/1
ムール=フス、ネアトリアハイム最南端の都市であり他の国々との距離が近いとだけあって他の都市とは違う賑わいを見せている。大通りでは露店がずらりと並んでおり商人たちが道行く人々に声を掛けていた。
ソーマは両腰にバスタードソードを刷いてその大通りを歩いている。物騒な得物を付けているせいか、他の人々と比べると声を掛けてくる商人たちは少なかったがそれでも声を掛けてくる商人は存在した。もちろんソーマは商人たちを無視したが。
元々、ソーマがこの都市にやってきたのは傭兵ギルドを介して受けた依頼をこなすためだ。依頼主はオラウス・ウォルミスという名の男である。ソーマはどこかでオラウス・ウォルミスの名を聞いたことがあるような気がするのだが思い出せなかった。
有名な人物であったような気はするのだが、引っかかるものがあるだけで思い出すまで至らない。だが思い出せないということは思い出す必要が無いということであり、ソーマは思い出すのを止めた。
「さて」と一言呟いてからソーマは周囲を見渡す。今ソーマが来ているのは大通りから少し外れた宿が密集している地域である。依頼人であるオラウスとはこの周辺にある<鋼の剣亭>という宿で落ち合わせることになっていたのだがそれらしき建物は見当たらない。
どこに行けばあるのだろうか、道行く人々に道を尋ねようとするのだが人々はソーマが腰に佩いているバスタードソードを見るや否やそれとなく距離を取ってしまう。仕方なくソーマは適当な宿屋に入り<鋼の剣亭>への道を聞くことにした。
手近な宿に入り、カウンターで椅子に座りながらウトウトしている主人を揺り起こし<鋼の剣亭>への道を聞く。
「<鋼の剣亭>? そりゃ運が良かったなあんた、それはうちのことだよ。ほら見てみな」
そう言って宿の主人は椅子から降りて、背後の壁を指差す。そこには<鋼の剣亭>と書かれた小さなプレートが張られていた。
「そうでしたか、実はここで待ち合わせをしているのだが……オラウス・ウォルミスという方はここにもうこられておるかな?」
「オラウス・ウォルミス? あぁ、あの英雄の名前を語ってるヤツか。そいつなら食堂にいるよ、このまま真っ直ぐ行って突き当たりを右だ」
店主に言われたとおりに廊下を真っ直ぐに進んで、突き当りを右へと行く。そうするとそこは開けた食堂になっており、いくつものテーブルと椅子が並べられているが食事時でないためか人の姿はまったくと言っていいほど見当たらなかった。
その食堂の中心のテーブルに一人の男が座っている。黒衣を身に纏い髪の色も黒く、但しその瞳は人あるまじき神々しさを超えて畏怖すらも感じさせる金色、そして羽織っているマントはといえばくすんだ黄色だった。話に聞いているオラウス・ウォルミスの特徴と合致している。
ソーマは男の座るテーブルの前に行くと「あなたがオラウス・ウォルミスだろうか? 私は依頼を受けてやってきたソーマ・デュランという者だ」と言った。金色の瞳を持った男は静かにうなずく。
「そう、俺が傭兵ギルドに依頼を出したオラウス・ウォルミスだ。ソーマ・デュランといったか、実はもう一人この依頼を受けている傭兵がいるのでその者を待ちたい。それまでの間、しばし酒盃を交わしながら歓談とはいかないか?」
テーブルの上を見れば葡萄酒が入っていたらしい酒器が置かれており、ソーマが車での間オラウスは既に酒を飲んでいたのだろう。だが酔ってはいないらしく、肌に赤みは差していない。
「せっかくの申し出ではありますが遠慮する。歓談のお誘いは嬉しいのだが、酒が入ると依頼に差し支えることかもしれない」
「何、気にすることは無い。仕事をしてもらうのは夜もふけた頃になる、その時に酒が抜けていればいいだけのこと」
そういうやいなやオラウスはソーマの意見を無視して食堂の端っこに立っていた女中に葡萄酒を二杯持ってくるように言いつけた。見たところ、オラウスの性格は悪くは無さそうではあるが他人の意見を聞かないところがどうにもあるらしい。
