真恋姫無双 幻夢伝 第五章 9話 『雪月花 下』
「あなたを殺してあげる」
雪蓮は確かにそう言った。彼女が突きだした愛刀、南海覇王が、月光に照らされて光る。アキラは、その奥に見える彼女の表情に、かすかに笑みが浮かんだような気がした。それでも、その言葉が嘘ではない。それは理解できたが、戸惑う気持ちは抑えきれない。
「雪蓮……?」
「剣を取りなさい」
彼女は本気だ。アキラはおずおずと鞘から剣を引き抜く。その弱気な自分の姿に、らしくも無い、と彼は感じた。
彼女は中段に剣を構え直し、左足を一歩引いた。アキラは下段に剣を持ってゆき、ジッと彼女の全身を注視する。ぞわぞわと肌が波立つのは、寒さのせいではない。先ほどまで酒を飲み交わしていた庭先に、魅惑的な彼女の全身から湧き上がる殺気が、立ち込めていた。
風が強く吹く。雲が流れてきて、その影の中に二人の姿が消えた。
「行くわよ、アキラ」
それを合図に、雪蓮は右足を大きく前に動かし、右手の剣で鋭く突きを放つ。暗がりから細長い剣が、アキラの左胸を貫こうと迫る。
「っ!」
アキラはタイミングを見て、剣を横に薙ぐ。辛うじてその剣先を払ったが、すぐに彼女は一歩二歩と足を動かして、今度は袈裟懸けに斬り込んできた。
「ちっ!」
舌打ちしながら、彼はその剣先も払う。しかし、右上、左上と交互に斜めに剣を振るう彼女の攻撃は息つく暇も与えず続き、彼は一歩一歩と後ろに下がるしかない。まったくもって反撃する機会が無い。
決して技量が劣っている訳では無い。しかし、守りに徹するアキラには本気で戦うことに迷いがあった。
(どういうつもりだ、雪蓮!)
急に襲いにかかってきた彼女の真意が分からない。彼の意識の半分は、その理由を考えることに費やされていた。
キン、キン、と金属がぶつかる音が響く。上空では風が強くなっているようで、月光が途切れ途切れに彼らを照らしている。それを受けた南海覇王が閃光のように光り、それがまた、彼の目をくらませた。
その時、後ろに下がった彼の右足が、木の根に捕まった。
「しまった!?」
バランスを崩して地面に倒れる。咄嗟に後転して受け身を取る。そしてしゃがんだ状態で体勢を整え、前方に顔を上げた。
「あっ」
その目の前に、冷たい目をした雪蓮がいた。大きく上段に剣を振りかざしている。ちょうど月が雲間に出てきて、その剣の肌をキラリと照らす。
「さよなら」
空気を切り裂いて、アキラへと振り下ろされる。
(受けきれない!)
構える前に、体を切り裂かれるだろう。迫り来る剣刃を正面に見て、目を瞑りそうになる。このまま斬られてもいいかもしれない。諦めの感情が、彼の頭に宿った。
ところがその瞬間、アキラの心に電流が走る。
(俺は、俺はまだ、死ぬわけにはいかない!!)
