―行く当てが、無い。
家族との些細な衝突で家を飛び出し、何も考えずに電車を乗り継ぎ、
よく知らない私鉄の小さな駅で最終電車を降りた私は、駅前のベンチに座り込んだ。
上を向けばきれいな星空が見える。
普通に考えれば、夜を明かす場所が必要だ。
現金の持ち合わせは無くはないが、女子中学生、それも小柄な方の私が一人で宿を取れる気がしない。
幸い、季節は初夏に差し掛かり、暑くも寒くも無い。
もうこのベンチで朝を待とう、何も考えたくはないんだ。
そう決めてベンチに横になり、目を瞑る。
警察の人に見つかって家に強制送還されるだろうか?
怪しい人に見つかって酷い目に逢うだろうか?
それとも夜露に体力を奪われて、二度と目覚めることが無くなるだろうか?
もうどうなってもいい。
そんな投げやり感があった。
「おい、お前!」
誰かに声をかけられた。
「こんな所で寝てるんじゃない!」
重い瞼を開けて見ると、目の前に男の人が立っていた。
紺のスーツにベストを着込み、中折れ帽子を被って上着は肩に担いでいる。
「……怪しい人ですか?」
「怪しいのは他人ん家の庭で寝てるお前だよ」
それはごもっともかもしれない。
いや、ここは誰かの家の庭先ではなかったはずだが……?
「この街は僕の庭なの、だから寝ないで。」
怪しい人じゃなくて痛い人だった。
「お前は……小学生?中学生?家はどこ?」
痛くて怪しい人だが、どうやら私のことを家出少女と認識したらしい。
このまま家に連れ戻されるパターンだろうか。
……家には帰りたくない。
ささやかな抵抗として、私はそのまま黙っていることにした。
おうちを聞いても分からない
名前を聞いてもわからない
犬のおまわりさんだったら困って鳴き始めるところだ。
「よし、分かった。」
……なんか分かったらしい。
突然腕を引かれて、思わず立ち上がる。
彼はそのまま私を引っ張り、近くのアパートの階段を上り始めた。
「あっ、あのっ!?」
さすがに身の危険を感じて声を上げるが、全く気にも留めず、ある部屋の呼び鈴を押す。
「はーい……あら、本物川さん?どうしたの?」
「家出少女なんだけど、面倒くさそうだから咲に任せたい」
本物川と呼ばれた男はそう言って、出迎えた女性に私を突き出した。
「あらあら……うん、わかりました、任せて。」
突き飛ばされた形になった私をキャッチして、その女性は私を一通り観察し、無茶振りとも思えるその申し出を快諾した。
咲と呼ばれたその女性は20代前半くらいで、髪を後ろに束ね、眼鏡にTシャツジーンズといった格好だが、メリハリのついた体に栗色の髪、整った目鼻立ちから、美人と呼んでも差し支えない容姿だ。
一方の本物川とかいう男も咲と同年代くらい、明るい場所で見れば彫りの深い顔立ちに青い瞳、帽子の下は刈り込んだ金髪でどうやら外国の人に見える。
イケメンと美女のカップルとかなんだかむかついてきた。
「じゃあ僕はもう寝ます、あとよろしく。」
そう言って本物川は奥の部屋に消えていった。
「さて……私の名前は、小村 咲といいます。あなたは?」
「…………」
なにぶん、見知らぬ人の部屋に連れ込まれた形である。
警戒感マックスで沈黙を続ける。
「そうねぇ……」
咲はひと思案すると、脇のクローゼットから小箱を取り出し、その中から針の刺さった布の玉を取り出した。どうやら裁縫箱だったようだ。
「答えてくれないと、この針を一本ずつ手の甲に刺していきます。」
なにそれ怖い
「お名前は?」
「……ハル……です……」
「そんなに怖がらなくてもいいのよ?」
無茶言うな。
「家出してきたの?」
「はい。」
「帰りたくないのね?」
「はい。」
「……うん、じゃあしばらくここに住んでなさい。」
「……えっ!?」
とても意外な申し出に戸惑う。
自分の状況を省みるに、それはとても助かる申し出ではあるのだが、いかんせん初対面の人間だ、
何かあるのではと勘ぐってしまう。
……ふと、ついさっきまで自棄になっていた自分を思い出して苦笑いする。
そうだ、"私はどうなってもいい"んだった。
「ありがとうございます、お世話になります。」
「うん!よろしくねハルちゃん!」
差し出された手を掴むと、ブンブンと激しい握手を交わす。
「それじゃあえっとね、今日はベッドが本物川さんに使われてるから、寝るのはソファーかな。変形する奴だから狭くないよ。」
「あと・・・そっか、お風呂だね、お風呂はここ。洗濯するものはここに出しといて」
てきぱきと生活の説明をする咲。
しかしハルは、ひとつだけ聞かねばならなかった。
「あの……なんで助けてくれるんですか?」
「ん?えっとねぇ……」
咲はしばし空中に視線を泳がせて……
おもむろに自分の手の甲にマチ針を突き刺した!
「えええええええええっ!?」
あまりに突然な行為に面食らってしまう。
「それは秘密、かな。」
咲のカラっとした笑顔にそれ以上聞くことはできず、
かくして、家出少女ハルの新しい生活は、一抹どころじゃない不安を抱えて始まったのである。
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見知らぬ街まで逃げ出した家出少女ハルは、不思議な男"本物川"と出会う。
※登場する人物、団体は本物川さん以外は実在しません。
「小村 咲」は胡紫さんとは何も関係ありません。
本物川は本物川さんです。