「天の御遣い・北郷一刀は我々を裏切り曹操の元に奔った。まぎれもない事実だ。証人は私と愛紗だ」
彭城に帰還した星はすぐに桃香に頼み、劉備軍の主だった将を広間に集めた。
何事かと全員が不審に思いながらもすぐに集合した。また彼女らの主人である北郷一刀の突飛な思いつきだろう、という感じで。
その想像は星の憤りを隠そうともしない表情と困惑しきっている愛紗の表情で脆くも崩れ去ろうとしていた。
そして星が朗々とした声で一方的に告げた。まぎれもない現実を。
一瞬の静寂。
「嘘…だよね?」
「本当です」
「そ、そんなぁ~、星ちゃんにしてはあんまりうまくない冗談だね」
桃香は引きつった笑みを浮かべながら言った。
そこに集まっていた全員が「そうだな」「そうだよ」「そうね」「…コク」と同意した。
「そ、そうですよ!ご主人様がそんなことするわけないじゃないですか」
朱里も同調するように言う。ただ、その愛らしい顔は引きつっていた。
「冗談ではありません」
星は突き放すように言う。
「も、もう~、わかってるんだよ。隠れてるんだよね?ほらその柱の影とかに」
「桃香様!!」
「!?」
桃香は星の喝に身を竦ませる。
「事実です。北郷一刀は我々を裏切ったのです」
「そんなはずない!だってご主人様は天の御遣いで、私たちのこと手伝ってくれるっていったもん!」
桃香は子供のように喚き散らした。一刀が裏切るなどありえない、あってはいけないととでも言わんばかりに。
「ですが私と愛紗は聞いたのです。北郷一刀、本人の口から」
「そんな…。ねぇ愛紗ちゃん!本当なの!?」
「……私も到底信じられません。あの心お優しいご主人様が…。ですが星の言ったことは本当です。それがご主人様の本音かどうかはわかりませんが…」
愛紗は俯きながら言う。
「もしかしたら…ご主人様は曹操さんに脅されていたのかもしれません」
朱里がおずおずと発言した。
「そうだよね!ご主人様が自分から裏切るなんてあるわけないよね」
桃香は朱里の発言に一縷の光を見たような表情で答えた。
「私もそのような気がしてならないのです」
愛紗も頷く。
「ただ北郷一刀が今、曹操の元にいることは確かです」
「「「……」」」
星の一言に全員が黙り込む。
「星ちゃん…ご主人様のこと嫌いなの…?」
桃香は泣きそうな顔になり星に尋ねた。
「…そのようなことは決してありませぬ。なぜ私がこの陣営に入ったか覚えておいででしょうか?桃香様、そして主のお人柄に惹かれたからです。どうして嫌いなどと思えることがありましょうか」
「じゃあどうして?」
「事実を客観的に受け止め、どのように行動すべきか考えるためです。誰かが冷静にならねばいけない事態です。この乱世で冷静かつ的確な行動ができない軍は生き残れませぬ」
「ご、ごめんなさい」
(主、あなたはこんなにも多くの人間から慕われております。きっと我々があなたのことを助けだしてみせますゆえ、しばしお待ちくだされ)
「よいのです。私でよろしければいくらでも憎まれ役を買って出ましょう」
「ぅん、ごめんね。それで私たちはどうしたらいいのかな?」
「しばらくは動かぬ方が良いでしょう。まずは状況を見極めねば。朱里・雛里どうだろうか?」
「…そうですね、確かに情報が少なすぎます。これではちょっと動きようがないかと…。あ!あとこのことは皆さん内密にお願いします!これが漏れれば民衆の混乱を引き起こしかねませんから」
全員が神妙な面持ちでうなずいた。
もし、このことが民衆に漏れるということは一刀がもうここには戻ってこれないということがわかっているからだ。
国とは王で成り立っているのではない。むろん将でもない。人、つまり民衆なのだ。
その民衆の信用されなければ一刀が無事に帰ってきたとしてもそこに一刀の居場所はない。
そしてこの時、誰かが気づかなければいけなかった。混乱していた為だろう。
