定軍山での一幕を無事切り抜けた一刀たちは、一路許昌へ向かう。
秋蘭が連れていた部隊にしても一刀が連れてきた部隊にしても、さすがに疲労と消耗が激しい。
ここでの無理はよろしくない、と一刀が踏破した倍以上の日数を掛けてゆっくりと戻ってきた。
その間、一刀は平時と同様に振る舞う。
貂蝉との話で判明したこと、思い知らされたこと。
それらは十二分に一刀を悩ますものであったが、だからと言ってそれを表に出すことはできない。
一刀にとっても手に余るような悩みなのだ、他の皆にとっては理解からして難しいだろう。
何より、一刀以外の皆は仮に理解出来たとて、何が出来るわけでも無い。
それはある意味で一刀にも当てはまることではあるが、無意味に心労を課すことは一刀の本意では無かった。
それでも、夜天幕で一人になれば、一刀は悶々と悩み苦しんでしまう。
貂蝉の言う”おまじない”の効果の程もすぐに分かるようなものでは無い。
そもそも、それが効果を発揮しているかどうかすら一刀には判断のしようが無いこともすぐに悟った。
それよりも一刀を悩ますのは、最後に貂蝉が掛けた言葉の意味するところ。
貂蝉が何を言いたかったのか、恐らく一刀は理解出来ている。
貂蝉はここまでの外史を全て読み取ったようだったから、当然”あの場面”も見たのだろう。
あの時、一刀がどう考えてあの行動を取ったのか、貂蝉にはお見通しだったに違い無い。
そうでなければ、最後にあんな言葉は掛けてこないだろうから。
そして氣に関することもそうだ。
貂蝉の言が事実ならば、きっと事実なのだろうが、意識を変えるだけで一刀の氣の熟練度が格段に上がる可能性がある。
と、色々と一刀を悩ませる要因はあれど、いずれもすぐにどうにかなる類の問題ではない。
いつもいつも、長らく悩んでは結論や続きは許昌に帰還してからにしよう、と思考がループしていた。
そんなこんなで尽きぬ悩みを抱えながらも、一刀は無事許昌への帰還を果たす。
速やかに軍議が開かれ、この間に帰ってきていた他の将達も皆が一刀の報告を興味深げに待っていた。
「北郷一刀以下5名、只今帰還いたしました」
「まずはお帰りなさい、一刀。
それで、今回の事の顛末、詳らかに話してくれるかしら?
目的も分からず、何も話さないまま、しかも春蘭と恋まで連れて飛び出して。
部隊を用意した風に聞いても、貴方に言われた通りに兵を集めただけとしか言わないものですからね」
華琳の言葉の端々にはチクチクとした棘を感じる。
だが、それも仕方のないことだろう。
あの日、一刀が許昌を飛び出すように出立した日、切羽詰っていた一刀は風はおろか、華琳にすらも碌な説明をしていなかった。
突然判明したことに心底焦っていたとはいえ、国の兵を動員する以上、簡単にでも君主に説明はしておくべきだったろう。
今更に過ぎる感はあるが、一刀は報告と共に目的説明を行うことに決めた。
「申し訳ありませんでした。私だけが持つ情報とあの時に知った状況から、最悪の事態の可能性を感じ取り、即行動に移しました故。
今ここで全て、お話いたします」
そう前置いて、一刀は語り始めた。
正確には違うと判明したばかりのことだが、一刀が未来から来たことは皆に承知してもらっている。
それだけに、説明は幾分楽であった。
何より、目的が秋蘭の救出であり、実際にピンチに陥っていたとあっては、さすがに華琳もこれ以上にきつい言葉は投げられなくなったようで。
一刀の報告が終われば、いつの間にか笑みを浮かべていた華琳は一刀への裁決を言い渡した。
「――――といった次第です。部隊としての被害は甚大なものですが、将官級の被害は無しに等しいものです」
「そういうことだったのね……分かったわ。
一刀、今回の勝手な行動は不問に付しましょう。いいえ、例え相殺の形を取ってもお釣りがくるほどね。
だって貴方は、私の大切な秋蘭をその身を張ってまで救ってくれたのだもの。
今、改めて礼を言うわ。ありがとう、一刀」
「お言葉はありがたく頂戴いたします。ですが、どんな理由があろうと勝手な行動を取ったことは事実です。
しかも、それは私個人の我が儘でしかありません。軍隊においてそのような行動は、例え将官であろうと許されざるもの。
相殺という恩赦を与えてくださるだけで非常にありがたいものです」
「…………一刀。時々思うのだけれど、貴方って謙虚が過ぎることがあるのではないかしら?」
「事実を申し上げたまでです。特に、今後の情勢や戦況次第では、無謀な策に身を任せねばならぬ時も来ようというもの。
そんな折にまでこういった行動を取っていては、勝てる戦も勝てなくなりましょう」
笑みを消し、真顔で咎めるようなことを宣う華琳。
一刀はそれに対しても意見を変えず、自身にとって当然の認識を語った。
「……まあいいわ。それでは、一刀。今回の件は不問とする。以上よ」
「はっ。ありがとうございます」
その理屈は華琳にも理解出来たようで、それ以上この話を引き延ばすことはしない。若干渋い顔をしてはいたのだが。
「さて。秋蘭、流琉。貴女たちには本当に申し訳ないことをしたわ。
私の見通しも非常に甘かったと言わざるを得ないわね。
無事に帰ってきてくれて、ありがとう」
「ありがたきお言葉、こちらこそ感謝いたします、華琳様。
それとお言葉ですが、華琳様の命とあらば、多少の難事は現地へ赴いた我らの力で解決するのが筋というものです。
今回は私の力不足により心労をお掛けしてしまったこと、誠に申し訳なく思う所存にございます」
「わ、私もすみませんでした、華琳様!
