袁成の攻撃を袁術と共に防いだ後、居を寿春へと映した雪蓮たち孫家の者達は、袁成によって荒らされた土地の復興と
再び侵略される事を避けるため、袁術を隠れ蓑として使うため袁術の下へ民と共に降った
それは、再び決起し孫堅が轟かせた武勇を、この大陸に孫家ありと高らかに宣言する為の雌伏の時であった
「妾に恩を返すまでは、妾の下で兵として働くと申すのじゃな?」
「助けてくれなければ負けていたのは事実。恩を返すまでは、私達を貴女の兵として使ってくれて構わない
でも、恩を返しきったと判断した時は、孫家の皆を返してもらいたい。悪い取引じゃないと思うわ」
「ふむぅ、客将になると申すのか」
寿春の政庁の一室に玉座を持ち込んで座り、雪蓮を見下ろす袁術は、雪蓮の申し出に利があるのか無いのかを判断出来ずにいた
「・・・」
「袁術様、ここは孫家の者達の提案を受けても宜しいのでは?兵として戦うと言うのならば、我らには願ってもいない事
元いた寿春の者達を徴兵せずとも住みますし」
眉間に皺を寄せる袁術を見た文官の一人は、受け入れを提案し微笑んで雪蓮を見ながらも袁術に近づき、小さな声で耳打ちをした
【此処は受け入れ、袁術様の自由に使ってやれば良いのですよ。今の提案、何も此方に損はありません。恩を返したと判断するのは
向こうではありません。救った我らが決めるもの】
【じゃがのう、孫策は兵を強くするつもりではないのか?】
【そうでしょうね。しかし、それが狙いなら我らが戦線に絶えず送り続ければ良いのです。疲弊し、兵を増やす暇も無いほどに】
文官の進言に袁術は、なるほどとニヤリと笑みをこぼして不敵に笑った
「よかろう。お主の母には、いらぬこととは言え世話にはなった。暫くは妾の指示に従ってもらうがよいな?」
口元に手を当て笑う袁術の言葉、炎蓮のしたことは要らぬこと、不要な事であったとの言葉に雪蓮は、ほんの僅かだけ
誰にも分からぬ刹那の間、射殺すような殺気を身に纏ったが
玉座の隣で跪く昭と目が合い、拳を一度強く握った後、小さく息を吐き出した
「ええ、承知したわ。私達は、今から貴女の客将よ。好きに使って頂戴」
それだけ言い残し、雪蓮は袁術に軽く顎を引いて礼を取り、政庁を後にした
跪く昭の姿、側に袁家の血筋が居る。手を伸ばし、その細い首をへし折り、遥か先にいる真の仇、袁成に見せつけ
次はお前だと叫びたいであろう。しかし、彼が選んだのは遥か先の孫家の未来
であるならば、主である雪蓮は、目の前の仇ではなく文官の見る未来を、将たちが、兵達が手に入れる自由を選ぶべきだ
だからこそ、彼女たちは自分から望んで苦難の道を選ぶ
自分たちを追い込み、民一人ひとりが、兵の一人ひとりが飢え、耐え、牙を研ぎ澄ます
孫堅の炎蓮の元より巣立った者達は、己が護る側になったことを強く意識することだろう
己が膝を着けば、己が死ねば、孫家を自分たちの家族を護れないのだから
「おかえりなさい大殿。お話は滞り無く進みましたか?」
「おかげさまでね。あームカつく!いっその事、あの場で切り捨ててやろうかって何度も思っちゃったわ」
「いいねー、我慢できなくなったら何時でも言ってよ雪蓮。私は、何時でも何処でもやっちゃうから!」
迎える粋怜と梨晏に愚痴を言いつつ、あてがわれたボロボロの館へ帰った雪蓮は、冥琳の待つ部屋へと足を進めれば
そこには、冥琳と卓を共にする祭と穏の姿
「皆、揃っているわね。では、始めましょうか。私達の、いいえ私の野望の第一歩を」
席につき、将たちが深く頷く。此処からが始まりだ。二度と我らの自由が犯されぬよう、真の自由を手にするべく
この大陸に覇を唱えるのだと
