紅と桜~いつの日にか、あの日に~
雨泉 洋悠
今日の事、私は、忘れられなくなりたい。
にこちゃんが、戸惑いながらも、ちゃんと私の手を、握り返してくれたこと。
その手の大きさが、思っていた以上に小さくて、小さな子供に握って貰えているような、私の中に、にこちゃんへの、堪らない何かを、呼び起こしてしまいそうな、そんな小ささだったこと。
その手の温度が、思ってもいなかったほどに、低くて、意識せずに、自分の手の温度が、上がっていってしまったこと。
全部、ずっと、忘れないで、いたい。
窓から差し込む光はオレンジ、その色に染められた、流れるような黒、結び留める赤いリボン。
二階から見える、にこちゃんの姿は、いつもよりも、少し幼く見えて、思わず、可愛いな。
なんて、にこちゃんに聞かれたら怒られそうな感想が、頭に自然と浮かんでしまう。
右を見て、左を見て、もう一度右を見て、ある人に視線を向けて、その等速度運動は、止まる。
にこちゃんは、希のこと、どう思っているのかな。
二人の間にある、見えない絆。
それに気付いてからの私は、自分らしくない程に、そこにある何かが、気になってしまう。
今だってほら、二人は優しく微笑み合って、何かを話している。
会話の内容は、微妙に聞き取れない部分があって、何だろう、ご飯の話かな。
にこちゃんが、お料理が上手いのは、昨日で判明している。
その流れで、にこちゃんが今日も作ってくれるなら、嬉しいのにな。
また、にこちゃんのお料理、食べられるのは、素敵。
あれ?そう言えば、ちょっと待って、いつも、にこちゃんと一緒に頂いているお弁当。
あれは、お母さんが作っているとか、言っていたような言ってないような、でも待って、にこちゃんお母さんに作ってもらう必要ないんじゃない?
ええと、それはつまり、何か重大な事を示しているような気がするの、真姫、落ち着いて考えなさい。
ダメだ、自分の頬が、どんどん赤くなっていくのが、解る。
つまりにこちゃん、そう言う事で、良いのよね?
オレンジ色に染まる、海沿いの道、昨日は希と歩いて、今日はにこちゃんと二人で歩いてる。
重大な事実に気付いてしまった後に、自分内のみに湧き上がる興奮、冷めやらぬままに何とかニヤニヤ顔を抑えつけて、一階に戻ってみれば、追い打ちを掛けるように、希の言葉。
「真姫ちゃん、今日はにこっちと二人で買い物に行ってくれへん?」
さっき二階から見たのと、同じ様な笑顔で、そう私に告げる、希。
何て言うか、希はさり気なさを装いつつ、強引、それが嬉しかったりも、するけれど。
「わ、解ったわよ。仕方ないわね」
思わず、希と、こっちを見ていたにこちゃんから顔を背けてしまう。
いま思い出しても恥ずかしい、何て言うか、照れ顔とニヤニヤ顔が合わさって、私はとても見せられないような顔を、していたと思う。
「真姫ちゃん、にこに何か言いたいことがあるんじゃないの?」
私は思わず飛び上がりそうになる。にこちゃん、何て言うか、鋭い。
「べ、別に何も無いわよ」
恥ずかしさから、どうしてもそんな返答をしてしまう。
ああもう、せっかくにこちゃんが私の気持ちを察して、手を差し伸べてくれたのに。
「何も無いことないでしょ?だって、何時もと違ってさっきから全然にこのとなりを歩いてくれないし」
そんなにこちゃんの、とんでもないところを突っ込む非難の声。
しまった、それはすっかり失念していて、恥ずかしさからいつもと違って、にこちゃんの少し前を私は歩いていた。
視界の隅に、にこちゃんの可愛い髪とリボンが無いことにすら、気付かないぐらいに今日の私は動揺していたみたい。
恥ずかしいし、自分らしくない、私は、自然に、にこちゃんの隣にいて、視界の隅でぴょこぴょこ動く姿を見ているのが、自然なのに。
歩調を遅らせて、自分のいつもの位置に収まる。
視界の隅で動く髪とリボン、オレンジ色、穂乃果の色に染まっている。
そう言えばにこちゃんは、穂乃果のことも、どう思っているのかな。
私は、穂乃果がいなかったら、きっとにこちゃんを見つけることすら出来なくて、ましてや、その隠された心にまで辿り着くことなんて、きっと出来なかった。
にこちゃんの事を、一番最初に理解し、手を差し伸べたのは、穂乃果という、動かせない事実。
それは今も少しだけ、私の心に、マイナスの気持ちを、加算する。
