No.803277

「DEAR SWALLOWTAIL」

蓮城美月さん

小林燕×斉藤あげはの切なさが伴うストーリー。
ダウンロード版同人誌のサンプル(単一作品・全文)です。
B6判 / 066P / \100
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2015-09-20 16:46:53 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1503   閲覧ユーザー数:1503

◆CONTENT◆

 

evening scene

Last Letter

infantile swallowtail

ドライブに行こう~罠岬バージョン~

HAPPY BIRTHDAY?

Over the Rainbow

Sweet happy time

TRUE

Liar!

 

ドライブに行こう ~罠岬バージョン~

 

『椿が咲いた頃に、また来ようね。小林君』

この季節が訪れるたび、脳裏によみがえる彼女の言葉。果たせなかった約束は、永遠に叶うことはないと思っていた――――。

 

「ドライブ?」

唐突なあげはの提案に、吹雪は思わず声を上げた。

「そうよ」

「一体だれが運転するのよ」

「燕先生に決まってるでしょ」

「…あの人、免許持ってるの?」

普段の昼行灯ぶりを目にしている吹雪にとって、その事実は意外だった。

「失礼ね。運転歴九年のベテランよ」

日頃の行状からまともな運転をするとは思えない吹雪は、密かに不安を覚える。

「言っておくけど、すごく安全運転だからね」

不審そうな表情に、あげはは即座に突っ込みを入れた。

「で、どこに行くの?」

「――――S岬」

「結構遠いわね」

「だから、それだけ長く一緒にいられるじゃない」

「まあ、そうだけど。肝心の燕先生は承諾したの?」

「あげはちゃん」

二人の間に明るい声が乱入してくる。大和が笑顔で走ってきた。

「燕先生、レンタカーを借りてみんなで行こうって」

「そう」

「じゃあボク、千尋クンと健吾クンも誘ってくるね」

大和はみんなでお出かけできるのが嬉しいらしく、元気に駈け出していく。

「…あげは。アンタ」

「だって、まともに誘って先生が応じるはずないじゃない。その点、チビッコ小林の頼みなら、先生も断りきれないもの。作戦勝ちよ」

「考えたわね」

「あの子に頼るのは気が引けたけど、先生とのドライブのためなら、それくらいの妥協はするわ」

「ふうん。でも、なんでこの寒い時期にS岬なの?」

 素朴な吹雪の疑問に、あげはは答えを渋って沈黙した。

 

「オレはかまわないよ。小林クンとドライブなんて、楽しそうじゃないか」

話を聞いた千尋は愉快そうに答える。大和はそこに罠の気配を感じた。

「健吾クンは? みんなで行ったほうが楽しいよ」

「まあ、暇だからいいけど」

濁った口調で健吾は応じる。

「大丈夫だよ、小林クン。健吾クンは吹雪チャンが一緒なら、どこにでも来てくれるよ」

「…なに言ってるんだよ」

千尋の指摘は図星だったのか、健吾はその場から逃げ去った。

「どう? 全員参加?」

健吾と入れ替わりに、あげはが二人のところへやってくる。

「うん。千尋クンも健吾クンも参加だよ」

「小林クン。ひょっとして、今回の企画者はあげはチャン?」

「そうだよ。ボク一度も行ったことがないから、すごく楽しみなんだ」

「あげはチャンは行ったことあるの? S岬」

「ないわ。わたしはね」

「ふうん…」

千尋は意味深に呟くと、口の端で薄く笑った。

「なによ?」

「いや。せっかく、燕先生を誘うのに成功しても、端から見ると大人と子どもだからさ。頑張って大人っぽくしないと釣り合わないんじゃない?」

「余計なお世話よ!」

あげはが怒鳴ると、千尋は上機嫌で教室を出て行く。

(なんだかボク、嫌な予感がするなあ…)

日常的に罠の標的になっている大和は、胸騒ぎを感じた。千尋が機嫌のいいときは、罠を考えているときだからだ。大和がそれを忠告しようと振り返ったとき、あげはの姿はそこにはなかった。

