「ウォルター、もっとゆっくり歩いてくれないかな……」
デーキスは右手を抑えながら、前を歩くウォルターに言った。少し前にスタークウェザーという同じセーヴァの少年に襲われ、二人は命こそ無事だったものの全身傷だらけだった。
特にデーキスは右腕を鉄パイプで殴られたために、受けた部分は内出血でドス黒く腫れ、歩くだけでも激痛が走った。
「早くその腕を治療したいんだろ。早くしなきゃ治るものも治らなくなっちまうぞ」
「ケンも一緒だったらよかったのに……」
ウォルターに言われて、治療の出来る場所へ案内してくれるそうだが、どうしてもケン・アラナルドには教えたくなかったようで、せっかく助けてもらったにも関わらず無理やり彼を追い返してしまった。デーキスはウォルターの分までケンに謝ったが、ケンはバツの悪そうに微笑んで素直に引き下がってくれた。
「嫌だったらついてこなくてもいいんだぜ? あのお坊ちゃんに治療してもらえよ」
デーキスはそうしたがったが、都市の外について何も知らないデーキスには、ウォルターだけが頼みの綱なのだ。ウォルターの口ぶりは確実に傷を治せる見込みがあるからだろう。
「そんな事言わないでよ。僕だって早く怪我を治したいよ……」
「だったら、文句言わずに俺についてこいよ。俺に借りがあることを忘れるんじゃあねーぞ?」
デーキスの方を振り向いたウォルターは、不注意から足元の瓦礫に躓き、思いっきりすっ転び服の袖に大きな穴を開けた。デーキスはバチが当たったのだと心の中で思った。
「くそっ、ついてねぇ……あ、ついたぜ。ここだここ」
ウォルターは都市の外壁に積もった瓦礫の山を指さした、よく見るとその瓦礫の山には扉のようなものが見える。瓦礫の山に見えたそれは建物のようだ。
ウォルターは乱暴にその扉をノックした。
「俺だ。開けてくれよ」
ウォルターがノックしてから少し間があった後、扉はゆっくりと開いた。他の廃墟の物違い、とても頑丈で分厚い扉であるようだ。
その扉の向こうには、背の高い女性が立っていた。デーキスにとって、都市の外で出会った初めての『大人』であった。さらに、その女性はデーキスが都市の中で見たどの女性とも、異なる雰囲気を持っていた。
長い髪を乱暴に結び、ところどころ枝毛が見られる髪。恐らく都市の外の生活が長いのであろう、靴を見ると年季の入った、軍人が履いているような膝下の半分までを覆う重厚な物だ。それよりも、一番目を引くのが、完全に義手担っているその右手だ。それも、肘から先が何らかの目的のための装置で覆われている。
デーキスは思わず後ずさりした。セーヴァとして『大人』たちから追われたデーキスにとって、大人は恐怖の対象であった。殺されるかもしれないというあの恐怖心が一時的に戻ってくる。全身の毛が逆だってくるのを感じた。
「落ち着け! こいつは敵じゃない!」
デーキスはウォルターの声で我に返ると、その怪しい大人の女性から隠れるようにウォルターの背後に回った。
「久し振りだね、ウォル。それに……へえ、その顔は最近都市の外から逃げ出した奴じゃないか」
「俺の子分だよ。それより見れば分かるだろうけど、ちょっと怪我の手当てさせてくれよ。とりあえずこれだけ先に渡すからさ……」
そう言ってウォルターは、女性に向かってある物を投げ渡した。それはデーキスと二人で集めたスクラップの一つだ。受け取った女性は何かを確認するように、そのスクラップを見回した。
「こんなんじゃ包帯一巻き程度としか交換してやれないけど……まあ、後でちゃんと足りない分は貰うよ。中に入んな」
女性は振り返って建物の奥へと向かって行き、デーキスはウォルターに引っ張られるような形で、その後に続いた。
「ここで待ってな。道具を取ってくる」
建物の中はところ狭しとコードが張り巡らせられ、大小様々な機械が並んでいた。残った僅かなスペースに小さなテーブルや椅子があり、二人はそこに案内された。
奥にはまだ部屋があるらしく、女性がその向こうに行ってから、デーキスはウォルターに、彼女のことについて聞いてみた。
「名前はハーリィ・Tっつうけど、俺はハルって呼んでる。都市の外に来てから、ハルとは色々と『取引』をしてるんだよ」
「取引?」
「拾ったガラクタを食料や水、服なんかと交換してるのさ。たくさん集めれば、それだけいいものと交換できるんだよ」
デーキスは理解した。このためにウォルターはガラクタを集めていたのか。
「勝手に物を交換しあうのは、フライシュハッカーの奴が禁止にしているんだが、ほかの連中もこうして隠れて物々交換しているのさ。だから絶対に言うんじゃねーぞ。特にアラナルドの奴にはな!」
相変わらずケンを目の敵にしているウォルターの威圧に、デーキスも首を縦に振るしかなかった。
「わ、わかったよ……それにしても、どうしてあの人は貴重なはずの食料や服を好感してくれるんだろう?」
「中にいるアンチの連中と付き合ってるからよ」