女中が葡萄酒の入った酒器を運んでくるとオラウスは取っ手を掴んで酒器を掲げた。乾杯でもしたいのだろうか、彼にあわせるようにしてソーマも同じように酒器を掲げる。
「それでは、今日の良き出会いに乾杯」
オラウスの音頭で二人は互いの酒器を軽く触れ合わせ最初の一口目を付ける。この宿の葡萄酒の味は悪くも無いが至って平凡なものだった。
「一つお聞きしたいのだがオラウス殿、私以外にも依頼を受けている人間がいると言われたが……どのような人間なのかご存知なのだろうか? もし知っているのならばどのような方なのか教えていただきたい」
ソーマの問いにオラウスは葡萄酒を飲む手を止めて、金色の瞳でソーマを射抜いた。背筋に虫が這うような気色悪い感覚が襲ってくるが、表情に出ぬようにして金色の瞳を見つめ返す。おそらくは一秒にも満たない時間であったのだろうがソーマには酷く長い時間のように思えた。
オラウスは酒器をテーブルの上に置き、口を開く。
「まだ会ってはいないのでどのような人物なのか詳細は知らん。ただ、名前はクロムラ・ゲンジ、というらしい。ここらでは珍しい名前だ、違う大陸の出身者なのだろう。どこの国からなのか、おおよそは付くがな。遥か東方の国から来たのは間違いなかろう、それだけの胆力を持つ人物だ。一筋縄ではいかないことは確実だろうな」
「クロムラ・ゲンジ……」
その名を呟いてクロムラ・ゲンジなる人物を想像してみようとする。だが聞きなれない名前であるためか、想像のしようが無かった。オラウスはといえば歓談しよう、と自分から誘っておいて話題を出すことなく葡萄酒をちびちびとやっている。
何という男だろうか、とソーマがこの依頼主に対して思っていると嫌な臭いが鼻に付く。煙草の臭いだ。誰が吸っているのだろうかと食堂を見渡すがオラウスとソーマ以外には誰もいない。では誰だろうと思い入り口に目をやってみれば異様な男が立っていた。
伸びた髪はぼさぼさで返り血を浴びた後のように赤黒くそれを後ろで縛っている、来ている服はといえばオラウスやソーマの着ているものとは作りが大幅に違い、着るというよりも羽織るようにして着るタイプの服を着ていた。その服も髪同様に手入れがされていないのかところどころ破けていたり、裾の部分がぼろぼろになっていたりとみすぼらしい身なりだ。生まれもあまり良くないのだろう。
その身なりの良くない男はオラウスの姿を見るやずかずかと歩み寄り「お前がオラウスか?」と尋ねた。オラウスが葡萄酒を飲みながら頷いて答えると男は腰に差していたロングソードを抜きはなつが早いかオラウスに切りかかる。オラウスは男に視線すら向けていない。
テーブルの上に葡萄酒の入っていた酒器が転がり、中身が広がっていく。ソーマはオラウスが斬られたとばかり思っていたが、オラウスの体には刃が触れていない。オラウスは左手で何かの印を結んでおり、それの直前で男のロングソードは盾で防がれているかのように硬直していた。男の方も渾身の力を込めているようだがオラウスの見えない盾は動じない。
ようやくオラウスは斬りかかってきた男に視線を向けた。
「クロムラ・ゲンジか? 一応話には聞いていたがそうとう血気盛んなようだな、俺を斬りたい気持ちは分かるが今は止めとけ。存分に斬る相手をすぐに用意してやる、夜まで待て」
「何で止めれたんだ? 俺はこう見えても抜刀の早さには自信があるんだがな」
いいながらクロムラらしき男はロングソードを鞘に収めた。オラウスは溜息を一つ吐く。
「俺の腰を見ろ」
オラウスの言葉にクロムラは従う、そして目を丸くした。
「なるほど、あんたも俺と同じモンの使い手だったかぁ! そりゃぁ分かる、分かるぜ旦那ぁ!」
狂ったように笑うクロムラ、彼はひとしきり笑った後、突然オラウスの眼前に自分の顔を突きつける。
「けれどそれじゃ理由にならねぇ……伊達に俺だって人斬りやってきたんじゃねぇんだ、何で見切れた?」
