一撃。
唯の一撃のもと、盗賊は真っ二つに裂かれ、少女は鮮血にその長く美しい黒髪を濡らした。
ぐっと引き締められていた口元は、盗賊の身体が音を立てて崩れると同時に次第に三日月に割れ、遂には堪えきれない笑声が漏れ出した。
やがてそれは呵呵大笑へと変わり、少女はその手に持った血濡れの巨大な偃月刀を天に掲げ、叫んだ。
「私は、強い!」
そう、少女は強かった。
今まで彼女に比肩する武技の使い手を、少なくとも少女は知らなかった。
彼女には師匠も親もいない。唯一兄がいたが、彼は妹に生きるために必要な最低限のことを教えると力尽きる様に亡くなってしまった。全ては我流であり独力で得た現在の膂力だった。
「全ての悪党共は、この関雲長が斬り捨ててくれる!私には、それが出来る!」
誇らしげに、少女・関雲長(関羽)は宣言した。天に向かい、己の正義を誓ったのだ。
時は乱れる後漢において、関羽は一人淡々と畑を耕し、獣を食らい身体を鍛え武技を尖らせながら、心の内に激憤を抱えて生きてきた。
周りの邑々からは、やれどこそこが襲われただの、やれ誰それが殺されただのと物騒な話が絶えない。
そして、朝廷は何もしてくれなかった。
(皇帝陛下は、きっとお忙しいのだ。助けてほしいなんて、馬鹿な考えだ。私は自分の力で片っ端から悪党共を血祭りに上げてくれよう!)
だから、遂に少女は立ち上がったのだ。
彼女は徐に邑を出て、わざと強盗殺人の噂が立つ山道を一人で歩いた。壊れた鍬の棒に叩いて尖らせた石を括り付けた自前の武器を手に、ゆっくりと見つけてもらえるように。
やがて現れた男は、とんでもない巨漢で、その手に持っていたのは本来兵の訓練用に用いる偃月刀だった。怪力自慢の様だ。
まだ自分の力を知らない関羽は内心で慄きながらも、相手と比してあまりにも貧相な武器を構えた。一方男は関羽の怯えに気が付き、せいぜい痛めつける程度にして、手籠めにしてしまおうと目を血走らせた。
そんな油断が、男の命を奪った。
関羽は男の大上段の一撃を紙一重に交わすと、石槍を男の目に思いきり突きこんだ。そのまま頭部を串刺しにされた男は絶命し、関羽は戦利品とばかりに偃月刀を手に取った。
思ったよりも軽く感じたそれを、関羽は今後の武器とすることを決めた。このとき関羽は、自信と武器を手に入れたのだ。
それから今日まで、殺した悪党数知れず。関羽の活動範囲には何時しか、黒髪の山賊狩りによる“天誅”の噂が実しやかに流れ始めた。
これに気をよくしたのは、関羽本人だった。
「天誅、まさにその通りだ!私の一撃は天による誅殺なのだ!」
親のいない関羽は、驕りというものの存在を知らなかった。世界の広さも知らなかった。ただ、自分の力への正当な評価だと悦び、益々気を大きくした。歯止めをかけるものは居なかった。彼女に匹敵する力を持つ悪党が居なかったのだ。だから、関羽は現状に大変満足していた。このまま永遠悪党を一人ずつ殺し続け、それがやがてこの世の安寧に繋がると信じてやまなかった。
そんな折、関羽は偶然とある占い師を助けた。
管輅と名乗る占い師は、ボロキレの布で全身すっぽり包んだ出で立ちで、そこはかとなくどころか完全無欠の怪しさ満点だったが、もとより関羽に疑心という感情は無い。
「礼と言っては足りないが、この目で貴殿の先を唱えよう」
「うむ、では頼もう」
「えー…と、天からお主の前に救世の主が降臨する。彼は流星と共に舞い降りて、貴殿を従え世を太平へと導くでしょう」
「凄い!」
関羽は、これを俄然信じた。彼女はとてもとても真っ直ぐな心根の持ち主であり、腹黒い賢さとは完全に無縁の性格をしている。頭が悪いわけでは決して無いが、学ぶと言うことをしたことは無かった。学べる環境というものは、彼女の周りにはこれっぽちも無かった。
関羽は、自分の行いを天の代弁、天誅であると信じて疑わない。得意になって有頂天の彼女は、この予言の帰結をこう結論付けた。
天の御使い様が自分の前に現れる!
私の正義に、応えてくれるのだ!
彼女はそれから、夜になると必ず空を見上げて御使いの到来を待ちわびるようになった。
夢は膨らんでいく。天の御使いを主と仰ぎ、その正義を執行する自分の姿を想像して高揚した。
しかし、待てども待てども、星は落ちてこない。流れ星を見るたびに飛び起きて、その行先を追うのだが、それは全てあさっての方向に飛んでいく。
ちがう、そっちじゃない。私はココにいる。
そんな思いと共に、半年余りの時を過ごした。相も変わらず昼は悪党を切り倒し、夜は空を見上げる。
光陰は矢の如く、滔々と変わらぬ毎日が流れていたそんなある日、稲妻は突然に関羽の脳に走った。
(まてよ、天の御使い様ともあろう光の権化が、果たして夜陰に紛れていらっしゃることがあるのだろうか?)
