No.722737

すみません、こいつの兄です。90

妄想劇場90話目。また月刊になっちゃった。ぬおー。
美沙ちゃんが可哀想になってきました。なにげに、このお話の中で一番報われてないかもしれません。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411

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2014-09-27 00:51:45 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:966   閲覧ユーザー数:842

 その日も、講義が終わるとバス停からまっすぐに駅の改札をくぐる。

「それじゃ……」

例によって、バスで一緒になったみちる先輩と四文字だけの言葉で別れる。先輩が反対側のホームから三白眼でにらんでいるのもいつもと同じ。

 一駅先で降りて、徒歩十分ほどで市瀬家に到着する。

 この二年少々の期間。やたらと通い慣れてしまった道だ。最初は真奈美さんを学校に連れ出して、今は美沙ちゃんの家庭教師だ。俺、いくらなんでも美沙ちゃんの可愛さにやられすぎじゃないだろうかと思う。最初から、美沙ちゃんの可愛さにくらくらして真奈美さんの社会復帰を引き受けた(一度あきらめかけたけど)。

 今日の天使美沙ちゃんは、水色のワンピースで今日も可愛さマックス。綿の素材のワンピースがさわり心地よさそうで、ものすごいなでなでしたい。

 うむ。これだけ可愛ければ、毎日通っちゃってもしかたないな。

 ドアが開く寸前までの疑念がふっとんでいるのである。俺の脳みそ、お手軽すぎである。記憶が永続固定される妹の脳みそと基本的に同じような遺伝子で作られたとは思えぬお手軽さである。もっとも、妹も感情は十秒くらいでコロコロ変わるやつなので、記憶と感情が脳の中でどう処理されているのかはわからないのだが……。

 ワンピースをひらひらさせる可愛さマックスの美沙ちゃんに案内されて、いつもの居間でお勉強開始だ。昨日の続きから、教科書を追っていく。美沙ちゃんは、わりと基礎からやりなおさなくてはならない。ようやく高校一年生の二学期付近である。でも数学には近道がない。下の学年で習ったことの上に、次の学年で習うことを積み重ねているので、一旦苦手になってしまうと回復のしようがない。数学はダメならダメで、一年よけいにかかってでも分かるまで教えてやった方がいいと思う。というか、なんで留年ってダメなんだろうな。普通の人が一年で終わるところに二年かかったって、同じとこまで理解してから卒業したら同じじゃないのか?同じ性能になってんだもん。性能が低いまま卒業するより、長い時間かけても同じ性能になってから卒業した方がいいと思うんだけどな……。

 ちょっと思考が外に飛んだ。

 とにかく基礎から順番に粘り強く高校一年生の数学を教える。間に合うのかしら?粘り強くやっている場合かしら?あと半年しかないんだけどな。

「お兄さん」

「ん?」

「頭、疲れちゃいました」

そりゃそうだろう。だいたい、一ヶ月くらいの授業で進む範囲を数時間で詰め込み教育してんだもんな。

「じゃあ、ちょっと休憩する?」

「ん……」

こてん。

 美沙ちゃんが身体を横に倒して、体重を預けてくる。美沙ちゃんの華奢で柔らかくて、同時に少し体温高めな重さが腕に預けられる。

 ひょぉおうっ!

 左右にちょっとずれた状態で、美沙ちゃんを後ろから抱きしめるみたいな体勢になる。右手は華奢な肩を支える。左手……。左手は、どうするのが正解だろうか?どこまでがセーフで、どこまでがアウトだ!?美沙ちゃんのお腹にそっと乗せるのはセーフか?お腹の上がもっともパラダイスだが、アウトゾーン。アウト!お腹の下はもっともエキサイティングだが、アウトゾーン!アウトである。ここで疑問はお腹はアウトなのかセーフなのかである。

 というか、美沙ちゃんはこれで休憩になるのか?