「そんだけ殺気立ってりゃ誰にだって警戒させる。俺が誰だか分かってないようだなクロムラ、黒のオラウスの話の知らんのか?」
この言葉でソーマはオラウスの名前をどこで聞いたのか思い出した。三〇〇年前、ネアトリアハイム建国戦争の三人の英雄のうちの一人がオラウス・ウォルミスなのである。だが幾らなんでもあれは三〇〇年前、現代にオラウスがいるはずはない。だが伝説が述べているオラウスの特徴と目の前にいるオラウスの特徴はあまりにも一致しすぎている。
どうやらクロムラはこの辺りの事は詳しくないのか“黒のオラウス”と聞いても何も感じていないようだ。オラウスとクロムラの睨み合いが続く。そこでソーマがわざと咳払いをすると二人の視線がようやくこちらに向いた。
「私としては早く依頼の話をしてもらいたいのだが、無駄な時間を過ごしたくは無い。話を進めて欲しいのだがオラウス殿」
「あぁ、それもそうだな。早く座れクロムラ、んでもっておい女中さん! 葡萄酒を三つ持ってきてくれや!」
クロムラを座らせ、話を始めるのかと思えばまた酒を注文するオラウスを見てソーマは呆れた。この男は酒がないと駄目なのだろうか。仕事の話ぐらい酒が無くても出来るだろうに。
三人分の酒が届くとオラウスはさて準備が出来たといわんばかりに体を前に出してくる。
「ディルケイオスって名前聞いたことあるか?」
ソーマは頷いた。この国の伝説、というよりかは歴史にも関わっている魔剣の名前だ。詳しくは知らないがネアトリアハイム建国に際しての大きな障害になったという。詳細は知らないがその被害は甚大であり、力の大きさで言うのならば彼の聖剣アログリスと同じ程度だったと伝えられているはずだ。
だがクロムラはやはりこの地方の人間ではないらしく、顎に指を当てて首をかしげている。
「まぁ、知ってる知ってないはこの際問題じゃない。どうもそいつをある団体が手にしたらしくてなぁ、ちょいと奪いに行こうかと。そういう話だ」
「オラウス殿、質問がある。ある団体とは何だ? 依頼文にそのようなことが記されてはいなかったが、我々には知る権利があると思う」
「あんたの言うことは最もだなぁ……組織ってのはエトルナイト騎士団、と名前はまだ知らないが異教の組織だ。マール・クリスでも隣で信奉されてる神さまでもねぇ。何を信奉してるか大よその予測はついてるんだが、教えても意味が無いな。言ったところで常人には理解できないし、するのは危険だ」
隣に座っていたクロムラの気配が動いた。視線を向ければ彼は口元を歪め瞳には狂気を潜ませている、性質こそ違えど彼はどうみても喜んでいるようにしか思えない。
「おい、おれは故郷じゃあ神殺しの玄侍って呼ばれてるんだ」
「勘違いしてるなお前、本物の神ってのには死の概念すらない。それを殺す? 馬鹿げたことを言うな」
冷たい視線を浴びせかけられたクロムラの眉が動き、額には青筋が浮かぶ。激昂しているのは確かだ、加えていつのまにか手は剣の柄に移動している。
一触即発の空気の中、オラウスは涼しい顔で葡萄酒を飲むだけだ。それにしてもこの男、先ほどからかなりの量の酒を呑んでいるはずだが顔も赤くはならないしまったく酔っている節を見せていない。ソーマは酔わないように量を調節しており、目の前には酒器が二つも置かれている状況である。
「先に断っておくが俺は殺せないぞ。まず考えても見ろ、三〇〇年前に死んだ人間が復活すると思うか?」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ!」
クロムラが剣を抜いた。窓から差し込む光が刃に反射し凶暴な煌きを見せる。保身のためにソーマはさりげなく席を立って二人から距離を取った。オラウスは相手が剣を抜いたというのに座ったまま、クロムラに視線を送るだけだ。
「死んだ人間は蘇らない。これは大前提だ、覆せない。つまりだ死の枷から解き放たれた人間がいるとするのならば、そいつは殺せるか?」
「殺してみせる」
