あの日から、一週間と二日がたち、あっとういう間に大会の当日となってしまった。
「嘘だろ……」
その言葉はあっさりと経ってしまった日々と、
「多すぎんるじゃ……」
集まった人の多さに対して向けたものだった。
観客席にはそれこそ数え切れないほどの人々が集まってきており、エントリーした女の子たちでさえ、22人+ざっと100人を数えるほどだった。
22人は蜀の将軍たち。エントリーしなかったのは、ねねと詠のふたりだけ。事前に参加を宣言していた、愛紗、桃香、朱里をはもちろんのこと、鈴々に雛里や星、白蓮や麗羽など北方一派、果ては美以やシャム、トラ、ミケなど南蛮一党まで名乗りを上げる始末。
「まっこと主は女の子を誑かすのがお上手なようで。両手に花どころか、持ちきれない花束といったところですかな。果たして幾つの花が本日散ることになるのやら。いや、それとも散らされるのは別のものですかな?」
振り向くとそこにはニヤニヤ笑いを浮かべる星が立っていた。
「星……。まさかお前まで出てくるなんて。冗談にもほどがあるだろう。お祭りだからって、人をからかうのはやめてくれ」
ため息をついた俺の言葉に、星が眉を顰める。
「冗談? からかう? ……どういう意味ですかな、主よ?」
「どういう意味も何も、だから星は俺をからかう為に、この大会に参加しているんだろう」
俺の言葉に、星が頭を抱えながら、天を仰ぐ。
「この趙子龍、常山より出でてこの方これほどコケにされたことは初めてかも知れませぬ」
そう言うや、星は自分の胸に俺の手を押し当てる。
「なっ!?」
「感じませぬかな? 趙子龍の鼓動を。……恋する乙女の胸のときめきを」
星は、目をふせてそう呟いた。
胸の柔らかさの奥に感じる早鐘は、星の言葉が嘘じゃないことを告げていた。
「ん、あ、主よ……いくら何でもっ、ん、公衆の面前で、ああっ、そんな、乳首までっ……」
「揉んでないから!! 乳首も触ってないから!! こんなところで流言飛語はやめてっ!?」
自分の胸に押し当てていた星の手を振り払い叫ぶ。その奥にあるのは、相変わらずニヤニヤとした星の笑い顔。まったく、どっちなんだ。ただ、さっき手に感じた心臓の音は、嘘をついてないようにも思える。
「ぴーっ、ぴっぴっぴー。反則、反則だよー、星ちゃん」
笛を吹く真似をしながら桃香が割り込んでくる。
「大会参加者向け注意事項第百九十七項、復唱してみて?」
百九十七って。どれだけあるんだ……。
「……参加者は、当日の告白時間まで主を誘惑してはいけない、でしたかな」
「その通り。さっき星ちゃんがしていたのは違反行為だよ」
「私がしていたのは、誘惑ではありませんよ。朴念仁の主に私の気持ちが嘘でないことを事前にお伝えしていたまで。桃香さまのように女性らしくない私は、まず主に自分が本気だということから伝えねばなりませんからな」
「むー」
しかめっ面をしながらも、桃香は追加で言を重ねようとしない。
ということは、幾分か星の言葉を肯定しているのだろうか……。
「俺は朴念仁じゃないと思うんだが……」
「はっはっはっ、主は本当に冗談がお上手ですな」
星に大笑されてしまう俺だった。
「あー、あー、こちら実況席、実況席」
「は~」
「さあ始まってしまったこの腐れ大会」
「は~」
「誰がこんなことを企画したのよ全く、責任者出てきなさいよ」
「は~」
「などと言ったら桃香やら国のお偉方が出てきそうなのでひとまずは置いておいてあげるわ」
「は~」
「別に出てきてもいいんだけど、ボクは大人だからね、我慢しておいてあげる」
「は~」
「って、は~は~さっきから五月蠅いわね、アンタもいい加減実況始めなさいよ」
