No.727672

25話

栗凪さん

ネタバレ

2014-10-03 23:08:42 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:667   閲覧ユーザー数:663

 羅暁を倒した直後、鬼龍院皐月の日々は慌ただしかった。

 諸々の後始末に追われ、連日ほぼ眠らない生活が続いた。本能字学園創立時よりも、働いているかもしれない。身を案ずる者は少なくなかったが、何ごとも節目においてはそういうものだと言うので、周囲も彼女に倣い各々の仕事を全うすることに力を入れた。

 妹の流子とは1日1度顔を合わせるだけで、皐月に再会の余韻に全身浸かってしまおうという気配はなかった。伊織は目前の責任を果たすまで、それを預けておかれるつもりなのだろうと思っていたが、揃に彼女の多忙を奪いすぎるなと言われて、はっとした。それで、蟇郡が皐月へ提出される書類全ての最終確認を申し出ようとしたとき、彼を止めたのだった。

「それではお身体に障る」

 果たして苦い顔をした相手に、君の言うとおりだが、と前置きして伊織は説得した。

「皐月様はきっと、閑の扱いが分からないんだ」

 反論の用意をしていた蟇郡は、しかしへの字口で黙ってしまう。

「身体には疲労があれば良いが、心を休めるには準備が必要なこともある。疲労があっても、心が休まらなければ身体に安息は来ない」

「皐月様は解放された」

「13年分の呪縛から、だ。どういう意味か、分かるだろう」

「しかし」

「気持ちは分かるよ」

 伊織とて、皐月に休んでほしいのだ。だが、今できることはこのくらいしかない、とも思う。何か漠然とした不安が、彼の中の皐月を包んでいた。

「心配しなくとも、限界だと思われたら、君の所へいらっしゃるはずだ。その時は任せたよ」

 

 

 皐月に、生命戦維の件を任された。

 彼女は、生命戦維についての情報を、各機関へ提供するための様式に整理していた。万が一全てが上手くいった場合には、これを利用し、一生をこの外来生物への反逆に、捧げようとしたのだ。

 だが皐月は、本当に万が一にでも、自分が生き延びることを想定していたのだろうか。

 研究は、まだ不十分だった。鬼龍院の情報は、いかに人類を支配していくかに重きを置かれていたため、生命戦維に対する防衛という点においては、本能字、陰ではヌーディスト・ビーチが、ようやく開拓にかかった、という段階であった。それを熟成させる必要がある。研究の切口を子細に渡って示してある資料に添えて、生存後の計画書も作られていた。それらを確認しながら、彼は皐月の意図を悟り、視界が暗くなるのを感じた。一気にどん底へ突き落とされるのではなく、日が落ちて宵闇の訪れるように、静かな絶望が彼に降りた。

 だが、彼に皐月を諌めることはできなかった。彼女が、どういう思いでその体内に呪われた血を流していたのか、鋼の心が弱者の怨嗟を踏んで歩く内側で、少女がどんな顔でそれを見ていたか、伊織は想像しかできない。彼がどんなに腐心しても、結局は彼自身の希望にしか行き着かず、それはかえって相手の覚悟を愚弄することになるのは、容易に思い至った。

 蟇郡が居れば。だが、皐月に生きる意志があれば、の話にすぎなかった。伊織は彼に敢えて言わずにいた。良心が痛まないことはなかったが、可能性の低い未来を憂う暇など、当時の誰にも許されていなかったのだ。

よって彼もこの問題とそれに関する感情を冷たい鉄の箱に封印して、黙々と縫い針を執った。この箱は伊織の得意技で、5歳以来必死に皐月を追ううちに身に付けた、皐月のできそこないの模倣であった。 できそこないだからこそ、皐月に重宝された。

 

 

 ぼろぼろになった生徒会室に一人呼び出された伊織は、生命戦維対策委任の命を受けた。

 改めて渡された資料は、ヌーディスト・ビーチ、すなわち纏一身の研究と擦り合わせ、その上でなお究める必要のある箇所が、呈示されていた。

「あなたは本当に、現状を予測されていたのですか」

 読み終えて真っ先に口から出たのは、資料とは関係のないことだった。

 覚えず声が低くなっていたことに、伊織自身驚いた。一方の皐月には、さほど動揺は見られない。彼女は目を伏せて微笑んだ。

「やはり、気づいていたか」

「当然です。漫然と貴方の背を見るだけで、10年以上を過ごしてきた訳ではありません。資料を拝見しながら、まるで遺書のようだ、と思いました。状況はそのときにならねば分からない。それなのにあなたは、僕がどうすべきかまでつぶさに書面で指示されていました。仮定した未来に、あなた自身の生存は仮定されていなかった」

