これまでのあらすじ
魏にて武と義を学んだ一刀は、己の確固たる意思を胸に、呉へと下る。
その後、赤壁で蜀と魏がぶつかり合った。
赤壁の戦い後、圧倒的な戦力差から、窮地の状態に追いやられた蜀と呉は、魏を討つ為に同盟を結ぶことにした。
同盟を結びに赴く一刀と雪蓮だったが、2人が蜀に着いたとき、蜀の頭首、劉備が、野盗にさらわれてしまっていた。
同盟を結ぶ為、そして、蜀に恩を売る為に、雪蓮と一刀は劉備救出の任に出る。
野盗の根城に強襲するはずが、逆に罠にはまってしまう。
その時、魏の武将、楽進・李典・于禁が突如援軍として現れた。
野盗の頭は元蜀の武将で、蜀・呉の名のある武将たちが束になって、決死の覚悟で討つことができた。
しかし、蜀の武将が野盗になったことが噂となり、瞬く間に蜀の士気は低下、兵の人数も減ってしまった。その数およそ元の三分の一が逃げ出したとのこと。
激減した蜀の兵。そして、今なお増加し続ける魏の圧倒的兵力に対して、蜀と呉の取るべき行動とは…!
蜀と呉が同盟を結んだその日の夜。
俺は、凪たちに魏で何があったのか、深く尋ねていた。
「華琳様は、何か考えがあるのだろう。我々も真意は聞いてはいない…」
「そもそも、私たちがここに来たこと事態、華琳様の考えとは思えないのぉ」
「せやなぁ…。それに、わいたちもどうしてええかようわからん状況やしなぁ……」
凪たちがいるこの場所は、蜀の城の隅にある一室を借りた質素な部屋だ。
周りには最小限の家具が置かれていて、その中央に俺たち四人が椅子に腰掛けた状態で話していた。
凪たちはあくまでも魏軍である。その扱いは丁重かつ慎重に行われるべきである、とは朱里の言だ。
何でも凪たちが言うには、華琳から言われたことはただ一つ。『蜀と呉の経緯を探る為に、蜀の地へ赴け。』だ。
これだけでは何もわからない。阻止すればいいのか、それとも傍観していればいいのか。凪たちは心底困惑した。
華琳に尋ねてみても、『私から言うべきことはこれ以上無い』の一点張りらしい。
この話は、あの場で真っ先に尋ねたことだ。
その後の軍議は難航した。
「私たちはこれからどうするべきなのでしょう……」
「魏の思惑がわからない以上、我々から動くべきではないな」
「ではどうするのだ?このままでは、本当に取り返しのつかないことに……!」
「焦るなよ愛紗。どうせ現時点で劣勢なんだ。これ以上悪くなったってそう変わりやしないさ」
「しかし―」
「見苦しいわよ愛紗。武官が軍師の意見に賛成できないようじゃ、戦場でも混乱を招くわよ」
「………むぅっ」
愛紗は納得しかねているようだが、ここは朱里たちの言うことが正しいだろう。
華琳は凪たちに、蜀と呉を探れと言ったのだ。
つまり、何かしら考えがあるということ。そして、その考えがわからない以上、無理に攻勢にでたりなんかしたら、返り討ちにあってしまう。
「だからそれでは――」
話は堂々巡りを繰り返す。結論など出るわけも無く、会議は無限ループに陥っていた。
「あぁもう止めろって!一向に話が進まないだろう!」
耐えかねた俺は会議に割ってはいる。
「今考えたってわかるもんでもないだろう。それに、攻勢に出るにしても、守勢に入るとしても、どの道準備が必要だ。兵の数もまとまってないし、そもそも和平に関して俺たちはまだ呉のみんなに知らせてすらいないんだ。このまま結論が出るのも困る。だから…一週間。一一週間の間に、俺たちは呉に戻って和平の連絡をし、これからを話し合う。そして、ここにもう一度集まろう。ここに集まれば、魏の動きも呉にいるよりもわかりやすいだろうし。……どうだろう?」
言いたかったことを捲くし立てる。本当なら伝令を出すのが当然なのだろうが、先の野盗との戦いで、戦力を削られてしまったため、伝令に出せる兵がいないのだ。
みんなの顔色を窺ってみると、朱里や雛里といった文官のみんなは俺の意見に同意。ただし、俺が言った事にこう付け加えた。
「なら、我々蜀の武将の誰かを一緒に呉へと同行させましょう。蜀と呉で和平を結んだという強い印象が兵に必要でしょう」
「ふむ…ならば、私が同行させてもらおうか」
「そうですね…星さんが行くのなら大丈夫でしょう。では―」
「―待って。私も一緒に行かせて!」
驚いて玉座の方を見ると、桃香が勢いよく立ち上がり、こちらに降りてきた。
蜀の誰もが―雪蓮さえも驚いている中、俺は妙に納得していた。
「私も呉へ行ってみたいの!」
「な、なりません桃香様!その様な危険な―」
「―私だって、守られているばかりじゃ居られないんだよ」
「っ!!」
決意を秘めたその声は、酷く落ち着いていた。
守られることが悪いとは思わないが、ただそれだけではダメだと気づいたあの時の俺の様に…。
「私は、戦場で闘ったりすることはできない…。だから、私は蜀の王として、もっと色んなことを知るべきなの。…今回の事件でわかったの。私は、何も知らないんだって…。表面だけを見て、民の心なんてまるでわかってなかったの」
「そんな、あれは桃香様の所為では……っ!」
「それでも、私は知りたいの。もう誰の所為にもしたくないから……っ」
愛紗を見つめるその視線は、そらすことなく愛紗の瞳を射抜く。逃げない意思の表れの様に、ただ…真っ直ぐに。
「…あいわかった。そういうことであればこの趙子龍が、桃香様を守って進ぜよう。それで文句無かろう…?」
「せ、星ッ!」「…星ちゃん」
「愛紗は、桃香様の成長を妨げようというのか?」
「そういう問題では無かろう!一国の王が他国へ赴くという行為がどれほどのものか―」
「そういう心配なら要らないわよ。私だって、現にこうして居るんだし」
「…っ。雪蓮殿は相当腕も立つであろう。だが桃香様は―」
「―愛紗。桃香様の非力さを罪だと申すのか?」
「…っ、そうは言って無いだろう!」
「同じことだろう。『弱い』から外に出て行けない、では子供と変わらないではないか」
「…星!私は―」
「今のはあくまで、誇張した表現だ。だがな、愛紗。桃香様の決心を、簡単に踏みにじってよいのか?」
「…っ!」
「力がないから、我らがいるのではないのか?」
二人の口論を誰も止めようとはしなかった。
愛紗の言うことはわかる。桃香の身を案じてのことで、家臣としては正論を言っている。
だがそれはあくまで家臣として。そんなことを言っていては誰も強くなんてなれない。危ないから何もしてはいけない、なんて考えは通用しない。
ましてや、覚悟を決めた人間を止めるなんて、妨害にしかならない。
「良いんだよ愛紗ちゃん。星ちゃんだって、守ってくれるって言ってるんだし」
「……ならば私も……っ!」
「……軍師殿、この頭が固い人間に効く薬でも見繕ってきてやれ」
「なっ、…星ッ!」
話を振られた朱里は、固い表情で愛想笑いを浮かべている。
周りの人間は星が言いたいことを理解している。愛紗を除いて、鈴々さえも。
「愛紗、今我とそなたの両方がこの城を離れたのでは、誰が兵を統率するというのだ?」
「…それは、鈴々や翠が……」
「鈴々、戦場でみんなをまとめるのは得意だけど、調練や兵站の準備は苦手なのだ……」
「あたしも、鈴々に同じだよ…。そういう仕事は、威厳がある二人がいつもやってることだろう?」
「それに、今愛紗ちゃんと星ちゃんの二人がこの城から離れたりしたら、それこそ魏に攻め入られちゃうかもしれないわよ?」
「うぐぅ……」
ぐぅの音も出ないほどみんなに言い負かされてしまった愛紗は、はぁ…と、一息つくと、落ち着いたのか、改めて星の方を振り返り、桃香をしっかり守るようにと念を押した。
「もちろん、私も付いていきますよ桃香様」
「朱里ちゃん……」
「桃香様一人では、ちゃんと呉の方々に挨拶できるか心配ですし」
「しゅ、朱里ちゃんっ!」
桃香は頬を染めて、プイッっとそっぽ向いてしまった。
「…では、我々はこの一週間で、魏と交戦する為の全ての準備を整える!皆、心して、迅速に行動せよ!」
雪蓮の号令に、全員が頷いた。どんな場所でも、小覇王孫策の威厳は健在だ。
一週間…。魏が何もしてこないと良いんだが……。
軍議を終え、凪たちの所在については、雪蓮と朱里、雛里の意見から、魏の情報を聞きだし、その後しかるべき処置を判断する、ということに落ち着いた。もちろんことは内密である。
そしてその夜、こうして俺が話を聞いているのだ。一度は仲間だった俺なら、凪たちも話すだろうという考えもあった。
…あったのだ。
だが、聞き出すというより、どういう状況かを『聞かされた』俺は、さらに混乱してしまっていた。
一言で言うなら、何も変わっていないという。
俺が抜けた穴は、そのまま凪たちが埋めたし、天和たちの世話も、一般兵たちがやっているらしい。
魏に深く関わっていて、情報漏洩の可能性すら有り得たのに、俺に対して何も手を打って来なかったことは気にはかかっていた。
しかし、凪たちの話では、俺に対して処罰も何の命も下ってないと言う。
「……おかしぃな」
「せやろ?そもそも、華琳様らしくないねん……」
「華琳様が、『可能ならば孫策、もしくは劉備を暗殺して来い。』なんて言うと思いますか?」
「……いや、俺の知ってる華琳なら有り得ないな。それは凪たちも良く知っているだろう」
「そぉなのぉ…。今まで卑怯なことは絶対にしなかったはずなのに……」
話を聞けば聞くほど、疑念の念が絶えない。
問題なのは、どうして、凪たちに暗殺なんて命じたのか。そして、何故攻めてこないのか。圧倒的な戦力差は目に見えている為、攻めるのが定石である。ならば、攻められない理由があるのだろうか。もしくは、凪たちが暗殺を成功させると信じているのか。
「だぁあっ!わからん!」
そもそも、もし本当に何か考えがあるのだとすれば、どうして凪たちに教えないんだ?
