「というわけで、今日から許昌に住むことになった協と弁だ。
皆もよろしくしてやってくれ。ほら、協、弁」
「う、うむ。よ、よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
突然の招集に緊急の軍議、そして思いも寄らない人物と耳を疑う発言。
それらが折り重なった結果、ここ許昌の軍議室は一時の静寂に包まれる結果となった。
これを知っていた者を除き、誰もが目を丸くして驚きのあまり声を失う。身動ぎすらも忘れ去る。
否、ただ一人、華琳だけは顔を俯け、プルプルと震えていた。
「…………一刀……貴方ねぇ……」
「ん?どうかしたか、華琳?」
「『どうかしたか?』じゃ無いわよっ!!」
華琳の怒声が軍議室に響き渡る。
先程から堪えていた怒りを、どうやら抑えきれなくなってしまったようだった。
「説明も無しにいきなりそれを言われて、はいそうですか、って納得出来るわけが無いでしょう?!」
「説明ならしたじゃないか?」
「ええ、そうね!あれを説明と言えるのならね!!」
華琳が怒るのも無理は無い。
一刀が始めに報告したこと、それは余りに簡潔に過ぎたものだった。
曰く、李傕と郭汜の謀反は鎮圧した。だが、劉協の心は折れてしまった。
たったそれだけだった。
その直後に、先ほどの台詞と現皇帝、前皇帝の登場と相成れば、空気も固まって然るべきだろう。
「すまぬ、孟徳よ。朕のせいで迷惑を掛ける……」
「っ!いえ、陛下は何も悪く御座いません。
今悪いのは、全てそこで阿呆面を晒しているその男だけですので」
「何だ、華琳。今日は随分と手厳しいな」
「どの口がっ……!」
またも激昂しかけて、しかし今度はどうにか拳を握りしめて堪えた。
大きく一つ息を吐き、華琳は心を落ち着かせる。
そして視線の鋭さはそのままに、一刀にふと思ったことを問う。
「一刀、貴方、何が狙いなの?いくらなんでも貴方らしくなさ過ぎるわ」
「はは、まぁ、気付くよな。というよりも、気付いてくれなかったらこっちが困ってたんだが」
あっけらかんと一刀は肯定を示す。
その頃には軍議室の凍った空気もほぼ溶けていた。
そこには妙に畏まったりするような空気は無い。
一刀はそんな一同を見回してから簡潔にこう言った。
「確かに、今日はここに協と弁がいる。だが、必要以上に固くなる必要は無い。
これは協たちの希望でもあるしな。それをまずは身をもって実践しておいた。それだけだ」
「方法がぞんざい過ぎるわよ……はぁ、もういいわ。
で?ちゃんとした報告をしてもらえるかしら?」
「ああ。そうしよう」
華琳を始め、魏の面々にも聞く態勢は整った。
それを確認してから、一刀は洛陽にて起こったことの詳細を報告し始めた。
「――――とまあ、俺たちは月の案内で急いで協たちの下へ向かったんだが。
辿り着いた時には既に内部から鎮圧されていた。だから、結果的に目的は達した、ということになるな。
別働隊も詠の報告にあった通り、きちんと馬車を押さえてくれた。まあ、こっちは結局囮だったわけだが。
被害の方は――」
「ほぼ無し、よ。ボクの方で確認は取ってあるわ」
時間を掛け、一刀と詠、それぞれの方で起こった洛陽における事件、その詳細を説明し終えた。
黙って頷きながら聞いていた華琳が、そこで話を進めるべく声を上げる。
「なるほどね。そこまでは分かったわ。
ただね、一刀。疑問として残るのは、陛下はここへ来ることについて、本当に納得されているのかしら?」