「昭の行動については、先に説明をしたとおり。我らと内通しつつ、袁術の信用を得る。元の地については、明命と蓮華様
思春を使い、番城を行い復興と蓄財を行う。いずれ、帰還した際に拠点の一つとしてつかえるように」
「孫家の民については、半分ほどが寿春に入り、雪蓮様と共に生きる覚悟があると言ってくれました~
兵は、全て。炎蓮様の死は、自分たちの責任だと皆さん雪蓮様に命を捧げるつもりです」
兵の事を告げる穏は、少しだけ視線を落とす
「兵を鍛えあげるのじゃろう?練度は高い、しかし炎蓮様の戦いに着いてきた者達だ、実践の経験は少ないと考えた方が良い」
「だからこそ、今回の提案ということよね。袁術の思惑、いいえ文官の思惑とは、私達を疲弊させるほど戦地に向かわせる事」
「実践を使っての練兵って事か、随分とエグい事やるんだねー。一つ間違えれば、兵なんか一人も居なくなっちゃうよ」
祭、粋怜、梨晏のどこか楽しそうな顔と口ぶりに、冥琳は口の端しを釣り上げた
「そんなことは、微塵も思ってはいないのでしょう?お二人は、兵を死なせる戦い方はしません。梨晏、お前は
自分が敵地にて暴れ回り、兵に撃ち漏らしを相手させようと思っているだろう」
「なにそれ、じゃあ私も梨晏と一緒に・・・」
「ダメだ、お前はもう将では無いのだ。我らの御旗、我らの主なのだからな」
自分も戦える、いや戦わせてくれと言う雪蓮であったが、掲げたばかりの旗が即座に折られるなど笑い話にもならないと
少々苛立った様子の冥琳の口調に、つまらなそうに口を尖らせていた
「お気持ちは分かりますが、そう拗ねるものではありません。今は雌伏の時、大殿が剣をもち立つ時は、それなりの舞台が出来上がって
からが宜しいかと。ねえ、冥琳?」
「はい、粋怜様の仰るとおりです。袁成が此方を狙い、動いたことからも理解るように今は乱世。天子様の威光も末端どころか目の前ですら
届かず、私欲で動く袁家の者を諌める事すら出来ていません。おそらくは、中央の宦官達に働きかけているはず。いずれ、世は動き出します
多くの者達が注目する舞台で大きく活躍し光を浴びる。そうすれば、才ある者達は自ずと自ら孫家に集まり、利があると見た商家や
豪族たちは、我らに快く出資してくれることでしょう」
狙うのは、繰り返し続く賊討伐などで将兵を鍛え上げ、天子様や大陸の者達が注目するような騒動が起きた時に力を見せつける事
輝く舞台で華々しく雪蓮の率いる孫家の兵が、騒動を鎮圧、解決に導く事が望ましい
「まずは、祭殿と粋怜様の兵は、寿春の護りに着かせます。優先的に鍛えるべきなのは、炎蓮様の元に居た将兵達」
「そうだね。普通は、本陣や本隊に練度の高い兵を置くんだけど、ウチは逆だから」
「仕方あるまい、儂や粋怜の将兵は、共に戦前を走り戦を繰り返すゆえに死傷率は高い。経験の少ないものはまず着いては来れぬ
経験の少ない者達は炎蓮様の元に居った。炎蓮様の側が最も安全なのだからな」
うんうんと頷く梨晏。祭の言うとおり、今までは暴虐とも言える程の暴れぶりをみせ、敵の戦意を完全に失わせ
一人敵陣に飛び込んでは嵐のように敵を吹き飛ばす炎蓮の後に続き、本隊の兵達が武器を振るっていた
恐怖で棒立ちになる敵兵を槍衾で一斉に突き殺す。再び、前へ飛び込んだ炎蓮が暴れ、追いついた兵が突き殺すの繰り返し
練度等上がるはずもなく、敵の恐ろしさ、死を目の前にした人間の殺気など味わう事はなく
圧倒的な庇護と勝利の元に居た兵達は、本隊でありながら炎蓮を護る本陣の近衛兵でありながら、最も弱い兵達であった
「わかりやすくていいじゃない!私は思いっきり暴れ回って良いんだよね!」