 

「晴れるといいわね。今度の休み」

放課後、図書室でパズルを解く吹雪は、向かいの健吾に話しかける。

「あ、ああ。そうだな。……委員長は行ったこと、あるのか?」

「S岬? ないわよ」

「あのさ…当日は歩きやすい格好したほうがいいぞ。スニーカーとか」

「山歩きに行くんじゃあるまいし。どうしてよ?」

「………どうしても」

濁った物言いが気にかかるが、健吾の忠告だから素直に聞いておこうと思った。

 

ドライブ当日。幸運なことに天候は良好で、空は澄んでいた。集合場所に揃った五人の前に、燕の借りてきたワンボックスカーが止まる。

「助手席がよかったのに…」

サードシートのあげはは、隣を見てため息をつく。

「わあい、楽しいね」

大和が満面の笑みで前の二人に話しかける。

「小林クンが隣に座ってほしかったな」

「オレは別にどこでも…」

セカンドシートには、千尋と健吾が座っていた。

「燕先生。くれぐれも事故を起こさないよう、安全運転してくださいね」

運転席の燕は、助手席からの圧力に怯えながら車を発進させた。

「行きは高速に乗って、帰りはこの海岸線を通るコースでいいですか?」

地図を見ながら燕に訊ねる。クラスと同様に仕切る吹雪が、ドライブコースを選択した。

「すべて吹雪サンのおっしゃるとおりに…」

燕は諦め半分で従った。

 

「ったく、遅いわね。前の車!」

「そんなこと言ったって、一車線なんですから」

「こんな道で、高速と名乗っていいの?」

片側一車線で追い越し車線のないエリアなので、先行車が遅ければ速度も上がらない。

「吹雪サン。あなた、免許は取らないほうが…」

「どうしてよ」

吹雪の性格では適性検査で落ちるのでは…と燕は思う。あえて口には出さなかったが、健吾も同感だと心の中で思っていた。

 

高速を降りると、半島を横断する長い一本道に出る。岬まではまだかなりの距離があった。

 

「ドライブ向きの道ね」

「合間に海が見えるんだよ。ほら」

 

「あっ、風車だ」

「風力発電をしているんですよ」

 

「じゃこ天、おいしいね」

「ホントだね、小林クン」

 

途中、道の駅や港町で休憩を取り、S岬に着いたときにはもう昼前になっていた。

「…どこにあるのよ? 灯台は」

見渡しても山しか見えない周辺に、あげはは疑問の声を上げる。

「あげはチャン。これ読んで」

千尋が含み笑いで、林道の入口にある看板を指差した。

「S岬…徒歩、二十分!?」

その看板を読み上げると、あげはは自分の足元を見下ろす。

「あげはサン。その靴…」

今日初めてあげはの足元を見た燕が困惑の視線。あげははヒールの高い靴を履いていた。

「なによ! 徒歩二十分くらい、全然平気よ!」

先日の千尋の挑発が罠だったことに気づいたあげはは、悔し紛れに強がった。

「ふうん。じゃあ、頑張ってね」

千尋は愉悦に笑いながら、先頭を歩く大和を追いかけていった。

「吹雪、なんでスニーカーなんてはいてるのよ?」

「だって、健吾がそのほうがいいって」

「そう、よかったわね。なら、二人で仲良く行きなさいよ。わたしはあとからゆっくり行くから」

吹雪は少し不安に思ったが、燕があげはと歩調を合わせてくれるようなので、健吾と並んで先に進んでいく。大和と千尋は少し先を歩いていた。

「大和! あんまりはしゃぐと、あとでバテるぞ」

健吾は、ペースを考えず進む大和に声をかける。

「大丈夫だよ、健吾クン」

整備された遊歩道を歩く大和は、振り返って答えた。

「アンタ、ここに来たことあるの?」

「オレが慎吾くらいの年の頃に一回。家族で来た」

「だから、スニーカーがいいってこと知ってたのね」

「ああ。今はまだ平らな道だけど、この先がちょっとな…」

 