 俺には、まったく休憩にならない。むしろ体力を奪われる。心拍数も三桁突入だ。

 ぎゅっ。

 意図してか、無意識かわからないが美沙ちゃんが背中を俺の方へと一段強く押し付けてくる。操られるように左手が美沙ちゃんのお腹の上に乗ってしまう。背後から右手で肩を。左手でお腹付近を抱きよせるみたいな体勢になる。右手の長さ的には、もう少し内側を抱き留めたいところだけど、そこは最高にパラダイスなパーツでアウトゾーンである。

 はぁはぁはぁはぁ。

 このままの姿勢で、昨日みたいに美沙ちゃんが寝ちゃったら俺はパラダイスパーツへの手の侵食を止められる気がしない。くっ、し、鎮まれ!俺の右手っ!なんだとっ左手もだとぉっ!みたいなことになっちゃいそうである。中学二年生以来の症状である。

 そして、俺の間の悪さ能力が発動して美沙ちゃんのDカップパラダイスに手を置いているところにきっと由利子お母様とかが帰ってきちゃう気がする。

 アウトすぎる。これは寝ちゃダメだよと念を押しておかなくては……。

「み、美沙ちゃん」

「なぁに」

美沙ちゃんらしからぬ甘えた声音が返って来る。ぐはぁっ。この体勢で、そんな声出さないでくれ。

 俺の理性メーターがガンガン減っていく。

「ね、寝ちゃダメだよ」

「え。だめなのぉ?」

すでに少し眠そうな声で答える美沙ちゃん。セクシーですらある。やばすぎ。美沙ちゃん激ヤバ。

「ダメ」

「お兄さんに、こうしててもらうと眠くなっちゃう……」

「だめだよ。寝ちゃ」

頼むよ。本当に……。その甘えた声音だけで、すでに『これ、ちょっとくらい胸に触っちゃっても許されるんじゃないかな』などと思っているデビルな俺がいるんだから。

「……」

すーすーと、規則正しい呼吸音が聞こえ始める。

「み、美沙ちゃん」

ごくり……。チャンス!

 チャンスじゃねーよ!なに考えてんだ、俺!葛藤なう。

「……いいなぁ…お姉ちゃん」

美沙ちゃんの小さな唇から、つぶやくような声が漏れる。

「真奈美さん?が、どうかしたの?」

「……いいなぁ……お姉ちゃん……お兄さんに甘えられて。私にも、もっと優しくして……」

うっ。

 胸が痛む。美沙ちゃんのことを好きだと思っていながら、真奈美さんにばかり優しくしているのも事実だ。それで美沙ちゃんがつらい思いをしているのも知っている。さすがの俺でも気づく。

「美沙ちゃん……」

無意識のうちに腕の中の小さな身体を抱きしめる。

「ん……お兄さん……好きですよ」

美沙ちゃんがほっそりとした首をめぐらす。整った可愛らしい顔が至近距離に迫る。

 ぱしゃっ。

 携帯電話のシャッター音が響く。

 なんだとっ!?

「あ。気にしないで続けて続けて!」

いつの間にか戻ってきていた由利子お母様が、シルバーで林檎な電話機を構えていた。

「な……なんで、写真!?」

「大事な娘の大事なファーストキスの瞬間を!」

「い、いや!し、しませんからっ!」

いや。シャッター音で我に返らなかったら確実にしちゃってたけど!未遂だからな。あと、娘さんのファーストキスの瞬間を撮影したご両親は相当にレアだと思う。かなりの厳格なカトリックで、本当に結婚式の誓いのキスがファーストキスとかって子くらいじゃないか。そんなのは……。

「残念。証拠を押さえて、直人くんゲットにアシストしてあげられるところだったのにな」

「お母さん。そういうアシストは、要らないから……」

美沙ちゃんも、さすがに眠気の飛んだ声で抗議する。

「でも、そうやってるとなんだか恋人同士みたいよ」

「……ん。フラれてないもん。今日は、私のお兄さんだもん」

そう言って、美沙ちゃんが背中から全面的に俺に向かって体重を投げ出してくる。両手が丁度お腹の前で組むような位置になる。その経過で一瞬だけふにゅんっと素敵弾力係数が感じられてパラダイスであった。天国を垣間見た。

