「さて。どうしようかしらね?」
兵からの詳しい報告も終わり、彼が退室した軍議室。
未だ興奮覚めやらぬその場にて、面白そうに華琳が問いかける。
これに即座に対応したのが桂花だった。
「まずはより徹底した情報収集が肝要かと。いくらあの袁紹と言えども今すぐに我等に仕掛けてくるとは思いませんが、そう遠くはないでしょう」
「そですね~。益州に割いている間蝶を冀州に回すのが良いかと~」
「益州の間蝶を?あそこも要観察対象では無かったのか?」
風の提案に秋蘭が疑問を挟む。これには横から零が答えた。
「確かに益州も勢力としては大きいわ。けれど、君主の劉璋は凡夫、兵の熟練度もそこそこといったところ。
注目すべきは荊州との境に配置されている名将、黄忠と厳顔くらいのものよ。従って、この2人を主に偵察し、残りの人員は今のところは冀州に回しても問題無いと判断出来るわ」
「凡夫でもマシな評価ね。ボクが集めた情報だと、そもそも益州内部の反発を抑えきれてない程だったし」
「なるほど。そうならば私にも異論は無いな」
「ならその辺りの調整は桂花と稟に任せるわ。お願いね」
「御意に」
「お任せ下さい」
「他、何かあるかしら?」
「では私から一つ。北方配置の兵力ですが――――」
軍議は淡々と進む。
いずれ来ると予測されていただけに、予め想定されていたいくつかの選択肢の中から各々の軍師が最適と思う策を投じる。
そのまま採用される策もあれば、僅かに修正が加わる策もある。
共通するのはいずれも大きな変更を必要としないこと。
一人一人が出るところに出れば筆頭軍師と為りうる頭脳の持ち主なだけに、その質が非常に良いためであった。
武官は武官で滅多なことが無ければ余計な口を挟まない。
文武の住み分けが良くなされ、軍議に限らず日常に置ける様々な物事を円滑に進めるに容易い環境が整っていた。
そう考えると、一刀と秋蘭、そして時折積極的な意見を求められる菖蒲などは特殊な部類と言える。
勿論これにも大きな意味があった。
文官だけで全てを決めるとなると、現場を詳らかに知らぬが故の無理難題を吹っ掛ける可能性がある。
そこで先の3人に求められるのは、文官の足を引っ張らない知と武官の立場からの意見。
そこからすり合わせを行うことで無理のない範囲で各種策が施行されているのである。
「一刀さん程の知があるのでしたら、軍師の方々に混ざって軍議を進める側に立たれても良いのでは無いのですか?」
一度、このように菖蒲から疑問を投げかけられたことがあった。
だが、一刀はそれにノーと答えた。主な理由は知識不足である。
或いは、何を馬鹿なことを、と言われるかも知れない。しかし、これは厳然とした事実。
確かに一刀は大陸の民達にとって画期的な策をいくつも提案してきた。
しかし、それは所詮未来の知識を少しばかり時代を合わせて持ってきただけであり、一刀自身に政治的な知識が豊富というわけではない。
結果的に、折に触れて策の立案に積極的に関わる一刀も、通常の軍議では基本的に他の武官とほとんど同じ立場であった。
今回の軍議においてもそれは同じ。
軍師達が中心となって当面の対応策が次々に決定、その場で下せる命令はそのまま武官に命が下っていく。
最終的に、情報収集の優先度の変更、国境付近の配置戦力分配の変更を除けば現状維持での静観となったのだった。
話が纏まり、軍議の終了が見えてくると、残すは華琳の締めの言葉のみ。
いつの間にやら引き締めた真面目な表情に凛とした風格をもって、その場の皆を見渡すように、何かを図るように、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「今日の軍議はこれで終わりとしましょう。でもその前に、今日この日の軍議を終わるに当たって一つ、とても重要なことを一度だけ、言っておくわ。
この大陸は遂に隠すこと無き動乱の時代に入ったわ。今後、日和見な思考は捨てなさい。
我等はあらゆる局面を想定し、我等自身の力で不利をも有利へと変えていかねばならない。必然、これまでと比べて命の危険度すら格段に増すわ。
私は才有る者を愛し、重用する。今この場にいる者達、皆のようにね。けれど、それは庇護下に置いてぬくぬくと育てるということでは断じて無いわ。
歯に衣着せずに言えば、私の最終的な目的達成の為の駒は優秀でいて貰いたいということ。当然、危地に放り込むことに利があらば、それを躊躇うことは無いでしょう。
それを踏まえた上で、皆に問う。
これより先は”覚悟”を持った者だけ付いてきなさい。”覚悟”無き者、決めきれない者は今日を限りに去りなさい。今だけは罪に問わないわ」
突如、王からなされた異常異端の宣言。
真意を掴みきれぬ者も多く、議場はざわめきに満たされる。
華琳もまた表情を緩めることも無く、諭すように続きを口にする。
「異例の事態だと思うかしら?何を今更と思うかしら?