事態は一刻を争い、すぐそこに取り返しのつかないところまで来ているということに。
情報の伝播はなにも内部からだけではないのだ。
誰も気づかない。今、徐州に向け出発した行商隊がいることを。
もちろん魏からである。一刀裏切りの情報という名の最悪の商品を持って。
広間に集まった全員は解散し、各自の仕事場に戻った。誰もが宴など催している場合ではないとわかっているからだ。
雨が降ってきた。徐州の、一刀の、劉備軍の未来を暗示するかのような暗い曇天から。
中庭に用意された暖かい食べ物は雨に濡れてすっかり冷たくなってしまっていた。
場面は変わり許昌の城内の一室。
一刀は星と愛紗が徐州に帰った後、曹操に執務室に呼び出されていた。
「それで俺をここに呼び出した要件は?」
「わざとわからない振りをしているの?」
曹操は呆れたように言って一刀の方を見た。
「さぁどうだろうな」
「…まぁいいでしょう。単刀直入に聞くけど、あなたはどんな仕事ができるの?」
「あ~、書類の整理とか、かな」
「はぁ!?バカにしているの?」
曹操は眉をピクピクさせている。相当ご立腹のようだ。
「別に馬鹿になんてしていないさ。俺は劉備達に担ぎ挙げられるだけの存在でしかなかったから仕事は全部部下たちに任せてたんだ」
淡々と事実を述べた。実際、俺がやっていたことなんてそんなもんだ。ただし、公式な仕事としてはな…。
「それじゃ全くの役立たずじゃない。私の所に来たからには穀潰しなんて許されないわ。せめて劉備の陣営の内情を教えてもらいましょうか。当然、拒否権はないわ。だってあなたは今私の部下なのだから」
「うーん、内情ね。それは劉備軍内の近況とかでいいのか?」
「まぁ、あなたがわかるのはその程度でしょうね。いいでしょう、話しなさい」
曹操の口振りから完全に馬鹿にされているのがわかる。少し腹が立つがしかないだろう。
「まずは反董卓連合が終わってからすぐだ。袁紹に戦で敗北した公孫賛が逃げ延びてきたから傷を治療してやった。公孫賛は劉備と旧知の仲らしくてそのまま家臣になった。それで公孫賛は軍の騎馬隊を任されているみたいだった」
「白馬長史が配下になったか。それで劉備軍の機動力はかなり向上したでしょうね。それで他には何かあるの?」
「もうひとつは呂布と陳宮が配下になった」
「呂布ですって!?」
流石にこれは驚いたらしい。俺たちに切り札的存在だったから隠しておいたんだよな。
「あぁ、劉備が徐州の州牧に就いて少ししてから袁術と呂布の連合軍が徐州に奇襲をかけて進軍してきたんだけど呂布軍は糧食が十分行き渡ってなくて交渉で劉備軍に降らせたんだ」
「…そう。流石は劉備。英雄になる可能性のある人物だけあるわね。それで他にはもうないの?」
「他にこれといったものはないな。それで俺は晴れて曹操様の配下になったわけだが、敬語を使った方が宜しいでしょうか?」
「別に今のままで構わないわ。いきなり敬語になられても気持ち悪いだけだもの」
「身も蓋もないな」
曹操は全てを見透かすような瞳で俺を見つめていた。きっと試されているのだろう。それでも俺はこの恐ろしいほどの傑物に屈するわけにはいかない。どうしても。
睨みかえすように曹操の瞳をじっと見る。けして恋人たちが交わすような甘いものではない。もっと殺伐とした、鍔迫り合いのようなものだった。
「まぁいいでしょう。それで天の…つまり未来の知識をなにか生かせないかしら?」
「…そうだな。この世界にない物を作ったりすることができるかもしれないな。それが出来れば農耕作業の効率化、警邏の整備、生活に役立つもの、それに場合によっては兵器に転用も出来るかも知れない。それだけの技術者が居ればの話だが」
「それは使えるかも知れないわね。でもどうしてそれの力を劉備達の所で活用しなかったの?それが出来れば私の軍を退けることができたかも知れないでしょう」