考えれば考えるほど、底なし沼にはまっていくようで、一刀はげんなりしていた。
「隊長は…どうして魏を下ったのですか?」
「どうしてって言われてもなぁ……。凪たちは、華琳のやっていることが、絶対に正しいと思うか?」
「「「………………」」」
三人は沈黙してしまう。最初は絶対の信頼があったのかもしれない。だが今は、信じようとも信じられなくなっていた。
「俺は、華琳は正しいと思う。いや、正しいと思っていた。でも、華琳だけが正しいのかな……って、そう考えたんだ……」
それから、あの戦いで、雪蓮と話したこと。呉へ下った後の話を、冗談交じりに話していった。
三人は、大切な隊長の話を、心底嬉しそうに耳を傾けていた。
長い夜に、話の種は尽きず、夜通し話は続いた。
――翌日
雪蓮と俺が呉へと帰国する。それに同行するのが、桃香・星・凪・真桜・沙和の五人。
行きと同じく時間が惜しい為、俺たちは荒野を颯爽と駆け抜けていた。
その状態で、俺は桃香に話しかける。この上ない単純な質問をするために。
「桃香は、どう強くなりたいんだ?強さにも色々ある。愛紗や星の様に、武を通して強くなることもあれば、朱里や雛里の様に、智を通して強くなることもある。桃香は、どう強くなりたいなだ?」
「……うぅん……よくわからないかも」
「何で?」
「だって、そもそも強さが何かなんてわからないんだもん。愛紗ちゃんたちが強いのも、朱里ちゃんたちが強いのもわかるよ。でも、何かに秀でていることが、強いってことなのかな?」
俺は肯定も否定もせず、ただ先を促した。
「………私ね、守る強さが欲しい。どんなものからも、皆を守ってあげられる強さが。…確かに、私には力は無いよ。でもね―」
「「力と強さは、同じじゃないと思う」」
言葉が重なったと同時に、二人は思いっきり吹き出してしまった。星たちは訝しそうにこちらを見て、不適な笑みを浮かべている。
「やっぱり、桃香は俺と同じなのかもしれない」
「……え?」
笑いを止めた桃香は、言葉の意味がわからず、不思議な表情で俺を見ていた。
「俺も、昔は弱かったんだ。何にもできることが無くて、失敗ばかりで…」
この世界にやってきて、華琳に拾われて、扱き使われて、…たくさん学んだ。
「周りの皆は何か得意なものがあって、でも俺には何にも無くて……正直焦ってた。だから俺も、強くなろうとしたんだ。どうすれば強くなれるかはわからなかったけど、俺はがむしゃらに武術に打ち込んだんだ。それで何がどうなるか…なんて、最初は全然考えてなかったんだ。でも、強くなっていって、どんどん考えが変わってきたんだ。」
俺の顔色を窺い、申し訳なさそうに桃香が質問してきた。
「じゃあ……今の一刀さんは、強さって何だと思います?」
「………信念、かな。俺は、俺の信じる道を進んできた。これからもそれは変わらないと思う。いや、変えない。だから―」
「―私は、私の道を進む…。そういうことですね!」
どうやら言いたかったことは伝わったようなので一安心だ。ただ、自分の過去を語ると言う行為がここまで恥ずかしいものだとは思わなかった。
その決意は、星や雪蓮に、きっと天にさえ届いただろう。
――数日後
呉へ帰国すると、真っ先に冥琳が出迎えた。
「たっだいまぁ~。冥琳」
「おかえりなさい、雪蓮。詳しい報告は、後で城で聞くは。今は結果だけを教えてくれる?…まぁ、見ればわかるのだけれど」
後ろにいる桃香を見て、冥琳は全てを悟った。相変わらずの洞察力には恐れ入る。
「私は、蜀の王、劉玄徳。真名は桃香って言います。この度は、呉と和平を結び、その証拠として、この地に赴きました」
「あらあら、初対面の人間に、真名を教えてしまっていいの?」
「周瑜さんとは以前、虎牢関戦いの時なんかにもお会いしてますし、何より、和平を結ぶのであれば、それ相応の信頼を置くべきだと思うんです」
「…ふふ。噂通りの人ね。私は周公瑾、真名は冥琳よ、桃香」
「はい、よろしくお願いします。冥琳さん」
「…って、何でこんな所で自己紹介し合ってるのよ。ほら、冥琳。さっさと行くわよ」
「出迎えた私にその態度はどうかと思うが……まぁいい、皆も集めている。説明は、北郷がしてやってくれ」
「えええっ!俺が!?」
「そもそも蜀との和平を率先して申し出たのも貴様だろう。ここは、その任を果たすべきだ」
「…わかった」
そこまで言い終えると、冥琳は、ここからが本題なのだが…、と言わんまでの気迫で、凪たちを見ていた。
「そちらの三人は、魏の者だったとお見受けするが……」
「冥琳、凪たちは―」
「私たちは、紛れもなく魏の将です。しかし今は、曹魏に忠誠を誓えない身と成っています」
「せやから、わいたちは誰を頼ってええかわからんから、隊長について行くって決めたんや」
「沙和たちと隊長は、一心同体なの!」
「お前たち……」
俺が少し感動に浸っている間に、何を誤解したのか―雪蓮が俺に猫撫で声を出しつつ、殺気をビンビンに放ちつつ俺に抱きついてきた。
「一刀ぉ……そんなに信頼されてるんだぁ……」
言葉とは裏腹に、ドス黒いオーラが見えてしまっている俺は、抱き付かれたという興奮よりも、どうやって言い逃れするか必死に考えていた。そう―『必死』に…。
「しぇ、雪蓮、一体どうし―」
「いいのよ、別に。一刀が誰と一心同体だったとしても、一刀は私のモノだから」
「しぇ、雪蓮!?」
背中に感じる柔らかいものと、肩に食い込んだ鋭い爪から感じる痛みの両方に身悶えた。
おいしい状況なのに、まったく喜べないのは何故!?
