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セイレム=ヴァドに辿り着いたとき、ここはなんと呪われた土地なのだろうと思ってしまった。街路には浮浪者たちが溢れかえっており虚ろな視線で空を眺めている、時折彼らの視線がエイスに向いてくるが、彼らが何を思っているのかまったく分からない。
この街は五〇年前まではセイレム=フスと呼ばれた一大魔術研究都市だったはずなのだが、今はその名残すらなかった。かろうじて当時の建造物と街を覆っている城壁、そして広大な面積がかつての栄華を物語っているようだったが、それもエイスには虚勢を張っているようにしか見えない。
「さて、一体どこが……」
考えていることを口に出しながらエイスは辺りを見渡す。待ち合わせ場所に宿屋を指定されているのだが、その宿屋が見つからない。街路に溢れかえっている浮浪者の一人に近づき、目的地である宿屋<魔の都亭>への道を尋ねてみたが、返ってくるのは虚ろな視線だけであり言葉は返ってこなかった。
もう一度辺りを見渡して、エイスは周囲の注目を浴びていることに気付く。自分の格好を改めて見直してみた。今、エイスが身に纏っているのは普通は魔術士が着るようなローブ、理由は一つだけ。顔を隠すのにはフードの付いたローブが適していたからだ。
今回の依頼はネアトリアハイムと敵対しているエトルナイト騎士団からのもの、もし顔がばれたらお尋ね者になるかもしれなかった。報酬の良さからこの依頼を引き受けたのだが、もし途中でネアトリアハイム騎士団や警備隊に属するものに見つかるわけにはいかない。
こうやってフードを目深に被り、剣を腰に刷いていれば景色の中に紛れ込むようなことは出来ない。だからこそ目立つのだろう。ただ、セイレム=ヴァドは邪教の巣窟であり今のエイスのような格好のものは多いはず。
実際に、ここに来るまでの間に何人もそういった人間を見ていた。同じ傭兵ではあるが、暗殺を主な生業としている連中なのだろう。まず歩き方からして違うのだ。
ともかく、誰からも道を聞けないとなれば自分で探すしかない。地図があれば良かったのだが、場所は言伝でしか伝えてもらえなかった。セイレム=ヴァドに来て、結局のところ地図など必要ないというよりも邪魔なだけだということはすぐに思い知らされたのだが。
邪教の巣窟、浮浪者の溜まり場、そのような場所は無秩序な開発が行われるものだ。かつては大都市であったここも巨大迷路の様相を呈している、これならば地図などではなく却って言伝の方が伝わりやすい。
だからといって道がすぐわかるというものではなかった。太陽の位置で方角を確認しつつ記憶を頼りにして歩いていると、常にエイスの前を歩いている人物がいることに気付く。
体格から察するに男だろうか、エイスと同じような格好をしているのだが服を着ているような印象はない。気付かれないよう時々視線を外しつつ、適度な距離を置いて前を歩く人物を観察してみると服を着ていないことが分かった。かといって裸であるというわけではないだろう。
彼が纏っているのはどうやら影であるらしい、エイスと同じくして顔を隠す目的でそうしているものと思われた。そしてここで気になってくるのは彼の目的である。気付いたときから彼はずっとエイスの目の前を歩いていた。
時折立ち止まっては周囲を確認してからまた歩き出す、彼の正体はおそらく二つのうちの一つだろう。一つはエイスを導くためエトルナイト騎士団が派遣した案内人、もう一つはエイスと同じくオラウス暗殺の依頼を受けた傭兵。
彼の歩き方を見るだけではそのどちらとも取れる。彼がこちらに気付いているのかいないのか、エイスには分からないにせよ彼が歩く道はエイスが行く道と同じであり結果的に付いていくことになってしまっていた。
そして前を歩く男が止まる。エイスの記憶が正しければ、ちょうどこの止まった場所に集合場所である<魔の都亭>があるはずだ。しかし、あたりには何もない。路地裏の突き当りであり、エイスの先を歩いていた男も不思議そうに周囲を見渡しているところから彼もエトルナイト騎士団の依頼を受けてやってきた傭兵であることが分かった。
少しばかりの緊張はあったがエイスは全身に影のような物を纏わせている男に話しかける。
「失礼、あなたも依頼を受けてここに来た者なのか?」
「あぁ、そうだ。貴公も……依頼を受けてここに来たのか?」
影を身に纏った男を見上げながらエイスは頷いた。暗闇の奥底から色の違う二つの目が覗いている。
「そうなのだが<魔の都亭>の場所が分からなくてね……言伝ではこの場所であっているはずなんだが」
「俺もこの場所に<魔の都亭>があると聞いた。けれどここは路地裏で、見たところ隠し扉があるようにも見えない。それに、人の気配もまったくない」
二人して地面やら周囲を囲っている壁を見たり、触ったりしてみたのだが冷たい感触があるばかりで隠された扉があるというわけでもない。上を見ても白い雲が流れる青空が広がっているだけで、開け放たれた窓があるのでもなかった。
二人して腕を組んで首を傾げていると背後から足音がする。エイスは剣の柄に手を掛けながら振り返り、影を身に纏う男もいつでも飛びかかれる体勢を取っていた。
振り返りながらエイスは思う、いつの間に背後を取られたのだろうかと。ほかの事に集中していたとはいえ、背後にもしっかりと気を配っていた。誰かが路地裏の入り口に来たのならばすぐ分かるはずだ。
にも関わらず、二人のすぐ側には紅い衣を纏った片腕の男が立っている。彼は人の良さそうな笑顔を浮かべていたのだが、どことなくその中に邪悪さを感じさせるのは気のせいだろうか。
「あぁ、お二人とも警戒しないで下さい。えぇと、エイス・ディマークさんとワルプルギュス・ヴェノさんでよろしいでしょうか?」
紅い衣の男が発した第一声はそれだった。彼が雇い主であるエトルナイト騎士団のものなのだろうか、話に聞けばエトルナイト騎士団の人間は常に紅い服を身に纏っているという。そこから考えれば彼が依頼主の差し金であることは間違いないと思われた。
「そうだ、俺がエイス・ディマーク」