「この坂、まるで山道じゃない!」

目の前に広がる光景に、あげはは思わず毒づいた。

「…その靴だと、歩きにくいでしょう。あげはサン」

「わたしは子どもだから、大人の真似をしてみたかったの」

「別にそんなこと、言ってませんよ」

「……先生。先に行っていいから」

「アナタ一人、置いていけるわけないでしょう」

「そうね。先生は先生だもんね」

「そうじゃなくて…。アナタが子どもじゃないのなら、子ども以上に置いていけないですよ」

 

「わあ。変わった岩がたくさんあるや。海の色も綺麗だね、千尋クン」

後ろの四人と距離の開いた千尋と大和は、坂を下りきったところで後続を待っていた。灯台はまだ見えない。正面に小高い山があり、そこに続く道の両岸に海が迫っていた。

「あ、健吾クンと吹雪ちゃんだ」

自分たちが下りてきた坂を見上げた大和は、二人の姿を発見する。

「ねえ。小林クンは、健吾クンのことも吹雪チャンのことも好きだよね?」

「うん! ボク、二人とも大好きだよ」

「じゃあ、もしも健吾クンと吹雪チャンが付き合いだしたら…小林クン、どうする?」

軽い表情の割に、真剣な声で問いかける千尋。大和はその問いの真意を自分なりに考えた上で、まっすぐ千尋に微笑んだ。

「おめでとうって祝ってあげるよ。だってボク、二人とも大好きだもん。二人とも、ずっと前から好き同士だったんだから、そうなったらボク嬉しいな」

「吹雪チャンを健吾クンに独り占めされてもいいの?」

「健吾クンはそんなことしないよ。それに健吾クンなら、安心して吹雪ちゃんを任せられるから」

 

「先生…まだ、灯台が見えないんだけど」

やっと坂を下ったところで、あげはは自分の目を疑った。

「あの小さな山の向こうですよ。少し休憩しましょうか?」

「…大丈夫。歩けるわ」

起伏のある山道に嫌気がさしながら、あげはは前進する。ヒールの高い靴のせいであげはの足はかなり疲労していた。けれど、ここまで来て帰るわけにはいかない。今日、何のためにここに来たのかを思い出しながら、重い足取りを悟られないように必死で歩いた。

 

最後の難関、急な階段を上って灯台の横を抜けると、一面に海が広がっていた。

「綺麗。晴れてたから、景色がいいね」

「…だな」

「先生。ひょっとして、向こうに見えるのが九州?」

「ええ、そうですよ」

「ここまで歩いてきた甲斐があったね、千尋クン」

「でも、灯台に登れないのはつまらないな」

それぞれ、目前の風景に対する感想を述べる。白い灯台の足元で彼らは、穏やかな海からの風に抱かれてこの景色を堪能していた。

「そうだ。道ですれ違った人が言ってたんだけど、椿が咲いていて綺麗なんだって」

「ああ。少し手前の分岐点を上がったところだね」

「せっかくここまで来たんだから行こうか、小林クン。いいですよね? 燕先生」

吹雪の問いかけに、燕はたじろいだ。サングラスの奥の瞳が揺れている。あげははその反応に、切なく目をそらした。

「でも、あげはサン、足が…」

「わたしなら平気よ。少し休んだから、歩けるわ」

「しかし…皆さん、お腹すきませんか?」

「ボク、まだ平気だよ」

戸惑う燕に大和が笑いかける。

「この時期しか咲かないのに、機会を逃したら二度と見れないかもしれないでしょう。どうしても嫌なら…先生、先に車へ帰ってください」

冷淡に言い放つあげは。彼女らしくない対応に、吹雪は少し疑念を抱いた。

「――――いえ、ワタシも行きます」

 