「意気込みを聞いてるんじゃない。論理的に考えろ、もし出来ないのならば俺の瞳を見つめてみろ。そうすりゃ実感できる、但し……発狂するなよ?」
ここでオラウスの表情が変わる。口元だけ歪めた笑みを浮かべている、その瞬間ソーマにはこの場の空気が変わったように思えた。先ほどまでは太陽の光が差し込み程よい暖かさを保っていたはずだ、そして今も保っているはず。だというのにソーマの肌はここが寒いと言いたいのか鳥肌を立てていた。
そして知らずのうちにソーマはオラウスから距離を取っていることに気付く。理性ではなく本能が危険だと告げていた。知らずのうちにかいた汗が服を濡らしている。今のオラウスは間違いなく危険だ、そのことをクロムラに告げようと喉の筋肉を動かしたが遅かった。
クロムラは金色の瞳を覗き込む。その瞬間、クロムラは脱力したようにその場に天井を仰いで倒れていた。慌ててソーマが倒れるクロムラに駆け寄ると彼の瞳は焦点を失い、口は何事か呟いているようであったが舌が痙攣しているのか言葉にならない。
オラウスはといえば相変わらず涼しい顔で葡萄酒を飲んでいる。
「クロムラ殿に何をした!?」
「見せてやっただけだ、自分たちの住むこの世界の真実をな。俺が仕える旧き支配者の一部を見せてやっただけだ、元からそいつは狂ってるんだろう。だから失神程度で済んだのだろうが……常人ならば発狂死は免れんかったな」
何が嬉しいのかオラウスは高笑いを上げる。その声は紛れも無い人間の声帯から発せられたものであるはずなのだが、ソーマの耳には人間の皮を被っただけの得体の知れない、名状しがたい怪物が玩具で遊んでいるようにしか見えなかった。
/2
夜が更ける頃になってようやくクロムラは目を覚ました。ソーマは早速、彼に何を見たのか問いただしてみたがクロムラはオラウスの瞳を覗き込んだところまでしか覚えていないと言い張る。
本当か、と何度も念を押すように尋ねたが本当に彼はそこまでしか覚えていないようだった。だが、酷く恐ろしいものを見たらしく記憶を呼び出そうとすると彼の体は震えだすのだ。彼の中にある防衛本能が記憶を呼び覚ます手立てを邪魔しているらしい。
クロムラが思い出せないのなら見せた本人に尋ねようと、ソーマはオラウスに何を見せたのか尋ねた。だがオラウスは笑うだけ。教えるような素振りを見せようともしてはくれない。
だが彼は最後に一度だけ「見たいのか?」と聞いてきたのだ。しかしソーマは断った。その瞬間にオラウスの金色の瞳が異様な輝き方を見せたというのも理由の一つにあったが、第一の理由はその時のオラウスの声が妙に冷たい響きを持っていたからである。その声を聞いた瞬間にソーマは背筋が凍りつくような思いをしたのだ。それが理由である。
結局、それ以降ソーマはクロムラが何を見たのか探ることを諦めた。きっとそれが正解だろうと思ってのことだ。オラウスの冷たい声の響き、記憶を掘り起こそうとすると震えるクロムラの体。
そのどちらもがソーマに真実へ辿り着くなと警告している。
それ以上の詮索を止め、相変わらず食堂に会話もなく三人はたむろしていた。クロムラは目が覚めたとはいってもまだ意識は朦朧としているのか、椅子に座っているだけで時折姿勢を崩しそうになっている。
依頼人のオラウスはといえばいつになったら仕事を始めるのか、昼間からずっと葡萄酒を肴も無しにちびちびと飲み続けているだけで一向に始める様子がない。苛立ちが募ってくるがオラウスの持っている力を目の当たりにしてしまった以上、口を出す気にもなれなかった。
それにしてもオラウスはどれだけの量の葡萄酒を飲み干したのだろうか。昼間から何杯も飲んでいるのだが一向に酔う気配がない。顔が赤くすらならないのだ。ソーマも付き合いの手前、ちびちびと飲みながら相手をしていたのだが日が沈み始める頃には支障を来たしそうになったのでもう飲むのを止めている。
クロムラが突然に体勢を崩してこちら側に倒れてきたのでソーマは支えてやった。クロムラは体勢を立て直した後「すまない」と礼を言ってくる。最初に見たときの彼からは想像の出来ない行為だった。