柄を握っていた左腕を離しながらエイスは言った。今のところ彼を警戒する必要はない。見たところ片腕であることに加えて、武器も持っている様子はなかった。そんなエイスの様子を見てから影を纏う男も「ヴェノ、ワルプルギュス・ヴェノだ」と答える。
それを聞いた片腕の男は嬉しそうに首を縦に振った。
「今回はネアトリアハイムに敵対している私ども依頼を受けてくださり、誠にありがとうございます。私の名はキャスティン・ハストと言いまして、悪名ですが結構名が通っているらしいのでもしかしたら私の名を聞いたことがあるかもしれません。それはさておき、自己紹介も済みましたので今から私どもの拠点の方にご案内したいと思います」
そう言ってキャスティンは無防備なその背中を見せた。
「拠点は、どこにあるんだ?」
ヴェノが聞くとキャスティンは肩越しに振り返る。相変わらずその表情には笑顔が浮かんでいた。
「それはお教えできません、なにせ重要拠点ですからね。ですが、あなた達に目隠しをして歩けというつもりもありません。一瞬で私どもの拠点にご案内させていただきますよ」
「どうやって?」
エイスが尋ねるとキャスティンは「こうやってです」と言いながら、一本しかない右腕を頭上に掲げた。すると一瞬の間も置かずして路地裏の入り口に門が現れる。その門の大きさは大人が二人並んで入れるほどであり、奇妙な生物を象った彫刻が施されていた。
門扉は閉じられていたが、その向こうに何が秘められているのか。圧倒的な威圧感がエイスを遅い、知らず知らずのうちに後ろに下がってしまっていた。それはヴェノも同じようである。
「どうされましたか? さぁ、あの門を抜ければ私どもの拠点に繋がっておりますので早く行きましょう」
「本当にあの門を潜らなければならないのか?」
「えぇ、そうですよ」
ヴェノの言葉にもキャスティンは相変わらず笑顔で答えてみせる。そこに悪意の欠片はないはずなのだが、得体の知れない、それこそ名状しがたい何かが潜んでいるように思えるのだ。
「その門からは嫌な臭いしかしない……入るのを断る、別の方法は無いのか?」
「ヴェノさん。私は依頼主です、この依頼を受けた時点で分かっておられるかも知れませんが出来るだけ私どもの都合に合わせてもらわなければ困るのです。それは報酬金額を見てもらえれば簡単にわかるでしょう? それに拠点の位置をあなた方が教えないと確約していただいたとしても、何らかの方法であなた方から情報を引き出そうとする者が現れるかもしれない。ですからこれが最善の方法なのですよ、私にとってもあなた達にとっても」
「しかし――」
ヴェノが何か言おうとしたとき、キャスティンのすぐ横に小さな門が出現した。彼はその中に右腕を突き入れる。それと同時にヴェノは言葉を止め、苦しそうに体を折り曲げた。
「どうした!?」
尋ねてみるがヴェノは答えない、あまりの苦しさから彼は全身を覆っていた影を解除してしまっており隠していた全身を日の下に晒していた。
「彼が答えられるはずありませんよ、私はこの小さな門をヴェノさんの体内へと繋ぎました。今、彼は私に心臓を掴まれているのです。さぞや苦しいことでしょう。ヴェノさん、分かって頂けましたか? 私も手荒な真似はしたくないのです、指示に従ってください」
ヴェノは体を折り曲げて地面に両膝を付けながらもキャスティンを睨み付けようとするのだが、その途端、さらなる苦悶を与えられたのか身を縮こまらせる。
「分かりましたか? ここに来た時点であなた方に拒否権はないのですよ、それに前払い報酬の五〇〇セールは既にお渡ししています。それに見合う分だけの働きはしてもらいますよ」
キャスティンは相変わらず笑顔のままだったが、明らかに邪悪の色が広がっている。ヴェノの体に何が起こっているのか分からないが、彼の顔がどんどん青ざめていった。
「ハスト殿! 流石にこれは!」
エイスがキャスティンに声をかけるとようやく自分のしていることに気付いたのか、キャスティンは小さな門から手を抜き出した。一体全体、門はどこに繋がっていたのか、彼の右手は僅かながら粘液で濡れている。
その瞬間、ヴェノは大きく息を吐いて呼吸を荒げながらも何とか整えようとしていた。まさかとは思うが、本当にキャスティンはヴェノの体内にその右手を突き入れていたとでもいうのだろうか。
そう考えなければ今起こった事象についての説明が出来ない。
「そういうことですよ、エイス・ディマークさん。それにワルプルギュス・ヴェノさん、本当なら私たちだって傭兵に仕事を頼みたくは無かったんですよ。しかし私はついこの間、かたわ者になってしまいましたのでね止むを得ずといったところです。なのであなた達には相応の働き、私の片腕となって行動していただかねばならない。お分かりですね? あなた方に拒否権は与えない、ですが成功すれば五〇〇セールもの報酬が支払われます。前払いの分と合わせれば合計一〇〇〇セール! これほど破格の仕事もめずらしいじゃないですか!? しばらくは仕事しなくても大丈夫なんですよ? ですから、ここは一時の我慢です。良いですか、合計で一〇〇〇セールですよ」
このキャスティンの物言いを聞いていると、腸が煮えくり返りそうになるほど怒りがこみ上げてきた。あまりにも怒りすぎて手は自然と震えており、頭の血管が切れる音が聞こえたような気がするほどだ。
それは未だうずくまっているヴェノも同じようで、歯を食いしばり色の違う二つの瞳でキャスティンを睨み付けられている。雇った二人の傭兵から怒りを向けられているというのに、キャスティンは涼しい顔をしていた。
右腰に刷いている剣の柄に手が伸びる。それを見たキャスティンはエイスと視線を交わせた。
「良いんですか? あなたも味わってみますか?」
先ほどのヴェノの苦しみ方を見ていると、彼の言っていることは本当だと信じざるを得ない。キャスティンはいつでもエイスやヴェノの体内に手を入れて、その臓物を簡単に握りつぶせるのだろう。
言葉どおりの意味で、エイスとヴェノの命はキャスティンの手中にあった。
「さて、それでは行きましょうか」
キャスティンは小さな門を消してから路地裏の入り口に出した門へと歩み寄る。彼が近づくにつれて門は開き始め、キャスティンがその前に立ったときに完全に開ききった。
エイスはてっきり門の向こう側には彼らの拠点の光景が繰り広げられているものばかりだと思っていたのだが、その予想は裏切られる。
