太陽が真上に昇ったばかりの昼下がりに、森の中を一人の少女が歩いていた。
年端は十代前半くらいだろうか、薄い水色のワンピースを身にまとい、麦わら帽子をかぶっている。少女の肌は日に焼けると言うことを知らないのか、陶器のように真っ白だった。
木々がつくる陰の道を進みながら、少女は楽しそうに笑う。小鳥のさえずり、木々のざわめき、海の香りを含んだ潮風。その全てが彼女にとって新鮮であった。
こんな風に、自然が残っている所は数を数えるほどしかない。
少女が生まれるずっと前に、大きな戦争があった、そうだ。少女はお祖父ちゃんから聞いただけで、本当に起こったことなのか知らない。その戦争は、平原を荒野に、都市を廃墟に変えていった。そして、人が住むには過酷な環境になってしまった。だから少女を含む家族は、シェルターの中で暮らしていた。少女はそのシェルターで生まれ育ち、“外の世界”を知らなかった。
それも数ヶ月前に解放された。汚染されていた大地がある程度まで人が住める環境になったからだ。なので、今は外で暮らしている。森と海が近くにあって、両親が小さな屋敷を建てた。
だから、少女にとって、外の世界は新しい物で溢れかえっている。そのことを少女は心の奥底から喜んでいた。
「やっと、ついた」
少女は立ち止まって、そう小さくつぶやく。
つい先ほどまで、木が防いでくれた太陽の光が、少女に降り注ぐ。彼女の周りに木々はなくなっていた。ある線を境界に森がとぎれている。
その先には、大きな裂け目があった。地面が切り裂かれたように、少女の所からでは端が見えないほど、広がっている。
少女はその裂け目をのぞき込んだ。谷底にはたくさんの機械が無造作に捨てられている。冷蔵庫や電子レンジなど、少女が見たことのある家庭的なものから、人の腕を何倍にも大きくしたような機械仕掛けの腕、など。
この場所は少女にとって秘密の場所でもあった。
父さんにも、母さんにも、身の回りを世話してくれているじいやにも、教えてない。
少女は落ちてしまわないように気をつけながら、裂け目を沿うように歩いていく。しばらくすると、少女でも降りられそうなさび付いたはしごがあった。
なんでこんな物があるのか、少女はわからなかったが、あまり気にしないことにした。はしごがあるから、少女は谷底に降りられるのだ。
この場所に来るのは、今回で三度目。来るたびに少しだけ風景が変わっているように思える。
(気のせいかな?)
あまり気にしないことにした。
「今日はどこにいこうかなぁ……?」
この前、ここに来たときには、黒くて大きい奇妙な形の箱を見つけた。それには白と黒の板が並んでいて、それを押し込むと、ポン、と間の抜けた音がした。ついついおもしろくて、日が暮れるのも忘れて、音を鳴らして遊んだ。
今日はいったい、どんなものが見つかるのだろうか。わくわくしながら、少女は機械の山を乗り越えていく。
(今日は、もうちょっと奥までいこう)
少女は立ち止まって、そんなことを考えた。今までは時間があまり取れなかったこともあるし、太陽が傾けば、辺りは暗くなる、それが怖かった。
少女は大きめの機械から機械へと飛び移るようにして移動する。
その時、少女の乗った機械がぐらりと傾いた。
「わ、わっ、きゃぁぁぁっ!?」
少女は悲鳴をあげる。
飛び乗った先の機械の山が崩れ、少女は尻もちをついて、滑り落ちていく。
「いたたたっ……」
むくりと起き上がると、痛むおしりをさする。ある程度、痛みが引くと少女は立ち上がった。
どこか怪我していないのか、少女は確認する。とりあえず、膝をすりむいたぐらいだ。手足を軽く動かしてみても、特に痛みはなかった。
少女はスカートに付いたほこりを払うと、あたりを見渡した。
どうやら、すこし低い場所に落ちたみたいだ。相変わらず、地面は機械の塊で、地面が全く見えない。
見上げると、落ちた場所が崩れていて、影も形もなくなっていた。とはいっても、登れないほどではない。むしろ崩れたおかげで、斜面が緩やかになっていた。
「あれ? あれってなに……」
崩れた機械の山に、布切れのようなものを見つけた。
黒地の布に白いレース。
まるで、服のような。
(お人形さん……かな?)
