No.72335

ネアトリア王国記四話「英雄の姿」

倉佳宗さん

サイトにて展開している「読者参加型シェアードワールド小説」の四話目です。
作中内に自分の考えたキャラクタを出してみたい人はぜひ一度サイトへお越しください。
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2009-05-07 02:56:04 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:550   閲覧ユーザー数:527

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 雑多とした街並み、入り乱れる人種、大通りには人が溢れかえっており流れに乗り損ねたら最後どこまで押し流されるかわからない。それがムール=フスという街だった。異国とも近いとあり、この街はずいぶんと賑わっている。ソウルム=ヴァドなどとはえらい違いだなと思いながら、リディルは人の流れに乗るようにして街の中心部へと急いだ。

 この街の中心にはホーソーン公爵のムール城があり、リディルが目指しているネアトリア傭兵組合はそのすぐ側にある。普通、ネアトリアハイム騎士団からの依頼だったとしても待ち合わせ場所に傭兵組合が選ばれることは少ない。大抵は旅籠だったり、少なくとも大勢の人間が集まるような場所が選ばれることはめったにないだろう。

 場合によっては依頼主自体が現れない場合もある。以前に受けた聖剣探索の時がそうだった。あの時はどういった理由かは知らないが同じ依頼を受けた傭兵とともにソウルム=ヴァドの森に踏み入ったのだ。結果はというと聖剣を手に入れることができなかったため報酬を手に入れ損ねた。

 今回受けた依頼も難易度で言えば高い部類に入るだろうが、どうしてもリディルはこの依頼を受けてなんとしても成功させたかったのだ。ソウルム=ヴァドの森の中で、聖剣ではなかったが、真に奇怪な現象に出会い既に死んでいるはずの人間が現れるのをこの目で見ている。

 ソウルム=ヴァドの森で出会った人間の名はオラウス・ウォルミス。三〇〇年前のネアトリアハイム建国の立役者であり、黒のオラウスと呼ばれている英雄だ。その彼が強風と共に目の前に現れたときリディルは愕然とするしかなかった。

 そしてなし崩し的に戦うことになり、オラウスにかすり傷すら負わせることなく、手加減までされて負けたのだ。だがそれはどうでも良い、死んだはずの英雄オラウスが何故今この世に蘇ったのか、リディルは知りたかった。

 だからこそ今回の依頼、オラウス・ウォルミスの探索を受けたのだ。彼は今このムール=フスのどこかにいるという。もう既に離れている可能性もあったが、依頼を受けたとき傭兵組合の人間はその可能性を否定していた。

 リディルはその依頼がどのようなものか見ることすら出来なかったが、オラウスはこのムール=フスで何かを行おうとしているようで彼も依頼を出しているという。この街にいることだけは確実なのだ。

 しかし……リディルはこのムール=フスの人の多さに辟易し始めていた。布に来るんで人目に付かないようにしているとはいってもリディルの持っているハルバードが人避けになってくれるだろうと思っていたのだが、それは完全に間違いだったらしい。ムール=フスの人々にとってそんな連中が通りを歩いているのは日常茶飯事なのだろう、恐れて道を明けるようなことはまったくしなかった。

 リディルにとって幸いだったのは大通りを歩いているにもかかわらず、城へと近づくにつれて人通りが少なく歩きやすくなったことだ。城の側まで来ると武器や防具を扱う店が増え、少なくとも良い意味で一般人が来るような店は減ってきている。その影響だろう。人通りがなくなった頃、リディルは先ほどまでの人だかりはなんだったのだろうかと、疑問に思うほどになっていた。

 そうなるともう傭兵組合まではすぐのはず、もう何も心配することはないのだが、何故か先ほどから銃声が聞こえてくる。どうも遠くからのようだが何が行われているのだろうか、方角からいえばリディルが目指している傭兵組合の方から聞こえてくるのだ。

 戦闘でも起こっているのだろうかと即座に考えたのだが、周りを歩いている人々の様子を見ればそうでないことがわかる。誰もが普通に日常を謳歌していた。槍を持って警邏に当たっている兵士や、制服を着ている騎士たちもが何も起こっていないかのように歩いている。

 となれば何かの儀式あるいは式典でも行われているのだろうか。聞こえてくるのは傭兵組合のある方角からであり、近づけば自ずからその正体が明らかになるだろう。

 傭兵組合が見えてきた。銃声も大きくなっている、どうやら傭兵組合の中から聞こえているようだ。やはり戦闘が起こっている、というわけではないらしく周囲を歩く人々は平静そのもの。ただ、傭兵組合から出てきた同業者達は何故か辟易とした表情をしている。それも中に入ってみれば全ての答えが分かるはずだ。

 木製の扉を開けてまずリディルが目にしたのは、大きなテーブルを占有して銃をいじくっている男だった。髪の毛は寝癖でもついているのか変な跳ね方をしており眼鏡をかけている。全体的に体は細く、女々しい印象を周囲に与えているが着ている服は紛れも無くネアトリアハイム騎士団の物。しかも、その制服に付けられている肩章は彼が国王直属の騎士であることを示していた。

 彼が同行者である騎士なのだろうか、広い待合室を見渡してみたが彼以外にネアトリアハイム騎士団の制服を着ている人間はいない。熱心に銃をいじくりまわしている男に近づき声を掛けた。だが返ってきた返事は「邪魔しないで下さい、今大事なところなんですから」というもの。

 そして騎士は天井に銃を向ける。そこでリディルは気付いたのだが、この銃には火縄が無い。どういった原理で火を付けるのだろうかと思っていると騎士は引き金を引いた、すると火皿から火花が散ってその直後に銃声が轟く。天井を眺めてみたが弾は込められていなかったらしくどこにも傷は付いていなかった。

 先ほどからしていた銃声は全て彼によるものなのだろう。傭兵組合の壁や床、そして天井のどこにも弾痕が無いことから察するにこの騎士は空砲で撃ち続けていたらしい。

「大体、発砲率は九割といったところですか……戦いで使うには少々不安が残るところですが、火縄が必要せずにしてこれだけの発砲率を誇っているのならば及第点でしょう。さすが私が原案を出し、ヴェスティン=フスの技術者達が作ったことはありますねぇ」

 そう言って騎士は嬉しそうに銃身の掃除を始める。その様子は新しい玩具を与えられた子供さながらであり、どうやって声を掛けていいものかリディルにはわからなかった。かといって彼に気付いてもらう必要がある。しかし普通に声を掛けただけでは先ほどと同じようにあしらわれてしまう可能性が高い。