けれど、今私たちが直面しているのは、人がその生を恙無く終えることが出来たとて通常ならばその影すらも聞きえぬような大きな大きな時代のうねり。
油断をすれば飲み込まれ、万事を尽くしてなお余りある。これからの戦はそれだけのものであると、心しなさい」
華琳の毅然とした声が軍議上に響き渡る。
先程までとは打って変わって、一同は水を打ったように静まり返っていた。
理解度に差はあれど、一様に瞳に緊張を宿らせて華琳の言葉を噛み締めている。
あまり沈黙が続いても先が続けづらいだけだろうと判断し、一刀が口火を切ることにした。
「らしくないな、華琳。いつもの覇王然とした態度が少し陰ってるぞ?
そもそも俺は、いや俺達は、華琳の大望に共感したが故にここにいる。そこに至るための道は狭く険しいことも、最悪道自体が繋がっていないかも知れないことも、少なくとも俺は承知している。
今更危険の一つや二つ、増えたところで何も変わらないさ」
「おお!一刀にしてはいいことを言うじゃないか!
勿論私もとうに覚悟は持っております、華琳様!もとより我等は貴女様の駒となるべく馳せ参じた身。
その大いなる目的の為にこの身を使って頂けるのであれば、それが我が誉れとなりますれば!」
「どうやら一刀と姉者に美味しいところは全て持って行かれてしまったな。では私は、敢えて失礼を承知で言わせて貰います。
華琳様は我々を過小評価しておいででは?貴女が才を見抜いたと言ってくださったのです、それを信じてください。
華琳様の理想の高さには、そして華琳様の才覚には、命を賭ける価値がある。そう私自身の目で見て、頭で考えたからこそ、我等は今、この場にいるのですから」
「一刀……春蘭……秋蘭……」
魏軍最古参の3人の一も二もない賛同の声。
それらを皮切りに議場は再び騒然となる。
しかし、今度のそれは先程のものとは違い、不思議な熱を持ったものだった。
武官も文官も無く、古参も新参も無く、皆が口々に支持を表明していく。
1人としてその場を去る者は出ることは無かった。
その様子を眺めていた華琳の口元は、自身も気がつかぬ間に三日月型を描いていた。
ふと思い立って目を向けると、最初の発言以後黙して華琳を見つめていた一刀と視線がぶつかる。
一刀は自然な笑みを湛えた華琳を見ると、自身もまた笑みを浮かべて華琳に向かって大きく一つ頷く。
それを合図に華琳が声を張り上げた。
「皆の気持ちはよく分かったわ。ならば、私は皆の期待に応えましょう。
ここに再び決意表明を。私は、そしてこの魏国は、この乱世を泳ぎ切って大陸をこの手中に治める。
これからの戦は前代未聞の大戦となってくるでしょう。けれども、私たちならば、私がその才を見込んだ貴方達ならば、乗り越えられると信じているわ。
皆の者!私に付いてきなさい!
