No.704162

すみません、こいつの兄です。88

妄想劇場88話目。期間があいてしまってすみません。その分、少し長めになっています。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411
メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ)

2014-07-27 01:07:09 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:973   閲覧ユーザー数:872

 夜中すぎ、雨が小降りになる。

 遊園地の廃墟から、妹を自転車の後ろに乗せて脱出する。バッテリーはとっくに切れているが、行程のほとんどは下り坂だ。車通りもほとんどない道を重力に任せて下る。どうせレンタルサイクル店は閉店しているだろう。延滞料金を払うことにして自宅へ直帰する。

 午前二時を過ぎていたが、母親は居間でうたたねしながら待っていた。父親は出張だ。娘が家出しているのに出張だ。家族のために一生懸命に働いている家族思いの父親なのか、家族のためという言い訳を持った思考停止の社畜なのか分からない。たぶん両方だろう。人は、状況と感情に流されて、言い訳をあとからつけているのだ。

 妹は意外にも説教もされずに部屋へと放免される。

 俺は、雨に濡れて寒すぎるので風呂に入る。濡れたジーンズでじっくりと冷やされた両脚が風呂の熱にじんじんする。じっくりと温まって、部屋に戻るころには三時になっていた。ベッドにダイヴすると同時に意識を失う。

 

 おやすみなさい。

 

 次に目を覚ますと昼前だった。

 妹は、とっくに高校に行っていた。俺は午前中の講義はすっぽかしてしまった。大学生になると学校に行く行かないが自己裁量になる。義務教育じゃないという点では、高校も大学も同じなのだけど、なぜか高校だと学校へ行くのを自己裁量にするとサボり感が高い。大学だと低い。なぜなんだ。やっぱり出る授業が履修登録制だからか。まぁ。そうだな。

 ということで、はなはだ不真面目な大学生になった俺はレンタルサイクルに乗って駅まで行く。延滞金を払って自転車を返却しバスに乗る。

 そして、大学へ。

 せめて午後の講義を真面目に受ける。ノートも真面目に取る。一日半まるまるサボってしまったので、その後は図書館で少し勉強してから帰ろうかと思う。

 ……その前にみちる先輩にお礼を言っておくか。みちる先輩の推理のおかげで妹を発見できた気もするからな。

 サークル棟に向かい、あまりいい思い出のないマンガ研究会(腐)の部室のドアをノックする。中からの返事を待って顔だけドアから中に突っ込む。

「長崎先輩います?」

部室の中を見ると、以前と同じように壁際の机でみちる先輩がマンガを描いていた。

「な、直人!?」

みちる先輩がびっくりした顔でこっちを見る。生首がドアに挟まっているわけではないので、そんなに驚かないで欲しい。

「あの……おかげさまで妹見つかりましたんで、ありがとうございました」

マンガ研究会(腐)のお姉さま方の玩具にならないうちに、それだけ言ってドアを閉める。このドアを開けていると、胃がきりきりするのはPTSDというやつかもしれない。げんじつこわい。とりあえずお礼を言って礼儀を通した。サークル棟を出て、少し離れた位置に立つ大学の図書館に向かう。

 図書館で、昨日サボった分の講義でやったであろう範囲を勉強する。幸い、昨日サボった教科は、参考図書にかなり沿った形で講義の進んでいた。たぶん参考図書の内容をちゃんと理解しておけば大丈夫だろう。というか、この本は担当している教授の書いた本だ。これって、この大学の学生を除くと何冊売れたんだろう……。いいのか?まぁ、教授が自分の信じるベストな順番で、ベストな知識のまとめかたで作った本を使って教えるのは、理屈には合っているけれども……。

 二時間ほど図書館で勉強する。疲れたあたりで、荷物をまとめる。バスの時間を確認しようとして、昨夜携帯電話が水死していたことを思い出す。携帯電話がないと時間も分からないのである。時計くらい携帯電話とは別に持っていたほうがいいかな。たまにゲーセンのプライズ品で懐中時計とか入っているのを見るな。あれ、うまく取れないだろうか……。うーん。俺は、ああいうのヘタだからな。