 では、どうしたものか。一番確実なのは彼の肩を叩くことなのだが、一介の傭兵が騎士、それも国王直属の騎士に対してそのような行為に及んでいいのかは迷うところだ。しかしそれ以外に方法は無く、この騎士ならばそのぐらいの無礼を働いたところで即座に斬り捨てようとはしなさそうだし、まず怒る姿が想像できない。

 緊張しながらそっと彼の肩に手を乗せると、ようやく騎士はリディルの存在に気付いた。

「はい、私になんの御用でしょう?」

 口を半開きにさせて状況が飲み込めないといった表情だ。そんな表情をしたいのはこちらの方だとリディルは苦々しく思う。

「私はリディル・ロムフェローと申しまして、ネアトリアハイム騎士団からの依頼を受けたものです。この傭兵組合で落ち合うように言われて来たのですが、あなたがその騎士様でしょうか?」

「あぁ! あなたが依頼を受けてくださった傭兵の方でしたか、気付かずに申し訳ありませんでした」

 騎士は慌てて立ち上がり頭を下げる。これにはどう対応していいか分からない。国王直属の騎士ともなれば各騎士団の分隊長と同じだけの権限を持っている、言ってみれば最上級の騎士なのだ。それがただの傭兵風情に頭を下げるなどと誰が想像できようか。

「いやぁ、申し訳ありません。あ、私クラウディオ・フェーエンベルガーと申しまして、肩章を見ていただければお分かりかと思いますが国王陛下直属の騎士です。今回はよろしくお願いしますねリディルさん」

「こ、こちらこそよろしくお願いしますフェーエンベルガー様」

 クラウディオのあまりの柔和な態度にリディルは思わず舌を噛みそうになってしまった。今まで騎士を何人か見てきたが、ここまで姿勢の低い騎士を見たことが無い。しかも彼、クラウディオ・フェーエンベルガーは国王直属の騎士なのである。

 と、ここでリディルはフェーエンベルガーの名に聞き覚えがあることに気付いた。だが咄嗟には出てこない。国王直属の騎士なのだから名が知れていて、それで聞き覚えがあるのかもしれなかったがどこか別の場所で聞いたような気がするのだがどうも思い出せなかった。

「ん? どうなさいましたかリディルさん?」

「あ、いえ。なんでもないのです。ただフェーエンベルガー様の名をどこかでお聞きした気がしたもので、しかしそれがどこか思い出せず……大変申し訳ありません」

「あぁ、お気になさらず。何せ四人の中だと一番目立ってない人ですからね、名は知られていても姓はあまり知られてない人ですから」

 リディルの言葉にフェーエンベルガーは気にした風もなく、ただニコニコと笑っている。しかし、彼のいう四人という意味が分からない。

「あ? もしかしてこの国の方ではないのでしょうかね? あまり言いたくは無いんですけど、ネアトリアハイム建国に携わった四人の英傑の内の一人、ワグニムス・フェーエンベルガーの子孫なんですよ」

 この言葉を聞いた瞬間にリディルは自身の顔から血の気が引いていくのが分かった。ワグニムスといえば賢人と呼ばれ、ネアトリアハイム建国の際に武力ではなくその知力をもってして貢献した人物ではないか。

 加えていうならば彼の功績は建国時だけでなく、むしろ建国されてからの方が大きい。なぜならば政情が安定してからは彼の科学者である面が存分に発揮されたことにより、科学・魔術共に大幅な進歩を遂げたという。

 その子孫が目の前に立っており、しかもその人物に対して無礼を働いたとしまったとあればどのような目に合わされてもおかしくはない。今フェーエンベルガーは笑っているが腹の底では何を考えているのかわからなかった。そのことがリディルにとっては恐ろしい。

「何顔を青ざめさせてるんです? もしかして無礼を働いた、とかそんな風に考えてるんだったら気にしなくても良いですよ。私は国王直属の騎士ですけど、ワグニムスの子孫だからという理由で直属になってるだけであって本当は騎士なんてやりたかないんです」

「で、ですが……」

「本人が良いと言ってるんですから良いじゃないですか。あんまりビクビクしてたらそれこそ国王直属の騎士としてあなたに命令しますよ、普通にしろ、って」

 そう言ってフェーエンベルガーは笑い、テーブルの上に置いていた銃を担いだ。

「さて、それじゃ出発しましょうか。あぁ後、私のことは名でも姓でも好きなほうでお呼びください。騎士ですけど騎士じゃないですから私、まぁ名前だけの騎士ですし実際は科学者ですから」

「そう言っていただければ幸いです」

 リディルが頭を下げるとフェーエンベルガーは軽く頷いたようであった。

「では行きましょうかリディルさん。オラウス・ウォルミスの居場所は見当が付いているんですよ」

「そうなのですか?」

「えぇ、<鋼の剣亭>という宿です。少し前からそこに滞在していたようで、幾つか目撃証言も得ています。でなければネアトル=プトゥスからここまで来てませんよ」

 そう言ってフェーエンベルガーは銃を担いだまま傭兵組合の扉を開けて外に出て行った。さっさと終わらせたいのか彼の行動は早く、そして足も早い。外に出て<鋼の剣亭>を目指して歩くときも、彼は人の流れを見事に見極めて悠々と進んでいく。銃を担いでいるのも多少なりとて効果を上げているのだが、決してそれだけではないはずだ。

 おかげで、リディルとしては追いつくのに必死で何度も人とぶつかり謝らなければならなかった。ムール=フスの住人にとって武器を持った人間が歩いているのは普通のことなようで、ぶつかったら思い切り睨み付けてくる。他の街とは大違いだ。だが裏を返せばこの街の治安がそれほど良くは無いということにもなる。

 <鋼の剣亭>の前に付いた時、リディルは予想以上に体力を消耗してしまっており肩で呼吸せねばならなかったがフェーエンベルガーは鼻歌を歌いながら肩に担いでいた銃を降ろした。

 何をするのだろうと思っていると、彼は腰に下げていた巾着袋から火薬と、そして鉛玉を取り出して銃に詰め込み始める。

「何をしているのですか?」

 リディルが尋ねると「念には念をですよ」と笑いながら返事が返ってきた。彼がどのような事態を想定しているのかは計りかねるが、いわゆる最悪の状況も想定しているのが今の行為で分かる。

