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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~<1>【3章-1】

みっくーさん

◆既存投稿ページを再利用したまとめ投稿です。最新投稿分からの続編になります。(2015/06月)

2014-08-15 21:24:45 投稿 / 全29ページ    総閲覧数:453   閲覧ユーザー数:453

3章 霧の(もり)

 

 彼は森の中を彷徨っていた。彷徨いつつ、途方に暮れていた。

「どこなんだよここ……ていうか、どこなんだよ、アイツ……」

 見上げれば、木々の梢から春の漏れ日が降り注ぐ。鳥の声は穏やかで、風は優しく、流れゆく雲の姿が隠されるほど鬱蒼(うっそう)としているでもなかった。

 それほど深い森というわけではない。しかし、甘く見ていた。

 単純に、広い。人間は、面でしか動けない生き物なのだと痛感した。

「どうすんだよ……頼むよ……。あー、鳥でも爆発でもなんでもいいから、なんかこうパパァーっと分かりやすい道案内でもしてくんねーかな……」

 その時だった。

 ズズ…………ン……。

「……お?」

 分かりやすい振動とともに、どこかで鳥たちが一斉に飛び立つ騒音が聞こえてきたのだった。

 

 ズゴゴゴゴゴゴゴ…………。

 小屋に二本ある煙突。その一方から派手に吹き上がる噴煙が、起こった爆発の大きさを物語っている。

 揺れる桜の(こずえ)の上に停まった鳥たちが、迷惑そうに煤のついた羽の繕いを開始した。

「……けほっ」

 その小屋から少しばかり離れた芝の上に、投げ出されたように転がっていたスフィールリア。

 煤にまみれた頭を持ち上げて、呆然と噴煙巻き上がる空を見上げた。

「……臨界値が安定しないなー。もうちょっとなんとかしないと間に合わないのでは」

 パリン、カシャン、と破片を落とす工房窓から、ズボーーッと瓦礫の海をかき分けて金色の体毛を持つ猫が顔を出した。むしろ埃と煤にまみれて、少しも輝いているところなんてないが。

「お、おおお、おま、お前なぁ! どうしてお前らはこうやってどうしてな! 練成からの爆破行為ばっかするんだ! 耐久力テストなのか! 建築物の限界に挑戦なのかっ!?」

 えー? とスフィールリアは、ちょっとからかわれたみたいな声しか出さなかった。

「そんなことないよー」

「説得力がない! 別に笑うところでもなかったから!」

「でも実際、頑丈だよね。これなら気楽に爆発できるかも」

「今できるって言った! 爆発できるって言ったな! やっぱりそうなんだな!?」

「違うってば。これなら爆発しちゃうとしても恐れず大きな作業に挑戦できるねって」

「爆発から離れてくれよぅ……うっうっ……」

 スフィールリアは立ち上がり、ぱたぱたと衣服そこかしこを叩きながら窓に近寄っていった。

「まぁ、壊したくない機材とか外に運び出しておくのも面倒だしね」

「そういう問題でもないと思うんだが」

「うーん……でも多少でも強引に大型練成していかないと。さすがにイガラッセ先生の依頼、間に合わないし」

 からっぽになった窓枠にゲンナリあごを預け、フォルシイラが気のない声を出した。

「無理しなくていいんじゃないか? これじゃ爆発でロストする素材代がもったいないだろう」

 それと使う分の器具な。そう加えて、けほっと思い出したように咳をする。

 スフィールリアの方も「でもなぁ」と決まりきらない態度で腰に手をやり、彼と一緒に工房内部を眺める。

「もうこっちもイガラッセ先生の報酬前提にした生活しちゃってるのがね。だってここまで手が回らないって思わなかったんだもん。ついでに、最小の素材から最大の成果物を引き出さないと利率を考えても今後がキツいし」

「まぁ、基礎が終わって、どいつも教室探し始める時期だからな。じゃなけりゃ仕事の幅も広げられないしな」

 つまり、そういうことだった。

 スフィールリアら新入生が、最初期の合同基礎カリキュラム日程を終えて、すでに数日が経過している。

 ここからは、見かけ上の自由時間こそ多いが、真の競争の始まりだった。

 フォルシイラの言葉の通り、自分の目的に沿った分野の教室について学ぶことで、こなせる仕事の範囲も広がってゆく。今までは残されがちだったランクEやDの掲示も、依頼者との直取引で完結消化されてどんどん姿を消してゆくようになるだろう。

 教室ごとの定員というのは教師ごとの判断で設けられているので、かならず入れるわけでもない。人気のある教室はすぐにすぐに埋まってしまう。

 時間のロスは少なければ少ないほどよい。少しでも余分な雑事に気を取られれていれば、仕事面、学業の進捗面、ほかには素材の流通経路や情報交換のコネクションなど……あっという間に取り残されてしまうことになるだろう。特にスフィールリアとしては、素材や物品取引の流通経路に関する心配が一番大きい。

 こういったことは早い者勝ちの要素が強い。信用や実績も大事だが、それらを稼ぐには、まず相手をしてもらわないことには始まらないからだ。

 賞味の話として、今の彼女でも〝素材さえ〟手に入ればBランクていどまでの依頼完遂はたやすい。それ以上となると機材の面で不安があるが。だからこそ新入生が入るこの時期、新規に拡張余地を見せるコネクションへの食い込み合戦には先んじて走り出しておきたいところであるわけで。

 しかしそれも元手がなければ始まらない話だ。スフィールリアも驚いたのだが、Cランクあたりからは、必要とされる素材の単価基準も跳ね上がってくるのだ。Bランクの素材品ともなると、中にはそれひとつで家が丸ごとひとつ買えてしまうようなシロモノまであるのだから、おいそれと手が出るわけもない。フィルラールンで師を手伝っていた時などは、素材の工面も依頼者が行なっていたので考えたこともなかった。

 自分の教室探しもしなければならない。

 生活費や今後の依頼のための元手も稼がなくてはならない。

 そのためには、今ある依頼を確実にこなさなくてはならない。

 そしてそれらすべてに、〝時間〟は、絶対に必要なものである。

 以上の点から、大口の依頼完遂は彼女にとっての必須項目なのだった。

 始まってみれば、本当に気を抜けない日々だぞと、いくら気を引き締めても足りない気がしているスフィールリアだった。

「だからってあれっぽちの素材を無理に〝増幅〟して大量の水晶水を得ようってのも無理あるぞ。たしかにお前のタペストリ領域は今まで俺が見てきたヤツらと……比べるのもアホっぽいくらいズバ抜けてるけどさ。それでもエントロピー・キーの限界は、やっぱり、あるぞ」

「ここにいた先輩たちっていうのも、イガラッセ先生の依頼は受けてたんだよね? 実際(さば)ければおいしいしさ。先輩たちはどうやってやりくりしてたの?」

「一概には言えないぞ。それぞれの状況ってものもあるしな。最初からコネを持ってたヤツもいれば、ギャンブルかましたヤツもいるし、地道にコツコツ稼ぎ始めたヤツもいるよ。それでも最初はとにかくなんとかするしかない」

「やっぱりそうだよね……」

「とにかく、こういった基礎地盤的なことで悩むのも最初のうちだけだ。最初が肝心。作成環境を整えて、商売の域にまで発展させられれば、金にも余裕が生まれてその分の時間をほかに回せるようになる。時間を金で買うことだってできる。いきなりだが、正念場だな」