俗人には見果てぬ夢であろうとも、この私が貴方達をそこな桃源郷へと導いてあげることを約束しましょう!」
『はっ!!』
綺麗に揃った返答が議場をビリビリと震わせる。
今にも目に見えん程の気迫を漂わせ、今一度魏の結束が強まった短くも長い軍議は終わりを迎えることとなった。
(さて、と。当面はいつも通りと決まったわけだけど……あっちの調整はやっとかないとな……)
急ぎ変更を要する事項を抱えた軍師以外の面々はいつもと変わらぬ様子で日常へと戻っていく。
その中に混ざる一刀もまた、表面上はいつもと変わらぬものの、早急に為すべき変更点をその脳裏に描きつつ議場を離れようとする。
「兄ちゃん!」 「兄様!」 「一刀様!」 「一刀殿!」
その背中へ4つの声が重なってぶつかった。
何事かと振り返れば、そこには一刀を師と仰ぐ武官、季衣、流琉、梅、凪の4人が揃っていた。
「どうしたんだ、凪?」
4人は別に示し合わせたわけでは無く、偶々考えがかち合った結果なのであったが、そうとは知らない一刀は4人を一纏めとして尋ねてしまう。
とは言え、凪の方も特にそれを訂正しようとは思っていない。
偶然だろうがなんだろうが、4人の目的は同じなのだから、個別に頼もうが結局は一刀の達する結論は同じになるだろうと考えたからである。
「折入って頼みたいことがあります。一刀殿!予定とは異なりますが、本日稽古を付けてもらえないでしょうか?」
「え?そうは言うが、いつも通りとは……あ~、なるほど」
数人の軍師は今回の軍議にて2、3日は繁忙を極めるだろうが、その他の人員については言わばいつも通りに過ごせとの結果のはず。
そこを指摘しようとした一刀は、4人の目を見て納得を示した。
凪たち4人の瞳には強い好奇心と、それに劣らぬ恐怖心を見て取れた。
好奇心は、大陸が如何様な変貌を遂げるのか、長き時のその向こうに存在する結果に対するもの。
恐怖心は、過去に見ぬ程の大変動に己が関わるということに対するもの。
体から溢れんばかりに高まったそれらの感情を持て余した結果、何かをしていなければ落ち着かない状態になってしまったのだろうと推測された。
一刀自身、人には言っていない、というより言えないのだが、早急にすべきことをいくつか抱えている。
とはいえ、可愛い弟子たちの不安を拭ってやりたい気持ちも勿論ある。
どうするべきかと少し考えた後、結論を出した一刀は4人に対してこう口を開いた。
「分かった。但し、俺も少しやらねばならないことがあるんだ。
だから、そうだな……半刻後に第2調練場に向かうから、半刻後にそこで、ということでいいかな?」
「は、はいっ!ありがとうございますっ!!」
凪を始め、残る3人も笑みを咲かせて礼を述べると、待ちきれないとでも言うかのように直ぐ様調練場へと向かっていった。
元気な4人に意図せず和ませてもらった一刀は、自然と浮かんだ笑顔もそのままに、魏の暗部、情報統括室へと足を向けていた。
「桂花、居るか?」
「ええ、いるわよ。来るだろうと思って待機しててあげたんだから、感謝しなさいよね」
「ああ、すまないな。で、だ。河北4州の件だが、許昌の情報封鎖の任に就いている黒衣隊を使うべきだと思うんだが、どう思う?」
実利優先、無駄な会話は省いて即座に本題へと突入する一刀。
情報は時間が命でもあることを勿論理解している桂花もまた、一刀に合わせて提案内容の検討に入る。
桂花はその脳裏に勢力図を描き、必要とするであろう情報量、表の間蝶の能力、黒衣隊の能力、それらを統合して頭をフル回転させる。
たっぷりと3分間、思考の海に潜っていた桂花は、そこから浮上してくると自身の中で纏まったその答えを紡ぐ。