「お前が暴れてどうする。兵を育てるのだぞ、用兵で敵を討たねばならだろう。梨晏、お前は何方かと言えば雪蓮や炎蓮様と同じだ
この機に祭殿と粋怜様から用兵を学んでもらう。育てるべき将の中には、お前も含まれているのだ」
「ええっ!ウソ!!撃ち漏らしじゃ駄目なのっ!?」
「それでは炎蓮様がしてきた事と何も変わらぬだろう。お前は、知が無いわけではない。むしろ、並みの将より頭が回る
いい機会だ、備えられる力は備えてもらうぞ」
「はぁー、まあしょうがないね。了解、了解、ぱぱっとおぼえちゃおうか!」
軽く肩を落とすが、直ぐに明るい顔をみせて軽く任せろと行ってのける梨晏
「流石ですねー。普通なら、期待が大きければ大きいほど重責で沈んだ顔をするものなんですけど、梨晏様が仰るとなんだか
簡単に感じてしまいます」
「だって、悩んだってしょうがないし、私がやれるから冥琳は言ってるんだし、やるだけやって駄目だったらその時考えれば
良いだけだからねー」
褒める穏の隣で明るく言い放つ梨晏は、それよりおっぱい揉ませてと照れ隠しなのだろうか手をのばしていた
「失礼致します。袁術様より、言伝を仰せつかりました」
「内容は?」
「は、西に賊が現れたとのことです。おそらくは、袁成軍の荒らした直ぐ後ならば、守備兵が出動するのも足が遅くなるはずだと
狙ってのことでしょう」
入り口で、孫家の兵が袁術の文官の使いからだろう、先ほど政庁で話をしたばかりであると言うのに早速の出兵命令
これに冥琳は、舌打ちをするわけでもなく顔を強ばらせるわけでもなく、静かに冷たく笑みをこぼした
「早速のようだ。まずは、梨晏、祭殿と行ってくれ。補佐には穏、お前が、粋怜様と雪蓮は留守番だ」
「了解した。儂からよく学ぶがいい梨晏よ」
「チィース!勉強させてもらいます!」
「フフッ、直ぐに次の出動命令が来そうだから、私は備えておくわね」
部屋から出て行く頼もしい将達。彼女たちには、何一つ迷いが無い。目標は決まった
あとは、ただ一つとなって突き進むだけ
見送る冥琳は、彼女達の意思を一つに出来たことにまずは安堵していた
始まる前から気持ちが離れていては意味が無い。最も心配していた昭の事に関しても、雪蓮が彼とした誓いを
彼女たちに話したことで解消されていた
「どうした?まだ不満なのか?」
「・・・・・・」
「戦いたいと言うなら、後で存分に暴れさせてやる。暫くは、我慢してもらうことになるが」
「・・・・・・」
「?」
好きなことをさせてやれず、拗ねてしまったのかと冥琳はため息を吐く
だが、そんな冥琳を他所に部屋から外を、空を見て雪蓮は、静かに呟いた
「張勲が居なかった」
「張勲?」
「そう、何時も側に居て、袁術ちゃんをおだてて、悪知恵あたえてたあの娘」
「何か用があったのではないのか?いくら側付きだとしても、決して離れない事などあるわけがないだろう」
「・・・私、母様に聞いたことあるのよね。張勲って娘が、袁術から離れる事は無い。アレは保護者で、主を寵愛してるって」
「昭か?」
「多分ね。少しづつ離そうとしてるんじゃないかな?」
「自分を、開いた隙間に潜り込ませるためにか?」
勘の良い友人の言葉に、冥琳は腕を組んで考えをめぐらせた
雪蓮の危惧している事、それは、張勲と袁術の間に入り込み、袁術に取り入ろうとしているのだから
より孫家に対して不遜な態度を取ることは間違いが無いと言うこと
それは、孫家の者達の不満を募らせるはずだ。何時までも、将達はまだしも兵達は、我慢ができなくなってしまうだろう
「なるべく早く、兵を仕上げてね・・・」
「解っている。後は、天の時に恵まれれば」