兄様に教えていただいたことも大して実践できず、ただ追い詰められるだけで……
わ、私、もっと鍛錬を積んで強くなります!」
「秋蘭……流琉……ごめんなさい、そして、ありがとう」
部下に対してでも素直に謝罪や感謝を述べられる。それが華琳のすごいところだと一刀は考えている。
この時代、部下は捨て駒のように扱う者も少なくない。
尤も、通常であればそんな君主の下からは人がいなくなるものだが、不思議なことに時折それすらも跳ね除けるカリスマを持った人物が現れたりする。
一刀の見たところ、華琳はその道を歩めるだけの人物であったと言えるだろう。
だが、華琳はそのような道は微塵も考えず、配下の将一人一人を大切に扱っている。
口で言うのは簡単でも、実践となるとこれを長く続けていくのは大変なことだろう。
それだけ権力や上の立場というものは人を狂わせる魔性を秘めているのだから。
「一刀、春蘭、秋蘭、流琉、恋。今日はまだ疲れているでしょう?
今日の仕事は貴方たちには振らないようにしておくわ。ゆっくり休みなさい」
「お心遣い痛み入ります」
「今日の軍議は以上よ。
風、桂花。貴女たちはそれぞれ一刀の部隊と秋蘭の部隊の被害状況を確認し、報告なさい」
「はっ!」 「お任せを~」
「それじゃあ、各自持ち場に戻りなさい」
華琳の号令で各々振られていた仕事に戻り始める。
その際に、皆は次々に一刀や秋蘭の下へ来ては一声掛けていった。
成果を褒めに来る霞や斗詩。
心配から声を掛けてくれる季衣や菖蒲。
皆がそれぞれの理由でやってきて、一言二言話してから別れていく。
どの顔にもマイナスの感情は見えない。
それは今回の行動で一刀が成し遂げられた確かな成果だ。
そんな光景を主観的にも客観的にも眺めて一刀は思う。
やはり自分は彼女たちの窮地を知れば、今後も躊躇なく危地に飛び込むのだろう。
それがいくら”自分の身を削ることになろうとも”。
新たな事実を知った今、その覚悟の意味するところはより重いものとなっていた。
今までそれを考える度に一刀を僅かながら躊躇わせていた枷は消えた。
変わりに現れた枷は以前の枷よりもある意味で非常に軽く、しかしある意味で非常に重いもの。
しかし、一刀にとってはその重い面はすぐにでも覚悟に組み込めるものであった。
彼女たちの笑顔を守るために。彼女たちの夢を叶えるために。
一刀にとってはそれが重要なことなのであった。
休養を言い渡され、夏候姉妹は許昌城内の部屋へと戻ってきていた。
ゆっくりと帰ってきたとはいえ、死闘によって疲れた身体も、限界ギリギリの行軍によって疲れた身体も、野営の休息では足りるはずもない。
つまり華琳から与えられた休養は2人にとって非常にありがたいものだった。
「ああ゛~……さすがに私も今回は疲れたぞ、秋蘭……」
「姉者、寝転がるのもせめて着替えてからにしてくれ」
部屋に入るなり春蘭はゴロンと横になる。
そんな姉を軽く諌める秋蘭は、いつものように微笑みを浮かべていた。
いや、むしろ今までよりも今そこにある幸せを噛み締めているようでもあり、見る者が見ればその変わりように目を丸くしただろう。
だが、春蘭は当然のように気付かず、あ~とかう~とか唸るように返事をしてからダラダラと着替え始める。
そしてほとんど着替え終わった頃、春蘭はふと秋蘭の様子が気になったように目を向けた。
その視線の先、秋蘭は未だ寸分たりとも着替えていない。
彼女もまた疲れ切っており、この日は外出の予定など考えていないはずなのに。
かといってボーっとしているわけでも無い。
秋蘭の目は春蘭にずっと向けられていて、その焦点もきちんと合っているのだ。
「秋蘭?どうかしたのか?」
不思議そうに首を傾げながら春蘭が問う。
反射的に秋蘭は、何でもない、と答えそうになる。が、口を半分開いてからふと思い止まった。
実は秋蘭には、帰りの行軍中にずっと考えていたことがあった。
それは自身と姉、そして一刀に深く関わること。
そして姉たる春蘭にどうしても聞いておきたいことだった。
今も秋蘭はそのことをぼんやりとながら考えており、それが故に半分無意識の内に春蘭を見つめ続けており、春蘭はそれに気付いた。
どうせならこの機に聞いてしまおう。秋蘭はそう思い直すと、再び口を開き、先ほどの予定とは異なる言葉を発する。
「なあ、姉者。一つ、聞いておきたいことがあるのだが」
「秋蘭が私に?珍しいこともあるものだな。何でも聞いてくれていいぞ!」
普段は聞くばかりの立場なだけに、こういった時にはやたらと張り切ってしまう春蘭。
またも親愛を込めた笑みを口元に浮かべながらも、秋蘭は聞きたかったことを春蘭に問うた。
「姉者は今、一刀のことをどう思っている?」
「んなっ?!な、ななな、なぜいきなりそんなことを聞くっ?!」
予想外の質問に驚き、顔を真っ赤にして慌てふためく春蘭だったが、秋蘭は敢えてそれに構わず春蘭の問い返しに答える。
「何故も何も、姉者はかつて、一刀に想いを伝えただろう?
