かつてこの星には生命の気配に溢れた広大な大地が広がり、人々は自然と共に豊かな生活を営んでいた…らしい。
というのも後に「終焉の日」と呼ばれる隕石衝突の際人類は巨大な塔を建造し、その中で種の存続を図る事にして以来、人々は外界との繋がりを一切断っているためである。
そして誰ともなく言い出した外界が未だに「生物の存在しない死の世界」だという予想を共通の認識とし、いつか訪れるであろう外界に出られる日が来ることを信じながら塔の中でのひっそりとした生活を続けていた。
――この塔の絶対にして不可侵の掟。
「いかなる時も塔の秩序を乱す事に繋がる行動を取ることなかれ。」
その禁を犯した者はシステムの存続の為に自らが死の世界と信じている外界に追放されるという刑に処されるのである。
…などとこれから追放される事となる青年クリエはぼんやりと思い出していた。
彼は塔と外界を繋ぐ隔壁の前に立っていた。
「こんな結果に終わってしまって残念だったな。」隔壁の管理人がクリエに話しかけた。彼の後ろには数人が見送りにきていた。
「なんでこんな事に…」
「あの事件はお兄ちゃんは全く悪くないのに…」
慰めの声を掛ける人々に対してクリエは明るく見える様に努めてこう応えた。
「大丈夫!外の世界が死の世界だなんてまだ決まってない!心配しなくても僕はちゃんとやっていけるさ!‥多分」
その言葉を発した後しばしの沈黙が続いた。既に植え付けられた「死の世界」のイメージを誰も拭いきれないでいたのである。彼自身もそれが本心では無かった。
しかしながら、彼のついた悲しい嘘に対し意を決して一人の子どもが答えた。
「そ、そうだよね!お兄ちゃんが外界なんかでへこたれる訳がないもの!」
「だよな!お前ならもしかしたらこの塔に帰って来ちまいそうだ!」
励まし合う人を見ていた管理人がそろそろ時間だという事を告げた。
彼は知っていたのである。幾度となく見たこの光景を長引かせる事が無駄だという事を…。
管理人が隔壁の隣にあるレバーを引くと轟音を上げて隔壁が開いた。
「さあ、ここまでが俺の仕事だ。すまないが俺がこの隔壁を閉じた後に自分自身の手で奥の隔壁を開くのがルールだ」
という説明をしながら隔壁は徐々に下がって行く。
そんな中一人の少女が風呂敷に包んだ弁当を差し出す。
「これ、お腹が空いた時に食べて!」クリエは弁当を受けとると穏やかな口調でただ一言ありがとうとだけ伝えた。
閉ざされた隔壁の先には更に空間が広がっていた。
人が使う事は想定されてないのだろう。かろうじて物の形が把握出来る程度の照明が照らす鈍色の無機質な部屋の壁や床には所々剥き出しの銅線が飛び出ている。
クリエは銅線をかわして歩ける場所を探しながら慎重に歩き始めた。するとなにやら床には銅線とは違う物が点々と転がっていることに気付いた。
進行方向上にあった一つに近づいた時それの正体を知った――。人間の白骨である。他にも銅線の上に黒い物がこびり付いているのも見つけた。
それはおそらく追放された事実に絶望した人間の成れの果て…。外界に出ることの意味の重さを再認識しながらも自分はああはならないぞと決意を新たに出口へと踏み出した。
たどり着いた出口は人が通るには不相応なほど巨体で重厚だった。
何かの搬入口だったのかなと考えながらクリエは扉の開閉装置を探す。ほどなくして扉の脇にてそれらしき装置を見つけた。
レバーが一本だけというシンプルなその装置に手をかけた所で彼は動きを止めた。
そして彼は思いを馳せた。これまでのささやかだけど幸せな人生とここから先に待つおそらく困難が沢山待ち受ける人生に…。間違いなくレバーを落とす事で一つの人生が終わる。しかし彼は「これを引くことで新しい人生が始まる」と確かに予感していた。
その予感を勇気に変えて彼は目を閉じ深く息を吸い込む。そして2,3秒そのままで居た後に息を吐き出しながら目を見開き、力強くレバーを落とした。
