No.711154

すみません、こいつの兄です89

妄想劇場89話目。我ながら、長く続いています。なんだか月刊になっちゃっていますが、もう少し頻繁(隔週くらい)に更新できるようにしたいです。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411
メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ)

2014-08-25 00:58:08 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:923   閲覧ユーザー数:821

 大学の講義を終えて、バスに乗る。シートに座った瞬間に意識が飛ぶ。隣に座っていたみちる先輩に起こされて、駅前で降りる。そのまま駅の改札に向かう。

「?……直人。どこか行くの?」

なぜか最近、バスで一緒になることの多いみちる先輩が駅へと並んで歩きながらたずねてくる。そりゃそうだ。いつもは、ここで『それじゃ』って別れるパターンだったんだから。

「ちょっと家庭教師始めたんです」

「直人が?」

「ええ」

「だれに?」

不要な情報には一切興味を示さないみちる先輩にしては、妙な食いつきだ。理由は分からないが、家庭教師先が美沙ちゃんだというのは言いづらい。

「……んと、妹の友達に」

「ふーん」

やっぱり興味ないのかな。そう思いながら、みちる先輩と反対のホームに向かう。

 電車が来るのを待っていると、反対側のホームのみちる先輩と目が合う。先輩が気まずそうに目をそらして、電車に遮られる。

 電車で、一駅。通いなれた市瀬家へ向かう道を歩く。そういえば、ここを美沙ちゃんのために歩くのは珍しいことだと思い起こす。いつも、真奈美さんを迎えに行く道だった。お姉ちゃんばかりに優しくして私には優しくしてくれない……と俺を責めた美沙ちゃんの声が頭の中でリフレインする。だけどその声はすぐに真奈美さんの声に変わる。まだ幼い真奈美さんの声に変わる。美沙ちゃんにすっかり愛情が移ってしまった両親に向けられたであろう声にならなかった声。美沙ばかり構って。そう叫びたくて叫べなかった声。

 美沙ちゃん。

 真奈美さん。

 愛情を求め続ける。きれいで、可愛らしくて、世界中の愛情を欲しいままにしているだろう美沙ちゃんでも、まだ愛情を求める。

 人は、どこまでも贅沢で、どこまでも切ない。

 そんなおセンチなことを考えているうちに、市瀬家に到着する。呼び鈴を押すと、美沙ちゃんが美少女笑顔をひらめかせて迎えてくれる。

「いらっしゃい。お兄さんっ!」

美沙ちゃんの手が、俺の手を握る。柔らかい握力が、俺の鼓動を跳ね上がらせる。滑らかで柔らかな指の感触。手を引く美沙ちゃんの後姿。華奢な肩の、レース細工のような細やかさ。さらさらと揺れる黒髪。すべてが美しくて可愛らしくて、女の子だ。

「あ。今日は、先生ですよね」

「ん……」

先生とか呼ばれると、なんだか面映い。

 居間に通されると、テーブルの上に教科書と参考書、それから大学入試の過去問集が積みあがっている。なるほど、ここで勉強するんだな。いや。美沙ちゃんの部屋に入れるなんて期待してない。ぜ、ぜんぜん期待なんかしていなかったんだからねっ!である。

 とりあえず、今日は美沙ちゃんの先生だ。ちゃんとやろう。

 まずは、現状把握からである。現実と目標の距離を測ろう。

「じゃあ、最初だからまず実際の試験どおりの時間で過去問を解いてみよう。できなくてもいいから」

「はい」

「じゃあ。開始」

時計を見て、時間を確認してシュミレーション開始である。

 ノートを広げて、背筋をすっきりと伸ばし、少し目を伏せてじっと過去問集に向かう美沙ちゃんはやはり見た目は知的美少女だ。実際には美沙ちゃんの成績は、赤点を取るか取らないかという問題ではなく赤点をいくつ取るかと言うレベルに達しているのだ。

「お兄さん……」

「なに?」

「これ、なんて読むんですか?」

「シグマ」

「羆?」

「難しい漢字知ってるね。でも、それはヒグマじゃない。シグマ」

問題が読めないレベルだと、試験時間の一時間が辛すぎるので予定変更。シュミレーションはやめて、教科書の最初から行こう。

 教科書の最初から、順番にひたすら詰め込み方式で勉強を続ける作戦に出るしかない。普通のペースでは、間に合わない。なんで?とか、どうして?とかは一切ナシだ。教科書は正義。バイブル。神の言葉に疑義を挟んではいけない。昭和時代の詰め込み教育である。俺も去年は、この方式で勉強した。昭和の勉強法をナメてはいけない。なんと言っても、日本史上最大競争率の受験戦争は昭和末期から平成初期の第二次ベビーブーム世代なのだ。昭和の高校生がやっていた勉強法は、受験特化型勉強法である。なにかのコラムで息子を励ますために一緒に勉強してたお母さんだけが東大に合格して、息子は浪人したという悲劇を読んだことがある。昭和の受験生って、受験戦争帰還兵の受験ランボーみたいになっている。

