僕とテントと沙耶さんと
あそこにいるのは、沙耶さんじゃないか?
白いリボンを着けた女生徒が、グラウンドの向こう側を歩いているのを見つけた。
大きな荷物を抱えるようにして運んでいる。
「たぶん、沙耶さんじゃないかなぁ」
グラウンドの端と端では、遠くてよく分からない。
僕は立ち止まって目をこらした。
ある放課後のことだった。
女生徒がいきなり荷物を放り投げるのが見えた。
何やら癇癪を起こしたようだ。
彼女はひとしきり荷物に悪態をついている様子だったけど、諦めたようにまた抱え上げて歩き出した。
「あの動きは沙耶さんだ。うん、間違いない」 僕は確信した。
別の女生徒が校舎から出て来ると、沙耶さんのところに駆けて行った。
謝るような仕草を見せて、あわただしく引き返して行く。
沙耶さんは、がっくりと肩を落として彼女の後姿を見送っていた。
「……よく分からないけど、手伝いに行こうかな」
僕は沙耶さんが向かっている方向に、先回りするように歩いた。
すこし近付いたあたりで、沙耶さんがまた荷物を放り投げるのが見えた。
「気が短い人だなぁ……いや、違った」
サッカーゴールの近くに、ボールが一つ転がっていた。
誰かが片付け忘れたのだろう。
沙耶さんは少し下がって助走をつけると、親の仇でも討つ勢いでボールを蹴飛ばした。
気合の入った掛け声も聞こえてくる。
ボールは勢いよく飛んでコーナーポストに当たり、跳ね返った。
そして沙耶さんのおでこを直撃し、反動で緩やかな弧を描いてゴールに入った。
漫画みたいな光景だ。
「いつ見ても、楽しい人だなぁ」
沙耶さんはしばらく茫然と立っていたけど、やがて笑い出した。
笑うしかない気持ちは分らないでもない。
明らかに背中が怒っていた。
……やっぱり引き返そう。
こんなタイミングでのこのこ現われるのは、八つ当たりして下さいと言いに行くようなものだ。
(沙耶さん、頑張ってね)
僕はこっそりと立ち去ることにした。
「理樹く~ん!!」
少し進んだところで呼び止められてしまった。
振り返ると、沙耶さんが手を振っていた。
「……気付かれちゃった」
僕は引き返した。
「理樹くん、ヒマでしょ? ヒマよね?」
「うん、まぁ」
「悪いけど、手伝ってくれる? もう一人の子が急用出来ちゃったのよ」
「それはいいけど……沙耶さん、何をしているの?」
「テント張りよ。寮会の人に頼まれちゃって」
要するに、明日の体育祭で使うテントを組み立てる仕事を、引き受けさせられたようだ。
沙耶さんが運んでいたのは、シートを丸めたものだった。
「ポールとか綱とか杭とかハンマーは?」
「倉庫にあったわよ」
「テントを張るのに必要だよね」
「そうね」
「僕に取ってこいってことかな、やっぱり」
「当然じゃない」
「きっと重いよね」
「重いでしょうね」
沙耶さんは腰に手を当てて、挑発するように僕を見た。
嫌とは言わせないという気迫が感じられる。
額にはくっきりとボールの跡がついていた。
「……」
何かしゃべったら、噴き出してしまいそうだ。
僕は黙って回れ右をして、倉庫に向かった。
「あ、あたしもシートを置いたら行くから!」
沙耶さんは僕が怒ったと勘違いしたようで、後ろから声をかけてきた。
「……」
違うんだ、沙耶さん。きみが愉快すぎるんだ。
さて、準備が整った。
改めて構成パーツを見渡すと、かなり大型のテントだった。
「本部用のテントかしら」
「この大きさなら、二人じゃきついんじゃないかな」
「何とかなるわよ、たかがテントじゃない。とっとと建てちゃうわよ」
まずは中央を支えるポールに、シートの天井の穴を合わせて立ち上げなければならない。
沙耶さんと力を合わせて、「せーの」でポールを起こす。