椿は今が盛りとばかりに咲き誇っていた。鮮やかに優しく花開いていた。燕は、心の奥底にしまいこんでいた約束を思い返しながら、万感の想いでこの光景を目に焼きつける。

今は亡き人と交わした約束が、胸を締めつけた。君に見せたかったと、心の中で彼女に語りかける。そのささやきに、彼女が微笑んだ気がした。

 

「吹雪サン。絆創膏持ってませんか?」

帰路に着こうとしたとき、唐突に燕は訊ねた。大和と千尋は先を進んでいる。

「持ってますけど」

吹雪はバッグの中を探り、絆創膏を燕に渡す。

「あげはサン、靴擦れしてるみたいなんでワタシが背負っていきますから、先に行ってください」

その言葉にあげはは慌てて、一人で歩けると反論したが、珍しく強行な燕に負けて、渋々背中に背負われた。

 

「なんだか変だな、今日は。斉藤も、燕先生も」

吹雪と健吾は、時折後ろを振り返りながら道行を歩いていく。

「うん…。多分、なにか事情があるんだと思う。どうしてここを選んだのか、訊いても答えなかったし。あげは」

「ふうん…」

「でも、徒歩二十分って言っても、三十分はかかったよね、この道」

「そうだな」

「往復一時間じゃん。サギだよね」

「まあ、初めて来たら、だれだって驚くよな」

「ホントに…。あれ? 小林クンと千尋、かなり先に進んでるのね。見えないじゃない」

 

「千尋クン。さっきの話だけどね」

「なにかな? 小林クン」

大和は後ろを見て、健吾と吹雪の姿が遠くにあるのを確認してから言った。

「千尋クンも祝福してくれるよね? あの二人のこと」

「…どうしてそんなこと訊くのかな」

「うーん。ちょっと気になって…」

うなる大和に、千尋は優しく笑いかける。

「オレが、あの二人の邪魔をするんじゃないかって心配なんだ?」

「う………」

「そんな野暮な真似はしないよ。邪魔したって、無駄な労力使うだけ。負け戦とわかってて乗り込むほど、オレは愚かな人間じゃない。まあ、小林クンを賭けてだったら、だれが相手でも戦ってあげるけど」

「どうしていきなりボクが出てくるのよ」

「だって、今朝見た夢の中で、小林クンが女の子だったからさ」

「そんなのボク、知らないよ。ボクは男の子なんだからね!」

「夢の中で助けてって泣いてたくせに」

「泣いてないよ。ボクは千尋クンの夢になんて行ってないからね!」

 

S岬を出た彼らは、漁港近くの食事処で遅めの昼食を取り、眺めのいい海岸線の道を通って自分たちの街に帰着した。

「燕先生。どうもありがとうございました。ボク、とっても楽しかったです!」

それぞれ燕に礼を言って車を降りる。最後に車から降りようとしたあげはを、燕が制止する。

「あ、あげはサン。アナタは家まで送りますよ。その足じゃ…」

実際、足がかなり痛んでいたので、あげはは素直に燕の言葉に従った。二人きりになった車内は重い雰囲気が漂い、沈黙に支配されていた。どちらとも口を開くことなく、あげはの家の前に到着する。あげはは短く礼を言って、ドアの取手に手をかけた。

「…あげはちゃん」

そう呼ばれたあげはは、一瞬硬直する。

「…今日は、ありがとう」

「………………」

「約束を、果たす機会をくれて…ありがとう」

「…わたしはただ、先生と一緒にドライブがしたかっただけよ」

思いがけず燕の口から出た台詞に、困惑して言い返した。

(先生のためじゃない…。わたしが、そうしたかったから)

燕の顔が見れないまま車から飛び出すと、あげはは一目散に自分の家へ飛び込んだ。

 

数日後、吹雪から渡されたあの日の写真を、あげははじっくりと見ていた。数枚の中から一枚を抜き取る。椿の前で燕と二人で撮った写真。それを姉の日記帳の一ページに挟んでそっと閉じる。あの約束が刻まれたページに。姉がまだ病魔に侵される前に、燕と交わしたささやかな約束が記されていた。