「過去の話だ、もう」

 微笑が、苦笑へと変わる。

「限りなく低い可能性に、お前や四天王の生存があった。それも、辛うじて命は拾うことができた、という場合だ。無傷では済まされまい。私だけは相討ちになるだろう、相討ちでようやく羅暁を倒せるのは私しかいない。自分が生き延びる可能性は、どう計算しても、出なかったのだ」

 その仮定を許せなかった、の間違いではないか。つい怨み言が出そうになって、伊織は飲み込んだ。

「だが、こうして生きている。それに」

 皐月は椅子に深く背を預けると、真っ二つに裂けた塔の間に見える虚空を眺めながら、浅い息を吐いた。瞳に映り込んだ淡い青が、優しい憧憬のようだった。

「…流子が、あの子が生きていた……」

 皐月の妹。死んだと思っていた、彼女の13年の、芯の半分だった。

 伊織の思うに、流子の存在は、皐月に残っていた牙を完全に抜き去ってしまった。一方で、水杯を割らせなかった。

 流子がいなければ、彼女は早々に次の仕度を始めていたかもしれない。その時こそ、蟇郡が必要になったはずだ。だが、皐月は戦おうとしない。彼女の戦意の原動力となっていた「人類」という大雑把な対象への奉仕心と愛情は、裏を返せば屈託なく愛せる肉親がいなかったゆえの代償と弔いでもあった。それが流子という正しい対象を得たために力を失った。決して独りにはならない(させない)とはいえ、当初の計画はやはり個人が担うには重すぎた、と伊織は思っている。だから現状は、喜ばしいことのはずなのだ。

「想定外だ。何もかも。何をすべきか分からない。私には、考える時間が必要だ」

 解放は、同時に喪失でもある。彼女が迷いの言葉を口にするのを、伊織は初めて聞いた。

 凪いだ船上で、舵を切れずにいる。そんな心境なのかもしれない。

「だが、その前にけじめをつけねばならぬ。本能字の生徒、住民に、新たな生活の基盤を用意する。それが済んでからだ。伊織、お前も例外ではない。だからそれを渡した」

「…ありがとうございます」

「異論はなかろう」

 皐月の目が、よく見慣れた、全てを見透かすような色に戻った。伊織は少し安心した。

「鬼龍院とは違う形ではあるが、お前も生命戦維に魅了された一人だ。だから気兼ねなく任せられる」

「生涯をかけて追究するに値する、対象だと思います」

「流子も居る。研究材料には事欠かんだろう」

「良いのですか、そんなことをおっしゃって」

「本人に聞かれれば怒るな。内密に頼む」

 皐月はくすくす笑いながら腰を上げた。

「志望校を決めたら、お前も作業に移ってくれ。何しろこの町全ての後始末だ。住民の数だけやることがある」

「畏まりました」

 冗談を言うようになった。笑うことが増えた。鎧を脱いだ心は、少女の振る舞いを、少しずつ思い出している。

 それでも伊織の胸には、遠く西の空に見える、一片の雲のような微かな不安が、残った。それが本当に欠片なのか、暗雲の端なのか、彼には判断がつかなかった。

 

 

 

 蟇郡は荒れた本能町の警備の傍ら、生徒たちの進路について相談と手続きの任を負っており、皐月ほど極端でないにしろ、毎日遅くまで風紀部に残って作業をしていた。 彼のほかは無人の室内に、紙の摩擦音が鳴る。日付が、変わろうとしていた。蟇郡は書面を眺めながら、伊織の言葉を思い出す。皐月が来るかもしれない。むしろそういう下心に、足止めされていた。