「い、意外と重いわね」
何とか垂直に立ち上げたものの、しっかり支えていないと倒れてしまいそうだった。
少し風を受けただけで、ふらついてしまう。
「うわ、きついね」
「正直、テント張りを舐めていたわ」
僕たちはポールが倒れないように、両側からしがみついた。
「……ねえ、理樹くん。あたし思うんだけど」
「な、なに?」
「二人ともしがみついていたんじゃ、先に進まないんじゃないかしら」
「その通りだよ、沙耶さん」
どちらかが綱を張って杭を打たないと、テントを完成させることは出来ない。
僕は、綱張りの役割を期待されているのだろうと、勝手に解釈した。
「理樹くん、しっかり押さえていてね」
「僕が綱を引っ張ってくるから離さないでね」
二人同時にポールから手を離した。
その結果、折角立ち上げたポールはあっという間に倒れてしまった。
頭の上に落ちてきたシートがかぶさって前が見えない。
近くで沙耶さんが「ひゃあぁぁ」と叫んでいた。
シートをばさばさかき分けて外に出ると、沙耶さんも脱出したところだった。
これは失敗だ。
意思の疎通が全然出来ていない。
「……」
沙耶さんは、サッカーボールの受難と合わせて連続ダメージを食らっているのに、キレることなく耐えていた。
でもかなり不満そうだ。
「えーと、思い込みで動くのは良くないと思う」
「……そうね、賛成だわ」
「だから、ここで役割を決めておこうよ」
「じゃあ、あたしがポールを支えるから理樹くんが綱を張る。それでいい?」
「分った」
僕たちは再び中央のポールを立ち上げた。
「一人で支え切れる?」
「た、耐えて見せるわよ、これしき」
それは心強いと言いたいけど、かなり危なっかしい。
「それじゃ、綱を引っ張ってくるよ」
僕はごてごてと垂れ下がったシートを広げて形を整えた。
その間にもポールがふらふら揺れて、「ううっ」と声が聞こえてくる。
最初に隅っこを固定すべきだろう。
僕はシートの四隅に綱を取り付けると、杭とハンマーを準備した。
「沙耶さーん、引っ張るよ」
「よ、よっしゃぁ、カモーン!」
シートの陰になって沙耶さんの姿は見えないけど、声が震えていた。
手際よく進めないと、あまり持たないかもしれない。
僕は綱を取って、ぐいっと引っ張った。
おかしいな、手応えがないぞと振り返ると、傾いたポールがこちらに倒れかかっていた。
「ひゃあああぁぁっ」
「うわぁっ」
間一髪身体をかわしたので、下敷きにならずに済んだ。
「沙耶さーん、大丈夫?」
シートの真ん中あたりが盛り上がって、ごそごそ動いていた。
「何よこれっ!理樹くん、どこ?」
「こっち、こっち」
シートの盛り上がりが近付いてきて、沙耶さんの頭が現われた。
きょろきょろと周りを見回している。
その様子は猫が袋から頭を出したみたいで、僕的にはツボだった。
すごく可愛い。
僕は手を伸ばして、頭を撫でてみた。
「うんがーーーっ!!」
沙耶さんは奇声を上げながら、シートから飛び出してきた。
「何なの!? 一体何なのよ!? いきなり人の頭を撫でて! 犬か猫みたいだと言いたいわけ!? だったらにゃーにゃー鳴いて引っ掻いてあげましょうか!? それともシートの下敷きになって焦ってる間抜け加減が面白いの!? あたしだって好きで下敷きになったわけじゃないわよ! 逃げる暇もなくシートが落ちてきたのよ! 考える前に下敷きになっていたのよ! 可笑しかったら笑えばいいじゃない! ほら笑っちゃいなさいよっ!!」
ついに沙耶さんが爆発した。
「あーっはっはっはっ!!」
「まあまあ、ツボだったからつい」
「ツボだったらいきなり頭を撫でるの!? だったらその辺の女の子の頭撫でてみなさいよ! 卒業まで変態の汚名を着て過ごせていいじゃない!」