その結果は私も聞いた。それに、その時の姉者の宣言も私はまだ覚えている。
だが、姉者はあれ以来何も行動を起こしていなくないか?
始めこそいつも通りに接して、折を見てまた行動を起こそうとしているのかと思っていたのだが……
もしかして、姉者はもう――」
「そんなわけが無いだろうっ!!」
秋蘭の言葉を遮って春蘭が叫ぶ。
その顔は先ほどまでとはまた違った意味合いの赤で彩られていた。
「秋蘭、私の宣言を覚えていると言ったな?では、一刀が私に言ってくれた言葉もまた、覚えているのだろう?
一刀は、私のことは嫌いでは無いと言ってくれた。むしろ好きだとすら言ってくれた!
だが、一刀には一刀の理由があって、『今は』受け入れられない、と、そう言ったのだと私は思っている!
だから、私は待つ。それが私にとって苦手なことなのは承知の上だ。だが、この程度、何てことない!
きっと一刀も苦しんでいる――のだと思う。
だから、あんなことを言った私の方から先に離れてしまうなんて、そんなことは絶対にしない。私はそんな軽い女では無いからな!」
「む……」
感情的に言葉をぶつけるのは春蘭にとっていつものこと。
だが、秋蘭に対してここまで真っ向からそれをぶつけてきたことは今まで無いことだった。
故に、秋蘭はたじろいでしまう。
しかし、同時に理解していた。
彼女は姉を気遣う”振り”をした質問をしてしまっていたということに。
(…………つくづく、私も嫌な女だな。誰よりも好きなはずの姉者なのに、それを後回しにしてしまう時が来るなんて……)
心中で自嘲し、秋蘭は気持ちを入れ替えるために深めの呼吸を一つ取る。
そして、今度こそ春蘭のことを一番に考えて、話に続けるように言葉を紡ぎ始めた。
「姉者、私たちは何年もずっと、近くで一刀を見てきた。
だから少なくとも私は、一刀のことは誰よりもよく知っている。あの華琳様よりも、だ。
そして、姉者もそうだろう?」
「う、うむ。だが、それがどうしたというのだ?」
「だったら、それを踏まえて改めて考えてもみるんだ。
あの一刀が、そうも簡単に自らで言い出したことを曲げると思うか?私はそうは思わないんだがな。
あいつはこうと決めたらどんなことがあってもそれを貫こうとする男だ。
天和たちの件しかり、月たちの件しかり。命懸けで行動を起こしてまで貫いてしまっただろう?」
「む、むぅ……そう言われれば、確かにそんな気もしてくるな……」
「況してや、姉者への対応くらいでは命懸け以上の覚悟が必要になると思うか?」
「う、うぅ……しゅ、秋蘭!わ、私はどうすれば良いのだ?!」
姉を説得するために、秋蘭は分かりやすく極論を並べる。
それに春蘭はものの見事に引っ掛かった。
きっといつまでも今の平行線な状態が続いてしまうことを想像してしまったのだろう、春蘭が涙目になって秋蘭に助けを求める。
ここで秋蘭は対極の話を出して切り札として利用した。
「大丈夫だ、姉者。連合戦における虎牢関攻めの時、一刀が取った行動をもう一度思い返してみるんだ。
一刀はあわや命を落とすような真似までして姉者を助けたでは無いか。
それはつまり、姉者は”命懸け以上の行動”をしてでも助けたい存在だということではないのか?」
「そ、そうなのか……ふ、ふふ……」
秋蘭の指摘に頬を染め、嬉しさの声をも漏らしてしまう姉を微笑ましげに見つめながら、秋蘭は更に言葉を重ねる。
「姉者、積極的に行け。
一刀の考えが変わるのを待つのでは無く、姉者が自分で変えてしまえ。
大丈夫、姉者なら出来るよ」
「だが……私は結局、考えなしに突っ走ることしか出来ないんだぞ?」
「ああ」
「一刀に迷惑をかけることにはならないか?」
「大丈夫だ。少しくらい面倒には思っても、迷惑とまでは思わないさ」
「一刀に呆れられはしないか?」
「それは……きっと大丈夫だ。いつもの姉者だと笑ってくれるさ」
「……や、やっぱり無理だ!私には無理なんだ~~~っっ!!」
最後の最後、あと一押しというところでつい言葉に詰まってしまったのは秋蘭にとっての失態だった。
例え一瞬だけとは言え、それは春蘭を日和らせるには十分で、今の春蘭はいつものポジティブさがネガティブな方向に全て向いてしまっていた。
「あ、姉者。姉者なら大丈夫だ。私が保証しよう。
だから一度、当たって砕けろの心意気で――」
「きっと私はそのまま砕けてしまうんだ~~っっ!!」
普段の春蘭からは考えられないような後ろ向きな言葉が飛び出す。
それもこれも、春蘭の生き方に根本の原因があるのだろう。