ほどなくして轟音を上げて扉が左右分割で開いていく。が前方にはまだ大きな隔壁が残っていた。
しばらくの沈黙が続いた後に塔と外界を隔てていたその隔壁が徐々にせり上がっていった。
扉の隙間から差し込む光の眩しさにクリエは手をかざし目を閉じた。こんなにも強い光を感じたのは初めてであった。明るさに慣れ、手を下ろしゆっくりと目を開いた彼の目に飛び込んで来た光景は…。
映像などではない本当の空――塔の住民全てが夢に描き、渇望したものだった。
隔壁が開ききるのを待っていると外からの風が吹いてきた。彼はその風の臭いにウッとなった。生まれて初めて嗅ぐ海風の臭いに体が驚いたのだ。
吐き気のする状態からなんとか持ち直してキッと顔を上げて隔壁の外に目を向けた。
隔壁からは車道二車線程の幅があるコンクリート造りの頑丈な橋が伸びていた。そして橋の外には朝焼けに赤く染まった海が広がっている。この塔は海の沖の方に立っているのだろう(もっともこの時点ではクリエは「海」というものを知らなかったのだが)。
そして橋の先に目を向けてみる。橋の先にはなにやら陸地が広がっている様だが朝もやで遠くはよく見えない。
もっと遠くを、と思わず塔の外に駆け出す。すると轟音と共に再び隔壁が動き出した。
中の人間が通過する事で作動する閉鎖スイッチ――。それは「もはや後戻りする事は叶わない」という単純明快な事実を改めて認識する事となるのだが、そこに不思議な事に絶望や悲壮感など無かった。
あるのは「橋の先には何かが待っている」という確かな希望だけだった。
隔壁が完全に閉めきるのを見送ってからクリエは歩きだした。
橋は長い間手入れがされていない為、所々に穴が空いていたり、崩れた壁の破片が道に散乱したりしていたが幸いな事に歩くのには問題がない程度に抑えられていた。
歩いて行く内に朝焼けに染まった空は次第に白んでいく。そしてゆっくりと昇る太陽が遠くにかかる朝もやを晴らしていく。
朝もやの中から現れた光景は遠くに巨体な山脈が連なる大きな陸地と山脈の手前側に広がる緑豊かな大地であった。更に橋の終着点にはゲートがあり、その奥には微かに生活感を匂わせる石造りの建物があった。それは彼が働いていた「資料室」の映像にあった中世の建物に酷似していた。
この先に確かに人はいるという確信を得てクリエの歩は速まった。しかしながら果てしないと感じる程の長さがある橋を渡り切るには四時間程かかった。
渡り切った先にあるゲートは車両用のものは固く閉ざされていたが、ゲートの脇にある非常口と思わしきドアは容易く出入りできる様だ。
この扉の先には自分と同じ人間がいる。確信を得たクリエは迷う事なく意気揚々と非常口のノブを回しドアを開けた。
ドアの向こうに広がっていた光景はごくありふれた西洋風の石造りの家が建ち並ぶ街並みだった。ただ一つ通りを人間が歩いていない事を除いては。
住民と思わしき生き物は様々な動物の頭をした所謂獣人や亜人と表現される人々であった。まばらな人通りの中に自分と同類の人間を探そうとクリエは駆け出した。すると突如として何かに突き飛ばされて転んでしまう。
尻もちをついた体勢のまま突き飛ばされた方を見上げると顔に毛が無いイノシシの様な風貌の二人組が立っていた。突き飛ばした方の男が声を荒げて叫んだ。
「おい兄ちゃん!いったいどこに目ぇ付てんだい!?」怒っている様子のその男に対してクリエはとっさにこう答えた。
「ご、ごめん。悪かった」しかし相手の怒りは収まる様子が無かった。突然の出来事に戸惑い、まごついている彼に二人組は更に畳み掛ける。
「ごめんだぁ?ぶつかってきておいてそんなんで済ませるつもりかぁ?」
「そーだ!そーだ!」
「出てきたばかりの『デクの坊や』に礼儀を期待しても無駄だと思うがよぉ!」
「そーだ!そーだ!」
「ここじゃあ詫びる時には誠意を見せるのが礼儀ってモンなんだよ!」
「そーだ!そーだ!」