「オラウス・ウォルミスが本物であるという確証はありませんしね、出来ることならば偽者であってほしいものです。そうすれば私たち英傑の子孫はまた以前と同じように安らかな眠りに付くことが出来ますから」

「どういう意味ですか?」

 この質問にフェーエンベルガーは返答しなかった。今までにこやかだった表情を急に険しいものに変えて、弾丸を込めた銃を担ぎなおし気合を入れるためか短く息を吐く。

 彼は騎士ではなく科学者だ、そう自称していたがリディルから見れば彼もまぎれも無く騎士だ。全身が痺れてしまうような威圧感をフェーエンベルガーは発し始めていた、どうやら国王直属というのは肩書きだけではなく実際にそれだけの実力も持っているらしい。

「では行きますよリディルさん」

「はい」

 リディルが短く答えるとフェーエンベルガーは荒々しく<鋼の剣亭>の扉を開けると同時に「我が名はクラウディオ・フェーエンベルガー! ここにオラウス・ウォルミスを名乗るものがいると聞いた! いるのならば即座に現れよ!」とよく響く声で言った。おそらく建物全体に彼の声が響いたことだろう。

 すぐに廊下から慌しい音が近づいてきて頭の禿げかけた少し太めの前掛けをした男が現れた。血相は青ざめている額には冷や汗が浮かんでいる、その風体からしてこの宿の主人だろう。

 リディルはフェーエンベルガーが彼にオラウスを呼ばせるものだとばかり思っていたが、あろうことか彼は銃を宿の主人に対して向けたのだ。

「フェーエンベルガー様!?」

 リディルの言葉をフェーエンベルガーは聞こえていないかのように無視し、銃口を主人へと突きつけている。主人はといえば突然現れた騎士、そして突きつけられた銃口のせいで今にも腰を抜かしそうになっていた。

「ここにオラウス・ウォルミスを名乗る男が泊まっているはずだ、即座に呼び出せ。呼ばなければ――」

 フェーエンベルガーの指が引き金に掛かった。彼が僅かに力を込めれば、宿の主人に風穴が開くことになる。

「そ、それが……オラウスと名乗る男はつい先ほど引き払ってしまって」

 先ほどよりも多量の汗を流し、膝を付いて宿の主人は言った。彼の言葉に嘘はなさそうだが、フェーエンベルガーは信用していないのか、それとも念を入れているだけなのか。一歩前に進み銃口を宿の主人の額に当てた。「ヒッ!」という小さな叫びが漏れる。

「それは本当だろうな? 私は国王陛下直属の騎士だ、貴様が嘘を付いているのならば即座に処分する権限ももちろん与えられている。正直に答えられよ」

「ほ、本当でございます騎士様! 私めは嘘などを決してついておりません、女神に誓ってそのようなことは……オラウスと名乗っていた男は今朝方本当に宿を引き払っていったのです、傭兵らしき男と一緒に」

「傭兵と一緒に? どこに行ったかは分かるか?」

 フェーエンベルガーは銃に力を込めて主人の額を押した。宿の主人は恐怖のあまり口を半開きにさせて歯を鳴らしている。可哀想だとは思ったが、リディルに騎士であるフェーエンベルガーを止めることは出来なかった。

「わ、わかりません……ただ、あの男は以前も傭兵二人と共に出かけて深夜に一人で血のようなものに塗れて帰ってきたことがあるのです。そ、それ以外は私は何も知りません」

 しばらく無言の時が流れた。フェーエンベルガーは主人の言葉が本当かどうか図りかねているようだが、真実と受け取ったらしく銃口を額から放して銃を担ぎなおす。

「わかった。どうやら嘘は付いていないようだな、突然の非礼を詫びよう。金で何とかなると思ってはいないが、誠意の証として受け取ってくれると嬉しい」

 そう言ってフェーエンベルガーは一〇〇セール金貨を三枚、主人向かって放り投げた後そうそうに背を向けて<鋼の剣亭>を出た。もちろんリディルもそれに続く。

 リディルが扉を閉めるとフェーエンベルガーは大きく溜息を吐き「あぁ、緊張したぁ」と胸に手を当てながら言った。先ほどまでの威圧感はどこかに行ってしまい、彼はもう人の良さそうなさっきまでの表情に戻っている。

「いやぁ、困りましたねぇ……私はオラウス・ウォルミスがここにいると思って来たのですが……どう思いますかリディルさん?」

 いきなり話を振られてもリディルは返す言葉が無い。「わからない」と答えそうになったが、リディルはある話を思い出した。

「もしかすると、貧民街かもしれませんよ」

「貧民街ですか。ありえない話ではないと思いますが、根拠はあるのですか?」

「先日、大規模な争いがあったとありますから関係している可能性もあるかと」

「それですか、それなら私らには関係ないですよ。そもそも貧民街にはオラウスが狙うような目標はありません。彼が本当に蘇っているのならば、真実の教団か本物の魔剣のどちらかでしょう。彼にとって貧民街にあるようなものはどーでもいいはずです、邪教があるといってもそれは人の想像が作った産物ですから力を持ったとしても人間で対処できます。英雄がわざわざ出てくる幕はありません。英雄が出てくるとしたのなら……あなた、ディルケイオスって知ってます?」

「いえ、知りません」

「まぁ、知らない方が良いですからねぇ。天使のるつぼなんかよりアッチの方がよっぽど危険だ、何せ人が作ったんじゃなくて神様が作ってるんですからねぇ」

 リディルの方を振り向くことなくフェーエンベルガーは言った。しかし、彼の「神様が作ってる」とはどういうことだろうか。彼らネアトリアの騎士達が使っている剣は全てマールクリスの加護を受けた聖剣だったはずでは。

 その旨をフェーエンベルガーに伝えると彼は大笑いした。

「マールクリスなんてのは存在しませんよ、私達の剣が加護を受けているとはいっても魔術師が魔力を込めているから丈夫なだけであってただそれだけです。加護なんてのはなんにもありませんよ、既に私の祖先であるワグニムスが証明していますよ。まぁただ、士気に関わるだろうということで公表はされていませんがね。まぁその、ディルケイオスっていうのは本物の神様。私たちネアトリアに味方をしてくださったイロウ=キーグ、いえハストゥールはこう呼んでいましたよ。混沌の作りし剣だと、千の貌を持つ者が作った剣。建国戦争の時に封印されたはずなんですが、封印はいずれ解けるもの……形あるものいずれは壊れる。この世の覆せぬ摂理とはいえ虚しいですねぇ。そうは思いませんか?」