「だよねぇ」

 と繰り返す。地盤を整えられるか否かで、今後の大半が左右されるわけだ。

 目いっぱいに身体の筋を伸ばして、春の青空の光と温みを堪能するのは、すばらしいリフレッシュにほかならなかった。

「……近くの森も悪くないんだけどねぇ。もうちょい蒼導脈(あおどうみゃく)の豊富な土地とかあればいいんだけど」

 逃避も短く切り上げて、降ろした視線の先にある森。

「おー……い! スフィールリアー!」

「……ん?」

 その木立の間からなにかが呼びかけてくる声を、スフィールリアは聞き留めた。

 ガサリと茂みを抜けて、小屋のある〝広場〟に出てきたのは、男。

「はははっ! はははっ! やっと見つけたぞこの野郎会いたかったぞー!」

 とか言いながら本当にうれしそうに手を振り走り寄ってくる姿に、スフィールリアは見覚えがあるような気がしていた。

 今はプロテクト・アーマーこそ装着していないが、青を基調にした軍服にも似た制服。

 それなりにがっしりした体躯。短めなブラウンの髪。精悍(せいかん)ではあるがちょっと涙目になっているアホっぽい顔。

 たしかに、見覚えがある。そいつの声にも。

 ――おい、そろそろやめておかねぇ? 脈ねーよ。なんか怖がってる。

 ――ちみっこい女子供だから下手に出てたけどな……剣なんて振り回されたら、こっちももう手加減できねぇんだよ。

 総合して考え……。

 スフィールリアは腕組をして男の到着を待ち構えた。野生の直感なのか、窓から出てきて傍らに立ったフォルシイラが、ビクッと震えて彼女を見上げる。

「……」

 ほどなくして男――入学式の日にフィリアルディをかどわかそうとした不届き者のそいつは、仁王立ちしたスフィールリアのもとにたどり着いた。

 うれしそうな表情はそのままに、バシバシと肩や背を叩いてくる。

「ははっ。やっと会えたぜマイフレンド! 元気してたかよおいっ? まー元気じゃないって言われても信じねーけどなドラゴン亭腕相撲チャンプが!」

「……」

「<アカデミー>入れてたって聞いた時はびっくりしたぞ。探すの苦労したけどな! ははっ……はは……は」

「……」

 次第に、しぼんでいって。

 あたりを、さらさらと温い風が吹き抜けていった。

「なぁ、どうしたん……だ……?」

「……マイフレンド?」

 スフィールリアは、男を見ていなかった。仁王立ちした時からまったく視線を動かさず漏らされた問いに、彼は笑顔でコクコクとうなづいて自分の胸を叩いた。

「マイフレンド! ソウルメイト!」

「……探していた? やっと会えた?」

「探した! 迷った! 見つけた!」

 スフィールリアは瞑目した。

 総合して考え……。

「フォルシイラ。ちょっと背中貸して。〝上がる〟の手伝って」

「わ、分かった」

「お……?」

 金猫の大きくたくましい背に両足をかけるスフィールリア。フォルシイラの体躯が彼女の重心移動に合わせて、ググゥ……っと引き絞られていって……。

「おっ……!」

 瞬間、フォルシイラの筋力をバネに、スフィールリアは高く高く飛び上がっていた!

 そして男の両肩に膝から着地。そのまま腿でがっしりと頭を挟み込んで――

 男はそこまでの一部始終を、ただただ見ていた。

「――し、」

 そこまでである。

 ゴリュ。という音とともに男は意識を失った。ほんの、一瞬だけ。

 そして、そのほんの一瞬がすぎたあと……。

「づおおおおおおお! づおおおおおおおおお……! 首がっ、目の裏がっ! 焼けるうううううううっ!! なんてことしやがるうううううう……!」

 男は首の裏を押さえながらゴロゴロとその場を転がっていた。

「まったく。わけの分からないことを。でもね、あれだけ叩きのめしてやったというのに、こちらの拠点の位置を調べ、まだ報復に向かってこようというその度胸だけはほめてあげる……」

 す……とかかる影に、男はかなり恐怖に戦いた顔をして後ずさった。

「い、いやいやいや! ちょっと待ってくれよ! 報復ってなんだよ!? 和解しただろ――分かり合ったじゃないか、あの夜に!!」

「……あの夜ぅ?」

「そそ、そうだよっ。おま、まさか忘れてるのか……? ――ほほほら思い出せ、ドラゴン亭だよ! <猫とドラゴン亭>! あの乱闘騒ぎのあと! 会っただろ!」

「ドラゴン亭……猫と……酒場」

 そう! と男は必死に指を向けて語りかけてくる。

「酒場! やけ酒! 腕相撲大会! 漢同士の! 肉と肉のぶつかり! 意気投合! なぁ頼むよ殺さないでくれよあれだけアツい夜をすごして語らったじゃねぇか――!」

 こめかみに指をやり、スフィールリアの歩みが止まる。

 思い出されてくる、光景の数々……。

 燃えるような夕日と大通りの熱気に取り残され、ふらり立ち寄った酒場。

 情報収集の前に景気づけと頼んだ一杯。飲みっぷりに寄ってきて沸き立つ中年青年。歌い、踊り、叫び、また飲む……。

 泥沼のように酒を浴び続けているうちに、席の背後でまた別のお祭り騒ぎ。腕相撲大会……。

 並み居る猛者たち。踊り狂う筋肉と汗の躍動。勝利の美酒と、積み上げられてゆくコイン。頂上の席はひとつ。待っていた男はひとり。すべての決着を、ここで……!

「…………。あー」

 思い……出した……。

 ……ような、気がする。

「なんかそのあと、なんとなくアンタと飲んでたような……いなかったような……」

「いやいや! 飲んでたから! 間違いなく……!」

「んん~~」

 スフィールリアはズイッと男に顔を近づけて深々観察する。

 男はぎくっとした動作で顔を真っ赤にして硬直したが、ここが正念場であると言わんばかりに必死と自分の顔を指差し続けた。

「……なっ?」

「そうだったかも」

 スフィールリアは顔を離した。

 ほっと胸をなで下ろして、彼の方も立ち上がった。

「……かなりろれつも回ってなかったみたいだから、ひょっとしてンなこともあるかもなって思ったよあの日は。自分でロクに歩くこともできねーし、なんか道の途中の猫と会話? し始めたと思ったらキーアだキーアだつって追いかけ始めるし。飼ってたのか、猫? むしろそのデッカい猫か?」

「失敬だな。そんじょそこらの猫と一緒にするな俺はフォルシイラだ。覚えておけよ小僧」

「うおっ。猫な上にデカくてしゃべるなんてすごいんだなー、へぇーっ」

「ふふ……そう、すごいだろう?」

 よく分からない基準とやり取りはさておき……。

 あ……。とスフィールリアは学院長の言葉を思い返す。

 ――知り合いだったからよかったものの。

「ひょっとして宿まで送ってくれたの、アンタだったの?」

 男はがっくしと肩を落とした。

「だからそうだって……とほほ……あのアツい夜はなんだったんだ」

「アツい……夜……」

 ――どんな時も自暴自棄になってはいけませんよ?

 瞬間、ボゥッ! とスフィールリアの顔面が朱色に染まった。

「?」

 男がことの重要性をさっぱり理解していない――それはそうだろう! ――疑問符を浮かべる。スフィールリアは自らの胸元をぎゅっと抱き寄せるように隠して、涙目になりながら、震える指を突きつけた!

「あ、ああああアンタまさか! 熱い夜って! あの夜って! 分かり合えたって肉と肉のぶつかりってまさかぁ――!!」

「はっ? へっ? 今度はどうした!?」

「フォルシイラちょっとコイツ見張っててトイレいってくる!」

「いいけど、なんでトイレ?」

「確認……ぐすっ……してくるから」

「なにをっ!?」

 バタン……。

 玄関にスフィールリアが消えたと思ったのもつかの間。十秒ほどだろうか。

 再び玄関を開けて……出きらないうちに、スフィールリアは玄関縁につかまってうなだれた。

「ションベンにしても早かったな……?」

「いや、距離的にドアに触って帰ってくるだけで精一杯だと思うけどな」

 そのスフィールリア、顔を上げると、

「~~~~~~~~ッ」

「えぇっ!? 泣くのかよ!? なんでだ!?」

「その前に……ぐずっ…………殺す!」

 その手のひらの上に浮揚して踊るいくつかの、サイコロ大の輝く物体が――

「あっ! お前それってまさか――」

 スフィールリアはそれを解き放った。

 レベル3〝キューブ〟――!!

「うわぁ――――!!」

 キュドッ――――――――!!

 森に激震と(あか)蒼導脈(あおどうみゃく)の波動が拡散し、今度こそ鳥という鳥が空に逃げ惑った。

 

「ムチャしたな……」

「ひっく……ぐすっ……うぇっぐ……ひぃん…………」

 という言葉は彼の後ろでへたりこんで泣いているスフィールリアを心配してではなく、軽く深度三メートルほどはえぐれてしまった地面に対するものだった。まぁあの桜の木の近くなので、放っておいてもそのうち埋まるんだろうが。

 クレーターの中心でシューシューと煙を出して倒れている男に、フォルシイラは気まずく話しかけた。

「で、小僧はなにしにきたの?」

「……。たのみ、ごとがあって……あった、のに……」

 パリパリパリ、と電光にも似た光条が走って男が痙攣する。麻痺効果も付与してあったらしい。

 実にタチが悪い。

 ぶえぇぇぇぇぇぇぇ……!!

