「んー? なにぼーっとしてんのさぁ」
「え? あ、ああごめんさない」
空を見上げてなにやら考えて事をしている華実に、ヤカは注意喚起した。
そこは2つ目の休憩所を抜けたハイキングコース。ちょうど人と人がすれ違える程の道幅に、舗装されていない地面。小さな丸太で節を作られた階段。
そんな、普段歩きなれていない場所でぼーっとしていたら、何時かは転んでしまうに決まっている。少なくともリコは転ぶだろう。
幼馴染の顔を思い浮かべながら、ヤカは華実の肩に手を置いた。
思った以上に低い体温に驚きながら、少し振動を与える。プラプラと身体を揺らして上げた。
華実のウェーブがかった髪が、やんわりと揺れる。その拍子にカシスの様な甘い香りがヤカの鼻腔をくすぐった。香水でも付けているのだろうか。
「眼、覚めたぁ?」
「ふふ、ありがとう。でも、別に眠たいわけじゃ無いのよ」
華実はリュックを握りなおして、笑みを作った。
「あそこ」
華実が空を指した。
「え、なに?」
ヤカはその方向に眼を向けるが、果たしてそこには何も居なかった。
「鳥が居たの。名前は分からないけど。飛んでいたわ」
「もう居ないねぇ。…………ていうか、鳥が飛ぶなんて当たり前なんじゃあないのぅ?」
「………………そうね。でも、飛ぶ事の出来ない鳥も居るわ」
「怪我をしたりかぃ?」
ヤカの言葉に、華実は頷いた。
「そんな、飛ぶことの出来ない鳥は…………傷ついてしまった鳥は、一体どうすればいいのかしら。どうすれば生き延びる事が…………」
ぼーっとしてたと思ったら、今度は突然、よく分からない質問だ。だが、その眼は真剣だった。とはいえ、その質問に対して本当に答えを期待していたかは分からない。言葉の最後付近は独り言の様になっていたからだ。
もともと何かを深く考える性質では無いヤカだが、この様に真剣な言葉なら流石にそうはいかない。とはいえ、考えて出るような答えでも無い様な気はしたが。
「近くに私が居れば助けて上げられるのになぁ」
「え?」
その言葉に、華実は虚を付かれたようだった。
「いや、例えばの話だよぅ? 私じゃなくても、誰か他の人間でもいいけど」
「無理だよ。だって、その鳥は取り返しの付かない傷を負っちゃってるかもしれないのよ。治療を受けても治らないかもしれない」
「でも、生きることはできるっしょぅ? その鳥が生きていたいなら私は助けたいし、飛ぶことが出来なくて退屈なら、いくらでも相手をする」
華実はヤカに、少し厳しい眼を向けた。追い詰められている雰囲気すらあった。彼女の空気が、何処か張り詰めていた。
「それが鳥にとって幸せなことなのかしら? 飛べなくなって、でも生きていたくて、その上、無理だと分かっていてもまた飛びたいと考えていたら…………生きていることは苦痛だわ。でも、死にたく無いから仕方なく生きている。そんな鳥はどうすればいいの」
「うーん」
ヤカは答えに窮した。自覚はあるが、頭は回るほうでは無い。哲学的な問題なら尚更だ。ヤカの脳内の30パーセントはオカルトで構成されており、残り30パーセントは生体機能に当てており、39パーセントは特に何も考えていない。少ない容量でその場を乗り切っているのだった。
だから、
「もし、だよ」
「もし?」
「リコがそんな状況に置かれたらさぁ」
「う、うん」
「私が生きて欲しいから、無理矢理にでも生きてもらうかなあ。リコの意見なんてまるで無視」
とても直感的で、独善的な言葉を伝えた。
華実の眼が点になった様に見えたが、果たしてそれは気のせいだっただろうか? 気のせいだろう。実際に眼が点になる様な現象が起こるはずも無い。だが、やや口を開いて様は、華実の心境を何よりも雄弁に物語っていた。
「ほんとに、勝手ね」
呟くような小ささだったが、ヤカの方を向いて言った言葉だ。ヤカに向けて発したのは間違いない。
「そういう状況じゃ、生きてて貰った方が私は嬉しいもの。いやぁ、きっとリコも感謝すると思うよ」
「……………………ぷっ」
華実が勢い良く顔を逸らし、そんな擬音を吐き出した。