「ごめん、ごめん。沙耶さんが可愛くてつい撫でちゃったんだ。僕だっていきなり知らない女の子に触ったりしないって」
「くっ……」
沙耶さんは鼻息も荒く僕を睨んでいた。
「駄目かなぁ」
「だって……びっくりするじゃない!」
「あ、ボールの跡、すっかり消えたね」
うっかり口に出してしまった。
「……み、見てたの?」
「うん、ナイス・ヘディングだったよ」
「うがーーーっ!!」
「どうどうどう……」
「何よ、あたしだって好きで……」
沙耶さんが自虐モードに入ってしまった。
後ろを向いて、ぶつぶつつぶやいているのが聞こえてくる。
こうなると、復活までしばらくかかるのが難点だ。
僕はその間にシートの向きを直したり、杭を打つ位置に目印をつけたりして準備を進めた。
「今度こそ成功させようよ」
「そうね、これ以上下敷きになりたくないわね」
「それで、作戦なんだけど」
僕は沙耶さんがいじけている間に思いついたことを提案してみた。
「綱を引っ張る前に、方向を指示するのはどうかな。二時の方向とか、八時の方向とか」
「いい考えだわ。中で支えていると外が見えないから、どっちに引っ張られるのか分らないのよ」
「じゃあ、それで行こう」
僕たちは三たび真ん中のポールを立ち上げた。
沙耶さんの体勢が安定するのを見届けてから外に出る。
風が後ろから吹いているから、そちら側の綱を先に張ったほうがいいだろう。
「沙耶さん、四時の方向。一、二、三で引っ張るからね」
「四時の方向、了解!」
中から声が聞こえた。今度はうまく行くだろう。
「行くよ。いち、に……さん!」
僕は綱を握りしめると、四時の方向に勢いよく引っ張った。
「あれ?」
……全く手応えがない。
「ひゃぁあぁぁぁっ」
「うわぁっ」
考えるより先に、頭上にポールとシートが勢いよく倒れてきた。
僕は避ける間もなく下敷きになってしまった。
「沙耶さーん。大丈夫?」
「どうなってるのよ、もうっ」
シートの下から這い出ると、沙耶さんもちょうど脱出したところだった。
「沙耶さん、もしかして四時の方向にポールを押した?」
「そうよ。だって理樹くん、四時の方向って言ったじゃない」
「やっぱり……」
僕は脱力した。
二人して同じ方向に力を加えれば、倒れるに決まっている。
「そ、そんなの……先に言ってくれないと分らないわよっ」
沙耶さんが赤くなって横を向いた。
「いや、そのくらい当然通じているかと」
「何よ、あたしが悪いって言いたいの!? ああ分ったわよ、あたしがお間抜けなのよ! お馬鹿でごめんなさい! これでいい!?」
「まあまあ。ちゃんと言わなかった僕も悪いから」
沙耶さんがまた臨界点に達しそうなので、僕は折れた。
「その……漫才をしていると思えば、ちょっと楽しいよね」
「くっ……」
「僕たち、いいコンビだと思わない?」
「あたしはとっととテントを張ってしまいたいんですけどっ」
「僕もそのつもりなんだけどさ」
「……」
四度目のトライだ。
「沙耶さーん、僕が言った反対の方向に力を入れてね」
「わ、分ってるわよっ!」
念のために声をかけると、不機嫌そうな返事が返ってきた。
「じわじわ責めるのが趣味なのかしら」とかつぶやく声も聞こえてくる。
風向きは先ほどと変わっていなかった。
「沙耶さん、また四時の方向で行くから」
「了解!あたしは十時の方向に押せばいいんでしょ」
「行くよ。いち、に……さん!」
今度は手応えがあった。
しっかり張るためには、綱にゆるみがあってはならない。
僕は綱をぐいっと引っ張った。
「ひゃぁぁっ! ちょっと待ってよ、理樹くん!」
ぐらりとポールが傾く。
やっぱり、沙耶さん一人じゃ支えきれないのかな。
でも、こんな状態で杭を打ち込んだって、やり直しになるのは見えている。