門の向こうに広がっている光景はこの世のものではなかった。門の向こうにあるのは虹色に輝く混沌とした空間である、距離感をまったく感じさせず平面がそこにはりついているようにも見えるが、虹の混沌の流動し時折立体感を感じさせる。
思わずごくりと唾を飲む。その音がキャスティンに聞こえたのだろうか、彼は何故か嬉しそうな笑顔を浮かべて見せた。
「さぁ、早く入ってくださいお二人とも。私はこの門を閉じる役目があるので最後に潜らねばならないのです」
「どこに繋がっているのだ?」
エイスの問いにキャスティンは「もちろん我々の本拠地ですよ」と即答して見せたが、エイスにはどうしてもそれが信じられない。どう考えても門の向こうはこの世界とは違う別の世界に繋がっているようにしか見えない、脈打つ虹色は生命の脈動を思わせるのだ。
あの門の中に入るということは得体の知れない生命体の口の中に飛び込むようなものではないか、とエイスは思う。かといって逃げ道はなく、キャスティンの能力があれば逃げたところで無駄だろう。
今回の相方となるであろうヴェノの目配せしてみるが、彼は静かに首を横に振るだけだった。既に諦めているらしい。
「早くしてくださいよ、時間はまだありますけれど出来る限り余裕を持って行動したいでしょ?」
キャスティンの言っていることは正論だ。だからといって彼の言うとおりに行動するのは躊躇われる。どこに繋がっているのかもわからない門を「はい、そうですか」といって潜り抜けようとは思わない。
ヴェノもキャスティンの言うとおりにしなければならないということはわかっているはずだが、体は行動を拒んでいるらしい。何度か足を前に踏み出そうとしているが抵抗があるのか、一歩も進もうとはしなかった。
「やれやれ……」
残念そうな溜息を付きながらキャスティンは俯きながら首を横に振る。
「あまりしたくはなかったんですが、拒むというのなら仕方ありません。私のような者にとって時間はほぼ無限ですから関係ありませんが、あなた方にとって時間は有限だ。あなた方のためにも無駄な時間は取りたくない、門を潜ったからといってあなた方の身に何かが起こるわけでもありません。しかし信じてもらえないというのであれば、実力行使で行くしかないでしょう。悪く思わないで下さいね」
そういうが早いかキャスティンは指をパチリと鳴らす。途端に虹色に輝く帳の向こう側から幾本もの触手が飛び出した。エイスは慌てて剣を抜き放ち切りかかったが、触手は滑らかな動きで繰り出された剣を交わすと両手足と胴に絡みつく。
ヴェノも全身に絡み付いてくる触手を両手に装着した鉤爪で振り払おうとするが、触手はヴェノの動きを読んでいるかのように蠢き鉤爪の刃から逃れた。そのまま触手に絡め取られてしまった彼は門の中へと引きずり込まれる。そのとき、虹色の壁が波打ったように見えた。
「さて、あなたも抵抗せずに中に入ったらどうですか?」
微笑みながらキャスティンは言ったが、その笑みがエイスにとっては恐ろしい。ヴェノは一体どうなってしまったのだろうか、そしてこの触手は一体なんなのだろうか。この先には恐ろしい怪物がいるのではないのだろうか。
様々な考えが脳裏を駆け巡り、混乱してしまいそうになるが手に持つ剣の感触が錯乱しそうになる思考を押し留めてくれた。だが手首足首と触手に絡め取られてしまっており身動きがとれず、徐々にではあるが門へと近づいている。
「やれやれてこずらせないでくださいよ」
溜息を吐きながらまたキャスティンは指を鳴らした。すると触手の力が急に増し、両手首と足首の骨が悲鳴を上げる。エイス自身も苦悶の声を漏らしたがキャスティンは意に介した様子がない。
鼻から大きく息を吐き出しながらキャスティンは困ったように首を傾げる。彼のその仕草と同時に触手の引っ張る力はさらに強くなり、いよいよエイスも耐えられなくなった。
足が離れた、そう思ったときには勢い良く門に向かって引きずられておりあっという間に門の中、虹色の空間へと連れ込まれる。未知の異世界が広がっているに違いない、エイスはそう思い咄嗟に目を瞑った。
次にやってきたのは臀部への軽い衝撃である。どうやら冷たい床の上に尻から落ちたらしく少し痛い。これはどういうことだと目を開けてみれば大きな窓が複数取り付けられた広間のような部屋に居た。
辺りを見渡したが、部屋の中にいるのはエイスと同じように尻餅をついているヴェノだけである。彼もまた置かれている状況がわからないのか、首を忙しなく動かして辺りの様子を探っていた。
いつの間にか触手の拘束は解かれており、エイスの体に巻きついていた触手もどこかに行ってしまっている。目の前には先ほどと同じ門があり、相変わらず向こう側には波打つ虹色が広がっていた。
その波が一際大きくなったと思ったら中からキャスティンが平然とした様子で現れる。彼はエイスとヴェノの姿を確認すると人の良さそうな笑みを浮かべた。
「ね? 別に怖いことなんて何もなかったでしょう?」
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ストラス・フェトゥンと名乗ったその騎士は見た目からして非常に若そうだった。身長は高く、ネアトリア騎士団の騎士の中でもかなり屈強な体つきをしていると思われる。だが顔立ちにはまだ幼さが残っており、いまだ一〇代だろうとヴァイスは思った。
今二人はヴェスティン=フスの傭兵組合の一室にいる。この部屋は傭兵同士あるいは依頼主と傭兵の打ち合わせのために使用される談話室で、普段ならばそれなりに人がいるのだがこの部屋にはストラスとヴァイスの二人以外には誰もいなかった。
ストラスが人払いをしているのか、それともヴェスティン=フスには傭兵を使って解決するような事件がないのかヴァイスにはわからない。治安維持の面から考えれば後者の方が良いのだが、傭兵であるヴァイスにとっては前者であることを願うばかりだ。
平和であればそれにこしたことはないのだろうが、ヴァイスの職業は傭兵でありそれなりに治安が悪い方が仕事も増える。矛盾してはいるがこれがヴァイスの本音だった。
ストラスは柄まで金属で出来た槍を抱えながらヴァイスをじっと見つめている。値踏みをしているらしいのだが、どう判断しているのか悩んでいるのか唇を硬く閉めていた。考え事をしていることを悟られまいとしているのだろうが、ありありと表情に浮かんでいる。