「多分、それは大丈夫。母様の死で、抑えられてた何かが動く気がするから」
窓の外を見る雪蓮の表情は見えなかったが、冥琳には雪蓮の勘に確信をしていた
遠く、遥か遠くを見る雪蓮の勘を証明するかのように、雪蓮達の居た地から三人の姉妹が一つの書物を手にしていた
三人は、手にした書物を持ち、北東へと足を進める。宗教家や怪しい文言を語る者達を討滅した土地から逃げるように
自分たちの声を、歌を、人々に聞かせ自らを偶像として崇拝者を増やしつつ、崇拝者は証として黄の布をその身に纏い
袁術の客将として、賊の討伐を繰り返し、袁術からの圧政にも耐える二重苦の日々が過ぎた
豪族達との小競り合いにも絶え間なく出兵をし続けた結果、元いた兵数から三割程数を減らしてはいたが
屈強な肉体、精悍な顔立ち、精兵と呼ぶに相応しい男達が雪蓮の元に集っていた
数を減らしつつも、打ち負かし取り込み、編成を繰り返し、気がつけば炎蓮が居た時よりも軍としての密度が高まっていた
昭と言えば、袁術の奴隷のように過ごし、城だけではなく市を回る時ですら馬のように袁術を背に乗せて歩きまわっていた
決して逆らわず、袁術の喜ぶようなことばかりを口にし、時には、孫家の民ですら袁術の信を得るために貶めるような事をしていた
「精が出ますな張勲殿」
「ああ、お馬さん」
城壁から出て、少しだけ馬を走らせた林の中にある小さな小屋、その中で木箱から木の板を取り出す作業員に指示をする張勲は
昭から教えられた養蜂を自らの指揮の元で行っていた
「此処も随分と立派になりましたね」
「お馬さんのおかげですよー。養蜂の方法が記された書を譲ってくれたおかげで美羽様に毎日、好きなだけ蜂蜜水を呑んでいただけるんです
から!あんなに嬉しそうになさってる姿を、たまにでも見られるなんてちょーっとだけ、感謝してあげますねー」
「喜んで頂けたようで何より。しかし、この養蜂という技法は、誰にも知られてはなりませんよ。甘味など、高価で手に入らぬものです
周りが知れば、我先に張勲様を襲うか、貶めようとするはずです。ですから、内密に張勲様が育て、採取なされますよう」
「わかっていますよぅ。こんなこと、他の文官の人たちに知れたら自分によこせって煩いでしょうし、意地汚く美羽様に取り入ろうとし
ますからねー。まったく、自分たちの事しか考えない、役立たずで無能な人ばかりなんですから」
「その点、張勲様はちがいますね。献身的に、何時も主の事を考え行動する。真の忠義を知る者とは貴女の事を言うのでしょう」
「そうでしょう、そうでしょう!私ほどになることは出ないでしょうけど、貴方も無駄にあがいてみるといいんじゃないですか?」
「はい、張勲様を見習い、私も主に尽くし精進致します」
嬉しそうに、採取した蜂蜜を小さな壺に移す張勲は、今日の分だと昭に蜂蜜を手渡し
再び、養蜂場の指示をするため作業員の元へと向い、昭は、抱拳礼を取り懐へ壺をしまうと馬に乗り、城へと向かった
城へ入り、厩へ馬を繋げると直ぐにその足で政庁へと向かう
民から税を絞り上げ作り上げた政庁は、宝物庫と見まごうばかりに装飾や宝石類が柱にほどこしてあり
とても、政をする為の施設とは思えぬ様相を見せていた
「袁術様、張勲様より本日の分を受け取ってまいりました」
「ふむ・・・七乃は、居らぬのか?」
「はい。重要な執務があります故、此処には参上出来ないとのことでございます」
「そうか」
跪く昭の前で、玉座の肘掛けにもたれかけ寂しそうな表情を見せる袁術
袁術は、ここの所、張勲と会うことが出来ていなかった
初めは、たまに側から離れる事があったが、その程度はと気にもとめてはいなかった