「それは――」
「その問いには朕自らが答えるのが良かろう」
一刀の声に被せるようにして劉協がここで声を上げる。
幼いながらも凛とした響きを持つその声は、皆の耳によく届く。
殊更に声を張り上げるでも無く、劉協は自らの考えを語り始めた。
「朕はこれでも皇帝じゃ。皇帝とはつまり、人を、地を、天を統べる者ということじゃ。
じゃが、朕には実際にそんなことなど出来ず、ずっと仲穎と文和に頼りきりじゃった。
それも結局長くは続かず、仲穎も文和も洛陽を去らねばならなくなった。
じゃから、せめて朕も洛陽の街くらいは、その民くらいは好く統治せねば、と奮起したのじゃ。
だと言うのに……結局朕は、たった二人の部下の勝手を知れず、止めることも出来ず、挙句、利用され民を苦しめてしまった。
そうなってから、考える時間だけは沢山あった。じゃから、朕は考えた。考えに考えたのじゃ。
そして、分かったことが一つ。朕は結局、人を統べられるような器では無かったのじゃ。
それが真に出来るのは、仲穎や一刀、それに孟徳、主のような者じゃ。
それに気付いた時、朕の心は折れてしまった。
こんな状態では、最早為政など到底叶わぬ。じゃから、一刀の提案に、朕の意思で従うことにしたのじゃ。
これで納得は出来るかの、孟徳よ?」
「……ええ、十分で御座います。
心苦しいお話を陛下にさせてしまうことになり、申し訳ございません」
「良い。もう心の整理はついておるし、何より、過ぎたことじゃ。
じゃが、主の心遣いには感謝する」
「はっ、ありがたきお言葉」
畏まって礼をする華琳を見て、劉協は思わず苦笑してしまう。
その様子に華琳は疑問を持ったのだろう、僅かではあるが、それが表情に出ていた。
一歩離れて全体を見ていた劉弁はそれに気付く。
彼女はそろそろ頃合いだと感じたのだろう。
ゆっくりと劉協に近づくと、その両肩に後ろから軽く手を置く。
「協。もういいんじゃないかしら?」
「……うん、そうだね」
小さく姉に頷いた言葉は、その言葉使いは、まだ彼女にしか届かない。
協は改めて華琳を見つめると、一つ大きめの呼吸をしてから意を決して再び話を始める。
「孟徳よ。朕が一刀に…………いえ、言い直しましょう。
曹操さん、私が一刀に初めに頼んだこと、覚えていますか?」
「へ、陛下……?!
……あ、は、はい。勿論、覚えております。必要以上に畏まるな、と……」
劉協の言葉使いの突然の変貌。それだけでなく、呼びかけ方も変化し、敬称まで付けられている。
それに華琳は面食らってしまう。
結果、華琳にしては珍しく、言葉に詰まりながらの回答となった。
が、協は特にそこを気にしたりはしない。
華琳の返答に一つ頷いてから、更なる衝撃を生む発言を始めた。
「はい、その通りです。そう言ったことにも、ちゃんと理由はあります。
結論から言ってしまうと、もう私に恭しく接する必要は無いのです」
「……何を仰っておいでなのですか、陛下?」
「分かりませんか?いえ、聡明な曹操さんであれば、そして魏の軍師の方々であれば、察しはついているのでは無いでしょうか?」
「…………」
協の発言による衝撃で、華琳も単純な問い返ししか出来ず、それに対する反問にも沈黙を返すことしか出来ない。
実を言えば、協の言う通り、華琳や桂花、零達も薄々は気が付いている。
だが、それを口にすることに躊躇いを覚えているのだ。