「行ってきたよ、お姉ちゃん」

あげははその日記帳を抱きしめて、姉に語りかけた。

 

同日、吹雪から渡された写真を燕はしばらく眺めていた。そして、棚の奥から一冊のアルバムを出してくる。途中で時間が止まったままのアルバムの、あの日を開いた。

幾分若い自分と、亡き人が並んであの岬に立っている。その写真の隣に、今回の写真を飾った。その二枚を見比べながら、燕はふと笑みを浮かべた。

(――――本当に、敵わないね。君の妹には…)

 

TRUE

 

――――恋が堕ちてきた。

 

「綺麗だったな、吹雪」

二次会が終わった頃には、夜はすっかり暮れていた。燕に送られる自宅までの道中で、あげはは感慨深げに呟いた。

「そうですね」

夜道に二人分の荷物を下げながら歩く燕。うっとりとその光景を思い返すあげは。明るい満ち足りた月が、二人を見下ろしていた。あげはの夢見るような瞳に、燕は複雑な思いで同意した。

今日はあの二人の結婚式だった。燕もあげはも午前中の式から招待されたので、吹雪の一番綺麗な姿が鮮やかに記録されている。もともと美人の吹雪だが、ドレス姿はより一層輝いて見えた。午後からは場所を移しての披露パーティー。レストランを貸し切りにして、にぎやかなパーティーとなった。高校時代のクラスメートが顔を揃えたため、さながら同窓会の様相を呈していた。

久しぶりの再会にそれぞれ近況を語り合うなど、とても盛り上がった。当事者二人は周囲に冷やかされはするものの、温かい祝福に包まれてしあわせそうだった。親友の幸福な晴れ姿を見つめながら、あげはは嬉しい気持ちで満ちていた。

けれどその反面、吹雪を羨ましく思ったのも事実だった。あげはの恋は、いまだに実を結んではいないから。卒業後もあげはは頻繁に通い、時間があれば燕も付き合ってくれるが、あげはの想いそのものには応えてくれていない。燕の心は一度たりとも、あげはに振り向いてはいなかった。

(…ずっと、片思いのままなのかな?)

その手応えのなさに、さすがのあげはもくじけてしまいそうになる。燕の気持ちがどこにあるのか分からなくて、不安だった。燕が不本意ながらも自分に付き合ってくれるのは、自分がかつての恋人の妹で、燕にとっても妹のような存在だから。気心が知れていて、親しい存在だから。決して恋愛感情がそうさせるわけではないことを知っていた。

あげはは、そちらのほうが残酷だと思った。自分に応えてくれるつもりがないのなら、最初から優しくなんてしないでほしい。こうして夜道を送ってくれなくていい。見放してくれたほうが、ずっといい。残酷な優しさは、時として人を深く傷つける。

受け容れられない想いをあてもなく抱えていることは、あげはにとってかなりの痛みだった。行き先のない心に降り積もる想いが、あげはの中にさまよっている。それをどうすることもできず、ただ漠然と見つめているだけ。

数年間の日々が、あげはを少し大人にしていた。あの頃のように、体当たりでぶつかっていくことができなくなった。感情のままに動くことができなくなった。ゆっくりと大人になっていく。その階段を上がっていくことで、失っていくものがいくつもあった。後先考えずに行動できたのは、幼かったからだと自分を思い返した。

あげはは大事に持ち帰っているブーケに視線を落とす。吹雪があげはにくれたものだった。

『次は、あげはがしあわせになって』

そう言いながら、最上級の微笑みをくれた吹雪。

(わたしは無理かもしれないな…)

淋しそうに思った。この帰り道、燕が時折浮かない表情を見せることにあげはは気づいていた。そしてその理由を考えたとき、切なくなった。自分が燕にあんな顔をさせているのだと。