 リディルはなんと返して良いのか分からなかった。フェーエンベルガーの話が途中からわからなくなっていたのだ。ディルケイオスについては分かる、しかし本物の神とは何なのだろうか。ハストゥールとは、千の貌を持つ者とは一体なんなのだろうか。

 少なくとも、ネアトリアハイム建国戦争のとき決して歴史の表に出してはならないような出来事があることは確かだろう。そしてこの国には深い深い暗部があることも確かだ。ただフェーエンベルガーの口ぶりからして、バレたからといってどうということは無いらしい。

 でなければフェーエンベルガーがそれらの単語を出すことは決して無いだろう。

「それじゃあ行きますかリディルさん。ここにいないとなったら、残るは一つです」

「場所が分かっているのですか?」

「えぇ、宿を引き払って彼が行くとしたのなら……この街にある真実の教団の支部でしょう。そこ以外に有り得ませんから。ここからだと……着く頃には夕方ごろになってしまうでしょうが、まぁ構いませんか」

 そう言ってフェーエンベルガーは歩き出し。リディルもそれに続いた。

/2

 

 オラウス・ウォルミスと名乗る人物に対してノインツェーンが最初に抱いた印象はといえば奇怪、この一言につきた。上下ともに黒で統一された服装、髪の色も黒だ。だが羽織っているマントは毒々しさまでをも感じさせるほどの黄色、それが全体の調和を崩している。

 服装だけでもどこか不可思議なものを感じさせるのに、オラウスのさらに奇怪なる点は瞳にあった。果たして本当に人間なのだろうかと思わせる金色の瞳、そこには神々しさと禍々しさの両方が湛えられており名状しがたいものを感じさせる。

「まぁ座れよ」

 オラウスの言葉に従いノインツェーンは<鋼の剣亭>の食堂内にある椅子に座った。向かい側に座るオラウスは酒器に入った葡萄酒をちびちびとやりながら、片目を瞑りもう片方の目でノインツェーンを値踏みしているようだ。

 どのような依頼なのかを切り出したかったが、彼の全身から発せられている一種の威圧感がノインツェーンにそれを許さない。酒気内の葡萄酒を全て飲み干したオラウスはようやく両目を開いて酒器をテーブルの上に置く、その時になって彼から放出されていた威圧感は消えた。

「これが危険な依頼、ということは分かってきたのかな? ノインツェーン・グラウヘンネ」

 ノインツェーンは問いに頷いて答える。

「よし危険だということは分かっているんだな。では最初に聞いておきたい、君は人を殺せるか? 殺す覚悟はあるか?」

「自分は傭兵です、殺す覚悟はあります。それだけでなく、殺される覚悟もしているつもりです」

 即答するとオラウスは嬉しそうに首を縦に振る。

「なら、問題はないな。君に頼みたい依頼というのはだね、いわゆる人探しだ」

「人探しですか? 誰を探すんです?」

「そう人探し。だが特定の誰かというわけじゃない、俺が探して欲しいのは潜在的な魔力が優れている人間だ。だから誰でもいい」

「当人の意思は?」

「もちろん無視だ」

「それは誘拐……いえ、拉致じゃないですか!?」

「そうだ。だがそんな目先の些細なことにこだわっていては大事はなせんさ、平民が一人いなくなったところでこの国の何が変わるというんだ? 何も変わりはしない」

「ですがそれは――」

 ノインツェーンが反論しようとするとオラウスは手を差し出して静止させた。どうあっても口ごたえはさせないつもりらしい。

「例えばだ、一人の重傷者と多数の軽傷者がいる。君ならどうする? 一人の重傷者を助ければ軽傷の者たちの怪我は悪化し、助からなくなるかもしれない。一人の重傷者を見捨てれば、多くは確実に助けられる。さぁどうする?」

「それがあなたの置かれている状況ということですか?」

「質問に質問で返さないで欲しいなノインツェーン。依頼を断りたいのならば断っても良いんだぞ? 非人道的なのは重々承知だ、だから降りても良いと最初から言ってる。それでもやってくれる人間だけを俺は探してるんだ」

 しばらく答えに悩んだが、最終的にノインは「やります」と答えていた。オラウスは険しい顔つきのまま「わかった」と短く答え、懐から宝石を取り出す。

「なんですこれは?」

「魔力探知機みたいなものかな、魔術は使えないけれど潜在的な魔力を高く持っている人間が側にいれば側にいるほど強く光を発する。これで潜在的な魔力が高い人間をまず探して欲しい」

「その後は?」

「貧民街の方向にだな地面に扉が付けられているところがある。そこに連れて来て欲しい、俺も潜在的魔力の高い人間を探すからそこで合流しよう」

「場所が曖昧すぎてよくわからないんですが」

「あぁ……娼館通りわかるか? あれを真っ直ぐ行ったところだ、扉は見づらくなってるから見落とすかもしれんが……多分、俺が先に着いてるだろうからそこだけは安心してくれ。でだ、時間制限があって日が暮れるまでには来ていて欲しい。それと人を連れてくるときの方法は好きなようにしてくれて構わない。金で釣っても良いし、暴力で訴えようがお前に任せる。但し絶対に生かしておいてくれ、五体満足でな。それだけが条件だ」

「わかりました、この宝石を持って魔力の高い人間を見つけて連れて行く、それだけで良いんですね?」

「その通り。言葉にすれば簡単なんだけどな」

 オラウスは立ち上がり食堂を出ようとしたのでノインツェーンもそれに続く。受付でオラウスは鈴を鳴らし主人を呼び出し、九〇〇セール分はあるだろうという金貨を惜しみなく店主の前に差し出した。

 主人はもちろん目を丸くしているが、オラウスはといえば平然としている。かなりの日数をここで過ごしていたらしいが、九〇〇セール以下の金額であることには間違いない。

「ありがとうな親父、時折変な連中を連れこんで悪かった。その謝罪というわけじゃないか色を付けておいた、この街に来ることがあったら……また、来させてもらうよ」

 笑顔を浮かべたオラウスはそのまま宿の外へと出て行く。店主はといえば金額に驚くばかりであり言葉が出ないようだった。置いていかれてはたまらないのでノインツェーンもオラウスの後に続いて外へ出る。

 だがそこにオラウスの姿は既に無かった。宿屋が立ち並ぶこの通りは元から人通りが多くなることを見越して作られているのか、道幅は広く見通しはかなり良い。にも関わらず、右を見ても左を見てもオラウスの特徴的な姿を見つけることは出来なかった。