先ほどの自己紹介で聞いたとおり一八歳という若さが関係しているのだろう。その若さなら当然のように人生経験は少なく、それが意味するところは人付き合いが少ないということだ。結果として相手の表情から内心を察する、読心術とまではいかないがそれに類する技術もまだ未熟。よって彼はヴァイスがどのような人間であるか判断しかねているのだが、そんなストラスの様子を見て失礼ではあるがほほえましい気持ちになった。
何を考えているのか、ストラスはしかめ面をするばかりで一向に話し出そうとする気配がない。ヴァイスとしては依頼主の方から話を切り出して欲しかった。相手が一般人ならばともかく、今回の依頼主はネアトリアハイム騎士団である。しかも騎士団の中でも特別扱いされている全部で一三人しかいない国王直属部隊からだ。
見たところストラスという青年は生真面目そうなところがあるものの、瞳には澄んだ光が称えられており純真であることを窺わせている。彼が悪い人間で無いのというのは確実と言ってもいいのだが、いまだ若いとはいえ国王直属の騎士だ。
くわえて彼の姓はフェトゥンである。ネアトリア国内でフェトゥン姓といえば、建国に貢献したという三人の英雄のうちの一人ルシード・フェトゥンのことに他ならない。彼、ストラス・フェトゥンは名乗ることこそしなかったが、彼が英雄ルシードの子孫であることに間違いはないだろう。
彼が大事そうに抱えている全てが金属で作られている槍もおそらくはルシードが使っていたといわれるイリジアの槍かもしれなかった。そのような貴族でありながら貴族を超える身分の人間を目の前にしていると、僅かな粗相でも許されないという気持ちになってしまうのだ。
だからといってこのまま黙りこくられても困る、叱責されることは決してないだろうが相手からの評価を下げてしまうことを覚悟でヴァイスは自ら話を切り出すことにした。
「フェトゥン様、此度の仕事の内容というのはあのオラウス・ウォルミスの護衛で本当によろしいのですか?」
一瞬だけ、ほんの僅かな間のことではあったがストラスは驚いたようだった。しかしすぐ平静を装い「そうだ」と言いながら頷く。
「貴公に願うのは私とともにこの街、ヴェスティン=フスに滞在しているかつての英雄オラウス・ウォルミスを真実の教団の魔手から守ることだ」
「分かりました。ですがいくつかお尋ねしたいことがあります、それをお聴きしてもよろしいでしょうか?」
「答えられる範囲であるなら答えましょう、疑問や不安を残したままでは貴公も仕事がしにくいでしょうから」
「ありがとうございます」
実はヴァイスには二つの疑問があったのだ。一つ目はオラウス・ウォルミスその人についてである。彼はネアトリアハイム建国戦争の折に既に死んでいるはずだ。死者を蘇生させる魔術は研究されているという話を聞いたことはあるが、完成したという話は聞いたことがない。
何故、三〇〇年前に死んだはずの人間が今になって蘇ったのか、そしてそれは本当にオラウス・ウォルミスなのか。これが一点。
そして残るもう一点はエトルナイト騎士団が何故オラウスを狙うのか。オラウス・ウォルミスが蘇ったという話は噂として広く伝わってはいるが、ヴァイスの記憶が正しければネアトリアハイムが事実として公式に発表したことはない。つまり公的には未だオラウスは死んだことになっているのだ。
だというのに騎士団はオラウスの護衛を傭兵に依頼し、エトルナイト騎士団も傭兵に対しオラウスの暗殺を依頼していた。ただこの事実をストラスが知っているかどうか、ヴァイスに知る術はない。
オラウスは死んでいる、これが公の事実だ。つまり彼は何者にも縛られてはいない、それと同時に何かに関与することは出来ない。個人の範囲でならば何でもできるだろうが、それこそ国が動くようなことを行えるとは到底思えなかった。だというのに、ネアトリア騎士団もエトルナイト騎士団も死んでいるオラウスに注目し、片方は守ろうとし、片方は殺そうとしている。これが第二の疑問点となっている。
「それではお聞きしたいのですが、本当にオラウス・ウォルミスは蘇ったのでしょうか? 私は傭兵という職業柄、世の中でどのような魔術が開発されたのか耳を敏感にしているつもりです。ですが死んだ人間を蘇らせる魔術が発明されたということは聴いたことがないし、そのような魔術は不可能ではないかといわれているほどです。だというのにオラウス・ウォルミスは蘇ったという、それは何故でしょうか?」
この質問にストラスは困ったように後頭部を掻いた。答えるべきか答えざるべきか悩んでいるのは明白である。だがすぐに答えは出たらしい、書くのを止めて真っ直ぐヴァイスの瞳を見つめた。
「公表されていない事実ですが、オラウスは死んでいなかったとされています。剣王ヨアキム、賢人ワグニムス、空のルシード達が記した書に寄れば彼は現在のソウルム=ヴァド近辺にて行われた最後の戦いの折にとある神と契約したといいます。その神と契約したことにより彼は神の力を得ることに成功した、しかしその代償として彼は肉体を失うと同時にその神の眷属となることを強要されたということです。尚、ここで言う神とは女神マールクリスのことではありません。ネアトリアハイムはマールクリスを国教としている国ですのでこの事実はあまり公にすることは出来ないのですよ」
「あまりよくわからなかったのですが……つまり、オラウス・ウォルミスは蘇ったのではなく最初から死んでいなかったということですか?」
「そういうことになりますね」
ストラスは深く頷いた。そして彼はそのまま言葉を続ける。
「おそらくあなたはこうも思っているでしょう。何故、ネアトリアハイムもエトルナイト騎士団もオラウスに注目しているのかと」
「えぇ、仰るとおりです」