「美沙ちゃん。そろそろ休憩終了」

「そうですね。このまま教えてください」

美沙ちゃんが甘えまくりである。真奈美さんならこのくらい甘えても驚かないが、美沙ちゃんがここまで甘えるのは珍しい。

 由利子お母様は、また台所へ移動してなにやら料理を始める。最近気がついたが、由利子お母様も料理好きだ。腕は真奈美さんの魔法級料理には追い抜かれているが、真奈美さんの最初の先生だったんだろうなと思うくらいではある。

「お兄さん。よそ見しちゃだめです」

首を捻って、美沙ちゃんが甘い抗議をする。俺の両手はまだ細いウエストを抱えて、平たいお腹の前で組んだ状態だ。恋人同士でもなかなかないベタベタっぷりだ。

 その状態で、美沙ちゃんと数学の勉強再開。

 

 途中で夕食を挟んで、午後九時。勉強会終わり。夕食を御馳走になって、丁度帰宅するお父様と入れ違いくらいのタイミングで市瀬家を辞去する。

 すっかり暗くなって人通りも減った住宅街の街灯の下を歩く。

 後半、ずーっと美沙ちゃんを後ろから抱えていたシャツからふんわりと可愛らしい匂いが上がってくる。思わず、襟元を引き上げて思い切り息を吸い込む。

 美沙ちゃんの匂い……。

 変態っぽいな、俺。

 そう思いつつ、自分のシャツのあちこちをすんすんと嗅いでしまう。

 美沙ちゃん。

 携帯電話をいじることも、ウォークマンで音楽を聴くことも忘れて、自分を包む美沙ちゃんの残り香の中で美沙ちゃんのことばかり考えているうちに自宅にたどり着く。

「ただいまー」

玄関で靴を脱いで、そろえる。市瀬家に出入りするうちに、すっかり行儀がよくなってしまった。妹は、まったく行儀がよくなっていないが。

 二階の自室に上がる。

 ベッドの上で妹がチョコレート菓子をぼりぼり食べながらマンガを読んでいた。風呂から上がってすぐなのか、髪の毛もびしょびしょのままでカーペットの上にバスタオルが投げ捨ててある。かろうじてTシャツとホットパンツをはいていてよかったと思う。

 これはひどい。

 カーペットの上のバスタオルを拾って、背後から妹の頭を顔ごとバスタオルで簀巻きにしてやる。

「ふぐっ」

面白い声が聞けたぞ。わしわしとバスタオルでびしゃびしゃな髪を乱雑に拭いてやる。拭きながら海老反りに反らせて、起き上がらせる。

「ふぶぶぶぶ」

ますます面白い音が出る。この玩具、意外と面白いな。

 これ以上、俺の寝るベッドの上で水滴を落とされてはたまらない。仕上げに、髪の毛をぐるぐるとバスタオルで包んでターバン状に縛る。

「なんすかー」

顔面を解放された妹が、緩やかな抗議の声をあげる。

 髪の毛をろくに拭かずにTシャツを着ているから、背中が濡れて透けてる。ノーブラだ。あたりまえだ。普段からブラの必要なサイズじゃない。

「お前、受験勉強しなくていいの?」

「してるっすよ。休憩中っす」

その割には、漫画がすでに三巻目だ。休憩長いな。

「にーくん」

「うむ」

「東京の大学に行くことになったら、にーくん一緒に下宿してくれるって言ったっすよね」

「言ったな」

若干、雨と廃墟の寂寥感に流された感じもあるが、俺は確かに妹に一緒にいると約束した。多少は勢いだったけれど、この妹を記憶という過去の中に取り残して一人ぼっちにしたくないと思うのも本当だ。

「じゃあ、勉強続けるっすー」

なにが、じゃあなのか分からないが、妹がベッドの下から志望校の過去問集を出してさっきまで漫画を読んでいたのと同じ姿勢で読み始める。

 過去問集の使い方が若干まちがっている気がするが、こいつの場合はこれでいい。

 なにせ読む=完全記憶なのだ。

 こいつ、さては勉強机とか要らないだろ……。

 あ。そっか。

 だから、こいつの机の上はパソコンとエロゲと変な生き物のぬいぐるみで埋まっているのか。

 なるほど。

 今更ながらに、妹のヘンテコっぷりを再認識する。それにしても邪魔だ。追い出したい。

 ……追い出したいが、先日の家出騒ぎから少しだけ強く出づらくなった。なにせ、家での前日に両親と喧嘩していた妹を放置して俺は自室に逃げた気がする。その後での家出騒ぎ。