 だが実際戸がノックされると、彼は飛び上がった。巨躯の膝が机の裏を思い切り蹴ったので、ガッタンと大きな音が出たが、幸い、書類の方は2、3枚落ちただけで済んだ。

「蟇郡」

「はっ」

「入るぞ」

「どうぞ」

 手早く紙を拾い上げて、戸を開ける。皐月が礼を言って入ってきた。

「何やら音がしたが」

「申し訳ございません、少し、驚いてしまい」

「幽霊とでも思ったか。ならば、期待を外してしまったな」

 冗談と、笑い。悲願を遂げてから彼女の空気は柔らかくなったが、同時になにか空しいものがあることに、蟇郡は初めて気が付いた。 かげろう。猿投山は、そう言っていた。

「今、毛布をお持ちします」

「毛布?」

 しまったと思った。失態だ。用件を聞くべきだった。

「いえ、あなたが、…いらっしゃるのではないかと」

「揃、あるいは伊織か。全く、あの二人には参る」

 長髪を翻し、皐月は長椅子へ腰かけた。蟇郡が一旦奥へ消え、毛布を持って戻ってくる。彼女は差し出されたものではなく、彼の手に触れた。

「膝を貸してくれ」

「かしこまりました」

 椅子の端に座った蟇郡の腿に、頭を預ける。肩まで丁寧に毛布をかけた手に指を絡め、それを口元へ持っていくと、皐月はふうと息を吐いた。

「疲れた」

「ごゆっくりお休みください」

「そうも言ってはおれん。明日になればまた動かねばならぬ」

 蟇郡は、齟齬を感じたが黙っていた。彼が言う「休め」の本当の意味は、今の皐月には負担になるのだろう。

 双方しばらく会話もなく、かといって皐月が眠る様子はなかった。彼女の横顔は、元よりの色白に疲労も加わって、不吉なほど血の気を感じさせない。握った手も、やや冷たかった。

「私が思っていた以上に、私を縛っていたものは大きかったようだ」

 顔に落ちてきた髪を、蟇郡の手が払うのを心地好さげに受け入れながら、呟く。

「死を覚悟していた。万が一の可能性として、今のような状況を考慮していなかった訳ではないが……いざ、そうなってみると、落ち着かない」

 皐月は真意を言わなかった。

「生命戦維のことを、伊織に託した。今後は伊織を中心に研究と対策が進められるだろう。私も鬼龍院財閥を運営しつつ、支援せねばならない。そうするはずだったが」「計画など、狂うものです」

「風紀部委員長の言葉とは思えぬな」

「人生、何が起こるか分からないと、中3のときに思い知りました。万が一とは言いますが、当時我々には目的があり、それに身命を賭していた。万が一の計画はしていても、心構えまでできていた者はおりません。ゆえに四天王といえども各々の決定に時間がかかったのです。ましてや、皐月様は幼少よりの悲願、最大の計画を完遂されました。あのときには見えず、今、この時点でようやく見えたものもありましょう。今は、誤差を確認し、正す時と思えば良いのではありませんか」

「急ぐ必要はない、か」 

 それから、蛇崩、犬牟田、猿投山の進路へと話題が移った。思い出話も交えつつ。卒業式も終えぬうちに、旧友を偲ぶ空気が漂う。

 皐月はおもむろに仰向けになり、つないでいた手を解いて蟇郡の頬を撫ぜた。

「お前はどうする」

「俺は」

 彼も、決戦後の静けさに動揺しながら、己の道を改めて思った。何があろうと皐月の側へ居るべきだと考えていたし、それが初めから決められているように感じていた。

「親戚の鉄工所に、就職する予定です」

「そうか」

 皐月が満足気に頷いた。

 共に居ることと、共に生きることは、違う。蟇郡が誤差を正した結果、出た答だった。

 共に生きることに、距離や時間は関係しないのではないか。人にはそれぞれ、しかるべき場、しかるべき役というものがある、という気がする。それを全うせずに無為に共に居ることは、かえって相手に対する裏切りになるだろう。 自分が、そばに居るべき人間は誰なのか。目を閉じたとき、最初に浮かんできたのは、皐月ではなかった。母の顔。痩身だが芯の通った真っ直ぐな背。息子は、戦場から生還した。伯父は、子供はやがて親の人生から我が身を切り離して、もう一度生まれねばならぬといったが、捧げた人生が戻ってきたのだ。

 子どものころから心配をかけ続けてきた。信じて耐えると言うのも、負担だったろう。その両肩に乗った母の役という荷を、そろそろ下ろしてやりたいと思う。伯父夫婦にも、世話になった。恩を返したい。道は一つだった。