対して、当の本人は一切合切を気にしていないかのように、平然とその先を言葉に紡いでいく。
「確かに私は皇帝の地位に就いていました。”洛陽を都とする漢王朝の皇帝”の地位に。
ですが、私は、洛陽を出てしまいました。分かっているとは思いますが、都の機能移設だとか、そういったことではありません。
文字通り、逃げ出してしまったのです。私の役目から。
その瞬間、漢王朝は名実共に終末を迎えました。
詰まる所、ここにいる私は、最早皇帝などではありません。ただ一人の人間、劉協でしかないのです」
「陛下、そんなことは……」
思わず言葉に詰まる。
劉協自身、自覚して言っていることは特に間違ったことでも無い。
何より、一刀も言っていたことで、先程の、そして今の劉協の話からも分かることがある。
心が折れてしまったこと。それはつまり、劉協だけではもう十分な為政に至れないだろうということ。
「まあ、協自身はこう言っている。
弁も、協が決めたことなら、と納得済みだ」
「はい。私はお恥ずかしながら、皇帝の座から逃げてしまった人間です。
協はそんな私よりも立派に務めを果たしていました。
そんな協が、もう無理だと言うのであれば、私は協と共に表舞台を降りることに、何の未練もありません」
話の流れから自然に劉弁も答える。
淀みなく滔々と語られるそれには、確かに嘘偽りは感じられない。
聞いている側としては、そうであるのか、と納得するしかなかった。
「まあ、これは一度置いておいて。華琳、さっき俺は洛陽における事件の詳細は説明し終えた。
だが、その後に判明した、洛陽におけるもう一つの事件の方も説明しておきたい」
「置いておいて、って……いえ、いいわ。
それにしても、洛陽の内部事情ですって?それは今割り込んで話すほど重要なのかしら?」
「ああ、そうだと考えている。
何せ、内部から鎮圧されていた李傕と郭汜、その顛末とその後についてであり、この三人に関することだからだ」
一刀が示したのは、軍議開始当初からずっと一刀のすぐ斜め後ろに控えている劉協、劉弁、そして詠と月のすぐ後ろに控えている李儒の三人だった。
「……貴女が李儒ね。陛下だけでなく彼女もここにいる、と。
はぁ……分かったわ。説明なさい、一刀」
「ああ。まずは――――」
そうして、一刀は李傕と郭汜の毒殺についてを説明していく。
それは洛陽軟禁部屋における例の一幕の後、李儒自身から聞いた話の内容なのであった。
―
―――
―――――
協と弁が落ち着きを取り戻してからしばらく、外で馬車の確保に当たっていた詠たちが合流した。
今は場所を移し、軍議室にて李儒から話を聞く態勢となっていた。
「さて、李儒さん。色々聞きたいことはあるんだが、まずは改めて確認からしておこう。
李傕と郭汜は毒によって殺されたんだな?」
「はい、そうです」
「それをやったのは李儒さん、で間違いないか?」
「はい、間違いありません」
李儒は一刀の問いに迷うことなく頷く。
李儒には誤魔化しなどさらさらする気も無く、それは一刀にとってもありがたいものだった。
絡め取るような問答も半ば覚悟していただけに、無駄な手間が省けて内心で胸を撫で下ろす。
こうなれば話は早い、と一刀は直球で李儒に更なる問い掛けを行うことにした。
「二つ、君に聞きたいことがある。
まずは一つ目。状況を見たところ、茶にでも混ぜたのだろうことは分かった。
だが、どうやってそれを二人に盛った?君は二人の側の者だったのか?