「雪蓮、お遊びはそれぐらいにしなさい。祭殿を待たせると後でうるさいぞ」
「はぁ~い。しょうがないわねぇ……」
(半分本気だったんだけど……)
「何か言ったか雪蓮?」
「何でもないわよ。ほら、行くわよ」
こういう場合、少し聞こえてしまっているというのが一番困る……。
「なんだよ……半分って……」
「北郷殿、行くと申しているのだが。それとも、何か動けない理由でも…?特に、下半身に関して。」
「な、何言ってるんだよ!そんなわけ―」
「―否定するなら、そのガクガクした膝を止めてから言うのだな」
桃香が不思議そうに顔を覗かせ、一刀はバッ!っと無理やりに手で押さえようとし、それでも止まらない膝に鞭打ちながら、急ぎ足で城門を潜った。
玉座の間には、すでに呉の皆が待っていた。
主となる武将は全員揃っていたが、明命・祭の2人が偵察に出ている。主に祭さんがじっとしていられないのが理由だろうが。
蜀呉の同盟を、改めて宣言し、冥琳と朱里の2人は早速作戦会議を始めたいと、別室に移動してしまった。残された一刀たちは、同盟の結束を兼ねて、中庭で交流会を開こうという一刀の案を採用し、中庭へ移動していた。
中庭では、軽い宴会模様が広がっていて、そののどかな風景から少し外れた場所で、木に背を預けている星の側に寄る。
「どうしたんだ?」
「一刀殿か。いや、何―主が夢見ていた光景の一端がここに広がっていると思うと、何故か感慨深くなってな」
「……そうだなぁ」
こうして違う国の人間たちが、楽しく杯を交わしているなんて、実感がわかない。
「―どうして、こう簡単に行かないのかなぁ……」
「それは、魏のことか?」
「うん。……俺も、蜀の皆と仲良く慣れたし、桃香だって、こうして雪蓮たちと楽しく話せてる。なら―」
「魏の曹操も、この輪に加わることができるのに……だろう」
「……あぁ」
「だが、今回ばかりは………曹操を殺してでも止めねばならん………」
「………わかってる………ッ」
唇を強くかみ締め、先の軍議の内容が脳裏をよぎる。
「悪い知らせだ、雪蓮。……先ほど、魏の国境付近の斥候から情報が入った。……曹操は、城から遠い農村や、小さな町からも強制的に徴兵をしているらしい……」
「なっ……!」
その情報を、他の誰よりも、一刀が最も驚いていた。
「そ、そんな………華琳がそんなことするはずが………ッ!」
「事実だ。現に、徴兵を逃れる為に呉へ逃げてきた民も少なからず居るという話だ」
「そんな―ッ」
民にだけは絶対に手をださなかった華琳が、徴兵以外に、強制的に兵を集めているという状況は信じ難かった。
そんな強硬手段に出るほど、この戦いに賭けているとでも言うのか?
その疑問に答えがでるはずもなく、悪い知らせは尚も続く。
「現在もなお魏の兵力は増加。歳若いものも前線に送られているという知らせも入っている」
その情報に、誰もが息を呑んだ。
子供まで前線に出すなど、国を維持したいのなら正気の沙汰とは思えない。
―一体、魏で何が起きているんだ?
「この事態については、我々も想定外だ。予想していた戦力を大幅に上回る可能性も出てきた。そこで諸葛孔明。お主も知恵も借りたい」
「…はい。私も、さすがにこの事態に一人で答えを出す勇気はありません。一緒に最良の策を考えましょう……」
現在はまだ2人は話し合っている。俺たちは、その話が終わるのをただ待つしかない。
「……………」
「一刀殿、少しいいだろうか」
「…あぁ、何?」
パンッ………
乾いた音が鋭く響いた。痛くは無かった。でも、それ以上に痛かった。
「何を一人で思い悩んでいる。お主の仲間は、今ここに居るではないか」
そう言って星は皆の方に視線を移す。酔った勢いで、雪蓮と桃香がじゃれあっている。
―酔うほどは飲むなって言ったのに……。
「どうせ、曹操のことでも考えていたのであろう?」
「………わかるのか?」
「顔にそう書いてある。…まったく、何を心配している」
そう言って、星は立ち上がって、隣に掛けていた龍牙を手に取ると、その切っ先を俺に突き出し、
「一刀殿、手合わせ願おうか」
「……えっ、な……今?」
「もちろんだ。さぁ、剣を取られよ」
ゆっくり腰を上げ、星と視線が合う。その視線を俺は逃げるようにしてはずした。
「わかった…。………っ」
ゆっくり剣を抜き、正眼に構える。
剣を境に映る星が槍を構える。その立ち振る舞いに一瞬釘付けになる。だが、そんな気分も、星が放つ威圧感によって吹き飛ばされる。
「………本気、なんだね」
「あぁ。お主に……曹操を心配することができるぐらいかどうか、見定めてやろう」
「―――ッ!!」
刹那、俺は動き出していた。
荒々しく振り下ろした小鳥丸を、槍を下げ、受けることすらせずただヒラヒラと避け続ける。
「はぁっ…せいっ!……おぉっ!!」
思いのたけを剣に込めるように、闇雲に切りかかる。
右肩から左下半身にかけて袈裟切りに振り下ろした剣を、槍で横に流され、そのまま星は一刀の懐までもぐり、肘を鳩尾に打ち込む。
「がっ……!ぐぅ……」
容赦ない一撃に、胃の中のものが逆流しそうになる。
「……っか。………はぁッ!!」
一呼吸置き、上段に振り上げた剣をひたすら振り下ろす。
フェイントを織り交ぜる余裕など、一刀の心には無かった。
「………たぁっ!」
「……うっ!」
「せい、とぉう、ハァアッ!」
機を見て攻撃に転じた星の猛襲が一刀を襲う。一突き一突きを横に切り払う。
「………遅い」
突きながら大きく一歩を踏み出し、左の拳で右の二の腕を殴る。
「あっ……!」
痛みに握力が一瞬だが無くなる。その一瞬で、星は一刀の腹を槍の尻で突き上げる。同時に、体を左に反らし、左の後ろ回し蹴りを脇腹に放つ。
「ぐふぅっ!………うぅっ」
2メートルほど飛ばされ、地面しか視界に入らない。
その状態で、星の声が頭上から落ちてくる。
「相手の武器ばかりを見ているから、いざという時体が動かない。だから予想外の自体に膠着し、体が言うことを聞かなくなる」
必死に右腕に力を入れようとするが、さっき殴られた拍子なのか、全然力が入らない。
「二手三手行動を読むのだ。目で捉えるな。だからいつも一呼吸遅れる。体で感じ動くのだ」
膝に喝を入れ、自分に鞭打ちながら星を視界に入れる高さまで体を起こす。
フラフラの前傾姿勢だが、小烏丸を左手にしっかりと握っていた。
「………アドバイスどうも………」
口から出た言葉が横文字だと気づいたが、敢えて訂正もしなかった。独り言で片付けようと思ったからだ。
「……なら、アドバイス通り、やってみるか……?」
力が入らない右腕を、左手で殴る。
「―ッ!!」
右腕全体に激痛が走る。だが、さっきよりは力が入る。
「……なんと……神経に刺激を通すことで、握力を戻したのか?」
「………これなら、まだやれる………本番は、これからだ」
「そうか。ならば、お主の想い、この私にぶつけてみるがいい!」
「………消えた!?………っ違う!」
一歩後方へ大きくジャンプする。すると突然横から空気を切り裂く音と同時に龍牙が飛び出してくる。
「ほぉ……今のを避けたのは、まぐれではないみたいだな。ならば、今度はこちらも真っ向から相手しよう!」
さっきまで突きを繰り返していた星が、今度は棒の部分を盛大に活用し、容赦なく打ち付けてくる。
右、右斜め、左下、左からの右斜め上、頭部―と、あらゆる角度から迫る攻撃の一つ一つを、俺は一歩ずつ下がりながら受け続ける。
「どうした……っ!腰が引けているぞ!」
「………くっ!」
一歩、また一歩と、徐々に押されていく。
「その程度で、何を他人の心配などしておるのだ!」
ガンッ!と一際強い一撃が頭上に振り下ろされる。受け防いだものの、握力の入らない右腕が、プルプルと震えている。
「お主が守りたいものは何だ?呉か?蜀?……それとも、魏か!」
ただ体重を乗せ、力で押し切ろうとする星。
それを、膝をついて耐える一刀。
「今のお主は、呉や蜀と共に行動していながら、まだ魏の心配ばかりをしている。まるで、家出した子供のように。家を出てなお、家族の心配をしている子供のように―」