春蘭は何をするにしても本能を優先に生きているような人物だ。
それは彼女の戦闘姿勢にも強く表れている。
一刀に言わせれば、それは非常に戦い辛い系統の相手らしい。本能をすら騙すほどのフェイントは、そうやすやすと出せるものでは無い、というのが理由らしいが。
ちなみに、秋蘭は対極的に何をするにしても理性的な行動を心掛けている。
こちらの系統は逆に与しやすい、とはまたも一刀の談。
実際、秋蘭も一刀との本気の手合わせの際、フェイントの看破にはずっと四苦八苦している状態なのだ。
閑話休題。
今の春蘭はその本能が失敗のリスクを極度に恐れた結果、このような状態になっているのだと秋蘭は推察していた。
長年、最も近くで春蘭を見てきた秋蘭には分かる。
一度こうなってしまった春蘭は、ちょっとやそっとのことでは別の道へは行かせられない。
(だから、これは仕方なくの選択肢なんだ。いつものことなんだがな……)
心中でそう呟いてから、秋蘭は春蘭に提案を持ち掛けた。
「では、姉者。私が言ってやろう。なに、姉者の可愛い点は全て把握しているから大丈夫だ」
「秋蘭が?…………それなら大丈夫そうだな!頼んだぞ、秋蘭!」
「ああ。任せておいてくれ」
答えて春蘭に見せる笑みに、決して影は作るまい。
それが秋蘭なりのけじめだった。
「では、行ってくる」
返事を待たず、秋蘭は一刀の居ると思しき場所へと向かう。
その瞳は真っ直ぐ前を向いているように見えた。
「…………秋蘭?」
が、皮肉なことに、こんな時ばかり鋭い春蘭は、妹の様子に些細な違和感を覚えていたのだった。
「今回は隊員が数人、犠牲になった。秋蘭に同行した部隊から二人。俺が連れて行った部隊から三人。
内一人は秋蘭を救って。一人は秋蘭の部隊を支えるため。つまり、間接的に秋蘭を救ったと言えるだろうな。
俺の部隊の方は、姜維がしっかりと退いてくれたから被害を抑えられた。
もし少しでも理解が緩いか、そもそも理解されていなかったら、二桁の犠牲もあったろう。
それだけ無茶なことをやらかした。今となっては隊は魏のものだというのに、だ。
すまない、桂花」
統括室に一刀の重々しい声が響く。
今回一刀が取った行動。それは隊員にとっては当たり前の出動だったかもしれないが、隊を預かる身としては決して正しいと即座に言い切れるものでは無かった。
軍議が終わってすぐに桂花をここへ呼んだ一刀は、桂花が席に着くなりこの話を切り出していたのだった。
だが、対する桂花の声には重苦しい雰囲気は見られない。どころか、通常業務に臨む声音と大差ないものだった。
「構わないわ。今回のことも、大きな目で見れば、いえ、そうでなくても、魏にとって必要なことだったと取れるわ。
戦力の面でも、実務の面でも、兵や将の士気の面でも、そして何よりあんた達黒衣隊の士気の面でも。
秋蘭という存在は今の魏国に無くてはならない存在だと私は考えているの。
だからこう言うわ。よくやったわ、一刀。黒衣隊の名に何ら恥じない行動と結果だったわ」
「桂花……ありがとう」
桂花は決して慰めだけで言ったわけでは無い。
それは迷いも淀みも無いその口調から読み取ることが出来た。
そんな桂花の言葉に、一刀は救われた気分になった。
それは多分に言い過ぎというわけでも無い。
事実、一刀が無意識に発していた重苦しい空気はその瞬間から和らいだのだから。
特に話題を引っ張ることも無く、桂花は次なる事務連絡が無いかを問う。
「ところで、一刀。蜀の内部事情の報告など、何か進展はあったのかしら?」
「いや、すまない、今回はそんな暇は無かったんだ。
それに、向こうには優秀な軍師が何人もいるし、勘の鋭そうな武将も多そうだ。
送り込んでおいた間諜も下手な行動は取れず、そもそもの連絡事態がまだ難しいというのが現状だな。
どこかで露天商でも抱き込んで密書の運び屋にでもなってもらうのが妥当かも知れない」
「立地の良い区画の優先配当程度で手を打てるなら、十分アリね。けれど、それでは難しいでしょうね」
「だな。目的はこちらとのやり取りを補助してもらうことだけじゃなく、目立たないこと、怪しまれないことも含まれてくる。
となれば、それが出来る商人を探し出し、さっきの条件に追加で報酬も出すしかないな」
「腹案の一つとして記憶しておくわ。
とりあえず、今回は進展無しってことね?」
「ああ」
「そ。まあ仕方ないわね。今回は事が事だったのだし。
このくらいかしらね?」
軽く嘆息して桂花が締める。
一刀もそれに頷いて答えた。