 そして、皐月から戦う意志が消えた。

 多くのものに縛られていた分、多くのものから解放された皐月だが、妹の死からの解放は、さすがに想定していなかっただろう。それが心境を大きく変えたのは確かだった。蟇郡は驚かなかった。

 姉妹は肉親から同じ傷を受けた。皐月と蟇郡に、互いでしか癒せなかった傷があったように、姉妹は姉妹でしか治せない傷を持っている。

 思えば(流子もなのだろうが)皐月は傷だらけだった。

「皐月様は、戦いすぎました」

「戦うのが我が人生、と思い定めていたのだがな。なによりも流子のせいだ。あいつは多くの極制服の戦維を喪失させてきたが、最後に私の戦意まで殺いだ。のみならず、欲を植えつけた」

「それで良いと思います。人を愛すると言うのならば、まず人の喜びを知ってください」

「喜び、か」

「それを熟知するまでに、かなりの時間を要するでしょう」

「ありがとう、蟇郡」

 ふと違和感を覚えたが、皐月は再び顔を横に向け、目を逸らしてしまった。 胸中で、ふいに輪郭のない不安の風が生温かく吹いて、蟇郡は思わず皐月の白い手を包んだ。彼女は不思議な瞬きをした。

「皐月様」

 皐月は蟇郡の手を取り、先ほど自分が彼にしたのと同じように、頬に当てた。巨大な手の平に、ひんやりした温度が流れてくる。

「お前の手は温かいな」

 陶然と目を閉じる。蟇郡が言葉を探すうちに時間切れが来て、静かな寝息が室内を控え目に揺らし始めた。

 猿投山の、かげろう、という言葉が、彼の頭にいくつもいつまでも淡い影の群を作っていた。

 

 

 

 首を括るつもりはない。だが、突き出される刃をかわす気も、ない。

 ずっと抜き身として生きてきた皐月にとって、無気力は初めて経験する境地と言って良い。ゆえに彼女はその病的な性質と、対策について無知であった。船頭のない船が風のままにされるように、心は何らかの力がかかれば、簡単にその向きへ惹かれてしまう。

 母を殺してから、皐月は身の回りについて来る影の存在を感じていた。正体は知れている。学園に君臨していたとき、畏怖のほかに向けられていたあるものと同じ匂いを、その影から嗅ぎ取った。

 大望の贄となったものへ一瞥もくれず歩行を再開できるほど、今の皐月は冷血にはなれない。強靭な意志で抑え込んでいた良心が、束縛のなくなった今、彼女を蝕んでいた。民衆の、第二の人生の礎となる。本能町の完璧な後始末は、その実践である。さらに自分が報いを受けることで、弄ばれてきた多くの者が留飲を下げ、新たな一歩を踏み出せるならそれで良いのではないか。

 付き纏う影もその一人だ。こればかりは、避けようもない。皐月が生まれる前から、羅暁とともにいたのだ。そして、縫。彼女の中で二人は家族に等しい地位に置かれていたに違いない。肉親を殺される痛みが、皐月に分からない訳がない。その憎悪に、ある種の懐かしさ、親しみすら感じる。彼女にまとわりつく影は、それ自身の努力がなくとも、ただ存在するだけで、皐月を着実に死の虜にしていった。

 鳳凰丸礼は今や彼女にとって、彼女が疎かにしてきた全ての弱者の権化であり、幼い彼女自身であった。

 愛すべき死神であった。

 

 所詮、悪あがきにすぎない。鳳凰丸とて、自覚していないわけではあるまい。激しい怒りの裏にやりきれぬ虚無感があるのを、皐月は見逃さなかった。これは実質、皐月への復讐だ。

 その手段は、芯を失った皐月の心を蹂躙するに十分だった。生命戦維で作られた自身と四天王の分身が、容赦なく人々へ拳を降り下ろす。恐怖と暴力。災い。これが、自分のやってきたことだ。

 十数年蓋をしていた衝動が、囁く。死への甘美な誘惑。収まる鞘は、一つしかない。彼女は覚えず笑いを浮かべていた。鬼龍院皐月の行動に無駄はない。この命を欲するものにくれてやる。それも、使い道の一つだ。

 罰のゆりかごのもたらす眠気に、かつての女傑の眼は曇る。玩弄と破壊を目にしても、もはや不甲斐なさすら湧かず、怒りはわずかに燻るばかり、力にはならず、かえって彼女の願望が強まるのを助けるのみであった。犠牲は自分だけで良い。四天王と流子ならば、彼女を止められるだろう。

