「ねえ、葉月さん」
「どうしたの? クルミちゃん」
昼休みの学校。
葉月とクルミは向かい合ってお弁当を食べていた。
三つ網眼鏡の女の子。それがクルミの特徴だった。成績は中の上で、運動もそれほど得意では無い。天才では無い普通の女の子。クルミはそう、自覚していた。
美人で成績優秀な葉月と何時も一緒に居られる事が信じられないとも思っていた。まあ、ここまで親しくなれたのには、それなりに色々有ったからなのだが。
…………ちなみに、クルミは確かに普通の女子生徒であるが、男子生徒からの人気はそれなりに高い。本人は知らないが。
クルミのお弁当は、如何にもな冷凍食品で彩られた『朝、急いで作ったお弁当』であるが、葉月のそれは『時間をかけてゆったりと作ったお弁当』で、どのおかずも手作りで有る事が判る。両者の弁当の中に入っている唐揚げ1つで、それが端的に示されている。
「はい、クルミちゃん」
「あ、ありがとう葉月さん」
「良いのよ、私はクルミちゃんのを貰うから」
そう言って、唐揚げをクルミの口元に持ってくる葉月。食べさせてくれるというのだろう。その気遣いはとても嬉しいが、同時にとても恥かしい。
だが、条件反射的に口を開けてしまっていた。というか、そんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか、と何処かに穴を開けて入りたくなった。
口に放り込まれた唐揚げは、外はサクサク、中はジューシーで美味しかった。
「で、なに? クルミちゃん」
「え? なにが?」
「しっかりしてよ、私に何か聞きたかったんじゃ無いの?」
「あ…………」
そうだった、と二つ目の穴を探して入りたくなった。
「さっきさ、『公爵』君が来てたよね」
「ええ、来てたわね」
「葉月さんと話をしてるから、私も親しくさせてもらってるけど…………何時知り合ったの?」
この学校には『公爵』と呼ばれる生徒が存在する。もちろんあだ名である。
自らを『公爵』と称して憚らない彼は、しかし公爵と呼ばれるにはあまりにも普通の家柄だった。
公爵とは爵位の最高位であり、栄誉称号の1つである。日本における旧華族、中国の様々な歴史に存在する爵位、ヨーロッパにおける爵位、ひとつ言葉で言っても様々ではあるが、この学校に存在するその『公爵』といえば、ヨーロッパのそれに印象が近かった。
多分、全校生徒がイメージする公爵という称号が、非常にヨーロッパ的なもので語られるからだろう。中には違う者も居るかもしれないが、少なくともクルミはそうだ。
葉月はどうだろうか。
さて、では、何を持って彼がそう呼ばれるのか。
その原因は不明だった。クルミが知る限り、彼は1年生の時から『公爵』と呼ばれ、何時からそう呼ばれ始めたのかすら判らない。彼の、中学時代の同級生に話を聞いても、その時代はそう呼ばれていなかったらしい。
彼は、クルミの知る限り何時だって『公爵』だったし、1年よりも2年。2年よりも3年生である現在の『公爵』の方が、より公爵のイメージに近かった。
なんというか、人の上に立つ貫禄というのだろうか。人に命令したり、人を動かす事が似合う男。
まあ、実際に爵位を持つ人間を視た事が有るわけでは無いので、その辺りの印象というのはかなり曖昧なものがあるが、少なくとも、『人の上に立つ才能』がある様に思えるのだ。
「私が知らない間に、何時の間にか知り合ってたよね? 公爵君って、楽しく話してる様に見えても、何時も他人と距離を取るような人なのに、葉月さんとは親友みたいな感じがあるし…………」
「あら、つまりクルミちゃんは彼に嫉妬してるのかしら?」
「ち、違うよぉ!」
赤面し、思わず声を大きくして否定するクルミ。その反応が全てを物語っているようにも思えるが、完全に嫉妬しているわけでも無いのだ。まあ、公爵と葉月が親しく話をしていると少し面白く無いのは事実だが。
「私は、ただ、なんで彼が『公爵』って呼ばれてるのか気になったから…………」
「ふふ、そうしておいてあげるわ」
微笑む葉月は、クルミを完全にからかっているのだが。そんな葉月を見ていると、あまり怒る気にもなれない。
「で、知ってるの? 葉月さん」
クルミの問いかけに、
「さあ、どうかしらね…………」
記憶を探るような、懐かしい思い出に浸るような、そんな曖昧な表情で眼を細めた。
「丸山生徒会長」
生徒会の雑務に追われる、というのは行事が差し迫った時期だけの光景で、現在の生徒会室では無縁のものだった。
そんな静かな生徒会室の、一番立派な椅子と机に座る男子生徒。新しい同好会の承認を求める書類に目を向けていた男子生徒が、書類から眼を離して顔を上げた。
自分が呼ばれたのだから当然の事だ。
上げてあらわになったその容貌は眉目秀麗、学校1と言われれば、あるいはどうかは判らないが、誰にでも好かれそうな顔をしていた。。
呼んだのは真面目そうな女子生徒で、事実彼女はとても真面目だった。
「私の事は公爵と呼びたまえ」
