「おっちゃん」
突然の不躾な発言に、その人はにこやかに答えてくれた。
私がその男に出会ったのはとあるジーパンショップ。
店内を物色していた時、店長らしき人と目があい、何となく話しかけたくなって、きっとバイトが書いたのだろうとあたりを付けて、
「この文字、誰が書いたの?」
そう、尋ねた言葉には、意外な返事が返ってきた。
「おっちゃん」
思わず、
「おっちゃん、字、へたくそ・・・」
そう言ってしまった。
おっちゃんと答えた店長らしき人はそう言われて、くすっと笑った。
「私、字、うまいよ?代わりに書いてあげようか?」
私はそう矢継ぎ早に言った。
その時にはもう、恋の花が芽吹いていた事に、私は後から気付くのだった。
恋しいとはこういう事を言うのだろう。
店を覗いては、おっちゃんがいる事に胸を高鳴らせ、字を書くバイトと言う地位を強引に勝ち取って、そしてそれを名目に、私はその店に居候した。
「私、字、上手いよ?」
その言葉の返事は、
「じゃあ代わりに書いてもらおうかな」
そう、優しく笑って、おっちゃんは店のカウンターに向かい、自分の座ったのと隣にある椅子を指して、トントン、と、私を招いた。
見本に一枚書くと、
「うん。」
納得した様に頷いてから、
「100枚書ける?」
「お金取るよ?」
思わず言った冗談だったのだが、おっちゃんは機嫌よく、
「学生バイトだもんな」
そう言ってくれたので、それを良い事に、私はその店に居候したのだ。
しかしその淡く甘い時間も、店の閉店と共に終わりを告げる。
おっちゃんは、
「店を閉める事になってな」
と、いつもの優しい口調で、そう告げた。
私は愕然として、
「閉店の次は開店やね」
そう言った。
「ん?」
その答えが意外だったのだろう。
おっちゃんは聞き返した。
「あそこの宝石店なんて、しょっちゅう閉店セールして、改装開店してセールしてるよ?
このお店も、閉店して開店すればいいよ。」
「あぁ、ふふ、」
そう言って、おっちゃんは優しく笑ってくれたが、私はどう言って良いのか分からず、ただおっちゃんの言葉を待った。
しかし、少し嬉しそうな、淋しそうな微笑みが帰って来るばかりだった。
閉店を告げられてから、私は出来るだけおっちゃんの側にいたくて、店を訪ねる機会が増えた。
別れの時は、刻一刻と迫っていたが、おっちゃんと店で会える機会は、私の気持ちに反して減って行っていた。
代わりに店に詰めている人に出会っては、がっかりとして、そしてしょんぼりと、家に帰る道をたどるのであった。
そしてその時は、私が思うより先に来るのであった。
その日はおっちゃんの上司も居て、にぎやかな店内になっていた。
おっちゃんは私を自分の息子と引き合わせ、私の事を、
「僕の彼女。」
と、言ってくれた。
そして私が、
「誰?あの人」
と、問いかけると、
「息子。離婚してるからね。」
と言ってくれた。
でも突然の告白には何を言って良いか分からず、返事に困って思わずうつむいてしまった私に、
「おじさんじゃ駄目かな、ははは、」
と、優しく返してくれた。
本当は「嬉しい、そんな事はない」と、そう一言言いたかったのに、あまりにも優しく、微笑んで流してしまうから、私は何も言えなかった。
おっちゃんが私に自分の仕事が別にあると言ってくれたのは、その時よりだいぶ前の事だった。
私の友人がねずみ講にはまり、私がそこに連れて行かれ、何とかして逃げてきたと話した時、おっちゃんは、自分の仕事はキャバクラの経営と、マンションの経営だと、そう言ってくれた。
言葉の裏で、守ってあげるからねと言われていたのかもしれないが、当時の私にはそれを理解するほどの人生経験はなかった。
私はその言葉で、夜の世界はヤクザ者の支配下だと思っていたから、その事もあって、おっちゃんと一線を越えるのが怖かったのだ。
家の事よりなにより、住む世界が違うなら、この恋心は蓋をした方が良い、きっとその方が二人の為になると、おっちゃんの告白にも、結局素直になれなかったのだ。
おっちゃんは私の事を家族に彼女と紹介した後、食事に連れて行ってくれた。
そして上司がいるとあまり良くないからと、上司のいない日を私に教えてくれ、約束を交わした。
しかし約束の日、私は原因不明の熱で入院し、結局行けずにおっちゃんと別れる運命になったのだった。
店の前を通るたび、おっちゃん居るかな?会いに行っちゃ駄目かな?そう思いながら。
けれどおっちゃんの仕事の事、自分の家の事を考えると、このまま別れた方が良い、きっとおっちゃんにもその方が良い。
さよならを言う事も怖くて、本当のお別れになるような気がして、そうして満開になった自分の恋の花に気付かないふりをして、蓋をして、泣きそうな気持をこらえながら、閉店の時まで店を訪れなかった。