何故ならば、戻ってきた時には、袁術の大好物である蜂蜜水を作る蜂蜜を大量に手土産として持ってきていたのだから
その度に、袁術はでかしたと張勲を褒めちぎり、満面の笑みをみせていたのだが
徐々に、側を離れる頻度が多くなり、最近は蜂蜜ばかりが届いて張勲が側に居ることが少なくなってしまっていた
理由は簡単なことだった。蜂蜜が好物だと知った昭は、薊の集めた書の中から養蜂の技術を取り出し張勲へと渡し
手助けをしながら、養蜂場を大きくしていったのだ。お陰で、蜂蜜自体の採取量は増えたが、文官たちに知られれば
私欲に駆られた彼らが放っておくわけもない。昭は、これを利用し文官たちに知られるな。忙しくなるが作業員を限定し
文官たちには知られず、愛する主に捧げるのだと誘導し、更には文官たちに怪しまれぬよう、張勲とは中が悪く
袁術の前以外では、昭が嫉妬をしているように振舞うことにすると張勲と口裏をあわせていた
「のう、昭」
「はい」
「いや・・・なんでもない」
結果、大きくなりすぎた養蜂場を切り盛りするため、養蜂場に付きっきりになり
袁術の顔も満足に見れないといった本末転倒な事になっていた
袁術も、初めのうちは何故、張勲が帰ってこない!早く戻るように言え!などと言っていたが
周りの文官達にも諌められ、最近はおとなしく玉座に座り、寂しそうに外を見ているだけになっていた
「どうぞ、私の背にお乗りください。私は、貴女様の馬でございます。市にでも出かけましょう」
「・・・そうじゃの、馬にはならぬともよい。妾が、酷いことをしておると思われる」
「左様ですか、ならばお手を」
そのせいか、最近は、昭が張勲の代わりになるように市へと手を繋いで連れだしていた
初めは、それこそ市であろうと何処であろうと馬のように扱い、曲芸を無理やりさせ、池に落とし
ずぶ濡れになる様子や、ボロボロになる様子を見て笑っていたのだが、最近はそんなこともすることはなくなっていた
どちらかと言えば、母から放され父の側に居ようとする子供そのものであった
「今日は、気分を変えて歌など聞きに行きましょうか。最近は、芸人が多くなり歌を歌う者が増えてきたようで
市のものですら簡単な歌を口ずさんでいるようです」
「そうか、歌なら妾も負けぬぞ。妾の歌は、下々の者を直ぐ様、虜にしてしまうほどじゃ」
「はい、存じております。ですので、いかに芸で身を立てようとしようとも、この地で袁術様に敵う者など居ないと思い知らせて
やりましょう」
「うむ!真の歌というモノを皆に味あわせてやろうとするかの!」
自信満々に胸を張り、笑い声を上げる袁術に昭はまるで張勲のように「さすが袁術様!」と合いの手を入れれば
気を良くしたのか、先ほどの沈んだ顔や雰囲気など何処に言ったのか、早く行くぞとばかりに手を取り走りだす
「はよう、はよう行くのじゃ!」
「はいはい、あまり急がれると転んでしまいますよ」
二人の様子を見る文官たちは、互いに頷いて、姿が見えなくなったと同時に笑い出した
「ククッ、馬鹿が。本当に孫家を裏切り、袁術になど組しおった。アレではまるで父子ではないか」
「知っているか?前に市を馬の真似で歩きまわり、孫家の民に唾を吐かれたらしいぞ」
「なに?我らが袁術様の馬に、なんという不遜な行為!きちんと罰したのだろうなぁ?」
「無論だ!どういう顔をするのかと奴の前で斬り殺してやったが顔色一つ変えぬ!」
「当たり前だろう。あの馬鹿は、嫁を孫堅に殺されたそうだぞ。恨みこそあれ、忠誠など微塵もあるまい」
「それは、本当なのか?まね事で我らを欺こうとしているのかと思っていたが」
