No.769408 甘ブリバレンタイン 仕事と恋愛(千斗いすず)2015-04-06 23:39:47 投稿 / 全4ページ 総閲覧数:4094 閲覧ユーザー数:4086 |
甘ブリバレンタイン 仕事と恋愛(千斗いすず)
「千斗さんは明日バレンタインのチョコを可児江くんにあげるんでしょ?」
バレンタインデーを翌日に控えた金曜日の放課後の教室。クラスメイトの女子に何気なく訊かれた質問に千斗いすずは一瞬の戸惑いを見せた。
「………………ええ。そのつもりよ」
少し考えてからいすずは答えを返した。
「ああ。やっぱりね」
クラスメイトは楽しそうに頷いてみせるとそれ以上は特に何も聞かずに教室から去っていった。
いすずは自分の出した答えにまた戸惑いながら、何となく教室内を見回してみる。男女間、女子間でチョコのやり取りが行われている光景が目に入る。
バレンタインデーは明日のはずなのに。何故だろうと思いながら考えてみると、答えはすぐに出た。
「明日は学校がないからね」
明日は土曜日で学校が休み。部活動や特別な用事がない限り学校には来ない。だから、チョコのやり取りが前倒しして行われている。
逆に言えば、明日学校が休みの状況で会う約束を取り付けていないことを意味する。
それを踏まえて改めて先ほどの質問を考えてみる。
さっきの少女は『明日』という単語をわざわざ付けて尋ねた。
それが何を意味するのか?
「私と可児江くんが同じ職場で働いている。だから、明日会うことを前提にして訊いたのかしら?」
何か違う気がする。そもそもあの女生徒はいすずと西也がパークで働いていることを知っているのか疑わしい。では、何なのか?
「私と可児江くんは学校のない日に、わざわざ会うことを約束できる仲だと思われている? その上でチョコを渡す仲だと……」
いすずの頬が赤くなる。考え直してみると、あの女生徒はいすずにバレンタインデートをするのかと尋ねたのがわかる。そして自分がイエスと返答したことも。
「私と可児江くんは……そんな関係じゃないわ」
小さな声で反論しながらもいすずの頬の赤さは抜けなかった。しばらくの間動くことができなかった。
本日の営業が終わり、寮に帰宅したいすずは湯に浸かりほんのひと時羽を休めていた。
2月の平日の運営はさほど忙しくない。言い換えればゲストの数が多くない。その分2月の営業は週末と休日に高い比重を置くことになる。
金曜日の夜と言えば、普通の人々にとっては安息の空間と時間帯を意味する。けれど、パークのキャスト、それも経営に関わる人間ともなれば緊張感と重圧が体を支配する。だからせめて体力だけでも回復に努めないといけない。
先週の金曜日の夜はそんなことを考えていた。けれど、今夜は違っていた。
「バレンタイン……どうすればいいの……?」
机の上に置いてある学生鞄を眺めながらため息を吐く。中には今日の放課後に駅前で買ったチョコレートが入っている。
そのチョコをいすずはまだ西也には渡していなかった。他の生徒たちに合わせてノリで今日の仕事中に渡すことも可能だった。けれど、いすずはその選択肢を取らなかった。何となく取りたくなかった。バレンタインデー当日に渡したかった。
とはいえ、大きな問題もある。
「明日はおそらく2月で最大の動員数を記録するはず。可児江くんとのんびり語らっている暇はなさそうね」
明日はバレンタインデー。しかも週末ということもあって多くのカップルでパークは賑わうに違いなかった。それはすなわち、いすずと西也の仕事が増えることを意味する。
つまりゲストとは違いキャスト側はバレンタインデーの雰囲気を楽しんでいる暇はない。
デートどころかお茶休憩を一緒にする余裕もなさそうだった。となると、ゆっくりできるのは営業終了後だけとなる。けれど……。
「明後日は日曜日営業。早めに休まないと体が保たないわよね」
営業終了後に2人で出掛けるということもできそうになった。体力回復が急務。だから結局、明日は西也とゆっくりできそうにはなかった。
仕事を途中で放り出して無理やり時間を作り出しでもしない限り。
「…………そんなこと、できるわけがないでしょ」
いすずはお湯をすくって顔に掛けた。真面目な彼女にとって仕事をサボるという選択肢はあり得ない。しかも西也を巻き込むことなどなおさらできない。
「じゃあ、明日はどうするの?」
明日の方針が定まらなくてイライラする。
「大体、私と可児江くんはそんな関係じゃ…………っ」
言い掛けて口を手で塞ぐ。確かにいすずと西也は恋人同士ではなかった。けれど、恋人になりたくないのかと言われればそれは違う。
このバレンタインデーがいすずの望みを叶える絶好の好機であることは間違いなかった。
「どうすれば、私のこの気持ちを可児江くんに伝えられるのか。もっと考えないと……」
いすずは目を瞑って幸せな想像に浸ってみることにした。
2月14日、バレンタインデー当日。パークは予想以上の混雑ぶりを見せていた。
「うっひょ~。いすずちゃんのバッグからチョコの匂いがするんだミー。僕に1つ頂戴なんだミー♪ ついでに、ボクとアフター9デートに出掛けよ……」
パークの従業員専用通路に乾いた銃声が響き渡る。ティラミーと呼ばれていた魔法の国からやって来た男はもう別の存在と化してしまった。閉じられた瞳が開くことはもうない。
「リタイアしたティラミーに代わって伴藤さんがフラワーアドベンチャーのメインキャストに昇格よ。すぐに持ち場について」