 不思議なこともあるものだ、そう思いながらノインツェーンはオラウスから渡された宝石を手のひらに載せてみせる。宝石はちょうど手のひらにすっぽりと収まるほどの大きさで、亀の甲羅のような形をしていた。

 オラウスが言うには、潜在的な魔力が高い人間が側にいれば光を発するということなのだがどのようにしてみれば良いのか分からない。彼がわざわざ潜在的な魔力、という言葉を付け加えたところから察するに魔術を使える人間に対しては反応しないということなのだろうか。でなければノインツェーンに対して反応していてもおかしくはない。

 さて、どうしたものかと思って空を見上げる。太陽はちょうど天井に昇りつめたところで正午を報せる教会の鐘が鳴った。それをきっかけにして、ここにいても始まらないと宝石を手のひらに載せながらノインツェーンは歩き出す。

 宝石をじっと見ながら歩いてみるのだが、宝石は中々光を発してはくれなかった。それだけ魔術を使える人間が多いということなのか、それとも相当高い魔力を持っている人間でないと反応しないようになっているのか。未だにわからない。

 途中で宝石の上部が光りだした。弱い光ではあるが、間違いなく反応している。だがどこだろうか、ノインツェーンがいるのは宿場通りであり人の多さは計り知れない。誰が潜在的魔力の高い人間なのかわかるはずが無かった。

 何か判別する方法は無いだろうかと宝石を見ながら考え込んでいると光は移動している。先ほどまでは上部にあった光は宝石の中心部に近づきつつあった。これはどういうことだろうかと顔を上げてみると、派手な衣装で着飾った女性――おそらく娼婦――がこちらに近づいている。その彼女の動きにあわせて宝石の光は移動しているようだった。

 なるほど、オラウスがこの宝石を探知機と言っていたのはこのような理由があったからか、と今更ながら合点が行く。しかし、この女性ではきっとオラウスは満足しないだろう。ノインツェーンは新たな魔力の持ち主を探すために再び歩き出した。

 ところが、いけどもいけども宝石は何の反応も見せない。気が付けば貧民街のすぐ側まで来てしまっており、引き返そうかどうか悩む始末だ。先ほどの女性にしておくべきだったかと後悔しそうになるが、あの微弱な光ではオラウスはきっと満足しなかっただろうと自分に言い聞かせる。

 しかし、ここはノインツェーンにとって一種の分岐点だった。貧民街の中に入れば意外と見つかるかもしれないという期待は確かに存在している。なにせここはムール=フス、様々なものが行き交う街。貧民街でもそれは同じことだろう。

 ただ懸念事項は危険が付きまとうということだ。ノインツェーンとて腕に覚えが無いわけではないが、徒党に襲われてしまったら多勢に無勢、太刀打ちできるはずが無い。そして無秩序に形成された貧民街の中では道に迷って出られなくなってしまう可能性も高かった。

 仕方ない、街に戻って新しく探してみるかと踵を返そうとしたとき宝石の下部が力強い輝きを見せる。宝石の下部、ということはノインツェーンの真後ろに潜在的な魔力を秘めた人間がいるということだ。期待とともに振り返ってみるとそこにいるのは一人の少女。

 着ている服は襤褸切れ同然で腰の上まで伸びた褐色の髪は手入れこそされていないが、もし手入れさえしていれば上質の輝きを放つだろう。まともに栄養をとれていないからなのか、全体的にやせ細ってはいたがちゃんとした暮らしをしていれば間違いなく美少女と呼んで差し支えない。

 その少女はノインツェーンに歩み寄り服の裾を掴むと虚ろな目で「おにいさん、私を買ってくれない?」と小さな声で呟いた。この少女が、と思いながらも宝石を見ると間違いなく彼女が魔力の持ち主であるといわんばかりの強い輝きを放っている。

「おにいさん、何持ってるの?」

 少女が覗き込もうとしたので慌てて宝石を懐にしまいこむ。

「なんでもない、なんでもないんだよ」

「そう……で、おにいさんは私を買ってくれるのくれないの?」

 ノインツェーンは返答に窮した。なんと答えれば良いのだろうか、宝石の輝き方を見れば間違いなく彼女は非常に高い魔力を秘めているはずなのだ。オラウスが求めているのはきっとこういう人物なのだろう。

 彼女に対して「買う」と言ってオラウスの元に連れて行ってしまえばそれで終わりだ。だがノインツェーンの中にある道義心がそれに対する反発を生んでいる。こんな少女を売り払うというのか、しかも貧民だ、もしかすると彼女に今以上の生活を見せることになるかもしれない。いや、間違いなくそうなるだろう。でなければオラウスは非人道的、などということは決して言わなかったはずだ。

「あぁ、それじゃあ……君を……」

「買うの、買わないの?」

 あどけない笑みを浮かべながら少女は首を傾げる。その動作は愛らしい、彼女を連れて行っていいものか、ノインツェーンは葛藤に駆られた。しかし、この一線は越えなければならない一線なのだ。

「買うよ、幾らだい?」

「三セールで良いよ! やった! 今日のお客さん見つかった!」

 少女はよほど自分の身が買われたことが嬉しいのか飛び跳ねて喜んでいる。その姿を見てノインツェーンは思わず泣きたくなった。三セールなど価値がはした金ではないか、だというのに何故この少女は喜べるのだろうか。

 胸に熱いものがこみ上げてくるが、それを押し殺した。これは超えなければならぬ一線、傭兵である以上、依頼主の指示には従わねばならない。それだけではない、何があってもこの依頼から降りない、自分自身にそう誓ったのだ。

「じゃあ、おにいさん! どこでする?」

「どこで、あぁ……そうだな」

 このままオラウスが指定した場所に連れていけばよい。そうだ、彼女を連れて行けば全てが終わる。自分にそう言い聞かせた。

「あぁ、良い場所を知ってるんだ。そこに行こう」

 笑顔を浮かべながら言った。よくもまぁ笑顔など浮かべられるものだと思う、だがいざとなったら人間は意外と上手くやれるものらしい。

「本当!? そこってどこ? 貧民街の中? 外?」

「外だよ。貧民街に近い場所ではあるけれどね」

「え? 外!? 私貧民街の外でするのって初めてなの! おにいさんありがと!」

 少女の屈託の無い笑み、それに心が痛む。だがそれ以上に、彼女は自分の置かれている境遇についてどれだけ理解しているのだろう。きっと理解していない、彼女と同じ年頃の少女はどのようなことをしているのか、彼女は知らない。