 そんなことを考えながら、バス停に向かう。

 時計がないので今が何時なのか、次のバスが何時のバスなのか、あと何分くらいで来るのかも分からない。

 でも……。

 ここからバスに乗るしか帰りの交通機関はないわけだし、ここで待っているよりも早くバスに乗れることもないわけだから、結果としてはここでぼーっと待っているのがベストな行動ではある。現在時刻と言う情報を知ったところで行動には反映できないし、行動に反映させても結果は変わらない。

 世の中、意外と情報が手に入るから手に入れているだけで、必要だから手に入れているわけではないのかもしれない。

 そんなこんなで、ぼーっとバスを待っているとバスより先にみちる先輩がやってくる。無言で俺の隣に立つ。

 この人の無愛想には慣れた。これでもみちる先輩的には無視しているわけではないのだ。用がないから黙っているのだ。なにせ、最初にあった日に名前を聞こうとして「知ってどうするの?」と返されるほどの高レベルである。

 なるほど。

 これもまた情報と使い道だなと思う。名前を知って使い道があるなら聞く。そうじゃなければ、別に名前も知らなくていい。みちる先輩に会った日の「知ってどうするの?」は、つまりそういうことだったのだ。別にみちる先輩が不機嫌だったとか嫌っていたとか、そういうことではない。

「みちる先輩」

話しかける。

「なに?」

答える。

「ずいぶん、いろいろ俺に話しましたよね」

そうなのだ。

 名前ですら使い道がなければ聞かないし、話さない。そのみちる先輩がこの数日でずいぶんと俺に色んな情報をくれた。中高一貫の女子校出身だと言うこと。高校生のころに家出して、そのまま借りたアパートから大学に通っていること、高校生のころに一緒にマンガを描いていた人たちが、いつのまにかリア充になって今はひとりでマンガを描いていること。ああそうだ。そういえば、家出少女を探すプロットで探偵マンガを描いたことも聞いた。

 それから先輩が処女だってことも知ってるぞ。なかなかに秘匿度の高い情報。

「そうだね」

それきり、みちる先輩は黙る。そうだね。とだけ返された俺も、どう話を続けたものか悩む。

 バスがやってくる。

 バスは珍しく空いていた。二人で後部の二人がけの席に並んで座る。

 窓際のみちる先輩は、口をへの字に曲げて外を見ている。相変わらずの無言でバスに揺られる。

 ん?

 右手にひんやりとした感触を感じる。見ると、みちる先輩の手が俺の手を掴んでいた。なんだろうと思ったが、みちる先輩当人は相変わらずの表情で窓の外を見ている。

 ま、いいか。

 特に気にもせず無言でバスに揺られる。十五分ほどで駅前まで戻ってくる。

 するりとみちる先輩の手の中から手を引き抜いて、バスを降りる。先輩も後ろをついてくる。

「それじゃあ」

「ええ。じゃあ」

それだけ言葉を交わして、みちる先輩は駅に向かう。俺は反対側の道に向かおうとしてふと携帯電話が水死していたことを思い出す。駅前の某有名携帯電話キャリアショップで修理できるか聞いてみないといけないな。水死だけは五千円じゃ直してくれないんだっけ?

 赤と白の看板を掲げる店舗に向かいかけて立ち止まる。

「お兄さん」

「美沙ちゃん?」

隣のファーストフード店から天使降臨。制服姿の市瀬美沙ちゃんだ。今日も可愛さ天使級である。でも、たまに残酷な天使でテーゼだったりするから注意したい天使でもある。

 とくに美沙ちゃんからの電話に出れなかったりすると使徒降臨確率があがる。

 携帯電話は、現在水死中。言い訳しなくちゃ!

「携帯電話壊れちゃったんですか?」

「え。あ。うん……」

「真菜から聞きました」

妹、グッジョブ。たまにはファインプレーをする妹である。

「直すんですか?」

ちらりと背後の紅白看板に視線を投げかけて、美沙ちゃんが問う。

「まぁね。ないと不便だし。たぶん」

たぶん……とつけたのは、さっきまで考えていたことが影響している。ここのところ、あまり携帯電話を使っていないんだよな。美沙ちゃんとメールしたりするくらい。大学に入って友達が減った気がする。同じ学科の連中とは大学で会えば話をするし、一緒に昼飯も食べたりする。だけど、高校のころに比べたらあまりメールのやりとりはしていないし、通話はもっとしていない。俺がLINEを使っていないからかもしれない。スマホじゃないし。