そのようにコソコソしていては、まるで匹夫の野党の様ではないか。
間違っていた!
確信を抱いた関羽は
(きっと丁度今時分、最も陽光の高きこのような時にこそ、御使い様は御光臨なさるに違いない!)
強い意志を以て空を見上げた。
それは、抜群の頃合いだった。
関羽が陽光の眩しい晴天を見上げたその瞬間に、綺羅星のごとき強烈な光が、関羽の視界を焼いたのだ。
しかし、それは全く目に堪えない、優しい光でもあった。
その光は、目を見開いて固まる関羽にめがけて一直線に落ちてくる。
拡大し迫りくる光球を前にして
「き、ききききたあああああああああああああああああああああああ!!!」
柄にもなく、関羽は絶叫していた。その瞳からは感激の涙が零れ落ち、しかし途方もない悦びに頬はだらしなく緩んでいた。
光は関羽の目の前まで下りてくると、一度更に大きく発光し辺りを飲み込んだ。
流石に目を瞑った関羽が再び目を開くと、そこには一人の青年が横たわっていた。
顔立ちの整ったその青年は、関羽が日々討ち取っている無骨な悪党共に比べて、とても線が細くて綺麗だった。
顔立ちばかりの話では無い。
純白の服は日の光に美しく輝いていた。
髪はサラサラと風に流れるほど繊細で、肌もきめ細かく白かった。
「て、天人だ。天人様だ」
関羽は震えた。それはまさしく、天界の住人としか形容のしようがない美しさだった。
その天人の長い睫毛が震えたとき、関羽は目の前の天人が目覚める兆候であると悟り、即座に跪いた。
天人様ともあれば皇帝陛下に匹敵するかそれ以上の高貴なお方、おいそれと高い頭を晒すわけにはいかない。
関羽が頭を垂れるのと同時に、天人は呻く様な声を上げて、ついで目を開いたのか困惑した様な声色を発した。
「あ、あれ?なんで、俺こんなところに」
声まで麗しい!ガラガラ声じゃない!!
関羽は更に感激を深め、額を地面に擦り付けんばかりに頭を下げた。
はやく、はやく私に御声を頂きたい!御尊顔を拝したい!
そんな関羽の願いが届いたのか、天人は間をおかずに関羽へと声をかけてきた。
「え、ええと君、大丈夫かい?」
「は、はは!御使い様に置かれましては、ご機嫌麗しゅう存じ上げます!!」
話しかけられてテンパる関羽。何故か頭上からは絶句の気配が漂う。
すわ、なにか失礼なことを言ってしまったのかと絶望に青ざめる関羽は、礼儀とか作法と言ったもの
に対する自信が全くなかった。
尊敬語と謙譲語を間違えてないだろうか!?
新人会社員のような不安を抱き始める関羽である。
だが、次の言葉にそれが杞憂であることを知った。
「と、とりあえず顔を上げてくれないか?」
「は、はは。有難うごうざいます!」
「御礼言われた!?」
関羽は恐る恐る顔を持ち上げた。土ばかりだった視界に御使い様の足が映り、純白の服が流れ、そして
(ああ、御使い様の御尊顔……)
さっき思いっきり観察しまくったはずの天人の顔に、まるで初めてそれを目にしたかのように見惚れた。
「こんにちは。俺の名前は北郷一刀って言うんだ。君に聞きたいことが……」
「わ、わたくし!!わたくしは、真名を愛紗と申します!!」
「え?あ。おう、そうか、初めまして愛紗さん。……“マナ”?」
やった!やったぞ!
御使い様に真名を受け取ってもらえたのだ!
関羽改め愛紗の名乗った真名とは、この国の伝統的な慣習であり、表向きの姓諱字とは別に真の名前として、親から授けられるものである。
魂の名前なのである。
ソウルネームである。
本来は真に信頼の置ける無二の相手にしか許されない神聖な名前であるものの、“わざわざ自分のもとへとやってきてくれた御使い様”にそれを捧げることは、愛紗にとって当然のことだった。
さて、この真名は、基本的に受け取ったら相手に自分の真名をお返しに許すのが通例だ。許さないのであれば、受け取らない。
気分が走り気味の暴走機関車愛紗(ブレーキは無いよ)は、おねだりするような瞳で天人の青年を見つめ、彼の真名が告げられるのを待った。
「ねえ、マナって名前の事で良いんだよね?」
愛紗に本日何度目か分からない衝撃が走った。
天には、真名が無い!!