 でなければこういった発言をすることも出来なければ、屈託の無い笑みを見せることも出来ないはずだ。

 手を繋ぎながらノインツェーンはオラウスの指定した場所を目指して歩く。途中ですれ違った人々からは奇異の視線を送られたが気にもならなかった。少女はよほど貧民街の外、ということが嬉しいのか色々なことを話しかけてくる。

 だがノインツェーンは「あぁ、そうだな」としか答えることが出来なかった。途中で「具合が悪いの?」と何度か聞かれたが、あいまいな答えしか返すことが出来ない。

 道に迷うかもしれないと危惧していたのだが、オラウスの指定した場所にはすぐ着くことが出来た。ちょうど夕方ごろ、制限時間ぎりぎりといったところか。既にオラウスは到着しており、道の真ん中に座り込んでいた。オラウスはノインツェーンに対して背中を向けており、すぐ側によるまで気付かずノインツェーンが声を掛けて初めて気付く。

「連れて来ましたよ」

「あぁ、ありがとう……しかし、ちょいとばかり間が悪かったかな? 報酬上乗せするから、時間稼ぎ程度で良い戦ってくれないか?」

「何かあったんですか?」

「道の向こうを見てみろよ」

 オラウスは立ち上がり、彼の指差した方向を見るとネアトリアハイム騎士団の制服を着て銃を担いだ男と、長柄武器を布で隠している傭兵らしき男が近づいてきている。

「彼らが邪魔なんですか?」

「多分、邪魔する。すまないが、頼む」

「わかりました……やりますよ、私だって傭兵ですから」

 そう言ってノインツェーンは自分の得物である鉤爪を両手に嵌めた。

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 リディルとフェーエンベルガーがその場所に着いた時、オラウスは一人の青年と一人の少女を連れていた。青年は両手に鉤爪を嵌めており、臨戦態勢をとっている。オラウスの視線も鋭く、今にも刀を抜いて飛び掛ってきそうだ。

「どうもお初にお目にかかります、私はネアトリアハイム騎士団国王直属のクラウディオ・フェーエンベルガーと申す者で、隣におられるのは傭兵のリディルさんです。あなたがオラウス・ウォルミスさんですか?」

「そうだ。私がかつて黒のオラウスと呼ばれ、この国の建国にも一応携わったオラウス・ウォルミスだが。何か用かね?」

「あぁ、良かった良かった。実は国王陛下の命であなたにぜひとも一度ネアトル=プトゥスに来ていただきたいのですよ。そしてあなたさえ宜しければ騎士としてもう一度――」

「断る」

 フェーエンベルガーが全てを話し終える前にオラウスは快刀乱麻のごとく話を断ち切った。金色の瞳は煌々と輝き、そこには敵意が秘められている。同じネアトリアの騎士だとリディルは思うのだが、何故こうもオラウスは反発しようとするのだろうか。

「ノインツェーン、後は頼んだ」

 オラウスはそう言うと少女の腕を掴み、地下へと続いているらしい扉を開けて中へと姿を消す。ノインツェーンと呼ばれた手に鉤爪を嵌めた青年が一歩前に出てくる、フェーエンベルガーは「やれやれ」と溜息を吐きながら銃を構え、リディルもハルバードを覆っていた布を剥ぎ取った。

「どいてくれませんかノインツェーンさん、私はオラウス・ウォルミスに用があるのです」

 照準をノインツェーンに定めてからフェーエンベルガーは言ったが、彼からの返事は無かった。代わりに体を沈める。

 銃声が轟く、ノインツェーンの姿がリディルの視界の中から消えていた。だが体は本能的にとでも言うべき速さでフェーエンベルガーの前に立ち、ハルバードの柄でノインツェーンの鉤爪を防いでいる。

「オラウスを追ってください、フェーエンベルガー様」

「すみませんね、後は頼みました」

 銃を捨て腰に刷いていたロングソードを抜き放ち、フェーエンベルガーもオラウスの消えた地下へとその体を入れた。それを確認してからハルバードを押し出してノインツェーンとの距離を取る。

 相手は鉤爪、こちらはハルバード。武器の長さでいえばこちらから先に仕掛けることが出来る、普通ならば。問題は相手が魔術を使うのかどうか、そしてどういった魔術を使うのか、だ。

 傭兵をやっているのならばまず間違いなく魔術は使うと考えて良いだろう。そうなるとどのような魔術を使用するのか。考えられるのは肉体を強化し速度を上げる、幻覚などで姿を消す、魔術攻撃中心、の三つだ。

 ただ、フェーエンベルガーに対し直接攻撃に出たところを見ると直接攻撃の魔術を使用するというわけではなさそうである。となれば幻惑形か、補助形か、この二つだろう。リディルの使える魔術はといえば己の身を軽くする術、そして電流生成だ。

 ハルバードを構えなおして相手の出方を窺う、長さという利があるのだから無理に近づく必要は無い。下手に近づけば反撃を食らう可能性もある。

 不思議なことにノインツェーンは僅かではあるが距離を開け始めていた。彼の武器は鉤爪である、格闘のための武器を装備しているのにどうして距離を開けるのか。相手の情報が少ないためにリディルはどう判断してよいのかわからない。出来ることといえば構えを決して崩さぬこと、そして手のひらに電流を蓄積しておくことの二つ。

 その気になればハルバードに電流を流すことも可能だが、おそらく彼にハルバードの直撃を与えることは難しいだろう。武器で倒すことだけにこだわっていれば己の身を滅ぼしかねない。

 互いに動かぬまま、距離だけが開いていく。いまや二人の間は大人一〇人分ほどの距離が開いていた。リディルは掌に溜めた電気がバレないように注意し、相手も何かを警戒しているようだ。

 リディルが呼吸を整える、ノインツェーンが体を深く沈める。

 来る、と思った瞬間にはもうノインツェーンは目の前にまで接近していた。人間がこれほどの速さで動けるわけがない、彼が自身の体を強化しているのは明白だ。先ほどと同じように柄で鉤爪を受け止めたが、右のものだけ。左はどこにもない、咄嗟に探すと左の鉤爪は狙いを定めるようにして引き絞られていた。

 咄嗟に後ろに飛んで左の一撃を避ける、ノインツェーンの追撃が来る。

 彼の動きは早い、重量のあるハルバードではとてもではないがしのぎきれない。いつかかならず一撃を貰ってしまうだろう。一か八か、迫ってくるノインツェーンを眼前にしながらリディルはハルバードを捨てた。