「じゃあ、私も一緒に行っていいですか?ドコ○ショップ」

「もちろん」

二人で、紅白看板の有名キャリアショップに向かう。

 整理券を受け取って、美沙ちゃんのさらさらのロングボブを眺めたり、美沙ちゃんのつやつやでほんのり桜色の頬を眺めたり、鳶色の瞳を眺めたり、つやつやの唇を眺めたり、ほっそりした首筋を眺めたりしているうちに順番が回ってくる。美沙ちゃん、かわいいなぁ。どうやったら、こんなにかわいい生き物が生まれてしまうのか。市瀬美人遺伝子のなせるわざなのか。

「あ、じゃ。ちょっと行ってくるね」

待合スペースに美沙ちゃんを残して、指定された番号の窓口に向かう。担当してくれるのは、つやつや黒髪ロングのお姉さんだ。けっこうな美人ではあるが、美沙ちゃんに見慣れてしまっていると欠点が目に付いてしまう。やばい。いけない方向の目の肥え方をしているな。俺。

 そして、受付と同時に水死は救いようがないと言われる。というか、具体的にはデータとかはバックアップのマイクロSDカードから救えるけど、携帯端末の修理はできなくて、買いなおしになると言われた。

「で、あの……端末っておいくらなんです?」

大学生なのに、ろくなバイトもしていない懐具合を心配しながらたずねる。

「こちらの……」

黒髪ロングお姉さんが、ロングな説明を始める。

 なるほどわからん。

「で、その本体はおいくらなんですか?」

割引とかなんたらパックとか、わからないけど、うちの両親は携帯電話は基本料金と通話料とパケット代くらいは出してくれると言っているが、それに機種変更の追加料金が上乗せされたら出してくれなさそうなのだ。

 なので、ようするに本体が変わることでかかる合計の金額は自分で出さなくちゃいけない。それが知りたいのだ。

「本体価格八万五千三百二十円が割引で七万四千五百二十円になりまして、二年御利用いただきますと……」

「無理っす」

あきらめた。

 みんなが持ち歩いてるスマートな携帯電話って、そんなすごいお値段してたの?

 さっき美沙ちゃんが出てきたファーストフード店のバイトが時給七百円だったよな。八万五千円ってことは、百二十時間くらいか。大学が終わった夕方五時から九時まで毎日四時間バイトして、一ヶ月少々。土日にどのくらい働くかによるけど……。

 それで、そのスマホでできることは所詮情報を得ることだけなのだ。バスを待っているときに思ったことが蘇ってくる。情報を得て行動に反映させられることは少ないし、その行動で結果が変わることはもっと少ない。

 スマホから得られる情報で、合計百二十時間を取り返せる気がしない。

「スマホじゃなくていいんで……」

俺がそう言うと、お姉さんが怪訝な表情を一瞬だけ浮かべる。そんなに変なこと言ったか?

「こちらですと、本体価格二万九千三百八十円でして二年御利用……」

二年は魔法の言葉らしい。

 機種が昔ながらの折りたたみタイプになって、だいぶ現実的な金額になってきた。時給換算だと四十時間少々だ。バイト二週間分くらい。

 うーむ。

 腕を組んで考え込んでしまう。

 スマホはともかく、さすがにいまどき携帯電話も持っていない大学生というのはどうなんだろうと思ったりもするが、なんとなく悔しい気もする。なにが悔しいかというと、つまりこういうことだ。携帯電話を持っているのが当たり前→だから携帯電話を買うのが当たり前→だから三万円差し出すのが当たり前。そういうロジックになっているのが納得行かない。だれかが決めた当たり前は、つまり三万円差し出すのが当たり前であるというのが納得いかない。でもなー。

「いりません」

優柔不断な俺に代わって、きっぱりとした綺麗な声が横から決断する。

「美沙ちゃん?」

「お兄さんには携帯要りません」

どうやら俺には携帯が要らないらしい。誰かが決めた当たり前が、俺に携帯電話は必須だと告げる。その反対側で美沙ちゃんが俺に携帯電話は不要だと告げる。

 どこかの誰かより美沙ちゃんが正義。美沙ちゃん=可愛い。可愛い=正義。つまり美沙ちゃんが正しい。

「いりません」

俺も正義を黒髪ロングドコ○お姉さんに告げて席を立つ。お姉さん、ぽかーんである。貴重なお時間すみません。

 美沙ちゃんに手を引かれて有名キャリアショップを出る。つかまれた左手がパラダイスである。美沙ちゃんの手は握力弱くて、指が細くてかわいい。

 