ソーマの中でクロムラは狂人の烙印を既に押されていたのだが、必ずしも狂っているというわけではないらしい。もしかしたら、オラウスが見せたものに影響されているという可能性もあるのかもしれないが。
そしてオラウスはといえば、今までちびちびとしか飲んでいなかった葡萄酒を一気に煽って飲み干し酒器を叩きつけるようにしてテーブルの上に置いた。
「良い感じに夜も更けた、仕事に行こうじゃないか」
オラウスは立ち上がり今までに飲んだ葡萄酒の代金―ソーマとクロムラの分も―を置いて外へ出て行こうとする。ソーマは即座に立ち上がるが、クロムラはまだダメージが抜け切っていないのか少しふらついた。だが彼も無事に立ち上がりオラウスの後へと続く。
<鋼の剣亭>の外に出ると街の様相は変わっていた。街路には娼婦が立ち並び道行く人々に声を掛けている。多くは彼女たちを無視しているが、中には明らかに値踏みをしている者もおりソーマは吐き気を覚えそうだった。
「結構、いい女いるじゃねぇか」
だがクロムラはといえばそうではないらしい。仕事中だというのに女性へと目に行っている。不謹慎な、と思ったのだが女性に目をやっているのはクロムラだけではなかった。依頼人であるオラウスまでもが娼婦を見定めていたのだ。
「おいクロムラ、あそこの女の乳いい形してるとおもわねぇか?」
「いや俺はあの女の乳よりもそっちの女の尻だな。ありゃ安産型だ、かーっ抱きたいねぇ」
等と言いながら出会ったときの一触即発の空気はどこへやら、二人は肩を組みながら歩き出している。呆れながらソーマは彼ら二人と一歩だけ距離を置いて後ろを付いていった。
オラウスは娼婦達を値踏みし、クロムラと点数を付け合って遊びながらも確実に目的地へと向かっているようだ。証拠に人の気配は徐々に無くなっていき、娼婦の立ち並ぶ華やかな場所では無くなっていた。クロムラもその気配を感じたのか組んでいた肩を外し、それとなく剣の柄へと手を伸ばしている。臨戦態勢を整えているのはソーマも同じだった。
唯一人、オラウスだけが能天気に両腕をブラブラとさせながら歩いていく。その足取りは軽快で今にも口笛を噴出しそうな気配さえ感じさせた。どうして彼はここまで楽観的になれるのか理解できない。
「さてとお二人さん、目的地に到着だ」
言ってオラウスが足を止める。周囲を見渡すが灯りの灯っていない人家が並んでいるだけであって、怪しげなものは特に無い。
「二人ともどこを見てるんだ? 俺の足元を見てみな」
そう言ってオラウスはつま先で地面を軽く小突いた。そこには取っ手の付いた木製
の蓋がある。
「そこが目的地なのか?」
ソーマが尋ねるとオラウスは首を縦に振った。
「但し中に入るのは俺とクロムラの二人だ、ソーマ。あんたはここで待機、おそらく中から逃げ出してくる連中がいるだろうからそいつらを斬ってくれ」
「何故?」
「人選のことか?」
「いや、人選のことではない。依頼主のあなたが決めたのならば私は文句を言うつもりは無い、ただ……逃げてくる人間を斬るというのは性にあわん」
「だったらクロムラと役割を変えるか? ちなみにこの人選にも確固たる理由がある、クロムラは視た。だがあんたは何も知っちゃいない、俺がこれから中でやること中で起きることに対する耐性をあんたは持っちゃいない。あんたが俺と中に来ることについては問題ない、俺にとっては。だがあんたにとっちゃ別だ、厄介なことに巻き込まれるのはごめんだろう?」
反論したくはあったが、ソーマは何も言わずにオラウスの言うことを受け入れることにした。彼は依頼主である、下手に逆らって機嫌を損なえば報酬金額が低くなることも考えられるのだ。
ただ、ソーマとしてはクロムラがどう思っているのか聞いてみたくはあった。彼はオラウスの瞳を覗き込んでからというもの、反抗的な態度を見せようとはしない。今のオラウスの言い方から察するにれっきとした理由があるのだろうが、オラウスは答えてくれそうにないしクロムラも質問させる隙を与えようとは何故かしなかった。