「私も初めは疑っていたが、最近は張勲に嫉妬して袁術から張勲を遠ざけているようだ。全く、醜い奴よ」
「男の嫉妬とは、なんとも醜いな!だが、お陰で張勲の邪魔もなく袁術を思い通りに動かせるわけだ
どうも張勲が絡むと余計な事ばかりしでかす。感謝せねばな!」
それぞれが昭を馬鹿にし、罵り、腰抜けと呼んでいた。それほどまでして、袁術に取り入りたいのかと
彼らは、昭のする行為全てが自分たちの都合の良いように進んでいるため、初めしていた警戒も最早なくなっていた
アレは唯の馬鹿だ。あれで文官を気取るとは、孫家はやはり蛮族と変わらぬと
張勲の眼をそらしているお陰で、袁成とも内通しやすく、政も七公三民と民の取り分など殆ど無く
彼らの都合の良いように税の取り立てをしていた。酷い時は、民の取り分など無いに等しいほどであった
昭といえば何か政に口を出すかと思えば、全く見当違いの言葉を吐いて、他の文官達に詰められる
文官たちの眼には、なにも政策などだせず、このままでは追い出されるかもしれないと慌て、道化のような真似をして
取り入る間抜けで馬鹿な男にしか映ってはいなかった
「冥琳、そろそろ限界。私も限界」
「何がだ?」
「昭だよ!なにアレ、袁術にへーこらしちゃってさ、ちょっと前なんて目の前で仲間を殺されてるのに
四つん這いで袁術を背に乗せて、なんか石ころ見るみたいにじーっと見てるだけ!」
「言っただろう。あれはフリだと」
「最初はそうだって信じてたけど、最近は手を繋いで市なんて見まわってるんだよ!今日もそう!
私達は、まだ耐えられるけど、皆は無理だよ。殺された仲間だって、裏切り者って昭に言ってたみたいだし!」
ボロボロの館を自分たちで直し、少しはましになった部屋でズカズカと入ってきた梨晏が冥琳の机を勢い良く叩き
あんな姿は、納得できないし、私達もそろそろ信じられなくなってきたと近くの椅子を机によせて、ぺたんと座り込んでいた
「人ってさ、近くでみてれば辛さもわかるけど、見えないと不安だから悪い方向に考えちゃうんだよね
私達は、昭を何時も近くで見てるから悪くなんて言わない。でも、民は違うでしょう?」
「まあ待て。ようやく納得のいく所まで練兵が済んだのだ、ここで悪戯に兵を動かしても何も良いことはない」
「何度も聞いた。先輩達も、静かに首振るだけ。私達将は良いよ、まだ耐えろっていうなら耐えられる。でもさ、雪蓮は
きっと昭のあんな姿見たくないし、聞きたくも無いハズでしょ?でも、無理だよ、聞きたく無くたって、見たくなくたって
どうしたって眼にも耳にも入ってきちゃうんだから」
そう、梨晏が一番に心配していたのは民よりも親友である雪蓮の事。耐える事も、それを強いる事も、雪蓮の為
孫家の為。だからこそ、彼のことで一番心を痛めているのは雪蓮だと梨晏は、悲しそうに俯いていた
「奴が己で選んだ道だ。今更、戻ることなど出来まい。我らにできる事は、耐え続け、昭の策を無駄にせぬことだ
雪蓮もそれは解っている。だから、珍しく本など読んで知識をつけているのだ」
「耐えるって何時まで耐えれば良いの?先が見えないから、皆だって不安になるし、最悪のことだって考えちゃうよ」
「・・・」
不安を吐露する梨晏に、冥琳は何もいうことが出来なかった。確かに今は、乱世
雪蓮の勘の通り、何かが起こるはず。だが、その何かが起こる前に、自分達が崩れてしまえば意味が無い
梨晏の不安は、民の不安は最もだ。そんな中で、袁術に取り入る彼の姿はどう映るだろうか?
税の取り立てに苦しむ民に、文官たちに気付かれぬよう散財する彼の姿は、どう映っているのだろうか?