 

 学年にして、一年しか違っていない美沙ちゃんの使っている教科書は当たり前のことだが、俺の使っていた教科書と同じだ。細かい改訂はされているかもしれないけど、そんなのに気づくのはうちの妹くらいのものである。

「そこは、丸暗記しようとするとキツいから少し分けて組み合わせにするといいよ……」

全体的に暗記する対象に区切りをつけずに、丸ごと一ページを暗記して突き進もうとする美沙ちゃんを軌道修正する。明らかに妹の悪影響だ。うちの妹と友達でさえなければ、美沙ちゃんの成績は、もう少しよかった気がしてきた。兄として責任を感じてしまう。

「えっと、それは単位を見ると、ほら、m/sだから、時間に関係するものを分母に来るんだって覚えれば……」

俺にとっては昨日のことなので、わりとすらすらと教えられる。

 大学に合格して依頼すっかり勉強をサボっていた俺は、昨日あわてて高校の範囲を復習したのだ。正直、高校時代の試験前より集中して勉強した自信がある。美沙ちゃんの前でくらい見栄を張りたい男心である。

 

 一時間後。

 

 昭和式受験ブートキャンプをやっていたら、新兵美沙ちゃんがめげた。

「お……お兄さん。も、もうだめぇ……そんなに入れたら壊れちゃいますよぉ」

鬼教官の俺は、ボイスレコーダーを持ってくるのを忘れた自分を責めた。俺のバカ。こんなご褒美セリフを録音し損ねるとか、馬鹿すぎる。

 そうじゃない。

 慣れない勉強を、美沙ちゃんなりに一生懸命やってへとへとになっている。もともと白いつやつやした肌が、少し青ざめてすらいる。

 しかたなく休憩を入れることにする。

「じゃあ、ゲームしていいですか?」

「だめ。脳を休ませた方がいいよ」

「そうなんですか……じゃあ」

そう言って、美沙ちゃんはころりとカーペットの上に転がる。

「お兄さん。お兄さん」

さらさらのボブカットヘアが広がるカーペットを美沙ちゃんのかわいい手がポムポムと叩く。かわいいなぁもう。

「なに?」

「膝枕してください」

「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」

天を仰いで三度お礼を言って、いそいそと美沙ちゃんの頭側に移動する。では……。

 美沙ちゃんの頭をそっと持ち上げる。小さいなぁ。美沙ちゃんは、顔も小さいんだが頭骨自体のサイズがすでにノーマル人類よりも一回り小さいんじゃないかと思う。正座した脚の上に載せても全然重くない。調子に乗って、さらさらの髪を撫でる。すべすべでさらさらで、ふんわりといい匂いが漂う。匂いは姉妹でも少し違う。フローラルの香りというか、どこか春の香りがする。

 静かに閉じられた瞼のまつげを見る。長いなぁ。

 眉も描いたりしていないのに、太くも薄くもなく、すーっと優しげなカーブを描く。

 あらためてじっくりと美沙ちゃんの顔を観察すると、ほんとうに美少女だと思う。

 美沙ちゃんも真奈美さんなみに整っている。垂れ目気味の目と少しだけ丸みを帯びた全体のつくりだけが愛嬌をつけくわえている。

「んー。かわいいなぁ……」

あ。しまった。思っていたことが声に出てしまった。

「……じゃあ、もっと頭なでなでしてください」

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

 神に感謝をささげて、髪をなでる。韻を踏んだ。

「……蜜の味ですよね……なでてもらうのって……」

 許可さえ出ればいつでもなでちゃうよ。

 そうしているうちに、美沙ちゃんの呼吸がゆっくりと深くなっていく。

 寝ちゃったかな。

 うーむ。どうしよう。起こすべきだろうか。まぁ、いいか。

 うん。いいことにしよう。

 ゆっくりとした呼吸で、静かに上下する美沙ちゃんの胸を見ていたら、いいことになった。大きすぎず小さすぎない完璧サイズの胸がゆっくりと上下していて、ワンダフルでビューティフルだ。夏も近い。Tシャツが素敵である。