「そんな………ことっ」
「ないなどと言うのではないだろうな。そんなことを言ったら、今度こそお主を切るぞ!」
「………ッ」
「魏を下って、呉に来たのは何故だ?何故蜀と同盟を進めるように進言した?」
まくし立てる星の腕に、もうほとんど力は入っていなかった。
「それは………」
槍を撥ね退け、剣を構えながら、真っ直ぐに答える。
「それは、『みんな』を、守りたいから!」
そう。何を迷っていたのか。
言ったではないか。俺は、三国の王を繋ぐ、架け橋に成りたいと。
今の俺は、華琳のことで頭がいっぱいで、他にことなんて、頭に入っていなかった。だから星は、俺の迷いを無くすために、こんな行動に出たのだ。
そうだ。星は一度だって、華琳の心配をすることが『悪い』とは一言も言っていない。ただ俺に、もう一度覚悟をさせてくれただけなんだ。
「……どうやら、迷いはふっきれたようだな」
「……あぁ。迷惑かけて悪かった。だから―」
小烏丸を鞘に収める。
「もう一度、手合わせを頼むよ」
「………ふっ。ふふふ……ははははっ!」
「な、何がおかしいんだよ!」
「い、いや…。まさか、ここまで効果があるとは思っていなかったのでな」
「……まったく。星が本気にさせたんだろう。……いや、させてくれたんだったな」
「……ふふっ。では、この趙子龍。その申し出を受けよう」
龍牙を巧みに操り、円を描きながら回し、空に突き立てる。
『いざ、勝負!!』
瞬間、地を蹴って星へと切りかかる。斬撃が走り、衝突し、弾ける。
薙ぎ、突き、切り崩す。手首をひねり、力を乗せ、膝で体重移動をし、上半身全体で切る。
さっきとは打って変わったその動きに、星は翻弄されていた。
「ハァッ!―ァアッ!」
星の瞬迅の突きを、下に叩き落し、地面に叩きつける。
星はその隙に右足で蹴りを放ち、体を回し、後ろ回し蹴りの要領で一刀の左足に襲い掛かる。
一刀は瞬時に後ろに飛び、難を逃れる。そして再び前方へと駆け出す。
左に持った鞘を殴りかかり、右の小烏丸で切る。
だが星は、その攻撃を槍の先端と尻の部分を器用に使い、難なくあしらう。
そのまま左半身のみで鋭い突きを放つ。
「はぁ―ッ!」
「うおッ―!」
来るッ! と思った時には、すでに鞘で受け止めていた。凄まじい一突きに左腕が痺れた。
止まることなく星の突きはさらに速度を上げ、無数に繰り出される。
最小限の動きで避けていた一刀だが、圧倒的手数に距離を置き、星の右側へと回り込み、剣を振り下ろす。
体を反転させながら頭上で剣を受け止める。
そのまま全力で跳ね返――せなかった。
一刀が剣に力と体重を込めた瞬間に押し返そうとした星だったが、一刀は完璧のタイミングで力を緩め、横に飛んだ。
星は押し返そうとした勢いのまま、前のめりに体制が崩れた。
「ハァ―ッ!」
素早く体制を立て直そうとしたが、一刀が小烏丸を振り下ろす方がわずかに早かった。
「……………っ!」
がら空きの背中に剣が振り下ろされる直前で、剣は静止していた。
「………今度は、俺の勝ち………かな」
お互い動かず、確かめ合うように頷いた。
「まったく。感情でここまで力が違うとは…。困ったものだな」
「は、ははは………つぅっ」
小烏丸を持っていた右腕が、今になってまた痛みがぶり返してきた。
「あぁっと…すまない。もう少し加減するべきだったな」
「い、いや…いいよ。俺が身が入って無かった所為だし……」
「そう言ってくれるな。それでは介抱できないではないか。いいから、座っていろ。冷やした方がいいだろうから、水を持ってこよう」
そう言うとスタスタと歩き去って行ってしまった。その途中、雪蓮たちに絡まれそうになっていたが、何故だか耳打ちを始め、俺の方をチラッと見ると、不適な笑みを浮かべながらまた歩き出した。
星の背中を見送っていると、若干酔っている雪蓮が目の前に立っていた。
「しぇ、雪蓮、お前飲みす―」
「大丈夫よ、このぐらい。むしろ心地いい酔いよ」
「…さ、さいですか………」
顔は火照っているものの、意識ははっきりとしているようなので、少し安心した。
「まったく。相変わらず不器用なんだから……」
「なんだ。見てたのか……」
「アレだけ派手に言い合っておいて、聞こえない訳が無いでしょう」
「………それもそうだな」
言われて星に怒鳴られていたことを思い出すと、なんだか申し訳なくなってくる。
「またそういう顔するぅ…。ほら、しっかりしな…っさい!」
「いてっ!」
バシィッ! っと思いっきり背中を叩かれて飛び上がる。だが叩かれたというより、押された気がして、少しありがたかった。
「………迷っていいのは、今だけよ」
「えっ―――?」
突然真面目に雪蓮が話し始めた。
「あなたが背負うものは、とても大きいわよ。私も、最初は自分の荷物の重さに膝を折りそうになったわ……」
「……………」
恐らくその荷物とは、呉の民のことだろう。孫堅から呉を任された重荷は、相当なものだったはずだ。
「そんな私を支えてくれたのは、あれよ」
雪蓮が指差す方向には、今も宴会を続けている穏や小蓮たちの姿があった。
「私は民を支え、民は国を支え、皆は私を支えてくれた。私は、すごく感謝してる。言葉に出すのももったいないぐらいにね……」
「……『民なくして、国足り得ず』」
「……そうね。国があるから民が居るんじゃなくて、民が居る場所が国なのよね……」
だから。と雪蓮は立ち上がり、振り返って俺を見ながら言った。
「あなたを支えるのは私たちよ。それだけは忘れないで」
にっこりと満面の笑みで微笑むと、また宴会の輪へと戻っていった。
「………もう十分、支えてもらってるよ………」
手で目を擦りながら、小烏丸を手に取る。
「……こんなことしたら、雪蓮に怒られるかもしれないな」
だが確認を取る気にもならなかったので、ばれないように木に彫り刻む。
―ここが俺の、帰るべき場所だと、刻む。
冥琳と朱里の話は夜通し行われ、日が昇る早朝に全員玉座の間へと集まっていた。
「皆を集めたってことは、何かいい策を思いついたのか?」
俺の質問に、冥琳は重い口を開いた。
「あぁ。我々は………魏と、決戦に臨む」
『―ッ!!』
「なるほどぉ。それはしごくわかりやすい『策』ね……」
「今の魏の兵力を相手に、工作をしかけてもあまり効果は望めないだろう」
「そこで、我々も兵力を最大限掻き集め、魏と真っ向勝負をするのです」
「だが、今の魏の兵力はすでに百五十万ほどにまで成っているのだぞ?我々は集めに集めたとして精々百万に届くかどうか。さらに、こちらから仕掛ける為、圧倒的に不利なのではないか?」
星が至極当然の疑問を口にする。いくら有能な武将が呉と蜀から集うとはいえ、兵力差はどうしても頭が痛い問題だ。
「そこで、今回は大きく部隊を三つに分けるのです」
「み、三つ!?」
「それではむしろ、戦力の分散となってかえって逆効果なのではないか……?」
「確かにその通りです。ですが、まともに戦ったところで、兵力差で負けている我々が不利なのには変わりありません。しかし我々には、一騎当千の猛者が揃っています。その活躍があれば、きっと勝機もあるでしょう」
「ならば何故―」
「少し落ち着け北郷。確かに勝機があるだろうが、勝てる確立を最大限に引き上げるのが我々軍師の役目なのだ。ただの殺し合いに、我々は要らないのだよ」
「ですから、部隊を大きく三つにわけて、魏軍を翻弄します。まず―」
冥琳と朱里が考え出した結論は、言わば敵に三面作戦を強いるというもので、指揮系統を乱すのが目的らしい。
第一部隊は、魏の本拠地を真っ直ぐに目指す。恐らく、魏の軍が展開されるので、その部隊を叩き、引き付けるのが役目だ。
第二部隊は、西から定軍山付近を通り、そのまま長安を目指す。山での行軍になるため、時間と労力はかかるが、そこを抑えることができれば圧倒的有利に立てる。