「さあ、ここに始まった全蜀告白大会ッ、五原郡より三国最強の兵(つわもの)が早くも登場だッ。この兵の前に立ちはだかって誰が生き残れよう? その可憐な立ち姿ッ、劉備、関羽、張飛を同時に相手し退けるその武力ッ、三国の武将が全て赤子のよう、中原に舞ったときより私が王者だッ、天下の飛将軍ッ!! 呂布奉先ッ!! ……ってやってられるかボケーーー!!!」
実況席がなにやら騒がしいなと思って目をやってみると、ちんきゅうことねねが書卓を全力でひっくり返してるところだった。
「うわっ、何するのよ、いきなり」
「五月蠅い五月蠅いうるさーいっ!! 一体全体なぜお前は平気なのですかっ、お前だって月殿をあのケダモノに好きにされてしまうかも知れない瀬戸際じゃないのですかっ!?」
「そ、そんなこと言われるまでもないわよっ。そう思ってボクだって全力で説得したわよ。でもでもでもあの恋する乙女の瞳で「ご主人様にこの想いを伝えたいの」とか言われちゃったら何も言えないでしょうっ!? たとえあのケダモノがどれだけ腐れ外道であったとしても、月の、月の幸せは、あの男と共にあるんだからっ」
とんでもない言われようだった。
「そもそもねねこそ恋のこと、止められてないじゃないっ」
ぴくっ、とねねの肩が震える。
「だって、だって……」
顔を上げたねねは少し泣いているようだった。
「恋殿は、ねねの話を聞いてくれなかったのです。「……ご主人様が好きだから」などと仰って!! ねねとどちらが大切なのですかと勇気を振り絞って聞いたのに「……どちらも大切」と。遂に恋殿の中でねねはあの三国一の浮かれ男と同列まで墜ちてしまったのですっ!!」
「むしろ、ようやく同格になっただけじゃないの?」
「黙れなのですっ、恋殿の一番は常にねねじゃないと駄目なのですっ、悔しくてもう何もする気が起きないのです……」
「そうね……。その点には同意するわ……」
「は~」「は~」
実況席から大きなため息が漏れた。マイクなんて代物は勿論この時代にないからふたりとも地声だけど、蜀のメンバーでも特にかしましいねねと詠のコンビなので、声は会場全体に響き渡る勢いだった。
「詠ちゃんったら……」
「……」
会場を覆う詠とねねの声に恥ずかしがる月と恋。
「仕方ないから実況みたいなことやるけど、正直なところ、誰が選ばれると思う?」
「もちろん恋殿なのですっ!!」
「言うと思った」
「そういう詠は月殿なのでしょう?」
「月はもうものすごくかわいい女の子だから、ま、当然ね。でも、今回ばかりは複雑だわ……」
詠が頭痛を振り払うように、側頭部を押さえる。
「詠の言う通りなのです」
ねねも、詠の言葉に同意するように、がっくりと首を折った。
「想像したくはないけど、月が選ばれたとき、あのちんこ男が何をするのか考えてみると……」
そこで言葉を切り、沈痛な表情を浮かべる詠。
「気になるから、そ、そこで止めるな、なのですっ!!」
「言っていいの?」
「や、やっぱり駄目なのですっ!! あのイカレポンチ、どこまで恋殿に卑劣な真似をしたら気が済むのですかっ!!」
してないから。距離が遠いので、心の中でつっこむだけにとどめる。
「そうよね、そうよね。もうあの変態には生きてる価値なんてないんじゃないかしら」
詠のメガネが怪しく光る。
「おお、珍しく詠がまともなことを言ってるのです……」
「あのね、私はいつもまともなことしか言わないわよ。……そうじゃなくて、変態死すべしって話でしょう」
「まさにその通りなのですっ!!」
「殺っておくべきじゃないかしら、この辺で……」
詠がねねの耳元でこっそり囁く。
「殺……」
「でしょう? でないとねねの大切な恋にいやらしい魔の手が迫って、あんなことやそんなことを……」
いや、だから語弊ありすぎだって。
「うがああああああーーーー、やっぱり殺しておかなくてはっ!! なのですっ!!」
書卓の上に立ち、思い切り地を蹴り上げて飛翔するねね。
「ずばり成功、『二虎競食の計』。って、こんなことをやっても仕方ないのよね。……月」