「ぷっ?」
ヤカが問うが、小刻みに身体を奮わせるばかりで華実は答えない。
そして。
「くっ…………あっはは…………だ、駄目…………お腹痛い!」
腹を抱えて爆笑し始めた華実につられて、ヤカも無意味に笑った。華実がそんな風に笑うところを、初めて視たからだ。そうだ。思えば、華実の性格…………というかその芯となる何かが変わる前、ヤカが嫌いだった華実が、この様に笑わなかった。
「ほんとに、リコさんの言うとおりね、貴女は」
眼の端に涙を浮かべて、息を切らしながが華実は言った。
「………………ちなみに、なんて言ってたのぉ?」
「チョコレートケーキをショートケーキにしてしまう様な奔放さを持つ女」
「台無しって意味ですかぁ」
「悪い意味ばかりでは無いとは思うわ。少なくとも、私にとっては」
いやはや、なんとも良く分からない評価をされたものだ。
だが…………それくらいなら許してあげよう。リコならば許してあげよう。
絵を描くのに適したポイントというものは、中々見つからないものだ。というより、それは2人のサジ加減1つなのかもしれない。もっと言えば、ヤカの我が儘を克服出来るベストポイントの発見が肝要なのだった。
ここは駄目だ。あの鼻は描き辛そう。あの木は描けそうに無いね。
ヤカはそんな事を言って。
まあ、詰まる所、なるべく楽して描きたいわけだ。早く決めて早く描いてしまえば、速く終わるわけだ。余った時間は自由時間となるわけだから(課外実習は昼の3時まで)、早く終わらせて遊んでしまえば良い。
これでは何時まで立っても終わらないという事で、結局は華実がポイントを決めた。
少し見晴らしの良い場所。いや、良すぎる場所。
そこは崖の近くだった。崖、というよりも、むしろ凄い急勾配の坂、と言った感じだが、それはほとんど崖に近い。
一直線に切り立った崖に、ぽっこりと太鼓型の崖がくっついている。そんな感じだった。
ハイキングコースとして整備された道からやや外れた場所。木々と、ハイキングコース以上に凹凸の激しい道(整備されていないのだから当然だが)で続いた場所。つまり、隠された場所であり、滅多に人が立ち入らない場所なのだ。
何故そんな場所を見つけられたか。
どうやら、華実は幼い頃に来た事があるらしい。いや、もちろん、ヤカだってこのハイキングコースは初めてではない。何度か家族と訪れている(絵を描くポイントを次々と回避していたのも、以前に何度か訪れていた事が大きな原因ではある)。だが、その場所には気が付かなかった。これは好奇心の塊であるヤカにはかなり悔しい事である。
崖の近くとはいえ、決して落ちない様に、崖の少し手前だが、頑丈に視える柵が設けられている。
そして、崖から木々まではさらに数メートル。木々は生えておらず、芝生が地面を覆いつくしていた。
ハイキングコースは山と隣接しているため、崖の眼下には無数の木々が広がっている。その崖からは、ヤカ達が住んでいる街も少し見えた。見覚えの無い建物ばかりなので、ヤカが住んでいる場所からはそれなりに距離があるのだろう。
「いやー。ようやく絵が描けるねぇ」
「誰のせいよ、誰の」
華実はあくまでも楽しそうに言った。課外授業を思う存分堪能しているらしい。
と、そこでヤカに改めて疑問が浮かぶ。
「ねぇ、なんで私と一緒に来たのさぁ」
「え?」
「何時も仲良くしてる連中となら、もっと楽しく過ごせたんじゃないのぉ?」
ヤカとリコ、その2人以外にも班員はもちろん居る。リコが滅多に発揮しない我が儘スキルを発動させたため、他の班員は先に行ってしまったが…………別に華実はそちらで行動した方がずっと楽しめたのでは無いか。そう思ったのだ。
「だって、それじゃあ一緒に班を組んだ意味が無いじゃない」
「それもそうだけどさぁ」
「私はヤカさんと話をしたかったのよ」
「はぇ?」
なんだそれは。
正面きってそんな事を言われると照れるでは無いか。照れ隠しに、ややそっぽを向きながら頭をかく。
「描こう描こう。早く終わらせて昼寝でもしようよぅ」
