「マリーナ起きてる?」
「……えぇ」
「眠れないよね?」
「そりゃね」
自分には見えなかったがルームメイトが「何かいた」と言うのだ。彼女にしても酷く気持ち悪いことだろう。
「大丈夫、今はいないから」
「……そう」
マリーナが寝返りを打つ気配がした。
起きあがったエディは何も言わず、魔道衣に袖を通した。既に修繕の済んだ魔道衣は新品とも思える着心地だった。エディは、毎度手間を惜しまず修繕してくれるマリーナに感謝する。
「エディ?」
「ちょっと行ってくる。マリーナは私が守るから」
それは決意の声に聞こえた。
「守るって」
「私は見えるみたいだから、これは私じゃないといけないんだと思う。原因もたぶん私だし」
「原因って、何言っているのよ。またそうしてなんでも自分の所為にするんだから」
違うの、本当に私が原因だから。だから私の姿をしてあの魔女が現れるんだから、とはエディは言えなかった。
「まぁ、特訓ついでに退治でもしてくるから安心して」
窓を開けてエディはマリーナに微笑みかけた。それは無理矢理の笑顔だった・
マリーナはアレがどんなものか知らない。エディがわざと退治なんて簡単な言葉を使ったのはマリーナに心配させまいとしたエディなりの配慮だった。
(アレが本当に『魔女』なら、私程度が退治出来るはずがない……、けど)
「マリーナ、みんなには内緒ね。いつも通りに帰ってくるから」
(『魔女』を相手になんかしたら私は殺される?)
そういう考えが頭を過ぎったというのに、窓から身を放り出したときの夜風がとても気持ちがよかった。
エディは走った。アレがいる場所はわかっている。どうしてだか記憶はおぼろげだが。洞窟までの道程を忘れたわけではない。
学園から寮までの近道、雑木林の中をエディは駆けていく。
「確かこの辺に……」
脇道があったはずだ。昨日はそれを通って辿り着いたのだ。それなのに夜の暗がりの所為か、あの分け入っていく小道が見付からない。
「この辺だよ。この辺にあったんだよ」
それなのに見付からない。エディは次第に焦りを感じ始めていた。
あの洞窟への小道がない。たった一日前の記憶がここだとつげているのに。考えれば考えるほど、後頭部が熱を帯びて考えが廻らなくなる。
道がないということは、あの記憶が夢だったのではないのか。青き洞窟の果てで見付けてしまった私自身は全て夢で、今日見たあの姿もエディが起きながらにして見た白昼夢だったのか。そんな考えが浮かんでしまう。
マリーナには見えなかった。幽星気(エーテル)を写すはずの水晶にも映らなかった。実力者のクランも痕跡は何もなかったと言う。だったら見たのはエディ一人。
「夢だったのかな……」
あの自分自身にそっくりな少女は全て幻で、エディは今日一日、幻に振り回されていたのではないか。落ちこぼれと揶揄されているストレスで、幻視を見るようになったのではないか、という疑念さえ湧いてくる。
〔何が夢なんじゃ?〕
「ひっ!」
悲鳴じみた声をあげてエディは振り返る。
何の感慨もなく、何の予感もなく、そうしてエディの背後にいることが、さも当然と言わんばかりにそれはいた。
今日エディの部屋に現れた銀髪の少女。エディと同じ黒の魔道衣が森の闇に溶け、その銀髪と金色の双眸だけが暗がりに浮かんでいた。いや、叙述的に浮かんでいるのではない。実体のない彼女は実際に空中に浮かんでいたのだ。
突然の遭遇に、エディは彼女に会って何をすべきだったのかを忘れてしまう。
〔急に大声を出すでない。ただでさえ主(ぬし)は声が大きいのじゃ。ほれ、木霊(こだま)も驚いておる〕
見た目は全く同じなのだが、エディとは対象的に落ち着いた態度で銀髪の少女は言った。
周りを見るが、エディの『霊視』には木霊など映らない。そもそも木霊と言えば神聖な霊場や霊山の森にのみいる精霊だ。こんな学園の近くで見たと言う話は聞かない。
「木霊なんていないじゃない」
〔主。もしや、主の目に映るものだけが世の全てと傲(おご)っておるのか?〕
まるで挑発するような言い様。銀髪の少女の嫌らしいにやついた顔をしていた。自分と同じ顔でそんなことをされると、余計に腹立たしい。
