鬼灯に告白し、受け入れられて有頂天になった白澤だが、すぐに恋人らしい事をしようとは思わなかった。
本当はしたい。惚れた女性にキスやその先をしたいというのは、男性としては当然の欲だ。だが、白澤はそれをしなかった。鬼灯には『お慕いしている方』がいるからだ。
何故想う相手がいるのに白澤を受け入れたのか分からないが、鬼灯も彼と同じ想いでいる…などという甘い考えには至らなかった。だって、相手は『天敵』だ。少なくとも、彼女は白澤をそんな目で見ていると彼は思っている。
だから、彼はすぐに欲に走らずに、彼女に好かれるように努力した。まず今迄に遊んだ女性との関係を全て断った。今、彼の携帯電話には重要人物と旧友や弟子の電話番号・メルアドくらいしか登録されていない。更に花街には酒と仕事の用事でしか行っていない。。嫉妬の味を知ってしまった白澤には未練も躊躇も無かった。
そして、鬼灯の喜ぶ事を考えた。願いが叶った後の思考がここまで楽しいとは思わなかった。
酒を飲みながら地獄の獄卒に、仕事中の雑談に、鬼灯を話題に出した。そうして分かった彼女の好きな物が、甘味とモフモフ。
分かってからの白澤の行動は速かった。注文された薬を納期までに間に合わせるなどという初歩は早い段階でクリアしつつ、受け渡しと支払いを終わらせると彼女を茶に誘った。疲労回復の茶と彼女の好きそうな甘過ぎない菓子だ。彼女はとても喜んでくれた。幸いにもモフモフなら常に兎さんがいる。茶と菓子とモフモフで鬼灯の表情が柔らかくなるのを見ていると、白澤は幸せな気持ちになった。
「貴男、自分は食べないのによくやりますね」
「ん?何の事?」
何を言われたか分からず不思議そうな顔をする白澤に、鬼灯は変わらず呆れたような視線を向ける。
「茄子さんが、女性にはデート中にたくさん食べさせてると言ってましたが、私にもそうなのですね」
言われて思い出した。白澤は、女性にねだられたら装飾品でも甘味でも何でも与えていた。しかし、彼が他の女性にしていた事と鬼灯にしている事は根本的に違う箇所がある。
白澤は、ねだられるまで何も与えない。簪が欲しい、鞄が欲しい、あの店のデザートが食べたい…そんなおねだりをデート中に言われた時だけ、白澤は物を女性に与える。
しかし、鬼灯からは今まで何かをねだられた事がない。白澤が勝手に、店に並べられた菓子を眺め何が甘過ぎないか何が鬼灯の口に合うか悩みながら購入し、たまには己の手で作って自作の茶と共に彼女を饗(もてな)すのだ。場所も、白澤にとっては特別だ。
今迄白澤が女性に甘味を振る舞った場所は主に甘味処…つまり外だ。しかし、彼は未だに鬼灯とデートをしていない。彼女に振る舞う場所は白澤の行動の拠点であり自宅でもある『うさぎ漢方 極楽満月』。『天敵』である白澤の居場所で鬼灯が柔らかい表情をするのが凄く嬉しい。まるで、彼女の傍にいる事を許されてる気になる。それが錯覚でも勘違いでも、彼にとっては掛け替えのないひとときなのだ。
白澤が想いを口にすれば、鬼灯の瞳は戸惑ったように揺れ、彼から視線を外す。鬼灯は困っているかもしれない…そう案じはするが、どんなに自分が彼女に対して本気なのかを分かって欲しい。だから、白澤はこれからもこうやって少しずつ想いを告げるつもりだ。
* * *
鬼灯は多忙で、デートする時間は殆ど無い。白澤は何度も誘い、鬼灯は何度も断った。それが、やっとの事で叶ったのだ。
白澤はワクワクと心踊る気持ちで佇んでいた。
「あら、白澤様。こんな所でどうなさったの?」
突然かかる、鬼灯では決してない女性の声。見れば愛想良く笑う女性が此方に近付いてくる。見覚えがあるから、以前遊んで貰っていたかもしれない。
「いつもの白衣ではないのね。薬箱もお持ちでないし」
恋人との初めてのデートに白衣はない、しかしあまり気張るのもどうかと思い普段とは違う服を着ている。普段からセンスがないと言われているから桃太郎にも手伝って貰った為、おかしい所はない筈。
「えと…変?」
「いえ、お似合いですよ」
「あ、ホント?」
少し安心した。
「今日は、恋人と初めてのデートなんだ」
話の流れで待ち合わせしている事も話したが、意外と恥ずかしい。女性が「まぁ」と微笑ましそうにしているのも少々羞恥心を刺激される。
白澤が何も言えずにいると、不意に女性の視線が逸れた。
「…鬼灯様?」
「え?」
女性の視線を追うと、確かに其処には鬼灯がいた。その顔は完璧な無表情で、全く感情が読み取れない。でもきっと、彼女は誤解し傷付いた。だって…
「あっ!鬼灯待って!」
鬼灯は身を翻し、逃げるように何処かに駆けていった。だが白澤だってそう簡単に諦めたりしない。
「っ、待ってよ!」
(せっかく恋人になれたのに!諦めてたまるもんか!)