「そうね。黒衣隊を動員することは私も考えていたわ。問題はその数ね。
現在の許昌の情報封鎖網は蟻をも逃さぬ程に緻密なものにしているわ。提唱はあんただったんだから知っているでしょうけど。
これをどの程度まで緩めてもいいのか、それに依るわ」
「基本的に今までは新設部隊の存在自体からして隠したかった、ってのがあったからな。
だが、既に大きな流れが動き始めた今となっては、もう殊更に隠す意味もそれほど無いだろう。勿論、最低限はまだ隠すつもりだがな。
そうだな……半数を河北の密偵に動員する、ってのでいけそうか?」
「半数なら十分過ぎるほどね。4州に加えてその周辺にも放てそうよ」
「そうか。それは良かった。情報で遅れを取ることだけは絶対に避けないといけないしな」
凝り固まっていた大陸の情勢は、今や流動的となっているだろう。
こうなってくると、今までとは勝手が違ってくる。
これまでであれば、多少古い情報であろうと有用性は十分にあった。
だが、刻々と各地の情勢が変化するだろう今後の大陸に於いて、月をいくつか跨いでしまえばその情報は最早価値が無い、場合によっては害にしかならなくなると考えられる。
2人が情報閉鎖から情報収集に重点を移すことを決めた一因がそれだった。
「それじゃあ、急ぎその方向で手配、通達しておくわ。
それにしても……」
桂花が何かに気付いたようにポツリと。
一刀は内容が読めず首を傾げるが、桂花の目線は手元の書類に落とされている。
それは黒衣隊全メンバーの管理冊子。
そこに示されるは、現存のメンバーの名と偵察派遣先の対応。
一つの軍とは違い、少数精鋭により構成された黒衣隊だからこそ出来る、完全統制術の一環である。
「あんた達、華琳様の下へ来る前からこんなことをやってきてたのよね?」
「ああ、そうだが、一体どうしたんだ?」
「……ちょっと、改めてあんた達の凄さを、ね」
桂花は再び手元の資料に目を落とす。
目に入るは、総員四六名の文字。
そもそも、黒衣隊は発足当時、一刀を含めて五三名だったと聞く。
そこから数年、それだけの長きに渡って過酷な任務にその身を置きながら、殉職者があまりにも少ないことに驚きを禁じ得なかった。
その数名の殉職者にしても、ここ最近の話でしかない。
3名は黄巾の折、玉砕覚悟の突破劇にて。
4名は長沙に密偵に入った折、捕殺されたらしい。
元々精鋭の中の精鋭で構成された上に、特殊な訓練も積んだ連中であるとは言っても、たったのこれだけ、と言ってしまうほどに少ない。
情報収集能力、隠密性、そして戦闘力。
全てが高く纏まったこの部隊は、情報を扱う者にとって喉から手が出るほど欲しいものに違いない。
それを自らが指揮していることにもまた、改めて奇縁なものだと感じていた桂花だったが。
「俺達は所詮二流だよ。情報は集められても、それを有効活用して最高効率の策を出したりは出来ない。
桂花みたいな、情報をきちんと取り纏めて先へと繋いでいける人材無しには存在価値も無い部隊だからな」
厳しい、などという言葉を遥かに通り過ぎた自己評価に開いた口が塞がらなくなってしまった。
そもそも、あらゆることを1人の人間がこなすなど、到底不可能なこと。
それは情報収集とその活用の関係にも当て嵌ると桂花は考えているのだから。
実を言えば、一刀のこの考えはインターネットという現代テクノロジーありきの考えだ。
手元にネットにアクセス出来る装置1つあれば、情報など大した苦労もなくいくらでも手に入る現代。
真に必要となるのは、その過剰とも言える情報を整理し、有効なものだけを取り出し、それらを繋げていく能力に他ならない。