「わかった、ならば私はここで待っていよう。出てきた人間を斬ればいいのだな?」
「あぁそうだ。遠慮することは無い、出てくる人間は邪教を信奉しているような人間だ。どうせロクなヤツじゃない」
「了解した」
私はマールクリスを信じているわけではない、そう言いたくなったが言わずに心に留めておくだけにしておいた。
左腰に佩いているバスタードソードを鞘から引き抜くと、それを見たオラウスは満足げに微笑む。
「それじゃ行こうかクロムラ」
「承知した」
二人はそれぞれの得物を手にし、蓋を開けた。中には地下へと続く階段があり、底の方からは僅かではあるが光が漏れ、人の声のようなものが聞こえてくる。二人は音を立てないように慎重に進み、そして蓋を閉めた。後にはソーマだけが残される。
しばらくは何も起こらなかったが、不意に蓋から漏れるようにして人の叫び声が聞こえ始めた。推察するにオラウスとクロムラの二人が斬り込み始めたのだろう。となれば、間もなく逃げ出してくる者が現れるはずである。
気を引き締めてバスタードソードを構えなおすと、ゆっくりと蓋が開いた。しかし、開ききっても誰も出てこない。不思議に思いソーマが近づこうとした段階になってようやく中から人が現れた。
男で、白い法衣を身に纏っているために腰に佩いているロングソードが不恰好に見える。そして男の真っ黒な肌が白い法衣を一際白く見せていた。即座に斬りかかるべきだと分かっていたのだが、男の仕草があまりにも優雅だったので思わず躊躇ってしまう。
「ん? 人間か?」
男はソーマに気付いたがさして気にした風もなく背を向けてこの場を立ち去ろうとする。しかしそんなことを許すわけには行かない。ソーマは手にしているバスタードソードを両手で上段に構え音を出さないように足を動かし斬りかかった。
いつ気付いたのだろうか、そしていつ動いたのだろうか。男は後ろを振り返ろうともしないまま抜き放った剣でソーマの斬撃を受け止めていた。
「何!?」
「まったく無視しておけばいいものを……オラウスからは何も言われなかったのか? ヤツのことだ、黒い剣を持った男は放っておけぐらいは言いそうな気がするが」
オラウスからそのようなことは何も言われてはいない。そして男の手にしている剣の刀身は黒かった、夜の闇よりも。嫌な気配を感じ、背筋に寒気が走りソーマは後ろに三歩分跳んだ。
剣を右手に持ち替えて、左手で右の腰に佩いていた剣も抜きそれを柄の部分で二本を連結させる。振り返った黒い肌の男は黒い刀身の剣を構えながら面白そうに微笑んで見せた。
「ふむ、双刃剣か。なかなか面白い得物を使うようだな人間。しかし、それとて鋼で作られたただの剣。私とて絶対の悪人ではないから一つだけ忠告しておいてやろう。怪我をしたくなければここから去れ!」
ソーマには男の忠告を聞き入れるつもりはない。出てくる者は斬れというのが依頼主であるオラウスの意向であるし、何よりもこの得体が知れない男をこのまま取り逃しておくわけには行かなかった。
右手に双刃剣を持ち左手を黒い肌の男に向けてかざす。さきほど、背後からの攻撃をいとも容易く防いだようにこの男とまともに戦いあえば勝ち目はない。だが絡めてならばどうだろう。
ソーマの得意とする魔術は相手の視覚を狂わせるもの。人間は視覚から多くの情報を得る、その視覚を狂わされた人間はどうなるか。まともに戦うことはおろか、歩くことすらままならないだろう。
魔術を発動させ、三歩分の距離を一気に詰めて切りかかる。男は魔術の効果で幻覚が見えているはずで、ソーマの行動に気付けるはずがない。だというのに男はソーマの斬撃を見え透いている、とでも言いたげに避けてみせる。
振りぬいた後、隙が出来たにも関わらず男は何もせずソーマの瞳をじっと見ていた。その瞳の色は有り得ない色をしている。オラウスの金色の瞳も有り得ないものではあるが、この男の瞳の方が遥かに有り得ない。