「綱をピンと張らなくちゃいけないんだ。耐えてよ」
「無理っ! 限界っ!」
沙耶さんが必死の形相でポールにしがみついている姿を想像すると、それ以上強く言えなかった。
とりあえず、軽く杭を仮止めして沙耶さんの負担を減らしてあげよう。
ほかの隅も同じように綱をゆるく張って仮止めしておく。
「沙耶さーん、とりあえず倒れないはずだから離していいよ」
「……」
中に声をかけると、沙耶さんがふらふらと出て来た。
もうこれ以上働けませんと言いたげな表情だ。
ポールを見上げると不安定に揺れていたけど、倒れることはなさそうに見えた。
「ごめん、僕が押さえ役をやれば良かったね」
「別にいいわよ、自分で押さえ役を選んだんだから」
沙耶さんは「ふぅ」と息をついて、芝生に腰を下ろした。
「ねぇ、疲れたでしょ。肩でも揉もうか?」
「な、何なのいきなり」
少し引かれた。
「肩が凝ったかなと思って」
「別にいいわよ、そんな」
「そう? 僕、ルームメイトの筋トレに付き合わされてるから、マッサージ得意なんだよ」
「……理樹くんって、変なところで優しいのねぇ」
沙耶さんがあきれたように言った。
「そうかな。もしかして外してる?」
「まあ、理樹くんらしくていいんじゃない」
やっぱり外しているんだ。
僕としては、気をきかせたつもりなんだけど。
「これ、どうしたらいいのかしら」
沙耶さんは頼りなくゆれているテントを見上げた。
「ここまで出来たら、何とかなるよ」
よく考えたら、別にやり直す必要はなさそうだった。
支柱を入れて、仮止めした綱をしっかり伸ばして張ってやればいいだけの話だ。
むしろ沙耶さんの手があく分、これまでよりやりやすい。
「最初からピンと張る必要はなかったんだ」
「そう? 引っ張ったら、また倒れるんじゃない?」
「いや、もう押さえなくていいから大丈夫」
僕と沙耶さんが対角線上に立って、均等に力を入れて綱を引っ張ればうまく行くはずだ。
ある程度の張りが確保できたら、ジョイントの金具で調整することが出来る。
支柱を支える綱も、同じ要領で張って行けばいい。
「あーっはっはっはっ。やれば出来るじゃない」
やがて、めでたくもテントが完成した。
文句なしの出来栄えだ。
「あたしもう、ここに住んでやろうかしら」
沙耶さんがハイになっていた。
「ほら見なさいよ、たるみひとつないわ」
「二人だけじゃ無理かと思ったけど、やれば出来るものだね」
「当然じゃない。あーっはっはっはっ」
「沙耶さん、ハイタッチ」
「よっしゃぁ!」
パーンと小気味良い音が響いた。
―― 後日 ――
僕たちが立てたテントは、体育祭が終わってからも片付けられることはなかった。
沙耶さんが撤収を拒否して、防衛線を張ったからだ。
僕も協力したけど、はっきり言って沙耶さんの独壇場だった。
突撃してきた風紀委員たちは爆薬のトラップと催涙弾で撃退され、二度と近付こうとしなかった。
僕たちのテントは台風にすら耐えて見せたのだ。
さらに沙耶さんは、グラウンドの向こう側を拠点とする運動部を引き込み、用具置き場兼部室として利用させた。
部室不足の折、丈夫で安価なテントは学校側にも都合が良かったようだ。
やがて、テント撤去を主張する者は誰もいなくなった。
「完全勝利ね。あーっはっはっはっ」
沙耶さんの高笑いが響いた。
「メシウマだわ。ほら、理樹くんも笑いなさいよっ」
「「あーっはっはっはっ」」
沙耶さんといると、本当に楽しい。
そうして僕は、ますます沙耶さんにハマっていくのだった。
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理樹と沙耶がテント張りに苦労するお話