第三部隊は、第一部隊の援護が主な目的だが、その対応は臨機応変とされ第一部隊の状況によって作戦内容は変化する。そのため、この部隊は機動力を重点的に置く部隊とする。
そして―
「最も重要なのがこの第四部隊。一切戦場には関わらず、曹操さんの首を取りに行くことだけが目的の部隊となります」
「……軍師殿は、最初部隊は大きく分けて三つと言っていなかったか?」
「はい。なぜなら、この第四部隊は、少数精鋭。それも、敵に見つかったら終わりってぐらい重要な役割です」
「だから、その部隊を雪蓮、そして…北郷に任せる」
「――えッ!?」
「ちょ、ちょっと冥琳!いきなり何を……」
「先の報告からして、恐らく敵の部隊は付け焼刃の統率。しかし、敵兵力・兵糧共にこちらの方が劣っている。その為、中央に兵が集まっている間に、雪蓮たちには曹操を目指してもらう」
「い、いくらなんでも無茶じゃないか?敵が中央に集中しているからって、城の警備が甘い訳が……」
「そこで、そやつらの出番だろう」
冥琳はほくそ笑むと、後ろで話を聞いていた凪たちへ話を移した。
「城の警備をやっていたのであれば、その穴も知っているであろう」
「そ、そんなことは――っ」
凪があからさまに反論の意を示しているのに対し、冥琳も引かない。
「方法は問わない。城に入り、曹操を確保すればいい」
「確保って………」
「方法はは問わないと言った。説得してもいいし、殺してもいいだろう」
「―――っ」
わかってはいても、真っ向から突きつけられた現実に、思考が現実逃避をしようとしている。
「………っ」
「………凪?」
いつの間にか凪が俺のすぐ側に立っていた。俺の顔を一瞥すると、顔を上げて下さい、と笑いかけてくれた。
「隊長たちは、私が誘導しましょう。城の警備も、国境線の警備が薄いところも熟知しています」
「お、おいっ!………いいのか?」
「今更何を言っているのですか。私は、隊長に付いて行くと言った筈です。それに―」
凪は言葉を区切ると、視線を下へと落とす。
「今の華琳様はどこかおかしい。何故華琳様がそうなったのか、私は真実が知りたい」
「もちろん、わい等もやで!」
「そうなのぉ!凪ちゃん一人にいいかっこさせないのぉ!」
「な、何を言っている…!」
「い、いや、お前たち……今軍議中だぞ……」
騒がしく言い合いを始めてしまった三人をひとまずなだめる。
冥琳は何も言わずに、ただこっちを見ている。怒らないところが余計に怖い、などとは口が裂けても言えない。
「ならば、雪蓮・北郷・楽進・李典・于禁は、兵を選りすぐり曹操の元に迅速に駆けつけよ」
「ちょっと冥琳。今日に限って、何で私をそんな最前線に送り込むようなことを……。いつもなら本陣で待機してろって言うくせに……」
「今回本陣の指揮を取るのは蓮華様だ」
「蓮華に、この大局を……。反対はしないけど、あの子……大丈夫かしら……」
「心配するな。蓮華様には私と亞莎がちゃんと付くからな」
「えぇぇ………。そうなると私、どうすればいいんですかぁ………?」
穏が不安気に聞いてくるが、顔はもうわかりきったような表情をしている。
「詳しい説明は、午後からにする。それまで一旦休憩とする」
気が付けば時間は、すでに正午になろうとしていた。
冥琳と朱里は、どうやら最終確認をするらしい。
その話に、今度は穏と亞莎も加わり、ますます本格的になってきているようだ。
俺たちは手持ち無沙汰になり、とりあえず玉座の間をあとにする。
今回の作戦の部隊編成を説明する。
中央で敵を迎え撃つ第一部隊―
―関羽・張飛・趙雲・諸葛亮・呂布・陳宮・孫権・周瑜・呂蒙・賈駆(袁紹・文醜・顔良)
左翼にて山路を行軍し、虚を突く第二部隊―
―黄忠・厳顔・魏延・孫尚香・黄蓋・陸遜
右翼にて奇襲を仕掛ける第三部隊―
―馬超・馬岱・鳳統・周泰・甘寧・公孫賛
敵本陣のみが目標となる第四部隊―
―北郷・孫策・楽進・李典・于禁
―以上が部隊編成となる。
尚、非戦闘員はすべて本陣にて待機。
今回は広域戦闘になるため、二刻ごとに、状況の変化を伝令によって本陣へ伝えることとする。
冥琳から伝えれた内容を、蜀の皆に知らせるべく、今日の夜に桃香たちは蜀へと一時帰国する。
その夜―
月明かりが輝く夜、城壁に一人たたずんでいる桃香を見つけた。
城壁を登り、桃香の横顔を遠くから見ると、どこか沈んでいるように見えた。
「……あっ。一刀さん……」
「やぁ。どうしたんだい、こんなところでこんな時間に」
どうした、なんて顔を見たときなんとなくわかってはいたが、なんとなく本人から聞きたくなった。
「それが………その………」
「今日の部隊編成の話だよね」
「えっ………どうして―」
「わかったのか?それともそう思うのかってことかな」
「……両方、です………」
「答えは単純。勘だよ」
「か、かん……?」
「他にも一応考えたけど、それぐらいしか思いつかなかったからね」
一呼吸置き、桃香を見ながら真剣に尋ねる。
「本陣で待機してるのは、嫌だ?」
「……だって、みんなが闘ってるのに……また私は……」
「たとえそれがみんなの思いでも?」
「……っ。その言い方は、なんかズルいです……」
「ははは。ごめんごめん」
なんでもないかのように笑っている一刀だが、心の中ではどうしたものかと悩んでいた。
(本陣で待ってるように言いくるめることはできるかもしれない。でも、本人はそれを望んでいないし……かといって前線に出したりなんてしたら………あぁ、どうしよう………っ!)
どっちに転んでも一人では抱えきれない責任を背負うことになる。ならば、ここは本人の意思を尊重するべきなのではないだろうか。だが、次の戦いは大事な一戦で、それこそ今後の運命が決まってしまうぐらい……。
「……一刀さん?」
「…えっ!?な、なんでもないなんでもない!」
「………はぁ。…ところで、私やっぱり皆と一緒に―」
「待ったっ!」
何を言おうとしているかはわかる。わかるからこそ、気軽に言ってもらっては困る。
「本当に、その覚悟がある…?みんなといっしょに、死地に赴く覚悟が」
「……………っ」
桃香は目を伏せ、再び見ていた月に目を向ける。
「………はい。私は、みんなと戦いたい。曹操さんに、勝ちたいです!」
「よし。だったら、少し特訓しないとだね」
「えっ――?」
「今のままだと危なっかしいからね。趙雲にでも手伝ってもらって、ある程度戦闘訓練を―」
「わ、わわ私が……ですか……?!」
「戦場に行くのに、剣一つ握れませんじゃあ話にならないよ。最低限、自衛の意も込めて特訓しないと。時間もないし、蜀に戻ったらすぐにやろうか」
「戻ったらって……一刀さん付いてくるんですか!?」
「うん。元からそのつもりだし。呉はあと兵站の準備と、軍の最終的な調練だけだし。正直俺が居てもやることほとんどな――」
「無いわけ無いでしょーが!!」
「―雪蓮っ!?」
いつの間にか城壁を登ってきて、俺の真後ろに立っていた雪蓮が拳を振り下ろし、ゴツンッ! と豪快な音がした。
「いぃ――ってぇ!な、何するんだよ!」
「何するんだよ、じゃないわよ!何勝手にあんたたちだけで話進めてるのよ!!特に一刀!」
ビシィッ! と一刀を指差しながら、
「あんたにはやることいっぱいあるのよ!」
「俺がやることって何があるんだよ……」
「そ、それはぁ……あたしの仕事手伝ったり……」
「結局それか!雪蓮の仕事は内政の書類のまとめだろう。それこそぱっぱとやっちまえば………悪い、愚問だった」
この飲んだくれがまともに机に着いて書類整理してる姿を、俺は精々数回しか見たことが無い。それも無理やり冥琳が押さえ込んだときだけだ。
「…と、とにかく!今から蜀に行くなんて私が許さないから―」
「……もしかして、雪蓮さんは一刀さんが遠くに行くのが嫌なんですか?」
『―ッ!?』
その発言に驚いたのは俺だけでも雪蓮だけでもなく、何故か言った張本人なはずの桃香まで驚いている。
「あ…わわ、わ私何を……!」
「………私は、別に………そりゃあ一刀は好きだけど………」
何気にさらっと大胆なこと暴露しちゃいましたよこの人!!