 いつもはあまりガン見しているのも失礼なので、こんなにしっかりと美沙ちゃんを見れるのは珍しい。せっかくなので、この天使な光景を堪能させてもらう。キュロットスカートから伸びたすらりとしたバービー人形みたいな脚、つるりと平らなおなか、言うまでもないワンダフルでビューティフルなDカップ。襟元にちょっとボタンのついた薄水色のTシャツもとても似合っている。ボブカットの綺麗な黒髪に縁取られた端正な顔立ち。

……キスしちゃいたい。

 そう思ったところで、玄関のほうからの物音に気がつく。

 軽い足音とともに、美沙ちゃんのお母様、由利子さんが居間の入り口に現れる。

「あらー、直人くん邪魔しちゃった?」

相変わらずの美人っぷりに柔らかで悪戯っぽい笑顔を浮かべて、返答に困ることを言う。

「い、いえ……」

邪魔じゃない。というか危ないところだった。美沙ちゃんにキスしちゃいそうな催眠状態だった。

「三時間くらい出かけて戻らないほうがいい?」

由利子さんがだんだん生々しくなってきた。そういえば、由利子さんは旦那さんを三時間くらいでゲットしている疑いがあるんだった。

「そんなことないです」

「美沙、お兄ちゃんにフラれちゃってるわよ」

「フラれてないもん」

そう言って、美沙ちゃんの腕が下から俺の頭を掴んで引き寄せる。膝枕でこれをやられると、ちょっと体勢が苦しいが、のぼってくる甘い美沙ちゃんの匂いで麻酔される。

 ふにゅっ。

 そのまま斜めに引き倒されて、というか引き折られて、美沙ちゃんの胸に頭が抱き寄せられる。

 美沙ちゃんの!胸に!頭が!

 美沙ちゃんの!胸に!頭が!

 いろんな意味で前かがみになる俺。

「今日は一日、お兄さん。私のものだもん。私のことばっかりだったもん」

抱き寄せられた耳元で、美沙ちゃんの声が呟く。すこし寂しげで切なげな声が鼓膜を揺らす。顔に押し付けられる柔らかな圧力と、耳元のしっとりとした声。美沙ちゃんの匂いが鼻腔を満たし、胸に満ちていく。

「美沙ちゃん?」

「しゃべられると、くすぐったいです」

そうなのだ。唇のすぐそばまで押し当てられているのだ。ヘタに話すと、ぽゆぽゆぷゆんである。

「三時間くらい出かけてくるわね」

そうだった。お母様がいるんだった!

 お母様の目の前で大切な娘さんのDカップに顔をうずめるとか、俺が勇者過ぎて困っちゃうよ!

「でかけなくていいです!」

精神の壁を突破して、身体を起こす。頭を抱きしめていた美沙ちゃんも一緒に起き上がる形になる。

「きゃんっ」

かわいい悲鳴をあげて、今度は美沙ちゃんが俺の胸に顔を押し付ける体勢になる。一瞬だけ抱き合っているような姿勢になって、すぐに美沙ちゃんがバネ仕掛けの人形みたいに身体を離して俺の隣で正座する姿勢に戻る。可愛らしいほっぺと耳がほんのり桜色に染まっている。

「二人きりにしてあげなくていいの?」

ちょっと口をすぼめて、あごに指を当てる由利子お母様。ちょっと、あんた何歳なんですか?市瀬美人遺伝子は不老不死ですか?かわいいぞ。

「いいです。いいです。だいじょうぶです」

なにがいいのか、なんの根拠で大丈夫なのか分からないが、根拠と意味を放棄してその場を取り繕う言葉が口から飛び出す。

「あら。私がいても大丈夫なのね。見られてても気にしないタイプ?むしろ、ぐへへ観客がいたほうが俺はいいんだタイプ。末恐ろしいわ」

今日は由利子さんがクレイジーな日なのか。そういうのは、うちの妹とキャラがカブるのでやめていただきたいと思う兄心なのだ。

「そ、そそそ、そういうことじゃなくて、見られてて困ることしませんから!」

俺氏、大慌てである。胃も痛い。

「じゃあ、やっぱり美沙のほうはフラれちゃってるの?真奈美の方が好み?」

 由利子お母様の、大切な娘さん二人と身体的な接触しすぎで、見方によっては二股と取られる可能性すらあるお付き合いをしている身としては、もうこれは針のむしろである。すべて自業自得というか、因果応報というか、状況に流されるだけ流されまくった結果と言うかである。