「お兄さん、ショップのお姉さんにデレデレしないでください」

道すがら、美沙ちゃんに叱られる。

「で、デレデレしてた?」

「してました」

美沙ちゃん、ご機嫌斜めだ。

「お兄さんは、女の人とばかり話しています。今日だって、こないだの女子大生と一緒にバスから降りてきてたでしょう!」

俺を引っ張っていた美沙ちゃんが住宅街に入ったあたりで振り向いて、まなじりを吊り上げる。吊り上げたところで、もともと垂れ目気味な美沙ちゃんなので、ちっとも迫力がない。かわいい。俺は大学生なので、女子大生と一緒にバスから降りることがあってもいいと思っていたのだが、どうやらそれは正義ではないらしい。

「でも……。いいです」

珍しく美沙ちゃんが引いた。

「だって……。携帯電話がなければ他の人には連絡しづらくなりますもんね」

え?

「そうですよ。私、いいことに気がついちゃいましたよ」

美沙ちゃんに花のような笑顔が咲く。不穏な予感がよぎる。

「お兄さんには携帯とか要らないんですよ」

それは聞いた。さぁ、始まるぞ。美沙ちゃんの超時空論理。もう予感ではなく、長大な飛距離を誇る美沙ちゃん論理開始の確信を得る。

「私、お兄さんに会いにお兄さんの家に行きますし。お兄さんも、私に会いに家に来ますし。なんなら、うちに泊まってもいいですし、つまり毎日お兄さんとは会いますし」

そうなの?

「私といる間は携帯電話なんて要らないじゃないですか」

要らないのか?

「私に伝えることがあるときは、会いに来て話せばいいんだし」

まぁ、それはそうだ。珍しい。美沙ちゃんのロジックが順番を追っていて破綻していない。価値基準が妥当かどうかは多少の議論の余地があるが。

「お兄さんが、私以外と話す必要とかないですもんね。とくにあの大学の先輩とか、他の女とか」

闇色天使。

「だから、お兄さんには携帯電話は要りません」

手を制服の前で合わせて、にっこりと微笑む。花のかんばせ。QED(証明完了!)と言わんばかりの可愛らしいドヤ顔である。

 そうか。俺、携帯電話要らなかったのか。なるほど。携帯電話が必要な理由に具体例を挙げて説明できないので、今のところ美沙ちゃんの超時空論理を論破できない。

 とりあえず、俺に携帯電話は不要らしい。

 

 美沙ちゃんを伴って帰宅すると、妹と真奈美さんが出迎える。

「あれ?真奈美さん。仕事は?」

たしか、真奈美さんは三島(姉)のところでアシスタント+メシスタントのお仕事なはずだ。

「ね、ネームが……お、おわってなくて……」

なるほど、アシスタントの方の仕事にはまだかかれないと……。

「食事、作り置きが冷凍庫と冷蔵庫にいっぱいで……」

なるほど、メシスタントの方の仕事は、それ以上作れないと……。

「家中お掃除……おわって。洗濯物も全部おわって……」

真奈美さん。それはメイドさんのお仕事だ。アシスタントではない。

 そこで気がつく。

 台所からいい匂い。真奈美さん。あっちでもこっちでも家事しすぎである。たぶん、今の俺の周りで一番の働き者である。しかも超有能である。

 美沙ちゃんはと言うと、きゃぴきゃぴと女子高生オーラをひらめかせながら、妹と一緒に二階に上がる途中である。俺の眼球は階段の下からエンジョイ&エキサイティング。バービー人形みたいな脚が制服のプリーツスカートからひらりひらりと輝く。階段の最上段で、その脚がくるりと回転する。

「お兄さんっ」

やっべぇ!

「み、見えてないよ!」

瞬間で謝罪。土下座もしたいところではありますが、土下座アクションをすると本当に見えてしまうので土下座しないのが俺の誠意。

「見たいですか?」

そう言って、美沙ちゃんの手がスカートのすそをつまむ。

 ふんがぁーっ!

 見たいです!