そのまま流れで解散、といったところで、不意に統括室の扉が開かれる音がする。
二枚扉の向こう側、間の小部屋に誰かが入ってきたらしい。
誰が来たのか、と若干息を殺して待っていると、すぐに二枚目の扉も開いてその人物が部屋に入ってきた。
「失礼する。一刀はいるか?」
「秋蘭?珍しいな。もうずっとここには顔を出していなかったのに。
どうかしたのか?」
現れたのが秋蘭、つまり元々この部屋の存在を知っていた人物であると分かると、一刀は安堵の息をついてから秋蘭に答えた。
一方、秋蘭はと言うと、一刀と桂花の様子を見て若干言葉に迷っているようだった。
「あ~、なんだ。すまない、邪魔をしてしまったか?」
「いいえ、丁度話は終わったところよ」
「そうか。それなら良かった。
一刀、少し話があるんだが、少し時間をくれないか?」
ホッとしたように表情を僅かに緩ませると、秋蘭は一刀に向かってそう尋ねた。
一刀の方も、この後の予定は表はもちろん、裏の方にももう無い。
「ああ、いいぞ。どこで話す?」
断る理由の無い一刀の返答は当然の如く諾だった。
「そうだな。中庭の四阿にでも行こうか」
「了解。それじゃあ、桂花。お疲れ」
「ええ、お疲れ様、一刀。秋蘭もね。
あんた達、明日からは仕事が降られるのだから、しっかりと休んどきなさいよ?」
「はは、分かってるって」
「ああ、心配は無用だ、桂花」
ごくごく普通のやり取りを交わし、それぞれ普通とは言えない方法での退室をもってこの場は解散となるのだった。
廊下の先ですぐにまた合流した一刀と秋蘭は、そのまま歩いて四阿へと向かう。
道中、秋蘭から少しでも話が来るかと一刀は思っていたのだが、その考えに反して秋蘭は終始無言だった。
いつもとの若干の違いに首を傾げかけるも、疲れのせいかもしれない、とあまり気にしないことに決める。
結局、2人は四阿に着くまでの間、会話らしい会話を交わすことは無かった。
しかし、これは秋蘭にとってもミスである。
このような空気を作ってしまっては、いざ場が整っても中々言葉を切り出しにくい。
況して、秋蘭は少々聞きにくいことを聞こうとしているのだ、その言い出しにくさたるや、華琳への諫言にも匹敵するほどであった。
結果的に、2人が席に着いてからも無言の時は続く。
早く切り出したい、だが空気が重くて切り出せず、益々空気が重くなる。
そんなジレンマを抱え、心中で葛藤し続ける秋蘭。
が、そうとは知らない一刀は相変わらず些細な差異を疲れのせいだと思い込んでいた。
はっきりと言葉にしないことから意図せず生じたそんな齟齬に、この時ばかりは秋蘭も感謝することになる。
「秋蘭、まだ疲れているのか?あまり無理をしないでも、俺はいつでも大丈夫だぞ?」
秋蘭を気遣って一刀がそう切り出す。
こうなれば、これ幸いにと秋蘭はここを糸口にして話を望む方向へと引っ張っていくことに決めた。
「いや、もうそれほど疲れは残っていないさ。
それより、今回は本当に助かったよ、一刀。正直なところ、もう駄目だと思っていた。
改めてもう一度、礼を言っておきたい。ありがとう」
「はは、気にしなくていいって。ずっと一緒にいるんだ、秋蘭の危機を知って駆け付けないのは有り得ないことさ」
「そうは言ってくれるがな、それでも嬉しかったことには違いない。
それでな、一刀。少々卑怯かも知れないが、今回の件を受けて一刀に聞いてみたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?何かな?」
最後の覚悟を決めるように、秋蘭はスゥッと大きく呼吸を一つすると、思い切って切り出していった。
「以前、一刀は姉者の気持ちを伝えられたことがあるだろう?その件に関してだ」
「……どうしていきなりその事を?いや、秋蘭が知っていることに驚きはしないよ。
でも……今回のことと何か関連性があったかな、って思ってさ」
思わぬ方向からの、そしてある意味でピンポイントな話に動揺し、僅かに一刀の返事が遅れてしまう。
だが、秋蘭の方も大分一杯一杯なようで、そんな一刀の小さな違いに気が付かない。
そのまま互いに少々不自然さを保ちながら会話は進んでいく。
「いや、関連はある。少なくとも、私が思う限りでは、な。
一刀、先ほども言った通り、今回の事は心から感謝している。
だが、同時に命を危険に晒してまで私を救おうとしてくれたことに戸惑いもあるんだ。
もしもの話だが、今回のことでお前が失敗し、命を落としてしまったら……
もしそうなってしまったら、一体姉者はどうなってしまうと思っている?