それから二つ目。君は協と弁を救ったはずだ。
それなのに、何故自死しようとしていた?」
この一刀の問い掛けに、協と弁も反応を示す。
李儒が自ら命を絶とうとした理由は、二人も知りたいところだったのだ。
李儒はこの質問にも動じることも無く、淡々と彼女にとっての事実を語る。
「それら二つの質問には同時に答えることが出来ます。
ですので、順を追って説明致します。
まず、私は李傕と郭汜の二人に貴方がたをどうにかしろ、と言いつけられました。
これの報告を口実に私は陛下の下へ足を運び、話が多少長くなると偽って茶の用意をしました。それに盛ってあったのです。
私が陛下とお話をする時は、どんなに短かろうと長かろうと関係なく、李傕・郭汜側の見張り兵が監視していました。
ですから、兵に背を向ける形を取り、身振りのみで陛下と劉弁様にお願いを致しました」
「茶をこのまま置いておいて欲しい、でしたか?或いは、飲まないで欲しい。
始めはどういうことかと分からなかったのですが、そういうことだったのですね……」
得心がいったふうに弁が呟く。
李儒も一度そちらに顔を向けるとそれに頷き、そして顔を戻すと再び話し始める。
但し、口調は変わらずも、表情は若干苦し気なものとなっていた。
「御遣い様と月様が陛下を助けに来られたことは分かっていました。いずれ、あの部屋にまで至られるであろうことも。
ですが、李傕たちよりも早く、という保証はありませんでした。いえ、むしろそちらの方が可能性としては低いとすら。
あの二人は初めからまともに争う気は無く、陛下を連れて逃げ出そうとしていたのですから……
ですから、罠を張る形で彼女たちに毒を盛りました。
あの部屋は上層階。向かうだけでも多少は疲れます。
そこに手付かずの茶があるとなれば、あの二人ならばきっと無頓着に手を出すと考えて。
これが、私が二人に毒を盛った方法であり…………同時に、自殺を図った理由でもあります」
「何故じゃ!何故それが理由になるのじゃ!?
主は今まで、あの時までずっと、朕を支えてくれていたではないか!
最後まで朕を守ろうとしてくれた主が失敗をしたわけでも無し、何故自殺を図るのか朕には分からんぞ!」
「協……」
声を荒らげる協の肩に手を置き、弁が宥める。
それにハッとして呼吸を一つ、昂っていた気を鎮めた。
落ち着いて回りを見てみれば、協以外の人間は納得顔をしている。
そして、それは弁も同様であった。
姉としての責任か、弁が皆を代表して協に語り掛ける。
「あなたは今まで本当によく頑張って皇帝を務めてきたわ。それは私も保証してあげられること。
でもね、協。大陸の誰よりも上の地位に就くということの持つ意味を、あなたはまだ完全には自覚していなかったのね。
協、李儒さんの取った方法を別の面から見てみなさい」
「別の面?どういうことなのじゃ?」
「李儒さんには申し訳ないけれど、李儒さんが協を救えたのは”結果的”に過ぎないの。
どこかが狂っていれば、協、あなたが死んでしまう可能性も十分にあった。それは私にも言えるけれど、そこに協が含まれていることが問題なのよ。
私が言った、別の面から見たこの出来事、その解釈は分かる?」
「…………うむ。
朕に……朕の飲み物に、毒を盛った……」
「そうよ。さすがね、協。
いくら出した茶に対してきちんと指示を出したとて、それでも不測の事態は完全には避け得ないわ。
それでも、この方法を取るしか無かった。だから、李儒さんは……」
そこまで言って、弁が言葉を詰まらせる。
その言葉を引き継いだのは一刀であった。
「茶の用意が三つしてあったのは怪しまれないためでもあり、李傕と郭汜に加えて李儒さん自身の分でもあったということか。
初めからそのつもりでこれを計画し、実行に移した……全くもって見上げた忠誠心だ。心からそう思うよ」
「……いえ、それは少し違う――――のだと思います。
実を言えば、こうなるまでにも幾度か、陛下を救い出せそうな場面はありました。
ですが、いずれの時も成否の可能性よりも、自身の危険性の方に尻込みしてしまい……
そんな自分に嫌気が差しつつも、結局、こうなってしまうまで遂に行動に移すことは出来なかったのです。
最後の最後になってようやく決意出来ても、陛下の身を危険に晒してしまわねばならないような策しか思いつかなかったのです。
不敬罪なんて、そんな生易しいもので私の罪は雪げません。それだけ、これまでに私は選択を誤ってきたのですから」
自嘲するような薄い笑みを顔に貼り付け、李儒がそう言う。
小さく口の中だけで、だから私は死ぬべきだ、と付け加えている。
瞳には一種の覚悟が浮かんではいる。が、よく見ると分かる、小刻みに震える体が、李儒が今更ながらに怖れを抱いていることを物語っていた。
悲壮な覚悟を持って、毒を飲む直前までは行った。が、そこで己の意志とは無関係に止められ、生かされた。
それによって李儒の中で何か糸が切れてしまったのだろう。
理性、心の表面では死を望むべきと考えていても本心、心の奥底では生きたいと望んでいる。
一刀の予想でしかないが、それが今の姿から察せる李儒の状態であった。
「陛下に毒を……でもそれで陛下は助かって……それでもさすがに陛下のお飲物に毒なんて……
あああぁぁぁああ!私には分かりませんわ!!」
「れ、麗羽様!落ち着いてください!」
「んん?陛下は李儒とやらのおかげで命が助かったのだろう?