本当は差し入れでも持って行って、好きだと伝えて、連絡先を聞けば良かっただけなのに、当時の私にはそれができなかったのだ。
店が閉店し、別の店が開店してから、何度別にあると言う大阪の店舗におっちゃんを訪ねようとしたか分からない。
しかし、これ以上好きになるのが怖くて、ずっと逃げる道を選んだのだった。
それでも、咲いた恋の花は枯れる事なく、想いは募るばかりだった。
とある時、インターネットで知り合った人物と、トラブルになった。
炎上する誹謗中傷は、相手に詫びを入れろと無言で圧力をかけてきた。
私は何も知らず、相手に詫びを入れた。
詫びを入れた際、赤い車ばかりに相次いで遭遇すると言う奇妙な現象に遭遇し、私はしてはいけない事をしたのかなと、そう思わざるをえなかったが、特に相手に対して何も思っていなかったので、それで終わると思っていた。
それから後、車でのメッセージを受け取る事になるとは、私は思っていなかった。
ネットでトラブルになったその相手は、私が恋心でもって詫びを入れたのだと勘違いした様で、私は結局、絶縁状として相手に対するクレームをメッセージにしたため、別れる事となったのだ。
おっちゃんの影を求めて、私は色々な人と「企画」と言う歪んだ世界で交流をした。
ある時はDOGAと言うキャラクターに、ある時はNFRと言うキャラクターに、重ねて見ていたのは、ずっとおっちゃんだった。
そしておっちゃんからのメッセージは、黒いマークエックスで訪れるのだった。
黒のマークエックス、マークエックスのCMは、女性が泣き腫らし、父親が「もっといい男がいるさ」と慰めるCMだ。
そのお知らせに、はじめ私は気が付かなかった。
あ、マークエックス。ピカピカの黒だ。誰かからのメッセージだったりして。でも偶然かな?
そう思い、ただ偶然通っただけだと勘違いしたのだ。
しかし黒のマークエックスは徐々に増え、三日連続で黒のマークエックスに遭遇し、(高級車はそんなに遭遇する事はない)最後は三台のマークエックスが連れ持って通ると言う、ある種の怪奇現象の様な事態に陥って、ようやく私はもしかしておっちゃんだろうかと、自分の上げていた、漫画を見返し、やっぱりおっちゃんかも知れないと、想いを固めるのだった。
おっちゃんからのメッセージに続く漫画を上げたのは、正直窮地に陥っていた為でもあった。
本当に傍に居て欲しい人を描け、そうでなければ一人で死ぬと言ってから死ね。
そう交流で言われ、どうしようか悩んだ挙句、一番恋しい人を思い浮かべてみたら、他の誰でもなく、おっちゃんの顔がよぎったのだ。
振られるだろうな、でも、それでいいやと、取り敢えず鬱で震える手を抑えながら、いつもより描けなくなったイラストと向き合い、おっちゃんと一緒にいたいと、漫画に思いを込めて描いた交流をしたのだ。
返事は来なくて当たり前だと思っていた。
きっと今頃別の人と一緒にいるだろうなどと思いながら、それでも好きだと、伝えたくて漫画にした。
もしかしたら、私の気が付かない所で、黒のクラウンは通っていたのかもしれない。
クラウンのCMは、「愛だろう?愛。」
「愛している」のサイン。
私は黒のマークエックスが通って、そのメッセージに気付いてすぐに、おっちゃんへのラブレターを、らくがきと言う形ではあったが、ネットに上げる覚悟をした。
ヤクザかも知れない。
でも、これ以上自分に嘘をつくのは嫌だ。
もしかしたらメッセージは受け取ってもらえないかもしれない、それでも、愛しいと言う想いはとめどなく溢れていた。
返事はクラウンの大量発生と言う、珍妙な、しかし嬉しすぎる返事だった。
黒のマークエックスには、もう遭遇しなかった。
この道がどうつながるのか、私には分からない。
それでもおっちゃんを愛していると言う事実を、これ以上蓋をする事は無理だった。
愛している。
会いたい。
もしも会えなくても、それでも愛している。
おっちゃんがやくざでも、私は愛している。
だから待っている。
私は何もできないけれど、愛していると伝える事なら出来る。
待っていると伝えることは出来る。
蓋し続けた気持ちは、もう溢れかえっていた。
愛していると、今なら胸を張って言える。
もしヤクザだとしても、そうでなかったとしても。
もしかしたらメッセージも私の思い過ごしかも知れない、でもそうだったならそれでもいい。
愛している。
会いたい。
そう伝え続ける気持ちに、嘘はないのだから。
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