 目をぐるぐる渦巻きにしてテンパる俺と美沙ちゃんのテーブルを挟んだ向かい側に由利子さんが座る。

「私、フラれてないもん」

美沙ちゃんが、俺の左腕を取ってぎゅっとする。挟まれてスーパー心地いい。お母様の前でなければもっといい。

「直人くん」

「ひゃいっ」

由利子さんの意外と真面目な声音とまなざしに、背筋が伸びる。美人にまっすぐ見つめられると緊張する。

「美沙と真奈美のどっちでもいいけど……」

「?」

なにを言い出すんだ?

「……どっちかにしてね。他の女の子に取られたりしちゃダメよ」

「え?」

由利子さんが俺に向ける空気は、からかっているような調子ではない。

 だけど、そのまま言葉に続きはなくて由利子さんは、買い物のエコバックから中身を冷蔵庫へ移しはじめてしまう。

 

 俺と美沙ちゃんも勉強に戻る。

 

「こんな変な四字熟語とか覚えても、使われた相手のほうがわかってくれませんよー」

「そうだけど覚えて」

「これ、なんの役に立つんですか」

「受験の役に立つよ」

「そうでした」

受験戦争に理由はない。上官が覚えろと命令したら、イエス・サーか、アイアイ・サーしかないのだ。

 夕方近くになって、ふと顔を上げると真奈美さんがテーブルの向かい側に座っていた。いつの間に帰ってきて、いつの間にそこに座ったのか全く気づかなかった。相変わらずのステルス真奈美さんである。

「きゃっ!」

俺とほぼ同時に気づいた美沙ちゃんが小さく悲鳴を上げる。

「お、お姉ちゃん!帰ってくるときは、もう少し気配立ててよ!」

「……う、うん」

そう言って、真奈美さんが両手をテーブルの上でぱたぱたぱたぱたと叩く。

「なにしてるの?お姉ちゃん?」

「け、気配……」

うん。たしかに、気配でた。

「真奈美さん。今日は、お仕事だったの?」

「うん」

すごいなー。なんと真奈美さん社会人だぞ。お仕事だぞ。勤務だぞ。勤務先は三島の姉ちゃんのところで、職場は三島のうちの二階だけど……。世間のニートは、真奈美さんの一割くらいのがんばりを見せて働いてみるといいぞ。

 真奈美さんの成長っぷりが嬉しい。

「お兄さんは、今は私の先生なんですから、よそ見しないでください」

左腕に柔らかく美沙ちゃんのDカップが当たる。

 美沙ちゃんの性徴っぷりも嬉しい。

「あ。うん。ごめん」

また、二人で勉強に戻る。

 

 市瀬家で夕食をご馳走になって、家に帰ると九時をすぎていた。

「ただいまー」

居間でテレビを見ている母親に声をかけて、そのまま二階に上がろうとするところで呼び止められる。

「直人、ちょっと待ちなさい」

「なに?」

「あんた、携帯電話壊したんだって?」

「うん」

「で、どうしたの?」

「どうもしてない。こわれたまま」

「困るでしょう?」

「それが、意外と困らない」

「買いなさい。真菜を探してて、壊したんでしょ」

ちゃらららー。

 

 携帯電話を手に入れた。

 

 携帯電話代三万円を手に入れて、今度こそ自室に上がる。

 美沙ちゃんに勉強を教えて、多少脳が疲れた気もするが寝る前にまた参考書を開く。明日、美沙ちゃんに教える部分の予習をしておかないといけない。いつのまにか、すっかり真面目な学生になっている。この気合が高校二年生くらいのころからあれば、もう少しいい大学に行けたかもしれない。だが、美沙ちゃんのためでなければ、こんなに気合が入るわけもないのである。

 美沙ちゃん。かわいいよなぁ。

 あの美沙ちゃんが、俺のこと好きとか言ってくれているんだよな。

 美沙ちゃん、かわいいなぁ。受け入れちゃったら……。

『んあっ……お、お兄さん……。だめぇ…な、なんだか…その…そこ…ぬるぬるしてきちゃってて……は、恥ずかしいです』

 違うぞ。

 今のは、俺の脳内ではない。

 壁越しに妹の部屋から聞こえてきたエロゲサウンドだ。あいつまだヘッドホン使っていないのか……。

 俺は、エロゲの攻略キャラが黒髪ボブでDカップだったら、あとで貸りようと心に誓った。リアル妹がいるから、妹モノエロゲは出来ないと思っていたが呼称が『お兄さん』ならアリだ。黒髪ボブならさらによろしい。