 ついに本格的にわん泣きし始めたスフィールリアの肩口へ鼻先を押しやって、フォルシイラは彼女の身体をすてんと転ばせた。

「要するにその男と交尾してたかどうかが心配なんだろ? ちょっと身体嗅ぐから」

「ぶぇ?」

 断りも入れずにまず彼女のスカートの中に頭を突っ込んで匂いを嗅ぐ。次に足、腰、胴、腕、口元と移って、手早くスンスン、と音を立ててゆく。

「ここと、ここ、ここ」

「……へぇ?」

 フォルシイラが彼女の脇下と、反対側の肩、そして背中に鼻先を当て直して解説する。

「この三箇所以外、この小僧は触ってないぞ。ちょうど肩貸して、支えながらベッドに降ろした感じの位置だな。その日の匂いはそのへんしかない」

「分かるの?」

「そりゃ分かるぞ」

「……」

「……」

 なんとも言えない空気が吹き抜けていった。

 スン、とひとつ鼻をすすり、スフィールリアはクレーターを覗き込んだ。

「あ、あのぅ、生きてる……?」

「……ぐすっ」

 スフィールリアと同じように鼻をすすって……立ち上がり。

「もう、いいよ」

「えぇ、いやそのなんと言いますかね」

 男はクレーターをよじ登ると、そのままとぼとぼと森の出口に向かって歩き出してしまう。

「頼みごととかいうのはいいのか」

「いいわ。分かったから。たしかに困るけどな……。そんな風に思われてたなんて、そんなヤツにこんな大事なこと、頼めるかよ」

「……」

「せっかく魂の底から分かり合える〝漢〟と出会えたと……思ってたんだけど、な」

「やっぱあたし怒ったまんまでいい?」

 やがて出口へ向かう小道に差しかかったところで、キィ、と扉の軋む音が聞こえ、男はなんとなしに振り返る。

 するとスフィールリアの方も玄関前で振り返って、なにか言いたげにこちらを見つめてきていた。

「……なにもしてないんでしょ」

「誓う。神にでも神父にでも。抵抗できない女を襲ったりなんか、俺は絶対にしねぇ」

「だったら、帰ることないでしょ。悪いことなにもしてないのに。……ごめん。できるだけ融通はするから、話くらいはしていきなさいよ」

 それだけ言うと、スフィールリアは誘う手を残して扉の向こうに消えていった。

「…………」

 

「ごめんなさいっ」

 桜の庭の小屋、二階リビング――

 紅茶とビスケット缶の用意を終え、席に着くなりスフィールリアから頭を下げられて、男は若干、戸惑ったようだった。

「あー、いや。いいよ。俺も悪かった。オンナの知り合いにでもついてきてもらえばよかったんだ、考えてみれば。俺の不注意だ」

「……」

 晴れないスフィールリアの表情を数秒眺めると、男は唐突に「いただきますっ」と両手を合わせてビスケット缶の中に指を突っ込んだ。

「うん、ンマいわ。これの代金ってことでいいわ。だからもう気にしないでくれよな。せっかくダチになれたんだし、しんみりしっぱなしじゃもったいねーよ。な」

 ビスケットでほほをいっぱいにする姿そのままの大雑把さに、スフィールリアも、くすりと笑った。

「ありがと。そういう風に手合わせるのって初めて見た。面白いね」

「そうか。ほうかもな。俺もじっちゃんがやってたから身についちまったけど、ほかじゃ見たことねーわ。ウチはずっと代々こうなんだとさ。知らねっけど」

 そういうものかとスフィールリアも納得する。お祈りにしても、家庭ごとの違いはあるとは聞く。

「あたしも食べるわ。……うん、おいしい。いいもんだねコレ」

「気に入ったから買ったんじゃないのか」

「うん。事務棟のおばちゃんからもらったの。おいしいよって。お茶もね。まだ忙しくて、ほとんどこういうもの買ってないんだよね」

「なるほどなぁ。なんかナットク。目に浮かぶ気がするわ。ははっ」

 と言って笑う様は、本当にその光景を思い浮かべているみたいに思えた。

「……なんか、ズルいなー。そっちだけあたしのこと全然覚えてて分かってるっていうの」

「じゃあ次から気をつけろよー? 記憶ぶっ飛ぶくらい飲んでたら、送りオオカミなんかよりほかの危険の方が多いぜ?」

「……ごめん」

 男が「あぁ、いや」と繕おうとするが、スフィールリアは苦笑いをして、

「いやー、なんて言いますか、あたしってば師匠しか男の人って知らなくって。そのせいと言いますか。学習しなきゃね、あはは」

「……しか知らないって。カレシだったとか。ひどい男だったのか?」

「ひどいには違いない。あ、でもそんなんじゃないよ。師匠であり、女たらしというのか……幼馴染も何人か餌食になってるというか。抱いた女の数は……千人よりは多いんだろうなぁ」

「なんだそれすごい」

「まぁ、アイツ以外の男像を持ってなきゃそうなるだろうな」

 とスフィールリア寄りの床に寝そべったフォルシイラが道理を説くように当然の口調で言うので、男も深く考えずに納得することにしたようだった。

「ふぅん。まぁでもオトコってきっと、お前が思ってるよりはほとんどがヘタレだぜ。俺もそう。目の前に女が寝転がってるからってそれだけじゃ手出せねーって。本当にアブないヤツってのは脳みそ下半身にくっついてっから最初から〝そのつもり〟でいて、酒だってどんどん飲ましにかかってくるし話し言葉も同意を求める系ばっかなんだよ。どこに出かけるかとかの提案もそう。女は雰囲気と、アドバンテージ握ってる立場から強引に同意を得て押し切れるって思ってるヤツばっかだって……」

「……」

「……じっちゃんが……、言ってた」

 プッ――

「いや! マジなんだって! でもな、俺もこんな分野だからさ、酒の席じゃ隣からそういうヤツわんさと見てきててな!」

「じゃあ、アブない人いっぱいいるんじゃない」

「しまったぁぁぁ……でも俺は違うんだよおおお」

 笑いながら指摘すると男は頭を抱えてしまった。スフィールリアの中でも、もうこの男は、か弱い女の子を寄ってたかって強引に言いくるめる卑劣漢ではなくなっていた。

「思い出せなくても、もうそれくらい分かるよ。でもごめん。あたしまだあんたの名前思い出せないんだ。もう一回、教えてくれる?」

 そこからか……。と言いつつ男は立ち直り、自分の胸板を指して、快活に名乗った。

「ロイヤードだ。アイバ・ロイヤードって言う」

「ロイヤード。ロイアーか。〝約束〟という意味だな」

「おうっ。でっかい約束を守れる男になれよって名前さ。改めてよろしくな、スフィールリア」

 こちらこそと言おうとして、スフィールリアは「ん?」と首を傾げた。

「それってどっかで聞いたような……アイバ……アイバール……? そうそう。勇者がなんとか、みたいな……」

 彼はビスケットをかじりながら「あぁ」とやたらあっさり認めてきた。

「アイバ・タイジュだろ。それご先祖様な、ご先祖様。ウチってその人の末裔らしいんだ。つっても俺はじっちゃんしか家族は知らねーけどな」

「えぇっ? そうだったの!?」

 思わぬ事実に心底驚いたつもりだったが、当人はと言えば、二度目のギャグでも見ているような態度で、

「最初っから最後まで同じ反応するんだなー」

「そ、そなのか……むぅ」

「まぁ名乗るとみんな驚くけどな――でもかしこまったりしないでくれよな。いくらご先祖様がすごいつったって俺は俺でしかないしな。等身大以上の人格者だって思われたり、期待されたりしても、疲れるしさ」

 なんとなく、それは分かる気がした。

 スフィールリアもフィルラールンにいたころは、ヴィルグマインの弟子というだけで、依頼に訪れる有力者やその遣いなどが不在の師に代わって応対をした彼女にもやたら気を回していたものだったから。

 彼らの場合はヴィルグマインの機嫌を取りたくてそうしていた面もあるだろうが、それでも、スフィールリア自体を特別視しようとするきらいは、たしかに、あった。

「……分かった、アイバ。で、肝心のあたしはあんたのことなんて呼んでたの?」

「今、言ったじゃん。アイバ、て。それだよ」

「あ……」

「ははっ」

 そんな彼女にもただ笑うアイバを見て、これはしっかり借りとしてお返ししないといけないなとスフィールリアは思い直した。

 なので数週間の空白を埋める談話は切り上げ、本題の方を切り出すことにした。

「それで? あたしにたのみごとって、なんだったの?」

 と、その瞬間。

「ああ。それはな、ほかでもねぇ――頼むっ。助けてくださいっ!」

 まったく反転した態度で机に頭をこすりつけるその姿に、スフィールリアはあっけに取られ、

「うん?」

 と、フォルシイラとともに顔を見合わせたのだった。

 

「〝霧の(もり)〟……に?」

 ティーカップを置き「ああ」とうなるように返事をするアイバ。

「<国立総合戦技練兵課>の試験項目のいっこでさ。俺、今回それに合格しないとかなりヤバいらしいんだわ」

「あそこって、そんなことまでするんだ」

「あそこは騎士団候補からなにまでいっしょくたな面があるから、なんでも、なんにでもなれるよう、一通りの訓練はやらされるんだよ。それで、〝霧〟の区域に入っちまった村とか商人とか、そういう事態のための救助訓練っていうのかな。そういうこともするんだよ。騎士団とかは〝霧の獣〟とも戦うことだってあるって言うしな」

 その〝いっしょくた〟の中には、綴導術師(ていどうじゅつし)の運営する工房の専属戦力として特殊素材収集の護衛や総合的な身辺警護を勤める……といった進路も含まれている。

 そうなった際の彼らの立ち位置は、非常に重大なものになる。非常に危険な獣や魔獣へ立ち向かわなければ供給が不可能な素材もあるし、そういう素材は金さえ積めばかならず手に入るというものでもない。そんな時、彼らのような戦力は業界にとって不可欠だ。結果として、待遇面などでも通常の騎士を上回ることになる。