ならばそれで良いのではないのか?」
「相変わらず馬鹿ね、春蘭。その手段が問題だって言ってるのよ」
「何をぅ!?」
「へぅぅ……すみません」
「ちょっ!?なんで月が謝ってるのよ?!」
「だって、私の元部下の方が原因でややこしいことになってるから……」
「い、いや、確かにそうだけど……
でも、それを言えば人選をしたボクに全責任が――――」
「……蕙、頑張った」
「恋!それは分かってるから!」
会話の主体であった一刀と李儒が沈黙するに至り、流れが一段落ついたと見るや、俄かに周りの面々が騒がしくなる。
三々五々固まった状態で話を繰り広げている中、秋蘭だけが静かに思考に没頭していた。
やがて秋蘭の中で結論が出たようで、一刀に歩み寄るとこう話しかけた。
「一刀、一応聞いておこう。
李儒をどうするつもりだ?」
「一応、ってことは、俺の考えは分かってるみたいだね。さすが秋蘭。
ま、ご想像の通り、李儒さんも許昌に連れていくよ。華琳に引き合わせるつもりだ」
「やはりな。お前とは長い付き合いなんだ、これくらいは分かるさ」
言葉でも言外でも意思疎通し、互いに微笑み合う一刀と秋蘭。
その話し振りは既に決定した出来事を話しているよう、いや、そのままであった。
そんな内容と様子に戸惑いを隠せないのは、誰あろう話題となっていた李儒である。
「え?え?あ、あの……御遣い様……?一体何を言って……」
「ん?そのままの意味だよ。既に聞いたとは思うが、協と弁はこのまま俺たちと共に許昌に来ることになっている。
その時に李儒さんも一緒に連れ帰る、ってだけの話さ」
「いえ、ちょっと待ってください!」
この場に来て初めて、李儒が感情を大きく揺らがせる。
それは李儒自身が意図したものでは無かったが、故に制御が利かずに荒い声のまま捲し立てるように話す。
「私の話を聞いておりましたか、御遣い様!?
お聞きの通り、私は天下の大罪人です!陛下に向けて凶器を突き出したのですよ?!
即刻処刑されこそすれ、どうして生かす選択肢が存在しましょうっ?!」
興奮しきっている李儒に対し、一刀は一瞬間、対応を悩む。
が、すぐにそれを定めると視線鋭く李儒を射抜き、有無を言わせぬ力強さを持った言葉で告げた。
「今は従い、頭を冷やせ、李儒。
冷やしたなら、俺たちが、特に協が言ったことをよく思い出し、吟味しろ。その上で、もう一度お前の意見を整えるんだ。
期限は許昌に着くまでだ。いいな?」
「は、はい……」
一刀に押され、李儒は思わず諾の返答をしてしまう。
それを以て一刀が洛陽にて行う全ての判断は決定したのだった。
―――――
―――
―
「そういうわけで、ここに李儒も連れ帰った。華琳、君と引き合わせるためだ。と言うのも――――」
「ああ、それ以上はいいわ。大体分かるわよ」
最後の締めの言葉を一刀が発する前に、華琳は片手を上げて一刀を制した。
そして一刀が続きを口にするよりも早く、その理由を自ら口にする。
「貴方のことよ、こうやって改まって李儒をこの場に引き出したとあれば、”また”なんでしょう?
