暖かい日中の桃源郷。その桃の木が植わっている場所に、神獣・白澤はいた。
籠を持ち、木を一つ一つ見上げ、桃の実りを確認している。
(どれもよく育ってる)
幾つか妻子と弟子への土産にと、一際美味しそうな桃を探す。これはどうだろう、いや此方の方が…そうしてワクワクと桃を見回していると、不意に声が頭に響いてきた。
《父様!父様!》
そう慌てた様子で父を呼ぶのは、紛れもなく白澤の娘である。その証拠に、視線を空に移せば白い獣が彼に向かって一直線に突進してくる。
獣は勢いよく白澤にぶつかり、彼は獣姿の娘をしっかりと抱き止める。桃の入った籠が白澤の手から離れ、地に落ちると同時にドサドサと桃を辺りに撒き散らす。
“そんなに慌ててどうしたんだい?”
父が中国語で訊くと、娘は思念で答えた。
《母様が、男の人に口説かれています!》
ピクリと、白澤の眉が上下に動いた。
「…哦」
低い声で呟くと、白澤は獣に変じ娘と共に飛び立った。
桃源郷で営まれている店、『うさぎ漢方 極楽満月』。その門扉を開き、白澤が最初に見たのは男鬼に手を握られている己の妻の姿だった。
「何をしてるのかな?」
ニコニコと笑ってはいるが、彼の体からは神気と妖気が迸っている。男の体がピシッと硬直する。
「母様を口説いていたのはこの男かい?」
笑顔で男を指差しつつ腕の中にいる娘に問えば、既に人の姿に変化した彼女が不快そうに眉を顰め男を指差す。
「この人、母様に【お綺麗ですね】って言って手をにぎったんです!」
娘の言葉を聞いた白澤は、背筋が寒くなるような笑みを男に向けた。
「ねえ、君。此処が『誰の店』で、彼女が『誰の妻』か知らないの?」
「えっ、あのっ、おれっ」
「彼は、今年就職したばかりの獄卒らしいですよ」
怯えて上手く喋れない男を見兼ねて、鬼灯がフォローした。白澤が腕の中にいた娘を床に下す。
「哦…新卒君か。じゃあ覚えておいて。此処は僕、神獣・白澤の店で、彼女は白澤の妻、鬼灯」
言いながら、鬼灯と男に近付く。
「僕の妻を誉めてくれてありがとう。自慢の妻なんだ。僕の誇りだよ。でもね…」
徐に両手を上げると、鬼灯の手首と男の手首を掴み、引き剥がした。
「彼女に触れるな」
「っ!」
白澤の眼光と低い声に男が震えた。
「…す…すいません、でした…」
怯えきった声で冷や汗を流しながら謝る。白澤が手を離すと、一目散に逃げ出した。
「あの人、薬を忘れていきましたね」
皆で鬼灯の視線を辿れば、成程其処には紙袋が。
「俺、届けてきます」
「じゃあ、帰りに桃を拾ってきて。急いでたから落としてきちゃったんだ。帰ってきたらお昼にしよう」
気をきかせて紙袋を持つ桃太郎に、白澤は躊躇なく雑用を追加した。
今日の昼食は、外で食べる事にした。陽を浴びながら鬼灯が作った弁当を食べ、食後には白澤が育てた桃を食べる。鬼灯は獣姿の娘を膝に乗せた状態で桃の皮を剥き、白澤は獣姿で妻子を包むような格好で寝そべっている。そして桃太郎は、鬼灯の向かいで塵袋の中に桃の皮を入れている。
「はい、どうぞ」
娘に桃を差し出せば、彼女は母の指ごと口に含む。桃を齧り、指をしゃぶる。擽ったくて、鬼灯がクスクス笑った。
「美味しいですか?」
娘はクルクルと喉を鳴らして肯定する。鬼灯が優しく背を撫でれば、娘は気持ち良さそうに目を閉じた。尾が、機嫌良さそうにフルフルと揺れる。
白澤はそんな妻子を、微笑ましそうに見ていた。
* * *
「鬼灯」
「はい?」
夜、夫婦だけの時間に、夫が妻を呼ぶ。
白澤が背後にいた為、後ろを振り向けばいきなり衝撃を受けた。勢い余って尻餅をつく。
腹の上を見れば、白い獣が己に乗っかっている。額の『目』は『白澤』の証。
「何してるんですか、白澤さん?子豚サイズになんかなって」
「僕は神獣!ねぇ、白火みたいにナデナデして」
甘えた声音でおねだりされた。
この夫婦の寝方は様々だ。人・大きな獣・小さな獣、三種の寝方がある。人の姿が一番多く、次に大きな獣、次いで小さな獣の順である。今回は小さな獣だろうか?
「あの子がお前に抱っこされてるの見て、羨ましくなっちゃった」
鬼灯の膝に乗り、彼女の腹に頬擦りする夫が酷く可愛らしく見えた。
「仕方のない神獣ですね」
言いながらも、娘にしたように撫でてやる。やはり白澤の毛は長くて気持ち良い。鬼灯もこのモフモフを堪能する。
「鬼灯さ~気を付けてよ」
思い出したように言われ何の事かと首を傾げれば、白澤は咎めるように言う。
「鬼灯は美人なんだから、男には充分注意しなきゃ」
最近、益々綺麗になっていくんだから!…などと言われ、なんだか可笑しかった。
「ふふっ、心配性ですね」
「普通だよ」
こんな風に独占欲を見せられると、柄にもなく嬉しくなる。
「貴男だって、女性に人気じゃないですか」
「今の僕は嬉しくないよ、鬼灯がいるんだから。嫌われてなければそれで良い」
適度な好意は嬉しいけれど、異性に向ける愛情は鬼灯だけで良い。…そう語る獣が、彼女に出会う前の獣と同一人物はだとは思えない。特定の相手を選ばなかった白澤は、今は鬼灯だけのものだ。
チュッと音をたてて、白澤は鬼灯の唇に己のソレを重ねる。
「可爱的妻子。晚上好,想怎么睡觉?」
「そうですねぇ…やはり、大きなモフモフで寝たいです」
「小さい方じゃなくて?」
「小さいモフモフは、白火にして貰いますよ。大きいモフモフは、貴男にしか出来ないでしょう?」
白澤は自分の体の大きさを変えられるが、娘は出来ない。出来るようになるには、もう暫く時と鍛練が必要だ。
「だから、貴男の大きな体と長い毛で私を包んで下さい」
微笑みながらお願いされ、白澤もつられて笑む。
「好吧」
白澤は了解すると、体を大きくして鬼灯をすっぽりと包んだ。
鬼灯は満足そうに笑うと、就寝するべく瞼を閉じた。
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鬼灯がモフモフするお話。