 そりゃあ、俺だって妹に悪いことしたなとも思う。

 ああいうときは、妹の味方をしてやるべきだった。現実の妹はヘンテコで凶暴で雑で頭が若干おかしくて、二次元世界のベリーキュートな妹とは別の妹だが、現実世界の兄も二次元世界では絶対にフラグの立たない選択肢を選ぶような兄だったなと反省する。

 いや。

 ちがうよ。

 フラグ立てて、妹と同棲ルートに入って、イベントシーンとかないよ。

 大丈夫。俺は、現実と二次元の区別はついているよ。妹が使用中のトイレのドアを開けちゃうイベントがあるのが二次元で、ないのが現実だろ。ちゃんと分かってる。

 思考が若干変な方向に進んでいた俺のポケットで新調したばかりのガラケーが震える。背面ディスプレイには『エンジェル・美沙ちゃん』とスクロール表示されている。開いて、電話を受ける。

「ほいほい」

『あ……お、お兄さん』

ほんの少し緊張した美沙ちゃんのやわらかな声が聞こえる。電話の音質は最低でもCD品質であるべきだ。美沙ちゃんが電話してくるんだぞ。テレビ電話より、スマホより美沙ちゃんの声をリアルに耳元に届ける技術が先だと思う。早く。

「な、なに?」

耳元に携帯電話を持ち上げた袖から、ふんわりと美沙ちゃんの残り香が香る。声と匂いにこっちの声も緊張してしまう。美沙ちゃんと電話なんて何度もしているのに、なんで緊張しているんだ。俺。

『あ……あの……な、なんでもないんだけど……。お風呂入って』

美沙ちゃんの声でお風呂と言われるだけで、少しご褒美な気分になる。俺、安上がりすぎ。なおかつ、思春期すぎ。もう大学生なのにな。

「……う、うん」

『パジャマ、着たから……。お兄さんも、その……着てくれたかなって』

ベッドの上に畳んであるパジャマを見る。美沙ちゃんにプレゼントしてもらったパジャマだ。二人で互いにプレゼントしあったペアのパジャマの片割れ。

「い、いや、まだ着てないけど……」

一気に恥ずかしくなる。

『あ、そうですよね……。ま、まだ寝ないんですか?』

「もう少ししたら、寝るよ」

俺の普段の生活パターンからすると少し早い時間だが、美沙ちゃんからそう言われてしまったら寝るしかない。

『そっか……。あの……』

「ん」

『寝る前に、ちょっとだけ電話してください……』

「了解」

『……ん、じゃあ、また後で。待ってます』

首から上に熱を感じたまま電話を切る。

 ベッドの上には美沙ちゃんとお揃いのパジャマ。そして、チョコレート菓子のくずと漫画と妹だ。

 …………。

「邪魔すぎ!お前!今すぐ自分の部屋に戻れ!」

「ぎゃーっ!」

妹をベッドから蹴落とした。

 やはり、現実の妹は二次元の妹とは違うのでストロングスタイルで当たらねばならない。

 せっかく、美沙ちゃんと甘々な電話で青春っぽかったのに、こいつのせいで台無しである。

 ずるずるとスライムを思わせる動きで部屋から妹が出て行くと、部屋の中が静かになる。

 部屋で勉強しているのは嘘ではないらしく、今日は壁越しにエロゲサウンドも聞こえてこない。

 よしよし。

 美沙ちゃんとお揃いのパジャマに着替えているところで、携帯電話が短く震えてメール着信を告げる。美沙ちゃんから。

「おおぅ」

素早くSDカードにバックアップを取り、念のためにパソコンの方の自分のアドレスにも転送しておく。

 添付ファイルが、美沙ちゃんの自画撮りパジャマ姿。

 

 眠る前に、約束どおり美沙ちゃんに電話する。とりとめのない、なにを話したかも覚えていないような会話を交わす。

『お兄さんの方からも、たまに電話ください』

眠りに落ちそうになりながら聞いた、美沙ちゃんのささやくような声だけが耳元に残った。

 