天和、地和、人和に始まり、月、詠、恋に梅、そして麗羽、猪々子、斗詩と続けた、”それ”。
全く、貴方らしいわ。いえ、実際にどの娘も魏に取って無くてはならない存在になってきているのだから、文句は無いのだけれどね」
華琳の言葉を聞いて、一刀も納得する。
確かに、一刀の行動は今までと同じと言えるだろう。
それでも、それぞれのパターンで細かな違いがあることはある。
それを含めて、華琳は言わずとも理解してくれるようで、それは非常に楽で助かるものだった。
「そこまで察しがいいと助かるを超えて感謝しかないな」
「まったく、私だからいいものの、もし貴方がよそで同じことをやっても意味は為さなかったかも知れないわよ?」
「華琳だからこそやったんだ。少なくともそのくらいには華琳を知っているつもりだし、信頼している」
「ふふ、言ってくれるじゃない?」
互いに微笑み合って互いを理解している二人とは異なり、話題の中心であるはずの李儒は上手く付いていけていなかった。
「あ、あの……えぇと……」
「あら、悪かったわね、李儒。
まあ、でも大体は掴めたのでは無いかしら?
簡単に言えば、一刀は今までの大陸の常識から考えると型破りなことばかりやっている、ということよ。
他はともかく、天和、人和、地和は貴女でも知らないでしょう?
彼女たちはかつて大陸を賑わせた黄巾党、その元首領たちよ。
尤も、今はその名を捨て、魏の一員として働いてくれているのだけれどね」
「え、えぇっ!?で、でも、張角たちは皆火に飲まれて首級を挙げられなかったのでは……?」
「それはガセよ。私達が流した、ね。ついでに言えば、人相書きも皆ガセ。
実際にあの娘たちに会えば分かることだけれど、とても可愛らしい娘たちよ」
「は、はぁ……」
李儒は突然放り込まれた予想外過ぎる情報に半ば呆然としてしまう。
一方で華琳は話が脱線しかけていることに気付き、軽く咳払いをしてから本題に戻した。
「つまりね、本来であれば首を刎ね、世に晒すのが普通と言える娘たちを、一刀は魏の一員として取り込んでしまうのよ。
考えてもみなさい?明確に漢王朝に反旗を翻した黄巾党の首領、陛下を傀儡にして暴政を振るったとされた暴君とその部下。
更には我が国に対して刃を向け、実際に侵略までしてきた者たちまで。
この一刀のことを聞かずに貴女がこれらの問題に直面した場合、どうするかしら?」
「…………問答無用で処刑、です……」
李儒の返答に、華琳は満足そうに笑む。
そしてそのまま続きを語る。
「そうでしょうね。普通はそうよ。
でも、一刀にはそれが当てはまらない。常識なんて一切関係なく、自らに利することを選び取るのよ」
「ですが、だからと言って、どうして私まで?