「なーんてね。結婚してくれなきゃ見せてあげませーん」

ペロッと舌を出して、階段の上に小悪魔美沙ちゃんが消えて行く。わかってた。大丈夫だ。気落ちなんてしていない。

「にーくん」

ぜんぜん気落ちなんてしていないんだからねっ!の俺に妹が声をかける。

「なんだよ」

「見たいっすか?」

そう言って、妹の手がスカートのすそをつまむ。

「いや。別に」

どうでもいい。

「なーんてね。結婚してくれなきゃ見せてあげないっすー」

ペロッと舌を出して、階段の上にデビル妹ちゃんが消えて行く。妹とは結婚できないし、妹のパンツとか見たくない。

 どうやら母親も外出中らしい。今日も台所でおいしいの魔法を使っている真奈美さんを一人放置するのもいけない。俺は二階に上がらずに、キッチンとひとつながりになっている居間に腰を据えることにする。

 ソファにて、ぐて~。昨日の疲れがまだ抜けていない。思わぬ自転車トレーニングをしてしまった影響で、太ももが筋肉痛だ。

 そこに真奈美さんがやってきて座る。俺の上に。

 重くはないんだけど、ふんわりとした甘い匂いと柔らかさと圧力がいけない方向に心地よい。

「んー。おにーちゃんー」

俺の腿の上で九十度回転した真奈美さんに首を抑えられて、そのまま横向きに倒される。

 ちょっと待て。ソファの上で寝そべって、抱き合ったみたいな体勢になっているんだけど。これはいちゃつきすぎじゃないかな。真奈美さんがぐりぐりと鼻を俺の首筋に押し付けてマーキング行動してくる。真奈美さんの頭。本当にいい匂いがするな。甘ったるくて、ちょっと柑橘系の香りが混じってて、真奈美さんの匂いとしか言いようのない匂いだ。落ち着く。

「むにゅ~。うに~」

すでに人語ではない、なにか甘えを意味する音を発しながら真奈美さんがマーキングを続ける。右の首筋にすりすり。左の首筋にすりすり。なに?ホモサピエンス=マナミクスは、鼻にマーキングのための器官でもついているん?それと、どんどん真奈美さんの安息ガスが鼻から入ってきて、すごい全身緩んじゃうんだけど。いい匂い。思わず、手を後ろに回してしまう。ほぼ自動である。女の子的に言うなら、真奈美さんの匂いのせいであって俺の過失ではないのである。

「くにゅう~にゅ~」

ひうっ!?

「ちょ……っ!ま、真奈美さん。それはっ!」

真奈美さんの安息ガスで、とろりと理性が溶けかけていた俺の危機管理回路が一気につながる。鼻をこすりつけるマーキングならともかく、いや、それもアレだけど、でも、さすがに首筋をペロペロ舐められるのはヤバい。

「にゃんで?」

俺の頭を前髪の中に捕らえて、鼻と鼻が触る距離にセルロイド人形の顔を近づけた真奈美さんが蕩けた声で問う。吸い込む空気は濃厚な真奈美さんの香りに満たされて、目の前には、髪の毛の隙間から差し込む光にふんわりと白く輝くシンメトリーな真奈美さん。鼻と鼻が軽く触れ合って、唇を突き出せばキスしてしまう距離。胸に押し当てられる弾力。

 ちょっと待って。

 これは、まずい。

「なんで?だめなの?」

なぜかと問われれば、それは俺の理性が危機に陥るからである。

「おにいちゃんの匂い……すき」

ひわわーっ。真奈美さんの舌が俺の唇を舐める。これは、キスじゃないの?キスなの?

 すりすりすりすり。頬ずり。ぎゅーっ。抱きしめ。むにむにむにむに。

 ほっぺはすべすべで、押し付けられる女の子な部分は柔らかくて、筋肉痛で張り気味の脚に絡みつくほっそりとした脚の感触は、しっかりとした弾力がある。気持ちよすぎ。真奈美さん、いい匂いするし。あとなんでそんなにペロペロしてくるの?

 子供の頃からの甘え貯金がありすぎる真奈美さんが、甘えATMである俺から甘えを引き出すのはいいんだ。真奈美さんのお母さんからも頼まれたし。でも、真奈美さんも俺も十八歳で合法であり、真奈美さんは普段はジャージと前髪で隠れているものの市瀬美人遺伝子の頂点であり、きっちり十八歳なのである。合法すれすれなそんな十八歳を、こんな風にすりすりされたりぐりぐりされたり、むにむにされたりして、俺のだらしない理性がもたないからもうだめぇーっ!