七色に輝き刻一刻とその輝きを変化させる瞳を持つ人間などどこにいるだろうか。間違いなくこの男は人間ではなかった。ソーマは慌てて距離を取り、逃げるべきかと思案したが開け放たれたままの蓋の中からはまだ人の泣き叫ぶような声が聞こえている。
オラウスとクロムラの二人を置いたままこの場を立ち去るわけには行かない。呼吸を整え再度攻撃の隙を窺う、男も剣を構えておりそこには隙がなかった。視覚を狂わす魔術をかけたはずなのだが、どうにも効いていないらしい。
「優れた太刀筋だ。見た目とは裏腹に相当腕を磨いているようだな、そして魔術。さしずめ視覚を狂わせるとはよく考えたものだ。だが残念なことに私の持っているこの剣は普通のものではない」
男はソーマの言葉を期待していたのか一拍間を置いてから溜息を一つ吐いた。
「やれやれ、釣れない人間だ。だがまぁ良かろう。私の持つこの剣を貴様は知らないようだが、名前を言えば驚くだろうな。私の持つこの剣こそ、あのアログリスと相反すると言われた魔剣ディルケイオスだ」
男の言うことは俄かには信じがたいことだったが、今までの現象を説明するのには非常に合理的だ。特別な力を持った魔剣を持っているというのならば魔術が通用しなかったことにも合点がいく。
「逃げ出さないのか? 私が持っているのはディルケイオスだぞ? 魔剣だぞ? 怖くないのか? 恐ろしくないのか?」
言葉で答えず剣を構えなおして交戦の意思を示す。そうすると男は興味ありげに七色に輝く瞳を丸めて見せた。
「そうか、怖くないか。ではその恐ろしさ、まじまじと見せ付けてやるとしよう」
男の足が動く、今ソーマと男の間の距離はたったの一歩分しかない。両手で剣を構えなおして防御の体勢を取ると手が痺れるほどの衝撃がやってきた。
「ふむ……そうそう簡単にやらしてはくれんか」
男は感心するようにそう言ったが、ソーマには今の太刀筋がまったく見えていなかった。見えていたのは男の初動だけで、それ以降は何も見えていない。たまたま防御できたのは運が良かったのと、ある程度男の動きを推察できていたからだ。
「だが、これならどうだ?」
視界から男の姿が消えた。後ろに回りこまれる、そう感じて脇の下から剣を突き出す。背中に回りこんでいるのならば少なくとも牽制にはなっているはず。
出来る限り首を動かさないようにして視界を後ろに向けると、そこには誰もいなかった。まさか、と思うよりも早くすぐ左側から男の声が聞こえる。
「素晴らしすぎる読みだ、私もこの剣がなければ危なかっただろう。しかし残念かな、貴様はただの人間で持っているのもただの鋼。それで私に敵うと思ったのがそもそも間違いだ。恨むのならばオラウスを恨めよ」
斬られる、そして死ぬ。そう思った、それを避けるべく大きく右に跳んだのだが少々遅かったらしい。左わき腹に熱いものを感じた。
「ハハ、それでは遅いぞ人間!」
ソーマが着地するよりも早くに男は正面に回りこみ、既に体勢を整えている。速度が違いすぎた。間に合うはずもないがソーマは剣を前に突き出そうとするが、それよりも早くに男の剣が振り下ろされる。
左腕の付け根から激痛が走り、体のバランスが何故か崩れソーマは右肩から地面に倒れこんだ。思わず手を剣から手放して痛みの元へと手を伸ばすと、そこにはあるはずの左腕が無い。
混乱しつつも視界を巡らせると男の足元にソーマの左腕は転がっていた。
首元に冷たい感触が感じられる。月光すらも反射しない漆黒の刃が突きつけられていた。ここで死ぬのか、現実はソーマにそう告げてくるが実感が湧かない。なにせ一度は死に掛けたこの身である。だからというわけでもなく、ソーマは死を受け入れようとしていた。
「ディルケイオォォォス!」
咆哮に近い叫びが夜を切り裂く。ソーマと黒人の男が同じ方向に視線を向けた。そこには地下室から飛び出してきたオラウスが緑に輝く剣を持って構えている。地下でよほど凄惨な出来事が行われていたらしい、彼の全身は血に塗れており、髪の毛の先端からは鮮血がポタポタと垂れていた。