一刀は姉者の気持ちを分かっているはずだ。それを承知の上であのような行動をした理由、それを教えてはくれないか?」
「…………なあ、秋蘭」
「なんだ?」
「なんというか……らしくないな」
「……そうか?私はそうは思っていないのだがな」
口ではそう言っていても、返答に詰まったことが肯定を如実に表していた。
一刀の方は自ら以上に様子のおかしい秋蘭を見ているうちに、先ほどの小さな動揺は消え去ったようだ。
秋蘭の言ったことは理屈が通っているようで、その実矛盾を孕んでいる。
そして、彼女自身がそれに気付いていない様子であることが、”らしくない”と一刀に言わしめたのだった。
だが、それは逆に言えばそれだけ聞きたいことがあるということでもある。
一刀はそれを聞こうと促すことにした。
「まあいいか。
俺はあの時、春蘭にこう言ったんだ。俺はまだまだ内緒にしていることがあって、いつ死ぬかも分からないようなこともしている。
秋蘭もよく知っているだろう?要するに、”部隊”のことだ。
それ以外にもいくつか理由はあった。だから、断った。春蘭も納得してくれたはずだ。
尤も、その理由の一つは杞憂だったみたいなんだがな……」
「杞憂、とは?」
「単純な話さ。俺がここでどんな行動をしようと、俺がいた未来に残っている歴史には何の影響も無い、ってことが分かっただけ。
ただそれだけなんだ」
一刀の答え方からして、まだ春蘭を受け入れない理由は残っている。
しかし、秋蘭はここで一度、別方向から話をぶつけようと考えた。
どう言えば一刀を焚き付けられるか、考え考え言葉を口にする。
「なあ、一刀。もしかして、姉者のことはそれほど好きでは無いのか?」
「そんなことは無い。それだけは決して無いと言っていい。
単に、俺の意識の方に問題があるだけなんだ」
「だがなぁ。そうやって頑なに断る態度を見せられては、本心のところは違うのではないかと疑ってしまうものだぞ」
「それは……そう言われてしまうとな……
そこは俺が誰とも特別関係を深めていないことを見て、信じてもらうしか無い、か」
それも怪しい人物が数人いるんだがな、とはさすがに秋蘭も口に出せなかった。
話が逸れる可能性と、胸の奥に湧き上がった感情故に、である。
「もう、率直に言わせてもらおうか。
一刀、このままでは姉者が余りに不憫だ。だから――――」
「秋蘭っ!!」
突然の大声に秋蘭の言葉が遮られる。
驚いてそちらを振り向けば、視線の先には彼女の姉、春蘭がいた。
再び外着に着替え、秋蘭を探していたのか、微かに肩が上下している。
秋蘭が驚きに固まっている間に、春蘭も四阿へとやってきた。
一刀がいることに気付いているのか、或いは今の春蘭の目には秋蘭しか映っていないのか、真っ直ぐ秋蘭の下へとやってきて切り出す。
「秋蘭、すまないっ!秋蘭の感情も理解しようとせず、辛いことを押し付けてしまうところだった!」
「姉者?一体何を言っているんだ?」
春蘭が来るまでの間にどうにか再起動を果たしていた秋蘭は、すぐに春蘭に返す。
が、次の瞬間には再び固まることとなってしまった。
「お前も……お前も、一刀が好きなのだろう、秋蘭?
どうしてその気持ちを押し殺してまで私に協力しようとしてくれたのだ?」
春蘭に齎された指摘に、秋蘭は目を丸くして驚いている。
どこから気付かれたのかが分からない。
しかし、気付いてしまったのなら、秋蘭が取った”醜い行動”にも気付いただろう。
今秋蘭が恐れるのは、何より姉に嫌われること。そして、それは秋蘭の考えではすぐそこに迫っているように感じていた。
「な、何を根拠に言っている、姉者。
私は別にそんなことは――」
「私を誰だと思っている?お前の姉だぞ?
我が妹の様子がおかしいことにくらい、気付ける。その理由は色々考えて当然だろう。
それで、きっとそうだと思ったのだ!」
「い、いや、姉者……そんな自信満々に言われても……」
「秋蘭!私はお前の気持ちも犠牲になんてしたくない!
