「馬ッッ鹿じゃないの!?」
真っ暗な海に、泣き叫ぶような声が響く。声の主はその双眸を涙に歪め、頬を濡らし、罵倒にならない罵倒を繰り返す。
「こんな事して、アンタに何の得があるの。たかだか駆逐艦一隻の為に命張ってどうすんのよ、ほんと……馬鹿みたい」
「……はは、キッツいね、こんな時まで。コレでも、ボク、重傷なんだけど……なあ」
『曙! 状況を報告しなさい! 曙、答えろっつってんのよ!!』
『伊勢、日向! 此方は私と榛名で引き受ける! 早く最上と曙の二人を!!』
『くそっ、レ級を守るように敵が集中してる! 翔鶴、第六艦隊援護を頼む!』
『畜生ッ、埒が明かねえ……しおい、手伝え!!』
曙が肩を抱くのは、彼女を庇い。身代わりに砲撃を受け、艤装を。そして両脚を失い、艤装の誘爆により背中を血で染めた最上だった。そして彼女は。
「艦娘って、ほんと、丈夫だね。人間だったら、とっくに死んでそうなのに」
「だったら、黙ってなさいよ……私のせいで死なれちゃ堪んないわよ……!」
「解ってる、ってば。静かにしてる、よ」
脇腹に、赤黒く滲んだ拳大の穴を空けられていた。
『曙、後ろ!!』
「なッ」
振り向きざまに放った砲弾は当たらず、左腕にレ級の尾がその歯を立てる。肘の外側と内側から力が入れられ、関節がみしり、と鈍い音を発する。しかし、千切れない。使い道のない玩具でも扱うかのように最上を足蹴にし、曙の腕を支点にして、人形でも摘むかのように持ち上げ、少女の顎を引く。その瞳は、それまでとは違う「怨み」とも呼べる感情を宿していたのだが、やがて落胆するような表情を見せる。
そして、『オ前モ、紫子ジャナイ』と吐き捨てた。
「……何、それ」
『……』
「特定の人間を殺すために行動してたってこと? 私達は、その巻き添えでこんな滅茶苦茶な目に遭わされてる訳?」
恐怖を覆い隠したのは、怒り。何故此奴が人と同じ言葉を話すのか、何故『紫子』という人物を殺そうとするのか。それらは最早どうでも良かった。
ただ、曙は許せなかった。個人に対しての怨みの巻き添えを食うことが。その結果、自身を気に掛けてくれていた人物を失ってしまうかもしれないということが。
「逆恨みかなんだか知らないけど、そんなクソみたいな理由で人にケンカ売ってんじゃないわよ!!」
残弾を撃ち尽くす。通用しなくても構わない、ただ怒りをぶつけられればそれでいい。理性はとうに無かった。だから気付かなかった。
『化物』が動揺していることも、長門等の攻撃の結果、徐々に力を失い始めていることも。
「沈んでしまえ『化物』!!!」
ぐらりと、視界が傾ぐ。左肘から先の感覚は無くなっている。そして、目の前には、大きな口を開けた『化物』が迫っていた。
「最上の反応が消えてる! 伊勢、日向、未だ着かないの!?」
『こっちもやっと防衛網に穴を開けたところよ! 今向かってる!!』
「司令官さん、電、衣笠さんの収容を確認しました! 衣笠さんは右手首以下を喪失、電、は……!?」
全身を血塗れにした川内が抱えて来たのは、電だった少女の姿。左腕、左足を根本から失い、瞳を閉じたその表情に生気はない。
「此処にいたんだ、提督。電の回収、完了したよ」
「……お疲れ様、明石はなんて言ってたの?」
「良くて二、三割だって」
「あ、の……手当を……」
解ってる、と呟く。帽子を右手で直し、重く沈んだ表情の少女を応急用のドッグへと促した。
「……最上さん、大丈夫なのでしょうか」
「さあ。……」
レーダーを確認した際、最上と同時に、本隊から離れた位置に居た敵性の反応が消えた。味方の認識外であったが、後衛として出していた空母の艦載機が仕留めたのかと、その時は考えていた。しかし、彼女の胸中の違和感は消えない。タイミングが良すぎる、と。
「まさか、ね」
ずきり、と右腕が痛みを訴えたような気がした。
ここ数週間の、決して楽しかったとは素直に言えない記憶が蘇る。『クソ提督』と呼ばれて尚、自分を捨てようとしなかった女提督、かと思えば因縁の浅からぬ艦娘を揃えて艦隊に入れると宣い、ほぼその通りの編成を組まされる羽目となった事。電ら第六駆逐隊が気にしてくれたのか、翔鶴だけは編成から外れたこと。彼女は彼女で練度が低い事を理由として辞退してくれた、という話を後ほど最上から聞かされ、申し訳無さを感じた。
その最上は端から見ている通りのそそっかしさで、度々苛つかされる事もあり、一度、逆上して辛く当たったこともあった。それでも歩み寄って来たのは、任務だから、だったのだろうか。そう考えかけてやめる。任務というだけで、私のために命を捨てられてたまるか。
数瞬の間に浮かぶ情景に、これが走馬灯というやつか、と考える程度には、少女は生を諦めていた。
「……うおらああああああッッッ!!」
「えっ……」