捨てられたお人形を、少女は拾ったことがあった。ぼろぼろで汚れていたけれど、一生懸命、きれいにして治してあげたのだ。
そのことがあり、助けてあげなきゃ、と考えて少女は駆け出す。
そして――
「ひっ――!?」
悲鳴すら上げられず、少女はその場にへたり込んだ。
少女が見たもの。見てしまったもの。
そこにいたのは、手足の欠けた女性だった。
機械の山にもたれかかり、眠っているかのように女性はまぶたを閉じている。その表情は穏やかなもので、もし場所が違えば、本当に眠っているようにしか見えないだろう。
ただ、女性には太ももから下がなく、そこからケーブルのようなものが見え隠れしている。右腕も肩からなくなっているのか、服の肩の部分が不自然に垂れ下っていた。
少女はおそるおそる手を伸ばす。
あたたかい。
「よかった……」
少女は安堵の息を吐き、その場に座り込んだ。どうやら、女性はまだ生きているようだ。 (けど、このままじゃ……)
このまま放っておくこともできない。少女が思いつくのは、屋敷に戻ってじいやに助けてもらうだけだった。
けど、それは無理だ。少女だけではあのはしごを女性を抱えたまま昇ることはできない。ただでさえ、上り下りするだけでも一苦労なのだ。
少女が悩んでいるときだった。
不意に、背後から音が聞こえてきた。ガシャッ、と機械が崩れた時の音。
(だれかいるの?)
なら、助けてもらえる、少女はそう思い、行動にすばやく移った。片腕の女性を両手でしっかりと抱きかかえる。
「かるい……」
もっと重たいものだと思っていた少女は、少しだけ拍子抜けた。想像よりも片腕の女性は軽いのだけど、少女が持つには重すぎるのもまた事実だ。
少女は女性を抱えたまま、音のした方へと一歩ずつ歩み寄っていく。よろけそうになっても、転びそうになっても、少女は歩みをやめない。
見つけた。
どうやら、男の人のようだ。背中だけしか見えないが、その体は鍛え抜けられているようで、とても大きくたくましかった。頭にはバンダナを着け、むき出しの腕は丸太のような太さがあり、両手にはグローブのようなものをはめていた。
その男の人は、少女がいる場所からかなり離れていた。
「ま、まって!」
少女は力の限り叫んだ。
何度も、何度も。
だが、男の人は振り向くことなく、機械の山から部品を抜き取っていた。抜き取った部品を肩にかけて、少女がいる方角とは逆の方向、つまり、少女から離れていった。
「まっ――きゃっ!?」
少女は叫ぼうとして、転んだ。少女がかぶっていた麦わら帽子が、その衝撃でどこかへと飛んでいく。だが、少女はそのことに気がつかない。
足に何かが引っかかったらしい。少女はめげずに立ち上がると、女性を抱きかかえ直した。
男の人の後を追うように、少女は歩く。立ち止まっては休憩し、その度に女性の体温がまだ暖かいことを確認する。
そのことが少女の支えとなってくれる。
どれだけの時間がたっただろうか。
どれだけの距離を歩いたのだろうか。
ふと、少女はそんなことを考えるが、答えは出ない。頭がズキズキと痛み出し、意識がもうろうとし始めた。
降り注ぐ太陽が少しずつ、少女の体力を削っていく。少女の着ているワンピースは色が変わるほど汗を吸っていた。
のどが渇いた……何か飲みたい。
生唾を飲み込むが、そんなことでは何の足しにもならなかった。
このまま帰ってしまおうか。
女性を置いていって来た道を戻り、はしごを昇って屋敷に戻る。だけど、今まで歩いてきた距離を考えると、屋敷に戻る前で倒れてしまうかもしれない。
このままあの人に会えなかったら、どうなってしまうのだろうか。
少女があきらめかけた時。
煙が見えた。何かを燃やしているらしく、灰色の煙が立ち上っていた。それも目と鼻の先に。
少女は最後の力を振り絞り、その煙の元へと近づく。
そして、小さな小屋を見つけた。小屋の向こうには大きな水たまりがあった。
それと――
あの男の人も、いた。
「た、たすけ……」
それ以上は声にならなかった。かすれてうまく声が出せない。
「だれだッ!」
熊の世に野太い声を上げて、短く男の人は言った。
届いた。
だけど、少女はそれ以上しゃべることはできなくて。
崩れるように、少女は気を失った。
少女が目を覚ましたのは、それからずいぶんと時間がたったころだった。
(ここは……どこ?)