 ちがう。

 明日の予習だ。大学の講義じゃなくて、美沙ちゃんの家庭教師の方だ。美沙ちゃんと同じく受験生の妹は隣の部屋でエロゲ中だ。去年の同じくらいの時期、俺はパソコンを自ら妹の部屋に追放して勉強していたと思う。

 毎日、俺を家庭教師にして勉強する美沙ちゃん。

 去年の同じ時期、部屋の中の勉強道具以外を全て追放して勉強していた俺。

 部屋でエロゲ三昧の妹。

 この三人の中で、一番いい大学に行くのは誰でしょう。

 ……。

 世の中が不公平すぎるので、俺は考えるのをやめた。

 

 翌朝。

 いつもより少し早めに家を出る。一時間目から講義が入っているし、駅前の某有名携帯電話キャリアショップに寄って、携帯電話を手に入れてから行くのだ。

 ショップに入る前に、ちらりと視界の端にオーバーオールにTシャツの長崎みちる先輩を見つける。最近はよく朝のバスで一緒になるから、もう少し遅く来る人だと思っていたが、今日はみちる先輩も早起きしたんだな。

 バス停はロータリーの反対側でけっこう距離がある。そのまま、キャリアのショップに入って整理券を貰う。このくらい朝早いと、特に待たされることもなく順番が周ってくる。先日の黒髪ロングお姉さんの窓口だ。

 美沙ちゃんは、妹と同じ時間に高校に行っているはずだから大丈夫だな。

 俺は、なんの心配をしているんだろう。

「あ、スマホじゃなくて……そっちの……」

ナチュラルに白がイメージカラーの禁断の果実な携帯電話を勧めてくる黒髪ロング姉さんを牽制して、ガラケー一直線である。そんな十万円近くもする電話が買えるかってんだ。

 カタログを見ながら、機能を見ると意外と老人向けらくらくホンとかが魅力的に見えてきてしまうが、それはどうよ?とも思う。でも、ボタン一発で電話をかける先が三箇所登録できるって便利だよな。市瀬家、美沙ちゃん、自宅くらい登録しておけば超便利じゃね?それでも、なけなしのプライドが邪魔をして、ついついPなんとかというガラケーを選択する。ボタンがデカいのは譲れない。冬に手袋したまま使えるんだよ。あと、防水らしいから今度は雨に濡れても大丈夫だ。

 その場で、在庫を出してもらって、電話番号やらなんやらを登録してもらってショップを出る。けっこう時間がかかってしまった。一時間目間に合うか、微妙なところだ。バスのタイミングが悪いとダメだな。

 そんなことを考えながら、百メートル弱先にあるバス停に向かう。そこで気づく。

「みちる先輩?」

「お、おはよ」

携帯ショップに入る前にすでにバス停にいたはずのみちる先輩が、まだバス停にいる。いつも通りの無表情に三白眼で、こちらをやぶ睨みにしながら……。

 なにやってんだ、この人。

 挨拶だけすると、これまたいつものようにあっちを向いてしまうのもいつものみちる先輩だ。これがノーマル状態だと知っているので、もう嫌われているんじゃないかなどとは心配しない。

 すぐにバスがやってくる。この分なら、一時間目に間に合う。よかった。

 バスに乗り込むと、今日は時間ギリギリのバスだからかいつもよりも混雑している。座れたりしない。俺はつり革に、つり革につかまるには若干背丈の足りないみちる先輩は手すりにつかまる。

 バスがぶぉおっとディーゼルエンジンの音を響かせて、国道を登っていく。隣のみちる先輩はいつもどおり無言。携帯をいじるでも、本を読むでもなく窓の外を睨んでいる。……にらんでいる様に見えるが、その目つきが地だから言い直すべきだな。窓の外を眺めている。

 ごくごくつまらないコンビニやアパートや中古車の展示場が窓の外を流れて行く。

 何度か小さな渋滞と信号に引っかかって、バスは大学前に到着する。みちる先輩の後に続いて降りる。

 二人でキャンパスの中を歩いて俺は講義棟に、みちる先輩はサークル棟に向かう。みちる先輩、一時間目を取っていないならこんなに早い時間じゃなくてもいいんじゃないだろうかと一瞬思うが、教室に入るころにはすっかり忘れていた。

 

(つづく)


 
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