 彼ら戦士職と綴導術師の間では、工房との専属契約を誘われたり、打診したり、結んだりすることを――〝結婚〟などと形容されているほど、重大なことだったりする。

 要するに<国立総合戦技練兵課>というのは、士官学校の色が強いのだ。騎士もこの国においては軍事仕官である。

 そこで、アイバたち訓練生に下されることになる課題が、こうである。

〝霧の杜〟内部に置かれた〝目標物〟を、期間内に持ち出してくること。

 手段、ルートは、一切問わない――

「でな、その訓練に向かうに当たって〝パートナー〟を呼ぶことが許されてるんだよ。訓練所の内外問わず、〝霧の杜〟に入った経験のある――立ち入り資格を持ってて対応法を知ってる人間なら、だれでもな」

 うん? とスフィールリアは再度首をひねった。

「待って。なんでアイバは、あたしが〝霧の杜〟に入ったことがあるって思ったの」

 アイバの返事はあっさりしていた。

「だって聞いたし。今度そういう試験があるかもって話したら、いろいろ教えてくれたろ」

「あたしの……ばか…………」

「お、おいおい。顔がちょっと青いぞ。大丈夫かよ」

「なんでもない。気にしないで……続けて」

 まだしばらくアイバは、気遣わしげだったものの。

「……。まぁそれでな。そのアドバイザーというか、案内人というか。そういったことを頼みたいんだわ。入る区画は〝霧の杜〟の中でもかなり浅い部分だから〝霧の獣〟も確認はされてないし、万が一いたとしても、お前に危険は、なんとしても及ばせねぇ。……頼むっ。ほかに〝霧の杜〟入ったことある知り合いなんていねーし、いてもそうそう頼めることでもねぇ。ドラゴン亭チャンプのお前を見込んでのことなんだ。今回ばっかりはしくじれねぇ。なんとか確実に合格したいんだよ!」

「…………」

「そもそも、なんで小僧はそんな必死なんだ? 別にたかだか試験ひとつ落としたくらいどうってことないだろう。そんなに重要な課題項目だとは思えんが」

 この指摘にアイバは「うぐっ。そ、それは」と実に後ろ暗くうろたえると、

「……今までの訓練や任務、サボりすぎたんだ。ついに教官から大目玉食らっちまった。これを通過できなきゃ、クビになっちまうらしい。身のフリ先もまだねぇ」

「つまり、すべて小僧が悪いわけか」

「……。その通りだ。面目ねぇ」

 がっくしと肩を落としてしまった。

 ちらりとスフィールリアを見ると、彼女はまだうつむいて表情に影を落としたまま、なにも言わない。

「……い、いや。無理にとは言わねぇんだ。ことがことだしな。気軽なことじゃねーってのも分かる。俺だってなにもお前にそんな顔させたくてきたわけじゃねぇっていうかな。うん。悪かった。ダチに頼むことじゃなかったわ。この話は忘れてくれ。今度また飲もうぜ」

「まだなにも言ってないでしょ。……いいよ。つき合うよ」

 ぽつりと。

 立ち上がるアイバに、スフィールリアはつけ足すように答えた。

「ああ。あそこのオススメメニューも食わしてやるよ――へ?」

「だから、つき合うよ。一緒に〝霧の杜〟に入って、そのなにかっての探せばいいんでしょ」

「いっ、いいの、か……!?」

「学院生が〝霧〟の区画に入るには、最低でも<銅>の資格持ちでないとダメだぞ」

 両方の言葉に、スフィールリアは「うん」とうなづいた。

「今度、フィリアルディに工房貸してあげて水晶水の作り方だけ教えてあげる約束なの。そしたら一緒に受けにいくって話になってるから……たぶん、大丈夫」

「そ、そうか――そうかっ! マジで助かるよっ! これで首の皮一枚つながったぜ、ははっ」

 アイバが両手を取ってぶんぶん振ってくるが、スフィールリアの表情は微妙に暗いままだった。「お、大げさね……。それに絶対上手くいくって決まったわけじゃないでしょ。あんまり期待しないでね」

「ンなことねーって。恩に着る。それじゃ、旅支度しないとな。何泊かすることになるけど、準備費用も全部練兵所の方から出るから。今度の休日に買出しいこうぜ!」

 と、いうことになったのだった。

 

 ――ので、その日以降、スフィールリアはイガラッセの依頼も一旦は保留にして、目前の準備に取りかかり始めた。

 アイバへの案内人としてのつきそいには訓練所からも礼金(臨時講師役の報酬のようなものだそうで、なんと10アルンだ!)も出るらしいし、旅の準備費用についても内容の査定はなく上限の中であればどう使ってもいい――つまりその気になれば着服してもよいと言うので、金額面から見ても、今後イガラッセの依頼を消化する上で引き受けておきたい依頼だったのだ。

 受験予定日までの残りを基礎知識の補習に当て、フィリアルディを小屋に招待して機材の使い方や、分解した素材の〝導き方〟を教えてあげたりした。フォルシイラを見た時の彼女の驚き方は大変に面白かった。

 そして――

「……」

<銅>の<宝級昇格試験>会場前。

 スフィールリアは退出時に手渡された試験結果通知の封書を手に、震えていた。

 封はすでに切られ、開かれた書面に簡潔な結果通知が記されている。

『スフィールリア・アーテルロウン 筆記項目:97点 実技項目:満点 試験結果:合格 以上の者を学院内術者階梯(かいてい)証明<銅>保有者と認定する。』

「……」

 手を震わせるままに、隣を見る。

 そこから振り返ってくるフィリアルディも、満面の笑みだった。

「――やったね!」

 ふたりの手が、打ち合わされた。

 

「おめでとうございます、ですわ。フィリアルディさん」

 昼休みに合流した中央広場で報告を聞いたアリーゼルも、本当によろこんでくれていた。

「あ、ありがとう! アリーゼル!」

 にっこりと微笑むアリーゼルの横で、スフィールリアは自分を指差した。

「<銅>からの有資格者には学院内の実験設備の使用も一部開放されますわ。これで簡単な素材練成のお仕事ならこなせるようになりますわね」

「うん。がんばるよ」

 にっこりと解説するアリーゼルの横で、スフィールリアは懸命に自分を指差した。

 アリーゼルはうざったそうに振り返った。

「まぁ……ようやく合格なさったんですの? ドン引きですわ」

「ひどくないっ!?」

「あれだけみっちり基礎漬けにして差し上げてまだ合格できないようなら学院を去った方がマシですわよ」

「うぅ、感謝はしてるんだけどそうじゃなくって温度の違いがというのかあの」

「わたしも。アリーゼルがわたしのお勉強にもつき合ってくれて、スフィールリアが晶結瞳(しょうけつとう)を貸してくれたから合格できたようなものだもの。本当に……ありがとう」

「……別に。ついでですわ。この直感系おバカさんの矯正作業の」

「あっ照れてんの? かぁーいいね。このサンドウィッチもらっていい?」

「だから回り込むのやめてくださいませんことっ!?」

「もぐもぐ」

「あっ! 話聞いてない上にダメに決まってるのにダメに決まってるでしょうって言わなかったからってもう食べてるだなんて信じられませんわ! この……野生児! おサルさるサル!」

「おにぎりあげるから許してよぅ」

「なんですのこのただごはんを固めただけのヘンな物体とわたくしの財産を等価値に扱おうだなんて! 食べ物で遊びなさるなんて最低ですわっ」

「ち、違うよぅ。これは中においしいおかずがたくさん入ってて、」

「あ、アリーゼル、わたしのバスケットも分けてあげるから落ち着いて……」

「あら美味しい。手作りなんですの? さすがですわね」

「聞いてよ~~」

 雑談に賑わう中央広場の一角に、笑い声の花が咲いた。

「ふたりはもう、通う教室は決めたの?」

 ポットから注いだ食後の紅茶をひと口傾け、アリーゼルはあっさり答えた。

「ええ。わたくしはアルクィンド・ダウウェル先生のダウウェル教室にご厄介になることに決まっていましたから。余りの時間は……まぁ、ゆっくり様子を見て回ろうかなと」

「わたしも。依頼品の受け渡しをする時に、エスタマイヤー教室の先輩から声をかけてもらって。ご挨拶と顔出しだけしてみたら、肌に合いそうだったから。お裁縫も好きだし」

「そういえば、フィリアルディさん。簡単な品でも、すごく丁寧にお仕事をなさるんだそうですわね。さっそく上級生の一部の間では評判になっているようですわよ」

「そ、そうかなっ。満足してもらえなかったら悪いなって、最初が肝心だし、とにかく必死で。それに、必要なものだから依頼を出しているんだし。受けたなら、がんばらないと」

「依頼を出す側からしてみればそれ以上に好感度の高いことはありませんわよ。この時期の基礎ランククエストの消化率は一年でもっとも高くなりますけど、不慣れな一年生のすることな上、だれもかれもまず仕事にかじりつくのに必死ですから。依頼者の皆さんも、品質の面はあるていどまでは目を瞑る覚悟をして、なお必要だから依頼を提示いるのですわ。そこにつけてフィリアルディさんのようにお仕事をなさってくれる新入生に出会えたなら、だれだって好感触は得るでしょうし、お世話も見て差し上げたくなるでしょうね。そろそろ直接、依頼のリピート打診もくるのではないかしら」