「そ、そんなことないけど、私『霊視』出来るし」
〔はっ、主のようなこわっぱの『霊視』など、世の半分も視えておらぬわ〕
その言葉にエディは反論出来ない。視えるからこそわかる。『霊視』を持つとはいえ、エディにも視えないものが確実に存在している。それは視えない者には一生かかっても解らぬ幽世(かくりよ)の深淵。何かが視えるということは、視えるもの以外は視えないという意味なのだ。今視えているものが全てだなんて、そんな自信はエディにもありはしない。
現世(うつしよ)と幽世、言葉では世界を二つに分けていたとしてもその境界は酷く曖昧だ。何を持ってして幽体と呼び、この世ならざるモノと言うのか。『霊視』が出来るからこそ、エディには断言が出来ない。もし現世に生きる者以外を幽体と呼ぶならば、幽世が一部とはいえ視えてしまうエディもそれに含まれてしまう。
「っていうか、突然現れてそんな説教臭い。というより、あんた何者よ! どうして私の姿をしているのよ!」
エディの瞳に力がこもる。確かにエディにも視えぬものはあるが、今確実に銀髪の少女は視えている。
今までは気付かなかったが、幽体だと思って見てみれば、その少女の体は輪郭がぼやけて不確かだ。まるで地に足がつかないみたいに宙に漂っているのもよくわかる。やはり幽世のみの存在かと、エディは確信した。
〔またそれか。どうして我が主の姿をせねばならぬ?〕
「何しらばっくれているよ! 私の姿しているじゃない、あんた」
〔何を言うておる? 我には主の言葉がとんとわからん〕
その様子はとぼけているようにも見えなかった。
「何って、だからあんたが私と同じ顔をしている理由よ。それとも何、人の姿真似る悪趣味なの? 魔法で化けて見せるのがそんなに楽しいわけ?」
それがドッペルゲンガーとしての性なのか。いや、まだこの銀髪の少女がドッペルゲンガーと決まったわけではない。それよりもエディの確信通り、この少女が『魔女』ならば『変化』の魔法を使っている可能性の方が高いのだ。
〔さっきからわけのわからんことを。我が主のようなちんちくりんな姿をしてようはずがなかろ。我はもっとあれじゃ、こう麗しいはずじゃ〕
少し遠慮しがちに誇るように胸を張る幽体の少女。しかし、その胸もエディ同様ふくよかな方ではない。
「いやいや、体付きも同じだから。鏡でも見れば?」
〔鏡かえ? もう数百年、鏡など見ておらんからの〕
「数百年……って、あんたやっぱり『魔女』なの?」
〔『魔女』とはまた懐かしいのぅ〕
それはどこか不思議な台詞だった。哀愁がこもり懐かしむというようでもない。悲喜交々が混在するなんとも言えない声色だった。だからこそ、その言葉に真実味を感じた。
「あなた、名前は?」
それを聞いていいのか、エディは躊躇していた。その答えを聞いてしまっては後戻り出来ない。そんな気がした。しかし、元々エディに退路など存在しない。
どうにも違和感があった。仮に学園の噂が真実で、エディの確信通り彼女が魔女ファルキンだとしても、魔女戦争という災厄をもたらした者にしては、目の前の存在はあまりにも普通に見える。
何より幽体とはいえ姿形はエディと全く同じなのだ。そんな存在が、欧州を災禍に陥れることが出来るというのだろうか。
名を聞かれた銀髪の少女は、なぜかしら答えず、空を見上げた。
〔月が綺麗じゃの……〕
「お~い、人の話聞いている?」
あまりの気の抜けるとぼけた様子に、エディは部屋に彼女が現れたときの敵意も忘れて、まるで学園生徒に話しかけるような気楽さになってしまう。
〔くくく、まぁなんじゃ。こんな夜更けに女二人、林の中というのもつまらぬ。どこぞ落ち着いて話が出来る場所でもないかえ?〕
それはまるでお茶にでも誘うかのように親しげに、落ち着きのある申し出であった。
エディ・カプリコットは相変わらず呆けた顔で、月明かりに照らされる自分と同じ顔に、意外の声を吐くのだった。
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魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。
その第二章の10