初めは、良いように映っていたと思う。自分達の味方で、自分たちを救い孫家の未来の為に動いていると
だが、時は立ち、何時までも改善されぬ境遇に、民も兵も限界に近づいているはずだ
そんな中で、彼の姿はいったいどう映るのだろうか。きっと、初めとは違う。悪い印象が芽生えていると確実に言えていしまう
「うーん、ゴメン。冥琳だって、我慢してるんだもんね。とりあえず、皆の不満解消の為、皆を歌にでも誘おうかな!」
「歌?」
「知らない?最近、流行ってるんだよね。特に、黄色の布を躰の何処かにつけてる人たちが応援してる芸人さん」
民や兵達の不満やストレスの捌け口として、とりあえずの休息、娯楽の提供で解消しようとする梨晏の提案
旅の芸人らしく、名を広めたいのだろうか、聞くだけなら料金はとられないようであった
梨晏の説明に、珍しいものだ、代金も払わずに歌を聞けるとはと口にしようとした所で、部屋の扉が静かに開けられた
「冥琳、時が来た」
「昭!!」
「皆を呼んでくれ。孫家の力を見せる時が来た」
部屋に入るなり、驚く二人を他所に、机に座る冥琳の手を取り部屋を飛び出す昭
慌てて後を追う梨晏は、突然の訪問に何がなんだか理解できず、とりあえず時が来たとの言葉に笑みをこぼしていた
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館の一室、彼の配下である隠密集団が周りに息を潜め、袁術の文官達を警戒する中
突然現れた昭の招集に、現れたのは冥琳と梨晏、そして雪蓮だけであった
「すまない。知っているとは思うが、お二人は現在東へ討伐に出かけた。最近は、怪しい連中が多くなってきたからな」
「ああ、宗教家だろう。今までは、母様が潰して来たが、居なくなったと知ってまた湧き始めたのだろう」
そう、炎蓮が死去してから、暫くは落ち着いて居たのだが、最近になって前よりも宗教家が増えてきていた
それも、怪しげな呪法やお告げをばら撒き、信者を集める宗教家達だ
文官たちも、彼らの脅威を知っているのだろう。現れたとの情報を聞きつける度に、即座に雪蓮へ出兵要請をかけていた
「でもさ、最近多すぎない?それに、あんなの何が楽しいのかな?神様なんて信じても、死んじゃう時は一瞬だし
死んだ後なんてなんにもないでしょ。縋りたいのは、分からないでもないけど」
冥琳の次に卓に着き、昭から茶を給仕される梨晏は、彼の顔を見上げながら首をかしげていた
「楽しいというよりは、逃げたいのさ。苦しいことからも、悲しいことからも。それに、死んだ後を補償してくれるんだ
幸福で、何も辛く苦しい事はない世界への道を」
「そんなのあるわけ無いのに。でも、仕方ないか。今は、苦しいことばかりの世の中だしね」
「まあな。梨晏の言うとおり、神様にでも縋りたいのは俺もわかるよ」
「だよね。そう考えるとさ、気軽に辛いこと忘れられるなら、放っておいても良いんじゃないの?民の不満はなくなるし
なんで、こんなに目の敵にするんだろうね。おかげで、せっかく昭が戻ってきたのに先輩たち来れないしさ」
不満気に給仕された茶を啜る梨晏は、理解が出来ないとばかりに大袈裟にため息を吐いた
「放って置けないのさ。宗教家ほど卑怯で都合の良い連中は居ないからな」
「都合の良いってのはわかるけど、卑怯ってなに?」
「炎蓮様が、薊様の助言に従い怪しげな宗教家を潰していたのは理由がある」
冥琳の言葉に首をかしげる梨晏。そう、炎蓮が宗教家を薊の言葉に従いつぶし続けてきたのは理由がある
帝の威光の届かぬ南にて、炎蓮が己の力を振るい続け、帝への忠誠を示して来た理由が
「なあ梨晏、帝や王に必要な力とは何だと思う?」
「え?!えっと、皆を従える魅力とか軍事力とか?」
「そうだ、権威と権力があってこそ帝や王となることが出来る」
「それが宗教家とどういう関係があるの?」