「さあ、ちんこ太守はどこにいるですか!? ちんきゅ~きっくをお見舞いしてやるのです」
俺は、ねねに見つかる前にとひとまずこの場を後にすることにした。
そんなこんなをしている間に。
開会式と宣誓の挨拶が滞りなく済んでしまい。
俺は、蜀の将軍22人と蜀全土から名乗りを上げた美少女100人との対面を果たしてしまった。
(全員が告白するので、この中から選ぶように、と? 嬉しいを通り越して、胃が痛すぎる展開なんだが……)
「ん、じゃわたしから行くね」
諸将居並ぶ中から桃香が立ち上がって、壇上の真ん中に歩み寄ってくる。それに合わせて俺も真ん中まで歩み出る。
「桃香……」
「えへへ。ご主人様……」
桃香と目を交わす。その目は、期待に満ちているようでもあり、ひどくおびえているようでもあり、今すぐ泣き出してしまいそうでもあり。既に少し濡れてしまっている瞳からは色々な感情が読み取れた。
そんな桃香は儚げで、頼りなげで、そして可愛くて。抱きしめてやりたくなるような衝動を、俺は感じた。
俺を見つめてくる桃香は今何を感じてるんだろう。目がぶつかるたび、逸らされるたび、そう思う。
桃香は、なかなか口を開かなかった。視線を交わし、逸らしを繰り返すだけ。その状況を変えようと口を開こうとした瞬間、桃香が再度「えへへ」と呟いた。
「ごめんなさい。ほんとうは、本当はね、伝えたいことが一杯あったの。積もり積もった感情、内から湧き出る想い、それを言葉にして、伝えたかった。でもね、ごめんなさい。なんだかね、言葉にならないの」
胸の前で組んでいた手を後ろに回し、俯く桃香。
「あ~あ、わたしって本当に駄目だな。こんなときまで上手く出来ないなんて。想いだけはこんなにもあるのに……」
「桃香……」
「好き、です。ご主人様のことが、誰よりも。大好き」
それはひどくストレートな言葉。そこにある気持ちを確かめるように、地歩を固めるように、桃香は言った。
「大好き」
もう一度、繰り返した桃香は笑顔だった。
「はい、そこまでー」
詠の、砂糖を飲み込んでしまったわ、口の中がめちゃくちゃ甘いわ、と言わんばかりのやる気のない声が実況席から投げられてきた。
「次は愛紗ね。ちゃっちゃといきましょう、ちゃっちゃと」
雰囲気ぶち壊しだったが、俺は正直なところ、少しほっとしていた。
(心臓の状況が半端ない……。このままのテンションで最後まで突っ走ったらそれこそ本当に死んでしまう)
「ご主人様?」
「ああ、愛紗」
俺の様子を気遣って愛紗が話しかけてくる。うん、大丈夫という意味合いのうなずきを返すと、愛紗は少しほっとしたようだった。しかし、その表情は、だんだんと憂いを感じさせるものへと変わっていく。桃香がさっき見せた表情によく似ていたが、期待の成分が混じっていないことが決定的な違いを感じさせた。
「私も、ご主人様のことが好きです……」
「……」
「……以上です」
そう愛紗は言うと、すぐに身を翻した。
「……えーと? それだけでいいの?」
実況の詠が困惑した声を出す。それは見ている者、全員の問いであったろう。
席に戻るや、桃香と鈴々に囲まれる愛紗。
「すごくもったいないのだ。せっかくの機会なのだ……」
「私は、これが精一杯。ほら、鈴々の番だろう?」
「……う、うんっ!!」
元気よく走り出す鈴々。
愛紗は、その姿を見送るだけで、桃香と目を交わそうとはしなかった。
「愛紗ちゃん……」
「桃香さま。私には、これが限界なのです……」
「ううん、そんなことない。そんなことないよ。ぜったい私がそれを証明してみせるから……」
「証明? お戯れを。そんなことより、ほら、鈴々の番ですよ」
壇上の中央に躍り出るや、片手を天に突き出す鈴々。
「お兄ちゃあーーーーーーんっ!!!!!!」
そして天上に届けと言わんばかりの大音声。
「鈴々は、鈴々はっ、お兄ちゃんのことが大好きなのだーっ!!」