しかし、今一刀がいるのはそんな現代よりも1000年以上も昔の世界。
ネットどころか電気の概念すら存在しないこの世界において、情報の収集それ自体がそもそも一般人には難しいのである。
つまり、この場においては一刀よりも桂花の考えの方が正しいと言える。
しかしまあ、どちらも既に短くは無い付き合いの中で互いの頑固はよく知っている間柄。
下手に水掛け論になって時間を無駄にすることも無い、と早々にこの話題は切り上げることとした。
「ところで、桂花。黒衣隊の隊員数なんだが、やはり現状のままでは厳しいか?」
「ええ、そうね。今は河北4州だけで済んでるけど、直にこの密度を大陸全土に広げないといけなくなるわ。
そうなると、黒衣隊だけではどうしても手が回らないわね」
「そうか……分かった」
「一刀?何か考えがあるの?」
桂花の回答を聞いて少し考え込む一刀に質問が掛けられる。
対して一刀は半分意識を思考の海に沈めたまま、上の空気味に答えていた。
「各部隊からめぼしい連中はリストアップしてはいるんだが……そも隊の理念に合致する性格かを見極めてからでないとどうにも……」
「栗鼠?あぷ?何を言ってるの?」
「ん?あ、すまん。いや、考えがあるにはあるんだが、まだ具体的な形にはなってないんだ。
形にするにはまだ暫くかかるだろうし、今は気にしないでくれないか?」
「そうなの?……まあ、あんたがそう言うならそうするしかないわね」
多少渋りながらも一応の納得を桂花が示したことで、本当の切り上げとなる。
他には何もないことを互いに確認してから、それぞれの持ち場へと誰とも知れずに戻っていくのだった。
「あ、兄ちゃん!遅いよ~!」
「ちょ、ちょっと、季衣!」
「すみません、一刀殿。お時間を割いていただき、改めてありがとうございます」
統括室を後にした一刀はそのまま調練場へと足を運んでいた。
そこでは元気に跳ねる季衣と丁寧に礼を述べる凪に迎えられる。
だが、一刀の意識は彼女達よりも別の方向に向いていた。
「いや、それは全然構わないんだが……あれはどういう……?」
「えっと、それが……私達が調練場に向かっていると、お2人がいらして、そのまま流れで……」
「流れで、って……」
妙に言葉が続かない一刀と凪。
その両者の視線の先には……
「ふはははは!ほらほら、まだまだ甘いわよっ!」
「わっ!わわっ!?ひゃんっ?!」
「梅さん、よく見て対応しないとすぐにやられてしまいますよ」
猛攻をギリギリで捌く梅と。アドバイスを送る菖蒲と。
そして梅に対峙しているのは、なんと零であった。
手にするは一対の扇。鉄扇術の一種であろうかと思われる。
水が流れるが如く、舞うようにして両手の鉄扇で連続攻撃を加えていく零。
その軌道は直線が極端に少なく、曲線と言える。
極論を言ってしまえば剣や戟の攻撃も円軌道ではあるのだが、これらは軌道半径が大きく、攻撃範囲においては往々にして直線である。
一方で零は鉄扇で小さな円を無数に描くように動かす。
更に、空気抵抗を得やすい扇の形状を最大限利用しているのだろう、変則的な軌道が多々生じていた。
魏にいる数多の武官を見渡してもまず見ることのない特殊な型。
いくら防御に適正のある梅と言えど、これでは厳しい。
変化球投手を初見初打席で攻略しろ、と言っているようなものだ。
それでも、時間をかけて粘ることが出来れば梅にも勝機はあったかも知れない。
しかし、そこはさすがかの司馬懿といったところか、梅が慣れ始めた頃合を見計らったかのように、それまでとは全く異なる軌道の攻撃を持って、梅の首に刃を突き立てたのだった。
「ま、参りました……」
「ふはははは!私に出来ないことは無いといっただろう?