 翌朝、いつもより少し早めに目を覚ます。枕もとに携帯電話が落ちている。ガラケーは充電しないで寝ても大丈夫。バッテリーの心配なんてしたことないぞ。

「一緒にいくっすー」

遅刻ギリギリになると、妹の方が少しだけ早く出るのだが、今日は余裕がある。妹と並んで家を出る。家出騒ぎのあと、妹との距離が微妙に近い気がする。悩みなんてなさそうな妹の恐怖を知って、庇護欲とはかけ離れていた妹に少し弱さを見つけたから、そう思うのか、それとも本当に妹が俺に甘えてきているのかは分からない。俺の記憶力は妹みたいな以上記憶能力ではないので、妹と今までどんな距離で歩いていたのかも思い出せない。どこかに一緒に行ったくらいの解像度では思い出せるが、並んで歩いていたときの距離が何センチだったかなんて思い出せない。

 ただ、今までよりも近くを妹が歩いている気がする。

 ときどき手がぶつかる。

 高校生にもなった妹が腕を三百六十度大回転させたりするからだ。あほすぎ。中学一年生みたいだが、もうすぐ十八歳である。こいつが合法とかなったら、ロリコンさんが放っておかないので兄としては、庇護欲がかきたてられる。三次元でロリコン事案を増やしてしまうと、二次元が規制されるから由々しき事態である。俺の愛するエロゲとエロ漫画を守るために、この妹もロリコンの魔手から守っていこうと思う。

「じゃあ、行くっすー」

手をぶんぶん振って、駅の改札口に消えて行く高校三年生とは思えぬ幼児っぽさ丸出しな妹をバス停から見送る。

「直人……」

バス停には、また長崎みちる先輩がいて、当然遭遇していた。

「はい。おはようございます」

「直人の妹。ロリコンさん大狂喜?」

「たぶん」

「しかも、妹だもんな」

「いや。そんないいもんじゃないですよ」

「妹じゃないの?」

「妹ですよ」

「じゃあ、妹だろ」

「いや。そんないいもんじゃないです」

「話が通じてないな」

「いや、アレは妹(三次元)なんですが、みちる先輩の言い方だと妹(二次元)みたいじゃないですか」

「直人は三次元の妹ってどう思う」

「アホで凶暴で、デスメタルです」

「ああ。デスメタルって言ってたっけ……あのロリっ子が」

ロリっ子言うな。まぁ、うちの妹の外見はロリっ子だけどな。身長百五十センチないのは、高校三年生としてどうなのか。あと胸もAカップが余るというのは、高校三年生としてどうなのか。牛乳飲め。

「先輩は、兄弟いないんですか?」

「……いいたくない」

「失礼しました」

ちょっと立ち入りすぎたかもしれない。最近、うっかり気安くなっちゃっているが、長崎みちる先輩は無愛想クイーンなのだ。名前を聞いて『聞いてどうすんの』と返って来るレベルなのだ。もちろん、プライベートな質問とかしちゃいけなかった。

 もっとも、長崎みちる先輩が処女だってことは知っているが。まぁ、正確には過去の時点で処女だったと聞いている。現在も処女のままかどうかは知らない。箱を開けてみるまでは、猫が死んでいる宇宙と生きている宇宙の両方が存在している。シュレーディンガーの処女膜である。シュレーディンガーさんって女性だったっけ?

 そこにバスが、ディーゼルエンジンの黒煙と騒音を撒き散らしてやってくる。この路線のバスで通学するようになって気がついたが、何台か恐ろしく古いバスが走っている。床とか木で出来ている。