まったく怯まず、満面の笑みで、堂々と宣言する鈴々。その姿は何というか、とても微笑ましいものだった。心があったかくなる一言、と言えばいいのだろうか。
「だからっ!!」
鈴々がもう一本の手を天に突き上げる。
「ずっといっしょにいるのだっ!! 絶対に楽しいのだーーーっ!!!」
全身から力があふれて止まらない、という雰囲気の鈴々。本当に、見ているこちらまで元気になるような姿だった。
「ありがとう、俺も鈴々のこと大好きだよ」
気がつくと、するりとそんな言葉を返してしまっていた。
「本当かっ。これで鈴々とお兄ちゃんは両思いなのだっ!!」
「はーい、そこまでー。カップル誕生ってことで、終わりでいいんじゃないの? え、駄目? 本当に? あ~まったく、じゃあ次の人っ」
詠が怒ったような声で鈴々の告白タイム終了と、次の人の出番を宣言した。
「じゃ、これでもう間違いなく、紛うこともなく、告白タイム終了ね……」
疲れ切った、と言わんばかりの詠の声が会場内に響く。
122人の告白を経て。
今度は俺がこの中から誰かを選び、それを返答する番だった。
天を見上げる。既に夕闇が迫ろうとしている時間で、うっすらとだが空に茜色の差し込みが入っていた。
それを目に捉えながら、自分の心に聞いてみる。果たして誰を選びたい、と思ったのか、と。
(誰? 誰、誰、か。それは無理だ)
理屈ではなく、直感で。論理ではなく、感情で。無理だと思った。
桃香なら桃香、愛紗なら愛紗を想う俺が、心の中に居る。それは正直な、偽りのない、言葉。
「桃香、愛紗」
壇上の中心まで歩き、ふたりに声を掛ける。
「は、はいっ」「……はい」
祈るようにしていた桃香と、不意に声を掛けられてびっくりした、というふうの愛紗。
中心に歩み出たふたりを見て、まず桃香に声を掛ける。
「これを」
差し出したのは、出逢ったときより預かっていた、桃香が持つ剣と一対となる、一振り。
「……ご主人様?」
怪訝な顔をしながらも、とりあえず受け取る桃香。
「そして愛紗。もし俺の言動が気にくわなかったら、それが蜀軍の総意だと思ったら、容赦なく俺を斬ってくれ」
愛紗の持つ、青龍偃月刀に鈍い光が走ったように見えた。その光景にきゅっと、心臓が痛む。
戦場に幾たび出ようとも、これほどまでに命を危険にさらしたことはなかった。
正直、体が震える。死ぬかも知れない、と初めて思う。
おかしな話だった。女の子が命を張って戦場で戦っているというのに、俺はそれを経験したことがなかった。それなのに天の御使いなどと呼ばれて、祭り上げられて。
部下を戦場に送るなら、出来る限り死なないように気をつけよう? 馬鹿にもほどがある。そんなことを口にできるのは、自分の命を懸けたことのある人間だけだ。敵の刃の前に命をさらして戦い抜いたことのある人間だけだ。
ただ、人はやり直せる。そうこの今瞬間にでも。改めればいい。命を懸けたことがないのなら、この場で命を懸けよう。
彼女たちの気持ちに俺なりの回答を持って正面から向き合うことが、戦場に出ることと等しかったとしても、俺は迷わずにそれを選ぼう。
ここを自分の戦場にしよう。
「まず、御礼を。ありがとう。俺を選んでくれて」
何故、みんなが俺なんかをという気持ちはある。元の世界のときはほんとモテなかったしね。
「正直、嬉しかったよ。特に将軍のみんなとは幾たびも戦場を共に駆け抜け、国を建て、治め、今こうしてつながりを持つことが出来てる」
桃香、愛紗、鈴々、朱里、雛里、星、その他のみんな。この世界に来て、出逢った人たち。
「俺がこの世界に来たこと、それが肯定されたように思えた。勿論、みんなそれぞれ魅力があって、そんな女の子から告白された、ということが飛び上がってしまうぐらいに嬉しかったという面も強いけど」
その誰が傍に居てくれても、俺は笑っていられると思った。嬉しくなれると思った。