「初めて水晶水作る時も、すごい丁寧だったもんね」

「一朝一夕で身につくものでもなし。大変ご立派にして得がたい長所ですわよ。大事になさってくださいな。わたくしはあなたにも期待しているんですから」

「あ、ありがとう。そうなら……うれしいな」

 本当にしみじみと――かみ締めるように微笑むフィリアルディを見て、スフィールリアは芝の上に背中を投げ出した。

 そんな今でも手を止めずにかかっている編み物、これも、やがて依頼主が作成するアイテムの一部となってゆく素材品だろう。絶えず彼女の蒼導脈(あおどうみゃく)を通された霊繍糸が、細かい刺繍を形作ってゆく。少しずつ、少しずつ……。

 着実に、それぞれの進むべき道を歩みだしているのだ。

「そっかぁ……あたしもがんばらないとだよねぇ」

「……。時に。あなたは主に通う教室の検討はないんですの? 具体的なご希望なんかは」

 チラリと隣から見下ろしてくるアリーゼルに困り顔を見せ、スフィールリアは白状した。

「それが、全然。教室もまだほとんど覗けてないんだ。最近は近くの森に材料採集にいって、水晶水作って……の、繰り返し。品質落としすぎるとマズい上に量が量だから、生活もけっこうかつかつ気味で。たはは」

「身の丈に合わない依頼ということなのでは? すでに身に着けたスキルの上にあぐらをかいていますと、あっという間に置いてけぼりを食いますわよ?」

「うーん。教室探しを後回しにできれば間に合わせる自信はあるよ……でもなぁ」

「わたしもお手伝いできたらいいんだけど」

「ありがと。でもなんとかなるよ。別口の依頼があるんだ。外に出かけなくちゃいけないけど、それの報酬が入れば素材は買って済ませられるから、その分は教室探しと受講に当てられると思う。今度の休みに野営道具とか買いにいくんだ」

「そっか。それじゃあ、それが終わったら一緒に見て回ろう? それぞれの先輩たちにもお話してみるよ、スフィールリアに合った教室に心当たりがないかどうか」

「……わたくしも、あなたとは違って、まだ時間面も生活面も余裕はありますし、つき合って差し上げてもよろしくてよ。あくまでも、余裕があるからですわ。あなたとは違ってね」

「……ありがと、ふたりとも!」

 スフィールリアがジ~ンとして瞳を潤ませていると、アリーゼルはじっとりとした目線を返してきた。

「……。それにしても、外部の依頼、ですの。たしかに模索対象として今後は重要になってくる方面ですけど、あなた毎度、どうやってそういうお話を手に入れてるんですの?」

「そうなんだ。重要なの?」

「クエストも含め、学院生の生活の大半は学院内部で、あるていどまでなら完結するようにできていますわ。でも、本当に確実に果たしたい大仕事なんかの下処理的な依頼などは、やはり依頼者の方も確実な仕事を見込める独自のコネクションを使いますの。そういった依頼は学院には回されてきませんわ。

 ほかにも、さまざまな事情から学院外で完結される仕事は多数あります。

 わたくしたちが勉学の階梯を積んでゆくと、次第に同期・同ランク同士でもこなせる仕事の質や仕事量などは平均化されてゆきます。とすると、また彼らから抜きん出た仕事や、一味違う仕事をこなしたいとなったら、学院の外にまで指を伸ばすしかありませんから。学院の内部に留まるだけでは獲得できないような経験が積める機会も多いでしょうよ」

「そっかぁ。それじゃあやっぱり、あながち悪い話でもなかったんだね」

「……。それにしても、面白くありませんわ。退学寸前で入寮もお友達作りもままならなかったと思ったら大口の依頼。みなさんが教室探しにやっきとなる時期かと思えば、そんなものそっちのけでいきなり外部のお仕事とか。ちょっと目を離すと思わぬ方向に進んでいってしまうんですのね。面白くありませんわ」

「二回も言うっ?」

「だからと言って教室探しや受講項目が重要でないだなどとは言わせませんわ。お戻りになられたら、絶・対っ、教室巡りの旅に引きずり回して差し上げますからねっ!」

 ギッと強い視線で釘を刺してくるアリーゼルに、スフィールリアは冷や汗を浮かべながらうめく。

 これはまだまだしばらく、大変な日々が続きそうな予感がするのだった。

 

 そんな彼女たちから百メートルほど離れた棟のテラスにて――

「まぁ、あの白い謎のかたまりはなにかしら、なにかしら? あのお方がお握りになられたのかしら? 食べたいわ……いただいてしまいたいわ……あぁ…………」

 エイメールはその様子を厳しい眼差しで見守っていた。

「……」

 いや、スフィールリアたちのことではない。彼女らを観察しているのは、目の前にいる、貴族組の上級生だった。

「……先輩。なにをして、いらっしゃるんですか」

「お食事よ。見ての通りなのだけど」

 それは、見た通りだとしか言えなかった。

 用意された、見事に真っ白なクロスの敷かれた豪奢なテーブル。立派な椅子に腰かけた黒髪の彼女。彼女の隣に控えた執事のワイマリウス氏。並んだ白磁の器の数々。すべて空っぽの。エイメールの家にはもう並ぶこともないであろう、白亜の財産たち。

 席の前にはバケット。これには唯一、いっぱいのパンが敷き詰められている。

「……」

 執事の手には上品な金の装飾が施された双眼鏡が収まっている。慇懃に腰を曲げ、スフィールリアたちの座る中央広場に向けたそれを、ぴたりと主の目の位置に固定している。

「――あぁっ、そのように芝の上に衣服ごと。芝になりたい芝に。はむっ、わたくしならあなたのお召し物に……んっく。浅ましく髪の毛を残したりいたしませんのに。あの土地を買い上げるわけにはいかないかしら」

 彼女はその双眼鏡から一秒たりとも目を離すことなく、ひたすらにパンをちぎっては口の中に放り込んでゆく。

 まさに、食事。見たままの光景としか言えなかった。

 エイメールが聞きたかったのはそのようなことではなく、その点以外のあらゆる異常性についてのことだったのだが……。

「あの……」

 もの問いたく言葉をかけようとすると、初老の執事が顔だけを向けてきた。双眼鏡の位置は少しも乱さず、器用に。

「わたくしめといたしましてはスープくらいは取り入れていただきたいところなのですが、いかがでございましょうか。エイメールお嬢様」

「そっちなんですか?」

「なにを言っているのかしらワイマリウス。はむ、はふ、彼女を前にしてどのような余計なメニューを用意したところでそれは無粋なのです。パンだけでけっこう。むしろ充分なのです。あぁ、彼女を見ているだけでバケット三杯は軽くいけますわ」

「お嬢様。お戯れもほどほどに……エイメールお嬢様からも、なにとぞご進言のほどを」

「……そうです、ね。わたしのような没した家柄の娘に言えた義理ではありませんが、高貴なるエムルラトパ家のご息女である先輩が、あのような卑賤な……と言いますかそもそも人様を覗き見ながらお食事というのは、あの、先輩?」

「すでにバケット四杯目なのでございます」

「そっちですか!? 食べすぎですよ先輩!?」

 いくらなんでも度肝を抜かれすぎたので駆け寄ると、ちょうど彼女は「あぁっ……いってしまわれたわ」などと言って顔を離し、優雅に口元を拭って振り返ってくるのだった。

 半分ほどになっていたパンも皿に置き、二度と手をつける気配はなさそうだった。それまでむさぼるようにしていたのが信じられないほどの頓着のなさだった。

 多少以上にげんなりと、肩が落ちるのも感じながら、聞いてみる。

「あの……わたしはどうして呼ばれたんでしょうか、先輩……。お昼、まだなんですけど」

「あら、それは残念ね。まさにそのお食事にお誘いしようと思ったのに。スフィールリアさん、いってしまいましたわ。早く席に着かないから」

 さまざまな疑問が脳裏に浮かぶ。

 まず、なぜその謎の食事基準から離れないのか。そして、もしも席に着いていたなら、パンを静々と口元に運ぶ自分たちの間に立ち、ワイマリウス氏が片手ずつで双眼鏡を支えにかかってでもいたのだろうか。

 エイメールはかぶりを振った。そんなことより、なによりも……。

「わたしにそんな趣味はありません。ごはんが不味(まず)くなるだけです」

「そうよね。あなたはそう。知っているわ。うふふ……」

 一層、エイメールは不快に眉をひそめた。

「……わたしには、理解できません。先輩のような立派な人が、なぜあんな野蛮な、〝力〟だけの一年生なんかを……」

「気に食わないのよね。彼女が」

 あまりと言えばあまりに直線すぎる投げかけに、彼女は一旦は閉口したが、

「はい。気に食いませんね」

 黒髪の女は嫣然(えんぜん)微笑(ほほえ)みかける。

 その、あまりの優しさに、恐ろしさに。

 エイメールはしばらく、なにも言えなくなってしまった。

「そう。あなたはいつもそう。わたくし、いつも彼女を見ているんですの。だから知っているんです。彼女からいつもいつも撥ね返されてくる、あなたの熱的な視線を。()がれてしまいそうなくらいに……」