「俺も――いや、失礼。私もその点は気になっておりまして父に尋ねたことがあります。そうするとこんな回答が帰ってきたのです。オラウスは神の眷属となった、今の彼は人間ではなく我々の基準で彼の行動を推し量ることは不可能ではないかと。表ざたにはしていませんが、国内で既に幾つか彼が関わっていると思われる事件が起きています。しかし彼がなぜそのようなことをしているのか全く理解が出来ないのです。ただ彼は元々ヨアキム一世と共にネアトリアハイム建国に携わった騎士、だからネアトリアハイムに対して悪意ある行動は起さないだろうという楽観的な推測に基づいて私たちは彼を護衛しようとしているのです。おそらくエトルナイト騎士団も同じような理由でしょう、彼らもオラウスのことはよくわからないはずだ、彼の目的も、なにもかも」
「なるほど、わかりました。出すぎた質問にも関わらず答えていただきありがとうございます」
「これだけで良いのですか? あなたが他言しないというのならばまだ教えることもできますが」
ストラスの申し出は嬉しいものであったがヴァイスは丁重に断った。好奇心はうずいていたが、理性は知るべきではないと警笛を鳴らしていたのだ。国王直属の騎士が知っても問題ないというのだから、本当に問題はないのかもしれない。
だが、世の中には知らないほうが良いものも確かに存在する。この騎士はまだ若い、人生経験は当然乏しく自分の話していることの重要性を今ひとつ理解していない可能性すらあるのだ。彼の話すことが知っても良いことなのかどうなのか、ヴァイスには判別できなかった。ただ言えるのは、国が公表していないことに対してあまり踏み込むべきではないだろうということ。国が総出を上げて隠していることにあえて首を突っ込むような危険は冒したくなかった。
「質問は以上ですか?」
「はい、以上です……と、思いましたがまだありました。護衛と知らされてはいますが、どのような形で護衛するのでしょうか」
「当人と相談して決めることになります。オラウス・ウォルミスはここヴェスティン=フスの宿に滞在していることが確認されていますので、そこに向かい彼と接触を図るのが第一にすべきことですね」
「彼と事前に相談してはいないのですか?」
「していません。というよりも接触することがまず無理でした、使いの者がまず行ったのですが追い返されてしまいましたので。仕方なく押しかけることになったのですよ」
「では護衛などしても――」
「断られるのは目に見えています」
ヴァイスの言葉を遮りストラスは言った。
断られるのがわかっているにも関わらず何故護衛をする必要があるのだろうか、とヴァイスは少し疑問に思いはしたがそれを尋ねることはしない。
「私たちが行うことといえばオラウスの泊まっている宿の周辺を見回る、というよりも張り付くといった方が正しいでしょう。そして彼の泊まっている部屋で異常が起こっているようならば即座に突入する体制を整えておく、それだけです」
/3
ヴェスティン=フスはネアトリアハイム内に置いて首都に次ぐと言われているほどの大都市だ。よって夜ともなればかなりの賑わいを見せるのだろうとオラウスは宿の窓から街を見下ろしながら思っていた。
オラウスは三〇〇年前にもここ、ヴェスティン=フスを訪れたことがある。但しその時はネアトリアハイムという国はなく、この都市もヴェスティン=フスという名前ではなかった。当時、この都市はヴェスティン=プトゥスという名前であり今は亡きラリヴァールハイムという国の首都だったのだ。
その時、ラリヴァールハイムとエトルハイムは戦争を行っており首都といえど緊迫した空気が常に漂っており喧騒などとは程遠かった。それから三〇〇年が経った今、二つの国は無くなりネアトリアハイムという国になっている。
ヴェスティン=プトゥスは首都ではなくなり、ヴェスティン=フスという地方都市になってしまったものの元々が首都として機能していただけに都市の規模はネアトル=プトゥスに匹敵するだろう。もしかするとネアトル=プトゥス以上の歴史があるために、首都を超えているかもしれない。
一応、平和な時世ということもありオラウスはかつてネアトル=プトゥスであったこの都市の本当の姿が見られるかもしれないと期待していたのだ。だが三〇〇年が経過し、戦争が起きる気配がないにも関わらずこの都市は賑わっているとは言い難い。
賑わっているといえば賑わっているのだが、その賑わいは他の都市とは趣を異にしている。通常、大きな都市ともなれば様々な商店が並び昼間は一種の商店街が形成され夜ともなれば娼婦が溢れ出しその日の客を捜し求め、一夜の快楽を求める者たちが闊歩するのが普通だ。
だというのにこのヴェスティン=フスにはそれがないのである。首都であるネアトル=プトゥスでも典型的な賑わい方を見せていたというのに、このヴェスティン=フスは潔癖と言ってもよかった。だがネアトル=プトゥスと比べれば、ヴェスティン=フスははるかに騒がしい。
何故かといえば、多くの技術屋がここに住んでいるからだ。ネアトリアハイムの兵器開発所もこのヴェスティン=フスにあるらしい。噂に聞けば、軍が新たに採用した銃もこのヴェスティン=フスで開発され、量産されているとのことだ。近々首都に向けて輸送されるだろう、その時になればどのような形かはわからないが傭兵にも仕事が回ってくる、オラウスはそう考えてこのヴェスティン=フスに来たのである。
傭兵の仕事はどうしても治安の悪い場所の方が多くなる傾向にあり、ムール=フスのような雑多な文化が入り混じるような都市ならば常に何かしらの依頼があるのだが、このヴェスティン=フスはといえばそうではなかった。あるにはあるのだが、期限付きの商人護衛などが主な仕事でありオラウスの得意とするようなものは無かったのである。
「平和というのも考えものだねぇ」
窓枠に肘をつきながらオラウスは言った。既に日は暮れているというのに街のいたるところから金属の叩く音が聞こえる。まだ仕事をしている熱心な技術者達がいるらしい。
熱心なものだ、と感心しながらオラウスは顔だけを出して窓の下を覗き込んだ。そこには槍を持ち、簡素な鎧を着込んだ大柄な男が立っている。彼の存在に気付いたのはつい二時間ほど前のことであり、それから定期的にこうやって覗き込んでいるのだが彼が動く気配はなかった。
服も鎧もそこいらで売っているようなものを身に着けているが、さすがに立ち方までは隠せない。いっぺんの隙も見せず、彫刻のごとき不動さで立ち続けるその姿を見ていると彼がどこかの組織に属しており、ちゃんとした訓練を受けているのは明白だった。
彼の所属はどこだろうかと、思考を一瞬めぐらせただけで答えが出てくる。