逆に、誰かが傍に入れてくれないのなら、それはとても寂しいことだと思った。
「ただ、俺がずるいだけなんだと思う。みんなとずっと傍に居て、楽しく生きて来たから、これからもそれが欲しいと思ってしまったから」
この気持ちに嘘をつくことは出来ない。
「だから、」
誰も選べない。いや、そうじゃなくて――、
「みんなを選びたい。みんなと、これからも、共に在りたい。誰ひとり欠けるのも嫌だ」
子どもっぽい考え。自分勝手な言葉、みっともない独占欲。そんな言葉が浮かんでは消える。
だけど、俺は、みんなの視線から逃げることなく、見つめ返していた。この自分の気持ちを信じて、腹に括った一振りの剣が折れないことを信じて。
「それが答え? ご主人様?」
背中から桃香の声が聞こえる。
「ああ」
「それは、誰も選ばないということ?」
「いや、みんなを選ぶ、ということだよ」
「違う。それは違うと思う。わたしたちはみんな、他でもないご主人様ただひとりを選んだの。自分が敗れることも承知の上で」
その通りだった。反論の余地など微塵もなかった。
「それなのに自分は誰も選べないって言うの? 全員と関係を持ったままで居たいって言うの? そんなのずるいよ……」
耳が痛かった。そうだ。俺の考えは、一方で逃げでもある。それは判ってる。だけど、ここを譲ることは出来ない。
「主よ、劣勢だな。正直私も業腹極まる。本当に、主を斬り殺してしまいたいとすら思っている、と言ったらどうする?」
「覚悟の上だよ、星」
席から立った星の横、今度は朱里が立ち上がる。その顔はひどく冴えなかった。星のように底冷えのする冷笑を浮かべているわけでも、桃香のように悲しげな表情を浮かべているわけでもない。ただ、困惑して、ひどく冴えない。
「若輩が無理するような場面じゃないわい」
朱里が何か口にしようとしたのを、桔梗が遮る。
「のう、紫苑? こんなときこそわしら老兵の出番だと思わんか?」
「誰が老兵ですか。わたくしは永遠の十八歳ですよ? ただ、まあ……」
颶鵬に矢を番え、その射程に俺を捉える紫苑。
「少し、おイタが過ぎたのでは、という見解には同意します」
大陸全土を探しても、紫苑の弓の腕を超える人間はいない。つまり、矢が放たれたらそれで最期、というわけだ。
「前言を撤回するなら、今のうちですよ?」
紫苑は、慈悲をもってその言葉を口にしたのかも知れないが、俺にとってそれは甘言に過ぎなかった。同意することなんてできない。
「紫苑が俺のことを赦せないっていうなら放ってくれて構わない」
声が震えた。格好悪い、と自分でも思ったが、怖い物は怖いんだから、仕方ない。
「よきお覚悟です……、ってあらあら」
その矢の線上に、ひとりの影が立ちふさがる。
「……温い」
虚無から湧き出たようなその圧迫感は、
「恋……」
三国最強の猛将のものだった。
紫苑相手に放った言葉と思いきや、しかし、恋の瞳は俺を捉えていて、つまることろ威圧の対象はやはり俺のようだった。
「……っ」
ゆらり、と崩れるように体を折りたたみ地を蹴った恋は、次の瞬間、俺の眼前まで距離を詰めて来ていた。
方天画戟が目にも止まらぬ早さで首筋に当てられる。死ぬかも知れないなどという思考をする暇すらなかった。濃密な死の匂いを湛えた圧倒的な存在感が、そこにあった。……これが三国最強の武力。
「……ご主人様はヘタレ?」
「そうかもな。……恋はヘタレは嫌いか?」
「……そうかも。ばいばい、ご主人様」
恋はそういうと方天画戟を振り上げる。死の固まりが上空で形成され――、弾丸のような勢いで降り注いできた。
死ぬ、と思った瞬間、ガキンッ、と鋼がぶつかり合う音が頭上で聞こえた。
恋の方天画戟を止めたのは、
「愛紗……」
愛紗の青龍偃月刀だった。
「恋……、貴様本気かっ!?」
「……もちろん。この場で本気じゃないの、たぶん愛紗だけ」