だから、一緒に行こうじゃないか!」
「いや、だから、姉者……」
「あ~……えっと、俺がいること、もしかして気付いてない?」
「へ?……ぅわわわ?!か、一刀!?」
春蘭の突っ走る性格が悪い意味で発揮されていた。
一刀に気付くや、春蘭は途端に慌てだす。
一方で冷静になったのは秋蘭だった。
こうなったら、別角度は捨てて一刀の”理由”を折りに行く、とそう決め直していた。
「一刀。お前が言った”理由”、まだ残っているんだろう?
それは何なんだ?」
「……分かった。言おう。
秋蘭なら分かるだろうが、俺の手はとうに血に塗れ、この体には怨念が染み付いている。
理由があったとは言え、人道に悖る行為をずっと続けてきたんだ。
そんな俺が、人並みの幸せを享受する権利なんて、持ち合わせているとは思えない」
「一刀……それは違うぞ。
今は動乱の時代なんだ、綺麗ごとばかりで乗り切れるような生易しいものでは無いことは解っているだろう?
無辜の民でも無い限り、一刀が言ったことと同じようなことは少なからずしているのだ。
そんなことを言い出しては、私たちは何も出来なくなってしまうではないか」
「そうは言うがな、俺がもと居たところでは――」
「それこそ理由にはならないぞ、一刀。お前が今いるのはここ、大陸だ。
ならば、大陸の考え方になってしまえば良いではないか。
一刀ももうずっとこちらで過ごしているんだ。それに何の問題がある?
それに……そんな理由で距離を取られては、私たちは皆寂しいではないか……」
切なげにそう付け足した秋蘭に、一刀はハッとさせられた。
一刀はまだ自らを現代の枠に嵌めて考えている。
それは、言ってみれば大陸を否定しているようなもの。
”大陸の為に”様々な活動をしているはずの一刀にとって、それは確かな矛盾であったのだ。
「……なるほど。確かに、俺は変に考えが頑なになり過ぎていたようだ。
だが……それでもまだ問題は残っている。こればかりは、解消は無理だ」
そう。今秋蘭に指摘されたことは、意識を変えればどうとでもなる。
もちろんすぐにというわけにはいかないだろうが、それでも一刀の考えを現代に縛る枷が無くなった今、一月と経てず切り替えることも出来るだろう。
ならば、一刀の中に残る問題は残り一つとなっていた。
「その問題とは?教えられないものなのか?」
「か、一刀!私も知りたいぞ!」
秋蘭のみならず春蘭にも言われてしまう。
一刀は大きく溜め息を一つ。それと同時に、ある”覚悟”を決めた。
「分かったよ。最後の理由も教えよう。
はっきりと言っておく。これから言うことは、最悪であり最低なことだ。
それでも、聞くか?」
「うむ」 「ああ」
間髪入れず、同時に返事をする姉妹。
だったら言ってやる、と半ば諦めの境地で一刀はその”理由”を口にした。
「俺が春蘭を――春蘭”だけ”を受け入れられない理由。
それはな……俺が好きなのは、春蘭だけではないからなんだ。
春蘭、秋蘭。俺は君たちに好意の順位を付けることが出来ない。
例え春蘭が好意を伝えてくれて、秋蘭がそうでなかったからと言って、それを理由に春蘭を選ぶなんて、それも出来なかった。
そんな消去法みたいな真似、春蘭に失礼だからな。
結局俺は、選ぶことが出来ないから断った。そんな”最低”な理由さ」
「…………」
一刀の言葉を聞いて、秋蘭は呆然としていた。
だが、それは一刀の話した内容に呆れたからだとか、そういった類のものには見えない。
「どうしたんだ、秋蘭?」
「いや……あまりに驚いてしまって、な。
私は、一刀にそこまで好かれているとは思っていなかったんだ……」
まだ実感なんて湧いていないが、と秋蘭は付け足す。
一刀は開き直ったのか、秋蘭に諭すように語りだした。
「秋蘭、君は俺がどんな人間か、よく分かっているだろう?
俺は最前に出て誰よりも目立つよりも、そういった人を陰ながら支えることをこそ好む人間だ。
だからこそ、あんな部隊まで作っているわけだしな」
「あ、ああ」
「俺が何を言いたいか、分かるか、秋蘭?