ネアトリアハイム騎士団以外のどこがあるのだろうか。オラウスは真実の教団、真実の教団と繋がりがあるエトルナイト騎士団の双方から命を狙われている身であり、それらの組織から暗殺者が送り込まれたとしてもなんらおかしなところはなおい。
しかし窓の下で動かずに経ち続ける男はただ槍を持って立ち尽くしているだけであり、宿の中に入ろうとはしなかった。だが宿の中に神経だけは集中させているようだ。厨房では夕食の準備がされているところなのか、時折、食器のぶつかりあう音が聞こえる。その度に槍を持った男は僅かに身構えるのであった。
「やれやれ」
と、溜息を吐きながらオラウスは窓から離れ薄い布団の敷かれた寝台へと横になる。神と契約し、人あらざる身となっているオラウスではあるがそれは精神や魂といった非物質的な部分だけであり肉体は人間のそれであった。
何も人間の肉体を必要とする理由はどこにもないのであるが、魔術を行使する際に媒介として人間のからだがちょうどよいのである。そういった理由でオラウスはムール=フスの貧民から肉体を奪った。今のオラウスは人間の肉体を持ってはいるものの、その内には神に匹敵するものが巣くっている。人間などをはるかに超越した存在なのだ。
しかし体は人間である、動けば疲れるようになっている。精神や魂はどのような状況下であっても疲労することはなくなった、とはいえ人間の肉体はそうもいかない。動かせば疲労するのだ。本当なら睡眠や食事といった行為は必要のないオラウスではあるが、人間の肉体を万全の状態で保とうとするのならば休息といった行為が必要になる。
食事が運ばれてくるまで一眠りするかと目を瞑った。
視界を閉じると様々な音がより一層大きく聞こえるものだ。その中にオラウスは異質なものを感じ取った。目を開け神経を集中させて辺りの気配を探る。聞こえてくるのは厨房からの物音、街路を行き交う人々の足音と話し声、遠くから響いてくる金属を叩く音。聞こえてくる音はそれぐらいなのだが、どうも違和感が拭えない。
本能的に危険を感じ取り、寝台脇の壁に立てかけていた刀を腰に差しいつでも抜けるよう柄に手を掛けた。異質な気配は近づいてくる、但しそれに実体は無さそうだ。最初は音のようなものかと思ったが耳を澄ましても近づいてくる音はない。となると別物と言うことになる。
では何か、近づいてくるのは明らかに質量を持っているものだ。しかしその正体は掴めず、明らかにこちらへと近づいている。気配は扉の向こう、廊下に存在しているのだが足音は聞こえてこない。
気配は扉の向こうにあり、オラウスはそれが扉を開けて入ってくるものだとばかり思いいつでも抜刀し切りかかれるように腰を僅かに落とした。だが扉は開かず、気配だけが室内に入ってくる。
そこでようやくこれが魔術的なものであるとオラウスは判断し、窓際へと飛び下がった。部屋の中に入ってきた気配には姿がない。ただのそこにあるという実感のみが存在していた、これは魔術的なものであると判断したオラウスは躊躇うことなく二階の部屋から街路へと飛び出した。
オラウスの武器は打刀である。斬ってもよし突いてもよし、と使い勝手の良い武器ではあるがそれも開けた場所でのこと。宿屋の一室のような場所では振り切ることが出来ず使い勝手が悪い、戦闘になることが避けられないのであれば可能な限りこちらが有利になるような場所で戦うべきだ。
着地した場所はずっと立っていたままであった騎士らしき青年の目の前であり、彼を見ると僅かではあるが目を丸くしていた。だがオラウスの視線が向いたのは彼が手にしている槍である。
通常、槍は穂先だけが金属で作られており柄の部分は木で作られているものだ。しかし彼の持っている槍は違う。種類で言えばウイングドスピアの発展系であるコルセスカである、それだけでいえば珍しいものではない。
彼の持っている槍は柄の部分まで金属で出来ていたのだ。しかも通常の槍とは異なり装飾が施されている、だが華美なものではなく魅せるためのものではないことはすぐにわかった。この装飾は槍に魔術的な効果を与えるために施されているに違いない。そしてオラウスはこの槍に見覚えがあった。
「君はネアトリアの騎士だろう? その槍はイリジアの槍か? となると君はフェトゥン家の人間ということになる、ご助力願おう」
「ご、ご助力ですか!? オラウス様、一体何があったと――」
騎士が言い終わらないうちに先ほどオラウスが飛び出してきた窓から全身に黒い衣のようなもの纏った男が飛び出してきた。その両手には鋭い鉤爪が装着されており、鋭く研ぎ澄まされたその刃は月光の光を浴びて濡れたような輝きを見せている。
オラウスが立っている位置は彼の間合いの中にあった、慌てて後ろに跳び退る。男が着地し、体勢を立て直す前に刀を薙いだが鉤爪の男は転がってそれを避けた。それなりの場数を踏んでいるらしい。
だが体勢を立て直したわけではない、流れはこちらに傾いている。次で勝負を決めるとオラウスが踏み込もうとすると騎士が体ごとぶつかり、二人してその場に倒れこんでしまう。
「何をしている」
と、罵声を浴びせかけようとしたがオラウスはしなかった。即座に理由が分かったからである。襲撃者は鉤爪の男だけではなかった、おそらく窓から飛び降りてきたのだろう。さっきまでオラウスが立っていたところに黒い布とマントで顔を隠した男が立っていた。彼の手には長剣が握られており、推察するにオラウスを突き刺そうとしていたのだろう。
二人の襲撃者とオラウス、そして騎士が立ち上がりそれぞれの得物を構えなおすのはほぼ同時だった。対峙する襲撃者二人に隙らしきものはない、だがそれはオラウスにとって恐れることではない。神の眷属であるオラウスにとって恐れることは少ない、特に物理的なものなど痛くも痒くも無いのだ。
だが問題はこの二人がどのような魔術を使用するのかというところにある。気配こそあったが彼らは音も無く接近してきたのだ、しかもその気配も集中していなければ見落としてしまう微弱なもの。戦闘中であればまず気付かないだろう。おそらく、どちらかがその魔術を使うのだろうがどちらかわからない。
