白磁の肌に触れる。切れ長の凛とした瞳が自分を見上げている。唇は小さくて、紅(べに)をひかずとも薄紅色に色付いている。白澤を見上げる鬼灯の瞳が、不意に閉じた。その姿はキスを待っている女のソレで…。
ゴクリと、白澤の喉が鳴った。今すぐに、可愛らしい小さな唇に吸い付きたい。食事の時にモグモグと可愛らしく動く唇を喰らいたい。
その思考は完璧に変態である。しかし、白澤はソレに気付く程の余裕はない。右手を頬に、左手を頭の後ろに。そうやって鬼灯が逃げられないように固定し、顔を近付ける。
…もう少し。…あと数㎝。…あと1㎜。
* * *
「白澤様!早く起きて下さい!もうすぐ開店時間ですよ!」
「…んあ?」
弟子の声に目を開ける。見えるのは己の寝室の天井。
「…夢…」
カァ、と顔が熱くなるのを感じる。
「欲求不満か…」
かなり恥ずかしい。しかし、鬼灯が本当に好きだという証でもある。
ムクリと起き、時計を見る。確かに、あと数分で開店時間だ。急いで準備する必要がある。
(いつもはこんなに遅くなんてないのに…)
こんなに熱いのだ。きっと真っ赤になってるだろう。まずはこの顔を何とかしなければ。
まずは顔を洗う事にした。
衆合地獄の酒場は毎晩賑やかだ。白澤も好きで以前は結構な頻度で女性を侍らせ行っていたが、今は少々回数も減っていた。それは鬼灯に誤解されたくないというのが主な理由だが、たまに彼女や弟子と行きたいとも考えていた。そして今回は、弟子をつれて酒場に入る。
「いらっしゃいませ、二名様ですね?」
「はい」
「すいません。生憎、今は席が空いていないので座敷に相席となってしまいますが…」
店員に言われ店を見回すと、確かに二人だけで座れそうな場所はない。しかし、座敷に目を移した途端、気になるモノを見付け其処を指さした。
「あの逆さ酸漿は鬼灯だよね?僕等、彼処にします」
白澤が見たのは薄青の髪と腰に蛇を巻いているのが特徴のお香と、逆さ酸漿を背負った白澤の想い人の背。よく見たら向かいには男鬼が二人いる。彼処ならギリギリ、二人追加出来る。
「鬼灯、お香ちゃん、晚上好」
「皆さん、こんばんは」
白澤と桃太郎の挨拶に、鬼灯以外の三人の視線が二人に注がれた。
「白澤様、桃太郎さん、こんばんは」
お香がにこやかに挨拶を返してくれる。白澤は愛想よく笑い返し、迷う事なく鬼灯の隣に座った。桃太郎は金髪の男鬼の隣に座る。
「えと…皆、鬼灯の幼馴染みだよね?」
白澤は二人の男鬼に訊く。彼は男性を『いるとしか思えない』と豪語する程に興味がない。だが、想い人の幼馴染みならば話は別だ。
「えと…君が烏頭君で、此方は蓬君?」
「はい、そうです」
指をさし訊き、肯定されると白澤も頷いて鬼灯に視線を移す。彼女は酒の入ったグラスを握りジーっと正面を見詰めていた。正面にいるのは烏頭で、最初は彼を見ているのかと白澤の胸がモヤッとしたが、よく見ると彼女の瞳は眠そうにトロンとしていた。
「此奴今日で五徹目なんスよ。明日、漸く休みなんです」
成程、と納得。彼女はとにかく働き過ぎなのである。
「鬼灯、大丈夫?帰って寝た方が良いんじゃない?」
肩に手を置き言うと、彼女はゆっくりと白澤を見上げてきた。目が合うとフワッと微笑みかけてくる。
ドキッと心臓が鳴った。酒と睡魔のせいで潤んだ瞳や、笑みに形作られた小さな唇が扇情的だ。思わず口付けたくなる。
(いやいや、此処は酒場!傍には鬼灯の幼馴染が!)
それに、自分はまだ好きだと言って貰ってない。言い聞かせ、己を律する。
「…白澤さん?」
「あ、うん。そうだよ」
肯定すると、鬼灯の体が突然傾いだ。
「鬼灯!?」
慌てて支えると彼女の柔らかさを感じて、思わず抱き締めたくなった。
「あほだいおう…」
「ブホッ」
思わず吹いてしまった。囁き声だったので白澤にしか聞こえず、幼馴染達は突然吹き出した彼を不思議そうに見ている。
「そっかそっか。閻魔大王がサボってばかりで仕事が減らないんだね?」
「ん~…」
「それじゃあ、ゆっくり休もうか」
「…ん」
鬼灯の睡魔はもう限界なのだろう。声は出しても言葉になっていない。
「ねぇ、鬼灯連れてって良い?」
幼馴染達に訊けば、彼等は不信そうな視線を向けた。
「酔って抵抗出来ない女性の寝込みを襲ったりは、しないわよね? 」
訊ねるお香の表情は笑顔だが、声には警戒心が籠っている。
「何もしないよ。ただ寝かせるだけ」
白澤は言うが、お香はじっと彼を見詰める。取り成したのは驚いた事に鬼灯だ。
「まぁまぁ、お香さん。白澤さんは女狂いですけど紳士的な面もあるんですよ」
彼女はそう言って綺麗に笑った。疑いなど何もない顔だ。
(夢の話なんかしたら警戒されるかも?)