「はっ、はい」
忙しければ忙しいほど不測の事態がどうしても起きてしまう。今のようにキャストの1人が急に物言わぬ肉塊になってしまうこともある。けれど即座に的確に指示を出しながら臨機応変に対応する。不測の事態に対処する能力では西也よりもいすずの方が優れている。それをみなが認めているからこそ、ゲストが多い日のいすずは誰よりも忙しい。
「愛する娘がいる身とはいえ、男としてバレンタインデーにはチョコが欲しいんだローン。いすずちゃん、ボクにチョコを渡して欲し……」
「リタイアしたマカロンに代わって中城さんがミュージックシアターのメインキャストに昇格よ。すぐに持ち場について」
「はっ、はいでしゅ!」
いすずは西也とほとんど顔を合わせることもないままその日の仕事をこなしていった。
いすずは夕飯を取る余裕もないまま忙しく仕事をこなし、遂に営業は終了の時を迎えた。
全ての会議は来週以降に延期されることになった。今日はバレンタインデーだけあって入場者は今月では最も多く2万名近くが来園した。そのために各キャストの疲労は限界に達していた。
いすずは事務棟の執務室へと重い体を引き摺りながら戻ってきた。トラブル解決のためにパーク内を移動し続けて今日だけで何km歩いたかわからない。人間界任務になってから1年半。体がすっかり鈍ってしまっていることを実感する。
「不甲斐ないわね……」
トレーニングを再開しようかと考えながら執務室の扉を開ける。
室内では西也が目を瞑って深く椅子に持たれていた。いすずが入ってきたことに気付かないところを見ると寝ているらしい。
西也もまた今日の営業では激務を極めた。居眠ってしまうのも仕方のないことだった。しばし西也の寝顔に見入る。心が癒やされていくのを感じた。そして気が付いた。
「…………可児江くんと2人きり。これは、チャンスなんじゃないかしら?」
手提げカバンを見ながら唾を飲み込んだ。
「勇気を、出さなきゃ。私の一生分の勇気を……」
いすずは眠っている西也の唇を見ながら拳を握り締めた。
「可児江くん。起きて。執務室で寝ていると風邪を引いてしまうわよ」
西也は優しい響きの声と微かに肩を揺さぶられる刺激で気が付いた。どうやら居眠ってしまっていたらしい。
「起こしてもらって悪かったな、千斗」
目を開きながら起こしてくれた少女に詫びを入れる。と、いすずの顔が視界いっぱいに映っていることに気が付いた。距離にして10cmもない。
「せっ、千斗?」
顔を離そうにも椅子に深く持たれている姿勢で逃げ場はどこにもない。そしていすずは一向に顔を離してくれない。それどころか見つめ込んで視線からも逃れられない。
「可児江くんは……私からバレンタインデーのチョコレートが欲しい。かしら?」
距離を保ったままいすずの頬が赤く染まった。恥ずかしがる少女らしいその表情に西也の頬も紅潮する。
「ほっ、欲しいぞ」
要らないと強がるのも子どもっぽいと考えて素直に欲しいと伝える。深い信頼を置く美女からのチョコが欲しくないわけがなかった。異性としての彼女への興味からも。
「そう…………っ」
いすずは目を逸らして更に顔を赤く染めた。
「可児江くんが望んでくれるのなら……あげるわ」
いすずは一口サイズのトリュフチョコを口に含んで西也へと振り返った。
「せっ、千斗っ!?!?」
いすずは西也の質問には直接答えず、代わりに唇を西也の唇へと押し当てた。
そして口移しで西也へとチョコを贈る。いすずの口から西也の口へとチョコが流し込まれていく。糸を引く唾液とともに。
「!?!?!?!?!?」
西也は目を白黒させながらチョコの贈呈という体裁を取ったキスを受け入れる。トリュフチョコが口の中に入り込んでくるが、どんな味なのか緊張し過ぎてまるでわからない。
「なっ、何でっ?」
いすずの唇が離れてから呆けた表情でそう聞き返すのが精一杯だった。
「私には、仕事を疎かにするなんてできないから」
「えっ?」
いすずの説明は西也の期待したものとは違った。けれど、違っていなかった。
「仕事に支障が出る真似はできない。でも、私はあなたの一番になりたいの。私は、欲張りなの」
トロンとした熱っぽい瞳が西也を捉える。西也の全身が急激に熱を帯びていく
「そして今日はバレンタインデーだから……私の想いを端的に伝えてみたの」
いすずの顔にいつにない色気を感じる。呼吸が乱れて仕方ない。
「大好きよ……西也くん」
いすずが再び西也の唇を奪う。一度想いを伝えることに成功したいすずはスイッチが入ったかのように大胆になっている。
「せっ、千斗。俺は、その、お前のこと、嫌いじゃない。でも、まだ、心の準備が……」
西也は完全にテンパッてしまい自分が何を考え口走ろうとしているのかわからない。乙女メンタルを発揮してプルプルと震えている。
「チョコなら……まだあるわ」
いすずは新しいチョコを妖艶な表情で咥えてみせた。
「私に……仕事と恋愛を両立させて。ねっ、西也くん……」
熱いながらも真摯な瞳。いすずの綺麗な瞳を見て西也は体を硬直させていた緊張がほぐれていくのを感じていた。
「千……いすず…………っ」
2人は二度目のチョコの授受を済ませた。今度は西也の方から積極的にチョコを受け取りに行った。
この日以来、いすずは終業後の安らぎのひと時に西也にチョコを贈るのが日課となったのだった。
了
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