少女には見覚えのない場所。どうやら、ベットの上で眠っているらしい。簡素なベッドで下布団は固い。布団は妙にちくちくして、油臭かった。
少女は油臭い布団から這い出て、腰をベッドに下ろす。
そして周囲を見渡した。
「小屋……?」
少女がそうつぶやくよりも早く、近くにいた人が少女に振り向く。
あの時、大きな機械の部品を運んでいた人だった。頭にあったバンダナは片目を覆うようにしてかぶっている。両手には部屋の中にいるのにかかわらず、グローブをつけたままでいた。
「大丈夫か? 突然倒れたから驚いたぞ」
唸るような低い声をあげて男の人は言う。そして、少女の頭をグローブをつけたままの大きな手のひらで乱暴になでる。しばらく為すがままにされていた少女だったが、はっ、と我に帰った。
「あの人はっ!?」
「あの人…………ああ、あれか」
まるでものを言うように、男の人は女性のことを言う。
「あれなら……ほら、そこだ」
男の人は自分の背後を指さした。少女は体を傾けて、男の人が指差したほうを見るが、男の人の体が大きすぎて、少女の小さい体では見ることができなかった。
少女はベッドから降りると、男の人の裏にまわる。
そこには――
床に布を敷かれた上に、横たわれた女性がいた。何の手当もされずに、少女が見つけたままと同じ姿。
「――ひどいッ!」
男の人に向き直り、少女は怒りを露わにする。
「ひどい? じょうちゃん、分かてるのか? こいつは……」
男の人が言い終わる前だった。少女の背後から、ごそごそ、と布のこすれるような音がした。
「えっ……」
「こいつは、たまげたな……」
男の人がそう言っていたが、少女の耳には届かない。それよりも重要なことが頭を占めていた。
女性が目を覚ましたのだ。少女は女性のそばで屈み込むと、顔をのぞき込む。紫色の瞳と視線が合う。
「だいじょうぶ?」
少女は、女性の残った腕を手に取り、手を合わせながら訪ねた。だけど、女性は口を二.三度動かすが、声は出なかった。
「音声システムが壊れちまってるようだな」
「おんせいしすてむ?」
聞いたことのない単語を聞いて、男の人に聞き直した。
「……じょうちゃん、本当にわからないのか?」
男の人の質問に、少女はこくんと頷いた。すると、男の人が、はぁ、とため息を吐く。「おまえさん、ちょっとだけ、服の下見せてもらうぜ」
男の人は女性の返事を待たずに、スカートの裾をめくった。
「へ、へんた――えっ!?」
少女が男の行動をとがめようとして、女性の足を見て言葉を飲み込んだ。女性のふとももからしたがない、それは女性を運ぶ前からわかっていたことだった。
わかっていてことだったけど。
「これって……機械?」
女性の太ももから伸びる契れたコードを見て、少女はそんなことをつぶやいていた。
「これでわかったろう……こいつはアンドロイドだ」
男の人の言葉を肯定するように、女性が首を縦に振る。
「感謝を言うなら、じょうちゃんにいいな。ここまでくそ暑い中、おまえさんを運んできたんだからな」
女性は男の人に言われると、こくんとうなずいた。そして握ったままの少女の手を握り返した。
女性の口が動く。少女は聞き取ろうとして、女性の顔に耳を近づけた。
ありがとう。
そう、聞こえた気がした。
そして女性は眠るように。
瞳を閉じた。
「お墓を作ってあげよう」
少女はそんなことを言った。小さく、つぶやくように。
だが、男の人はその意見に、同意はしなかった。
「じょうちゃん、それは本気で言ってんのか? なら、やめておきな。こいつは、そんなこと必要ねえんだ。そうだ、必要ねえんだ……」
それは自分に言い聞かせるようでもあった。だけど、少女にはその意味を理解できなかった。むしろ男の人を軽蔑するような目で見た。
「それって、機械だから? 人――ううん、生き物じゃないから? そんな訳じゃないよね」
少女は訴えるような瞳で、男の人を見つめる。
