No.764957

ものたん 序章

赤星有記さん

かって妖たちの土地だったという牽牛子町。そこでいとなまれる骨董品店『百瀬堂』の三男坊、文彦には付喪神に熱烈に好かれてしまうという妙な特技があった。百瀬堂の主である長男平九郎の命令で付喪神絡みのトラブルに巻き込まれてしまう文彦の日常のお話です。少々残酷な場面もありますので苦手な方はご注意ください。

2015-03-16 23:18:53 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:346   閲覧ユーザー数:345

 
 

序章

 

雨が激しくなった。

差している唐傘を水が叩き音を立てる。

傘からはみだして長兄と繋いでいる手が濡れる。

それでもその手をほどこうとは思わない。

 

舗装されていない山道を歩いているので足元がぬかるんできた。勢いのある雨足は周囲の色を一変させた。

雨雲から零れ落ちている陽を反射して光っていた草と常緑樹の木々がくすんだ灰色をかぶってしまっていた。

世界が雨に溶かされて交じり合っているようだ。

こんな時にこんな山道を歩いているのは僕と長兄くらいか、と心細くなった時に、前方から歩いてくる人影を見た。

自分達と同じ大人と子供という組み合わせで、しかも似たような唐傘をさしている。

 

――顔を見てはいけないよ。口も利いてはいけない。

 ふいに長兄が僕の手を握る力を強くし囁いた。

――知らん顔して歩き続けるんだ。

 

僕は無言のままこくりと頷き長兄の手を握り返した。握ったその手がかすかに震えているのでそれを止めたくて僕も力を込めた。

歩くと足元の砂利が水を含んだ音を立てる。跳ね返るしぶきがズボンの裾をぬらしていく。

影のような二人組は目の前に来た時も影のようで姿がはっきりとせず、すれ違った時の足元からは何の音も聞こえなかった。砂利を踏む音も。傘を雨が叩く音すらも。

 

――あれは、なんだったの。

――気にすることはないよ。ああでも、また出会うことがあったら、絶対にかかわってはいけないということは覚えておいで。ああいう輩はこの土地―――にはよく現れるからね。

 

長兄の声は平坦にしようと努めて失敗していた。足元を見ていた顔を上げると、長兄の元々白い顔は更に色を無くし唇が震えていた。

 

ああ、大兄ちゃんはさっきの影の顔を見てしまったんだな、とわかった。

 

雨音に紛れて、地鳴りのような音が聞こえてきた。

なんだろう、と音のする方を見た。黒い斜面の上に生えている草や木が震えるのが見えた。大小さまざまの石が転がり落ちてくる。そして、地面が揺れた。

 

――兄ちゃ…。

 

脅えて傘を放り出し長兄にすがりつこうとした。だが、その手は激しく振り払われる。長兄は僕の肩を掴むと体の向きを無理やり変えさせて怒鳴った。

 

――走れ!早く!

 

前方へと突き出すようにされる。その勢いと兄の声に押されるようにして僕は走った。

背後ですごい音がした。足を止めて振り向いて……そこで、一旦記憶が途絶えている。

強い恐怖の為に記憶が消えてしまったのだろう、と当時僕を診てくださったお医者さんは言っていたそうだ。

 

空白を挟んだ記憶の再生は濡れた膝小僧と赤い犬から始まる。崩れてきた山の斜面に埋まってしまった道。巻き込まれるのは免れたものの、僕は脱力してしまいかろうじて立ったままの木の下で座り込んでしまっていた。

 

枝がすべての雨を防いでくれるわけはなく、すりむいて赤くなった膝小僧は濡れ続けていた。くっつけた太ももの上にはちょこりと赤い小さな犬が乗っていた。亡くなった母さんが造ってくれたというぬいぐるみだ。不思議な奴でいつも僕の側にいる。今日も出かける時に家に置いてきたはずなのに……。雨の雫がぽつぽつと犬にも落ちて赤い布地の色が所々濃くなっていた。

 

その時の僕の頭は真っ白で、これからどうすればいいのかなんて何も考えられなかった。

濡れた土を踏む音を聞いて顔を上げたのも、ほとんど反射のようなものだった。

 

――ああ、ごめんなさいねえ、待たせてしまって。

 

そう言って手を差し伸べてきた長兄の白い顔にあんなに驚いたのは、きっと止まっていた脳みそがいきなり動きだしたからなのだろう。

 

……本当にひどく驚いたのだ。

 

僕は散々泣いて泣いて、そんな僕を長兄は困った顔で抱きかかえて歩いた。

ようやくたどり着いた麓では僕達を探す捜索隊が出発する直前だった。大人達の間で、まだ小学生だった次兄がひどく青ざめた顔をして僕達二人を見つめていた。

 

彼が言葉になっていない雄叫びのようなものをあげたかと思えばこちらへ駆けてくるのが見えた。その勢いのまま長兄からひったくるようにして次兄が僕を抱きかかえたが、体重をうまく支えきれなかったらしい。危うくこけそうになるところを消防隊の人が助けてくれて、そのまま救急車に運ばれた。薄れゆく意識のなかで、人だかりからささやかれる声が奇妙にくっきりと聞こえた。

 

――良かった。小さい子だっていうから神隠しにあったのかと思った。

――ええ、ここはそういうことが起こってもおかしくない土地ですものね。

――そう、ここは牽牛子(けんごし)ですもの。

 

 

――妖と人とが交わるこの地では何があってもおかしくないのだから。

 

 

遠い遠い昔、僕達の住んでいるこの町は、妖達(あやかしたち)の住む土地だったそうだ。

その為か多くの伝説が残っており、酔狂な研究者の人がそれを一冊の本にまとめていたりもする。

 

本のタイトルは『牽牛子奇譚(けんごしきたん)』という。

 

 

 

 
 

 
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