あげはが未来を夢見るとき、燕の隣にいる自分を想像すること…それが燕にとっては複雑なのだろう。だから困惑を隠せずにごまかしている。それは両者にとって痛い優しさだった。

傷つけたくなくて、答えをあやふやにして、きっといつかはどちらも痛い想いをするのに逃げている。恋愛感情に至らなくても、親愛の情はあることを言い訳にしてきたこれまでを、否定するわけにはいかなかった。思い出を全部なかったことにはしたくない。けれど、いつか届くと思い続けてきて届かなかったときは…どうすればいいのだろう。

燕の自分への感情がどういう種類のものなのか、はっきり教えてもらいたかった。燕には自分を完全に拒絶することはできないと分かっていても、答えが欲しかった。いつまでも宙に浮いたままでは、心が涸れてしまうから。

卑怯なのはどっちも同じなのだ。居心地のよさに甘えている部分もあったから。燕とあげはの場合は、仕方のないことかもしれない。遠ざかるには親しすぎて、近づくには大きな壁が立ちはだかっている。そんな関係だった。燕とあげはの距離は、見た目は近く見えても、内面では遠かった。

あげはは燕に審判を求めていた。燕は燕で、自分の気持ちを判断しかねていた。あげはへの感情が、親しい人への親愛の情なのか、それとも――――。そろそろ選択を下さなければいけない時期が訪れていると自覚していた。けれど、その選択の果てに幸福があるとは確信できない。

他人の人生を抱えられるほどの許容量が、自分にあるのだろうかと。かつて恋人を喪ってから、自分の幸福に対して臆病になっている節がある燕にとって、自身に対しての猜疑心が目の前を覆っている。この自分で、だれかをしあわせにすることができるのか。

「――――先生」

黙考していた燕に、あげはが呼びかける。いつの間にか、家の前に着いていたようだ。あげはは曇った表情で自分の荷物を受け取る。

(いつまでも逃げてたら…前に進めないよね?)

あげはは自分に言い聞かせながら、燕に切り出した。

「…先生は、わたしが他のだれかと結婚したとしても…なんとも思わない?」

唐突な問いに、燕は一瞬挙動を止めた。質問の意図を確かめるように、あげはを見下ろして黙り込んだ。どう答えればいいのか、すぐには言葉を返せない。

「それとも安心する? もう、まとわりつかれずに済むって」

歪んだ声が、震える心を忠実に映し出していた。あげははそれでも毅然とした姿勢を保つ。あんなに明るかった月に、薄く雲がかかっていく。

「…そんなことは」

燕は取り繕うように、言葉をうまく並べ立てようとした。

「わたしが先生のこと好きだから、先生は優しくしてくれる。けどわたしは、そんな優しさなんかいらない。同情なんて欲しくない。欲しいのは…」

返答を遮って、弾かれるようにあげははまくしたてた。その必死さに、燕のサングラスの奥の瞳が揺らぐ。困惑の表情を表に出さないように努めたが、あげはには見抜かれていた。

「先生を困らせたいわけじゃないの…」

「あげはちゃん。ワタシは――――」

諭すような口調で語りかける。あげはには、燕の言いたいことが想像できた。だから、責めたくはないけれど、言わなければいけない言葉があった。

「いつまで心にサングラスをかけてるつもり!」

涙混じりの怒声に言葉を失う。ずっと目をそらしてきたものに直面させられ、うろたえていた。

「いつまでもお姉ちゃんに囚われてないで…もうそろそろ、お姉ちゃんを忘れてよ!」

感情の高波に耐えながら、あげはは言い放つ。直後に言葉が過ぎたと後悔するけれど、言ってしまったものは取り消せない。燕は苦い表情で沈黙したあと、思い立ったように口を開こうとした。燕の口から発せられる言葉が怖くて、あげはは自宅へ駆け込んでいく。玄関のドアを閉ざすまで、一度も振り返らなかった。