 緩慢に感じられる動きの中でノインツェーンの目が丸くなるのが見える。だが彼の両手の動きは止まらない。

 突き出される鉤爪をリディルは手の平で受け止めた。もちろん激痛が走るが、歯を食いしばって耐えノインツェーンの拳を掴む。そして溜めておいた電流を流し込むとノインツェーンの口から短い呻き声が漏れてそのまま彼は倒れこんだ。

 意識はあるらしく起き上がろうとするのだが、電撃によって筋肉が痙攣してしまって動けないらしい。

 リディルも両手のひらから血が流れ出しているが、適切な処置さえ行えばこの程度の傷はなんてことはないだろう。放り投げたハルバードを拾いなおし、フェーエンベルガーの後を追おうとした時、突然の眩暈に襲われた。

 出血量が多いのかと一瞬だけ思ったが、怪我をしたのはついさっきだ。眩暈を起すほどの出血をしているわけがない。となると、答えは一つしかない。

 毒である。

 鉤爪を嵌めている時点で気付くべきだったのかもしれないが、時はもう既に遅い。毒はリディルの全身に駆け巡りついには立つことも出来なくなり、その場に倒れこむ。呼吸は何とかできるのだがやけに息苦しい。

 視界は揺れており、這いずってでも前に進もうとするのだが体は動いてくれなかった。

/4

 

 オラウスの後を追って地下室に入ったクラウディオは思わず目を覆いたくなるような現場を見てしまった。元は邪教の寺院の類だったのだろうが、今は屍の溜まり場となっている。

 辺りにはバラバラに切り刻まれた人間の死骸が転がり、床はどすぐろく染め上げられ柔らかそうな臓物が所狭しと放置されていた。一体、どのような惨劇がここで行われたのかは知らないが、壁にぺしゃんこになって張り付けられている死体まである始末だ。

 口元を覆いながらクラウディオはオラウスの名を叫んだ。だが、英雄はクライディオの呼びかけに応えることなく怯えて声も出せなくなっている少女の腕を半ば無理やりに引っ張りながら奥にある祭壇へと向かっている。

 クラウディオは相手がかつての英雄だろうと容赦をしないことに決めた。クラウディオの中でオラウスは既に英雄の地位を失っている、彼はただの狂人だ。もしかすると魔人かもしれない。

 しかも今、彼はおそらく少女を何らかのための贄にしようとしていることは間違いが無かった。クラウディオの中にある正義はそれを許さない。少女はみすぼらしい格好をしており、貧民街の人間だと一目で分かったがそれでもネアトリアの国民なのである。

 そして国民を守ることこそがネアトリアハイム騎士団に所属する騎士の務めだ。その務めを全うすべく、躊躇う事など無く剣を振りかざしクラウディオは背を向けているオラウスに切りかからんと走った。

 気付いているのかいないのか、オラウスは振り向こうとすらしない。クラウディオは勝利を確信した。だが振り下ろした剣はオラウスの体に当たらない。見えない力によって剣はオラウスに当たる直前で止められてしまっていた。

 その場で剣は固定されてしまったのか、力を込めても剣は動きそうに無い。そこでようやくオラウスはクラウディオを振り返った。彼の金色の瞳がクラウディオを射抜く、そこにある神々しさと禍々しさの両方にクラウディオは全身が痺れるような畏怖を感じる。

 オラウスの左手がクラルディオの胸元にそっと当てられた。彼が魔術を使用してくるだろうことは容易に想像がついたが、オラウスの瞳に見つめられているとクラウディオの体は何故か動かすことが出来ない。

「邪魔をしないでくれクラウディオ・フェーエンベルガー。名前から察するに貴公は我が盟友であるワグニムス・フェーエンベルガーの子孫と見た。顔立ちもよく似ている。だからこそ、邪魔をしないで欲しい。これがこの国のためだ、いやこの世界のと言ったほうが良いかもしれない」

「ではその少女をどうするつもりなんですか!? 答えなさい! オラウス・ウォルミス!」

「この少女の肉体を私が貰い受ける。クラウディオ、三〇〇年の間、人間の肉体は持ちこたえることが出来ると思うか? できるはずがなかろう。よって今の私を構成している物質は人のものではない。そのせいか、本来の力を発揮できないのだ。いうなれば、私の力を受け入れるための器となるべき存在が欲しい。この少女なら条件に見合う」

「性別も身長も、あなたと似ているところは何一つないようですが?」

「作り変えるさ。それにクラウディオ、君は事の顛末を見届けろ。オラウス・ウォルミスは既に英雄ではなくなった。そしてネアトリアハイムの味方でもない、ただ言えるのは君らを襲うであろう混沌から君たちを守る、それだけだ」

「なのにあなたはその少女を殺すというのですか!?」

 オラウスの視線が僅かに上へと向いた。何か考えているらしい。

「殺す、か。残念ながらその質問に答えることはできないなクラウディオ。死とは果たしてなんだろうか? 肉体がなくなれば死になるのだろうか? だが私は肉体を失っても霊魂だけの存在としてこの三〇〇年間過ごしてきた。もちろんその間の記憶もある、では私はその間死んでいたと言えるのだろうか? 私はこの少女の肉体を奪う、しかし魂まで奪うといっているわけではない。少女の肉体の中にある霊魂を抜き出し、代わりに私が入る。それだけだ、それは彼女の死を意味するのだろうか?」

 クラウディオはオラウスの問いに対して反対意見を述べることが出来なかった。彼の言っていることは現在、学者達が頻繁に議論を交わしている問題であるが未だ答えは出ていない。

「私にも、今から彼女に対して行う行為が彼女を殺すことになるのかどうかは分からない。ただ一ついえることは、君らネアトリアハイム騎士団からしてみれば私の行うことは悪だろう。法律上では彼女を殺すことになるはずだからね。ただ、これ以上語ったところで時間の無駄だ。おとなしくしていろクラウディオ」

 オラウスがクラウディオの名を言った瞬間、彼の左手から何かが放たれた。何かとは実に抽象的過ぎる表現ではあるが、視覚として捕らえなかった以上は何をされたのか分からない。

 ただその何かにクラウディオの体は壁に押し付けられ、動けぬようにされた。両腕は手首の辺りで固定されているらしく、足も足首の辺りで見えない力がクラウディオの動きを抑止している。