「…………」

「……彼女を、なんとか、したいのよね?」

「…………」

「学院を救いたいんですのよね? 彼女を()らしめてあげたいのよね? この学院から追い出してしまってやりたいのよね? 苦しみ、泣き叫び、貴族に逆らったことを後悔するお顔を見てみたいのよね?」

「………………」

 風が吹いた。すべての始まりを告げる春の、穏やかで、どこまでも優しい風が。

 その風がひとしきり黒い髪を祝福して去るのを待ち……彼女は、先ほどまでと変わらぬたおやかな笑みのまま、いたずらっぽく小首を傾げ、このようなことを言ってきた。

「でしたらわたくし、あなたにいいことを教えて差し上げられますわ」いってしまいましたわ。早く席に着かないから」

 

「…………! ……! ……!」

 祝日の午前。

 王都のとある一角である大通りに立ち尽くし、スフィールリアは絶句していた。

 人、人、人……の渦だった。

 石畳の大通りは、大型の荷馬車や客馬車が軽く五、六台はすれ違えるほどの広さがある。

 そのほぼ全域を埋め尽くすような人の流れだった。

「寄ってらっしゃい見てらっしゃーーい!」

「フィデリック工房の新作入ったよ~!」

「見てった見てった! 昨日まで生きてたフィルラールン牛のミートパイ、もうじき上がるよ! 腐りかけなんか使っちゃおりません! この芳しい香り! 嗅いだら買いだ、買ってった!」

「毎度お馴染み~、十一番街の~、え~、皆様の~、洗濯代行~、ライランシェ商店で~~す」

「ほへぇ……」

 これだけの人ごみは、入学式の日か、<クエスト広場>でしか見たことはなかったかもしれない。

「これは、つまりお祭り……ううん、戦争でも起こるのかしら」

「なに言ってんだ。お前、王都歩くのって初めてだっけ?」

「ひゃわっ!?」

 唐突に肩に手を置かれて、スフィールリアは飛びのいた。

 そこに、アイバがいた。

「おっ。振り返りざまにしっかり戦闘態勢とはさすがだぜ。俺が見込んだだけはあるなっ」

「お、おぅ……」

 微妙に反論のしどころがあるような気がしないでもなかったが、彼女はまだ人ごみの熱気に()され気味だった。そんなスフィールリアにアイバは以前に会った時とまったく変わらず、気取らずに笑いかけて、

「待たせて悪いな。いこうぜ」

 歩き出した。

 あっという間にその姿が埋もれて見えなくなってしまいそうになったので、スフィールリアは慌てて青い制服の肩を追いかけた。

「で、王都歩くの初めてだっけ? 違うよな」

「い、いや、今までは夜にお買い物とかばっかりだったし、無理難題のことで頭いっぱいで、それどころじゃなかったというか……」

「ふーん? よく分かんねっけど、そっか。んじゃあ迷うなよ? 慣れてないなら、はぐれると夕方まで帰れなくなるからな」

 スフィールリアはアイバの腰にある剣帯を、がっしりと掴んだ。

「ははっ。そうそう、いい判断だ」

 と面白そうなアイバの態度に憮然(ぶぜん)としつつ、それでもなお彼の体格をすり抜けて水か砂のように人間が押し寄せてくるので、スフィールリアは身体を縦に横に捌いて受け流すのに精一杯だった。手は離せそうにない。

「……そういえば、なんで練兵課の制服なの? それしか服ないの?」

「違うわっ。俺たち、休みの日でも王都じゃ制服着用が義務づけられてんの。いついかなる時も王都防衛の任は忘れるべからずってな。管轄を侵害はしないが、区域担当が駆けつけるまでの間はそこの直轄として有機的に判断して動くのさ、なにかあった時はな」

「ふぅん、面倒くさそうなんだね」

「こんなデッカい通りの近くじゃ事件なんてそう起こらねーし、そうでもないさ。……でもそっか。ほとんど初めてだってんなら、ほかにもいろいろ教えておいてやってもいいかもな。雑貨とか、美味い店とか。忙しい時パッと思いつけないと不便だろ?」

「あ、ありがと。助かる」

「じゃ、コッチだな」

 ひょい、と唐突すぎるくらいに折れ曲がって入る復路も、彼にしてみればただそれだけの道であるらしい。大通りを抜けただけで人の流れは目に見えて減っていったので、スフィールリアはようやくベルトから手を離して人心地をついた。

 それでも、見通した数百メートル前後だけでスフィールリアの住んでいた町人口の半数はいそうではあった。

「このあたりの道とかは、店の種類とか、落ち着き具合とか、ちょうどいいんだ。ひと通りはそろってる」

「へぇ……ここなら<アカデミー>からほとんど一直線で降りてくればいいだけだし、便利かも」

「だろ?」

 白い花の咲き誇る花屋を通りすぎる。落ち着いた木目調の小喫茶のショウウィンドを眺めて。雑貨屋の軒先に並んだ食器や調理器具やランプ道具の真鍮(しんちゅう)細工に目移りしながら。

 きょろきょろと見回して、ついてゆくスフィールリアの口の端に、次第と楽しげな笑みがこみ上げてくる。

 通りすぎるたびに見逃していってしまいそうになる、そんななにげない小さなひとつひとつには、それを手がけた人間の情熱と、努力と、人生が宿っている。これを作っている時は、どんなお昼ご飯を食べていたのだろう。あの看板が届いてお店が完成した時、みんなはどんな顔をしていたのだろう。

 それはとても覚えきれたものではない、道ゆく人たちも同じだった。

 お昼ごはんの買い物をする人。走る子供。道場稽古の帰りらしい人たち。アパートの軒先に置いた丸イスに眠りこけるおじいちゃん。

 今、それぞれの生活があって、違った目的があってすれ違ってゆく。

 そんなことに想像を馳せるのが、スフィールリアは大好きなのだった。

 と、雑踏の一部、どこかの女学生らしき一団が道の端から弾むような声をかけてきた。

「アイバくぅーん! なにしてんのー? 遊びいくー?」

「パスな。買い物だ、買い物ー」

「えー、デートぉ?」

「ちげーって。今度の試験つき合ってもらうからその下準備。ちゃんと仕事してんの。またな」

「え~? 絶対だよー!」

 名残惜しくも、暗くはない声で遠のいてゆく。と思えば、

「おぅアイバ、デートか。デートならカジキ買ってけ! なっ」

「なんでだよっ。違うし買わねーよっ」

「どこで引っかけたの? そんな格好で……今からでもちゃんとした服買っていきなさいな。選んだげるからっ」

「だからちげーって! 聞いてたのかよ」

「こないだはありがとなぁー。連中、あのあと街出てったてよ! ほれ!」

「サンキュ!」

「わっとと」

 ふたつの黄色い果物が放物線を描いて、そのうちのひとつがそのままアイバから放り投げられてくる。慌ててキャッチしたそれをかじりながら、スフィールリアはジ~~っと上目で彼を見やった。

「……けっこう遊んでるのね」

「そんなことねーよ……って言いてぇけど。う~ん。言ったら教官にブン殴られるっつう自覚くらいは持ってないこともねーぞ」

「あっ! アイバ君だ! おーい! このリボンやっぱり買ったよー」

「おっ、似合ってんじゃん! 今度ちゃんと見せろよ。またな!」

「……説得力ないなー」

「くっ」

 非常に口惜しげだが、なおかけられてくる声を無視するようなこともない。おおむね皆が笑顔で通り去ってゆく。

 好かれているのだな、とスフィールリアは納得して心中でうなづいていた。

「でもさ、それならなんで<国立総合戦技練兵課>なんかにいるのよ? なんか、どっちづかず、て感じがする。みんなもあっさりしてるし、さ」

 ん。とアイバがうめくのを聞いて、やっぱりかとスフィールリアは思った。

「やっぱ、分かるか。はは」

「うん。みんな、あんまし残念そうな顔しなかったじゃない。お互い、すれ違いざまに軽く遊んで帰るってのが暗黙の了解になってるみたい。そうしてるんでしょ?」

「まぁ、な……。あそこにいると休みの日とかも安定しないからな。俺は警邏も上手くサボったりするけど、時間はブツ切りになっちまうからこうなっちまうんだ」

「……」

「でも、『ちょうどよく』思ってるのかな、俺もさ。向こうもそこそこ腕っぷちがいいヤツと知り合っておけば頼もしいってのもあるのかな。でも別に悪い連中ってわけでもないぜ? 俺も連中が嫌いなわけじゃない。でも、お前にだから言うんだぜ、こういうことは」

「……。そいつはどうも。でもさ。やっぱりなんかやりたいこととか、なりたいものとかってないわけ? <国立総合戦技練兵課>って、けっこうすごいところなんでしょ?」

 うーん……。と、歩きながら。

 アイバはまだしばらく、思案げにうなっていた。

 気がつけば、ちょっとした公園の入り口に差しかかっていた。

「買出しの前に、昼にしようぜ。あのミートパイ買ってくっから」

「うん?」

「俺もよく分かんね。だからそれ買うまでに整理しとくわ。ベンチで待っててくれ」

 別にそこまで深く突っ込むつもりでも責める気であったわけでもないのだが、アイバ自身も普段から気にかけていたことらしい。スフィールリアは「分かった」とだけうなづいて、彼の指差したベンチに向かおうとした。