バッと横に飛び退き、体を地面に転がせる。その残像を切り裂く音が聞こえた。
その転がる勢いのまま、背中から庭の木にぶつかる。顔をしかめた。
しかし次の瞬間には、その木を片足で蹴り、まだ剣を振り下ろしたままの彼女にすかさず飛びついた。
「もらった!」
「なっ?!」
アキラは雪蓮に当て身を食らわせる。ふらついた彼女は尻餅をついて倒れた。頭を押さえる彼女が顔を上げた時には、彼の持つ剣が首筋につけられていた。
「ハアハアハアハア」
「………」
荒々しい息を吐くのはアキラの方だった。涼しい顔をしたままの雪蓮は軽く笑うと、こう感想を述べた。
「あなた、強くなったわ」
彼女から殺気が消えた。そう感じたアキラは自分の剣を鞘に収め、彼女に右手を差し伸べる。彼女はその手を取って立ち上がった。
アキラは自分が強くなったことに、素直な驚きを感じていた。
「そうか?」
「そうよ、あの頃よりも強くなっているわ。守るものが出来たからかしら」
「守るもの?」
その言葉から、はっと仲間の姿が連想される。華雄や詠、月、そして霞や凪、真桜、沙和の三人、さらには恋や音々音。いつの間にか増えていた仲間という存在が、先ほど、彼に生きることを諦めさせなかったのだろうか。
彼は空を見上げる。遠い汝南にいる彼らに向けて、白い息を吐きながら、こう呟くのだった。
「ありがとう」
その姿を微笑ましく見守る雪蓮は、自分の剣をかざした。
「アキラ、これを見て」
アキラの視線が向く。縦に伸びるその剣は、この暗い中でも美しい。月が出ていた頃とは比べ物にはならないが、家の中の蝋燭がうっすらと灯すところでも、かすかに光っている。普通の剣ではありえない。
「銀をね、含んだ鉄で作られているの。本来なら純度の低い鉄で作った剣は脆くて使い物にならないのだけど、これは偶然成功したのよ」
「お前が作ったのか」
「いいえ、母の物だった。その前は分からない」
“母”と言った彼女の目は、哀しい。その剣を見つめながら、彼女は思い出す。
「私は、冷たくなった母の手からこれを貰い受けた。それと一緒に、皆を率いる責任も。この南海覇王を持つことが、どんなに怖かったことか」
彼女は剣を下ろして、アキラに振り返る。その目は再び強さを取り戻していた。
「でも、私たちは強くなければいけない。強さを演じなければならない。その偽りの強さが皆を守るのよ。その強さを作り出すことが、私、そしてあなたの、生きる意味になる」
「強さを演じる、か」
それがどんなに辛いことか、2人は身を持って知っている。自分の弱さを絶対に見せてはいけない。常に人の目を気にして、常に明確な態度を取り続ける。まるで今の冷たい冬の風に全身を晒すが如く、彼らの心が痛めつけられる。
それでも、彼らはやらなければならない。この乱世が強さを求める。それが、先ほど彼の脳裏に浮かんだ仲間を守る、最善の策となるのだ。
皆のために生きねばならないことを認識させてくれた雪蓮に、アキラは詫びを入れた。
「すまない。こんな、くだらないことをさせてしまって」
「誰でも弱気になることはあるわよ。気にしないで」
「ああ」
彼女も剣を鞘に入れる。そして彼に近づくと、彼の身体を強く抱きしめていた。
「雪蓮」
驚いて体を強張らせた彼が名を呼ぶ。雪蓮は彼の耳元で懇願した。
「抱きしめて、強く」
彼も彼女の背中に腕を回し、ギュッと抱きしめた。
「これでいいか」
「ええ、暖かいわ」
彼の首筋に頬を当てた彼女はこう呟く。
「私も怖いのよ。今でも汝南は夢に見るわ。私が斬った子供がじっとこっちを見つめるの」
「…雪蓮……」
「あなたは1人じゃない。私も一緒よ」
アキラはもっと腕に力を込めた。きつく、固く、2人は抱き合う。
彼は言う。
「雪蓮、俺の傍にいてくれ」
彼女も言う。
「約束よ、アキラ」
冷たい冬の空気が入り込む隙間も無く、2人は結ばれる。互いの鼓動が聞こえ合う。
「不思議ね」
雪蓮はまた言う。
「ずっと前もこうしていたような気がするわ」
「ああ、その時は恋人だったかもしれない」
「きっと、そうよ」
その時、ふと、頭に冷たいものを感じた。腕を解いて空を見上げる。黒い空から、ちらほらと白い雪が舞い降りていた。
「ここでも雪が降るのだな」
「入りましょう」
彼らは軒に上がって、板戸を締めようとする。左からアキラが、右から雪蓮が戸を動かし始める。
「今晩も寒くなりそうだ」
左右から中央に、2人は戸を動かしながら近寄ってゆく。閉まりかけた二枚の板戸の隙間から、雪蓮がアキラに微笑むのが見えた。
「じゃあ、暖かくしてあげる」
とん、と戸が閉まった。
誰もいなくなった庭に、しんしんと雪が降り積もる。ただ長江の波の音が聞こえるだけ。
やがて木々も白く輝き始め、庭の地面にもうっすらと絨毯が敷かれる。そして雪の重さに耐えかねた梅花が一輪、その上にふわりと乗るのだった。
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雪蓮との会話が続きます。前回の話と合わせてご覧ください。