 鳳凰丸が、この日、本能字学園卒業式当日に、現れてくれて良かった。

 全ての生徒が、全ての住民が巣立ってゆく。私はそれを見送って、この町と共に沈もう。

 さらば、同胞。さらば、妹。

 

 

 

 一閃の光が射した。

 

 

 

 

 

 

 

「本能字学園に別れの挨拶を。全員敬礼」

 潮騒と本能町の断末魔を、皐月の声が貫いた。母校の最期を見送る生徒たちの、荘厳な静寂が降りる。 「直れ」の合図に腕を下ろし、蟇郡は皐月の方へ目を遣った。

 首筋を、黒髪が軽やかに踊っている。首から下の頭髪が、夢の終わりのように波へ溶けていくのを彼は見た。背は制服が白く映え、新たな芯が通っている。

 大丈夫だ。蟇郡は、今度は彼女へ敬礼した。

 鬼龍院皐月は今、生まれ直した。

 

「伊織。心配をかけた」

「全くです。初めは、もう悩むこともないと思っていたのに。あなたのおかげで、このひと月で、治りかけていた胃をまた痛めました。満艦飾へ世話になって、今までの分も含めて、医療費をたくさん請求させいただこうかと思ったほどです」

 皐月は声を上げて笑った。

「それが、お前の本音か。なかなか手厳しいな」

「僕の口が悪くなったのは、半分犬牟田のせいで、残り半分は皐月様のせいですよ」

「責任は取る。これからも、よろしく頼むぞ」

 怒るふりをしていた伊織は、とうとう耐えきれずに破顔した。

「よろこんで」

 船が、それぞれ新たな航路へ、澪を銀に残して散っていく。

 流星群のようだ、と伊織は思った。

 

 船を降り蛇崩にも別れを告げ(「また今度ね」、だった)、皐月は鳳凰丸とともに迎えの車に乗った。

 鳳凰丸は座りが悪そうに、座席でもぞもぞしている。俯いてみたり、走る窓外を眺めてみたりするが、車内の、人がいる方は不自然なほど避けているので、彼女の気まずさがよくわかる。

「私はお前の刃に甘えていた」

 窓に映り込んだ皐月は、真っ直ぐに前を向いていた。

「奪って良い命などない。それは、己の命とてそうだ。お前のおかげで、気づくことができた」

 相当な荒療治だったが、と意地悪く付け足す。

「死は、多くの心を抉る。だから、私に抉られたお前が報いを求めるのは当然だった。それも良い、と思っていた。だが、私の死はお前に罪を背負わせるし、新たに流子たちを抉ることになる。軽卒な罪悪感で、再び多くの者を束縛するところだった」

 鳳凰丸は皐月を見た。彼女は前を向いたままだ。

「私は自分以外に、何も見えなくなっていたのだ。どうにでもなれと言う気持ちが強かった。何もなくなった心を、死で満たそうとした。それは、逃避だ。私もお前も、逃げてはならない。罪を償うなら、自他共に生かすことだ」

 皐月が、真正面から鳳凰丸と視線を繋いだ。打倒生命戦維を胸の内に燃やしていたときの鋭さとも、本能字で捕らえたときの濁った色とも違う、鮮烈な眼だ。

「気後れするな。過去は本能字に置いてきた。私たちは自由だ。贖罪という、自由だ」

 羅暁の面影の濃い顔立ち。だが指し示す道は、全く異なる。

「…ありがとうございます、皐月様」

「礼なら流子に言ってくれ。あの子が、私たちの光だ」

「流子様もですが、私に直接救いの手を差し伸べてくださったのは、皐月様です。この命、存分にお使いください」

「そういう言い方は止めてくれ。私はむしろ、預けると言ったぞ」

「それならば、その傷で贖われた、と思っております。ですが、一つだけお願いするとすれば……どうか私と共に、生きてください」

 鳳凰丸が、一礼する。皐月は微笑んで受け入れた。

 軽くなった首に熱く燃える傷口の痛みが、愛しい。私たちは、生きている。

「お前の目は、そんな色をしていたのだな。美しい、良い目だ」

 色眼鏡は割れてしまった。今、鳳凰丸が見る世界は、色鮮やかに輝いている。


 
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