「ようやく来たかオラウス、しかし少しばかり遅かったなぁ。貴様の手駒のひとつは見ての通り、かたわ者だ。まぁ私は優しいから切り落とした左腕はそのままの状態にしてやってるからな、失血死するまえだったらイロウ=キーグの眷属である貴様のことだ。繋げてやるぐらいは容易だろう?」
そういって黒人は両腕を広げ、口を三日月形にして笑う。そこには狂気があった、同時に狂気を超えるものも存在していた。その狂気を超えたものを表現する言葉をソーマは知らない。おそらく世界中のどこにも存在していないだろう、黒人が今抱いているであろう感情は通常の人間ならば抱かない類のものだ。
オラウスの視線がソーマに向けられた。彼の表情が憔悴を浮かべる、自分のことは放っておけとソーマは首を振るがオラウスはソーマを見殺しにする気はないようである。
「ふぅむ、しかしさてさてどうしたことやら。よく考えればこれは人質に使えるんだよなぁ? オラウス君は英雄だから命を放り投げてるような傭兵だったとしても簡単には切り捨てられないだろうしなぁ。さぁ、どうするオラウス君?」
男の視線がオラウスへと向いたとき、そこにはもうオラウスはいなかった。いつのまに移動し、そして斬りこんでいたというのだろうか。オラウスの剣は深々と男の右肩から鳩尾にかけて切り込まれており、男の持つ魔剣ディルケイオスはオラウスの腹部を刺し貫いていた。
お互いがそれぞれの得物を抜き、距離を取った。男の右半身はだらりと地面に垂れ下がっているが、血は流れないし内臓があふれ出すようなこともない。断面には黒い物質が詰まっているようだった。
そしてオラウスも腹を刺し貫かれたというのに血を流していない、それどころか痛みも感じていないのか微塵の隙も無い構えを取っている。あまりにも現実離れした光景にソーマはこれが夢ではないかと思いそうになるが、左肩の熱い痛みがそれを見事に否定していた。
「なるほど……どうも様子がおかしいと思ったら、オラウス。君の体は土くれで出来ていたのか。そうだな、考えればそうでなければおかしい。人の肉体が三〇〇年もの間保つはずがない、しかし何故だ? 何故土で体を作った? この世界にはいなくなっても困らない人間が何千といるだろう? そういった連中の体を何故奪わない? 奪えばお前は私に刺し貫かれるようなことは無かったはずだぞ?」
男の言葉に返答する代わりにオラウスは一歩足を進めた。それを見た黒人は首をすくめる。
「やれやれ、今の貴様と戦ったところで何の興にもならんわ」
そう言って男は身を翻した、と同時にその姿を消した。有り得ない、有り得なさ過ぎる現実を立て続けに見せられてソーマは左腕の痛みを忘れそうになる。それを思い出させたのはオラウスだった。
ソーマが男の消えた場所を凝視している間に切り落とされた左腕を持ってきてくれ、それを傷口につなぎ合わせようとする。だからといって繋がるようなものではない。一度切り落とされた手足を繋ぎ合わせるような医術も魔術も共に無いのだ。
だがオラウスはしゃがみこんで繋ぎ合わせた箇所に手を置き、擦れるような音としか聞こえようの無い呪文らしきものを唱えると痛みが薄れ始め、左腕の感覚が戻ってくる。ここまで超常現象が立て続けに起こると、あらたな怪奇に出くわしたところで驚かなくなっていた。
立ち上がったオラウスが一言「これで大丈夫だ」と言ったときにはもう痛みは微塵も無く、左手の五指もそれぞれちゃんとソーマの意思どおりに動く。切られたはずの左腕は完全に繋がっただけでなく、傷跡すらも残ってはいなかった。
「オラウス殿……あなたは一体?」
「三〇〇年前に死んだとされる英雄、それ以上でも、それ以下でもないさ」
オラウスの金色に輝く瞳がやけにソーマの印象に残った。
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