「オラウス・ウォルミス! あなたはそれでも英雄か!?」

「違う」

 意外なことに彼の返答は早かった。これには問いを発したクラウディオの方が驚いてしまう。

「英雄の条件は何か知っているか? 最後に劇的な死を遂げることだ、そして過去に英雄が蘇ったことは無い。そういった意味で私は英雄の定義を外れていると思う、それに本当の英雄ならば幾ら多くを救うためとはいえ、一人の人間の肉体を奪うような真似をすることは無いだろう。残念ながら、俺はもう英雄じゃないんだクラウディオ。ここにいるのは人の道を外れた名状しがたきものを主とする神の眷族」

 いいながらオラウスは少女の体を持ち上げると祭壇に横たえた。少女はもちろん抵抗をこころみたが、悲しいかな栄養状態の悪い彼女が力で敵うはずは無い。たとえそうであったとしてもオラウスの前ではきっと無力に違いなかったろう。

 祭壇には手枷と足枷が取り付けられていたらしく、オラウスは手早くそれらを使って少女の体を固定する。少女の口から「助けて」と幾度と無く放たれた、もちろんクラウディオは聞いていた。だがどうすることも出来ない。

 オラウス・ウォルミス、かつての英雄はいまや人の心すらも失ってしまったというのだろうか。少女が泣いて懇願しているというのに彼の作業速度は決して遅くなることは無い。淡々と、機械的に続けられていく。

 ついにオラウスは剣を抜いた。それで少女の服を切り裂く。露になった肌に一体何をするのかと思うと、その鳩尾に剣を付きたてた。声にならない叫びが地下室にこだまする。

「やめろオラウス! そんな年端もいかぬ少女を!」

 クラウディオは叫んだ。しかしオラウスは聞く耳を持っておらず懐から取り出した短刀を少女の左胸に突き入れる。再び放たれる絶叫、オラウスが短刀を突き入れた位置には心臓があるはずだった。彼が一体何をしようとしているのか、クラウディオには理解できない。

 しかし、彼の行いが人道的なものでないことだけは間違いが無かった。これが彼にとって必要な魔術儀式だったとしても、認めるわけにはいかない。

 オラウスは少女の叫びなど聞こえぬよう少女の左胸を切り裂き、そこに手を突き入れた。まさか、とクラウディオが思ったときにはもう少女の胸から心臓が取り出されオラウスはそれを片手で掲げる。

 心臓が取り出されたというのに少女にはまだ息があった、未だ泣き叫び声にならない声で救いを求めていた。オラウスが取り出した彼女の心臓も彼の手の中で脈動している。この場で一体何が起きているのか、クラウディオには理解できない。

 国王直属の騎士であるという権限を利用して魔術研究所に出入りし、最先端の魔術をクラウディオは幾つも見てきた。だが心臓を取り出しても相手を生かすようなそんなものは無い。研究こそされてはいるが、そこにたどり着くまでにはまだ数十年、いや数百年以上は掛かるかも知れないといわれている。それをオラウスは呪文の詠唱すらなくいとも簡単にやってのけたのだ。

 クラウディオは自分の口から呻き声があがっていることに気付いた。そして己の中に芽生えた恐怖にも。あまりにも非現実的な光景にクラウディオは恐れを感じ、騎士であるにも関わらずこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。だがオラウスは彼の拘束を解くつもりは無いらしい、どれだけ力を込めても見えない戒めは解けない。

 見栄だとか誇りとかいったものはこの瞬間、クラウディオの中から消え去っていた。見えない拘束を解くべき様々な手段をとるがどうにもならない。そうしていると不意に視線が上に向いた。そして有り得ざるものをみてしまう。

 ここは地下室であり上にあるのは天井で無ければならないはずだ。しかし今や天井があるべき場所に広がっているのは満天の星空である。そして広がっている星空はクラウディオの見たことがないものであった。

 夜空を時たま見上げ、星座を眺めることがあるのだが見慣れた星はどこにもない。ではこの天井があるべき場所に広がっている星空はどこのものなのか。クラウディオには見当もつかない。

 その間にもオラウスの儀式は着々と進んでおり、彼は少女の左胸に刺したままになっていた短刀を抜くとそれを自分の左胸に突き刺した。そして彼は胸を切り広げ、己の心臓を取り出す。その心臓の色は青黒く、脈動もしておらず生命というものをまるで感じさせない。

 そしてオラウスは取り出した少女と自分の心臓を掲げ、呪文の詠唱を始める。

「いあ いあ はすたあ はすたあくふあやく ぶるぐとむ ぶるぐとらぐるん ぶぐるとむ あい あい はすたあ」

 これらの言葉以外にもオラウスは唱えていたのだが、聞き取れない発音があまりにも多すぎてクラウディオの耳には聞こえなかった。

 彼の詠唱がつづくうちに上方が明るくなっていることに気付く。見上げてみれば巨大な光の塊が接近していた。それは速度を上げているのか、落としているのかどちらか分からないが大きさだけが増していく。

 クラウディオは声にならない叫び声を上げた。死ぬと思ったのだ。

 だが光は収束していき、オラウスが少女の鳩尾に突き刺している刀へと落ちた。そして爆発。だが本当に爆発したのかは分からない、目が焼けてしまうのではないかというほどの閃光があったことは確かだが音はしなかったのだ。

 あまりの眩しさに目を閉じていると、そのうちに物音一つしなくなった。そしてクラウディオを戒めていた拘束も解け、死体と臓物と血液に満たされた床に倒れこむ。立ち上がり、着いた汚れを振り払うこともせずに祭壇を見ればオラウスが二人いた。

 祭壇に横たわっているオラウス、その祭壇の前に佇んでいるオラウス。だがよくみれば祭壇の前に立っているオラウスは石になっているようだった、何があったのかクラウディオが考えている間に石のオラウスは崩れ去る。

 少女の体はどこにもない。オラウスの剣はいつのまに動かされたのか、石のオラウスがあった場所に突き刺さっていた。

 どうして良いかわからずクラディオがのろのろと祭壇に向かって歩いていくと、そこに横たわっていたオラウスが起き上がる。彼は短刀で自分の指先を切りつけた。当然だがそこからは真紅の血液が微量ではあったが流れ出る。

 それをみたオラウスは満足げに「これで人間の体が手に入った」と言った。

 そして立ち上がるとクラウディオなどいないかのように横を通り過ぎる。彼を止めなければとクラウディオは振り返ったが、そこにはもうオラウスの姿は無かった。


 
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