引き止める間もなくあげはを見送ったあと、路上に残されたブーケを拾い上げる。落としたことに気づかなかったのだろう。鮮やかに彩られた花束を見つめながら、燕は深く息をもらした。

 

(あんな言い方、するつもりはなかったのに…)

荷物も放りっぱなしで自室に戻ったあげはは、着替えもそっちのけでベッドに倒れこんだ。あげはの心には、後悔の嵐が巻き起こっている。けれど、いつかは訪れる瞬間だった。あげははあげはなりに、ずっと悩んでいた。不安に押し潰されそうな夜もあった。このまま燕のことを好きでいていいのか。燕が少しでも自分を好きでいてくれる可能性を探っていた。

(もう…望みはないのかな?)

息苦しさに耐えられなくなって、決断を求めた自分を浅はかだと責めながら。それでも教えてほしかった。燕にとっての自分の価値を。まだ、自分は姉よりも小さい存在でしかないのか。このまま希望を捨てないでいていいのか…。それとも――――。

(わたしはずっと、お姉ちゃんに敵わないままなのかな…)

燕の心から姉の存在を完全に消し去ることはできない。それは分かっている。それでも、永遠に姉の存在が燕を捕らえたままかと思うと…どうしようもなく悲しかった。

 

半月ほどたったある休日。あげはは吹雪の新居を訪ねていた。

「で、どんな感じ? 新婚生活は」

リビングでくつろぎながら訊ねる。吹雪がお茶を淹れている間、あげはは周囲を興味津々に見渡していた。家具やインテリアは吹雪の見立てだろう。落ち着いた空気が漂う。

「どうって言われても…普通だと思うけど?」

冷やかしの質問に、吹雪は少し照れながら答えた。

「でも、まだ慣れないでしょ」

「そりゃあね。まあ、新しい発見なんかもあったりして」

「楽しい?」

「それなりに」

平穏な吹雪の表情に、あげはは羨望を感じた。

「しあわせを実感してるってところかしら?」

「………多分ね」

「ふうん。のろけられちゃったわね。それで、ダンナはどこに行ってるのよ? 姿が見えないけど」

他に人の気配がないことに気づき、吹雪に訊いた。

「健吾なら、近所の少年野球チームの応援。今日は試合があるのよ。たまにコーチをしてるから、気になるのね」

「へえ」

それから二人は、結婚式の話で盛り上がる。時間の経過も忘れるほど、花を咲かせていた。

「そういえば、聞きたかったんだけど…」

「なに?」

「プロポーズはなんて言われたの?」

あげはの質問に、吹雪は飲みかけの紅茶を詰まらせる。

「な、なんでそんなこと!」

「だって気になるじゃない。あの健吾がなんて言ったのか」

「いいでしょう、そんなこと知らなくても!」

「ストレートに言われた? それとも、変化球?」

あげはの追及に、吹雪は顔を真っ赤にして答えた。

「――――内緒!」

 

「そういえば、そっちはどうなのよ?」

不意に吹雪が話を向けた。突然自分に矛先が向けられたあげはは、うまく表情を作れず、濁った色が浮かんでいた。

「ああ…うん……」

「なにか、あったの?」

弱々しい返答に、吹雪は心配そうに様子を伺う。

「…なんだか、もう…電池、切れちゃったみたい」

無理に笑みを浮かべるあげはは、痛々しく呟いた。

「潮時かもしれないって、最近思うの」

「…あげは」

あの日にあったこと、そしてあれ以来、燕とは一度も逢っていないことを語った。自分の思っていることを、率直に言葉に乗せて伝える。

「――――だから、もう…先生を追いかけるのはやめる」

沈んだ空気が場を占めていた。吹雪はあげはの選択に、なにも言えなかった。正しいとか間違っているかとか、本人にすら判断のつかないことだってあるから。あげはが散々悩んで考えた末の結論なら、他人が口を挟むべきではないと思う。