考えてみれば当たり前のことだ。
そもそもなぜ、天の御使いともあろう御方を、自身の矮小な尺度で測ろうとしたのか、と愛紗は顔から火が出そうなほどに己の浅慮を恥じた。
再び顔を伏せながら、関羽はかくかくしかじかと真名について事細かな説明を行った。
加えて、これ以上失礼を重ねないように、地上についての現状を知る限り全ての情報を愛紗は丁寧に伝えた。
御使いは一通りの説明を聞いた後、奇妙な表情で絶句していた。「まさかそんな」とか「いや、でもわけわからないし」とかボソボソと、考え込むように口元を覆っていた。
冷静に観れば只の情緒不安定な人だったが、御使いフィルターを全力で展開している愛紗にはそんな仕草すらも麗しく高貴で絢爛に映った。どこかの名家筆頭様が金ピカ鎧で隣に立っていたとしても、灰色に見えてしまうくらいに、愛紗視点の御使いは輝きを放っていたのだった。
関雲長・愛紗。中々に思い込みの強い少女である。
「ええと、つまり……愛紗さんのもう片方の名前は……」
「関羽です。字を雲長と申します」
「Oh……」
御使いは天を仰いでしまった。帰りたくなってしまったのだろうか。愛紗は不安になる。
もはや愛紗の心は御使いの一挙手一投足に一杯一杯。恋する乙女も裸足で逃げ出す有様である。
「そんな馬鹿な……。女の子じゃないか」
どういうことなの、とつぶやく御使いは困惑しているように思えた。
しばらく黙っていた御使いだったが、やがて諦めたような決意を固めたような、その中間のような溜息を1つ吐いて、愛紗を真っ直ぐに見つめてきた。
美しい綺麗な目だと愛紗は思った。重症だった。
「まずはとりあえず、俺にはその真名ってものが無いから、北郷でも一刀でも、好きに呼んで。釣り合わないかもしれないけど」
「滅相もございません!御使い様!!」
「あと、言いにくいんだけど、俺はそんな天の御使いなんて大層な人間じゃない」
「それは、御自覚されていらっしゃらないだけです。その白く輝く衣に、麗しい御姿、声、お優しき立ち振る舞いのどれをとっても、貴方様こそは御使い様です」
キラキラと目を輝かせる愛紗に、困ったなと御使いは頭を掻いた。
構わずに愛紗は次のように告げた。
「私はこの時より、貴方様にお仕えします。その救世のお力になれるよう、この全身全霊を貴方様にお渡し致します!」
御使いは黙ってその言葉を聞いていたが、やはり困ったような顔を変えることは無く、ゆっくりと少しだけ腰を屈めて背の低い愛紗と視線を合わせた。
そのまま、愛紗の頭に優しく掌を置き、諭すように言った。
「女の子はもっと自分を大事にするもんだぞ」
「はっ、いえ、しかしですね」
「まあ、俺はこの通り分からないことだらけだし、正直手を貸してもらえると助かるよ。これから宜しく」
と、愛紗は歓びに顔を綻ばせ、薄桃色に頬を染めながら力強く頷いた。
「はい!お任せください!!御使い様!!」
御使いは最後まで困った顔のままで、「御使いじゃないんだけどなぁ」と呟きながら頬を掻いていた。
実のところ、目の前の少女が余りにも騙されやすそうで、ちょっとどころかかなり心配になったというのは北郷一刀が後々に語った真実だったりする。
なにはともあれ関雲長、真名を愛紗という14歳の少女はこの日、天の御使いと出会った。
彼女は、自分が本来御使いと出会うべき時期よりも早く邂逅を果たしてしまったことなど知らない。
このフライングの遠因が偶々占い師を助けたことであり、原因が強く強く願いすぎた自分にあることも知らない。
遥か遠いどことも知れない場所で、逞しい体つきの“漢女(おとめ)”と呼ばれる生命体が、不測の事態に気持ちの悪い悲鳴を上げていることも勿論知らない。
これは、北郷一刀と愛紗の愛の物語……
「……という、初夢を見ました。ご主人様」
「お、おう」
「ちなみに、今お話ししたのは導入部です」
「えー……と、愛紗。この後、どうなるんだ?」
「二人すったもんだの末に一勢力を築きます。……いいえ?ご主人様の麾下は私だけです。二人きりです。
その後、ご主人様が曹操殿に攫われます。はい、私では無く。
それから幾多の試練を超えて私はご主人様を救い出します。……ええ、勿論私が一人で助け出します。二人きりです。
最後に二人の愛は実り、共に人生を歩み続けることを誓い、遂には子宝を……。ええ、勿論。妻は私だけです二人きりですが何か?」
「うん。なんか愛紗、ごめんね。今度一緒に遠乗りしよう。え?いや桃香と鈴々は一緒じゃなくて。うん二人で。そう、二人きりで。え?あ、そうだね、うん勿論泊りで」
つづかない!
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こんにちは、abausです。
随分とご無沙汰してしまっています。
2014年もあとわずかとなりました。
結局今年は、あんまり投稿できなかったことが悔やまれます。
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