「この人は、最後に笑ってたよ? 初めてあったわたしに、ありがとう、って言ってくれたんだよ? それなのに、それなのに……」
少女の頬に、一筋の涙が流れた。止めどなく、あふれるように。自分の心の奥底から沸き立ってくる感情を押さえきれなかった。だから、涙があふれる。
「ねえ、おじさん。人とアンドロイドっていったい何が違うのかな……」
少女の言葉に、男の人は言い返せなかった。人とアンドロイドが違うところなど山ほどある。体を構成している大部分が、有機物か無機物の違い。
だが、少女が言いたいことはそんなことではない。
もっと根本的で、複雑なもの。
心。
少女が問いたかったこのことなのだろう。だから、わからなくなっている。
なら、自分はいったい何なのか、男の人は尋問した。
答えは出ない。そもそも、答なんてあるのだろうか。
「さてな……そんなことかんがえたこともない」
男の人は言う。片腕の女性――アンドロイドである彼女のほうを見ながら。
そして考えた。もし、自分と彼女との立場が変わっていたら、彼女はどうしただろうかと。
自分と同じはずの、だけどどこか違う。
そんな彼女はいったい少女の言葉を聞いてどう思うのだろうか。
そう考えていると、自然と言葉が出ていた。
「……だがな、それで嬢ちゃんの気が晴れるなら、付き合ってもいいぞ」
そっけなく男の人は言った。
そして、少女はにっこりと笑いながら口を開く。
「ありがとう」
アンドロイドの女性と同じ言葉を。
朝日が差し込んでくる。
少女と男の人は丘の上にいた。
二人の目の前には、無骨な十字架が立てられている。少女は摘んできた一輪の花をそっと置いた。
それが終わると、少女は男の一人に振り向いた。
「ありがとう、いっしょにお墓作ってくれるの手伝ってくれて」
だけど、男の人は答えない。
「それじゃ、わたし帰るね?」
「ああ」
男の人は短く答える。
少女は屋敷の方向へと走っていく。時々、振り返っては男の人に手を大きく振っていた。
少女がいなくなると、男の人は墓へと向きなおった。
「これで、よかったのか?」
男の人はそう言って、自分の両手にはめられたグローブを脱ぎ去った。
グローブの下に、人の指はなかった。代わりにあるのは、無骨な機会の群れ。人工的に作られた皮膚はとっくの昔にかがれ落ちている。
もともと、自分は戦争用に作られた兵器の一つだ。
戦争が終結すると同時に、最後に命令を受けた。
『人が住める環境に戻せ』と。
だから、男に人は壊れた機械をあの崖まで運び、少しずつ人が住める環境へと変えていった。
ここは、忌まわしき過去の産物。戦争のなれの果て。
男の人はあの小屋へと戻る帰路へとついた。
その途中で、少女が迷い込んできたときに使ったあのはしごを使って下りる。そして、今し方降りてきたばかりのはしごを見上げた。
「人とアンドロイド……」
あの少女にとって、アンドロイドと人は同じもの。
なら、自分はどうなのだろうか?
そんなことが頭の中を過った。
くだらない。そう吐き捨てた。自分には関係ないことだと。
動かなくなれば、あの奇怪の山の一部になるだけ。
『ねえ、おじさん。人とアンドロイドっていったい何が違うのかな……』
そう言った少女の言葉が、頭の中で繰り返される。
『ありがとう』
そう言ってくれた少女の言葉を、知らず知らずのうちに思い出していた。
なら、自分は少女に何ができる?
人とアンドロイドは同じものだと言ってくれた自分は、あの子に何ができる?
簡単なことだ。
少女が二度と、この忌まわしき崖に来ないようにすればいい。
「さて、仕事に取り掛かるか」
そう言って、男の人ははしごを撤去する。顔にはいつのまにか笑みが浮かんでいた。
これが、少女にできる感謝のしるしなのだから。
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ある夏のお昼過ぎ、少女は捨てられた機械の山ースクラップ置き場に来ていた。
そこで少女は「あるもの」をみつける