どうだ、一刀?私と仕合ってみるか?」
梅が敗北を宣言すると高笑いと共に零が振り向いた。
菖蒲は話の腰を折らぬよう、会釈を一つ。
一刀は菖蒲に会釈を返すと、零に言葉を返す。
「へぇ。中々魅力的なお誘いだな。それだけ自信あり、ってことかな?
だけど、悪いな。まずは先約ありだ。凪達の調練が終わった後だったら……って零さんも仕事あるんじゃなかったか?」
「…………わ、私もたまには練武に励まねば、その……あ、そうだ、腕が落ちても勿体無いだろう?」
「…………」
「な、なんだ、その目は!?何か言いたいことがあるなら言えばいいだろう!?」
どうにも普段と様子の異なる零であったが、その理由がはっきりしない。
いや、正確に言えば、一つ予想はついているのだが、自信満々、いっそ自信過剰とも言える普段の零からは考えにくい理由だったため、確定出来ないでいた。
まあ、あえて追及する必要性も薄いよな、と一刀は調練を始めてしまうことにした。
「いや、何でもないよ。えっと、調練を手伝ってもらえるんだったら、そうだな……凪とも仕合ってやってもらえるかな?
零さんみたいな武器と技の使い手はそうそういないだろうから、いい経験になる。
季衣と流琉は連携訓練といこうか。菖蒲さん、手伝ってもらえるかな?」
「はい、お任せ下さい」
「ふははは!いいだろう!さあ、凪!かかってきなさい!」
「よ、よろしくお願いします、零様!」
「よ~っし!行っくよ~、兄ちゃん!」
「私も、行かせて頂きます。兄様、菖蒲さん!」
各々組に分かれて開始前の礼を交わす。
その中で指示の無かった梅が少し慌てた様子で一刀に尋ねた。
「あ、あの!一刀様!私はどうすれば……?」
「梅はまずは休んでおこうか。零さん程の変則的な攻撃を初見であそこまで防ぎ続けたのは評価に値する。
その分高い集中力を要したんじゃないか?仕合時間もそれほど短くなかったようだし、肉体的な疲労はともかく、精神的な疲労は思わぬ怪我に繋がりやすいから、梅は一旦休憩。分かった?」
「あ、は、はい」
「よし、それじゃあ、調練を始めようか」
「はい!」 「うん!」
即席でローテーションを組んで凪達4人の調練を中心に回すこと2刻。
太陽は既に中天を過ぎ、誰からともなく空腹を訴え出し始めて調練は終了となった。
手分けして片付けをしている中、一刀は菖蒲に尋ねかける。
「零さんと菖蒲さんはどうして今日ここに?」
「私達も凪さん達と同じ理由ですよ。秋蘭様や華琳様に抜擢して頂いて将と軍師の位置にいるとは言っても、私達は元々一般の士官組です。
零さんはどこまで考えてらしたのか分かりませんが、少なくとも私は、自分がこれほどまで大きなことに関わることになるとは思っていませんでした。
さすがに今日くらいは浮き足立ってもしまいますよ?」
「まあ、確かにそうだよね。でも、やっぱり意外だったよ」
「あまり声を大には出来ませんが……零さんはあの体質がありましたから、今まで大きな策に関わることがほとんど無かったんです。
それも関係しているかも知れませんね」
「あ……そうか……何というか、ごめん」
図らずも好ましいものでは無い話題を振る形になってしまい、謝罪を述べる。
だが、菖蒲は全く気にした様子も無く、逆に返すように言葉を続けた。
「一刀さんはやっぱりすごい方ですね。
昨日と今日とでは取り巻く状況が一変したとも言えるはずです。けれども、今日の一刀さんも、普段と変わらないご様子。
そんな一刀さんの姿を長い間近くで見て、ようやく私も心を落ち着けることが出来たように思います。
それはきっと零さんや凪さん達も同じでしょう。本当にありがとうございます、一刀さん」