 とそこで、人にぶつかってしまった。向こうも余所見をしていたらしい。

「おっと」

「わったた。すみません、拾います」

「いや、いいよ。こちらこそすまないね――」

 ぶつけた拍子に男のポケットからこぼれ落ちたそれを拾おうとして、しゃがみ込んだお互いの目が合い――

「君」

「はい?」

 はたと気がついたように見つめてくる青年は、非常に、そう――単刀直入に評してハンサムだった。

 見事にむらがなく、上品に整えられた金色の短髪。はっきりした碧眼(へきがん)に、まっすぐ通った鼻筋。着込んだ白の衣装は仕立てからして最高級だと分かる。貴族かなにかかもしれない。

 上品さと精悍さを併せ持つ気立てのよさそうなこの顔立ちで微笑(ほほえ)まれたなら、たいていの女なら心をときめかせてしまうに違いないだろう。

 その、彼。たおやかなる花を包むしぐさでスフィールリアの両手を取ると、その顔で、

「運命の出会いを信じるかい。今のぼくたちのことさ。よかったらこのあと美しい新緑の小道を散策して上品なカフェで楽しく語らい君を最高に飾り立てる服を選びにいってこの世で二番目に美しい愛の物語を奏でる劇場を見にゆき――ああ一番ってぼくらのことさ――、王都の夜景を一望できるリストランテで最高の夕食に舌鼓を打ってライトアップされた夜の公園にゆき、いい雰囲気になったところで夢のひと時のようなキスを交わし、そのまま真っ白で暖かなベッドの上でふたりの夜明けを祝福するモーニングコーヒーとしゃれ込まないか」

「……」

 こんなことを、言ってきたわけである。

「いきなりそんな最初から最後まで下心で突き抜けたセクハラ発言を申されましても」

「分かりやすくて、お得な一括パックだろう?」

「お得な面とかアピールされてもなぁ」

「君に突き抜けたい」

「あげくセクハラ方向に突き抜け切られても」

 あまりに突き抜けすぎていて、さすがのスフィールリアも対応に困った。男は男で、なんら疑問も抱いていない様子で白い歯を見せている。

 一番の方法はビンタをかましてその場を去ることだが、今は両手がふさがれているし、なんとなく機を逸してしまった……。

「……。え~っと。一応聞きますけど、あたしのどこが好きになってそういうこと言うんです?」

「顔だ。ぶっちゃけそれ以外は知らないし、どうでもいい」

 男は即答した。

 スフィールリアはジト目を返した。

「しかたないだろう。俺はたった今君に会ったばかりだし、外見以外の情報を得る手段と時間がない」

「またいきなりそんなまともな道理を説かれましてもね……そんなんで引っかかる女の人いるんですか?」

「ああ。俺はこの通り顔も気立てもいいし、いろいろと気が回る。なにより金がある。だからたいていは上手くいく」

「なるほどねぇ。世知辛いというのか」

「男の性を知り、世知に通じる女はよき妻の素養を持っている。よき妻の素養を持つ者はよき愛人にもなれる。さぁ君も」

「う~~ん……」

 またもいろいろとツッコみどころ満載なことを言ってはにかむ青年に、どうしたものか(いや、断るつもりには違いないのだが)と悩んでいると、ちょうど後ろからアイバの声が聞こえてきた。

 その声――というか顔を向けて目撃したその姿に、男の両手がギクリと震えるのが分かった。

「お~い、なにやってんだスフィールリアそんなところでー」

「うげぁ、騎士!? ――ていうか騎士見習いか。き、き、君。フッ。あれは、きき、君の知り合いかな?」

「はぁ、まぁ一応」

「フッ。そうか。ふ、ふふ、ふ。どうやら君とはいかようにしても交われない運命らしい。しかし俺はこの素敵なひと時と君の顔は忘れないよ。君もまた俺に会いたくなったら騎士とか役場とか庁舎とかのない場所を探したまえ。運命が俺たちを引き寄せるだろう花のような君よ」

 などと脂汗を一筋たらした横顔でのたまいつつ、ぱっと立ち上がると、彼女がなにかを言う間もなく小走りで去ってしまうのだった。

「くれぐれも俺のことは言わないように頼むよ!」

「えっ。いやあの落し物……お~い!」

 その通り、彼は落し物の存在も忘れていってしまっていた。

(騎士とか役場じゃない場所? 犯罪者、お尋ね者……ってわけでもなさそうだけどなぁ?)

 スフィールリアは困り顔で手の中に残ったそれを眺めやった。

 銀細工のペンダントのようだった。材質そのものが本物で、二本の剣に守られた書物の、非常に精緻な意匠が施されている。アンティークに詳しくないスフィールリアから一見しても最高級品だと分かる。これを所有できるような人物の身分は、まず低くはないだろうが……。

「どした? 知り合いでもいたか?」

「あぁ、うん。なんでもない」

(とりあえずそういう場所いかなきゃいいわけね。おっけ)

 アイバが追いついてきたのでスフィールリアはペンダントをポケットにしまい込み、奇妙な青年のことも忘れ去っていた。

「なんつーのか、張り合いっていうのかな。そういうのが感じられねーんだと思う」

 座ったベンチで、昼の陽光を(きらめ)いて弾く噴水を眺めやりながら、アイバがぽつぽつと語り始めていた。

「さっき<国立総合戦技練兵課>はけっこうすごいところなんだろって、言ったろ。まぁそりゃ間違っちゃいないよ。国中からすげぇ熱意持ってるヤツとか、野心持ってるヤツとか、腕がたしかなヤツって、集まってきてる」

 でもな。と、アイバは気のない横顔で続ける。

「ほら、ウチって勇者の家系ってヤツじゃん? 実際、じっちゃんもメチャクチャ強くてさ。ちっさい時から散々シゴかれてきてて、なんかそれがフツーになっちまってたんだ」

「あぁ、つまり……物足りないのね。たしかにアイバって、強いっぽいもんね」

 スフィールリアは入学式の乱闘を思い出していた。

 あの時も、フォーメーションの指揮を()ってスフィールリアを誘導していたのは彼だった。

 相手がひとりとは言え、まったく異なる思考を持って自分たちに捕まるまいと動く他人を、しかも戦闘時にあって思うように誘導するならば、個人の戦闘技能だけでなく常に全体を見渡す広い視野と判断力が必要とされる。

 そう簡単にできることではないし、身につけられることでもない。

「まぁそんなところなのか、な。――もちろん上を見ればキリがねぇんだ。今の俺より強いヤツだってゴロゴロしてる。だけどな、なんつーのか……〝分からない〟んだと思う」

「……」

「別に強さを極めたいと思ってたわけでもないんだって気づいたんだ。じっちゃんに突然、王都にいって<国立総合戦技練兵課>に入って腕磨いてこいって言われてさ。そんなにすごいところなのかって思ってたら拍子抜けしちまって……それで、王室とか騎士団にいるようなバケモン連中を見たら、さ。俺が〝そこ〟にいく理由って、なんだろうってな」

「そっか。理由か。強くなる理由……違うね。強くなって〝どう〟したいのかって、その理由がないんだ。そりゃしゃ~ないね」

 とスフィールリアが気楽に理解を示し、アイバはうれしそうに振り向いて指を向けてきた。

「そう、それだよそれっ。結局そこまでして強くなったとしたってさ、その強さを、俺はなにに使えばいい? ――俺には〝それ〟がさっぱりないんだって分かっちまった。そんなヤツに我が物顔で紛れ込まれたって、迷惑だろ、〝上〟にいる連中もさ」

「そう、かな?」

「だって連中は〝それ〟を持ってる。持ってるからそこにいて、自分がやるべきだって思うことをやってるんだろ。立派だよ。だから連中はアホみてーに強いんだ。逆に、力の向け方を分かってねーようなヤツが隣にいたら、俺ならソイツを危険だって思う。隣に置いておきたくねーってな。俺だってそりゃ侮辱だと思うしよ、そんなことは、したくねーんだ。そうなんだ」

「……」

 聞く姿勢で黙っている間も、アイバは「そうだったんだよ……」と噴水に向かってしきりにうなづき続けていた。

 ふぅん。とスフィールリアも気楽にうなづき、アイバの主張を認めた。

「それなら、無理しなくていいんじゃない? おじいちゃんだって別に『国を護れる人物になれ』とかって言ってきてるわけじゃないんでしょ。だったら、アイバの好きにするのがいいと思う」

 彼女にとってはただ当たり前のことを告げたつもりだったものの、アイバ自身は少し驚いたようだった。

「え……。……そ、そうか?」

 そうだよと再度うなづき返す。

「だって、しょうがないじゃない。こんなに平和な国でさ、やりがいも感じられないのに『こんなんでいいのかなー』なんて思いながら危ない戦士の役割をしょっていかなきゃいけないだなんて、アイバ自身がかわいそうよ。だれもそうしろって言ってないんだし、アイバは強いかもしんないけどさ、でもだから、アイバが別の道を選んだとしても、だれも怒らないよ」