聞き覚えのある叫び声と、一際大きな水飛沫。頭部を食い千切らんとしていた化物の尾は、支えを失い上方へ舞い上がった。それを目で追った先に居たのは、『艤装を背負わず、両手で大きな剣を構える』天龍の姿。そして、その後方に、小麦色に焼けた肌を潮風に晒す、水着姿の少女、『伊四○一』が飛び込みの姿勢をとっていた。
「砲雷撃戦だけが、艦娘の戦い方じゃねえんだよッ!!」
重力に任せ、縦に一閃。跳ね上げられた尾を真っ二つに裂き、確実に戦闘能力を奪い取る。
着地を狙う爪を捌き、小さく息を吐く。そして。
「姐さん達が弱らせてくれたお陰だな。悪いがお前は此処で終わりだ」
一切のぶれもなく突き出された切っ先は、レ級の左胸を深々と貫いた。
「……大金星、ってか?」
「……メ」
「天龍さん、まだですっ!!」
「シズメ……ッ!」
「惜しかったな」
背中側から突き立てられた日本刀。天龍が刺した左胸とは逆の、右胸を貫き、眼前に切っ先を覗かせる。震える声を押し殺し、静かな声で日向は続ける。
「ヒト型の心臓は右側だ、天龍」
「……日向の姐さん、助かったぜ」
ゆっくりと剣を抜き、腹部にあてがわれた腕を振り払う。あと一瞬遅れていれば、少なからず傷を負っていただろう。その腕の持ち主の瞳に、もう炎は灯っていない。
「後もう一つ。……話では聞いているかもしれないが、一応見ておくといい」
そう言って日向が刀を抜いた直後、レ級の姿が炎に包まれる。表皮がひび割れ、一回り小さくなった人影が、蒼い炎の中で崩れ落ちた。刀身の血を拭い、刀を収めた日向は何も言わず、水面に揺蕩う少女を抱き上げる。それは、特一型、吹雪型駆逐艦と呼ばれるカテゴリに属する少女であった。
「……はっ、ホント、冗談キッツいなオイ」
「誰が、こんな悪趣味な殺し合いを考えたんだろうな」
『こちら横須賀本隊所属、揚陸艦あきつ丸であります。数分ほど前、上陸部隊より入電『我、作戦目標ヲ達成セリ』との事です』
あきつ丸、と名乗る艦娘からの通信。タイミングを見る限り、レ級の撃破ないし撃退を待っていたのだろう、とその場に居た者は考える。だが、それをとやかく言う前に、伝えるべきことがあった。
「こちらは第五艦娘駐屯地第五艦隊、旗艦の長門だ。此方も未確認級、いや、レ級の撃破に成功、残存の敵勢力も後退を始めている。伊豆諸島奪還作戦は成功だ」
『そのようでありますな。ともかく、互いの無事を祝いましょう』
「……ああ、今日の酒は旨いだろうな」
違いない、と笑いあい、別れを言い合う。しかし、通信を終えた長門の表情は固かった。
「最上は、誰か見ていないのか」
「あー、多分伊号の二人が回収してる筈っす。しおい、イムヤとゴーヤはどうした?」
「先にイージスの方に向かってるよ、回収に成功してるならもうすぐ確認できるところまで到着してると思うけれど」
「提督、あれ最上さんっぽくない?」
「どれ?」
返り血を拭い、ある程度落ち着いた様子の川内に呼ばれ、甲板の端まで歩を進める。手すりから身を乗り出し覗きこめば、明け始めた海に、確かに臙脂色の服が漂うのが見える。髪型や体躯を見る限り、おそらくは最上とみて間違いないだろう。
「ちょっと手伝って、今から引き上げるから」
「任せて」
数分の後、救命具を落とし、それに掴まる最上の引き上げを始めていた。遠目に見ても体力を消耗しているように見えたため、回収には念を入れ、大きな衝撃を与えないよう務めていた。
「川内、通信機お願い。向こうからレ級の撃破報告は聞いたけど、他の状況が分かんないし、何かあったら教えて」
「あ、うん」
「……」
「……なんだ、対して怪我してないじゃない。最上、大丈夫?」
「あ、長門さん、どうでした? 作戦成功? やった、やりましたね! それで、そっちの負傷者は……えっ」
ゴトリ、という音とともに通信機を取り落とす。その音に気づいた少女が振り返ったのと、『それ』は同時だった。
「提と、く……!?」
「……ふ、ふふッ……あっはは……そっか、やっぱりアンタだったんだ。私の同類。そっちにも『成り損ない』が居るなんて、ね」
川内の目に飛び込んできたのは擬態を解き、提督に襲い掛からんとしていた『最上』を、同じ『深海棲艦と化した右腕』で、提督と呼ばれていた少女が貪る姿だった。程なくして、最上だったものはその活動を停止し、少女の右腕も人間のそれに戻っていた。亡骸を海に棄て、その少女は小さく祈りを捧げる。
「提督、さっきの、は……」
「ああ、アレ? ちょっとした事故でね。船酔い、って知ってるでしょ?」
怯えるように問いかける川内を見て、軍帽を脱いだ少女は、哀しげに微笑んだ。
-貧乏くじの引き方- 了
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本編最終話、これにて伊豆奪還作戦終了となります。
色々と尾を引く形になってますが、種明かしくらいしか残っていないので残りはエピローグという形にしています。