「宗教家ってのはな、権威と権力を簡単に手にすることが出来るのさ」
驚く梨晏。次から次に湧いて出る宗教家が、まさか帝や王と同じような力を有しているとは思いもよらなかったのだろう
昭は、そんな梨晏の隣に座り、身を正して説明してやれと視線をむける冥琳に頷いた
「権威ってのは、皆が名を聞いただけで集い付き従う威光のようなものだ。血筋であったり、盟主といった肩書であったり
旗揚げに母様が孫武の子孫だと語って居たのは、薊様の助言によるものだ。その方が人を集めやすいからな」
「う、うん。孫武って有名だもんね」
「そうだ、そんな孫武の子孫ならば付き従えば利がある。帝ならば、そこに大義まで付いてくる。権力ってのは、そこから生まれる
付き従い、集まってきた者達を従える力、統治する力、それは単に軍力だけではなく税収なんかも含まれるんだ」
「あ、わかってきたかも。宗教家って、神様って権威を使って権力を手に入れてるの?」
「正解だ、付け加えて俺達は、理解が雪蓮を主として兵を従えているから、戦などで戦死した場合は補償をせねばならない
戦功を上げれば、褒美を与えねばならない。だが、奴らはその二つが要らないんだ。戦死者には、天の国での幸福を補償すればいい
戦功を上げた者には、天の国でのさらなる幸福を補償するだけ。金は全くかからない」
「ずるっ!狡すぎっ!!」
「そのうえ、税収は回収率が10割。出し渋れば、死んだ後の幸せは保証されないからな。今の世が苦しければ苦しいほど
熱狂的に人が集まり、金は集まり続ける。勧誘することも徳を積むことだと教え込めば、信者が周りを巻き込む
しかも、戦となれば戦い死ぬことが最大の徳とばかりに死兵のように突っ込んでくる。厄介この上ない」
そうなのだ、炎蓮が薊の言葉に従い、江東の宗教家をつぶし続けてきた理由とは、安易に権威と権力を持ち
大陸を支配する事を防ぐためであった。それは、中央にいる宦官たちも重々承知していた為、炎蓮の行動を咎める者は誰一人おらず
それどころか賞賛する者が多く、帝ですらその行動を認めていたのだ
故に、炎蓮は自由に振る舞うことが出来たのだが、今回のことで決定的な事がわかってしまった
中央は、そんな事を解っているものすら居なくなってしまうほどに腐りきってしまっているということ
炎蓮が殺された事に動こうとする宦官が居なくなっているということ
袁成の工作によってなのか、宗教家に対する警戒心が全くと言っていいほど薄れてしまっているのだ
「ふーん、だからこんなに目くじらを立てて潰すんだね・・・ってゴメン、違う話だったよね!」
「いや、いいさ。俺の話したかった事でもあるからな」
自分の話で今回の議題が話せないと気がついた梨晏は、謝罪するが昭は首を軽く振った
「やっぱり、それ関連なのね?」
「気づいていたか、勘は相変わらず冴えているようだな」
「もちろん。貴方が私に話を持ってくるまで、私は牙を研いでいたんだから」
今まで無言で話を聞き入っていた雪蓮の瞳が細く細く、飢えた獣が獲物を見つけたようにギラつき
気迫と殺気が混ざり合った闘気を纏っていた
梨晏の言ったとおり、雪蓮は限界であったのだ
「昭、時が来たとは、そういうことか。規模はどれほどだ?」
「俺の部下の報告によれば、国は持たぬが州の二つは容易く呑み込むほどだ」
「そうか、ならば中央どころか天子様の耳にも入り大陸に名を響かせる事も出来ると言うわけだ」
雪蓮と同じく、不敵な笑みと共に腕を組み、瞳を鋭い刃のようにする冥琳
梨晏もまた、いよいよ世に名を叫び立つ時が来たのだと拳を握りしめていた
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どうも、こんばんは
黄巾党篇が始まります
楽しんでいただければ幸いです
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