「と、とにかく…俺はどうすればいいんだ……。状況から考えて、雪蓮もさっきの話聞いてたんだろう?」
「まぁ……ね。私耳と勘だけはいいから」
「…どうするべきだと思う。……孫呉の王として」
敢えて話に筋を通させるように、重い言葉を選んだ。
「そうね……。正直、私は反対するわ」
「―――っ」
反論こそしないものの、その表情は先ほどとまでと打って変わって、明らかにこわばっている。
「たとえ特訓したとしても、戦闘技術なんて一朝一夕で身につくようなものじゃないわ。一刀だってそこは理解してるんでしょ?」
「それは、もちろん。ただ、今回の場合、戦場には出るが、戦闘はしないっていう前提ならどうだ?」
「そもそもその前提が間違っているとしか思えないわよ……」
「まぁ聞いてくれ。俺たちの部隊は、曹操を説得、確保すれば言い訳なんだが。正直、俺と雪蓮じゃ説得は無理だと思う」
「……私もそれには賛成ね。今の曹操に話が通じるとは思えないし……」
「そこで、桃香が来れば話は変わると思うんだ。曹操は力で世界を統一しようとしてる。でも、力を持たない桃香が戦場を生き残って曹操の前まで行けば、説得できる可能性がでてくるかもしれない」
「確かに、その事実は曹操の信念を根本から崩す要因になるかもしれないけど………リスクが高すぎるわ……。そうまで説得する必要は……っ」
気がつけば桃香が恐い顔をして雪蓮を睨み付けていた。
「……覚悟は、わかった。だけど、戦場を生きれる程度に戦いには慣れてもらわないといけないわよ。そっちのほうの覚悟もできてる?」
「はいっ!任せてください!私、運動は苦手ですけど、今回はがんばります!」
…はっきり言って心配でしょうがない…。
「なら一刀、桃香を鍛えてあげなさい」
「え、お、俺が?」
「何よ、言いだしっぺでしょ。それぐらいしなさいよ」
「いや、そりゃするけど…なんかあっさり俺が名指しされて少し驚いたというか……」
「私は人にもの教えるの苦手だし。その点一刀なら教え方上手いと思うし」
確かに俺は桃香みたいに力が無かったから、境遇が似ている為教えることは容易いかもしれない。
それを桃香が実践できるようになるかどうかは置いといてだが。
「わかった。それじゃ、明日桃香と一緒に蜀に行くよ」
「ちゃんと鍛えられなかったら連れて行かないわよ。それぐらい本気でやりなさい」
「はいっ!」
桃香が夜に木霊するぐらいはっきりと返事をした時、城壁のさらに上の監視台で影が動いた。
「…………ふふっ。おもしろくなってきたな。となれば、難関はあの堅物をどうなっとくさせるかだが………まぁ、いいだろう」
そう言うと、持っていた酒を飲み干した。
―― 魏 ――
「華琳様ッ!」
「どうしたの秋蘭。血相を変えて…」
「それが、兵の一部の者が不満の声をあげ、隊に乱れが生じております。対処はいかがなさいましょう…」
「力ずくで押さえつけなさい。『この戦いに勝てなければ、大切なものを全て呉と蜀に奪われる』と脅せば言うことを聞くでしょう」
「し、しかし……それでは同じことの繰り返しで……」
「大丈夫よ。もしそれでも不満がある者は、この曹孟徳に直接言いに来いと伝えておきなさい」
「……………はっ」
秋蘭はその場から逃げ出すように飛び出した。
最近の華琳はどこかおかしい。どこか、ではなくまるで別人みたいな方針を取り出したのだ。確かに趣旨も目的も変わっていない。それは覇王たる曹操らしい。しかし今までここまで民を追い込むようなことはしなかった。一体何が彼女をそこまで追い詰めているのか。
「………っ?」
追い詰めている?誰が?
自分で考えた疑問に対し答えが出ないことに対し苛立つ。彼女には何かが欠けたのだ。大切な何かが…。
「秋蘭?」
「姉者か……いや、何でもない。それより調練の方を再開しよう」
春蘭に華琳の事を聞いても何も言わなかった。
「確かに変わった。だが、我等の主に変わりはない」
何とも春蘭らしい解答に秋蘭は思わず吹き出した。そう、心配などする必要もないのだと。
だが今は違う。あの時の焦りが、疑問が、不審が、自分にも兵にも、そして民にも抱かれつつある。
どうにかしなければ、潰れてしまう。彼女も、この国も。
「……秋蘭」
「……姉者……?」
唐突に足を止めた春蘭は、空を仰ぎ見て言った。
「我等が選んだ主だ。間違いなどあるはずがないだろう!」
「……姉者。あぁ、その通りだ」
まったく、いつの間にこんなにしっかりしたのだろうか……。不謹慎ではあったが、今だけは姉の妹でよかったと思わずにはいられなかった。
その日の深夜―曹操の部屋
「………ふぅ………」
ため息と共に寝台へと転がり込む。服は乱れ髪もボサボサだったが、そんなことに構っていられないほど眠たかった。
「まったく……。問題が山積みだわ……」
それは呉蜀のことなのか、はたまた内政のことなのか。
「………」
無言で寝台から立ち上がると、部屋の隅のカギの掛かった棚の引き出しを慎重に開ける。
そこに入っていたのは、一枚の鏡。
大きさは少し大きめの手鏡ぐらいだろうか。作りも造形的というほど作りこまれてはおらず、そこらのものとなんら変わりは無い。
ただ一つ。『映すものが違う』点以外は―――。
その鏡を見ながら華琳は寂しそうに、そして高慢に笑った。
「………私は、王なのよ………」
声に出せばそれは泡のように消えてしまう。
人の夢は儚く消え去ってしまう。わかっていながら追い求めるのは人の傲慢か、それとも―。
蜀に着いてからは、まず作戦の内容を皆に伝える作業から始まった。
朱里が居たからその話は案外簡単にまとまった。不満も特には発生しなかったあたり、個々の武将の個性をよく考えている軍師というものはつくづく凄いものだなと関心した。
その後早速この場を借りて、桃香が第四部隊に入る旨を説明しだした頃やっぱり愛紗が反論してきた。
もちろんそれは、『桃香様をそんな危険な場所には―』という、なんともありきたりの言い訳。
「それを言ったらなぁ愛紗。この戦いを後ろから指をくわえて見ていて、もし負けた時一人取り残される桃香のことを考えたことがあるのか?」
「それは……っ」
「しかも、最近様子がおかしいあの曹操が桃香をどうするか……想像もつかない。むしろそっちの方が危険な気がするぞ」
「………ッ」
「それならいっそ、少ない可能性に賭けたっていいんじゃないのか?そりゃあ正直に言えば俺だって反対したいさ。でも本人が―」
「わかった、みなまで言わないでいただきたい!これでは私が一方的に悪者ではないか……」
なんだかデジャヴを感じつつ愛紗を納得させる。だが、と愛紗が付け加える。
「桃香様は……その、はっきり申し上げまして……運動オンチの極みとも言えるお方です。それを今から戦闘を一から教え込むなど……」
「何気に一番酷いのは愛紗だよな……」
俺の呟きに全員が頷いていた。
「でもでも、お姉ちゃんが強くなったら、きっとすごくかっこいいのだ!」
「それは当たってるかもしれないわね。覚悟を決めた女は強いから」
「ほぉ、紫苑。まるで己の教訓みたいな言い方じゃなぁ」
「ほほほっ…。考えすぎよ桔梗」
「まったく、桃香様もいきなりだよなぁ。確かに今までそれっぽいことを暗示させる内容は聞いたことあるけど、ここまで本気になるとはな……」
「馬術のことなら蒲公英が教えてあげるよーっ!」
「おいこらっ蒲公英。あんまりでしゃばるなって。その仕事はあたしのだ」
「えぇー何よそれー!私だって桃香様と一緒に馬乗りたいもんーっ!」
「いや、論点ずれてるから……」
もちろん俺のツッコミなど無視。勝手に話が進んでいく。当の本人である桃香を除いて。
「は、はわわぁ……それではみなさん、今日の軍議はこれまでですー!」
朱里が無理やりに軍議を終わらせ、なんとか落ち着いた玉座の間は嫌な空気が流れていた。
「……っ………っ!」
「お、おい…桃香、どうしたんだ…?そんなに震えて」
「い、いやぁ…、あ、あぁはははは……い、今になって少し恐くなってきたといいますか……」
軍議の時から何も言わなかったのはその性か。
「ほら桃香、早いとこ始めるぞ」
「えぇっ!始めるって何を!?」
「何をって……決まってるだろう。特訓だよ。とっ・く・ん」
「その言葉自体が恐ろしくなってきたよぉ……」
小さく震える桃香を引きずり中庭まで移動すると、そこには愛紗が待っていた。
「桃香様を送り出す為には、私自身が桃香様を送り出しても大丈夫だと安心できねばなりません。ですから、訓練の方はお手伝いいたします」
「あ、愛紗ちゃん……今はその優しさが憎らしいよぉ……」