それは、初めての執着と執念だった。それが理由なのか逆さ酸漿は常に視界にある。しかし悲しいかな、足の早さは鬼灯が上だ。
「このまま終わってたまるかッ!」
そう叫ぶと、白澤の姿が歪み、人から獣に変化した。そのまま全力で鬼灯の元に飛ぶ。白く巨大な獣は俊足でもって目的地に降り立つと、捕まえたい人物は狙い通りフカフカな胴体に激突した。素早く人の姿に変じると、相手に逃げる暇を与えずにギュッと抱き締めた。
「神獣なめんなッ!」
ハァハァと荒い息を吐きながら、鬼灯を巻き込んで地面に頽(くずお)れる。すぐに、鬼灯が口を開いた。
「貴男、さっきの方は…」
「あの子は多分、鬼灯と付き合う前に遊んでた。でも、今はもう何もないよ。さっきは、偶々会って、僕の服装の事やデートの待ち合わせの話をしてただけだ」
鬼灯は意味が分からないのか、訝しげに白澤を見る。視線は上と下を行ったり来たり。服を見られてるんだと気付いた。
「どう?変?」
あの女性と同じ、しかしあの時よりもずっと不安そうに訊く。彼女は白澤を数秒見詰めるとフイ、と視線を逸らした。
「…良いんじゃ、ないですか?」
小さな声で、肯定の言葉。あの女性に言われた時よりも嬉しそうに笑った。鬼灯はその事に気付き、困惑の表情を見せる。そんな様子も可愛らしい。
「初めて好きな子とデートするから、桃タロー君にも見て貰ったんだ」
「…、…」
何を言われたのか吟味し、思い至り、気不味そうに目を逸らす。
「…すいません」
「浮気を疑った事?」
「それもですけど…私の服…」
確かに、鬼灯の服はいつも仕事中に着ている着物だ。白澤はその格好も好きだし、彼女がこういう事が苦手なのも察している。しかし、いつもとは違う恋人が見たいと思うのも本心で…。
「よし。じゃあ今日はショッピングしよう」
元々、目的など無かった。ただ鬼灯と並んで手を繋いで歩きたかっただけだ。
「さ、行こうよ」
白澤は立ち上がり、鬼灯に手を貸す。その流れで繋いだまま歩き出した。
僅(わず)かに鬼灯の手に力が入ったのが嬉しかった。
白澤と鬼灯が最初に入ったのは呉服屋だった。様々な色や柄があって、とても色彩豊かだ。
「あ、お前の好きな金魚柄があるよ」
白澤の目に最初に映ったのは薄青の地に赤い金魚柄の浴衣。…そう、着物というより浴衣だ。
「お祭りの時に着ようよ」
何やら鬼灯の口が挟む余地もなくキープされた。他にも黒よりも薄い、夜色の着物や赤い帯など、白澤は鬼灯よりも楽しげに品を見て回る。
結局、購入した物は一枚や二枚じゃ済まなかった。季節毎、イベント毎にキープし、それ等全て購入したのだ。そしてその内の一枚を、鬼灯に着て貰った。髪も整えやはりその場で買った簪を挿した。
「やっぱり鬼灯は美人だなぁ」
白澤が選び、購入し、身に付けさせた服や装飾品は鬼灯を美しく魅せた。
鬼灯は元から美人だから、派手に飾ると鬼灯本来の美しさが損われると思って地の色や柄を控えめにしてみたが正解だった。
白澤のべた褒めに、鬼灯は俯いて小さく「…どうも」と返した。かなり居たたまれない。
「疲れた?何処かで休憩しようか」
言うなり、自然な動作で手を繋ぐ。
(…このスケコマシ)
鬼灯の言葉は、声にはならなかった。
「貴男、本当に女性に物を贈るのが好きなんですね」
甘味処で和菓子を楽しみながら、鬼灯が言った。
「他の女性にもこんなにたくさん贈ってたんですか?」
「ねだられればね」