「…………」

 しばらくアイバは、呆けたような表情で自分の手のひらを見つめていたが、

「そっか。そうだよな」

 ぽつりつぶやくと、残りのパイを一気にたいらげて、噛み砕いて、飲み込んだ。

 次にはにかんで向き直ってきたその顔からは、さまざまな迷いや後ろ暗さが吹き払われているようだった。

「やっぱ、お前に相談したのは正解だったわ」

「どうしてそう思ったわけ?」

「お前のことを『強いヤツだ』って思ったから、かな」

「……なんとなくそんな感じなんじゃないかと思った。釈然としないなぁ」

「ははっ。腕っぷしだけじゃねーぞ。酒場とかでいろんなヤツとすぐに打ち解けてるの見てさ、なんとなく思ったんだ。……あぁコイツは、いつだって自分自身に正直で他人にもまっすぐなヤツなんだな、てな。そういうヤツは自分の持ってる〝力量〟だってきちんと心得てる。見栄張ったりウソついたりしない。だから自分の〝力〟を一番使うべき場面だって知ってる」

「…………」

「だからきっと、俺はそういうのが〝分かる〟ヤツに会えるのを待ってたんだ。分かる立場から、声をかけてくれるのを待ってたんだ――『お前は今、中途半端だぞ』『そんなところにいてもお前の〝力〟はどこにも届けらんねーぞ』ってな」

「そっか」

「あぁ、ありがとうな」

 そういうアイバの笑みは、本当に清々しいものだった。

 きっと、今の自分が中途半端であることについては教官や同僚の一部からも散々言われていただろうし、なによりアイバ自身が自問し続けていたことだったのだろう。

 周囲が思っているほど――あるいは態度で表明するほど、彼は鈍感で無責任な人間ではないのだとスフィールリアは思った。だからあれだけ人にも好かれるんだろう。

 だからスフィールリアも、自分が彼の言うような人間である保障なんてどこにもないし責任だって持てないということは言わないことにした。彼は全部分かっている。

「じゃあアンタ、やっぱりこのお仕事向いてると思うわ」

 その替わり、そう言うことにした。

「え?」

 ぱっと立ち上がる。あっけにとられた彼を置き去りにして。振り返る。

「ねぇ、さっきは自分で『表面だけのつき合いだ』って認めてたけど、そんなことないんじゃない?」

「え? いや。え?」

 スフィールリアは彼の一歩前に立っているだけだ。だというのに、見上げてきているアイバの表情はさらに置き去りにされていっているように焦っていた。そうだろう。そのことを指摘したのはスフィールリアだったのだから。

 だけどスフィールリアはかぶりを振って続ける。

「だから。みんな、気を遣ってくれてたのかもしれないじゃない? アイバがいつでもすぐにお仕事に向かえるようにさ。――あんたのこと分かってるんだよ。あんたがそうやって悩んでることとか。その悩みごとっていうのがほかでもない、自分たちの街のためのことなんだって」

「い、いや……そいつはいくらなんでも都合が、」

「よすぎるって? そりゃそうでしょ。あたしもあんたも、人の心なんて読めるわけないじゃない。だったら、さっきの人たちの顔よく思い浮かべてみなさいよ。ほら」

「……」

 腰に手を当てたスフィールリアがちょっと怒ったように命じると、アイバはうろたえた顔なまま、目を瞑ってその通りにしたようだった。人間というものは混乱していると状況への反論反撃の材料を見つけるために、思いのほか素直になってしまうものらしい。

 やがて目を開けると、まさに途方に暮れた顔で、

「……分からん!」

 嘆くような声を上げた。スフィールリアはニカッと笑って言い放ってやった。アイバからしてみれば『してやられた』くらいには思ったかもしれない。

「じゃあ〝そういうこと〟にしておけばいいじゃない。――あんた、次の試験くらいはがんばんなさいよ。あたしもなるべくあんたが合格できるよう、がんばってあげる」

「……」

「それで、お話してみたらいいじゃない。そしたらもしかしたら、あんたががんばったこと、本当によろこんでくれる人たちがいるかもしれないよ、あの中にも? そうしたらあたしが言ったこと、ウソなんかじゃなくなるよね」

 ざわ、とあたたかい風が王都のふもとから吹き上がってきて、スフィールリアの細くて綺麗な髪の毛を舞い上げた。まるで彼女のうしろに新しい扉が開きでもしたような錯覚に陥って、アイバは目を見開いた。

 彼女が手を差し出しても、アイバはしばらくぽかんと大口を開けたまま動けずにいた。

「……バカだバカだと思ってたが…………ここまでだとは思わなかった」

「あんだって」

「あ、いや、俺だ俺。――なんてこった。俺は、答えを出すまでもないところにいたのか。そこまで半端だったん……だな」

 アイバはスフィールリアの手を取った。

「ほんと、心なんて読めるわけないのにな。どうしてそんな風に思ってたんだか」

「それはアイバがそう思いたかったから、それだけなんじゃない?」

 いたずらっぽく小首をかしげる彼女にアイバは「違いない」と笑う。

 もちろんアイバにも分かっていた。それは『まだ分からないこと』なのだ。

「だから、しっかりやらないとな。辞めるための理由を、アイツらにも自分にも気づかせないうちに、勝手にアイツらに――まったく関係ない他人に任せちまうところだった。しっかり決めるところは決めて……そんできちんと考えるよ。俺がなにをしたいのか、本当にそれをしたいのか、をな!」

「ん。がんばれ」

「おし。それじゃあなおさら失敗はできねぇよな。風邪とか引かねーようにイイ道具目いっぱい買い込んで、お前の装備も選んでやる。気合入れて案内するからな、相棒っ」

「おう。頼むぞっ」

 ふたりの拳が、こつんと打ち合わされた。

 

「おお――すっごいすっごぉい!」

 大型の商店に向かう途中の坂道を、スフィールリアが駆け下りてゆく。

「ふもとの湖がよく見えるだろ。王城から続く道はどこでも見晴らしがいいけど湖が見えるこっちの方角は観光名所も多いんだ。夜景もすげぇ綺麗でよ、俺らの間じゃデートのシメをするんなら絶対この道だってことになってて……つっても相手はいねーけどな。――って聞いてねーな」

「すごいすごいすごいぞーー!」

 どんどん駆け下りてゆく。なにを言っても聞きやしない子猫のような勢いに、アイバは呆れて笑いながらあとを追おうとして――

「見て見て見てよ! こぉ…………っんなにキレイ!」

 不意に振り返った彼女の姿を見て、止まってしまった。

 王城からふもとまでをゆるやかに蛇行して続く長い長い坂道。短い満開の時を目いっぱいに主張した桜の並木の中で。

 整然さと雑多さをいっしょくたにした美しい街の遠景と、煌めく湖畔の輝きを、丸ごと集めて抱きしめてしまおうとでも言うようなその姿に――

「――――」

「おいどしたのアイバー?」

 きょとんとして駆け戻ってくるので、アイバはギクリとしてしまった。

「なに? 誘う女の子がいないって? まぁ~街は逃げたり崩れたりしないから、焦るな焦るな!」

「聞いてたのかよっ!? ちちち違うからな!? もしもの時はそうするのがいいだろって話んなってるだけで別に俺がそうしたいとか気になってる女がいるとかそんなんじゃねーし!」

「はっはっは。焦るな焦るなー!」

「焦って、ねえぇよ! それどころじゃないしな! ――それどころじゃねぇんだよ、そう。なに戻ってきてんだ。ほら早くいこうぜ。遊びでやってんじゃねーんだからな。あと全然キレイじゃねーから。こんなん見慣れたらいたってフツーの景色だからな。調子に乗るなよ」

「調子に乗るってなんだっていうか急になに怒ってんだよー……?」

 ぶつくさ言いながらあとをついてくる彼女にだけは今の顔を見られまいと、アイバは注意を払い続けた。

 不覚すぎた。

 不意に見たこの道とあの姿が。

 まさか、今まで見た中で一番綺麗だと思うだなんて――

(俺はコイツを戦士として認めたんだ。それを今更オトコだオンナだなんてチンケな枠組みに戻すのは、野暮なんだよ)

「おい顔赤いぞ泣くなよ元気出せ」

「ばっ、おま、ばっっ――回りこむなよ気配消してっ!? ちっくしょおお!」

 

「<猫とドラゴン亭>……? あ、ここだぁ! ここまで降りてきてたんだ、あたし」

「あぁ……まぁ今は暇人連中とか〝紹介屋〟の窓口目当ての連中しかきてねーけどな……」

 キャンプ用品や保存食をじっくり選んで買い込み、昼下がり。

 その間から今まで妙に疲弊していた様子なアイバとともに見つめた吊り看板は、たしかにその通りのシルエットをしていた。

 羽を広げ、後ろを振り返るたくましい体躯のドラゴン。それだけならシルエットだけでも威風があり、いかにも荒くれ者が集う酒場なんだぞという主張もされようものだが――

 その尻尾の先に、猫が乗っかっているのである。

 それだけで、なんだか二頭がじゃれあっているように見えるから不思議な看板である。

「でもなんで猫とドラゴン?」

 


 
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