 今日のバスもその古いバスだ。

 みちる先輩に続いてバスに乗り込む。珍しく、後ろの方の二人がけの席が空いている。並んで座る。

 がごごっ。がごんっ。

 メカニカルで一生懸命な音を立てて、バスが走り始める。

「……姉がいるんだ」

みちる先輩が、珍しく俺の方を見ながら言う。にらんでいるみたいな目つきにも慣れると、意外と優しい瞳の色をしていることに気づく。

「そうなんですね」

「これが、またすごいリア充の姉でさ。私みたいなクソブスとは全然違うんだよ」

「クソブスじゃないですよ」

「殺すぞ。このクソリア充モテ男。」

「殺さないでください。おねがいします」

相変わらず、みちる先輩の殺意沸点が低すぎる。

「…………」

しかも、そのまま三白眼でにらまないでくれ。超こわい。

 バスのディーゼルエンジンが後ろでがおーがおー音を立てながら、坂を登っていく。

 みちる先輩は無言で俺をにらみっぱなしだ。

 こわい。

 なにかしゃべってくれないかな。

 みちる先輩に愛想を求めている自分を見つける。無茶な要求である。

「先輩……あのですね」

突破口は自ら開くのである。沈黙がこわすぎるのだ。

「…………」

みちる先輩の唇だけが、ほんの少し動く。音は何も出てこない。

「そこの中古車屋さん」

適当に、窓の外を流れる景色に話題を求める。

 ちらりと先輩の三白眼が動いて窓の外を見る。信号待ちで止まっている窓の外に中古車屋の展示場がある。ライムグリーンの軽自動車に『特選車』なんて書いてある。よく考えると、特選車なんて別になにも保証してない。その奥にはたぶん元は銀色。今はなんだかくすんだ灰色に近い色の車が十万円の値段がついて置いてある。

「十万円とかじゃないですか」

「……ああ」

「あれ、本当に十万円持っていったら、乗ってっていいんですかね」

「直人、免許あるの?」

「ないです」

「私もないよ。乗ってっちゃだめだ」

そう言いながら、先輩はその十万円カーに視線を注ぐ。

「……免許取ったら……」

先輩がつぶやいて、後ろでディーゼルエンジンが唸る。

「一緒にドライブとか行く?」

ディーゼルエンジンの音の裏で、先輩の呟きが耳に届く。なぜか、とても寂しそうな声。

「いきません」

だって、先輩に脅されて行ったテーマパークがアレだったし、情緒不安定なみちる先輩の運転とか怖すぎるだろ。

「そうだよな」

窓の外を十万円カーが後ろに流れて、消える。

「先輩?」

視線の先を失って、先輩がうつむく。オーバーオールの肩紐をかけた背中が少し寂しそうで、無意識に声が先輩を追いかけた。

「……なんでもない」

そう言って、先輩がまた窓の外を見る。

 無言と沈黙。

 長崎みちる先輩の普通の空気のはず。だけど、そこに少し湿っぽさを感じる。

 やっぱりお姉さんのこととか聞いちゃいけなかったかな。

 

 そう少し反省した。

 

 講義棟の前で先輩と別れて階段を上がる。二階の廊下の窓から下を見ると、みちる先輩が部室に歩いていくところだった。みちる先輩は、なんで漫画研究会(腐)に入ったんだろうな。漫画は描くのも読むのも好きみたいだけど、だれかと漫画の話で盛り上がっているのを見たことはない。というか、誰かと歩いているのも見たことがない。

 かといって、ぼっちというわけでもない。合コンに行って、ヘイトを募らせて帰ってきたりしている。

 相変わらず謎の人だな。

 まぁ、俺もみちる先輩から見たら謎の人かもしれない。なにせ、天使級スーパー美少女美沙ちゃんに好かれていて、付き合っていないんだからな。俺でもわからない。

 …………。

 漫画研究会(腐)のお姉さまたちの間で、ホモだと思われてたらどうしよう……。

 

 午後までみっちり講義と化学実験実習があって、スケジュールをこなすと夕方になった。美沙ちゃんにメールをして、バスに乗る。帰りはみちる先輩とは出くわさない。大学に来ると、みちる先輩との遭遇率が異常に高い。おかげでバス停にみちる先輩がいるんじゃないかと当たり前のように思っていたが、いないことだってもちろんある。

