真恋姫無双 幻夢伝 第九章 1話 『白き化け物』
雪が降りそうな寒空の日が続く。灰色の空を見上げると、心まで寒くなりそうだから不思議だ。月は、窓の外から目を移し、給仕室の炉を見る。パチパチと音を立てて燃える炎が、彼女の心を癒した。
静かな1日が過ぎる。夷陵の戦い以降、天下に戦争の火種なし。民は最近になってようやく、この平和を受け入れてきたようだ。人心は穏やかとなり、月の心配事も少なくなった。
彼女の給仕はいよいよ板についてきた。新しい茶葉を仕入れてはお茶を入れ、アキラに褒められることが、彼女の最近の楽しみになっている。今日もやかんに火をくべて、色々な茶葉を試している。
その彼女の穏やかな時間を、廊下の騒がしい足音が壊した。
「月!アキラ見ていない?!」
「へぅ!」
詠が、大きな音を出して扉を開けて入ってきた。月は驚きのあまり涙目になっている。
「びっくりしたよー詠ちゃん」
「ああ、ごめんごめん。それで、アキラ知らない?」
声に険がある。長年の付き合いから、月は詠の“穏やかならざる”感情に気付いた。おそるおそる答える。
「あ、アキラさんなら、今朝早くに恋さんと出ていったよ。なんでも、南匈奴のところまで行くとか」
「やられた!まんまと逃げたわね、あいつ!」
と、詠が悔しがる。月は当然、その理由を尋ねた。
「どうしたの、詠ちゃん?またアキラさんが女の子連れ込んだの?」
「そんなありきたりなことじゃないのよ!ちょっと、聞いて!」
詠は先ほど知ったアキラの秘密、“アキラが天の国から来た”ことについて話した。この世界の成り立ちやアキラの役割についても。
月は驚いて、詠に聞いた。
「詠ちゃん、それどこで知ったの?!恋さんから?」
「……月。あんた、知ってたの?」
「えっ!えーと……」
「普通はね『そんなの嘘だ』とか『信じられない』とか言うものよ。月こそ!どこで知ったの!?」
月は、華佗が華琳を襲った時(第七章2話)、アキラから聞かされていたのだった。そのことを申し訳なさそうに話すと、詠は、はあ~と長くため息をついた。
「ごめんね、詠ちゃん。口止めされていたから」
「ごめんじゃないわよ、まったく!ボクにくらい話しなさいよね」
「そ、それで、詠ちゃんは誰から聞いたの?」
「凪よ」
凪は一刀が天に帰った時に、アキラから説明されたのだった。律儀な彼女も頑なに秘密を守った。
ところが霞たちと飲んでいた時、アキラの女癖の悪さを愚痴る彼女たちに、凪はこう言ってしまった。
『まあまあ、天の国の常識は違うものでしょうから』
この日以来、彼女は、詠や華雄たちから“質問”を受け続けた。そしてとうとう、口の堅い凪も、アキラと一緒にいる順番(参照:小ネタ18)を回してあげないという脅迫に、屈した。
ただし、詠が怒っているのは、秘密を黙っていたからではない。
「ボクたちよりも華琳に先に話すなんて、ありえないわよ!……まあ、月もだったとは、思わなかったけど」
「ご、ごめんね」
詠の鋭い視線から目を逸らして、窓を見た月は、雪が降ってきたことに気が付いた。
「アキラさん、寒くないかな」
「どうでもいいわよ!あんなやつ!」
でもまあ、と彼女は続ける。
「風邪でもひかれたら困るし、お説教は部屋の中でやろうかしらね。あーやだ、世話がかかるわね」
詠が腰に手を当ててプンスカと怒る。月がくすりと笑った。
「詠ちゃん、なんだか奥さんみたいだね」
「な、なに言っているのよ!ゆえ~!近ごろ強気になったじゃないのよ、このこの!」
「や、やめてよ、詠ちゃん」
笑い声を出してじゃれつく2人。その隣で、やかんがピーと鳴いた。
乾燥した大地にちらほらと雪がふる。延々と続く草原も、白く化粧される。草原の向こうに山はなく、灰色の雪雲と曖昧にわかれた地平線が、アキラの周囲をとりまいている。
アキラは誰に言うまでもなく、白い息を吐きながら言った。
「遠くまで来ちまったものだな」
匈奴の歴史は古い。春秋戦国時代からその存在が知られ、冒頓が単于(匈奴の王位)に即位してからは強大国として名をはした。漢の高祖の劉邦も敗北し、一時は匈奴に従属したこともあった。しかし武帝の時代に衛星・霍去病によって討伐されると、次第に勢力を弱め、ついには内部抗争により南北に分裂した。北匈奴は滅んだものの、南匈奴は後漢や魏の属国として生き延びている。
アキラたちがここ、朔方まで来たのは、移住を薦めるためだった。南匈奴は半牧半農の生活を送っており、漢民族の生活様式と似てきている。しかしながらこの地は雨が少なく、農耕に適していない。人口の減少に悩まされてきた後漢や魏は、お互いの利害の一致から、彼らの移住を推奨している。
アキラも華琳から許可を貰い、汝南に移民を運ぶためにここまで来た。このまま馬を進めていけば、もうすぐで彼らの居住地に着くはずだ。
ところが、彼の予想を裏切る事態が起きた。前方から馬に乗った人影が多数見える。
「アキラ…あれ……」
「散開」
アキラは、恋たちに注意を払うように指示する。従属しているとはいえ、彼らの中にも反発勢力はいる。そいつらが襲ってきたのだろうか?