ギリギリと交錯していたこの攻防を諦め、恋がバックステップで距離を取る。そしてそのまま颶風となって再度愛紗に肉薄する。
迎え撃つは青き龍が放つ下薙ぎ。
空間を切り裂く軌跡と全てを押しつぶす奔流。再度の激突も互角、だったが、その後の反応に開きが出た。
「……遅い」
体を捻り込み、旋風のような回転から超疾の一撃を放つ恋。
「――」
重厚なそれを柄で何とか受け流し、反撃に転じようとする愛紗だったが、
「……くっ」
恋は既に次の攻撃を繰り出してきていた。間断なく突き入れられる打突に、愛紗がじりじりと下がっていく。
高速、いや神速といっても差し支えない勢いで襲いかかる恋の攻撃。眉間に、心臓に、下肢に迫りくる刃を弾いて前に出ようとする愛紗。
「……甘い」
先ほどの攻撃を上回る鋭い薙払いが、愛紗の前進を許さない。息もつかせぬ連撃。場を支配しているのは完全に恋だった。
しかし、愛紗も蜀の武神と称えられる存在だ。防戦に徹していれば、後退しつつ、間合いを取り直すことは出来る。
「ふぅっ――」
一際鋭い剣戟の後、愛紗は暴風のような恋が作り出した死地から脱することが出来た。
己の体勢を整えることもそこそこに、愛紗は周囲を見回した。……そして悟る。自分の味方がそこに居ないことを。
「桃香さま、ご主人様の言はこれほど責められるようなことなのですか?」
「愛紗ちゃんこそ、ご主人様のことを赦すことができるの?」
「赦すも、赦されるもないではありませんかっ!? ご主人様は英雄。色を好むこともお有りでしょう」
「十把ひとからげに掴まれ、そのことに満足し、主が他の女にうつつを抜かしていることを我慢せよ、と?」
「しかし、それすらも選ばねば得ることは出来ぬっ」
「……それは、愛紗が本当にご主人様のことを好きじゃないから。だからそれで我慢できるの」
恋の一言に、愛紗の反論が止まる。その時、俺の頭を過ぎったのは、さっきの愛紗の告白だった。嫌々とまでは言わないが、明らかに進んでしたとは思えなかったソレ。
愛紗は、俺のことが好きではなく、桃香との約束の中で、今日という日を迎えたのかも知れない。たとえ真実がどうであったとしても。
(これ以上、愛紗と他のみんなを戦わせたくない)
俺が愛紗を庇おうと前に出ようとした瞬間、
「私は、ご主人様を愛しているっ!!」
愛紗の告白が一帯に響いた。
「……へっ?」
と間が抜けた声が漏れた。主は、俺。
その様子を、愛紗が微笑ましい顔つきで見ていた。
そして振り返る。もう、俺はその顔つきを確認することが出来ない。ただ、凛としたその背に、愛紗が抱えていた暗雲を振り払ったことを知った。
「ここを、我が死処と決めた」
青龍偃月刀を地に突き刺し、愛紗は、そう告げた。その言葉には気負いも重さも感じなかった。ただ、そこにあるのは、当然そうすべきという、ずっと前から決まっていたかのようなそんな当たり前さだった。
両手を広げ、最期に世界を確かめようとするかのような姿に将兵がどよめいた。
「夢か現か、という話であれば、この気持ちが恋であるかどうかなんて判らない」
愛紗は辺りを見回して、諸将の顔を確認するようにした。
「ただ、自分が信じなければ誰が信じよう? この気持ち、誰に確かめられよう? 私はもう逃げないし、隠しもしない」
一拍、呼吸がおかれた。
「私は、ご主人様が好きだ。だから、ここで命を燃やそう。この身の全てを賭して、ご主人様を落ち延びさせてみよう」
青龍偃月刀が地から引き抜かれた。
「蜀の将兵よ、覚悟をもって挑んで来よっ!! 生半可な武で私を打ち斃せると思うなっ!!」
大気が震え、地が鳴動する。
「全霊を懸けて、私はこの大地に立ち続ける。将兵の全てを押しとどめる盾となり、全てを打ち払う矛となろう」
歩兵レベルの人間は、愛紗の怒号の前に完全に怯みを見せた。愛紗の覇気から本当に死を決している気配を感じたのだ。