いつか見た、鬼灯にキスをする夢。夢に見る程に、白澤は鬼灯に触れたくて堪らない。しかし、こんな風に言われたら益々、手を出し難い。
「あ、白澤様。良かったら白澤様の店に泊めてやってくれませんか?」
〔え!?〕
思わず白澤と桃太郎の驚愕の声が揃った。
「良いんですか!? 白澤様ですよ!!?」
「桃タロー君酷くない!?」
しかし、桃太郎の心理事態は分かる。何せ白澤は万人に『女狂い』と認識されている。だというのにそんな男の家に宿泊…しかも頼んだのは鬼灯の幼馴染。
「鬼灯自身が【紳士的な面がある】っつってんだ。大丈夫だろ」
信頼されてるのか彼が馬鹿なのか、白澤には判断出来なかった。だが、この機を逃したくないという想いもある。
「…鬼灯…僕の家に来る?」
拒否される可能性があるので、訊く声も遠慮がちだ。だが、訊かれた方は白澤を見上げ、嬉しそうに笑った。
「…ん」
彼女が出した声は肯定でも否定でもなかったが、幼馴染は肯定と受け取ったようだ。
「鬼灯はあまり二日酔いはしないけど、朝に具合が悪そうだったら薬を分けてやって下さい」
「…しょうがありませんね。白澤様、お願いします」
蓬に頼まれ、お香に頭を下げられた。
「わ、分かった。桃タロー君は彼等と楽しんでると良いよ」
「あ、はい…」
桃太郎の返事を聞いてから、白澤は鬼灯を抱き上げた。途端に下からピュウッと音がした。
「白澤様、お姫様抱っことはやりますねぇ!」
烏頭が楽しそうに囃し立てる。どうやら先程の音は彼が出したらしい。
白澤は自分の顔がカッと熱くなるのを感じ、酒場から逃げるように去っていった。
* * *
顔の熱が冷めない。
烏頭に囃し立てられたのもあるが、その後も結構大変だった。獣の姿で鬼灯を運んだのだが、自分の背に乗せた鬼灯の幸せそうな様子が可愛くて堪らなかったのだ。
「フフっ」と笑ったり、「フワフワ…」と撫でる手が気持ち良かったり…。
白澤の寝室に運びゆっくり下ろすと、鬼灯が柔らかく微笑みかけてくれる。
(あぁもう可愛い)
「あんまり可愛い顔すると、キスしたくなるよ」
顔を近付け囁くと、鬼灯がクスッと笑った。
「…どうぞ?」
彼女の笑みに、妖艶なモノが宿った。
「…本当にしちゃうよ。お前、『お慕いしてる方』がいるんだろ?」
「フフフッ」
鬼灯が可笑しそうに笑った。彼女がこんな無防備に笑うところを初めて見た。
「鬼灯、僕は誰?」
ふと思い至り、訊いてみた。答えによっては、彼女は白澤を別の男性と間違えてる事になる。
「あなたは…おしたいするひと…ましろのひと…」
手を伸ばし、白澤の頬に触れる。愛しそうに撫でる。その手を、握る。
「『ましろのひと』って、誰?」
フフフッと、彼女はまた笑った。
(『ましろ』って、『真白』?)
彼女が慕う男性のイメージなのは理解した。
「ねぇ、僕も白いよ。中華服も白衣も真っ白だよ」
白澤も鬼灯の頬に触れる。両頬を両掌で包む。彼女は綺麗に微笑むだけ。この綺麗な笑みを、自分だけのモノにしたかった。
顔を近付ける。鬼灯は何も言わない。彼女の瞳に、白澤が映っている。白澤だけが。彼女の視線を、自分だけのモノにしたかった。
白澤の唇が、鬼灯の唇に触れた。彼女は、抵抗しなかった。鬼灯の唇は柔らかく甘くて、ずっと口付けたくなる。
「ん…んぅ…」
彼女の唇から、甘い声が零れた。白澤は、体の芯からゾワゾワと欲が湧き出すのを感じた。
(僕は、全然紳士的じゃないよ…)
まさか、本気で恋した相手とのキスがこんなに幸せで、気持ち良くて、欲が湧くものだとは思わなかった。これ以上は危険だと悟り、唇を離す。鬼灯は潤んだ目で白澤を見上げる。その瞳を見ていると、胸の内で欲が暴れ出すんじゃないかと心配になる。
「…寝な。明日、辛くなるよ」
鬼灯を押し倒し、毛布をかける。
「…ばあか」
鬼灯は、クスクスと可笑しそうに笑った。獣の姿に変じ鬼灯を包むと、彼女は静かに喜び、白澤のフワフワの体を抱き締め、幸せそうに瞳を閉じた。
白澤は愛しそうに彼女を見、己も眠るべく瞼を閉じた
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『初めての味 初デート』の続きです。
酒に酔った鬼灯と、彼女の介抱を申し出る白澤の話。