いい加減逃げ腰になってきた根性を、どうにか奮い立たせようと、とりあえず木刀を持たせ、体を実際に動かしていくことから始めていった。
―― 数時間後 ――
「ちょ、ちょっと休憩……しない?」
「まだあまり動いてないと思われるのですが……」
「い、いいから……このままだと、訓練続けられる自信がないよ……」
訓練が始まってまだ軽い足運びと、体重移動、剣の振り方、力の入れ方など簡単な動きを教えただけで、素振り1000回!! みたいなことはまだ何もしていないのだ。
「……わかりました。10分休んだら再開しますよ」
そして、あっという間に10分が過ぎ、再び訓練を再開した。
―― さらに数時間後 ――
「では、今日はこのぐらいにしておきましょう」
「はぁ……やっと終わったよぉ……」
その場にヘナヘナと座り込んでしまった桃香の肩を横から支えてやる。汗でべたついた肌は、夕日に反射し光っていて、見てて綺麗だった。
「じゃあ最後に、私と一刀殿が軽く手合わせをするので、見ていてください」
「えっ…、見ているだけでいいの?」
「そうですねぇ……。できれば、今日教えた体の使い方を、どう実戦で使っているか観察してみてください。それだけでも大分意識が変わると思いますから」
「う、うん。わかった……っ」
桃香にとって、戦いというものは何度も見ているものだが、今日ほど真剣に動きを観察しようとしたのは初めてだろう。
「一刀殿、軽くとは言ったが、それなりにぶつかってきていただいて結構ですので」
「わかった…」
すでに戦闘モードの愛紗は、その威圧感を身に纏い一片の隙も見つけられないほど真剣だった。
「では、一撃を入れるか、圧倒的有利に立った時点で勝敗を付けるということにしましょう」
「あぁ、それでいいよ。俺は一撃入れたら切りかねないからなぁ……」
いくら逆手に持って峰打ちとはいえ、反射的に手を返すことがないとも言えない。そこは気をつけないといけないようだ。
「では、行きます――!」
「――ッ!」
声と同時に踏み込んで来た愛紗。どう考えても5歩分はあった距離を一瞬で積めて来た。
あまりの速さに反射的に後ろに跳び下がる。
「ふッ……!」
「な、早……!」
急速に接近したかと思ったら、今度は大きく左右に体を振り出した。足運びのリズムは崩れることなくこちらに向かってくる。
(左右に逃げるという選択肢は潰された。後ろに下がったところで限界がある。だったら―)
「………んっ」
剣を正眼に構えたまま、どこからでも打ち込めるように相手が接近するのを待つ。
どこから打ち込まれても、それを正確に止められる自信はあった。
「せいやぁ――ッ!」
「そこか――ッ!!」
体は右に飛んでいるのにも関わらず、左から青龍偃月刀が迫る。
実際の戦いならば、相手の攻撃が当たる前に切りかかることができるかも知れないが、これはあくまで訓練。安全に防御するのが得策だ。
「………えッ!?」
両腕に来るはずだった衝撃はいつまで待っても襲い掛かってこなかった。
愛紗は寸前のところで偃月刀を引っ込め、片足だけで今度は左に飛び、がら空きになっている俺の左半身を狙う。
「―っさせるかぁ!」
その剣線と平行になるように、愛紗が飛んだ方向と同じ方向に転がり込む。横凪に払った偃月刀は一刀の頭上数センチをかすめ通り過ぎる。
「なるほど……反応は卓越されているようだ……」
「危ない目には何度もあっていて、体が勝手に反応してるだけだけどね」
どうやら愛紗は桃香に教えたことを実践でも十分使えるということを伝えたかったようだ。
確か今日教えたのは……
「セイッ!ハァ―!」
振りは大きいが、軌道が単純で愛紗らしくないなと思った。
どうやらさっきの考えは当たっているようだ。
「ふっ……ほ、よっ…!」
振り下ろされた偃月刀を体を左右に不利、時には飛び、巧みに回避していく。
その時、一瞬愛紗と目が合った。どうやら意図を汲み取ってくれて感謝しているらしい。
だが、調子に乗っていると俺の足を掬い上げに来た足払いに引っかかってこけてしまった。
「うぉっ―!!ヤッバ――」
「だああああ!」
容赦なく振り下ろされた偃月刀を刀の腹で滑らせ軌道をそらす。
起き上がると同時に後ろに下がり、再び剣を正眼に構え直す。
「やはりやりますな、一刀殿。ではそろそろ、本格的に行きます!」
本格的に? 聞き返す間もなく愛紗は豪速で突きを一発放って来る。
「うわぁあ!」
咄嗟に首を数センチずらしたお陰でギリギリ避けられた。
「って今の当たってたら致命傷だろお!」
「避けるだろうと信じたからです」
そんなことを言われたら反論できないじゃないか…。
その一撃で吹っ切れたのか、愛紗の攻撃は止まることなく襲い掛かってくる。
槍を扱うその様は本当に流連で、なびく長い黒髪が美しい舞にすら見えてくる。
その時、一迅の突風が吹いた。その風は砂を巻き上げお互いの視界を奪う。互いにとってそれはまたとない好機。気配だけを頼りに、大きく踏み込んだ。
「おぉおッ!」
「はぁあッ!」
―一閃。鉄と鉄とが弾き合う音が鳴り響き、辺りに静寂が訪れた。
「……ははっ、参った。俺の負けだ」
風が収まり視界が晴れると、そこには偃月刀の先端を首筋に突きつける愛紗と、小烏丸の切っ先を愛紗の顔から数センチずれた場所に向けている二人が見えた。
「最後は、私の運がよかった。私が風上だったおかげで、視界がこちらのほうが良かった」
「風を味方に付けたってことか。さすがは名将だ」
二人が互いの健闘を讃えていると、桃香が恐る恐る呟いた。
「……私も、アレぐらい闘えるようにならないと………ダメ?」
―途中から頭の中が真っ白になっていたということは、後日改めて知った。
それから血の滲む様な日々が続いた。
最も、作戦予定日まで時間が無い為、朝から晩まで一日中剣を握っていた桃香はヘロヘロにへばっていた。
その度に皆に励まされ、途端に勢いづく。何ともわかりやすい性格だ。
もともと運動が苦手なだけで、潜在能力的に一般兵をしのぐ才能を発揮していく桃香に期待が膨らんでいた。
そんな日々が続いた中、呉からの伝令により魏の情報がもたらされた。
現在魏の兵力はおよそ150万。女子供を除いて、ほぼ全ての民を動員した人数だ。
対してこちらの兵力は合わせて100万弱。50万の兵力差を埋めるための今回の策は、果たして吉と出るか凶とでるのか。
不安な状況が続く中、一つの吉報が届いた。
魏の内政に問題が生じ、混乱しているとのことだ。
主な原因は兵糧で、無理動員した兵の分、兵糧が底を尽きだしているようだ。
現在この混乱の鎮圧に力を注いでおり、攻撃は仕掛けてはこないと思われる。
逆に言えば、こちらが攻撃を仕掛けるチャンスではある。
しかし、兵糧が尽きている状況で勝利したとしても、魏の民全員をまかなえるほどの兵糧を事前に準備しておかないことには戦後処理が行えない。
そのため、呉の方で提案されたのが傍観と偵察。
この意見に蜀の面々も賛成多数で、今すぐ出るべきだと主張する馬超たちをなだめるのに苦労したぐらいだ。
以外に義理堅い恋などは『お腹いっぱいじゃない敵、……倒しても、意味が無い……』と、肉まんを頬張りながら言っていた。
そして、さらに三日が過ぎ去った――。
―― 魏の国境線上 ――
「兵の配置は全て完了しております。いつでも進軍可能です」
「第二部隊も同じく、配置完了しました」
「第三部隊、同じくです」
「わかった。少し下がっていてくれ。また後で呼ぶ」
一礼し立ち去った伝令を後ろに、冥琳が最終確認を始める。
「それでは、これより『魏軍攻略線 第一段階』を始める。詳細は事前に伝えた通り、何か動きがあるたびに逐一伝令を本陣にまで飛ばすこと。これだけは徹底してもらうぞ」
無言での首肯。重たい空気と緊張感が体の中からあふれ出してくる。
覇気を宿した雪蓮が全軍へ激励する。
「この戦いは、義戦である!!常道からそれた曹操は、今や民の生活を脅かす悪となった!!力を示せ!勇気を振り絞り、義を示せ!!大切なものを、この手で守り抜くために!!―さぁ、剣を掲げよ!!我等が戦いを、天に知らしめるのだ――!!!」
『オォぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!』
「全軍、進軍開始―――ッ!!」
――決戦の火蓋が今、切って落とされた。
―― 第一部隊
「伝令!敵部隊、11時の方向から1時の方向一帯に広域展開しています。数はおよそ100万とのことです」
斥候の通達に、冥琳たちは眉を吊り上げた。
「100万だと…?城の警備を残すにしても、その数はいささか少なすぎはしないか…」