重い沈黙を破ったのは、響き渡ったチャイムの音だった。

「ただいま」

健吾の声が聞こえると、吹雪は玄関へ急いだ。

「おかえり」

「だれか来てるのか?」

「あ、うん。あげはがね」

二人で並んでリビングに入ってくる姿を、あげはは眺める。

「邪魔してるわよ」

「ああ」

先刻までの弱々しい表情は、もうどこにもない。

「ねえ、あげは。夕食、食べていかない?」

そろそろ夕食の支度をする時間なので、吹雪はあげはに提案した。

「だって、全然おいしいとか言ってくれなくてつまらないのよ。だから」

「へえ。それくらい、言ってあげればいいじゃない」

「毎日のことなのに、そんなこと毎回言えるはずないだろ」

吹雪の不満にあげはが賛同し、健吾が苦い顔で反論する。

「今日のところは遠慮しとくわ。新婚さんの邪魔をするほど、野暮じゃないもの」

二人の光景に微笑みながら答えた。

 

「…なにかあったのか? 斉藤」

あげはが帰ったあと、健吾は吹雪に訊ねた。

「どうして?」

「いや。いつもよりおとなしかったから」

健吾の目にも、今日は元気がないように見えたらしい。

「うん…。あげはもいろいろと悩んでるみたい」

「燕先生のことか?」

「そう。大分、弱気になってて…どうするのかな?」

吹雪は不安な面持ちで呟いた。

「……先生も、斉藤以上に悩んでいるとは思うけどな」

「そうだね」

 

夕食の支度が整った頃、小林家に電話の音が鳴り響いた。

「はい。小林です」

吹雪が受話器を取ると、燕の声が聞こえてくる。

『あの…あげはちゃん、今日、そっちに行ってませんか?』

「ええ、来てましたよ。一時間くらい前には帰りましたけど」

どうやら、ここ半月ほど姿を見せなかったあげはを心配しているらしい。

『そうですか…』

落胆を隠せない声色。吹雪は二人の問題に他人が口出しするのはどうかと思ったが、ひとつの台詞を燕に投げかけた。

「先生にとって、あげはは今も『小さな女の子』のままなんですか?」

 

昼間、燕はある場所に行っていた。選択を迫られて考え抜いた末の結論を、彼女に聞いてもらいたかったのだ。かつての恋人の墓前に白い花を供えた。晴れ渡った空に、線香の煙が溶けていく。涼しい口元にサングラスを外した。もう、これは自分には必要のないものだと実感する。

おそらくずっと前から自分の中で答えは出ていたのに、逃げていた。心に潜む怯えに負けていたのだ。けれどもう、決断を下すときが訪れた。自分の弱さのせいで、一人の女の子を不幸にしてはいけない。

「君は、祝福してくれるかい?」

祈るように問いかける。刹那、燕の中の彼女が微笑んだような気がした。

(君の妹はいつの間に、わたしの中でこんなに大きな存在になっていたんだろう)

 

姉に呼ばれた気がして、あげはは立ち止まった。夕暮れが迫る道行きを、自宅へ歩いているところだった。

「あげはちゃん!」

必死な声に振り返ると、燕がこちらへ向かって走ってきていた。

「先生…?」

息を切らせながら、あげはの前までたどり着いた燕に、何事かと首を傾げる。

「…あの、ですね」

燕は困惑しきった表情で、言葉に詰まっていた。

「――――ずっと、いてくれませんか?」

心の底から声を振り絞って、燕は告げる。

「…どこに?」

その言葉の意味を理解できず、あげはは聞き返した。

「だから…その」

しどろもどろの燕の口調に意味を悟ったとき、あげはの顔は真っ赤だった――――。

 

――――夢じゃないよね。

目が覚めて、現実はなにも変わってないなんてこと、ないよね。

本当に、わたしでいいの?

先生…本当に、わたしを…選んでくれた?

夢みたい。信じられない。

…諦めないでよかった。

ずっと好きでいて、よかった。

今日この瞬間…わたしの前に、恋が堕ちてきた――――。

 


 
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