように事は運ばない。事態はおれが考えるよりも、もっと悪い方向へ進んでいたのだ。それを知ったのはごく最近。おれはいつものようにトレーニングをしていて、あの女は読書をしながらその様子を眺めていた。

「観察しているのよ」

と公言して以来、見物されている。若干視線が気になったが、かまうのも面倒だと思って放置しておいた。たまに「見てんじゃねェよ」と睨みつけても女はまるで気にもせず、にっこりと笑って観察を続けるだけだった。

しかし、あの女はなにを思っておれを観察してやがるんだと、不意に視線を向けたとき。女は驚き、慌てて目をそらした。手元の本へ顔を向け、何事もなかったふりをする。挙動不審さの理由が分からず、おれは女を注視していた。

そのときの女が今までに見たこともない表情をしていたので、意外だったというか、印象に残った。女は平静を装ってページをめくるが、隣のチョッパーには異変を気づかれたらしい。

「どうしたんだ、ロビン。耳が真っ赤だぞ?」

無邪気な瞳に問われ、落ち着かない態度の女は「なんでもないのよ」と作り笑いを浮かべる。ごまかしてその場をやり過ごそうとした。普段ならどんな苦境に立たされたとしても、余裕のすまし顔でポーカーフェイスを保っている女が、なんであんな表情…。

その疑問が浮かんだ瞬間、ある答えが脳裏を過ぎる。すぐさまありえないと打ち消したけれど、否定し切れなかった。それが女の計略でないかと疑ってみても、この女はそんな真似をしないと、根拠のない自信が断言する。体力ほどは鍛えていない頭脳をフル活動させて導き出された結論は、おれが最も歓迎しないものだった。

――――あの女は、多分…。うぬぼれなんかじゃない、視線で感じる。あの女から発せられる感情は、おれと同じものだ。いっそ、おれのバカな勘違いであってくれればよかったのに。気づいてしまった、知ってしまった。

しかし、それだけならまだ問題はなかった。お互いがどんな気持ちを持っていたとしても、黙っていれば。間違っても相手に伝えようなどと思わなければ、そのままにしておけたのに。女の性格からして、そんなことを言うはずないと思っていた。

二人の関係性、現在の状況、取り巻く環境、そういうものを熟慮すれば、自分の些細な感情など切り捨てるか、胸にしまっておくだろうと予測していた。なのに、女は想定外の選択肢を選んだ。自分の感情をおれに告げるつもりだ。

そうと知ってから、女に意識的な予防線を張るようになった。会話において、隙を見せないように心がけた。絶対にその台詞を言わせないように、おれも言葉を引き出されないように。

おれはこんなところで妙なものに引っかかるわけにはいかない。ひとつのものを追うことに精一杯で、余裕なんてない。これ以上のものは背負えない。だからなんでもないふりをしてみせる。お前のことなんてなんとも思っちゃいねェんだよ、と。自分の気持ちにも、あの女の気持ちにも気づかないふりをして。逃げるの? と非難されてもかまわない。

「あなたはどうして、わたしの言葉を遮るの?」

女が静かに問いかける。深く切ない声色が悪魔のささやきに思えた。いつだって可能性を拒み、耳を塞いで。おれは自分の感情を一切認めず、女の感情もすべて否定する。もちろん、気持ちを表現する言葉なんて一言も言わないし、言わせない。そういう姿勢を貫くおれに、不満は当然あるだろう。けれど、おれの意思は変わらない。

「なにも言葉にしなくても、わかっているくせに」

ああ、分かってるさ。言われなくても知ってるさ。おれの欺瞞なんて見抜かれてる。あの女は、おれが自分の気持ちを自覚していることも、女の気持ちに気づいていることも知っている。互いの気持ちを知りながら、目を背けていることも理解していた。なぜそうするのか、その理由まで。

この船は船長のもとに団結はしているけれど、一枚岩ではない。だれもが大人になりきれていない、自分も含めて。実年齢的には大人とされる女だって、完全な大人じゃない。なにも叶えられなかった子ども時代が心に残されている。みんな成長途中のガキばかりだ。

それでも進んでいけるのは、目指す夢があるから。前だけを向いて走っているから。精神はそれほど磐石だとは言いがたい。いつ崩れるか分からない不安定さの中で、辛うじてバランスを保っている。それぞれの関係がうまく相互作用して。

おれと女が妙なことになったら、その均衡が崩壊する。目に見えない隔たりが、かみ合っていた歯車を狂わせる。何の疑いもなく笑い合える空間にひずみが生じる。だから、この船の居心地のよさを狂わすような真似、だれがするかよ。

「……何の話か、まったくわからねェな」

目をそらして、欺き続けて、本能や心をごまかし続けて。その先になにもなくともそうするしかない。自分にそう言い聞かせていた。女の言葉に惑わされたら、大事なものを失くしてしまう。嘘つきとかずるいとか、ひどい人だと言われようと、考えは揺るがない。

雑念は振り払え、まだまだ修行が足りねェな。女の淋しげな顔に動揺する自分に渇を入れる。固い決心を鈍らせないように、衝動を理性で留めた。まだ…大丈夫だ。芝居がかったことも嘘をつくのも得意じゃねェってのに、これじゃまるでペテン師だ。

そう自分に呟きつつ、見透かされた欺瞞を演じてみせる。女が気持ちを変えない限り、ずっとそうするのだろう。それ以外の道を選べないおれにはそうするしかなくて、この世で一番愚かな罪を刻み続ける――――いつまでも。

 


 
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