部隊の三分の一を全て後方に配置しているとすると、長期戦を狙っていると考えるのが妥当だろうが、この戦いを引き伸ばしたところで、増援も支給もない魏はかえって不利になるだけだ。
「冥琳、これはまだ魏の統率が完璧ではないということだろうか」
「その可能性は低いかと……。統率が取れていないのであれば、兵を広く配置することはできませんゆえ……」
「ちょっと、どうするのよ。兵の数だけで言えば対等なぐらいよ。ここは一気に叩くべきじゃない?」
詠の意見も最もである。大きな問題となっていた兵力差が、こうも縮まったとなればまたとない絶好の機会である。
しかし、朱里は一人浮かない顔をしていた。
「どうした孔明。……やはり何かあるとみるか」
「……はい。詠さんみたいに、素直には喜べないですね……」
「だが、策があるとしても、我々は打って出るしかあるまい!」
蓮華が怒鳴る。
「そうですとも。呂布殿の武を持ってすれば、たかだか40万の兵力差など関係ないです。我々の仕事は、あくまで目の前の敵の排除のみですよ!!」
軍師とは思えない発言だが、作戦に忠実という点では間違っていない。引き付け時間を稼ぎ、あわよくば敵を殲滅する第一部隊としては、やはりこれ以上ない好機。
冥琳も多少の不安もあれど、他の部隊がそう簡単に失敗をするとも思えない。
「……全軍に通達。これより、敵軍に攻撃をかける!出方を待つより、ここは打って出るぞ!」
「承知ッ!鈴々は左翼、星は右翼の指揮を執れ。恋はその後方にて待機。崩れだしたところの援護に回れ」
「応なのだッ!」
「応ッ!」
「我等が崩れれば、この戦いに勝機は無い。別部隊のためにも、なんとしても負けられないぞッ!」
「我等に、勝利を―――ッ!!」
「全軍、抜刀――ッ!!」
蜀の五虎の三人が吼える。
『全軍―――突撃ィいいいいいいいいッ!!!』
―― 『同刻』 第二部隊 ――
「……のぉ、穏よ。わし等の出番はいつだ……」
「もぉ、何を言っておられるんですか。まだ山登りの途中ですよぉ」
「そうは言ってものぉ……すでに第一部隊は戦闘を始めよる頃じゃろうし……」
「もぉう、単に暇なだけでしょー」
「その通りじゃ!暇すぎて死にそうなのじゃ!」
馬上で駄々をこね出した祭。いつもなら冥琳がなだめるかどうにかするのだが、生憎別行動中。
「祭殿、武人が来た時に全力を出すのみですぞ。戦好きならば仕方の無いことですがな」
「何を上から目線で言っているのよ。あなただって、さっきからずっと自分の豪天砲をいじってるくせに」
「……むっ。そういうお主はどうなのだ紫苑。さっきからなにやらそわそわしておるではないか」
「……まったく。戦いが好きなら周りの気配に気を配るべきよ……」
「……何を言って――」
キィン―ッ!
突如飛来した何かが、桔梗が振り返った顔の後ろを通り過ぎて行った。
「なっ!?紫苑ッ!!」
「私も、少し気づくのに遅れたみたいね……とっくに狙われてるわよ!!」
言いながら背にかけてあった颶鵬を素早く構え、矢を三本抜くと迷うことなく三連射。
山の上方に居た狙撃手を射抜いた。
「……まったく、祭殿があんなことを言うから……ハァッ!」
豪天砲を構え、前方にぶちかます。霧が濃いため見えにくかった前方にも敵兵が潜んでいたようだ。
豪天砲の音に驚いたのか、姿を現した。
「………こ………じゃ」
「祭、何してるの!!さっさと準備を―」
「これを待っておったんじゃぁああ!!」
直後、いつの間にか取り出していた多幻双弓から矢が放たれる。
小蓮を狙っていたと思しき人影が、木の上から落ちてきた。
「さぁ、かかってこい!!ワシが直々に相手をしてやるわい!!」
「……まったく、あなた以上に戦好きねこの人……」
「わし等も負けておれんのぉ、紫苑!」
「その前に、やることがあるでしょう。誰かある!!」
「はっ、ここに」
「この状況を、早急に本陣に伝えなさい。山道は完全に読まれていたとね。退くことも難しい状況のため、このまま進軍します」
伝え終わると伝令は即座に馬を走らせる。
「させんぞ……っ!」
伝令を狙っていた後方の兵を、伝令の脇をかすめ祭の矢が突き刺さる。
「止まるなッ!行けいッ!!」
止まりかけていた伝令を決起させ送り出す。
「しかし、どうしたものかのぉ、この状況」
「簡単に言っちゃえば、ぴんち…ってことでしょう?」
「ぴんち?何ですかなそれは」
「一刀が言ってたの。凄く危険な状況を、『ピンチ』って言うんだって」
「ほぉ……。確かに、この状況はピンチですなぁ……」
霧が濃く視界が利きにくい中、どこに敵が構えているかもわからない。
(兵の数も少数だし、ここは強行軍で行くしか無さそうね…)
「桔梗、祭さん。ここは強行突破しかなさそうです。せめて霧が晴れるか、どこか広い場所に出ないと…っ!」
「賛成じゃ。いくらワシでも、敵に囲まれて喜ぶような性格はしておらんからな」
「全軍、敵中を突破する!!足を踏み外さぬよう注意しながら付いて来い!!」
桔梗の先導で、死中にある山を直走る―。
―― 『同刻』 第三部隊 ――
「おいおいおいッ!?いったいどうなってんだよ!!」
「私だってわかんないよ!!」
「あわわわわ……と、とにかく落ち着いてくださいぃい!」
「いや、まず軍師殿が落ち着かれるべきでは……」
「あぁ……どうしましょうどうしましょう……ッ!?」
「はぁ……明命、落ち着けと言っているだろう」
何故翠たちがここまで慌てているかというと、それは目の前のこの状況が原因である。
「数はざっと30万か……。少し厳しいな……」
「何で思春はそんなに落ち着いていられるんだよ…!本来あたしたちは奇襲が役目だろう!?それがどうしてこうも完璧に敵が待ち受けてるんだよ!!」
「あわわ……予想外ですぅ……」
完璧に当てが外れて雛里は落ち込んでしまっている。
思春も決して落ち着いているわけではない。
このありえない状況に、かえって落ち着くしかないのだ。
「とにかく、本陣にこのことを伝えねば。誰かある!」
やってきた伝令に言伝を頼む。その間にいつの間にか翠が居なくなっていた。
「おい、馬超はどうしたっ!」
「お姉ちゃんなら、『ちょっと偵察に行って来る!抜け道があるかもしれない!!』って飛び出しちゃった……」
「……さっさと連れ戻せ!!」
「はいぃッ!」
相手はこちらの策を読んでここに居るのだ。抜け道などあるはずが無い。
「軍師殿、どうする……」
「えっと……、正直、すごーくまずい状況です……」
「そんなことはわかっている。何か打開策は無いのか?」
少し悩むそぶりを見せるが、雛里は表情を固くしたままだ。
「………無いです。あるとすれば、他の部隊に援軍を頼むぐらいです」
「それはできないな……それでは前提が崩れてしまう」
「ですね…。しかし、そもそも中央の第一部隊以外に部隊があると言うことをあちらは知っていると見て間違いないでしょう。恐らく、第二部隊も危ないかと」
「……ならば、やることは一つだな」
「……はいっ」
話がまとまったところで、翠と蒲公英が戻ってきた。
「おいっ!!あったぞ抜け道!!」
………………………………………………………………………………。
「何ィいいい!?」「あわわわわぁあああ!?」
二人の決意は水の泡となった。
―― 『同刻』 魏 ――
「―動き出した。もう、止まることはできない…」
誰に聞かせるでもなく、独り言を呟く。
「さぁ、私の覇道を、天に知らしめるのよ……全てを、手に………。ふふふっ………」
華琳の手には、一つの鏡。
その鏡に映し出されていたのは、
――一つの未来だった。
―― あとがき――
一応最後の決戦となります。
三面にて展開される攻防を、どう書くかは大体決まっています。
最後の結末はすでに考えてありますが、果たしてそこまで持っていくのにどれだけ時間がかかることか……
ちょっぴりこれからのお話を。
本筋はやはり、一刀と華琳の関係がどうなるか…ってことですかね。
華琳の持ってる鏡に関しては、もはや言うまでも無いでしょう。
大事なのは、この戦いでの、華琳の立場と、一刀の思いです。
これ以上は本編でってことで。
期待されている皆さんには申し訳ありませんが、長い目でのお付き合いをお願いいたしますorz
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本当に長い間待たせて申し訳ない。
製作する暇がなかなか取れずに、こんなに間が空いてしまいました…。
前の話を覚えてない人のためにも、簡単なあらすじは書いておきましたので、どうぞご愛読ください。