オラウスが見る限りでは鉤爪の男の可能性が高いと思われた。何故ならば鉤爪は間合いが短い、真っ向勝負には向いてない武器であり暗殺や閉所での戦闘に適している。ならば音も無く近づける魔術を使えたとしてもおかしくないし、合理的ですらあった。
「奴らは突然部屋の中に現れた。おそらく瞬間移動に類する魔術を使う可能性がある、気をつけろ」
肩を並べることになった騎士にそう告げると彼の顔は青ざめる。
「それはまずい……その魔術はあの二人のものでないと思います、それは真実の教団とエトルナイト騎士団の両方に属しているキャスティン・ハストという男の魔術」
「キャスティン・ハスト? 誰だそいつは?」
騎士が口を開けようとしたがどこからともなく笑い声が響き始めた。二人して辺りを見渡したがどこにも人影は無い、罠かとも思ったが襲撃者達にとってもこれは予想外のことであるらしく周囲を見渡している。
「どうもご紹介ありがとうございます」
声はすれども姿は見えない。一体どこに声の主はいるのだろうかと思っていると襲撃者との間に突如として門が現れた。門には邪神の眷属を象った意匠がなされており、その扉が開くと中から赤い衣を纏った片腕の男が現れる。
「初めましてオラウス・ウォルミス。私が先ほどそちらの騎士からご紹介に預かりましたキャスティン・ハスト、と申します。私もオラウスさん、あなたと同様人ではない。私としては仲良くしたいところなのですが、私は組織に属する身。自由な行動を許されない場合があるのですよ」
そう言って残念そうにキャスティンは首を振って見せたが、オラウスには演技のようにしか見えなかった。そして槍を持った騎士はといえばキャスティンに対して何か恨みでもあるのか、槍を握る手に力が篭っているようである。オラウスも気を引き締めて柄を握りなおし、切っ先を二人の襲撃者ではなくキャスティンに向けた。音も無く近づいてきた魔術は彼によるものだと断定したからである。
「ふふ、良いのですかオラウスさん? 私はあらゆる場所に門をつなぐことができる、距離というものは私には関係が無い。その気になれば他の世界、他の宇宙、他の次元とも繋ぐことが出来ます。脅威としか言いようが無い魔術であることは自分でも承知しているのですが、私にばかり気を取られていて良いのでしょうかね?」
言いながらキャスティンは門を消して、襲撃者の一人である鉤爪の男を指差した。彼は地面の影の中に腕を突っ込んでいる。魔術を行使しようとしているのはわかるが、果たして何を。
と、色々な推測をしているとオラウスの影の中から鉤爪の付いた腕が飛び出してきた。鉤爪の男の魔術がどのようなものであるか正体を知ることは出来たが時は既に遅い。鉤爪はオラウスの首を貫いた。
鉤爪の男が影の中から腕を引き抜くと、オラウスの首に突き刺さった鉤爪も影の中へと消える。そして首から大量の鮮血が滝のように溢れ出始めた。声を出そうとしたが喉も傷つけられたらしく声が出ない。
意識を失うことは無かったが血が流れ出るたびに肉体から力を失われていくのを感じる。即座に手で印を結んで治癒の術を首の傷にかけて傷を治したが、失われた血液を戻すことは出来ない。
オラウスにとって肉体は本来必要ないものであるため、どれだけ傷つこうが治してしまえば問題はなかった。だが肉体を動かすには血液が必要であり、今それを大量に失ってしまったのだ。意識は正常であるが体が言うことを聞かない、酷く重たかった。
「ほら、私にばかり気を取られているからそうなるのですよオラウスさん」
キャスティンの笑い声が頭に響く。今すぐにでも切りかかりたかったが体が動かない。
「きさまぁ!」
叫びながら騎士は槍を構えてキャスティンへと突貫した。だがその槍がキャスティンに届くことはない。キャスティンを守るために剣を持った男が盾となり、その剣で見事に騎士の槍を絡み取り動きを封じたのだ。騎士は舌打ちを一つして色々と試しているようだが、相手の剣伎のほうが一枚上手らしく身動きを封じられていた。
オラウスも血液を失ってしまったことにより意識ははっきりとしているのだが、体は僅かに揺れている。構えている刀が重く感じられた。そんなオラウスに向かってキャスティンと鉤爪の男が近づいてくる。
姿勢を立て直そうとするにも失った血液はあまりにも多すぎた。視界の中でキャスティンが笑っており、闇を纏った鍵爪の男が近づいてくる。彼の爪にはオラウスの血液がいまだついており、それが静かに地面へと滴り落ちていた。
オラウスに死の概念が無いとはいえ、それは精神や魂といった非物質的な部分だけであり肉体はそうもいかない。まだ致死量に達していないからいいものの、これ以上の出血があれば肉体が死を迎えてしまう。新たな肉体を手に入れるのにはどうしても時間がかかる、なんとかしてこの肉体の窮地を脱しなければならない。
どうするべきか。爪の男は決して容赦などしないはず、やむを得ずオラウスは刀を地面へと突き立てた。決して諦めたわけではない、術を使用するための印形を結ぶために両手を使う必要があったのだ。
「諦めたか?」
爪の男が静かに問うてくる。オラウスは口元だけを歪めて笑みを見せてやった。彼の顔は闇に覆い隠され表情を見ることはもちろん出来なかったが、いぶかしむような気配がある。
両手を胸の前に掲げ指を組み合わせ、印形を形作りながら呪文を唱えた。指で作った印形の前に魔法陣が浮かび上がる。それを見た爪の男は危機を感じたのか即座に飛びかかってきた。
オラウスの呪文はまだ唱え終わらない、万事休すかと思いきや目の前に影が飛び込み金属同士のぶつかる音が聞こえる。影が人であり、それも鎧を着込んでいると理解したのは一瞬立ってからのことであった。
「間に合ったかヴァイス!」
騎士にヴァイスと呼ばれた男は手にした二本の剣を操り爪の男を弾き飛ばし、追撃を掛けたが爪の男はひらりと身をかわすとキャスティンの隣へと立つ。それを見た剣の襲撃者も仕切りなおしをするためか騎士との攻防をやめ、後ろへと下がり爪の男と同じようにキャスティンの隣へと立った。
「ストラス様、彼らが襲撃者ですね?」
ヴァイスは騎士に向かって呼びかける。ストラスと呼ばれた騎士は「あぁ」と言いながら頷いた。
「片腕の男がキャスティン・ハストという我々が狙っている魔術士だ。残念ながらその両隣にいる二人の傭兵についてはわからん。オラウス様が手傷を負われてしまった以上、なんとしてでもここでやつらを倒す必要がある」