大罪人を集めている、というわけでは無いのでしょう?」
「ええ、そうね。ただの罪人には興味なんて無いわ。
けれど、さっき挙げた娘たちには共通する事柄があるの。それが、”才”。
私は才ある人材を集めることが趣味でもあり、そしてそれが魏の為でもあるの」
ここまで言われれば、さすがに李儒も全てを察した。
が、それが故により一層首を横に振ることになった。
「……曹操殿と御遣い様が仰りたいことは、自惚れでなければ理解致しました。
ですが、ならば尚更それに対して首肯することはできません。
私には詠様を始めとする方々のような才はありません。恋様のような才も当然ありません。
文武に優れるところはこれと言って無く、かと言って月様のような統べる者の才も持ち得ません。
月様、詠様が与えて下さった役柄は、これを自覚して陰に徹していたが故だと思っております。
評価していただけるのは喜ばしいことですが、過大評価はお互いのためにはならないかと」
きっぱりとした口調でそう告げた李儒。
その瞳からは謙遜では無く本音を話していることが読み取れた。
「あら?私は正当に貴女を評価しているつもりよ?」
「右に同じ、だ。判断と行動、思考から真っ当に評価したぞ」
が、それを分かっていようと取り合わないのがこの二人である。
李儒が尚も何か言い募ろうとする前に、一刀が言葉をつなぐ。
「それに、だ。何も才の形は文武それぞれで一つと決まっているわけでは無い。
中にはどちらにも属さないような、補助の才というものもある。
まあ、李儒さんには普通に文官としての才があるとは思っているが。
それよりも、李儒さん、俺が与えた課題、答えは出たかな?」
さらっと話題を変えて一刀は問う。
李儒の方はこれを、一応話は繋がっているものと判断し、彼女自身がずっと考えて至った答えを返してきた。
「陛下は私の仕出かしたことを気にしない、と、そう仰ってくださいました。
思い返せば、御遣い様もあの時既に評価してくださったような言葉を……
ですが、それらを踏まえたとしてもやはり、私がしてしまったことは大変なものだと考えます。
劉弁様も仰ったように、私の策が上手くいったことは”結果的”でしかないのです。
偶々私の意図したことが劉弁様に伝わり、偶々李傕と郭汜の二人が喉を乾かして現れた。
そしてあの二人が気まぐれで毒入りの茶を飲んだ。突き詰めてしまえばそれだけなのです。
あまりに運に頼り過ぎた、策とも言えない策。私などはその程度でしかありません。
ですので、やはり私のしたことは罪でしか無いのだと……」
「李儒さんっ!またそんな……っ!」
思わずといった様子で協が声を上げる。
詰まった言葉をどう紡げば李儒の心に響くのか、それに悩む協の肩に、今度は一刀がポンと手を置く。
そしてその耳元で軽く囁くようにしてアドバイスを授けた。
「協。李儒さんは今、”皇帝に対して刃を向けたこと”に苦しんでいる。
逆に言えば、それさえ取り除けば……ということだ。分かるか?」
「…………うん、分かった。ありがとう、一刀」
一刀に礼を言った後、協は一度目を瞑る。
そのまま深く一つ呼吸をし、”最後”とするつもりで気を入れた。
「文優よ。今一度主に問う。
主は朕を害する気持ちを、欠片と言えど持っておったのか?」
「それは断じて有り得ません!私は陛下を心よりお慕い申し上げておりますので」
敢えて口調を戻してきた劉協に釣られ、李儒も懇切丁寧な口調になっている。
協の切り替えに李儒も付いてこれていることを簡単に確認してから、協は主となる言葉を紡ぐ。
「朕はあの状況にあって、最早諦めるしかないと考えおった。
じゃが、主が策を巡らせ、朕を救ってくれたのじゃ。
そこに感謝こそすれ、何故罰することがあろう?
