「どうしよう、これどうしよう……」
少女はまなこを見開いて、おろおろとしていた。
貧相な体にぴったりと張り付いた白い水着に、これまたひ弱そうななまっちろい肌。
なまじ目が大きいために、いまの表情は怯えているようにさえ見える。
こう見えても彼女はただの女の子ではない。
艦娘。人類の脅威たる深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。
そんな中でも彼女は潜水艦にカテゴライズされる特別な艦娘だった。
とはいえ、潜水艦娘の中ではみそっかすな扱いだから、あまり自分を誇れない。
戦闘任務にはついていけない。遠征任務だって任せてもらえない。
できるのは訓練と称して海岸沿いの波の下へ潜り、海女さんの真似事ぐらい。
今日も今日とて、海にもぐって貝やウニを取っていたところだ。
ちょっとだけつまみぐいしようと、貝のひとつにナイフを差し込んでみたところ。
開いた二枚貝から、それは陽の光を浴びてつやつやと光りながら姿を現した。
白と銀と虹が入り混じった不思議な光沢。指の先ほどもある大きな丸い粒。
それが何か理解した途端、まるゆは腰を抜かして砂浜に座り込んでしまった。
手のひらに転がる、艶めいて光るそれはまぎれもなく大粒の真珠であった。
潜水艦、「まるゆ」。
それが彼女の艦娘としての名前である。
「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。
それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。
提督以下、艦娘のほとんどは大規模な作戦行動――限定作戦に出払っていた。だが、それでも鎮守府がもぬけの空ということはない。留守番の艦娘は残っている。そして、ささやかながら事件だって起こるのだ。
まるゆは手に入れた真珠をだいじに懐に仕舞い込んだ。
別の場所で潜っている潜水艦の先輩たちに相談しようと思わなかったわけではない。
だが、こんなものを見せたら答えは決まっている。
なにしろ日頃から任務で酷使されていることに不平を鳴らしている彼女たちだ。
そう。こんなものを目にしたら、間違いなく、
「わあ、素敵ね――いくらになるのかしら?」
「すごいでち! 売り払って、みんなで豪遊するでち!」
「焼肉がいいのねー。特上が食べ放題なのねー」
「ダンケ。新しい本が買いたかったのです」
「やったね、もうけもうけ」
――あくまでも、まるゆの想像である。
だが、その声は妙にリアルに脳内で再生されて、彼女は思わず震え上がった。
あの“オリョールの群狼”たちのことだから、「ポッポナイナイ」しかねない。
ややあって、まるゆはきりと眉を引き締めると、意を決して立ち上がった。
捕った海の幸を砂浜に置き去りにして、とててと駆け出す。
なにかと残念なまるゆなのだが、彼女には誇れるものがひとつあった。
あの人なら。きっと良い考えを授けてくれるに違いない。
「あのなあ。だからって、俺のところにこんなネタ持ち込むなよ」
まるゆに相談を持ちかけられて、その艦娘は深々とため息をついた。
「そんなこと言わないでください。木曾(きそ)さんにしか相談できません」
懇願気味にそう言われて、木曾と呼ばれた艦娘はむずがゆそうな顔で大きな帽子をかぶり直した。セーラー服を模した白と蒼の衣装。その上から羽織る金の縁取りの黒い外套。右目には黒革の眼帯をつけ手に軍刀をたずさえた容姿は、いささかいかつい。
「なんでもかんでも俺に頼るんじゃねえよ、ったく……」
木曾がいらだたしげに毒づいた。
だが、まるゆは知っている。口こそ悪いが、この人は根っから優しい人だと。
何かと折に触れては自分のことを気遣い、励ましてくれるのだ。
現にいまもなんだかんだでまるゆの顔をじっと見ている。手にささげ持った真珠ではなく、自分をまず見てくれるのが、木曾の格好いいところだとまるゆは思った。
「さて、どうするかねえ。提督が帰るまで待つって手もあるが、お前が見つけたもんだしなあ――ん、そうだな。こうしよう」
そう言うと、木曾はうなずいてみせた。
「なあ、まるゆ。お前、こないだドイツ艦娘のこと話していたな?」
「ええと……ユーちゃんですか? はい、お友達になれたらな、って」
「ちょうどいい。こいつを使おう」
木曾はひょいと真珠をつまみあげた。
「ひと晩、こいつを貸してくれ。なに、わるいようにはしないよ」