 だーっ!

 百八十度回転した。真奈美さんが下。俺が上。

 で。

 回転してどうするつもりだったんだ?俺?

 真奈美さんに「離れろ」って言うのか?……真奈美さんは一歳のときに両親が美沙ちゃんばかり構うようになって一番甘えたい時期に甘えられずにいたのだ。その事情を知っちゃっていると、ちょっとそれは言い辛い。

「しゅきー」

上下逆になったまま、また引き寄せられてすりすり再開。状況が好転していない。回転しただけだ。というかむしろ客観的には俺が真奈美さんに覆いかぶさって抱き合っている状態である。母親がここに帰ってきても、妹が二階から降りてきても、美沙ちゃんが二階から降りてきても死ぬ。とくに最後のケースが死ぬ。状況悪化である。

 だーっ。

 百八十度回転した。無重力。

 当たり前である。狭いソファの上で回転したら落下である。

 俺を下にして、カーペットの上に落下する。たかだかソファの高さからだからダメージゼロ。あるのは着地の瞬間に真奈美さんの弾力のある身体がむぎゅんと押し付けられる感触と、肺から押し出された空気が一際強く真奈美さんの香りをさせることくらいだ。俺の理性的には、そっちの攻撃力の方が強力。

 なんか。もう良くないかな。

 このままもう、真奈美さんでいいよな。

 家事力最強だし。いいお嫁さんになるよな。俺のお嫁さんにならなくても、これから先だって真奈美さんに甘えられて、断ることはありえないんだから、もうこれは真奈美さんと付き合って彼氏彼女になって、十八歳でお互い合法だし、合法しちゃってもいいんじゃないかな。俺さん、ご卒業おめでとうございます。

 真奈美さんっ!

 真奈美さんの細い身体をぎゅっと抱きしめる。

 がすっ。

 俺の頭蓋骨がぐりっと踏み潰される。

「お兄さん。なにしてるんですか?」

水色パンツが見えた。わーい。美沙ちゃんのパンツだぞ。

「すりすりしてるのー」

真奈美さんが、俺の代わりにちょっと湿った声音で答える。

「お姉ちゃん、ちょっと離れて。私、お兄さんにお話があります」

美沙ちゃんが俺の髪の毛を掴む。いたい。

「美沙も、すりすりする?」

「うん。すりすりする。おろし金で」

 いたいいたいいたい。

 美沙ちゃんが、俺の髪を鷲掴みにしたまま台所へと歩いていく。髪の毛がその速度で伸びないので、俺もついていく。後ろ向きで。お話があるとか嘘じゃん。お話じゃないじゃん。処刑じゃん。

 その俺の脚を真奈美さんが掴んだ。

「おにーちゃん、連れてっちゃだめー」

ぎゃうーっ。

 美沙ちゃんが歩みを止めないのに、俺の脚が止められた。ハゲる!髪の毛が何本か抜けて、美沙ちゃんの手から解放される。むぎゅっと真奈美さんに引き寄せられる。怒りの天使がくるりと振り向いて睨む。

「お姉ちゃん?」

「ひうっ」

美沙ちゃんに睥睨されて、真奈美さんがびくっと身体を緊張させる。

「まて。美沙ちゃん。そぉっと話そう!下、カーペットだし!」

「そ……そうですね」

美沙ちゃんもリスクを理解する。忘れがちだけど真奈美さんに強い刺激を与えちゃダメなのだ。漏らしちゃうからな。

「とりあえず、二人っきりにしておいちゃいけないことが分かりました。二人も来て下さい」

「はい」

冷蔵庫から四人分の飲み物と、真奈美さんが作っておいてくれたチーズスフレを切り分けて二階の妹の部屋にあがる。

 通常、高校生くらいになると男の兄弟に部屋に入られるのを嫌がるものだが、うちの妹に関して言えばそれはない。裏返して、妹も俺の部屋に躊躇なく入ってくるけどな。ベッドにもぐりこんで来るまである。これをうらやましいと言う御仁は、リアル妹のいない人であり、妹とエルフがどちらも二次元世界にしか存在しない生物だと思っている連中である。現実にエルフはいないが、妹はいる。だから「うちの妹がさー」と話している人間がいても、別に二次元と現実の区別がついていないわけではないので注意されたし。そして、リアル妹は凶暴だから注意した方がいい。熊と妹はリアルとイメージの乖離が激しい。ところで、あの熊は可愛いものって子供に教えるのは、危険だから本当にやめるべきだよね。