振り向くと、ハーリィ・Tが救急箱を手に持って戻ってきていた。どうやら、二人の話を聞かれていたようだ。
「アンチの連中のために都市に入るための通行書を作ったりしてるのさ。他に都市から都市へ物資を届けるための手伝いとかね……」
都市国家は通常、外に出るだけでも通行書が必要であり、物流も完全に管理されている。最も、好きで外に出る利点が殆ど無いため、都市の外に出る人間はアンチや都市の運営に関わっているごく一部の人間だけだ。
「都市の治安維持の奴らにばれないように、通行書やデータを書き換えるのは苦労するんだよ。同じ機材使ってりゃすぐ足がつくからね。だから、新しい設備が必要なんだけど、こんなところにいる以上、自分で造るしかないのさ。と、言っても使えるものは限られてるから、人手がいるのさ……」
ハーリィ・Tは所謂、ハッキングを生業とする人間だった。都市国家というものは都市の内部を全て、それぞれの都市の『管理コンピュータ』が管理している。ハッカーは管理コンピュータに侵入し、データの改竄や破壊を行うのだ。デーキスはハッカーという存在については何も知らなかったが、ハーリィ・Tが何か違法なことをしていることは理解した。
「そんな……勝手にそんなことをしたら犯罪なんじゃ……」
「だから、こんな辺鄙な所にいるんだよ。あんたたちだって同じじゃないか。魂が汚れた存在、セーヴァって奴なんだろ?」
デーキスは俯いた。セーヴァは存在そのものが罪となる存在。つまり、セーヴァであるというだけで、物を盗んだり他人を傷つける事と同じなのだ。それゆえに、デーキスは命を狙われ、家族とも離れ離れになったのだ。
そんなデーキスを見て、ハーリィ・Tはため息をついた。
「ああごめんごめん、あんたはつい最近セーヴァになってここに来たばかりだったね」
「ハルはデーキスのこと知ってるのか?」
「ちょっと前に都市の管理コンピュータに侵入した時、たまたまこの子に関する情報を見たのさ。あそこにはセーヴァに関する情報もあるからね……」
バツが悪そうにハーリィ・Tはデーキスを見下ろす。デーキスは自分の置かれている境遇を思い出し、安否も分からぬ両親に会いたくなった。
「父さん、母さん……」
「ええとデーキス、だったね。あんたの両親は都市の刑務所にいて、二人共生きてるみたいだよ。だから元気だしなって」
両親が生きているという言葉を聞き、デーキスは顔を上げた。
「それは本当?」
「嘘じゃないさ。人間と違って管理コンピュータは嘘をつかないから」
「よかった……でも、それなら早く会いたい。家に帰りたい……」
ハーリィ・Tはバツの悪い顔をした。慰めたつもりだったが、帰ってデーキスの寂しさを募らせただけだったからだ。
「なあ、通行書があれば都市に入れるんだろ。デーキスにも通行書作れないのかよ?」
「別に作ってやることはできるけどタダじゃあないよ。ウォル、あんたには初めて会った時から何度も言ってるだろう?」
「はいはい、等価交換ってやつね。スクラップどれくらい集めればいいんだ?」
「まあ、毎日使えそうなものを数キロ集めても、10年はかかるね。食料でも一年分はもってこなきゃ造らないよ。最も、たとえ通行書があったとしても、セーヴァとバレてその場で殺されちゃうかもね」
やはり、セーヴァという事が障害となってデーキスの前に立ちふさがる。
「『セーヴァは魂が汚れている』か……前都市長がロボットに魂があると言い出して、ロボットの人権を認めたと思ったら、今の都市長はセーヴァは魂が汚れていると言い出し始め、セーヴァ狩りを始める……『魂の有無』から『魂の質』へ、まるで中世ね」
「魂なんて本当にあるの?」
「さてね……私はそんなもの見たことないから。他の奴らも、少なくとも実際に見たことある奴なんていないだろうしね」
「じゃあ何でみんなセーヴァは魂が汚れてるなんて言うんだ?」
「少なくとも、魂が汚れてるなんて言い出したのは現都市長のゴウマって奴が最初だからね。そいつに聞くのが手っ取り早いと思うよ」
「でも、それって結局都市に入れなきゃ聞けないってことだろ? じゃあ俺達には無理じゃん」
デーキスは都市長のゴウマという人物は知っていた。学校で太陽都市の繁栄に携わった一番の功労者として授業で習った。テレビでも出ているのを見たことがあるが、少し怖そうな人だと思っていた。
「ハルは都市に入れないのかよ。セーヴァじゃないし、自分で通行書造れるなら都市の中に入っても、問題ないだろう?」
「私は……」
ハーリィ・Tは顔を背けた。
「セーヴァじゃないけど、魂が汚れているのさ。いや、『私のような人間』こそが、魂が汚れているって言うんだろうね……」
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続き物。紙の月の五話目。スタークウェザーの襲撃を退けたデーキスは、仲間のウォルターに連れられてある場所へ向かっていた