「確かにそうかもしれないけど、劉備達の陣営には俺の知識を生かせるだけの国力も技術もなかった。曹操、君の所は違うだろう?広大な国土に豊富な資金、溢れんばかりの人材がいる。そういう環境でこそ俺の知識は意味を持ってくるんだ。わかるだろう?」
曹操の瞳を見つめたまま口を歪ませた。
「そうね。(この男は何を考えてるの…少し危険かもしれないわね)」
「それで俺は何をしたらいいんだ?」
「あなたにはまずこの国のことを知ってもらうわ。警邏隊と一緒に街を回ってちょうだい。それでなにかあったら私に連絡しなさい。それと天の知識を使った物を作る件だけれど研究所の設立を申請しておくわ。成果如何ではもっと大規模なものを用意してあげる。あなたはそこの顧問に任命するわ。今は真桜、李典の工房を利用してちょうだい。その娘は警邏隊の小隊長をしているから会って話をしておきなさい」
「了解。それじゃ俺はこれで失礼するよ」
俺は席を立って部屋を出ようと扉の方に向かった。これ以上曹操と同じ部屋にいるのは精神的に辛い。
「ちょっと待ちなさい」
突然、声をかけられ曹操の方を振り向く。
「あなたこれからどこに行くつもり?」
「それは部屋に戻って…。俺の部屋ないじゃん!!」
完全に忘れてた。せっかくいい感じに曹操とやり合ったっていうのに…。すげぇ恥ずかしい。
「はぁ、あなたの部屋はちゃんと用意しているわ。そこに少しばかり金子もあるから昼食がてらいろいろ見て回るといいわ」
「わかった。じゃあ俺は行くから」
そう言って俺は部屋を出た。
一刀が去った部屋の中。
「本当にわからない男ね。どう扱ったものかしら…。どうかしてるわ、あんな男の心を読み切れないなんて」
曹操はそう呟いて誰にも見せないように爪を噛んだ。
「華琳様、よろしいでしょうか?」
「桂花?入ってきなさい」
桂花は恭しく頭を下げながら部屋に入ってきた。
「少しお話がありましたので」
「北郷一刀のことでしょう?」
「はい。あんな汚らわしい男が気高く美しい華琳様の配下になるなど考えるだけで怖気が走ります。それであの男の処遇はどういたしましょう?」
「そうね、細かい内容についてはあとで書簡を届けさせるから確認しなさい」
「承りました。それであの男はどのような職を与えるのですか?」
曹操は少し思案するように眼を閉じた。
「…決めたわ。北郷一刀は副丞相に任命することにしましょう」
「なっ!?そ、そんな高位の官職をお与えになるのですか!?」
「えぇそうよ。あくまで『副』丞相よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「!!ということはあの男には何の権限もないただのお飾りということですね!」
「頭の良い娘は好きよ」
曹操は桂花を自分の元に来させてその顎に手を添えて自分の方を見させて、幼さを残す可愛らしい顔を舐めまわすように見つめる。
当の桂花は顔を赤く染め、陶酔したような瞳を揺らめかす。
「か、華琳さまぁ~」
「あの男は何をするにも私の許可がいる。ふざけた真似はさせないわ」
「勿論ですぅ」
「可愛い娘ね。いいわ、今から私の相手をしなさい。たっぷり可愛がってあげるわ。じっくり時間をかけてね」
「はいっ!!」
このあとこの部屋から嬌声が響いたのは言うまでもない。
翌日、北郷一刀の副丞相就任が正式に発表された。
ここに魏の副丞相・北郷一刀が誕生した。
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久しぶりに偽√続きを投稿したいと思います。
かなり短めですがそれなりに内容があると作者は思っています。
実質ここからが本編です。位置づけ的には第二章に入ります。全部で六章で完結する予定です。
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