「いや、それは菖蒲さんたち自身の力だよ。こんな状況じゃ、落ち着けない者は何をしようとも落ち着くことは出来ないだろうからさ」
「……一刀さんはいつもご自身を謙遜されますね。例え、どんなにすごいことをされていても。
確かに過度に誇らないその姿勢は素晴らしいのですが、どうかこちらの感謝は素直に受け取って下さい。
一刀さんは随分と高く評価してくださっているようですが、私達はきっと、一刀さんの予想程強くはないのですから」
「ん……謙遜も過ぎると嫌味となる、か。分かった。これからは気をつけるとするよ。
ありがとう、菖蒲さん」
「いえ……」
話しながらも片付けは進んでおり、丁度キリの良いこの時点で片付け自体が終了する。
特に話を伸ばす必要性も無いために、このまま切り上げて他のメンバーを募って街の飯店へと向かうことにしたのだった。
天才軍師の思わぬ一面に、文武実力派武官のささやかな弱さに、期待十分の新人たちの高い柔軟性に触れ。
停滞から激動、その初日に予期せぬ収穫があったと言えよう。
仲間の面々への理解を深め、激しく揺れ動く世情に身を投じていく。
それからの一月、多くの武官にとっては肩透かしのような気分を味わっていた。
その多くは袁紹が動いたことですぐにでも戦が起こるものと考えていたからである。
だが、当初の緊張感が徐々に抜けて行きかけている武官とは対照的に、軍師達と一部の頭脳労働も担当する武官はてんてこ舞いの時を過ごしていた。
日を追う毎に河北の情勢が変わっていく。
引切り無しに間蝶が送り込まれては、入れ替わるように以前の間蝶が新たな情報を持ち帰ってくる。
間蝶の移動にかかる時間は仕様がないこととは言え、それを差っ引いてしまえばまさに最新の情報が続々と。
それらから分かることは、何といっても袁紹の快進撃とも言える、その侵攻の速さ。
当初は予想を遥かに上回るその速さに目を白黒させていた軍師達であったが、その絡繰が判明すると皆一様に呆れを滲ませることとなった。
袁紹の電の如き疾さでの侵攻が可能な理由。
それは攻め入った地に軍を留めて半強制的に兵を集め、拠点に戻る事なく次なる戦場へと向かっていたからであった。
確かにそれならば疾さは確保出来る。が、それだけである。
統治という面で見れば愚策も愚策、後に修正したとしてそれが効くかすら怪しいほど。
しかし、敵対する側に立てばこれ以上なく厄介ではあった。
通常、戦において敵の出方の読みは、敵の立場に立った上で基本に則って大まかな下地を定め、そこに集めた相手の情報を加味して修正を加えていく。
一方で袁紹は戦の基本などどこ吹く風、予期せぬタイミングで攻めてくることになっていたのだった。
結果、袁紹は瞬く間に河北4州の内3州を奪取、そのまま緩むことなく公孫賛へと刃を向けていた。
軍師達はこの一戦の結果に非常に注目している。
というのも、その結果次第で取るべき最善策が変わってくると考えているからである。
そう言うが、実はどちらかが勝つかに注目している訳では無い。
何故なら、これだけ派手に袁紹が動いているにも関わらず、公孫賛は日和見を貫き、結果初動が大きく遅れたためだ。
目下の注目は袁紹軍の被害度、その一点である。
もう何日と待たず決着は着くだろう。
一刀もまた、その先までの展開を可能な限り描きつつ、かの一戦を見守っているのであった。
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第四十二話の投稿です。
『出来る限り2週間以内で。。。』
↑早速遅れていくこの体たらく。スイマセン。