クスリ、と華実が笑った様に思えた。悪い気はしなかった。にこやかな笑顔で、彼女は自分のスケッチブックを開く。美術の授業で使用しているもので、課外授業で絵を描く事になった生徒は、これに絵を描いて提出する。
そして、それ故に次の瞬間、華実が驚きの声を上げた。
「え? な、なにそれ、凄い…………」
ヤカは初め、なんの事か分からなかった。だが、華実の眼がヤカのスケッチブックを追っているのを視て、自分のそれに眼を落とす。
「なにぃ?」
「いや、何って…………凄い上手いじゃないの、ヤカさん」
「そぉ? よく分かんないけども」
ヤカのスケッチブックには、まるで写真の様に忠実に描かれたリコが描かれていた。鉛筆デッサンで無かった、写真と見間違えたかもしれない。
華実がページをめくると、精密に描かれたフィレンツェの街並みや、あるいは創作だろうか、古代遺跡らしき建物が非常にリアルに描かれていた。
「美術の課題には関係ないけどねぇ、暇だったからつい」
「ほんと凄い…………中学生のレベルじゃ無い。あれ…………? でも、ヤカさんの課題が話題になった事って無い様な」
「あぁ、先生から模範的な絵として飾らせてくれって言われたけど、なんか怖いから止めといた」
「怖いって、なんで?」
「いや、政府の陰謀かもしれないし」
「美術の教師を陰謀論で脚色するのはどうかと…………」
何故か、物凄くもったいない物を見る眼でスケッチブックを見る華実だが、突然、先ほどと同じ様に大笑いし始めた。
ひとしきり笑い終わって、肩にかかっている髪を撫で上げると、
「凄いわ、ヤカさん。凄く面白い。一緒に班を組めて良かったわ」
「それ、褒めてんのかぃ?」
「もちろん! 貴女と話せて良かったわ!」
その言葉に、ヤカは少し違和感を覚えた。
意気揚々と絵を描き始める華実。ヤカも重い腰を上げて(実際は座っているわけだが)、描き始める。
そして、1時間は経っただろうか。もっと経過したかもしれない。
おやつは300円まで…………などという取り決めは無いが、控えめな量で持ってきていたお菓子をつまみながら(原則として禁止)、時に話をしながら、気が付いたら時間は経過していた。
携帯を開くと、もう昼前。道理で腹がすいたはずだ。
太陽は天頂に届き、その光を惜しみなく地上へと届けていた。
そろそろお昼にしようか。
などと言おうとした時である。
「あっ」
華実の声である。
その視線の先には、一匹の動物が居た。
狸。
華実は狸に驚いたわけでは無いだろう。何故なら、
「酷い…………」
口を覆って、眼を見開いている。
ヤカは野生の狸を視たのは初めてだった。だから、狸そのものにまず驚いた。そして、華実の反応の意味を知る。
狸の腹には、細長い金属製の棒が突き刺さっていた。明らかに自然物では無い。少し詳しかったならば、それがボウガンによる射撃の結果であると分かっただろうが、2人には分からなかった。
そして、それは起こった。
ヤカがリアクションを取るよりも早く。
華実が飛び出していた。
「あっ…………!」
母音を吐き出したあと、ヤカはさらに言葉を出すよりも早く、やはり飛び出した。
華実を止めるためだ。彼女が走り出したのは、今にも柵の下を潜り抜けてフラフラと落ちてしまいそうな狸を助けるためだ。ヤカは、そんな華実を止めるためだ。明らかに危険に見えたから。
ヤカと華実と狸。2人と1匹、誰が誰に触れたのが先立っただろうか。
とにかく、
「ああ、くそぅ!」
ヤカの悪態と共に、頑丈そうに見えただけで酷く老朽化していた柵を突き破って、崖下に転がり落ちていった。
置き去りにされたスケッチブックを、風が虚しく揺らしていた。
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『飛べなくなった鳥はどうすればいいの?』
何処か上の空だった華実。
スケッチポイントを決め、ヤカとの交流を深めていく。
そんな時、一匹の狸を見つける。
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