「…テメェはちょっと黙ってろサブ」
「…すいやせん、ボス」
その勢いに圧倒されるままに「せ、誠意って‥?」と思わず返してしまうクリエ。
「誠意って言えゃ金目の物に決まってんだろ!それが出来ないならちょっと俺に付いてきてもらう事になるなぁ!」
塔を出てくるときに持ち出したものは生きるのに必要最低限の物と塔の仲間から貰った餞別の品だけだった。めぼしいものは無い。もはやこの連中の言いなりになるしかないのかもしれない。と諦めかけた時二人組の後ろから伸びる大きな影と共にその主が声を出した。
「子供相手に随分と大人気ない真似するな」口調は穏やかではあるがかなりの怒気をはらんでいる。
振り返った二人組はその声の主――長身馬頭の男に完全に圧倒されつつも、子分の手前引くに引けないと啖呵を切る。
「あぁ!?部外者が横槍入れてくるんじゃねぇよ!」その言葉に対し馬頭の男は余裕のある態度でこう返した。
「悪いな。子供相手にあんまり物騒な事言っているのを見過ごしきれなかったんでつい口出しちまった」それに対し負けじとボスと呼ばれていた方が切り返す。
「‥ならこのまま立ち去りな。こいつはビジネスの話だ」
相手の手口を熟知している馬頭の男は冷静にこう切り返す。
「右も左も分からない奴を狙うなんてビジネスとは言い難いな。」
相手が碌でもない方法で儲けようとしているのを知っている男はこう続ける。
「お兄さん達“もめ事”が好きなようだな。じゃあ俺も付き合ってやっていいけどどうする?」
腕に覚えがあるらしく腰に提げている剣に手をかけながら不敵な笑みを浮かべつつ男はこう言い放った。この表情に二人組はおろか守られているはずの立場にあるクリエも恐怖を覚えた。完全に毒気を抜かれてしまった二人組は
「覚えてろよー」
「そうだ!そうだー!」
「だーかーら、お前ぇは黙ってろって!!」
「すいやせーん!」
と捨て台詞を吐きながら去っていった。
「ふう…。どうやら丸く収まったみたいだな。ああいう性質の悪い奴がたまにいるからお前も注意しろよ」とそう言いながら馬頭の――『バトゥ族の戦士ブライアン』はクリエの方を見る。急な出来事に驚いた様子で腰が引けた体勢のままひきつった顔で男の方を見ていた。急な展開に驚いている様子を感じたブライアンは出来るだけ不安を煽らない表情(あくまで自分が考えている範囲であって実際相手には不気味に映っていた)を心掛けつつ近づいて行った。
「おい、お前大丈夫か?」と心配そうに駆け寄っていく光景は本人が持つ優しさより巨体による威圧感の方が強く、数秒前に奴隷にされそうになったことから救われたという事実があった上でも不気味ではあった。
なのでとても「自分に好意的な人間」によるものとは思えなかった。
実際の所恩義を感じる相手ではあるが、相手の威圧感に気負されたクリエはただただパニックのままに「うわぁぁ!」と叫ぶ意外の事しかできなかった。
「ちょ・・っと!落ち着け!」と語りかけるが気が動転してるクリエには届かなかった。
どうしたものかと考えていると遠くで「何事だ!?」と叫ぶ声が聞こえる。
騒ぎを聞きつけて「警官隊」が駆け付けたらしい。
警官に関わるのは色々面倒臭い。かといって折角助けた青年をそのまま放置したままにするのはいささか夢見が悪い。そう感じたブライアンは何を思ったか青年の口を塞ぎ、青年を抱えて駆け出した。
青年を抱えたまま、まだ昼前で疎らな人通りの通りを大きな影が疾走していく。
その影に抱かれながら青年クリエは今後の展開に思いを馳せつつ、初めて感じる登りゆく太陽の暖かみを感じていた。
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「F」‥フロンティアな世界観の日常を描いた作品です。
一話目は想定してた世界の蚊帳の外にいる主人公にスポットを当てた関係で世界観の説明は2話以降になります(汗)