にこちゃんに必要なのは、私じゃなくて、穂乃果なんじゃないのかな。
私は穂乃果がいなかったら、こんなにも胸を焦がす想いに、出会うことも出来なくて、穂乃果がいなかったらにこちゃんは、こんなにも魅力的なのに、きっと、一人で、あの場所に、居続けていたんだ。
「ほら、言ってご覧なさいな」
少しの間だけ、思考の澱みに嵌り込んでいた私を、にこちゃんの声が引き戻す。
この声を、この色を感じ取れない日々なんて、私にとっては、世界が死んだも同然だ。
今こうして、にこちゃんが私の隣に居てくれると言う事実。
とても、幸せなこと。
にこちゃんの助け船に、何とか出来る限り素直に乗っかって、慣れない言葉を、紡ぎ出す。
「えっと、その。にこ……先輩って、料理得意よね?」
ああもう、何て格好良くない言葉、何だろう、私は本当はもう少しだけ、にこちゃんの前で、格好良くいたいなと思うのに。
「うん、隠していた訳じゃないし、昨日はちょっと変な見栄はっちゃったけど、そうね、実は得意よ」
にこちゃんが、誇らしげな顔を向けてくる。 もう私は、それを当たり前に可愛いなと思うぐらいには、素直になれてしまっているの。
「て言う事は、その、あの、何時も貰ってたお弁当って……」
そんなにこちゃんの可愛い顔を、自分だけに向けられている照れもあって、言葉は少し辿々しくなってしまう。
「そうよ、私の手作りよ」
ああ、もうダメだ、溢れかえっちゃう。
だって、にこちゃん、初めてお弁当を貰ったのなんて、もう随分と前で、そんな前から私の為に、にこちゃんがお弁当を作ってくれていたなんて、そんなの、私余りにも、幸せすぎると思うの。
止め処なく溢れ出す想いが止まらなくて、気持ちを表に出せないままに、ここまで来てしまった私には、この想いをどう表に現したら良いのか、まだまだ難しすぎて、解らないの。
「そ、そっか、えっと、何時もありがとう。これからは作ってくれている人を正しく認識して頂くわ」
だから私は、在り来たりの御礼の言葉を、にこちゃんに伝えるだけで、もう心が一杯一杯なの。
「うん、じゃあにこもこれからは堂々と真姫ちゃんのために、自分が作っているアピールしていくからよろしくね!」
にこちゃんが、いつもの手つきで、私に笑いかけてくれる。
こんなにも小さくて、可愛らしいにこちゃんの手が、毎日のように、私の為に、お弁当を作ってくれている。
そう思うと、胸の奥が締め付けられるような気持ちが湧いてきて、自分の体温が、上がっていってしまうのが、解る。
「にこ……先輩、暗くなっちゃうからちょっと急ぎましょう」
ダメだ、今にこちゃんなんて呼んだら、自分が、どうしようも無くなっちゃうような気がする。
「そうね、もう少し大丈夫だろうけど少しだけ夜の色が混じり始めてる」
それでも、もうとても自分を抑えきる事なんて出来なくて、自然と手が動いてしまっていた。
「さあ!急ぎますよ!」
にこちゃんの小さな手を、自分の手の中に包み込むようにして、走りだす。
目で見ていたよりも、更に小さく感じる、その小さな子供みたいな、柔らかすぎる、感触。
にこちゃんは、焦っている感じを出しつつも、ちゃんと、一生懸命に、手を握り返してくれて、私に合わせて走ってくれる。
その手の温度は、思っていたよりも低くて、それが何故だかより一層私のてのひらの温度を上げていって、何だか恥ずかしかった。
私は今日のこと、忘れられないように、なりたい。
今の私では、まだまだにこちゃんの支えになれなくて、頼りない、にこちゃんに守ってもらう側の私だけど、いつの日か、にこちゃんの全てを、受け止められるように、守ってあげられるようになって、今日と言う日を、二人の忘れられないあの日に、いつの日か、出来たら良いなと、思う。
次回
線香花火
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にこちゃんと真姫ちゃんて、
お互いにもうどうしようもないぐらいにお互いへの想いが溢れているのに、
もどかしいぐらいに上手くそれを伝えあえなくて、
どこかのタイミングでそれをやっと二人で乗り越えて、
卒業までの残された日々を二人でちゃんと大切にしていこうって、
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