 妹の部屋にクッションを並べて、四人で座る。

「お姉ちゃん、こっち」

俺と真奈美さんが並んで座ろうとしたら、美沙ちゃんが間に割り込んできた。時計回りに妹→俺→美沙ちゃん→真奈美さんという並びになる。

「ちょうどいい機会なので、お兄さんとお姉ちゃんと真菜にお話があります」

しゃんと背筋を伸ばした座り姿も美少女な美沙ちゃんが、涼やかな声で話しだす。和風知的美少女である。これで、成績が悪いとかキャラデザがおかしい。

 ちなみに、隣に座る真奈美さんはジャージ姿に胸まで届く前髪の隙間から魔眼状態だ。背中と肩を丸めて、三角座り。その隣の妹は、右ひざを立てて左足を前に投げ出し、机の上に頬杖をついて、お前それ普通に座るより疲れるだろうと思うような姿勢である。

「最近、真菜もお姉ちゃんもお兄さんにくっつきすぎです。お兄さんもくっつかれすぎです」

「み、美沙もくっついていーよ」

真奈美さん、いいこと言った。大賛成。美沙ちゃんも俺にくっついていいと思うである。

「そういう問題じゃありません。お兄さんは私のものです」

「いつから、そんなことになってたっすか?」

妹よ。お前、美沙ちゃんが分かっていない。美沙ちゃんが、そう言うならそうなんだよ。美沙ちゃんの中ではな……。そして、美沙ちゃんの中でそうだということは、正義というのは真実はどうあれ、美沙ちゃんの側にあるのだ。美沙ちゃん=可愛い。可愛い=正義。つまり美沙ちゃん=正義だ。

「美沙っち。ちょっと落ちつくっす。私の記憶が確かならっすね……」

この世で、最強に記憶の確かな妹が話し始める。

「……美沙っちは、にーくんにフラれているっす」

「そんなわけありません」

俺もそう思う。美沙ちゃんを俺ごときが振るとかありえるのか?常識で考えろこのバカ。

「去年の文化祭一日目の夕方に告白してフラれてるっす」

しかし、現実ではときに起こりえないことが発生している。そして、妹はそれをビデオカメラのように記録している。もはや、こいつの記憶力は記憶というより記録だ。

「だって好きになっちゃんだからしょうがないじゃない!好きは止められないの!」

女子力百パーセントの女の子理論で美沙ちゃんが反撃する。

「だいたい真菜は妹じゃない。兄妹じゃ結婚できないのよ!法律で!私、お兄さんのこと好きだもん!」

「法律言うなら、美沙っちが夜中ににーくんの部屋に侵入、拘束の上で性的暴行に及ぼうとしていた方こそ違法っす!」

「いいの!好きなんだもん!」

美沙ちゃんの好きなんだもん砲が全属性対応で最強だ。侵入、拘束、強姦容疑カードを無効化した。

「じゃあ、にーくんに選んでもらうっすよ」

「え?!」

妹の言葉に美沙ちゃんが固まる。

「にーくんの自由意志に任せるっす」

あのキテレツな妹が正論を吐く。

「い、いいわよ」

覚悟を決めたような声で美沙ちゃんがこっちを見る。

「…………」

前髪の間から真剣な目で、真奈美さんが俺を見る。

 なに。

 これは。

 修羅場。

 かな?

 真剣な顔をした美沙ちゃんの美少女っぷりは完璧だ。Dカップのサイズも完璧だ。

 三角座りをする真奈美さんも前髪の中には、俺しか知らない美沙ちゃんを超える完璧美女がいることを知っている。真奈美さんは、俺しか見ていない。俺は、真奈美さんに責任がある気がする。俺が部屋から、辛い世界に引き出してしまった。手を離してはいけない人。