「なんでそんな恥ずかしい名前で呼ばなくちゃいけないんですか」
生徒会長の不当な要求には断固として戦う決意が有ります。そう主張するかのように、生徒会室の主へ強い眼を向けた。
「君はそう言うがね、私ほどその呼び名に相応しい人間は存在しないよ。事実、他のほとんどが私の事をそう呼ぶ。私が1、2年の時、上級生すらも私をそう呼んでいたのだよ」
「体育大会の日程及び行動管理、諸所の雑務についてはどうなっていますか」
「おや、華麗に無視してくれるね。…………任せておきたまえ。時が来れば指示を出す。全ては順調だよ」
曖昧にはぐらかされたかの様な返答だが、女子生徒はそれで納得したようで、頷いた。
どうやら、生徒会長の能力については絶対の信頼を寄せているらしい。
他の生徒会メンバーが思いつきもしない事を簡単に計画し、実行する。そして失敗は無い。信頼は結果の積み重ねで得られていくものだが、正にその端的な例がこの生徒会長なのであった。
「それでは、お願いします」
公爵に一礼して、着席する。
今日はもう、特にこれといって用事は無いので、女子生徒は帰宅するために荷物を纏め始めた。
散乱した筆記用具を集めながら、彼女はぼんやりと考えていた。
そういえば、何で会長は公爵と呼ばれているんだろうか、と。その疑問は常に付き纏っていた。会長の言うとおり、ほとんどの生徒が彼の事を『公爵』と呼称し、そして別に馬鹿にしているわけでは無いのだ。正にイメージ通りという事だろうか。あるいは、その優秀な成績や生徒会での実績によるものだろうか。
別にわざわざ聞くような事でも無いが、聞いて損をする様な事でも無い。だから、単刀直入に尋ねた。
どうして、会長は公爵と呼ばれているんですか、と。
「ふむ、それを説明すれば、君は私の事をそう呼んでくれるのかね?」
「まさか、そんなわけ無いでしょう」
有り得ない、という感じで否定をすると、公爵は苦笑した。
そして、
「正に、私がその核心を付かれたからだろうな」
「はあ…………?」
全く説明になっていない説明に、彼女は訳が判らずに首を傾げた。
会長を見ると、彼は懐かしい記憶を辿る様な眼で、窓から空を見上げていた。
「公爵さん」
突然かかったその声に、中庭のベンチで寝転がっていた彼は意味が分からず瞬きをした。
体を起こす。
「君。それはもしかして、私に言っているのか?」
「ええ、もちろんそうよ」
その女子生徒は微笑を作った。美しい容貌から形作られるその笑みは、見る者を容易く魅了する魔力を秘めていた。
彼、丸山木月は何とも思わなかったが。女性にはあまり関心が無いのだった。
春。
入学して間もないこの季節、しかしゴールデンウィークは終わり、中庭に植えられていた桜の木には花びらの痕跡も見えない。
放課後。何もする事が無く、中庭で昼寝に勤しんでいた彼にかかった声は、彼を何とも言えない気分にさせた。
「…………16年生きてきて、そう呼ばれたのは初めてだ。私には丸山という苗字がある。そう呼びたまえ」
「それは無理な相談だわ」
「何故だ」
「だって、私には貴方が公爵にしか見えないから」
言われて、彼は自分の格好を見る。
どう考えてもただの学校指定の学生服だ。公爵という大層な名前の介入する余地など、一片も有り得ないほどそれは完璧な学生服だった。
「どの辺りに公爵を感じたのだ?」
「格好では無いわ。貴方の雰囲気よ」
木月は首を傾げた。余計に分からない。
「貴方の何がそうさせているのかしら?世界の有り様としてあまりにも矛盾しているのに、完成されている。いえ、完成されているから矛盾しているのね。許容せざるを得ないのだわ」
「君の言う事は良く分からないな。名前は何と言うのかね」
「如月葉月。貴方と同じ1年生よ。葉月と呼んでくれて構わないわ」
風が吹いた。涼しい風だ。日中は暑い事もある今の時期だが、木陰に入って風を受ければそれなりに心地良い。木月がここを昼寝場所に選んだ理由だ
その心地良さを一通り楽しんだ後、木月はさらに聞いた。
「何故、公爵なのだ」
「呼び方は何でも良いのよ。ただ、私の中のイメージでは、何となく公爵という単語が浮かんだだけ。支配者と言った方が正しいのでしょうね」
何とも大仰な雰囲気を自分は湛えてるらしい。だが、言われてみれば、今までの人生では人の上に立って何かをする事が圧倒的に多かった。
「じゃあ、また会いましょう。公爵さん」
「何時でも会いに来い」
葉月の微笑を聞きながら、再び木月はベンチへ寝転がった。
良く分からない女だった。だが、何となく面白そうなやつだ。
「公爵、か…………」
自分で呟き、我知らず笑みを作る。
何故だか、力が湧いてくるような気がした。
この後、ほとんど間をおかずして、木月は当時の生徒会長をその座から引きづり下ろし、三年連続の生徒会長を務める事になる。
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もうほとんど加筆です。半分以上加筆です。