「我が名は関雲長。北郷一刀に惚れ、付き従う者なり。今こそ此処で、恋に生き、恋に殉じる」
その声が途切れても、誰も動かなかった。いや、ひとりだけ違った。
「……ようやく見つけた、本気で戦える相手」
恋だった。しかし、そう呟いたが最後、恋は動こうとしない。
「どうした? そこで止まっていては、飛将軍の名が泣こう」
「――――――ククッ」
それは果たして誰の口から漏れた笑みだったのか。
声が消えきる前に、黒と蒼の軌跡が激突した。またもや互角、と思いきや、今度は蒼の螺旋が一拍早く恋に襲いかかる。
怒濤のような打突の前に、恋がたまらず後退する。
「す、すごい」
思わず驚きの声が漏れた。どんな戦場に於いても恋は無敵だった。それこそ次元の違う戦いをしていた。それが今、一瞬とはいえ、後ろに下がったのだ。愛紗が見せている武の凄まじさが判るというものだ。
「そう、それが恋(こい)の力ですよ、主」
ぶつかり合うふたりを見ながら、星が近寄ってくる。
「虎牢関の戦いを覚えておいででしょう。あの時は桃香さま、鈴々が横に居てようやく互角だったというのに、今はほら」
洗練された刃の舞が、間隙なく恋に襲いかかる。巧みに捌いているが、反撃に移るだけの余力を、恋からは感じなかった。
「圧倒している。……何故か、判りますか?」
「愛紗が、本気を出しているからじゃないのか?」
「虎牢関のとき、愛紗が本気ではなかったとでも? 違いますな。あの時あった絶望的な差を埋めているもの、それはまさに命ですよ」
飛び散る火花。そこから僅かな間を縫って突き入れられてくる方天画戟を容易くかわし、青龍偃月刀が恋の首を窺った。
「――」
すんでのところで、青龍偃月刀の猛襲から恋が脱する。
「命?」
「そう、人は全力を出していると思っても、体組織が耐えられる領域を限度として、自分に歯止めを掛けているもの。ただ、それはあくまで意識の問題。無意識に行っているそれを意識が凌駕すれば、限界は引き上げられる」
獣のような速度で、恋が地を蹴る。それを上回る速度を見せる愛紗はどう形容すれば良いのか。
「勿論、そんなことをして、長く持つはずがない。ただ、現在の蜀で最強の武将は恋(れん)ですからな。討ち取らねばこの場を落ち延びることすら出来ない。……だからこそ、愛紗は本当に命を懸けている」
「そんなっ……」
「さあ、主、せっかく愛紗が時間を作ってくれているのです。逃げないのですか?」
「馬鹿言うなっ」
そう言い置いて、戦闘のまっただ中に向かって全力で走る。
「主こそ、十分馬鹿者ですよ……」
星の言葉を振り切り、戦場に踊り出る。交わされているのは暴風のような剣戟。どこでどう割って入っていいのか、タイミングをつかむことすら出来ない。
(だけど……)
星の言う通り、愛紗が命を燃やして戦っているのなら、一刻も早くとめないといけない。
「ええい、ちっくしょうっ」
無謀と言うのが最も相応しいだろう。タイミングも何もなく、とにかくふたりの間に飛び込む。死への恐怖はあったが、居ても立ってもいられない気持ちがそれに勝った。それと、もうひとつあるとするなら――、
「武神であるふたりの力量を信じてたよ」
首と腹、もう少しで切り裂かれようとするような場所で、ふたりの刃はストップした。
「ご主人様、なんて危ない」
「危ないのは、どっちだっ!! 恋もっ!! 討つなら俺にしろって言っただろう」
問答無用でふたりを叱りつけ、そして恋に向き直る。
「ほら、恋?」
制服のボタンをはずし、首がよく見えるようにする。
そして目をつぶる。
「ご主人様っ!?」
「いいから。恋?」
困惑の声を上げた愛紗を押しとどめ、最期の刻を待つ。
「と、桃香っ……!!」
珍しい、恋の大声。が上がったと思ったら、
「わ~~~っ!! もう、もういいよ、もう大丈夫だからっ」
桃香が目を白黒させながら走り寄ってきた。その後ろには、蜀の主立った将が居並んでいた。