「私はねだってませんけど」
「僕が贈りたかったから」
そういえば以前にも似たような事を言っていたのを、鬼灯は思い出した。
他の女性はねだられたら金を払う。しかし、あの店で白澤が買ったのは、彼が自ら選んだ物だ。鬼灯はどれも欲しいとは言っていない。まぁ、どれも好みではあったが。
鬼灯は思案顔で茶を啜る。
「もしかして…迷惑だった?」
不安そうな声に顔を上げれば、声同様不安そうな顔。珍しくも何となく可愛くて、思わず顔が緩んだ。
「迷惑とか、嫌ではないです。ただ、ちょっと…」
困惑してるだけだ。何故、嫌いだった筈の自分を好きになったのか、鬼灯は未だに疑問だ。その疑問や困惑は白澤への不信から来ているものだ。彼自身も、それは分かっている。
「実はさ、手を繋ぐのも緊張してたんだよ」
「…そうは見えませんでしたが」
驚いた声を出す鬼灯の顔には、はっきりと「信じられない」と書かれていた。
「あの時、無我夢中で抱き締めちゃったけど、手を差し出した時は拒絶されないか不安だった」
彼女なら手を払うか無視して自分で立ち上がってもおかしくないと思っていた。それに、彼女には『お慕いしている方』がいる。だから、手を握ってくれた事が想像以上に嬉しかった。そのお陰で買い物も自然に出来たような気がする。
白澤の告白に、鬼灯は奇妙な顔をした。申し訳なさそうな、可笑しそうな、思案しているような…他にも何かの感情が宿っているようで、とにかくアンバランスなのだ。
「鬼灯?」
「何です?」
名を呼ばれ返事する顔は、いつもの無表情だ。しかし、無理に作ったような違和感がある。追求しようか暫し悩み…
「…そろそろ帰る?明日も仕事あるんだろ?」
結局、訊かなかった。鬼灯も「そうですね」と言っただけで、何も話す事はなかった。
帰りには、神獣タクシーを使った。白い獣の背に普段お洒落しない、着飾った鬼女が乗っている。
「はい、到着」
白澤が地に降り立つと、鬼灯は彼の背から降りる。そして彼が人の姿に変じる前に素早くモフモフの胴体に顔を埋めた。
「鬼灯?」
白澤は平静を装い名前を呼ぶが、内心は舞い上がっていた。好きな女性が自分に抱きついている状態なのだから仕方がない。彼女にとって、人と獣では感じ方が違うのも仕方がない。分かってはいるが、白澤はほんの少し、先に進もうとした。
「鬼灯」
人の姿に変じ、鬼灯の背に腕を回した。片手を頬に触れ、上を向かせる。彼女の瞳は、不安そうに揺れていた。そんな上目使いをされては、白澤の欲は止まれなかった。
ゆっくりと、顔を近付ける。鬼灯の小さな唇に、キスしたかった。だが、白澤が顔を近付けた事で彼女が見せた表情は不安と恐怖。彼は、動きを止めるしかなかった。
「じゃあ、また今度」
「…はい」
「ちゃんと寝ろよ」
「はい」
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「いえ…、恋人なので」
最後の言葉に、少しホッとした。少なくとも、自分は嫌われてはいない…そう思えた。
彼女との初デートは甘酸っぱく感じた。
鬼灯に背を向け家路につく白澤を、彼女はじっと見詰めていた。
「…信じても…良いんですかね…」
彼女の呟く声は、やはり不安げだった。
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念願叶って鬼灯と恋人になった白澤。初めてデートする事になって…。