 駅前でバスを降りて電車に乗り、一駅先で降りる。

 住宅街を歩いて、通いなれた市瀬家に到着。

「お兄さん、また私の座椅子になってください」

カーペットの上にクッションを置いて参考書とノートを開くと、すぐに美沙ちゃんが俺の前に座って背中を預けてくる。

 なに?このバカップル。いいぞもっとやれ。

 最初のころは、のらりくらりと勉強を避けようとしていた美沙ちゃんも今はわりとすぐに集中して勉強をするようになった。

 肩越しに美沙ちゃんの書く整った文字を追っていく。美沙ちゃんは字も綺麗だ。平仮名がすごく多いけどな。ちなみに、うちの妹の字はめちゃくちゃに汚いが漢字は完璧だ。うちの妹は漢字が書ける。マシュマロ食べてタイムスリップできるかと思う。

 ときおり手が止まる。美沙ちゃんのギブアップのタイミングも最近はわかってきた。ギブアップの前に、ちょこちょことヒントを出す。最初のころは、数学なんかはヒントではすまなくて、全部解いて見せても翌日にはすっかり忘れていた美沙ちゃんだったが、最近は三回に一度くらいはヒントでわかってくれるようになった。

 集中力も増して、一時間くらい集中できるようになってきた。というか、問題を解く速度もあまり早くないのに、試験時間いっぱいまで集中力がもたないのではそりゃあダメだっただろうなと思い至る。

 家庭教師の効果があったような気はあまりしないのだが、少なくとも美沙ちゃんの対試験能力は上がっているだろう。

 それだけに惜しいなと思う。

 美沙ちゃんの対試験能力は上がっているけど、たぶんこのペースじゃ美沙ちゃんの志望校である妹と同じ大学の合格ラインまでは届かない。最初から分かっていたことといえば分かっていたことだ。他の受験生だって勉強しているんだ。そうそう簡単に逆転はできない……。志望校のレベルが高いほど難しい。相手も勉強の仕方を知っている相手になってくるからだ。

 途中、休憩を挟んで三時間少々勉強して夕食をごちそうになる。真奈美シェフの魔法レベルごはんと、由利子お母様の家庭料理が交互に出てくる。真奈美シェフは魔法を使うので、食事中は魔眼じー状態である。めちゃウマなご飯を作る真奈美さんだが食べるときは、白米だけぱくぱくぱくぱく完食して、次におかずをぱくぱくぱくぱく食べきるという不思議な食べ方をする。まぁ、食べ方は自由だと思う。

「あ。お兄さん。駅まで送っていきます」

夕食を食べ終わって、帰ろうとすると美沙ちゃんがそう言って玄関まで追いかけてきた。

「え?もう、暗いしいいよ。美沙ちゃんのほうが危ないよ」

美沙ちゃんは自分の美少女レベルがわかっていない。こんな天使級スーパー美少女が暗くなった住宅街を一人で歩いたりしていたら、ダライラマだって煩悩に突き動かされてしまうかもしれない。

「じゃあ、角の公園のところまで」

町の治安を考えて、遠慮する俺の言葉を無視してオレンジ色のミュールを履いて美沙ちゃんが玄関から後を追ってくる。今日の美沙ちゃんはサマーセーターとプリーツスカートだ。可愛すぎて少しめまいがするぞ。

 背中をしゃんと伸ばした美沙ちゃんと並んで、ぽつぽつと街灯の灯る住宅街を歩く。時折、美沙ちゃんの手が左手に触れる。

 何度か手がぶつかって、止まる。左手の指が美沙ちゃんの手に緩やかに捕らえられる。

 前腕にむずがゆいような照れくささを感じて、美沙ちゃんを見る。

 少し肩をすくめるようにして、鳶色の瞳が見上げ返してくる。そして、微かに微笑む。

 公園の前に来て、手を引かれる。静かに揺れるさらさらの黒髪を見ながら、手を引かれるままに誰もいない公園の中に入る。いつか真奈美さんと抱き合ったトンネルのある遊具の前を通り過ぎて、奥のベンチに並んで座る。