間を縫って、朱里と雛里が抱きついてくる。
「ごしゅじんざまっ、よがったですぅ……」
ふたりとも涙でぐしゃぐしゃになった顔をしていた。
「本当に良かったのだ。鈴々、自分を押さえるのに必死だったのだ」
「つまりどういうこと?」
朱里と雛里を宥めながら、しょんぼりと俯く桃香に声を掛けた。
「……というわけなの」
「……」「……」
沈黙は、俺と愛紗のもの。
桃香の説明によると、全ては、この全蜀告白大会すらも、愛紗の本音を引き出すための茶番だったというのだ。
「ちゃ、茶番は言い過ぎだよ。……ほら、愛紗ちゃん、こんな舞台を整えても、あんな自分に否定的だったし……」
みんな無事だったからいいようなものだけど……。
「ごめんなさい……。ここまで大事になるとは思わなかった……。ごめんね、愛紗ちゃん」
平身低頭の桃香。いくら愛紗の為とはいえ、騒ぎの規模が大きすぎた。もう少しで誰かが傷つくところだったわけで。
「ほら、愛紗も一言ぐらい桃香に何か言ったら……って愛紗?」
声を掛けた先には、これ以上ないほどに顔を真っ赤にした愛紗が呆然と突っ立っており……。
「私は、ご主人様を愛しているっ!!」
「へうっ!?」
愛紗の声音を真似た星と、変な愛紗の声。
「うんうん、愛紗と恋の激突もすごかったけど、あの告白の方がもっと凄かったよな」
うんうん、と何度も何度もうなずく翠。
「ゆめかうつつか、という話であれば、この気持ちが恋であるかどうかなんて判らないっ!!」
「はうっ!?」
変な韻を付けながら吟じるように口ずさむのはたんぽぽだ。
「いや、今時の若い者は壮絶な告白をするもんだ。のう、紫苑?」
「だから、人を年寄り扱いしないでって言ってるでしょう? ……でも、そうね、わたくしもあんな告白してみたいわね」
しみじみと語られて、ぶるんぶるんと首を振る愛紗。
「でも、」
謝罪の淵から生還した桃香が、いつものほほえみで、愛紗に話しかける。
「わたし、本当に嬉しかった。愛紗ちゃんの気持ちがちゃんと聴けて。無理矢理だったかも知れないけど、愛紗ちゃんも自分の気持ち、伝えたかったとわたしは思ってる。だって、愛紗ちゃん、いい笑顔してるもん」
それは本当のことだった。これまでずっと、いつからか愛紗を覆ってきていた陰みたいなものが、綺麗さっぱりと取り払われていた。
「はい、なんだかとても……嬉しい、です」
愛紗が俺を見て、ほんわかとした笑顔を浮かべた。可愛らしい笑顔だった。
「あっ……」
その笑顔につられて、愛紗の頭を思わず撫でてしまっていた。
「駄目かな」
ふるふると首が振られ、ほっとする。断られるかもって、少し思ったしね。
「ず、ずるいっ……」
そう声を上げた桃香が撫でて撫でてという顔をしながら寄ってきたが、知らんぷりしてやった。
「桃香は駄目だ。悪巧みしたからしばらくお仕置き」
「そ、そんなっ!! みんな平等に愛してくれる約束なのにっ!? 愛紗ちゃんだけ特別っ!?」
桃香の一言に愛紗をのぞく、21人が不満、不安、猜疑の目で俺を睨め付けてくる。
「だから、お仕置きだってば!?」
と叫ぶ俺の手を引いたのは、愛紗だった。そしてそのままふたりで走り出す。
「でも、今日は、今日だけは私だけのご主人様ですっ」
「あ、逃げたっ」
「追いかけろっ」
愛紗の爆弾発言に、各人追跡体勢に入るが、そんなのを気にもとめず、愛紗は嬉しそうだった。
「ふふふ、何処までも一緒ですよ、ご主人様」
「ああ、そうだな」
愛紗とふたりの逃避行。それは、楽しいみんなとの生活の再開の合図。
巴蜀の春。そんな優しい日の一幕だった。
<了>
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Baseson『真・恋姫†無双』より、愛紗メインで、蜀の面々が恋の大バトルを展開(後編)。
後編では、はわわとあわわはないよ!!