大体、思い出しても見るがよい。多少の危険無くして、あの状況を打破するなぞ、出来ようものかの?」
「ですが――」
「他の誰が何と言おうと、朕は気にせぬ!結果が大事なのじゃ。過程など、どうでも良い。
朕は皇帝じゃ、その程度の我が儘は通してみせようぞ」
一言一言、協は李儒の心に届けとばかり、噛み締めて発言する。
「それに、先ほど孟徳にも言うたじゃろう。
最早、朕は皇帝では無くなるのじゃ。主が苦しむ必要なぞ、もうどこにも無い」
「陛下…………」
「文優よ、朕からの最後の頼み事じゃ。
朕と共にこの地、許昌にて、一からやり直してはみんかの?」
「…………こんな私でも、よろしいのですか?」
「無論じゃ。聞く限りじゃと、孟徳も主を迎える用意はありそうじゃ。
もう、楽になって良いのじゃ、文優……」
「…………はい……はい、ありがとうございます……」
ホロリと、一筋の涙が李儒の頬を伝う。
自らを責め続けていた李儒は、協の言葉によってようやく長い責め苦から自らを解放することが出来たのであった。
「どうやら話は纏まったようね。
さて、李儒はまあ文官として置くこととして……あ、桂花、零。調整は貴女達に任せるわね」
『御意』
「問題は陛下のこと、ね…………
陛下、お一つ、これだけは譲れないことがあります。よろしいでしょうか?」
李儒の話に一段落ついたところで、華琳は改めて協と弁に向き直った。
軍議も大詰め、残すところは協と弁の待遇の話程度である。
「はい。なんでしょう、曹操さん?」
「陛下にはせめてまだもう少し、皇帝の位に就いていていただきたく存じます」
「それは……どういうことでしょう?」
意図を掴めず、協は問い返す。
華琳は真剣な眼差しのまま、協にその意味するところを告げた。
「今回の件、陛下をお助けするためとは言え、多少なり無理を通しております。
色々な事後処理のことを考え合わせると、我々が陛下を保護した、とする方が都合が良いのです」
「保護……?すみません、話が見えないのですが……」
協が頭上に疑問符を浮かべて華琳に問い返したところで、李儒がハッとして会話に入ってきた。
「すみません、曹操殿、陛下と劉弁様にはお詳しいことをお知らせ出来ておらず……」
「あら、そういうことだったの。でも、状況を考えれば仕方の無いことと言えるでしょうね、構わないわ。
陛下、我々は貴女方をお救い申し上げるため、大陸にある情報を流しました。
それが、陛下は洛陽にて軟禁され、今度こそ本物の暴政が始まろうとしている、というものに御座います。
この噂に乗じて我々は動き、大事に至る前に陛下をお救いした。それが我々の描いた策でありまして。
今回は事後処理にも噂を使うつもりでおりますれば、陛下が退位なさるのは事態が混迷し兼ねないと思いまして」
「なるほど、そういうことでしたか。ですが……」
協がその先を言葉にする前に、華琳は条件を足すべく話を続けていく。
「もちろん、陛下が望まれるのでしたら、皇帝としての仕事を回すことは御座いません。
陛下のご意志は最大限尊重致しますことをお約束致します。勿論、劉弁様に置かれましても同様に御座います。
いかがでしょう?我々の願い、聞き入れていただけますでしょうか?」
「……そこまで言われては、受け入れないわけにはいかないのでしょうね。
分かりました、曹操さん。今しばらく、皇帝の座を降りることは保留としておきましょう。
ですが、これだけは。どうか、私の扱いは一人の人間、劉協としてでお願いします」
「承知致しました。とは申しましても、始めは慣れぬやも知れません。そこはご了承ください」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
双方納得を示したことで今回の軍議における重要な議題は全て終了となった。
「では、零。事後処理の方、お願いね。詳細は追って詰めるとしましょう」
「はっ」
最後に簡単に指示を出し、細かいものも終了。
その雰囲気を感じ取り、俄かに空気が変化する。
それを待ったのかは定かでは無いが、華琳は少しだけ間を取ってから軍議を締めるべく口を開いた。
「皆、今回の件、各々よくやってくれたわ。
ただ、少し性急に過ぎる面もあったことは事実よ。
或いは、これから少々忙しくなるかも知れない。だから、皆の益々の働きを期待するわ。以上!」
『はっ!』
一同の唱和。その大きさは魏の立ち上げ当初に比べて随分と大きなものになっていた。
それを感慨深げに聞き、眺め、華琳は一刀と目配せし合う。
二人のトップが思い描く内容は同じこと。
”いよいよ……”、だった。
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第八十話の投稿です。
洛陽編・結。
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