ストラスが言い切り前に一歩踏み出した。だが未だ状況が固まりきっていな今、下手に踏み込むのは下策だとオラウスは判断し、突き立てていた刀を抜いてストラスの後ろに立ち彼の肩を叩き耳元でそっと呟く。
「爪の男とキャスティンとかいうやつの能力は分かったが、まだ剣のやつの魔術が分からない。下手に突撃をかけるべきではない」
ストラスはオラウスの言葉に反するように笑みを浮かべて槍を構えた。その穂先は僅かではあるが発光しているようである。
「大丈夫ですよオラウス様、この槍は旧き神の創りしイリジアの槍。邪なるものに負けはしません!」
叫ぶように言ってストラスは翔けた。キャスティンが不敵な笑みを浮かべるとストラスの真正面に門が現れる、既に扉は開かれており波打つ虹色が広がっている。このままではストラスは門の中に自ら飛び込んでしまうことになるはずだった。
その場の誰もがそう思っていたに違いない。だがストラスが門の中に飛び込むことはなかった。彼が持っていた槍で門を一突きすると、不思議なことに一瞬で門は跡形もなく消えてしまったのだ。
このことに驚愕を覚えたのかキャスティンを除いた二人の襲撃者は僅かに後ろへ下がる。キャスティンも後退こそしなかったが驚きは隠せない。目を丸く見開き口を半開きにして動きが止まっていた。
戦場で動きを止めることは即座に死へと直結する。行動を起せなかったキャスティンはストラスの槍に腹部を深々と突かれそのまま宙へと持ち上げられるとともに振り回され、街路へと投げつけられた。
勝負は決しただろうとオラウスは判断したが、ストラスは構えを解くことなく倒れてぴくりとも動かないキャスティンに穂先を向けている。ヴァイスの方はといえば勝負は決したと判断したらしい。両手に持っていた長剣を鞘に収めた。
小さな舌打ちが聞こえ、音のしたほうに目をやると剣を持った襲撃者は逃げ出し始める。おそらく彼は傭兵だったのだろう、依頼主が死亡してしまった以上はここにいる理由はない。正しい判断だ。それに倣い爪の男も剣の男の後を追うようにして逃げ出した。
これで全ては終わり。オラウスを狙ったキャスティンは死亡し、彼が雇った二人の傭兵も逃げ出したのだ。溜息を一つ吐いて刀を鞘に収めた。死体の片付けは騎士がやってくれると期待して宿への扉へと向かう。
「まだです、まだ終わってはいません」
ストラスの言葉にオラウスは立ち止まり「どういうことだ?」と尋ねた。ヴァイスもオラウスと同じく全てが終わったと思っているらしく、怪訝そうにストラスを見ている。この中でストラスだけが未だ武器を構え続けていた。
「何を言っている? もうあれは死んだだろう? 君が持っているのはイリジアの槍、神の眷属であったとしても位によっては致命傷を与えることすら――」
オラウスが言葉を続けているときだった、キャスティンがゆっくりと起き上がる。その腹部にはストラスに付けられた傷があり、そこから黒い液体が漏れ出していた。いや、果たしてそれは液体と言っていいのだろうか。
キャスティンの腹部から垂れ流されている液体は粘着質で、液体というよりも流動性のある固体という印象が強い。どう見ても血液ではなかった。再びタイスンは鞘から刀を抜き放ち、ヴァイスも剣を抜き放つ。
「よくもやってくれましたねストラス・フェトゥン。エルザ・ウォルミスといいあなたといい、御三家の人間と私の相性はつくづく良くないようだ」
喋りながらもキャスティンは徐々に後ろへと下がっていく、そしてその分だけストラスは距離を詰める。結果として二人の間の距離は変わることが無かった。キャスティンは満身創痍であり、対するストラスはまったくの無傷。どちらが優位かといえば、間違いなくストラスの方である。彼にはオラウスとヴァイスという二人の味方もいるのだ。
だというのに何を躊躇っているのか彼は踏み出そうとしない。そのことを怪しんだオラウスは刀を中段に構えながらキャスティンの動向を探る。ヴァイスもそれは同じらしい、油断の無い構えをしながら鋭い視線をキャスティンへと送っていた。
「あなた方は何を恐れているのですか? 私は手負いですよ? やるならば今しかないかもしれませんよ?」
狂気すら感じさせる笑顔を浮かべながらキャスティンは背筋を伸ばし、一本しかない腕を広げた。腹部の傷からどす黒い粘着質の体液が地面へと落ちる。街路に落ちた彼の体液は柔らかい粘土のようにも見えた。
すり足で距離を詰め、オラウスはストラスの横に並ぶ。そこで初めて彼が震えていることに気付いた。恐怖を押さえ込むように歯を食いしばってはいるが、槍の穂先は僅かに揺れている。
これはまずい、ストラスの持つ槍は異形のモノに対して絶大なる効果を発揮する特殊な武具だ。ただそれも使い手あってのこと、使い手がどうしようもならないのではどれだけ強力な武器であったとしてもただの道具でしかない。
あの流れ出る体液はキャスティンが人外であることを示していた。それも人間では太刀打ちできないほどのものであると。この場で彼を倒せるのはイリジアの槍を持つストラス、そして神の眷属であるオラウスのみであろう。ヴァイスという男はどのような力を持っているのか分からないが、見たところただの人間である。キャスティンと戦うことは出来ても止めを差すことは出来ないと思われた。
意を決したオラウスは足にバネをためて、跳んだ。刀は上段に構え魔力を込める、力を流し込まれた刀身は淡い緑色に輝き始める。
「なりませんオラウス様!」
背後からストラスの静止する声が聞こえた。しかし時既に遅し、オラウスの両足は地面を離れてしまっておりキャスティン目掛けて跳んでいたのだ。
そして着地と同時に踏み込む。己の消滅が目前に迫っているというのにキャスティンは腕を広げ、声こそ出していなかったが笑っていた。
刀を振り下ろそうとすると、足場の感触が突如として消える。まさか、と思い上を見上げればオラウスを見下ろしながら不敵に笑うキャスティンの姿があった。そう、オラウスはキャスティンの門の中に飲み込まれたのだ。
罵声を浴びせる暇も無く、オラウスは永遠に広がる虹色の中に閉じ込められた。
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