にかっと笑ってみせる木曾に、まさか否と言うはずもない。
一番の親友であり恩人である彼女に、まるゆはぺこりと頭を下げた。
「ふわあ……」
翌朝。砂浜にほど近い鎮守府敷地内のベンチ。
そこで木曾と落ち合ったまるゆは、手渡された品物を見て目を輝かせた。
それは、実に見事な針金細工だった。単なる素人の日曜工芸にしては、細かい所まで造詣が行き届いている。イルカの形をした針金のブローチは、まるゆがみつけた真珠を抱きかかえるように形作られていた。
「どうだい、なかなかわるかないだろ」
「これ、木曾さんが作ったんですか?」
「待機任務中の手なぐさみさ。いやあ、やってるうちに凝るようになっちまってな」
そう言いながら、木曾は頬を指でかいてみせた。
まるゆはブローチを手に、ためすがえす見つめた。これは立派なアクセサリーだ。これなら、人にあげてもおかしくはない。変に飾っていない分、より気楽に渡せる。
「もしかして……これをユーちゃんに?」
その問いに、木曾はわが意を得たりとうなずいてみせた。
「ああ。きっかけにいいだろ。話しかける良いチャンスじゃねえか」
木曾がまるゆの背をぽんとたたく。
その優しい感触に、まるゆは思わず拳を握って気合を入れた。
砂浜にたたずむ、暗灰色の人影。
全身をくまなく覆うボディスーツ。そこからこぼれるプラチナブロンドの髪。
顔だけを出した彼女の肌は、透けるように真っ白だった。
全体の色合いは暗いのに、髪と顔はまばゆいほどに輝いて見える。
それを目にして、まるゆは思わずごくりと唾を呑んだ――なんて綺麗なんだろう。
正式な名前はU-511。皆、そこから愛称を「ユーちゃん」と呼んでいる。
ドイツから来たという、寡黙でおとなしく、引っ込み思案な潜水艦娘だ。
意を決して足を踏み出したまるゆに気づいて、ユーが首をかしげる。
そこへ、まるゆは手にした真珠のブローチをそっと差し出した。
「あの、これ……プレゼントです! お、お近づきのしるしですから!」
その言葉に、ユーが目をぱちくりとさせたが、ややあって口を開いた。
「これを……わたしに……?」
かぼそい声で訊ねるユーに、まるゆがこくりとうなずく。ユーがブローチを手にとり、しげしげと見つめ、しばらくしてぽつりとつぶやいた。
「わたしから……これをまた誰かに贈ったら、だめですか……?」
「へっ?」
まるゆは目を白黒させた。まさか、気に入らなかったのだろうか。
だが、ユーはすっと目を細め、口の端をそっと持ち上げて、言った。
「きっと、ビスマルクお姉さまが喜ぶから……ねえ、いいですか?」
ユーが口にした名前にまるゆも心当たりがある。限定作戦の壮行会でツンケンしてた人だ。まるゆは怖くて遠目に見ることぐらいしかできなかった。
あの人に、これを? 彼女の提案に、まるゆは答えあぐねた。
怒らないだろうか。あの人には、もっと別のものがよいのではなかろうか。
逡巡するまるゆを見て、ユーは目を閉じて、小さくかぶりを振ってみせた。
「昔、ユーたちも似たようなの作った……ビスマルク姉さま、とても喜んでくれた」
その声は、真摯で、真剣で、どこか必死で。
「このところ、姉さま、ずっと暗い顔。だから……笑ってほしい」
そんな言葉を聞いてしまったら、まるゆはうなずかざるをえなかった。
それを見て、ユーが微笑む。そうして、まるゆの小さな手を握った。
「ダンケ……まるゆー、マインフロイント」
まるゆにはドイツ語が分からない。だが、その言葉はきっと良い意味だと思った。
「でも、すぐに渡せるかどうか……」
「もうすぐ帰ってくるよ――ほら」
ユーが海原の向こう、水平線に目を向ける。まるゆもそれに続いた。
ぽつぽつと船影が見える。それは徐々に大きくなってくる。
ぱあっと顔に笑みを浮かべたまるゆが、思わず手を振ってみせる。
見えるはずもない――だが、彼女に応えるかのように、汽笛がぼうと響き渡った。
〔続〕
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ゆるゆるして書いた。やっぱり反省していない。
というわけで艦これファンジンSS vol.38をお届けします。
タイトルにExとついているのは、いま書き進めている春イベント五部作の番外編なためです。
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