 そうだ。

「いや。俺、真菜が大学に行ったら、真菜と東京近郊に下宿するって言ったよね」

「なんで!?」

美沙ちゃんが、目を丸くして立ち上がる。そして、俺の襟元を鷲掴みにして可愛らしい顔をぐぐっと寄せてくる。うわぁ。かわいい。

「なんとなく……」

本当の理由は照れくさい。色あせることのない記憶力を持つ妹を置き去りにする現実に少しでもあらがいたかったなんて理由は……。

「お、お兄さんが東京になんて行ったら、なかなか会えなくなっちゃうじゃないですか!?だめです!」

前のめりになって俺に詰め寄る美沙ちゃんの向こうで真奈美さんもこくこくと首肯している。

「と……東京じゃないよ。そんなに遠くに行かない。ここと、東京の間くらい。丁度、東京に入る寸前くらいの場所になると思うよ。俺だって、大学に通わなくちゃいけないからさ。ほ…ほら、真菜の一人暮らしとかどうみても不安だろ!」

グッド言い訳思いついた。俺、グッジョブ。、妹の一人暮らしとか、冷静に考えたら頭おかしい。時折、キチガイサウンドを出しているコイツの代わりに隣近所に言い訳してやる家族は必要だし、見た目中学生のこいつが一人暮らしとかセキュリティ上も問題があるし、こいつは自衛用とか言ってチェーンソーとか買いそうだし、とにかく一人暮らしはダメなやつだ。うん。

「……そ、そりゃ、真菜の一人暮らしは……」

美沙ちゃんも、チェーンソーを構えて訪問販売に応対する妹の姿がイメージできたらしい。

「……」

真奈美さんも、無言で青ざめている。妹に叱咤されて、漏らすほど怖い思いをしたことのある真奈美さんだ。妹の一人暮らしのヤバさに恐怖しているのだろう。

「なんか、みんな失礼じゃないっすかっ!?私、一人暮らしでも大丈夫っすよ!護身用にチェーンソーと回転ノコギリも買うっすし!練習もするっすよ!」

……。

……。

……。

「お兄さん。真菜は、一人暮らし絶対にさせないでください」

「だろ」

「でも、お兄さんと真菜の二人暮らしも不安です」

「俺は、常識人だぞ」

美沙ちゃんの視線が妹の部屋の本棚に向く。

「ちがうんだ……」

美沙ちゃんの視線が、本棚から外れない。本棚に並んでいるのは「お義兄ちゃん命令」「あにいも」「いもうとdays」「らぶあに」などのゲームパッケージだった気がする。

「……ちがうんだ。美沙ちゃん。俺は、常識人なんだ」

空虚すぎる言葉が俺の唇から漏れる。

「お兄さんと真菜の二人暮らしも不安です」

妹がバカなせいで信用してもらえない。

「だから私も、真菜と同じ大学に行ってお兄さんと一緒に住みます!」

片手に拳を作って、力強く美沙ちゃんが宣言する。凛とした美少女がこういうポーズをすると、本当に絵になる。美しい。

「無理っす。美沙っち、自分の成績分かってるっすか……」

こればかりは、妹が正しい。美少女の決意は美しいが、決意だけではどうにもならないことが世の中にはある。成績もその一つだ。正直なところ美沙ちゃんの成績は、東京の大学に合格するどころか高校の卒業が危ぶまれるレベルである。受験まで、これから半年少々でどれだけのミラクルが起これば美沙ちゃんが妹と同じ大学に行けると言うのか……。

「そ、そこはお兄さんがなんとかします!」

「え?お、俺?俺、そんなに色んなカンニングテクニック知らないよ!」

「なんで、そうなるんですか!特訓してください!」

「特訓?」

「そう。これから、毎日お兄さんが私の家庭教師をしてくれればいいんですよ!」

美沙ちゃんが笑顔をひらめかせる。世界最強にかわいいドヤ顔だ。

「……美沙っち」

「なによ!」

「にーくんは、去年の現役受験生の時代でも私が受ける大学落ちてるっすよ」

そうなのだ。

 妹は、成績がいいのだ。俺より。

 妹があっさりA判定を取っている東京の国立大学は、俺は模試ですらD判定以上をとったことがない。その大学よりも一ランク下の大学を受けて、そこも落ちた。

 つまり、俺がありったけの知識を美沙ちゃんに伝えることができても、妹と美沙ちゃんが同じ大学に行くのは不可能なのだ。

 

 それでも、一度決心を固めた美沙ちゃんの意思と思い込みは固く、いつのまにか毎日美沙ちゃんの家庭教師をすることになっていた。

 

(つづく)


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
2
1

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択