 繋いでいた手がほどかれて、かわりに腕全体に美沙ちゃんの体重を感じる。

 ベンチでしなだれかかるような美沙ちゃんの感触に心拍数が上がる。

「お兄さん」

呼びかけに答えようとして、舌が咽喉に貼りついていることに気がつく。緊張している。

「……その……」

隣から見上げる美沙ちゃんの瞳が泳ぐ。さらりと流れる黒髪からのぞく耳たぶが朱色にそまる。頬と、鼻先もふんわりと桜色に染まる。

「な、なに?」

「覚えてます?」

「お兄さんが私に嬉しいことしてくれないと、私もお兄さんが嬉しいことしてあげませんって言ったの」

記憶力に自信のない俺でも、美沙ちゃんに関することは覚えている。

 確かに言われた。

 美沙ちゃんが俺に、真奈美さんのことばかりだと怒ったときのことだ。

 真奈美さんのことばかり……幾度となく言われたな。

 そう思う。

 見上げる美沙ちゃんの垂れ目気味の瞳に、少し吊り目のヴェロキラプトルみたいな瞳がオーバーラップする。

「美沙ちゃん……」

ヴェロキラプトル三島由香里が泣いただけで、俺の胃はあれだけ痛んだのに美沙ちゃんに同じことをされたら死んじゃうな。

 なんとなく、そんな風に思う。

「目をつむってください」

紅潮した頬をほころばせて、少し悪戯っぽく目を細めた美沙ちゃんがつぶやくように言う。

「うん」

素直に目を閉じる。薄暗い公園の明かりは、まぶたの隙間を破ることなく暗闇を提供する。

「ぜったい目を開けちゃだめですからね」

だまってうなずく。

 美沙ちゃんの手が、俺の左手をつかんで持ち上げる。少し無茶な角度で引っ張られる。

 微かな布の感触。そして、温かで滑らかな感触。掌いっぱいに広がる。

「そっとなら、手を動かしてもいいですよ」

緊張感をもった美沙ちゃんの声。心拍数が高くなって、目を閉じた耳に血液の流れる音が聞こえそうだ。

 静かに指に力をこめる。

 柔らかで滑らかな弾力が押し返してくる。掌に感じるこの大きさを知っている気がする。

 口にあふれた唾液を飲み込む。咽喉の鳴る音がひどく大きい。

「…美沙ちゃん?」

まさか?

「……目を開けちゃだめですよ」

「美沙ちゃん」

「お兄さん」

指の力を緩める。弾力に押し返される。

「お兄さん……。私、嬉しいです」

掌を押し付ける。全体がゆっくりと沈む。

「嬉しいんです。お兄さんが……毎日、私のことを考えてくれてるのが」

掌に鼓動が伝わる。

「毎日、私のところに来てくれる。お姉ちゃんじゃなくて、私のところに来てくれるのが」

とくん。とくん。

「それだけで、このくらい嬉しいです」

鼓動が汗ばんだ掌を揺らす。

「……お兄さんが、私だけの彼氏になってくれたら…それは、想像できないくらい嬉しいことですよ」

指と掌が震える。

「そしたら、お兄さんにも嬉しいことしてあげます。想像できないくらいに嬉しいことだから、想像もできないくらいことだって……」

美沙ちゃんの汗ばんだ手が俺の手を引き降ろす。

 汗ばんだ掌が柔らかさを失って、平常へと帰る。

「目、開けてもいいですよ」

しばらくして、ほっとしたような声がまぶたを上げることを許可する。

 目を開ける。

 頬を朱に染めて、唇を軽く噛んだ美沙ちゃんがいる。

 自然と視線がサマーセーターの胸に降りる。いつもよりも少しだけ位置が低いその丸みを追ってしまう。

「美沙ちゃん……」

ふわりと黒髪が揺れて、胸に小さな丸い頭が押し当てられる。

「もっと、お兄さんに喜んでもらえることしたい……でも……」

幾度も、こんなことを繰り返した気がする。

 幾度も美沙ちゃんを泣かせた気がする。

 美沙ちゃんの一時の気の迷いだと思ったこともある。

 だけど、今の美沙ちゃんはもう高校三年生だ。

 高校三年間。たぶん、人生で一番長い三年間。ひとつの気持ちを持ち続けるには永遠と言ってもいいほどの三年間。

 

 汗ばんだ掌が熱を固いベンチに持っていかれるままになっていた。小さな震える背中を慰めることもなく……。

 

 ごめん。

 

(つづく)

 


 
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