しかし、近づいてきた彼らに、攻撃の意志は無かった。むしろ、青ざめるほど恐怖におののいている。
彼らはアキラたちの姿を認めると、そばに寄ってきて馬を下りてアキラたちに喚いた。手を組んで頭を下げている様子を見ると、なにかを懇願しているのか?
「&&=$&#$%&##&%!!」
「恋、何を言っている?」
彼らと交流したことがある恋が、彼らの言葉を翻訳した。恋は彼らに頷くと、アキラの方を向いた。
「ばけものが…くる…」
化け物が彼らの家族を襲っている。助けて欲しい。
アキラたちはその願いを聞き入れて、急いで馬を走らす。荷物を積んだ荷台は置いてきた。
「あれか!」
アキラは手を上げて、恋たちを止めた。そして“化け物”の様子を、目を凝らして観察する。
彼らは目を疑った。
「なんだ、あれは…?」
「………」
見渡す限り、人型の物体で埋め尽くされている。けっして、人ではない。白く半透明になっている。彼らが長い剣を持っていなかったら、それが実際に存在するかどうかも、分からなかっただろう。
(幽霊だ)
と、思った。その“幽霊”がうようよと彷徨っている
突然、奴らの視線が一斉にこちらを向いた。奴らは音もなく動きだし、こちらに走り出してきた。
数が違い過ぎる。アキラは撤退を命じた。
「自分の身だけを案じて逃げろ!荷台も捨てていけ!恋!俺とお前は残って、奴らの正体を突き止める。いいな!」
恋は頷く。そして、2人だけが残り、その白い大軍を待った。
「来るぞ!」
「………」
アキラと恋は武器を構え、その大軍へと踊りこんだ。
恋の槍がふり続ける雪を吹き飛ばしながら、その“化け物”の1人を斬り捨てた。だが、いつもとは勝手が違った。
「死なない……?!」
斬ったはずの身体からは、血も出ない。その切り口が見る見るうちに塞がり、また立ち上がって襲いにくる。
「くっ…!」
いっこうに数が減らず、恋は取り囲まれる。斬られることを恐れないやつらの攻撃を、恋は必死に防ぐしかなかった。
ところが、アキラの状況は異なっていた。彼が南海覇王を振るうと、奴らは斬った感触もなく消えていく。恋の様子を見ていた彼には、自分の状況が理解できなかった。
しかしながら、彼はこれ以上に驚くことがあった。消えていくやつらの顔が何かに似ている。服装もそうだ。戦いながら記憶をたどっていく。
やがてアキラは「あっ!」と声を漏らした。
「北郷…一刀……!!」
夷陵で消えたはずの北郷一刀が、しかも無数に、そこに存在していた。生気がなく瞳の中まで白い。幽霊だと思った彼の言葉は、ある意味で正しかった。
「だが、こんなことが…」
「ありえない、かしら?」
野太い声が聞こえてきた。アキラがバッと振り返る。
「“ありえない”なんてことは存在しないのよ。この私の世界にはね。うふふ♡」
「貂蝉!」
貂蝉は投げキッスで挨拶する。アキラは敵意ある視線を返した。周りの一刀たちは、彼らの会話を邪魔しないように、攻撃を止めた。
「一刀は消えた。俺たちの勝ちだ」
「勝ち?あら、勝負していたかしら?カゴの中のハムスターみたいな、あなたが」
「賭けは破綻したんだろ?俺たちにもう関わる必要はないはずだ」
「ハムスターは飼い主の“もの”なのよ。あなたたちをどうするかは、私の自由」
貂蝉は異常なほど口角を上げて、白い歯を見せた。
「この世界に深刻な“バグ”を発生させたわ。そう、この“ご主人様”がそのバグよ。死にもしない、感情もない、無敵の兵士」
と言った貂蝉は、唇を舐めた。そしてアキラに告げる。
「この兵士がこの世界にある、ありとあらゆるものを襲う。これが、あなたのいう勝負に勝った、あなたへのご・ほ・う・び・よ♡」
「くそっ!」
アキラの苦り切った表情を見て、貂蝉は「あははは!」と声を出して笑った。
「あきらめないでよ~♡せいぜいあがきなさ~い」
アキラは剣を構える。
「……ここで、お前を倒したらどうかな」
「あら、こわーい。……でも、そんなことをしていていいの?」
「どういうことだ?」
「あなたの連れが死んじゃうわよ?」
「なっ!!」
アキラは手綱を掴み、馬首を切り返して走り出した。後ろから「あははは!」と貂蝉の笑い声が聞こえてきたが、気にしている余裕はない。
「恋!」
彼が駆けつけたちょうどその時、恋はやつらの1人からわき腹を刺され、馬から落ちそうになっていた。彼は群がる一刀たちを蹴散らして、間一髪のところで彼女を拾い上げる。
恋は目を瞑っている。顔色が悪く、息が細い。
「死ぬな!死ぬなよ、恋!」
アキラは、手綱で思いっきり馬を叩く。そして一刀たちで埋め尽くされた草原を抜け、南へと逃げて行く。
背中の方からは、まだ貂蝉の笑い声が聞こえていた。
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最終章スタート!いよいよエンディングが見えてきました。