もし分からないと言うのなら、今ここではっきりと言ってやろう。
俺は秋蘭の良いところをよく知っている。そして、だからこそ、俺は秋蘭が好きだ。
ちなみに……さっきの春蘭の話、実は俺、内心で喜んでいたんだよ。秋蘭が俺を好きだって、あの話のことな」
「っ!?」
ボッと音が聞こえるくらい、瞬間的に秋蘭が真っ赤になってしまった。
そんな反応を示すとは思っていなかったが、それでもそれは一刀に確信を齎す。
自分は幸せ者だと感じるし、同時にどうしようもない奴だとも自嘲していた。
「おお!さすが一刀だ!我が妹の可愛らしさをちゃんと理解していたのだな!」
そんな春蘭の茶々とも褒めそやしとも取れる言葉も、秋蘭にはボンヤリとしか届かない。
フリーズした秋蘭はひとまず置いておき、一刀は春蘭と話をするために向き合う。
「ああ、勿論だ。って、春蘭は怒ったり呆れたりしないのか?」
「ん?何故だ?」
「いや、だってさっきの俺の話――」
「そうだ、一刀。私はそれについて疑問に思ったことがあるんだが。
なぜ2人とも選ぼうとしないのだ?」
「は?いやいや、そんなことは――」
「ふむ、確かに姉者の言う通りだな」
「秋蘭まで?!」
再起動にはもっと時間が掛かると踏んでいた秋蘭が、早くも復帰して一刀への攻勢に参加していた。
顔はまだ真っ赤なままなところを見ると、半分自棄になっている可能性もある。
さっきまで呆然としていたりフリーズしていたりした人物とは思えないほど、滔々と秋蘭が語り出す。
「一刀、ここは一刀の居た時代とは違うんだ。そこで、だ。周りを見てみろ。
ここでは権力者が複数の妻を持つことなど珍しく無い、むしろ当たり前とすら言えるのだぞ?」
「た、確かにそうかも知れない。だが、俺はただの一将で――」
「お前は”天の御遣い”だ、一刀。確かに、位は将だが、対外的な魏国内での位置関係はどうだ?
”天の御遣い”と言えば、今や華琳様と並び立つ魏の二本柱の一柱だ。
これを『権力者』と言わずして何を権力者と言うのだ?」
「い、いや、だが…………
そ、そうだ!春蘭と秋蘭は嫌じゃないのか、そんなの?!隠そうともしない二股だぞ?!」
「二股?一刀、考え方がずれているぞ?それは一人しか選んではいけない場合に有効となる呼称だ。これには当て嵌まらない。
それに、私は全く構わないぞ?何せ、相手が姉者と一刀なのだからな」
「私もだ!秋蘭と共に一刀に愛されるのならば、大歓迎だぞ!」
墓穴を掘った。
二人からの返答で一刀はそれを悟った。
何より逃げ道を潰された、いや、潰してしまったのだ。
先ほど、自らの意識を大陸のものに切り替えるとも誓った。
後は、一刀が決断するだけ。
「…………2人とも、本当に嫌じゃないのか?
誤魔化しや同調、気遣いなんて無しで、本音を言ってほしい」
「自慢じゃないが、私にそんな器用な真似は出来ん!
だから、全部本音だ!」
「うむ、私もだ。一刀なら分かるだろう?私が姉者を大好きなことを。
ならば、そこに拒否する理由は見当たらないよ」
「そうか…………」
春蘭は元より秋蘭も顔の赤みが引き、真剣な表情を醸している。
ここに至っても2人の瞳には欺瞞が一切見受けられなかった。
「だったら……だったら俺は、最悪に我が儘になってやろうじゃないか。
春蘭!秋蘭!俺はお前たちが好きだ。大好きだ!
2人が構わないというのであれば、”そういった関係”になろう」
「ああ!」 「うむ」
姉妹揃って満面の笑みで返答する。
こうして、長らく停滞していた3人の関係は、ようやく進みを見せることとなった。
夜、一刀の寝所には3つの人影があった。
2つの影と1つの影が寝具の上で向き合っているのが見てとれる。
「か、一刀。私は、その……こういうことは初めてで……」
「う、うむ。恥ずかしながら私もだ……」
「ああ、分かってる。出来る限り、優しくするよ……」
簡単な意思疎通を済ませると、3つの影は徐々に近づき――。
その夜、3つに別れていた影は長き時を経て遂にその数を2つに、1つに、重なる時を迎えた。
翌朝。
チュンチュンと小鳥の囀る音が聞こえる室内では、既に一刀が朝の支度を整えていた。
全てを整えてから、寝具の上へと視線を滑らせる。
そこには幸せそうな笑みを浮かべたまま、まだ眠りについている愛しい2人の姿があった。
「……ありがとう、春蘭、秋蘭。それと、これからもよろしくな」
内から湧き上がってきた感情に、ふと聞こえているはずもないだろうにそんな言葉を掛ける。
そのまま身を翻し、部屋を出ようとすると。
「ああ、こちらこそ。そう言えば、まだはっきりと言っていなかったな。
愛しているぞ、一刀」
秋蘭の声が背後から掛かった。
起きていたのか、と少し驚くも、笑みと共に振り返って一刀は答える。
「ああ、俺もだ。愛してるよ、秋蘭。
それじゃあ、先に行ってくるよ」
「ああ」
これからこんな一幕を幾度も経験することになるのだろうか。
胸の奥から暖まるそんな感慨をもって、一刀は今日も仕事へ繰り出していった。
Tweet |
|
|
27
|
2
|
追加するフォルダを選択
第七十五話の投稿です。
遂に……